大江健三郎と右翼青年の物語「政治少年死す」 -作品の本質はナヴァムシャによって現れた-



大江健三郎についてもう一つ指摘しておきたいことがあるが、ナヴァムシャの配置が、まさに作品の本質を表わしたのではないかということである。


大江健三郎は、1961年2月号の「文學界」で小説「セブンティーン」の第2部として、「政治少年死す」を発表している。


1960年の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件を題材にして、教養のない右翼青年が、天皇に同一化し、テロリストになっていく心理的過程を克明に描写したものである。


この「政治少年死す」は、右翼団体の抗議を受けて、長らく単行本として発表されていなかったが、2018年に『大江健三郎全小説 第3巻』に収録されたようである。



なぜ意識高い系は「極端」に走るのか? 若き大江健三郎の衝撃作に描かれたその理由
2018/12/20(木) 7:30 YAHOOニュース 石戸諭記者 / ノンフィクションライター

戦後文学の一つの到達点であり、偉大な才能であり、最大のタブー作を生み出した作家ーー。それがノーベル文学賞作家・大江健三郎である。彼の社会的発言だけを聞きかじって、「戦後民主主義」的な価値観をひきづった過去の人と結論づけるのはもったいない。

 一人の少年にある性的な恍惚感と政治の接点、暴力的な言葉を叫び、テロリストになっていく心理を誰よりも克明に描写した『セヴンティーン』『政治少年死す』は今の時代にこそ読まれるべき小説なのだから。

「政治少年死す」収録の衝撃

 「政治少年死す」は1961年2月号の「文學界」発表以降、右翼団体の抗議を受けて長らく書籍未収録だった。それが2018年になり『大江健三郎全小説 第3巻』に収録された。これは大きな出来事と言えるだろう。

 本作はいまも文庫でも手に入る小説『セヴンティーン』の第二部と位置付けられている。一部と二部を連続して読むことが50年以上できなかったのだ。詳細な経緯は本書収録の解説に収められているので、ここでは触れない。本書をあらためて読み、20代の大江が描いたこの2作は連続して読んでこそ初めて真価が発揮されるのだと思い知る。

 『セヴンティーン』は、「17歳=セヴンティーン」になったばかりの「おれ」が一人称で世界や時代の閉塞感に苛立ちをぶつけ、性を語り、畳み掛けるように言葉をぶちまける。「おれ」は極右団体の活動と出会い、多くのインテリが《左》のご時世にあえて《右》になる。「おれ」は《右》として、「十万の《左》どもに立ちむかう」。彼は恍惚感とともに「最も勇敢で最も凶暴な、最も右よりのセヴンティーン」になっていく。

 第二部で「おれ」は「死を超え、死から恐怖の牙をもぎとり、恐怖を至福にかえて死をかざる存在」である「純粋天皇」との一体化を夢見て、ついにテロリストとなり政治家を刺殺する。テロに至るまでの描写は圧巻の一言だ。大江の想像力は、現実に起きた右翼少年・山口二矢による社会党委員長刺殺事件と密接にリンクする小説を生み出した。

 「おれ」は性的な衝動を大いなる「純粋天皇」にぶつけるかのように、政治的にエスカレートし、テロへと一直線に突っ走る。「おれ」の純粋すぎる危うさや恍惚感が伴った政治行動は、世界各地で起きる自爆テロであり、日本でいえば真偽不確かな情報をもとに「在日」をバッシングして極右にのめり込む「彼ら」の心理に通じるものがある。

 事実、大江は読売新聞記者であり、おそらく彼が最も信頼している聞き手であろう尾崎真理子のインタビューにこう答えている。

 「戦後民主主義者である自分の中には、天皇に命を捧げる右翼少年の心情に入っていって小説に書きたいという、矛盾した思いも抑え難くあった。10年くらい左右両派から激しく攻撃されました」

 「様々なテロが起こるたび、“今、起きていることは自分がかつて小説に書いた”と感じてきた。なぜ若者たちは自爆テロに突き進むのか。政治的な熱狂と性的な衝動は人間の同じところから発生し、現実化する……。青年の頃、未熟なまま直観して『叫び声』なども書いたのです」

出典:(読売新聞2018年5月6日付朝刊)

 社会的発言以上に作品は雄弁に作家の思想を語る。作品にあるのは政治的に正しい立場からの発言する大江ではなく、自分の中にある抑えがたい矛盾や衝動を描く大江だ。そこに時代を超えた叫びが内包されている。

 書かれた時代よりもはるかに暴力的な言葉が社会を飛び交う「今」こそ、若き大江の作品群は同時代性を持つ。彼が多用する言葉をあえて使えば、それ自体が一つの「アイロニー」としか言えないのだが……。

(光文社「本がすき。」初出を元に加筆)


