8室は最も不幸なハウスであり、最も忌むべきハウスで全く何の長所もないと思っていたが、そんな8室にも非常に積極的な効能があると思えてきた。
確かに8室には遺産相続とか不労所得とかそういった象意があるが、そうした話ではない。
8室は9室を損失するハウスである。
グル(師匠)を損失するハウスである。
8室はグル(師匠)に対する甘えが許されず、満たされないそうしたハウスである。
9室はもっとも幸運なハウスであるため、その9室を損失した8室は最も不幸なハウスである。
この理屈は納得できる。
従って、師匠(9室)との接触を失うということは最も不幸なことで大変な苦しみなのである。
生まれた時に父親がいなかったとか、そうした境遇もそうである。
それは大変な損失である。
然し、この8室の経験は非常に人間を強くするのではないかと思うのである。
とことん鍛え上げて、9室を求めるという究極的な甘えや期待の感情を磨耗させ消失させるのである。
そうした観点から考えると、一見何のメリットもないと思われた8室が至極、宝石のような価値を持つもののように思えてきた。
つまり、師匠(グル)から見向きもされないという究極的な不幸な事態に対しても心が一切動じなくなった時、その人は本当の意味で強く、自立した使える器と言えるのである。
以前、アマチの所で配布していた小冊子で占星術を紹介しているものがあった。
冒頭でK.N.ラオ氏のことも優れた占星術師として紹介している小冊子だった。
今、手元にないので本の題名も忘れてしまったが、あるアマチの弟子がアマチから瞑想するように言われて、ひたすら、瞑想するのだが、そのように促した後、アマチは全く見向きもせず、声もかけないといったような内容ではなかったかと思う。
アマチはその弟子に、誰が何をしていても、自分は自分のしていることに一心に集中して何者にも煩わされない強さを培って欲しいということを意図していたと書かれていたと思う。(実際に手元に本がなく記憶で書いているので不正確かもしれません)
この弟子が経験していることはまさに8室である。
アマチが弟子に瞑想の修行をするように言って、一切、会いにも行かず、弟子を孤独に放り出す。
しかし、アマチは何事にも煩わされない精神的な強さを内側に培って欲しかったのだと告げるのである。
8室というのは文字通り不幸なハウスであり、出来れば経験したくないハウスである。
8室についての積極的な意味を感じるのは、逆説的な意味においてである。
人は誰からも人からよく思われたい、人から親切に接してもらいたいという欲求を持っている。
そのため、その期待が裏切られると人はその人に対して怒りの気持ちを向けたり、恐れの気持ちを抱く。
しかし、そうした人に対する期待は甘えなのである。
人が自分に親切である間は気分がよくなって相手に好意を持つが、人が自分に対して好意を持っていなかったり、親切でないと、途端に相手に対する評価を下げる。そして相手に不満や怒りを向ける。あるいは恐れる。
このような心は不安定であり、相手の状況(態度)に振り回されて依存しており、自分の心の中に不動の平安を持っているとは言い難い。
おそらく、グル(師匠)に師事した後で、最初のうちはグルから可愛がられて親切にされていた時期があったとしても、後で、グルから一切見向きもされない、完全に無視されたそういう時期がおとずれるのである。
これはグル(師匠)と弟子との間の一つの通過点かもしれない。
そのような関係性を描いた小説や映画が無かっただろうか。
弟子がグル(師匠)に依存している状態を解消するためにそのような経験が必要なのである。
ナチュラルゾーディアックで、何故、8室の次に9室が来るのか、不思議な気がするが、8室の過程を通過して、依存と甘えがなくなった時点において、再び、グル(師匠)に会いまみえるといった、そうしたプロセスがあるかもしれない。
その時は弟子とグル(師匠)との関係性は完全に変容している。
グル(師匠)には全く依存していないで、精神的に自立して成熟した大人として再び、グルとより自由な関係や親しみを持つことを可能にするのだ。
おそらくそういうことなのである。
