2014年度のノーベル物理学賞を受賞した中村修二が著した「怒りのブレイクスルー」(集英社文庫) という本を読んだ。
中村修二氏は、高輝度青色発光ダイオードの製造方法を発明して、青色LEDの製品化に貢献したが、2001年8月当時、日亜化学工業(1999年12月退社)との間に青色LEDを発明したことへの相当の対価を求めて、200億円を請求する訴訟を起したことで当時、新聞や雑誌を賑わした。
当時のニュースを見た印象では、このこと自体が何を意味するかあまり注目してはいなかったが、最近、中村修二氏がノーベル物理学賞を受賞したので、彼が成し遂げた発明とは一体何であったのか、調べてみたい気持ちに駆られた。
そして、彼が2001年4月に刊行した「怒りのブレイクスルー」という本を読んでみたのである。
当時、赤色LED、黄色LEDは既にあり、青色LEDだけがまだ発明されておらず、これが発明されたことで、光の三原色が揃い、白色LEDが可能となった為、ほぼ劣化することなく、消費電力が半分で半永久的に使用できるLEDの照明が可能になっている。
つまり、電球より少し高めで長持ちするLED照明とか、ランプ交換の必要がないLEDタイプのプロジェクターなどもその発明の恩恵に与っている機器の一つであった。
中村修二氏は、「怒りのブレイクスルー」の中で、青色LEDについて次のように解説している。
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人工的に作られた鉱物、つまり自然界にはない「石」が光るというLEDの基本原理が発見されたのは、二十世紀の初めでした。炭化珪素(シリコン・カーバイド)という物質に電流を流したとき、発光することが観察されたのです。
以後、多くの研究者によって改良が進められ、二十世紀の半ばごろに化合物半導体(導体と絶縁体の中間の電気抵抗を持つ複数の元素をもとにしてできた物質)を使う現在のLED技術が確立します。
そして、私たちはいつの間にか、この小さな発光体に囲まれて暮らしています。ちょっと見回すだけで、その光を簡単に見つけることができるでしょう。例えば、室内では、テレビやオーディオ、様々な家電製品、コンピュータ機器の動作表示ランプが光っていますし、壁には電気スイッチの夜間位置表示灯があるはずです。これらのほとんどはLEDなのです。また、カラーコピー機やスキャナ、レーザープリンタなどにも応用され、赤外線のLEDはテレビやオーディオなどのリモコンに使われています。
点である光源が集まり面を構成すれば、LEDの用途がさらに広がります。街頭看板、駅構内の行き先表示、電車内の案内表示・・・。
私たちの身の回りは、まさにLEDの「氾濫」状態になっているのです。
しかし、これほどまで使われているLEDですが、実は長い間、致命的な「欠点」がありました。
それは、高輝度、つまり、強い光を発する青い鮮やかな光を放つLEDがなかったことです。
虹の七色を思い浮かべてみてください。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。つまり、この七色のうち、青色から以降がLEDでは再現できなかったのです。品種改良が難しいとされてきた青いバラのようなものかもしれません。
赤外や赤色、オレンジ色、黄緑色のLEDは、比較的早い時期から実用化されていました。
日ごろ、目にしているLEDのほとんどが、この赤や黄緑のはずです。
私がこの青色LEDの開発研究を始めたのは、1989年のことです。当時の私は、徳島県阿南市にある日亜化学工業株式会社(以下、日亜化学)という小さな会社の開発課に勤める研究員でした。
研究を始めてから約5年後の93年12月、ついに青色LEDの実用製品化へこぎつけました。窒化ガリウムという化合物半導体を使った、世界初のブレイクスルー(革新的飛躍)。
(中略)
赤色と緑色はすでに実現しています。そこに青色が加われば、白い光を発光させることが可能となります。
印刷などの三原色が足し算で黒に近づくのとは逆に、光の三原色は引き算。つまり、RGBの三色が同時に発光すると白色になるからです。
つまり、青色LEDを実現できれば、白色LEDも可能になる。白い光があれば、室内照明や交通機関の夜間照明などに使うことができます。
そこに広がっている、とてつもなく巨大な市場。青色が加わることで、LEDには、ほかの光源にはない大きな可能性が生まれるのです。
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まず、中村修二氏が何を発明したかさえ当時、私は分かっていなかったが、この本では、中村修二氏自らが、非常に分かりやすく解説している。
この「怒りのブレイクスルー」では、発明に至るまでの苦闘の日々について綴られているが、そこに見られるエピソードは、まさに6室の象意そのものであり、奮闘(struggle)の日々そのものである。
