高倉健の養女・小田貴のミステリー

戦後の日本映画界を牽引してきた映画俳優・高倉健が2014年11月に83歳で亡くなったが、最後を看取ったと言われる養女が40億円と言われる遺産を受け継いだ後、その死を実の妹にも知らせず、いまだに遺族には会おうともしないのだという。

高倉健の死後2日で火葬してしまい、実の妹が遺骨を分けてほしいというと、遺言で散骨してくれといわれたからと断わり、高倉健が生前に建立した鎌倉霊園の墓地も更地にし、20台ぐらい所有していたといわれる高級車も売り払い、所有していたクルーザーも解体し、世田谷区の瀬田の家を壊して新築したりなど、その養女の奇行が週刊誌によって伝えられている。



怪談話のように恐ろしいミステリーである。


以下がその記事の引用である。


40億円の遺産と雲隠れ「高倉健」養女の謎
有名になるほど人は孤独になる
2017.10.2 PRESIDENT Online 政治・社会
ジャーナリスト 元木 昌彦

2014年11月、俳優・高倉健が83歳で亡くなった。しばらくして週刊誌などが小田貴という養女の存在を報じた。養女は、40億円といわれる遺産を受けついだが、その死を実妹にも知らせず、いまだに遺族には会おうともしないのだという。名優の謎に迫った『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(講談社)の筆者・森功氏に、元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏が聞いた――。

20代の若造に「よろしくお願いします」と頭を下げる
長嶋茂雄、吉永小百合、高倉健。

1970年、私が編集者になった頃、死んでも会いたいと思ったのが、この3人だった。

長嶋とは引退後に何度か食事をした。雑誌の対談に出てもらったことがある。サユリにはグラビアの撮影などでも会ったが、強く印象に残っているのが、川端康成の葬儀の日のことだ。

新米社員だった私は、裏木戸を見ていてくれといわれた。葬儀が始まってしばらくすると、木戸口から入ってくる女性が目に入った。遠目からでも吉永小百合だとわかった。

初心な私は、彼女を案内する間、口もきけず倒れそうなぐらい緊張した。喪服のサユリはため息が出るほどきれいだった。

高倉健には2度インタビューで会っている。最初は新作映画の記者会見場だったと記憶している。立ち話だったが、「よろしくお願いします」と20代の若造に丁寧に頭を下げた。『昭和残侠伝』の花田秀次郎がそこにいた。

2度目は、たしか青山にあった彼の行きつけの喫茶店だったと思う。緊張していたので何を話したかは忘れたが、コーヒーの話題を覚えている。

コーヒー好きで知られる高倉健だが、日に何十杯も飲むからインスタントでも何でもいいんです、そういって照れたように頭をかいた。

高倉の最後を見届けた唯一の人間

男が惚れる男というのは彼のようなことをいうのだろう。もともとファンだった私は、彼の行きつけの店をいくつか回った。京都のイノダコーヒーはもちろん、田中邦衛に教えられた嵐山・渡月橋近くの「霧そば」、喫茶店「花の木」。ハワイのベトナム料理店「マイラン・ベトナミーズ・レストラン」ではサムに高倉健専用ルームに案内してもらって、彼とツーショットを撮ってきた。

健康フリークで、ヒマがあれば運動をしていた彼も、『単騎、千里を走る』(2005年)あたりから年を感じさせ、遺作になった『あなたへ』(2012年)では老いが目立った。

2014年11月10日悪性リンパ腫で死去、享年83。

死後、しばらくしてから、彼に養女がいたことが報じられた。小田貴という女性だ。高倉の最後を見届けた唯一の人間。40億円ともいわれる遺産を受け継いだ。

だが不可解なことに、彼女は高倉の死を福岡にいる高倉の実妹にも知らせず、死後2日で火葬してしまったのである。実妹が、遺骨を分けてほしいというと、遺言で散骨してくれといわれたからと断っている。

彼女の「奇行」が週刊誌で報じられるようになる。生前、死んだらここへ入ると高倉がいっていた鎌倉霊園の墓地を更地にしてしまった。ここには結婚していた江利チエミがはらんだが、事情があって産めなかった水子墓もあった。

なぜ「高倉健」の痕跡を消し去ってしまうのか

クルマ好きで、多いときは20台ぐらい所有していたといわれる高級車も売り払い、手を入れれば立派に使えるクルーザーも解体してしまった。高倉との思い出が詰まっていたであろう世田谷区瀬田の家も壊して、新築した。