例えば、8室は洞窟の中で瞑想する孤独な修行者の精神的挫折を表わすハウスであると「ラオ先生のやさしいインド占星術」(Learn Hindu Astrology Easily)の中に書いてある。
この8室の象意の中にいる時に、修行者には全く神やグル(師匠)からの祝福も啓示もなく、インスピレーションもなく、とことん神(9室)に無視されるのである。
この自分が親愛を向けるグル(師匠)から好意を持ってもらえない、関心や評価をもらえないという状態は、かなりつらい精神的苦痛である。
しかし、これはグルや神への甘えを取り除く過程なのであり、人の中の隠された甘えを取り除くのに最も効果的なトレーニングである。
つまり、最も愛されたいと思っている相手から愛されないという体験が人を強くし、このことが最終的に自立した他人の影響から自由な精神をもたらすのである。
このことは以前から別の記事でも書いているが、幼少時の最初の自立の物語の中にも見出される。
幼児期にはメラニー・クラインの対象関係理論によれば、母子が心理的に一体となった太古的な状態がある。
子供は母親を自己愛延長物として体験しており、子供は母親が自分へ関心や愛情を向けるのが当たり前で、自分の期待通りに母親が振る舞うものと完全に思い込んで(錯覚している)いる。
しかし、この時に母親が時々、完全に子供に関心や注意を向けるのを怠り、時々、子供の期待通りに振る舞うことに失敗するタイミングがある。
それは子供にとっては心理的にはストレスなのであるが、このストレスが強すぎず、弱すぎず、適度であれば、徐々に母親との太古的な一体の状態から、分離個体化していくことを可能にするのである。
多くの精神分析の臨床医がこのような過程について報告している。
つまり、自立というものは適度なストレスによってもたらされるのである。
この場合において考えられることは、母親が子供の期待通りに振る舞うことに失敗した状態は8室の象意である。
然し、臨床的な事実によれば、この8室の状態こそが、子供の分離個体化(母親からの精神的分離独立)を可能にするのである。
多くの人が経験することであるが、実家で両親と一緒に住んでいた時には、多くの喧嘩や対立をして、8室の象意を経験して、それで家を飛び出すのだが、暫くして、家に帰ってみると、父親とか両親とはまた別の親しみとかより成熟した関係性が生まれるのである。
そう考えてみると、両親とのストレスをもたらした8室の象意は、自立をもたらしたという意味ではよかったのである。
あるいは、これは女性にとって言えることであるが、8室が傷ついている女性は結婚が晩婚化したり、そもそも結婚について何の期待もせずに、仕事に生きがいを見出したりして、精神的に自立している人が多い。これも8室の効能である。
私は金星/月期に移行して、プラティアンタルダシャーが月期になったタイミングで、非常に同僚からの不親切な態度に直面するようになった。
これはおそらく月が22ndドレッカーナの支配星であり、D3で8室の支配で12室で減衰しているからであると、私は理解した。
22ndドレッカーナは有害であり、その支配星のダシャーの時期は害をもたらすと言われている。
とにかく心理的な健康において全く悪い状況であった。
D3で8Lの月は何か非常に8Hの象意、他人の悪意といった経験をもたらしたのである。
しかし、今になって考えてみると、この時の経験で私の中の他人からよく思われたい、人から親切にされたいという甘えの心理が、栄養を失って磨耗して干上がったのである。
そして、人の不親切や人の評価に影響されにくい、強い心理状態が養われていった。(相対的にではあるが)
これは今にして、はっと気づいた8室の効能である。
私は今まで8室は嫌なハウスで避けるべき、良いところなどは少しもないハウスであると考えていたが、決してそうではなかったのである。
8室も12ハウスのシステムに組み込まれており、それは必要な体験なのである。
こうした8室の効果こそがモクシャ(解脱)の効果である。
8室は幸福を与えるハウスではないが、その代りに8室は何か人間の中に強さを与える。
人間の甘えや欲求を磨耗させ消滅させて、究極的には精神の中に自由をもたらすのである。