例えば、会社(日亜化学)の人間には理解がなく、青色LEDの発明も会社からは中止命令が出る中で一人で、発明を成し遂げ、会社からの不遇に遭いながら、戦い続けて最後に勝利を勝ち取るのである。
また米国に留学した先では、博士号を持っていないただの技術者、職人という扱いで、非常に冷遇され、常に対人関係で、苦労していることが分かる。
また実験をする機器なども自分で改造したり、組み立てたりなど何でも人に頼らず、全て自分で行っている所など、他の人間には真似の出来ないような猛烈な努力をしている。
そして、思いついたことを即座に試してみる実行力と、行動力などは非常に飛びぬけている。
従って、私は中村修二氏のラグナを検討する際にまず、6室が強調されていて、強い6室を形成しているはずだという直観があり、そうした観点から、射手座ラグナに設定した。
射手座ラグナにすると、6室と7室で星座交換しており、仕事の10室支配の水星が6室に在住して、9室支配の太陽と接合して、ダルマカルマラージャヨーガを6室で形成している。
そして、ラグナからみて5室支配の火星が1室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸と絡んで、木星、金星と相互アスペクトしているが、これは5室の支配星が凶星と絡んでいるため、理系であり、技術を学ぶ配置であると共に金星などが絡むことによって、発光する鉱物の研究、青色LEDなどの色彩を扱う発明に興味を示したと解釈することができる。
仕事の10室の支配星が6室に在住し、また7室の支配星が6室と星座交換しているために対人関係で、批判や避難をされることが非常に多いことを表している。
また月からみると5室支配の金星が6室支配の水星と星座交換しており、発明(5室)は奮闘(struggle)を通して、成し遂げられたと理解できる。
とにかく、中村修二氏の自伝を読んでいると、6室が強調された人の運命というものが非常によく理解できるのである。
結婚したのは1978年2月のことで、彼が大学院1年の2月の頃である。
この時、木星は射手座からみて7室をトランジットし、土星は7室の支配星にアスペクトして、7室にダブルトランジットを形成している。
ダシャーは火星/月期からラーフ/ラーフ期への移行期であり、仮に火星/月期だとすると、火星はラグナに在住して7室(結婚)にアスペクトし、月は8室支配で2室に在住している。
8室も2室も結婚生活をハウスである。
中村修二氏が、学生時代に奥さんと出会ったエピソードを読むと、出会って比較的短期間のうちに同棲を初めて結婚生活を共にする様子が見られるのはその為である。
8室支配の月が2室に在住しているので、妻や子供との結婚生活を第一優先にするのである。
就職活動で京セラに受かっていたにも関わらず、徳島の日亜化学を就職先に選んだのはその為である。
そして、火星/月期が終わると、直ぐにラーフ/ラーフ期に移行している。
ラーフは1-7室の軸に在住しており、結婚のハウス(1室または7室)に絡んでいる。
従って、火星/月期→ラーフ/ラーフ期のいずれにしても結婚のタイミングをよく表している。
また中村修二氏が学生結婚した妻と最初に出会った時のチャートが以下である。
この時、射手座から7室に土星がトランジットしている。
そして、「怒りのブレイクスルー」によれば、以下の記述により、長女、次女、三女と3人授かっていることが分かる。
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渡米決意
私には娘ばかり三人います。UCLAからオファーが来ていた99年当時、
長女の仁美が二十一歳、年子の次女の文映が十九歳、三女の光沙が十四歳。
末娘以外は、すでに反抗期も過ぎて親の手を離れつつある頃でした。
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1999年時点で、長女21歳、次女19歳、三女14歳であることから、それぞれ、1978年生まれ、1980年生まれ、1985年生まれである。
例えば、長女が誕生した時、木星は5室の支配星、土星は5室にアスペクトしている。
次女が誕生した時、木星と土星は9室をトランジットして、9室にダブルトランジットしている。
三女が誕生した時、木星は2室で逆行して、5室の支配星に接合し、5室にアスペクトし、土星は11室から5室の支配星と5室にアスペクトしている。
従って、子供の誕生のタイミングは説明できている。
また中村修二氏が、日亜化学を辞めた1999年12月は、射手座からみて木星と土星が5室をトランジットして、5室にダブルトランジットが生じていた。
5室は10室(仕事)からみて8室(変化、中断)であるため、この時、会社を辞めたのである。
おそらく創造的に活動したくて、会社に居続けることに耐えられなくなったのではないかと思われる。
