アメリカで、Benihana(紅花)という、寿司&鉄板焼きの一大レストランチェーンを築いたロッキー青木こと、青木廣彰氏の遺族である夫人や子供たちの間で、遺産を巡る争いが起こっているとコロナが流行ろうとしていた2020年2月19日付のニューズウィーク日本版の記事が伝えていた。
アメリカ日本食ブームの立役者、ロッキー青木の財産を巡り揺れる遺族 2020年02月19日(水)17時00分 ニューズウィーク日本版 for woman (安部かすみ) <アメリカで一大レストランチェーンを築いたロッキー青木は2008年に他界したが、未だにその財産をめぐって遺族の間で訴訟問題となっている……> Benihana(紅花)という、全米展開する寿司&鉄板焼きの一大レストランチェーンを聞いたことはあるだろうか? 1964年にレスリングの日本選抜チームの一員でもあったロッキー青木氏がニューヨークで創業したレストランだ。客の目の前でパフォーマンスをしながら肉を焼くという当時としては斬新なスタイルで一世風靡し、日本食をニューヨークから全米中に広める先駆けとなった。 2006年、生前のロッキー氏に取材したことがある。インタビュー時、青木氏のオフィスの壁には、青木氏がカバーとなった米『Newsweek』が飾られていた。 遺産管理をめぐって遺族の間で訴訟問題に ロッキー氏は2008年に病気で他界したが、未だに遺された青木一家が揺れている。彼には前妻との間に生まれたDJスティーブ青木氏と、シャネルなどで一躍有名になったモデルのデヴォン青木氏を含む6人(一部7人という情報もある)の子がいる。他界した時には、3番目の妻で日本出身の実業家、青木恵子氏と婚姻関係にあった。 その恵子氏と義理の子にあたるスティーブ氏とデヴォン氏が、財産を巡って訴訟問題になっているという。2月8日付けの『ニューヨークポスト』は、「紅花の相続人スティーブ氏とデヴォン氏は、5,000万ドル(約55億円)の家族信託から義母を追い出したい」という見出しで報じた。 記事によると、ロッキー氏がスティーブ氏とデヴォン氏のために残した「数百万ドル」(約数億円)を恵子氏が浪費したとし、信託基金の筆頭から除外すべく昨年12月、恵子氏を相手取り、再び訴えを起こしたとしている。恵子氏がこの兄妹に訴えられたのは初めてではないという。 2014年5月には6年に及ぶ法廷闘争の末、デヴォン氏とスティーブ氏が5,000万ドルを2人で共有できるようになったが、2人は恵子氏を家族信託の筆頭から1日も早く排除したいとの考えのようだ。 恵子氏はロッキー氏の死後、Benihana of Tokyoの北米と南米を除くフランチャイズのCEOとして活動している。以前は補正下着の事業を成功させた実業家で、ロッキー氏に出会って以降も、彼の右腕として手腕を発揮してきた。またニューヨークの一等地、五番街でのセレブとしての未亡人生活を、日本のテレビ番組でたびたび紹介されている。 また、Beni-Girlsという鉄板焼きの料理人を連想させるダンスデュオをプロデュースしたり、KOA(2014年)やROKI(2017年)という高級居酒屋をマンハッタンにオープンしたりして話題になったが、いずれも思うほどうまくいかず、共に1~2年で事業を畳んでいる。 恵子氏の苦悩は、地元紙で以前このように紹介されている。「ロッキーは『会社には(統制する)1つの声が必要』と信じていた。私には会社を統制する責任がある。しかし子どもたちは私と違う意見を持ち、私と争おうとしている」。 |
私が何故、ロッキー青木のことを知ったかと言えば、全く関係のない密教の本を読んでいて、その本の中で、ロッキー青木(通称)のことをアメリカンドリームの体現者であると紹介されていたからである。
この密教関係の本自体が、非常に興味深い本である為、それについてはまた後日、書きたいと思うが、このロッキー青木は、まさに射手座ラグナの成功者の典型であり、アメリカンドリームと言えば、それは射手座のことを表わしているという私の理解は、ここでまた確認することが出来た。