それを9室を体験できないという究極的な状況の中で、それを与えるのである。
聞いた話では、人は覚者となる前の段階において究極的な孤独を経験するそうである。
誰からも全くサポートの無い、全くの一人ぼっちの感覚、孤独を経験するそうである。
それは想像も絶するほどの孤独であるそうだ。
それはおそらく8室の経験である。この過程をクリアしなければ覚者になれないのである。
イエスも荒野の体験というもので全くの孤独の状態の中で悪魔に誘惑されながら過ごしている。
これもおそらく8室の経験である。
8室は成長、成熟のためには必ず、通過しなければならない道なのである。
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コメント一覧 (15件)
ナチュラルゾディアックでは、8室は9室から見て12室目、8室からすれば2室目ですが
8室の象意→父親の不在、悪意、トラウマの様な辛い体験、崩壊、贈り物、不労所得、遺産、遺跡、残酷さ
9室→師匠、父親、信念、理念、神聖、功徳、掟、法律、法則、良識
といったところですが、
8室とはつまり9室の善意、良識、こころの境地に至るひとつ前の段階なのではないかと思います。
例えば、私はあまり神話や聖典の分野に詳しくありませんが、
キリスト教の世界におけるルシファーは、魔王サタンとなる前の、かつては、天使だった。Lucifer自体も
ラテン語で「光をもたらす者」の意で、最初から悪魔や堕天使を意味する言葉ではなかったようです。
法律というものも、殆どの場合において、よくない事が起きた為に制定されたものです。
また、憲法や掟というものも、見方によっては人の行為を束縛したり禁止したりするもので、
同時にある条文Aとある条文Bによって矛盾するようにできてるものでもあります。
また、8室の8室目が3室にあたりますが、8室もまた努力や訓練のハウスであるといえるのではないでしょうか。8室の代表的な象意のひとつの研究も、大変な気力と根気を要するものです。
最近思ったことですが、8室には自分の天敵、勝てない相手という象意がありますが
時間、もまた8室の象意ではないかと思います。
時間を操る事、止める事は誰もできません。
歴史や思い出も、言い換えれば、過去の時間の集合体です。
何かに躓いた時、何かに戸惑った時、誰かを失った時、人は思い出を辿って、縋りつく。
人はやはり一人では生きていけません。そんな時その思い出が
生きるための糧になる。そうした経験ははじめは辛くても、やがては人を強くするでしょう。
8室は7室から見た時、2室目になり、相手の口や言葉を表します。従って、相手からの助言、援助
という象意が成り立つ。また、1室と8室の絡みはナンパされる、道で声をかけられるという象意にも取れる。
だからでしょうか、8室支配星の機能性自体は中立となります。
2室には家柄という象意がありますが、名前という観点で見ると
1室はファーストネームを、2室はファミリーネームを表しているかもしれません。
以上、長文で失礼しました。
8室が時間というのは面白いと思います。
確かに時間とは過去であり、自我(8室)であると言われます。
そして自我からの解放が自由(9室)です。
そして、カルマは過去、つまり時間の中にあり、
時間、つまり過去の中には様々な感情的しがらみが詰まっています。
それらを克服して解放されるのが9室という考え方が出来ます。
8室から9室への移行は非常に劇的であり、
成長の過程における飛躍を表していると思います。
『8室とはつまり9室の善意、良識、こころの境地に至るひとつ前の段階』というのはそうだと思います。
あるハウスからの2室目はあるハウスの結果のハウスと呼ばれます。
8室があったからこそ、9室があるということもそうだと思います。
夜明け前が一番暗いといったことも言われるようです。
8室の暗闇から9室という明るい光への飛躍をなす部分が人生の劇的な転換期と言ってもいいと思います。
その後に10室、11室といった形で、その人の使命(仕事)、そして業績といった形で、その人の人生を飾る訳です。