このように少数の重大事項から、中村修二のラグナは射手座である可能性が高いのである。
また中村修二氏は、非常に苦労人で、泥臭い所もある為、そうした特徴は山羊座に在住する月の影響によるのではないかと思われるが、
一方で、ラグナが射手座に在住しているためか、自分の生まれ育った日本を捨ててアメリカに渡米したり、ハリウッドの豪邸に住み、離婚して若い奥さんと再婚して、訴訟によって8億円を勝ち取り、ノーベル賞を取得している。
つまり、射手座の人にありがちな典型的な行動パターンである。
高い跳躍を成し遂げ、家族とか民族とか地縁血縁的絆を切って、外国に果敢に冒険し、ハリウッドの豪邸や若い妻、8億円といった物質的な成功を勝ち取り、ノーベル賞といった飛びぬけて高い評価も手にしている。まさに射手座的な人生である。
アメリカンドリームと言うべき人生なのである。
従って、私は中村修二氏からは山羊座の特徴と、射手座の特徴の二つを見出すのである。
何故、中村修二氏がノーベル賞を受賞できたかというと、土星が11室(称号、受賞)で高揚しているからである。
11室は飛びぬけて高い地位や評価を表し、そのことを示す称号や肩書きといったものを表すのである。
この11室の土星は月から見ると10室で高揚しているので、パンチャマハープルシャ・シャシャヨーガである。
当初、東京地裁は、日亜化学に中村修二氏への200億円の支払いを命じている。
天秤座で高揚する土星は、裁判において公平な審判を下されるために最高の働きをしたことが分かる。
天秤座は平等や民主主義を表す星座である。また欧米社会におけるjustice(正義)とは平等や公平のことである。
マハダシャー土星期に入ったのは、2009年8月からであるが、この土星期に入ったのでノーベル賞を受賞することが出来たのである。
因みに実際にノーベル賞を受賞した2014年は土星/水星期である。
土星はラグナロードで11室で高揚し、水星はラグナからみて10室支配で9室支配の太陽と接合し、月からみて9室支配で5室に在住し11室にアスペクトしている。
また土星からみて9室支配で11室支配の太陽と8室に在住している。
土星ばかりでなく、アンタルダシャーの水星も10室の支配星であり、強力である。
また中村修二氏のラグナロードで11室で高揚する土星にはラグナロードで7室に在住する木星が一方的にアスペクトしている。
これは非常に強力な世のため、人のために大きなことを成し遂げる配置である。
11室支配の金星は7室に在住してラグナロードの木星と接合し、5室支配の火星からアスペクトを受け、ラーフ/ケートゥ軸と交わっている。
また逆行する高揚の土星からアスペクトを受けている。
従って、11室への惑星の影響を数えると、非常に沢山の惑星が11室に絡んでいることが分かる。
11室へは土星と木星の2つ、11室の支配星へは、木星、土星、火星、ラーフ、ケートゥの5つ、計7つの惑星が11室に絡んでいる。
従って、中村修二は高い評価を受け、称号を受ける配置をしていたと言うことができる。
特にラグナロードで11室で高揚する土星には、ラグナロードで7室(海外)に在住する木星がアスペクトしているので、アメリカに渡米して、
海外の研究者たちと交流して、そこで生活していることも中村修二氏には追い風として働いたと思われる。
つまり、このラグナロードで7室(海外)に在住する木星は、アメリカに永住を決めた中村修二のカルマそのものを表している。
また4室支配の木星に金星が接合しているので、ハリウッドに住んでいるのである。
「怒りのブレイクスルー」の中では、当初、中村修二は、高級住宅地のサンタバーバラに家を購入したと書かれている。
近所にブラッド・ピットの新居やケビン・コスナーの別宅もあると書いてあるため、非常によい場所に新居を構えたようであるが、
2014年12月31日付ダイヤモンドオンラインの記事「『ノーベル賞「中村修二」に違和感がある!』週刊新潮の記事に思わず納得。謙虚さと傲岸の違い」によれば、中村修二はハリウッドに住んでいると書いてあるため、その後、ハリウッドに引っ越ししたのかもしれない。
いずれにしても、4室支配の木星が7室で金星と接合しているため、海外のハリウッドスターが住むような場所に住んでいるのである。
M.S.MEHTA著「PLANETS AND TRAVEL ABROAD」によれば、次のような記述がある。
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First House Rishi Satyacharya has said that if the lord of the first house is in the 7th house and associated with a benefic,
the native would live in a foreign country and die there.