このロッキー青木には、1964年に結婚した最初の妻(小林ちづる)との間にグレース(1968年生まれ)とケヴィン(1968年)、スティーブ(1977年生まれ)の3人の子供がいる。
スティーブと小林ちづる
そして、1981年に結婚した2番目の妻(パメラ・ヒルバーガー)との間にカイル(1976年生まれ)、エコー(生年不明)、デヴォン(1982年生まれ)の3人の子供がいる。
パメラ・ヒルバーガー
デヴォン青木
そして、2002年に結婚した最後の妻(小林恵子)との間には子供はいない。
ロッキー青木と小林恵子(青木恵子)
ロッキー青木は、2008年に亡くなっている為、この最後の妻である小林恵子との間で、実質的に結婚生活を送ったのは、6年間ほどである。
しかし、子供たちとは、長い年月を過ごして来たにも関わらず、ロッキー青木が、年老いて人生の晩年に結婚した小林恵子は、6年経過していると言えども、子供たちにとっては昨日今日に突然、現れた見ず知らずの女性であり、この父親の最後の妻に対して、快い気持ちは抱いていなかったようである。
但し、ロッキー青木は、この小林恵子に絶大な信頼を置き、遺言によって、この最後の妻、青木恵子(小林恵子)をBenihana(紅花)の全ての管財人に選んだ。
(1999年にインサイダー取引で不正な利益を得たとして罰金50万ドル、保護観察3年の有罪判決を受け、「BENIHANA」会長の座を辞任し、また2001年には、母親が亡くなり、弟と遺産分割に対する訴訟を経験するといった形で、問題が続いていたロッキー青木にとって、妻の恵子氏は、支えとなったのかもしれない。)
父親が晩年に結婚した若い妻に対して、元々の相続人である子供たちが訴訟を起こすというのは、よくありがちな話である。
この子供たちと、最後の妻、青木恵子(小林恵子)との間には、ロッキー青木が生きている間から、争いは生じていた。
そして、ロッキー青木は、2005年、財産分与を巡り、6人の実子のうち、スティーヴ・アオキとデヴォン青木を除く、4人を訴えている。
父親であるロッキー青木が、実の子供たちに対して、訴訟を起こしているのである。
つまり、父親のロッキー青木は、青木恵子(小林恵子)を信頼し、Benihana(紅花)の全ての管財人にしようとしたが、子供たちは、ロッキー青木が生きている間から、この決定に対して、不服を表明し、結局、裁判の結果、2010年8月に青木恵子(小林恵子)が、Benihana(紅花)の全ての管財人となった。
この騒動について、アメリカの雑誌 (New York)が、2006年10月26日に「ロッキーのファミリー・ホラー・ショウ」として、報じている。 (記事は少々長い為、翻訳して、参考文献に記載)
そして、この遺産相続を巡る争いはいまだに続いており、2020年2月8日付けの『ニューヨークポスト』は、「紅花の相続人スティーブ氏とデヴォン氏は、5000万ドル(約55億円)の家族信託から義母を追い出したい」という見出しで報じたという。
ロッキー青木が、スティーブとデヴォンのために残した「数百万ドル」(約数億円)を青木恵子が浪費したとし、信託基金の筆頭から除外すべく、2019年12月にスティーブとデヴォンが、青木恵子氏を相手取って、再び訴えを起こしたということである。
この文脈からすると、ロッキー青木が2005年に4人を訴えていたというのは、6人の実子のうち、スティーヴ・アオキとデヴォン青木を除く、4人に対して、財産を分与しないという争いであったようである。
父親からも認められた正当な相続人であったスティーヴ・アオキとデヴォン青木が、管財人である青木恵子に対して、父親が自分たちに残してくれた財産を浪費しているとして訴えていたようである。
このロッキー青木のラグナが最初の直感通り、本当に射手座ラグナであるかどうかを結婚のタイミングや子供の誕生のタイミングで検討した。