なぜ、そうまでして高倉健という俳優が生きた痕跡を消し去ってしまうのだろうか。ファンならずとも疑問を感じてしまうのは無理のないことであろう。

その謎に挑戦したノンフィクションが講談社から出版された。『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』、書いたのはノンフィクション・ライターの森功である。

彼は高倉健が出た福岡県立東筑高校の後輩。高倉は高校でボクシング部と英会話のESSクラブも創設し、ESSは今も残っているという。

明治大学に入り相撲部に入部した。学生時代はけんかと酒に明け暮れ、「明治の小田(高倉の本名は小田剛一<おだたけいち>)」と恐れられた。酒癖が悪く、物を壊す癖があったと、自らインタビューに答えている。それもあって、俳優になったら酒は飲まないと決めたようだが、その克己心には頭が下がる。

大歌手・江利チエミとついに結婚するが……

この時期、戦後「銀座警察」と異名をとった、後の指定暴力団「住吉会」の幹部たちとの交友もあった。中でも明治の1年後輩で後に住吉の理事長にまでなる直井二郎とは親しかったそうだ。

大学を出ても就職口がなく1年就職浪人をしていたが、知人に美空ひばりの事務所を紹介された。東映本社の喫茶店にいる時、東映の重役にスカウトされたという話は有名だが、森によると、東映専務だったマキノ光雄(兄は映画監督のマキノ雅弘)だったという。

若いときからファンだった憧れの江利チエミと共演する機会を得て、結婚することになるのだが、美空ひばりや十朱幸代などからも愛を告白されたそうである。

大歌手・チエミを追いかけまわし、ついに1959年2月16日に結婚する。この日は高倉の誕生日でもあった。

徐々に売れ出した高倉にとって、一番幸せな時期であったのだろう。残念ながら子供はチエミの体の問題があり産めなかったが、彼女も精一杯高倉のことを愛した。だが、チエミが縁戚の女の詐欺にあい何億という借金を背負ってしまう。そこから結婚生活は暗転していく。

12年半の結婚生活に終止符を打ち、その後、チエミは一人寂しく亡くなってしまう。高倉は生涯チエミのことを好きだったといわれる。それが証拠に、新婚旅行で行ったハワイには別荘も買い、撮影が終わるとちょくちょく出かけていた。

「おだたけいち」ではなく「おだごういち」に

映画『鉄道員(ぽっぽや)』の中で、チエミの代表曲「テネシーワルツ」を使っている。2人は瀬田の自宅からすぐの法徳寺に墓を買っていた。高倉はチエミの月命日には闇に紛れて墓に手を合わせてきたという。

だが、離婚後もチエミのことを好きだったと彼の口から語ったことは、私が知る限りない。チエミはステージでもよく『唐獅子牡丹』を歌っていたのだが。

話を急ごう。この本の白眉は、高倉と養女との馴れ初めや、彼女の不可解な行動の謎に迫った章である。

森は、養子縁組の際の入籍申請書類を見ている。養女になった貴の母親と、高倉の従弟(高倉プロの専務・当時)のサインがある。

だが不思議なことに、高倉の本名である小田剛一のふりがなが「おだたけいち」ではなく「おだごういち」になっているのだ。それも従弟のところには、何も書かれていない申請書を持ってきて、サインしてくれといわれたというのである。

高倉の実妹や親族たちは森に対して、高倉の死を知らされなかった悔しさを隠さない。いまだに養女とは会えず、弁護士を通してくれといわれているそうだ。なぜこうまでかたくなに実妹や親族を拒むのだろう。

「バレた、どうしよう」

そのくせ、高倉が死ぬ直前までCMに出ていた九州の会社には飛んで行って、高倉の死後もCMを放映してくれと、彼の死をマスコミ発表より早く知らせに行っている。週刊誌のインタビューにも答えているのに、生前高倉ときわめて親しかった人間たちとは会おうともしない。

貴の経歴も、高倉の出会いもよくわかっていない。仕事をしていた「チーム高倉」のメンバーも、彼女の存在をほとんど知らなかったという。森によると、貴は貴倉良子という名で女優やテレビリポーターをしていたそうだ。大部屋女優から、ホテルジャーナリストに転身しているという。