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(訳)
リシ Satyacharyaは、言った。
もし1室の支配星が7室に在住し、吉星と接合していたら、その星に生まれた人は、外国に住み、そこで死ぬでしょう。
7室とは4室から4室目のハウスで4室の本質のハウスであり、居住を表している。
M.S.MEHTA著「PLANETS AND TRAVEL ABROAD」には、7室が外国での生活を表すというパターンが度々登場する。
この上記のケースは、中村修二氏の場合にもぴったりと当てはまっており、実際、中村修二氏は、米国市民権を取得して、アメリカに永住するつもりである。
「怒りのブレイクスルー」の第四章は、アメリカン・ドリームであり、中村修二氏が米国に新居を決めた辺りのエピソードをアメリカン・ドリームの実現であると本人は考えているようである。
アメリカン・ドリームが中村修二氏の理想なのである。
つまり、アメリカン・ドリームとは、射手座が表しているのである。このことは私は、「村上春樹はどこへ行くのか」の中で示した。
おそらくアメリカの建国図の5室が射手座であるから、アメリカン・ドリームとは射手座の理想なのである。
中村修二氏のチャートの興味深い所は、射手座とは全く相容れない山羊座の性質が彼の中に共存しているからである。
例えば、中村修二氏は、非常に苦労人で、雑草のように努力をして実力を養った研究現場での叩き上げの人である。
まず、徳島の小さな中小企業であった日亜化学からスタートした彼のキャリアはどう考えてもどぶ板を踏むような歩みである。
そして、会社の上司から非難され、アメリカに渡米しても博士号を持たないため、バカにされて、見下されたりして、そんな逆境の中で格闘して、地位を築いた人物である。
そういう姿は、典型的な山羊座の特徴である。
彼は青色LEDの開発に成功した後も、あまりにもその報酬が少ないので、米国人の同僚たちからは、スレイブ中村とあだ名されたそうである。
スレイブ=奴隷とは、山羊座のパーソナリティーの全体的雰囲気である。
何故なら、獅子座(王様)からみて6室目で土星が支配星となる山羊座は、奴隷の雰囲気そのものだからである。忙しく仕事をして、奉仕するのが山羊座の特徴である。
従って、明らかに中村修二氏には奴隷のような目に合うカルマがあるようである。
然し、一方で、青色LEDの開発に成功し、国際会議に呼ばれて、講演をし、米国の市民権を取得して、ハリウッドに住み、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で教授をして、米国企業のコンサルタントを務めたりして、独自の契約をして複数の収入源を持ち、勝訴して8億を勝ち取り、ノーベル賞を受賞して、数々の受賞や称号を受ける辺りは、明らかに射手座の特徴を示している。
本来、木星は射手座でムーラトリコーナになるが、次の山羊座では減衰するなど、その落差が激しい星座の連続である。
従って、この隣り合う2つの星座の特徴を併せ持つ、中村修二氏は、非常に相容れないような性質の二つを同時に自分の中に抱えている興味深い人物なのである。
週刊新潮が、中村修二氏に対して、『ノーベル賞「中村修二」に違和感がある!』と述べたのは、この日本人離れしたアメリカ人のような中村修二氏の考え方や振る舞い方に対して言ったものである。
日本は水の国であると、以前、書いたが、日本の恥の文化や奥ゆかしさなどは、典型的に水の星座の特徴である。
週刊新潮が主張するのは、こうした日本人のスタンダードからかなり逸脱した中村修二の激しい射手座的なキャラクターに対して感じる違和感なのである。
中村修二のラグナには、火星が在住しており、ラーフと接合し、更に木星や金星、土星もアスペクトしていることから、射手座に惑星のエネルギーが集中している。
従って、射手座としての性格が極限的にまで強調された人物が、中村修二と言ってもいいかもしれない。
つまり、ミスター・アメリカン・ドリームと言ってもいいかもしれない。
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『ノーベル賞「中村修二」に違和感がある!』週刊新潮の記事に思わず納得。謙虚さと傲岸の違い
2014年12月31日 ダイヤモンドオンライン
「中一ギャップ」という言葉を初めて知った。皆さんはご存じでしたか?