結婚のタイミング
まず、1964年に小林ちづると結婚した時、ダシャーは金星/太陽期、あるいは、金星/月期である。
トランジットを見ると、土星が2室山羊座、木星が4室魚座をトランジットして、2室と8室にダブルトランジットしている。
そして、ラーフ/ケートゥ軸は、1-7軸を通過している。
2室や8室へのダブルトランジットは、既に生活を共にしていたことを物語っている。
1981年に2番目の妻、パメラ・ヒルバーガーと結婚した時、ダシャーは、太陽/火星、あるいは、太陽/ラーフ期である。
トランジットを見ると、土星と木星は7室支配の水星とコンジャンクトして、7室にダブルトランジットを生じている。
また木星と土星は、2室の支配星にもアスペクトし、木星は2室にもアスペクトして、2室にダブルトランジットが生じている。
またラーフ/ケートゥ軸も2-8軸で、8室にラーフがトランジットしている配置からは、結婚願望が読み取れるタイミングである。
2002年に小林恵子と結婚した時、ダシャーは、火星/金星、あるいは火星/太陽、または火星/月期辺りである。
トランジットを見ると、木星は7室双子座を通過し、土星は牡牛座で逆行して、7室にアスペクトしている。
またラーフ/ケートゥ軸も1-7軸にあり、結婚のタイミングを物語っている。
子供の誕生のタイミング
1968年に小林ちづるとの間にグレースが誕生した時、ダシャーは金星/ラーフ期で、トランジットを見ると、1968年6月17日の時点で、土星が牡羊座5室に移動し、木星は9室を通過して、5室支配の火星とコンジャンクトし、5室にアスペクトして、5室にダブルトランジットしていることが分かる。
サプタムシャを見ると、出生時間が不明な為、ラグナが正しいかどうか不明だが、金星は9室の支配星で、木星は子供の表示体で、5室支配の水星と相互アスペクトしている。
小林ちづるとの2番目の子供であるケヴィンも同じ1968年に誕生している。
そして、3番目の子供スティーブは、1977年に生まれているが、ダシャーは、金星/水星期で、サプタムシャでは、金星は9室の支配星、水星は5室の支配星である。
トランジットは、1977年1月1日時点で、木星は5室を通過し、9室にアスペクトして、5室の支配星にもアスペクトしている。
土星は蟹座から9室の支配星にアスペクトし、逆行して5室の支配星にもアスペクトして、更に5室にもアスペクトして、5室と9室にダブルトランジットしている。
次にパメラ・ヒルバーガーとの間で、1976年にカイルが誕生しているが、ダシャーは、金星/水星期であり、1977年生まれのスティーブと同じようにサプタムシャでは、金星は9室の支配星、水星は5室の支配星である。
因みにカイルは、2番目の妻、パメラ・ヒルバーガーとの間に生まれた子供であるが、1976年に生まれており、スティーブは1番目の妻、小林ちづるとの間に生まれた子供だが、カイルよりも1年後に生まれている。
つまり、この時期、小林ちづると結婚していたが、パメラ・ヒルバーガーとも愛人関係にあり、両方の相手との間で、子供が誕生したことが分かる。
トランジットを見ると、1976年2月26日の時点で、木星が5室を通過し、9室にアスペクトして、5室の支配星にもアスペクトしている。
土星は蟹座で逆行して、9室にアスペクトし、5室と5室の支配星にアスペクトして、5室と9室にダブルトランジットしている。
またラーフ/ケートゥ軸は、5室を通過していたことが分かる。
そして、パメラ・ヒルバーガーとの間で、5番目の子供として、エコーが誕生しているが、生年月日が不明な為、省略するが、6番目の子供として、1982年にデヴォンが誕生している。
デヴォン青木は、ハリウッド映画にも出演するスーパーモデルである。
ダシャーを見ると、太陽/ラーフ、または太陽/木星期、あるいは太陽/土星期である。
トランジットでは、土星が乙女座で逆行して、5室支配の火星と絡み、木星が天秤座から5室にアスペクトして、5室にダブルトランジットしている。