イエスキリストも荒野でサタンから誘惑されて、それを払いのけた訳ですが、8室の誘惑を克服して、
その人物は完成し、それから使命、業績を成し遂げる訳で、8室は重要な時期であると言えます。
「過去」が8室だとすれば、「今(または始まり)」は1室であり、9室が未来でしょう。
昨日の様に、前の様に、「うまくできる」という事は滅多にはできない経験です。
大体の場合、うまくいかないものです。
だから、それがうまく事が運んだ時、人は我を忘れて狂喜乱舞します。
この「我を忘れて狂喜乱舞」するという現象もまた、突発を象意とする8室だと思います。
また、何かを始める時とは、それまでに為した事、つまり思い出や習慣、癖が高い壁のように感じるものです。
その経験を得て、慎み、羞恥心というものを知る(9室は高潔、高尚を表すので)。
つい最近、イエス・キリストは石打ちの刑が行われている光景を見て
「何故こんなことをする」と問い、投げつけたものは「罪人だからだ」と答え、
イエスは今度は「ならばその資格がある者は1度も罪を犯したことの無いものだけだ。あなた達ここにいる者は罪を犯したことがないのか」と述べたそうです。それから、その場から石を投げていたものはいなくなった(記憶で書いてるので正確ではないかもしれませんが大体は同じです)。
1室は人生を、8室は苦悩や不実、挫折を表します。今日を生きるために得た食べ物は、
何らかの動物を或いは植物を殺して手にした物です。
1つも悪い事をしないで人生を生きる事は不可能です。
この過程を経ないで、9室の領域に関与すれば、それは只の夢物語や机上の空論に過ぎなくなるのです。
未来とは、夢であり、希望です。また、空(そら)です。
人に希望を与える事ができるひとは、その人が痛みを知っているからです。
もしも、8室と9室が絡んでいれば(特に木星が絡めば)、その人は本当の意味で思いやりのある人ではないかと思います。
音というものがあるのではないかと思いました。
耳という象意もありますが。
方向感覚がつかめず
道に迷った時
人は音のする方角に耳を澄ませることがあります。
これは、ジョーティッシュの12室システムにおける
8室と3室の関係性ではないでしょうか。
というならば
子供を表す
5室や9室から見た2室目に当たる
6室と10室は
子育てのハウスである
と考える事ができるのではないですか?
あるハウスから見た2室目はあるハウスの結果のハウスであるという認識がありますが、ナチュラルゾーディアックを惑星が運行していくという流れの中では、あるハウスの次のハウスはあるハウスの結果が展開していくというのは自然なことなのかもしれません。
あるハウスで行われた行為などが結果を生み出していくというのは原因と結果という意味で自然なことだからです。
ラオ先生が実際、「運命と時輪」の中で、各ハウスの象意を説明する中で、1室から12室に至る人生の流れとして各ハウスの象意を説明しています。
因みにラオ先生によれば、5室には若い頃には学業、中年では子供、年を取ると修行という意味があるため、
5室の結果のハウスである6室には若い頃では、学業が終わったら、社会に出て仕事をしなければならないということ、
そして、中年では、子供が誕生したら、子育てという仕事をしなければならない、
そして、年を取った人が修行が終わったら、次は、社会に奉仕しなければならないということだと思います。
これは特に若い頃とか、年取った人など、年齢によるのではなく、実際にはその人の霊的成長の度合い、精神年齢によるのだと思います。
9室も同様です。
大学に入学して(9室)学問を修めて、大学院などで研究を続けていても、ある程度まで行くと、後に続く学生たちの指導をさせられます。
従って、9室の次が10室ということです。学んだ後で次に仕事をしなければならないということだと思います。
一番、分かりやすいのが、学業が終わったら、社会に出て仕事をしなければならないという流れです。
全て、労働、仕事に関わってくるため、5室の次の6室とは子育てを表しているというのは、間違っていないと思います。
ユーチューブでNipun Joshiさんというインド占星術師の方の動画を見ていて、