知り合ったのは1990年代後半。どうやら香港のホテルで知り合い、その後意気投合したらしい。彼女に会った数少ない人間も、彼女は家政婦だと思っていたと語っている。

親族たちが、高倉に何か異変があったのではないかと気づき、電話をあちこちにかけた。それを知った貴は、「バレた、どうしよう」と慌てふためいたそうだ。そして、高倉の匂いを消すかのように家を壊し、墓を更地にし、愛車やクルーザーも処分してしまったのだ。

こんな話がある。棺桶をどうしようかという話になった時、貴は、「一番質素なものでいい」といったそうだ。さすがにそれはないだろうということで、従弟が桐の上等なものにさせた。

昨年末からステーションギャラリーで「高倉展」が始まったが、それを皮切りに全国でイベントを行っているが、人前に出ないわりにはそうしたことには熱心なのだ。

遺産だけでなく、映画の権利なども手に入る

さらに不思議なことに、生前高倉と親しかった人間たちが、口裏を合わせたように、かたくなと思えるほど、高倉との思い出を語らないのだと、森はいった。

森にいわせると、結婚ではなく養女になったのは、高倉健の遺産だけでなく、これからも入ってくる映画の権利など、もろもろの収入も手に入れられるからだそうである。

私にはよくわからないが、もしそうだとしたら、法律に詳しい人間が彼女の後ろにいるのだろうか。疑念は膨らむばかりである。森は、彼女がそうした行動に走った理由について、こう推測している。

「心の底で燃やし続ける瞋恚(しんい)の炎が、彼女を駆り立てるのではないか」

「人の世の栄華とは何を指すのだろうか」

それは、高倉本人への憎悪なのか、彼が残像を追い続けた江利チエミという女性への嫉妬の炎なのだろうか。森は結びでこう書いている。

「人の世の栄華とは何を指すのだろうか。生涯をまっとうするとは、いったいどういうことなのか。高倉の人生に接していると、そんな疑問が湧く。生きる伝説とまで称されながら、その生きざまはわれわれと同じように、いやそれ以上に泥臭く、奥深い悩みを抱えてきた。きらびやかなスポットライトの裏で必然的に生まれる陰影に支配されてきたともいえる」

高倉健という名を汚さず、理想の俳優像を作り上げようと必死に”演技”してきたのであろう。ハワイのベトナム料理屋で、物置のような質素な部屋で高倉健が一人食事している姿を思い浮かべた。

200本以上の映画に出演し、日本一の俳優になった男が得たものは何だったのだろう。

有名になればなるほど孤独になる。その孤独に耐えられない人間は、その道を選ぶものではない。高倉健なら、そう答えるのではないか。(文中敬称略)

この記事を読んだ時、高倉健の出生図からこの謎を解明したいと思ったが、2チャンネルに高倉健の出生データが載っていた。


高倉健 1931年2月16日 8:00 福岡県中間市


このデータでチャートを作成した所、おそらくこの出生時間は正しいものと思われる。






この記事の中で、『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』の筆者・森功氏によれば、養女・小田貴が高倉健と結婚するのではなく養女になったのは、高倉健の遺産だけでなく、これからも入ってくる映画の権利など、もろもろの収入も手に入れるからだということである。



そうした養女の執念のようなものがチャートから読みとれるかどうかがポイントである。





まず、このチャートを見て高倉健の経歴、性格、過去のエピソードなどから考えて、出生図のラグナは水瓶座で正しいということで納得できる。





水瓶座の博愛精神


例えば、高倉健は、任侠映画に出演して、スターになったため、本人もヤクザのような気質の人物かと言えば、全くそうではない。



非常に博愛的で周りの人間に気を使う性格で、周囲から慕われているのは、その生真面目な性格においてなのである。




例えば、wikipediaによれば、『礼儀正しい人物であり、すべての共演者に挨拶を忘れず、監督やプロデューサーをはじめ、若い新人俳優やスタッフにも必ず立ち上がり、丁寧にお辞儀して敬意を払う』といった人物像が伝えられている。


どんな人間でも対等に扱い接するという博愛性が見られるが、これは水瓶座の特徴である。



高倉健と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいたのを見て、「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮したという。




酒は飲まず、ストイックで、演技には真剣で、非常な努力をし、美味しそうにご飯を食べるシーンを撮影するために2日間食事をしなかったといったエピソードも伝えられている。