このように結婚と子供の誕生のタイミングで検討した所、射手座ラグナで間違い無さそうである。
ロッキー青木は、大学時代にレスリング部に所属し、レスリング日本選抜で、米国遠征し、そのままアメリカに残って、ニューヨーク市立大学シティカレッジ (CCNY)に入学し、レストラン経営を学んでいる。
しかし、いくらアメリカンドリームの体現者だと言っても、全くゼロから掴んだのではなく、元々、両親が既に日本橋を本店に銀座などで、洋食屋「紅花」を数店舗経営しており、両親兄弟も伴って、家族で渡米し、鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」第1号店をニューヨーク・マンハッタン西56丁目にオープンしたというのが、事の成り行きのようである。
元々実家が、飲食店業でのノウハウを持っており、家族のサポートを受けながら、米国にレストランをオープン出来たということが真実である。
その後、パフォーマンスを取り入れた鉄板焼きが、多数のメディアの取材を受けて成功し、米国内80店を含む世界110店舗を展開する一大日本食チェーン「BENIHANA」の礎を築くこととなった。
実業家として成功してからも、バックギャモンの全米チャンピオンになったり、気球で、太平洋横断を行なうなどして、冒険家の一面を見せた。
因みに射手座ラグナは、アスリートを生み出す典型的なラグナであり、根っからの冒険家で、スポーツ界に留まらず、実業界でも成功する人が多い。
私が以前、射手座ラグナに修正したシンガポール在住の投資家ジム・ロジャーズも若い頃、バイク(ハーレーダビッドソン)で、世界一周旅行をしている。
射手座は、実業の世界で成功するだけでは飽き足らず、必ず、アスリートや冒険家を兼業しているような人も多いのである。
2001年1月に母である青木かつ氏が死去した際にロッキー青木は、青木四郎ら弟たちに未払い遺産分割に対する訴えを起こし、全面勝訴した。
これが何故、起こったのかと考えると、まず、ロッキー青木は、ラグナロードで4室支配の木星が、起業、自営業の2室に在住し、2、3室支配で4室に在住する土星と、2-4の星座交換をしている。
これがおそらく、実家の両親が、洋食屋「紅花」を数店舗経営しており、実家の飲食業と切っても切れない濃密な縁があることを示す配置である。
しかし、8室支配の月が3室支配の土星と4室で、コンジャンクションして、3-8の絡みが見られるため、実家の飲食業に弟と一緒に参画したが、そりが合わないことを示している。
2001年1月は、火星/金星期で、金星は6室支配で、12室に在住して、ヴィーパリータラージャヨーガを形成している。
6室の支配星である為、敵との訴訟を表しているが、ヴィーパリータラージャヨーガの為、最終的に敵が消えてしまう配置になっている。
金星は、蠍座のアヌラーダ(土星)に在住しているが、土星は、3室支配で、8室支配の月と共に4室で、3-8の絡みを形成しており、弟のことでの困惑を表している。
因みに火星/金星期において、アンタルダシャーロードの金星は、マハダシャーロードの火星の星座に在住している。
従って、この場合、アンタルダシャーロードの金星が火星の制御下に入り、主にマハダシャーロードの火星が結果を表わすことになる。
火星は月から見ると、2室(両親、家族)を支配して、6室(訴訟)に在住しており、2-6の絡みで、親族との訴訟を表している。
2005年には、財産分与を巡って、6人の実子のうち、スティーヴ・アオキとデヴォン青木を除く、4人を訴えているが、この時は、ラーフ/ラーフ、もしくはラーフ/木星期のいずれかである。
ラーフのディスポジターは6、11室支配で、12室に在住する金星であり、金星は、ディスポジターである5、12室支配の火星からアスペクトされて傷ついている。
火星は5室(子供)と12室(出費、損失)の支配星であり、その為、ラーフ期に子供たちとの訴訟による出費がもたらされたと考えられる。