その方が、8室に火星がある人は、既存の権力者や、先住の人間に、見えない脅威を感じさせる…ということを言っていました。
8室は、深層心理や、心理的支配を表す部屋で、そこに火星を持つとそうなる。
8室に火星がある人が、突然暴力に遭ったりする背景には、そういう事情がある、と。
先生が別の記事で三浦瑠麗について書かれてますが…彼女はレイプされた経験を持つけれども、でも、一方で、権利者を上手くあしらってる部分が確かにありますよねぇ…
8室に火星が在住している人は、性暴力を受けたりする傾向がありますが、被害者は加害者になる可能性も秘めています。
例えば、強姦の犠牲者が今度は法廷で、加害者を攻撃する立場に回るなどです。
そうした8室火星が引き起こす物語全体に対して、潜在的に恐れの気持ちを抱くのかもしれません。
あるいは、もう一つは以前から書いているように加害者側が通常は、社会的仮面を被って、識域下に抑圧している本能とか欲望が、8室に火星を持つ人によって、
刺激され喚起されるのを恐れる気持ちかもしれません。
つまり、人には社会的道徳、倫理規範などが内在化されて、超自我を形成しており、そうした超自我が、漏れ出してくる本能、原初的な欲望を抑圧していますが、
その噴き出してくる欲望を超自我が無意識で、必死に抑え込もうとする働きが、多少ながら意識されて、それを恐怖と感じます。
自分の中の性衝動や加害欲求などを恐れるということです。
私は、そのNipun Joshiという方の解説は分かりにくいと思います。
8室の火星は、単純にいって、女性であれば男性から押し倒されたり、強引に性的関係を迫られたりする配置なのです。
その方が、ストレートで、事実を端的に示しています。
ジョン・F・ケネディは、8室に火星が在住しており、アメリカの支配者層、既得権益者に暗殺されました。
確かにジョン・F・ケネディは、アメリカの支配者層、既得権益者たちが、自分たちの操り人形になると考えて、
それで大統領に推薦し、それで当選した人物と言われています。
父親が禁酒法の時代に酒の取引で儲けるなどしており、父親が法を破って金儲けするような人物である為、その息子も当然、支配者側の都合の良いイエスマンになると考えました。
然し、大統領になってから、ベトナム戦争を終わらせようとしたり、連邦準備銀行が発行する銀行券を政府紙幣に変えようとするような動きを見せたので、既得権益側が慌てて暗殺したということだと思います。
確かに既存の権力者に脅威を感じさせたのかもしれないですが、「既存の権力者や、先住の人間に、見えない脅威を感じさせる」といった抽象的な説明は分かりにくいです。
ジョン・F・ケネディーはあらかじめ権力者に反発して、暴力的に暗殺されることが運命づけられていたというだけの話なのです。
「8室は、深層心理や、心理的支配を表す部屋で・・・・」といった説明も分かりにくいです。
8室の火星は、心理的支配や深層心理などを持ち出すまでもなく、何らかの暴力的な扱いを受けるカルマを表していると言えます。
なるほど…ありがとうございました。
前にもお願いしましたが、先生もユーチューブでラグナや月ナクシャトラ毎の、その時々の天体配置に絡めた解釈(今だと火星が獅子座運行、とか、金星が逆行とか、)をおやりになればよろしいのに。
日本語でそういうのやってらっしゃる方いませんから。
私は直接英語で色んな人の見てますが、ほとんどの人はそうではないと思うので、一定数の視聴者が付くと思うのです。
私はよくKomilla Suttonさんや、Joni Patryさん等のチャンネルを見ています。
Komilla SuttonやJoni Patryがそのようなコンテンツを出しているんですね。
youtubeで、有名人鑑定や、トランジット解釈みたいなことは、いずれやりたいと思っています。
おそらく記事を文字に起こして、まとめるよりも作るのが簡単かもしれません。
しかし、私が現在、投稿しているような記事は、非常に時間もかけてますし、書いている私自身が、より理解を増し、経験値を増やしていく、貴重な成長の機会でもあります。