高倉健が何故、任侠映画に出演したかと言えば、まず、10室が蠍座に位置しているということがある。



蠍座はヤクザ、暴力団の星座である。




また3、10室支配の火星が蟹座に在住していることもそうである。


蟹座は右翼、民族主義者の星座であるが、3、10室支配の火星がこの6室蟹座で減衰しており、パラシャラの例外則でラージャヨーガ的に働く配置である。


また火星は減衰しているが、ディスポジターの月からアスペクトされてニーチャバンガラージャヨーガを形成している。


3室は演技のハウスであり、10室は仕事のハウスである。



この3、10室支配の火星が6室の蟹座で減衰しているために義理人情といった感情情緒の世界(水の星座)を描いた任侠映画に出演したのである。



6室に在住する火星は、敵を粉砕する配置であるが、特に火星が減衰している場合は、敵が徹底的に叩きのめされる配置である。



つまり、蟹座的な人物に対して、非常に対人的な強さを発揮する配置である。



中学時代にボクシングなどで、6戦1敗の成績を収めたというのもそれが関係しているかもしれない。



高倉健は、山口組の田岡組長など暴力団とも親しくしていたようであるが、蟹座で火星が減衰しているのであれば、ヤクザの組長とさえも気楽に余裕で交際できるような優位性を保ったと言えるかもしれない。



つまり、火星が6室で減衰する配置は、無敵の配置である。



従って、かなり敵を粉砕する強さを得るが、火星が減衰しているため、それ程、凶暴には見えない。むしろ、大人しい印象となる。



この火星の配置は非凡であり、ナヴァムシャでも火星が6室に在住して、対人関係、パートナー関係における優位性を示している。





女性関係


高倉健は、映画界きっての「惚れられ男」だったという。



映画『日本侠客伝 刃』(71年)で共演した十朱幸代が高倉健と『できれば結婚したい』とまで言っていたが、自宅へ行っても高倉健は何ら手を出すそぶりを見せず、『タバコを吸う女は嫌いだ』の一言で遠ざけられたという。



倍賞千恵子との交際が取りざたされたり、児島美ゆき(女優)との交際など、いろいろ噂は絶えなかったと言われている。



そして1956年の映画「恐怖の空中殺人」で共演した江利チエミと1959年に結婚したが71年に離婚している。





後年、「健さんってすごい気難しくて。私は好きで一緒になったんだけど、夫婦生活はとても薄っぺらい、実態のないものでした」と江利チエミは語っている。



結婚中も「夫婦らしいことは何もしてくれない」とボヤいていたという。





こうしたエピソードから分かることは、高倉健は、女性から惚れられて結婚を求められはしても、決して、相手の女性に満足のいく結婚生活を与えなかったという状況である。




高倉健のチャートを見ると、7室支配の太陽がラグナに在住しているが、これはパートナー(相手)が積極的に働きかけて来て、求めてくる配置である。



そして、2-8室の軸にラーフとケートゥが在住しているが、これが高倉健の結婚生活に問題をもたらす配置であり、高倉健が生涯、家庭というものに恵まれなかったことを示す配置である。



8室に在住するケートゥは高倉健が、全くパートナーとの結婚生活に全く期待をせずにむしろそれを避ける傾向があったことを示している。



そして、2室のラーフはパートナーの7室から見た8室であり、パートナーとの結婚生活から多くを得ようという執着を表わす配置である。



2室は家族、人脈、財産など、パートナーが所有するあらゆるものを表わしている。



2室にラーフが在住すると、パートナーは飽くなき欲望で、それらのパートナーの所有物や財産から最大限の恩恵を受けようとするのである。



飽くなき欲望であり、その欲望は決して満たされることのない凄まじいものである。




しかし、そのようにパートナーに求めるのだが、7室から見た8室に在住するラーフは凶星でもあり、8室を傷つけているのである。



従って、パートナーは、高倉健に対して、愛情や経済的保護や親族間のつながり、交流からあらゆるものを求めようとするが、それらは決して得られず満たされないのである。



これが高倉健の女性関係のパターンである。



高倉健は、相手の女性を自分の親族の中に導きいれたり、家族ぐるみで、大事にするというようなこともなく、親族間の交流が始まるような関係性は一切なしで、結婚生活の実態というようなものは全く与えなかったのである。



従って、女性との関係というものは、プライベートで少し甘美な関係性を築くというだけであり、高倉健が常に優位となるような一対一の関係で、親族関係などが一切発生しない関係であった。