そもそも射手座ラグナは、配偶者の表示体である金星が、6、11室の支配星となり、部下や愛人を表わす6室の支配星となる。
最初の結婚(小林ちづる): 1964年・・・・・金星/太陽 or 金星/月 2番目の結婚(パメラ・ヒルバーガー):1981年 ・・・・・太陽/火星 or 太陽/ラーフ 3番目の結婚(小林恵子):2002年・・・・・火星/金星 or 火星/太陽 or 火星/月 |
その為、配偶者は、部下や愛人的な立ち位置であることが多く、結婚と離婚を繰り返すことになりがちである。
またお金目当ての結婚というものも多くなってくる。
2002年に3度目の結婚(小林恵子)をした時は、直後にラーフ期(2003/1/27~)に移行している。
ラーフのディスポジターは、6、11室支配の金星である為、小林恵子との最晩年の結婚生活は、愛人兼部下との結婚といったニュアンスがあった。
しかし、この金星は訴訟の6室の支配星でもあり、子供の5室と損失の12室の支配星である火星からのアスペクトを受けて傷ついている為、子供との訴訟に移行していったのである。
父親の最晩年の愛人、部下が、父親の信任を受けて、Benihana(紅花)の全ての管財人になろうとするのに対して、子供たちが反発し、訴訟を仕掛けたのである。
この金星は、6室支配である為、通常は意見の不一致が起こり、仲が悪くなるはずだが、金星は6-12のヴィーパリータラージャヨーガを形成している為、二重否定で、敵対関係を失う配置となり、結婚を行なった場合は、関係は不思議と安定する配置である。
月から見ると、3、8室支配で9室に在住している為、ロッキー青木にとっては、3番目の妻、小林恵子(青木恵子)は、頼りにする相手であったかもしれない。
そうしたことで、小林恵子(青木恵子)はロッキー青木の信任を得たのだが、しかし、金星は11室の支配星でもあり、12室に在住していることから、お金をどんどん浪費する配置にもなっている。
父親が、長い人生においては、昨日今日出会ったばかりの小林恵子(青木恵子)に全ての財産の管理を任せるといったことは、子供たちにとっては父親の浪費に映ったかもしれない。
また実際、ロッキー青木は、小林恵子(青木恵子)と出会ってから、金銭をどんどん失う流れに入っていったと考えられる。
つまり、父親が晩年に出会った愛人にお金をどんどん使い込んでしまうといった状況に陥ったと考えられる。
実際、2010年8月に裁判所は、ロッキー青木の遺言を執行し、小林恵子(青木恵子)がBenihana(紅花)の全ての管財人になったが、それに対して、子供たち(スティーブとデヴォン)が、父親が残した「数百万ドル」(約数億円)を青木恵子氏が浪費したとして、訴訟を起こしたのである。
金星が、11-12のコンビネーションを形成している為、父親の生前から、お金を使い込んでいくような傾向があったのだと思われる。
ロッキー青木のラグナを射手座に修正して、そして、この6、11室支配で12室に在住し、5、12室支配の火星から傷つけられたこの悩ましい金星を見て、これこそが、父親の晩年の愛人問題、金星トラブルを表わす表示体であることが分かった。
ロッキー青木さん死去 日本レストラン「ベニハナ」を創業 2008.7.12 19:17 産経ニュース 【ニューヨーク=長戸雅子】米国での日本食レストランのさきがけとなった鉄板焼きチェーン「ベニハナ」の創業者で冒険家としても知られるロッキー青木(本名・青木広彰)さんが10日夜、ニューヨーク市内の病院で肺炎のため死去したことが分かった。関係者が11日、明らかにした。69歳、東京都出身。 1959年、慶応大在学中に日本選抜チームのレスリング選手として米国遠征に参加、60年に米国に留学し、ニューヨーク市マンハッタンのハーレムで移動式アイスクリーム店を開いた。番傘を添えるアイデアが話題を呼び、米国での最初の成功を収めた。 64年に「ベニハナ・オブ・トーキョー」を開店。