さきごろ、文科省は「小中一貫校」を新しい学校制度とすることに決めたが、この新制度により、新しい環境に馴染めず不登校を起こすような子どもたちを拾い上げることもできるという。
私は知らなかった。中学生になり、算数を数学と呼ぶようになったり勉強そのもが難しくなったり、体格が大きく異なる先輩がいたり、あちこちの小学校から生徒が集まり、その輪に溶け込めず悩む子どもたちがいるなんて。
と思っていたら、さらに「小一ショック」なんてのもあるらしくて、他人様のご子息ご息女とはいえ、そーいう子たちの将来をちょっと心配してみたりする。中一ギャップも小一ショックも、恥ずかしがり屋さんの尻込みとは意味が違うのだ。
学校でギャップに苦しむ子が社会人になれるのだろうか? そのうち「フレッシュマンギャップ」とか出てきそうだ。あ、それは五月病だから昔からあるのか。ということは、かつては社会人や大学生のあいだで発症していた五月病がどんどん若年齢化してきたということだ。残念ながら、あまり褒められた話ではない。
これと似た話で、ショウワノートが発売している「ジャポニカ学習帳」の表紙から、昆虫の写真が消えた(ただしこれは二〇一二年のこと)。その理由というのがまた何ともばからしいのだが、保護者からの問い合わせ、クレームが相次いだのだという。
「気持ち悪いから、やめてほしい」
「娘が昆虫写真が嫌でノートを持てないと言っている」
「授業で使うとき、表紙だと閉じることもできないので困る」
驚いたことに、クレームは保護者からだけではなく、教師からも届いたそうだ。大丈夫なのか、ムシの表紙が嫌だよぉとか言ってる教師。
「学校の授業や、家に帰ってからの宿題。お子さんがノートを使う機会は多いです。もしかしたら友だちと一緒にいる時間より長いかもしれません。学校の先生もノートを集めたり、添削したりと、目に触れる機会は多いと思います。そんな商品だからこそ、一人でも嫌だと感じる人がいるのであればやめよう、ということになりました」
ショウワノートはこう言っているが、どうなんだろう。ジャポニカ殺すにゃ刃物は要らぬ、ムシがキモイと言えばいい、ってことだったのか?
過保護に子どもを育てる親がいる。親ばかとバカ親の違いだ。最近はツイッターやフェイスブックで子育ての大変さや愚痴をこぼす親も多いが、そういう人たちにかぎって、ワタシは誰よりも子どもを愛してるわ、ワタシっていいママ、と思いたがっているようにしか見えなかったりする。
子どもを大事に育てているつもりになっていながら、実は過干渉だということに気づかない親がいる。そういう親に育てられると中一ギャップを引き起こすのかどうかは知らないが、小一ショックや中一ギャップの背景には、乳母日傘と過干渉があるような気がする。進級ってのはワクワク感に満ちているはずなのに、そうか、いまの子はカルチャーショックのような違和感を感じるのだな。
違和感と言えば……、違和感が今回のテーマなのだけど、過日、九時台の特番に安藤美姫選手が出演したときのことだ。ご存じのとおり、彼女は一児の母なのだけど、テレビに映るミキティは娘のように屈託なく笑っていた。
番組のホストたちも一緒に笑っている。はて、この違和感は何だろうと思っていたのだが、あることに気づいた。安藤選手は、私生児を産んでいる。最近は使われなくなった言葉だが、父親を公表していないのだから私生児だ。
本来は後ろめたいことなのだが、そんなことはお構いなしといった感じで安藤選手は笑っている。二〇年前なら――、女優であれアスリートであれ、私生児を産んだ女性がゴールデンタイムのテレビに出演するなんてことは考えられなかった。こんなことを言う私は、おそらく、古いと言われる。
時代が変わったのだろうと思う。テレビ業界とお茶の間が、それを受け入れる時代になった。そーいえば『ミヤネ屋』の宮根誠司さんだって隠し子がいることが報じられたけど、ワイドショーはおろか、報道番組や選挙特番の司会を務めている。長男の不祥事で冠番組を降板したみのもんたさんとは大違いだが、不倫と隠し子の事実を認めても、宮根さんはテレビに出ずっぱりだ。世の中の倫理観が変わったんだね。