あるいは、親族関係によって、苦労をする配置であったといえる。



高倉健が結婚した江利チエミと離婚するに至ったのは、江利チエミの異父姉が横領事件を起こしたり、2人を攻撃するデッチ上げ話を流したりするなど、夫婦関係をこじらせる行為を繰り返したことが原因であるという。



従って、高倉健の方も、パートナーの親族(8室:7室から見た2室)から全く幸福な関係を持てなかったということである。



それ8室にケートゥが在住して、土星からアスペクトされ、更に逆行する火星からアスペクトされる意味でないかと思われる。



パートナーの親族関係からは全く失望(ケートゥ)と言えるものしかもたらされなかったのである。



結局、そうした家族の問題というものがあって、高倉健と江利チエミは離婚することになった。



結婚生活、家庭の安定、親族間の相互サポートなどを提供する余地が、お互いに全くなかったのである。




これが、ラーフ/ケートゥ軸が2-8軸に入る場合の関係性である。



ラーフ/ケートゥ軸が2-8軸に入ることは女性にとっては厳しい配置であると言われているようだが、これは男性にとっても同じである。



但し、高倉健の場合は、仕事に打ち込むことが出来た為、この問題は、それ程、問題とはならなかったのである。



高倉健は、安定した家庭生活を築かなかった代わりに仕事に全エネルギーを費やしたのである。




このパートナー関係のパターンは、この江利チエミに限らず、交際した全ての女性との関係においても繰り返されたに違いないのである。




高倉健のチャートを見ると、5室に2、11室支配の木星が在住し、11室に4、9室支配の金星と、ラグナロードで、12室支配の土星が在住して、1-2、1-4、1-9、1-11、2-5、5-11、9-11のラージャヨーガ、ダナヨーガを形成している。


5-11室が非常に強い配置である。




これは高倉健に数々の受賞や称号をもたらし、また経済的な富ももたらした配置である。また映画界や多方面の有力者との人脈を表している。



第1回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞(1978年) – 『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』
第4回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞(1981年) – 『動乱』、『遥かなる山の呼び声』
第5回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞(1982年) – 『駅 STATION』
第23回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞(2000年)- 『鉄道員(ぽっぽや)』
第37回日本アカデミー賞 協会栄誉賞(2013年)

紫綬褒章 1998年
文化功労者 2006年
第60回 菊池寛賞 2012年
文化勲章 2013年

(wikipedia 高倉健より一部抜粋)



そして、高倉健にはもう一つ知られざる一面があるが、映画の撮影が終わってオフになると、どこか外国にいって、暫くマスコミから姿を消すのである。



その間、高倉健がどこで過ごしているかは、誰にも分からないのである。


国内では、京都のイノダコーヒー、嵐山・渡月橋近くの「霧そば」、喫茶店「花の木」、海外では、ハワイのベトナム料理店「マイラン・ベトナミーズ・レストラン」の高倉健専用ルームなど、プライベートを過ごすいくつかの行きつけの場所はあったようである。


これはチャートの12室に在住する6室支配の月と5、8室支配の水星が表している。



12室は海外を表わしており、本人のプライベートな領域である。



芸能人がオフの時に海外に行くのは誰にも見つからずにプライベートを楽しめるからである。



そして、その月と水星と3、10室支配の火星が相互アスペクトしている。



従って、ある種、映画の撮影で、ロケ地などで過ごすことは、高倉健にとっては、プライベートを楽しむことに関係している。



2005年12月22日公開の中国で撮影された『単騎、千里を走る。』といった作品などは、映画の撮影と海外でのプライベートな生活の両方を満たす側面があったと思われる。