ショースタイルの料理法が受け、日本食がまだ珍しかった時代に店舗を次々に増やしていった。 82年には気球で太平洋横断を行うなど冒険家としても知られた。 青木さんが会長を務めていた非営利団体「ニューヨーク倫理友の会」のリンゼイ芥川笑子理事長は「青木さんが現れるとその場が明るく、和やかになった。(複数回の結婚など)私生活のことがいろいろ取りざたされたが、本質は純粋な人。偶然の幸運でなく、自分の才覚でビジネスを成功させた『ゴールデン・ボーイ』だった」と故人をしのんだ。 10日夜には家族や近親者が病床に集まり、最後を看取った。青木さんが最後に書き残した言葉は「もっと挑戦」だったという。 スーパーモデルで女優のデヴォン青木さんは実娘。 |
ロッキー青木は、2008年7月10日に亡くなったが、死因は、肺炎だった
ダシャーはラーフ/土星期であり、マハダシャーロードのラーフのディスポジターは、6、11室支配の金星であり、金星は射手座ラグナにとってのマラカに相当する。
アンタルダシャーロードの土星は2、3室支配のマラカで、4室(肺)に在住し、4室支配の木星と星座交換して、4室(肺)を激しく傷つけている。
またコンジャクトする月も生来的な4室の表示体である。
この土星は、12室支配の火星からのアスペクトも受けて、更に傷ついている。
ロッキー青木は、自分が信頼する3番目の妻を子供たちが嫌うことに不満があり、子供たちが自分の財産を当てにばかりすることにも不満だったようである。
ラグナロードの木星は山羊座の2室に在住し、5室支配の火星は獅子座に在住して、ラグナロードと5室の支配星は、6-8の関係にあることが分かる。
タジクシステムによれば、これはロッキー青木と子供たちが、相性が悪いことを表わしている。
ロッキー青木自身は、自分の努力で、お金を稼ぎ、栄光を掴み取れといった考え方で、射手座の成功哲学と、山羊座の実務的実際的な行動力が混じり合ったような性格であった。
一方で、子供たちは、自分たちは、子供として当然のごとく財産を相続する権利があるといった根拠のない自信を示す獅子座のふてぶてしさ、図々しさがあったかもしれない。
山羊座と、獅子座は全くそりが合わない。
因みに今回、ロッキー青木について知ることになったのは、「あらゆる願望をかなえる 現代密教 天地開動術」藤本憲幸著という本がきっかけだった。
この本の中で、ロッキー青木をアメリカン・ドリームを実現した男として、紹介されていたのである。
”アメリカン・ドリーム”を実現した男 自分のことなら説明はつく。だが、途轍もない成功を勝ち取ったロッキー青木氏の場合はどうだろう。 ”ロッキー症候群”という旋風まで起こした億万長者であるから、知っている人も多いだろうが、ベニバナ・チェーン五十余店舗のレストランのオーナーであるロッキー青木氏の第一歩は、十九歳(一九五七年)で全米アマチュアレスリング選手権に全日本代表として選ばれたときにスタートした。 日本を出発するとき、父親から、「アメリカにはドルがあふれている。その凄さも味わってこい」と言われたことが頭に焼きついた。 ただ彼の当面の目標は、「オレは絶対に勝つ。チャンピオンになる」ということにあった。事実、彼は日本を出発前、町の写真屋へ行ってユニフォームに着替え、日米の国旗を背にVサインをしている写真を撮らせたりしている。潜在意識は「勝つ」ことへ向けて完全武装していたわけである。 アメリカへ着いて空港の到着カウンターへ向かう途中、彼は一ドル札を拾った。父親の一言が頭に甦った。 「試合に勝って、アメリカに残りたい」と彼は改めて考えた。 試合は何度も負けそうになったが、そのたびにあの”Vサインの写真”が頭にひらめき、最後の踏んばりで逆転勝ちを収め、とうとうチャンピオンになってしまったのである。 目標は達成された。しかし、彼には”ドルの夢”が残った。その戦いに勝ちたいという夢である。 「よし、やっぱりこのままアメリカに残ろう。