特にラグナ修正みたいなことは、欧米の占星術師もやってませんし、出生図や分割図の使い方、ダシャーの使い方に精通して、一通り、理解した人でないと出来ない分野で、出来る人は限られてくると思います。
欧米では、出生時間が分かる有名人が多いですが、日本には出生時間が分からない有名人が多いため、かなりやりがいがある分野ではあります。
書いた記事を解説するような動画もありかもしれないとは思っています。
「2022年どうなるか?」といった記事はアクセス数は多かったこともあり、未来予測は非常に人気が高いです。
トランジット解釈のような未来予測は、一般受けはしますが、それに一生懸命になると、個別のチャートを調べたり、研究する時間が不足し、質の低下を招く可能性もあると思っています。
またトランジットについて語るには、もう少しパンチャンガやムフルタに関する研究が必要であると思っています。
トランジットだけを語るとなると、星座やナクシャトラの象意自体をもっと豊かに膨らませる必要があり、それはまた別の能力になるのかもしれません。
私が現状やっていないのは、そうしたことが私にとって容易でないというのもあるかもしれません。
現状、まだ色々研究しなければならないテーマがあり、まだそうしたお気軽なものを制作する時間がないかもしれません。
十分な理解に到達したら、いずれやりたいとは考えています。
youtubeは、一応、やってましたが、チャンネル登録者数が、1000人に満たないため、収益化も出来ないのです。
まずは1000人のチャンネル登録者を集めることを目指したいと思います。
1000人以上の登録者が集められたら、モチベーションも上がってくるかもしれません。
Komilla SuttonやJoni Patryなど、そうした活動をしている人がいるなら、それらは有益なのかもしれません。
もしそのようなコンテンツを出せる時が来たら、チャンネル登録の方、是非、宜しくお願いします。
楽しみにしてますね。
私が知る限り、体系的なアプローチで発信されてる日本人インド占星術師は秀吉先生だけですから。
トランジットとかの予想解説でなくても、
例えば、用語解説、
今、最後に、仰ったパンチャンガやムフルタなんて、結局中国経由で伝わってきてて、
日本では、五行とか六曜なんて考え方に通じますよね?
そういう既に日本人に馴染みのある言葉になぞらえて、インド占星術の用語解説、なんてのもいいんじゃないでしょうか?
そこをとっかかりにインド占星術に入ってくると思いますし…
結局、インド占星術の敷居が高いのは、用語の馴染めなさだと思うんですよね…
思いつきですけど。
また、新しい記事楽しみにしています。
私は8室木星があります。太陽は9室です。
父は愛情なく母と結婚し、姉は可愛かったようですが、私の事は嫌いで、私も彼が大嫌いでした。亡くなっても何とも思わなかったですし、みっともない人間の標本として反面教師にしたお陰で、私は世の中に何とか対応してきました。彼は会社でも変わり者で偏屈で嫌われていたようです。私も変わり者ですが、人前ではおとなしく装っています。
いま宗教の先生の所へ不定期に通ってますが、先生は不思議な力があり頼られています。私は秀吉さんが書かれているように、先生から無視されています。私が無信心で不真面目なせいでしょうけれど、私の不真面目にも一部理由が有ります。
私はお寺やお坊様を菩薩や如来と同様なイメージで拝むのは違うんじゃないかと考えていますし、奉仕は無償でするべきと思っています。それが伝わっているのかも知れません。
お坊様に限らず、習い事のインストラクターから爪弾きや虐めの対象にもなりやすいです。器用じゃないですが、向上心はあります。
私は相手にとってライバルというより、相手の醜さ弱さを引き出す嫌なところがあるんじゃないでしょうか。でも、私にとっては人間への攻撃でなく、神への愛のような気がします。教師はどんな時も菩薩や如來であるべきと考えます。
この「8室の効能」という記事ですが、ブログの中でも一番読まれている記事であり、皆さんが関心のあるテーマだと思います。
そこにまた一つ経験談を加えて頂き、ありがとうございます。