この『単騎、千里を走る。』で関わった中国のスタッフとの別れを惜しむ様子がwikipediaに記されている。

(略)東映を離れ、フリーに転じてから、1つの作品を終えるたびにスクリーンから離れ、マスコミや公の場から距離を置く事を決まり事としている。それは、1つの作品を終えるたびに高倉を襲うという、“深い喪失感”に関係しているという。特に『あなたへ』に主演する前には、自身最長となる6年間の空白期間が生じた。前回主演した日中合作の映画『単騎、千里を走る。』の後、中国人の共演者やスタッフたちと別れるときに感じた気持ちと『あなたへ』の出演を決めたことについて、「分かんないね……。多分ね、この別れるのに涙が出るとかっていうのは、お芝居ではないところで、泣いているのだと思うんですよね。ああ楽しかったとか、別れたくないとか、もう二度と会えないかもしれないとか。特に中国のスタッフは。だから、そういうものを自分がお金に取っ替えてるっていう職業ってのは、悲しいなあってどっかで思ったのかもしれないね。それを売り物にするものでは、ないんじゃないかなっていう。でもしょうがないですよね、同じ人とずっとはやれないんだから。そういう切ない仕事なんですよ。だから、それはそんなに気を入れなければいいんだっていう、そのこともわかってるんだけども、やっぱり出会って仕事だ、出会って仕事だって言う。分かってるんだけど、強烈なのを受けると、しばらく。なんとなく、恋愛みたいなものなんじゃないの。多分、恋愛だよね。じゃなきゃ泣きませんよ。お金もらうところじゃないんだもん、映ってないところで泣くんだから。泣くんですよ。大の大人が(笑)。それが中国は強烈だったってことでしょうね。いや、今でも分かりませんよ。じゃあ、なんで今度(『あなたへ』)はやったのって言ったら、こんなに断ってばかりいると、またこれ断ったら(降旗)監督と、もうできなくなる年齢が来てるんじゃないかなと、2人とも。それはもう1本撮っておきたいよなっていうのが、今回の。本音を言えばそうかもしれないよ。」と、その心情を初めて漏らしている。

(wikipedia 高倉健より引用抜粋)



以上のように高倉健には仕事上の人脈や高い評価(受賞、称号)、成功と、国内の隠遁地や外国でのプライベートがあり、後は、惚れられる男としての側面と、憂鬱な満たされないパートナー関係(家庭生活)が示されている。



①仕事上の人脈や高い評価(受賞、称号)、成功・・・・5-11室
②国内の隠遁地や外国でのプライベート・・・・・・・・6-12室
③惚れられる男としての側面・・・・・・・・・・・・・1-7室
④憂鬱な満たされないパートナー関係(家庭生活)・・・2-8室



これが高倉健のチャートが示す運命の4つの大きな特徴である。




上記のようにラーフ/ケートゥ軸によって傷ついた2-8室の軸による満たされない家庭生活というものがあり、そして、それは養女になった小田貴との関係においても同じである。




おそらく小田貴は、高倉健の晩年の恋人として、パートナーとして高倉健のスターとしての評判に傷をつけないよう目立たずに陰の存在として尽くしてきたと考えられる。



その間、ずっと長年に渡って、高倉健との生活に満たされない気持ちを抱き続けてきたに違いないのである。



それは7室から見た8室にラーフが在住しているからである。



高倉健の親族から良くしてもらった記憶もなく、また高倉健自身からもそれ程、結婚生活らしきものは与えられなかったとすれば、その与えて欲しい激しい欲求は募るものの、それらは決して満たされずに来たのである。



実際、8室にラーフが在住している場合、パートナーの所有物を何もかも欲しがる配置である。しかし、それは決して満たされなかったのである。



その為、高倉健が亡くなった後の遺産全てを自分のものにすることでせめて、その満たされなかった感情を満たそうとしたのである。



そのために小田貴は、養女になる道を選んだと言える。(高倉健の意志で養女にしたようである)



そして、高倉健が亡くなった今、小田貴は高倉健の財産を全て手にすることになったが、高倉健の家族や両親からは何も良くしてもらっていない、存在さえも認められてもいないという積年の恨みが、彼女に高倉健の財産を全て我が物にして、誰にも渡さない頑なさとして現れたと言える。


高倉健が生前に建立した鎌倉霊園の墓地も更地にし、20台ぐらい所有していたといわれる高級車も売り払い、所有していたクルーザーも解体し、世田谷区の瀬田の家を壊して新築したりなどした奇行は、全てこの飽くなき欲望のラーフが、7室から見た8室に在住して、パートナーの財産を全て掴み取ろうとするからである。


それらは一文たりとも妹や親族には渡さずに遺骨の一部さえも渡さない、高倉健の持ち物全てを握りしめて離さない、そのような頑なな姿勢として現れている。



その怨念が凄まじいだけにこの養女の奇行の話は、あたかも四谷怪談のような恐ろしさを持っている。





高倉健は、2014年11月10日に亡くなっているが、この時のダシャーはケートゥ/金星期である。



マハダシャーケートゥ期に入った後のセカンドアンタルダシャーの時期である。



ケートゥは2-8軸に座住し、ケートゥのディスポジターである水星は12室に在住して、3、10室支配のマラカの火星からアスペクトされている。




高倉健は没後、養女の小田貴によって、生前の建立した墓にも入れてもらえず、全ての財産をむしり取られる状況にあり、これは8室のケートゥやそのディスポジターが12室に在住する状況ではないかと思われる。