来年の皆さまのNHKの大河ドラマは、吉田松陰の妹を主人公に据えた『花燃ゆ』だが、物語は、理想に燃える志士たちの『男たちのドラマ』があり、毛利家の「大奥」の様子を描く『女たちのドラマ』という要素があり、さらに『学園ドラマ』や『ホームドラマ』としてのエキスもあるのだそうだ。無茶苦茶。
「『学園ドラマ』は、松下村塾の若者たちの青春群像劇を描く。その一方で、先生の寅次郎が、黒船密航の試みなど、いろいろなことをやらかしちゃう。その度ごとに家族が右往左往しながら、それでも寅次郎のことを愛して支える、という『ホームドラマ』でもある。幕末版『男はつらいよ』と思っていただければ」
制作統括の土屋勝裕チーフプロデューサーはこう言っている。
再三再四、近ごろの皆さまのNHK大河ドラマはトレンディードラマみたいに抱擁ばっかりだ。出陣の前に夫婦が抱擁、戦を終え無事帰還すればまた抱擁、悲しい出来事があって夫が妻を慰める場面ではやっぱり抱擁……、戦国武将ってのはこんなにいつも女房を抱きしめていたのか、と書いてきた。
違和感があったからだ。
皆さまのNHKは大河の枠でホームドラマでもやってんのかいな、と思ったら、チーフプロデューサーが「そうだ」と認めた。実にあほくさい。ホームドラマやってる志士が命を賭けて日本を変えられるかっつーの。それとも、学園ドラマだから、松下村塾で吉田寅次郎(後の松陰)は「はい、いいですかぁ。人という字は……」と門弟たちに説き、捕縛され斬首されるときも「ぼくは死にましぇ~ん」と涙ながらに訴えるのか。
長州を舞台にしたのは、安倍総理におもねったからだったりして。
という話はさておき、先々週発売の週刊新潮(12月18日号)が、今年、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の発言その他に「違和感がある」と題した特集を組んだ。これが面白い。
ノーベル賞を受賞した際、中村教授は研究の原動力を「怒り」と表現した。
怒りは、かつて在職した日亜化学工業に向けられている。二〇〇一年、中村教授は青色発光ダイオードの発明対価として二〇〇億円を求め、日亜化学工業を提訴した。最終的に両者は和解し、中村教授は八億四三九一万円を手にしている。
が、八億では物足りなかったのか、それとも社員として過ごした日々への憤懣をぶつけたのか、中村教授は「怒り」が自分を駆り立てたとコメントした。悔しさをバネにするとはよく言うが、怒りを原動力にするというのは、もしかしたら中村教授は執念深いのかもしれない。執念深いから研究に集中できたとも言えるが。
「中央の恵まれた環境と違って、私には先生がいない。私の場合は自分だけ。(会社では)青色LEDは自分一人でやっていました」
「新聞、テレビは、『青色LEDは赤崎(勇)名城大教授・天野(浩)名古屋大教授が発明し、中村氏は量産化する技術を確立した』と紹介する。こんな認識は日本だけです。世界では、『青色LEDは中村が発明した』というのが共通の認識です」
受賞後の中村教授の発言だ。すでにこれだけで違和感を抱かせるに足るが、教授は続けてこうも言った。
「日本の研究者はサラリーマンで、研究の自由も、十分な対価も得られない不当な扱いを受けている」
「米国の研究者はアメリカンドリームを追いかけるチャンスがある。能力とやる気のある人はきちんと評価され、天井知らずの夢が見られる。米国では優秀な研究者はみなベンチャーに移り、ストックオプションで莫大なお金を稼いでいる」
週刊新潮は、これら発言に異を唱えているのだ。
研究者の処遇と報酬について、志村史夫静岡理工科大教授・ノースカロライナ州立大併任教授はこう指摘する。
「中村教授のように企業に属しながら、巨額の追加報酬をもらった研究者は、日本どころか、アメリカでも見たことがありません」
発明対価を要求した件に関してだ。
「(前略)日本では研究成果が出なかったからといって、給料を返せとは責められない。その間に使用した設備も研究費用も会社が負担したものです。成果を自分のものにしたいなら、最初からリスクを取って、独立して研究すればいい。一方でアメリカほど実力主義の国はない。民間の研究所であれば、成果を出さないと、容赦なくクビにされます」