そして、リッチマンになるんだ」 かくて、十九歳の青年がアメリカの実業界でVサインを出して笑う姿を選んだのである。 夢の実現に絶対欠かせないもの 帰国する選手団と別れたロッキー青木氏には、遊んでいられるお金はなかった。働き口は見つけたものの、英語が話せない。彼は積極的にガールフレンドを探してつき合った。安上がりに、しかも楽しみながら英語も生活習慣も学べるからである。 車もありきたりのものでは満足できなかった。町でロールスロイスを見かけると、彼は頼み込んで車と一緒にいる写真を撮ってもらった。ドアに手をかけている写真、別の日には運転席に腰掛けている写真-こうして何枚もの「ロールスロイスと一緒にいる自分」の写真を、肌身離さず持ち歩いたのである。 小柄なロッキー青木氏は女の子にモテたのだが、その中の一人に、可愛いミッシェルがいて、なんと彼女はロールスロイスに乗っていた。何回目かのデートのあと、豪華なマンションの前まで送っていった彼に、「ロッキー、あなたさえよければ、この車を自由に使っていいわ」と、キーを渡してくれたのである。ロッキーの”写真想念術”がこうしてまた一つ成功した。 このロールスロイスは、彼が事業計画を起こして銀行へ借金を申し込むときにも役立った。彼はその車の所有者たるにふさわしく、堂々と振る舞ったからである。金を借りなければ死んでしまいそうな人に、銀行は一セントだって貸してはくれない。一九六四年、ロッキー青木氏はニューヨークのマンハッタンにベニバナ一号店をオープンした。何年も頭の中に描き続けたその城のようなデザインの店は、若い日本人オーナーであることと相俟って、たちまち大評判となった。 いったん”時の人”となると周囲が黙っていない。美人コンテストの審査員を皮切りに、彼には”翔んでる男”の役回りがどんどん舞い込んできた。金髪の美女たちが、いつも周囲に群がるようになった。 今や百億の資産家となった彼には当然のことであるが、小川や射撃場まで備えた別荘や、二十九部屋もある豪邸などをいくつも持ち、自家用機を二機、世界の名車だけでも三十台を数える(※飛行機はその後、航空会社の役員になったため手離す)。 彼はそれを単に”買った”のではなかった。店舗と同じように、一つ一つを事前にしっかりとイメージし、自分の夢の領土を拡げるように追加していったのである。それがまた、新しい夢を大きく育てていったのである。 私が彼の家に泊まったとき、夫人が息子の頭をなでながら、「この子は運動神経が発達しているから、きっといい選手になるでしょう」 と言ったのを遮って、ロッキー青木氏は、「今のこいつはダメだ。そうなる自分を信じてないからダメなんだ」と厳しい顔で言ったものである。 彼は一九八一年、気球による太平洋横断という快挙を成し遂げ、ここでもまたヒーローになった。そのときプロジェクトに参加した私は彼の日常を見たのだが、レストラン王でありながら、彼自身はあまり食べない。酒の飲まず、タバコも吸わない。ゴルフもしない。ひたすら夢を育て、夢を実現することに打ち込む姿だけがそこにあった。 これが、瞑想の世界なのである。実業界や社交界の中で忙しく立ち回りながら、彼は瞑想を実践しつづけていたのである。 (「あらゆる願望をかなえる 現代密教 天地開動術」藤本憲幸著より引用抜粋) |
藤本憲幸氏が、現代密教について解説したこの本は、射手座的な自己啓発に満ちた本である。
密教、ヨーガを自己実現の為、人生を変える為に実践することを勧めるような内容であった。
そして、この本の中で、紹介されていたロッキー青木は、まさにアメリカン・ドリームを実現した射手座的な人物であった。
調べてみた所、まさに射手座ラグナであった。
私は、2022年11月30日から金星/水星期に移行しており、水星は双子座から射手座にアスペクトしている為か、最近、射手座的な自己啓発に触れる機会が多くなっている。
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