高倉健の今生の名残や痕跡を全て消すような方向で処理を進められているようである。





そして、ナヴァムシャを見ると、ケートゥのディスポジターである月は牡牛座で高揚している。



7室をパートナーのラグナとすると、10室支配の月が8室(遺産相続)で高揚し、9室支配の水星とコンジャンクションし、4、5室支配のヨーガカラカの土星と11室支配の太陽とで相互アスペクトしている。



これはパートナーの財産から経済的恩恵を受ける配置である。





高倉健のナヴァムシャを見ると、6室にラグナロードの火星が在住し、7室支配の金星が6室で減衰している。




これは対人関係において相手を徹底的に破壊する配置であり、相手よりも優位になって、相手からは求められる配置である。



6室で減衰する金星は、相手がいじめであることを表している。





従って、この6室の配置を見ると、高倉健が、常に対等でない目下の女性と関わっていることを示唆する配置である。



そして、高倉健のナヴァムシャの8室には土星と太陽が在住して傷つけているが、これはパートナーからは何ももらえないし、期待できないことを表している。




実際、一度だけ結婚した江利チエミとの関係においてもそうであった。




また小田貴との関係でもそうであることを物語っている。






2-8の軸は、パートナー間、家族観の深い因縁を表わす軸であり、その軸にラーフ/ケートゥ軸がまず在住している。




そして、ナヴァムシャでも6室と8室が強調されており、パートナー関係が対等で幸福な関係性ではなく、従属的で、支配と非支配の関係性を象徴している。





小田貴は、高倉健の親族や高倉健自身から良くされた記憶がなく、耐え忍んて来て、ようやくその遺産を勝ち取ったのである。




その際に実際に遺産を掴み取る段階で、積年の恨みが無意識の中から顕在化したか、あるいは初めから明確に意識されていたかもしれない。




因みに高倉健の2室に在住するラーフは、やはり家族のハウスを傷つけており、親族とは問題があって絶縁していたようである。




2室のラーフは高倉健の親族も貪欲であることを示しており、養女の小田貴とたいして変わらないかもしれない。





高倉健が亡くなった後、実の妹や親族に知らせずに死後2日間で火葬にしてしまったのは、彼らに葬儀に関与して欲しくなかったからである。




そして、高倉健と高倉健の財産の整理を家族の関与なしで行い、それらを独り占めするためである。






このように2-8の軸に在住するラーフ/ケートゥ軸は、家族や姻戚関係の深い因縁を表している。





『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』の筆者・森功氏は以下のように結んでいる。


「人の世の栄華とは何を指すのだろうか。生涯をまっとうするとは、いったいどういうことなのか。高倉の人生に接していると、そんな疑問が湧く。生きる伝説とまで称されながら、その生きざまはわれわれと同じように、いやそれ以上に泥臭く、奥深い悩みを抱えてきた。きらびやかなスポットライトの裏で必然的に生まれる陰影に支配されてきたともいえる」




確かに高倉健のチャートは、パートナー関係の苦悩を抱えているチャートである。



仕事や社会的評価においては最高位にまで上り詰めたスターが、私生活上には深い悩みを抱えていたというのは本当である。




チャートから見て、それは明らかである。




小田貴(貴倉良子)のチャート

最後に養女・小田貴のチャートを見てみるが、出生時間を00:00:00~23:59:59のどこを取っても高倉健が亡くなり、遺産を相続したのは、マハダシャーラーフ期に入ってからである。


ダシャーラグナのラーフから見ると、8室に8、9室支配の土星が自室に在住し、6、11室支配で高揚する火星と8室でコンジャンクションしている。


火星は高揚して強く、9室支配の土星と11室支配の火星が8室でコンジャンクトして、9-11のダナヨーガを形成している。


この配置が巨額の遺産を相続した配置を一部、説明している。


6室支配の火星が8室支配の土星と8室でコンジャンクトしており、6-8の絡みが生じていることから、訴訟や争いが関わる不審な遺産相続であることを示している。






高倉健の実妹

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