だから、むしろ日本のほうが天国だと志村教授は言う。
アメリカでは入社時に、研究の成果、特許の取得等で利益が発生しても、その権利は「会社に帰属する」という契約書にサインさせられるからだ、と米国特許弁護士で法務博士の服部健一氏も解説する。
「アメリカでは入社時の契約で縛られるから、たとえ億単位の巨万の富を会社にもたらしても、発明者である社員には一銭も入ってこない」
カリフォルニア州弁護士の田中朋之氏もこう言う。マイクロソフト社も、社員が特許を出願したときに一〇〇〇ドル、それが成立したときに一〇〇〇ドル程度の報奨金しか出さなかったのだそうだ。
もし、中村教授が日亜化学工業を相手取ったような裁判をアメリカで行なったら、追加報酬はゼロだっただろうと言う。だから、中村教授は日本の司法制度に感謝すべきだとも。
日本の研究者は冷遇され、アメリカと違い高額報酬も当てられないと言う中村教授の発言とは正反対のコメントが紹介されているが、私が思うのは、中村修二という研究者は真っ正直な人なのだろうということだ。
日本人には恥の文化があり、奥ゆかしさがある。だから、なかなか本音を口にしない。中村教授は、そこで本音を言えるのだ。受賞を伝えられたとき、天野浩教授のように「自分が受賞してもいいのか」と当惑したり、赤崎勇教授のように、研究を支えてくれた仲間たちに感謝の気持ちを述べるのが「礼儀」であり、日本人としての「品格」でもある。
そんなときに、感謝や当惑をよそに、怒りが自分をここまで駆り立てたと言ってしまう中村教授は、だから一部から「品がない」と言われ、俺が俺がの夜郎自大に映り、尊大に見え、傲岸に思われる。青色LEDは「自分」が発明した、他の二人ではない、なんてことも口にしたものだからなおさらだ。
中村教授は、真っ正直に本音を語れる人なのだろう。品性を疑われることに無頓着なのかもしれない。
ご本人は不本意のようだが八億もの和解金を手にし、カリフォルニア大学に招かれてアメリカに移り住み、ハリウッドの豪邸に住み、若い奥さんと再婚もした。そしてノーベル物理学賞の受賞――、研究者の多くは、高収入を得た中村教授を羨ましいと思うだろう。何かを発明したら、その発明で企業に利益をもたらしたら、それに見合う報酬を得たいと思うだろう。思うよね、八億だもの。
その一方で、歯に衣着せぬような物言いとこれまでの経緯から、教授を金の亡者のように思う人だっている。彼の成功を快く思わない狭量な人だってきっといる。特に、収入の少ない人は中村教授の成功は面白くないんじゃないだろうか。
すると、だ。中村教授につきまとう違和感は、羨望と嫉視とが生み出しているのではないか、と思えてくる。中村教授のようになりたい人、あんなふうにはなりたくない人、それによって、教授を見る目も変わってくる。
さきの志村教授が言う。
「そもそもLEDは、最初に赤色の革命的な光源を発明したニック・ホロニアック・イリノイ大名誉教授の研究から全てが始まっている」
この事実を見逃してはならない。ノーベル物理学賞を受賞した教授に「もう少し謙虚に」とは言いにくいが、稲穂も実るほどに頭を垂れるのです。すごいことをやった人が傲岸不遜だと、なんだか天狗になっているように見えてしまう(マスコミはそういう人を叩くのが大好き)。
違和感は胡散臭さにも通じる。世紀の大発明を胡散臭くしちゃいけない。
今年は胡散臭い事件ばかりだった。号泣して記者の質問を逃れようとした県議がいたり、ゴーストライターを使った全聾の作曲家がいたり、奇跡の万能細胞を発見したとネイチャーに発表して世界を騙したり――、二〇一五年は曇りのない年にしたいものです。どうぞ、よいお年を。
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青色LED発明の中村修二氏(ノーベル物理学賞)について
2015.01.08
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