大江健三郎のラグナを修正した所では、出生図のラグナは、双子座ムリガシラー第2パダであり、ナヴァムシャのラグナは蠍座である。」







出生図を見た所、5室支配の金星が、9室水瓶座で、土星、水星とコンジャンクトしており、理知的で、合理主義者で、水瓶座の自由、平等、博愛の理想を体現している。



そして、5室天秤座に在住する木星は、相手の自由を尊重し、自分の意見を相手に押し付けない平和主義を示している。



つまり、基本的に風の星座の性質として、理性的な態度をもたらしている。




その大江健三郎が、何故、右翼青年の保守的で狂信的な心理過程を鮮やかに描けたのかという、疑問が出てくるが、ナヴァムシャを見ると、それは納得することが出来た。







ナヴァムシャでは、蠍座ラグナで、そもそも蠍座ラグナは、暴力団やヤクザの典型的な星座である。



私は以前から魚座=宗教家、蠍座=ヤクザ、暴力団、蟹座=愛国民族主義者と考えているが、これらの水の星座同士はお互いに連携して作用している。



例えば、「美しい日本」といったイデオロギーを推進した安倍晋三は、神道連合である日本会議によって支えられ、まさに右翼民族主義に傾倒していたが、出生図のラグナは蟹座、ナヴァムシャのラグナは魚座だった。



本質的に安倍晋三は保守であり、愛国民族主義者である。



またロシアのプーチンもおそらく、出生図のラグナが蠍座、ナヴァムシャのラグナが魚座だが、ロシアを皇帝(ツァーリ)が治めていた封建的な時代に遡らせようとしている愛国民族主義者である。




大江健三郎は、ナヴァムシャが、蠍座ラグナで、9室支配の月が5室魚座(右翼)で、ラーフとコンジャンクトして、1、6室支配の火星からアスペクトされている。



これは宗教的で何らかのイデオロギーに対して盲目的献身的に熱狂する配置であり、まさに愛国民族主義者の狂気を表わしているとも考えられる。



これが5室で形成されている為、これは小説家にとっては作品を表わしており、この配置が、狂信的な右翼青年を描き出した配置だが、一方で、大江健三郎自身の性格、パーソナリティーも表わしている。



月とラーフのコンジャンクトは、発狂したりする精神異常のコンビネーションで、ラーフは幻想を表わしており、過剰性も表わすため、過度に感情的になり、極端な思想に偏ってしまう。



例えば、ラーフと水星のコンビネーションは、神経を表わす水星が、幻想や過剰性を表わすラーフの影響を受けて、心理的なストレスが、身体症状に転換してしまうパニック障害の原因となる配置であるが、ラーフの果たす役割には注目すべきである。



そして、月は同時に火星と相互アスペクトして、チャンドラ・マンガラヨーガを形成しているが、これは瞬間湯沸かし器のように怒りを表現する配置であり、容易に暴力的に行動化しやすい反社会的人格障害をもたらす配置である。







従って、大江健三郎のナヴァムシャの5室のラーフ、月、そして、火星との相互アスペクトは、まさに狂信的な右翼青年そのものを意味している。



そして、これは大江健三郎が本質的な深いレベルで持つ狂気でもある。








大江健三郎は、憲法9条改正反対の平和主義者であり、戦後民主主義の旗手として、積極的な社会活動も行ってきたように理性的な思想や態度に貫かれているように思われるが、一皮むけば、右翼青年の狂信性を自分の中にも抱えていたのである。



だからこそ、教養のない右翼青年が、天皇に同一化し、テロリストになっていく心理的過程を克明に描写出来たのである。



例えば、大江健三郎は、第11回新潮社文学賞を受賞した『個人的な体験』という作品において、知的障害をもって生まれた子供の死を願う父親が、様々な精神遍歴の末、現実を受容して子供とともに生きる決意をするまでの過程を描いているという。



長男が知的障害で生まれてきた時に大江健三郎は、その息子の死を願うというように非常に強い情念を持ち、感情的に強く揺さぶられたようでもあるが、これが、大江健三郎の本質なのである。




そうした大江健三郎の本質は、ナヴァムシャに現れており、おそらく、作品を語るのには、ナヴァムシャ抜きでは語れないのである。




文藝春秋 2023年5月号で、作家・平野啓一郎氏と文芸評論家の尾崎真理子氏の対談「大江健三郎を偲ぶ」が行なわれているが、その中で、平野啓一郎氏は、以下のように記している。





「セヴンティーン」の天皇に心酔する青年は、いっけん大江さん自身の考え方とは対極にある人物に見えます。でも、だからといって突き放すのではなく、むしろ右翼青年に自分を投影するように書いている。

時下に四国の小さな村に育ち、皇国教育を受けた大江さんの中にある、自分もこのような日本人であり得るのではないかという、強い自己批判的な姿勢を感じます。

 だから「セヴンティーン」は、右翼を揶揄していると怒りを買った反面、三島由紀夫などは、大江健三郎は、やはり根っこの部分ではこうなんだ、という読み方をしました。

(「むしろ右翼青年に自分を投影するように書いている」平野啓一郎が語った大江健三郎「セヴンティーン」の影響 2023/05/14 文藝春秋 2023年5月号 /平野 啓一郎 尾崎 真理子より引用抜粋)I




「大江健三郎は、右翼青年に自分を投影するように書いている」と評価している。



しかし、「・・・自分もこのような日本人であり得るのではないかという、強く自己批判的な姿勢」というよりも、むしろ、この右翼青年は、大江健三郎そのものなのである。



そのことを三島由紀夫も感じ取ったようである。



そのことは大江健三郎のナヴァムシャにはっきりと表れており、それは決して、隠すことは出来ないのである。





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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 秀吉先生、

    先生がよく蠍座ラグナはヤクザだ暴力団だと書かれてますが…

    全くその通りです。

    私は蠍座月ラグナなので、よく分かります。

    蠍座は支配宮が1−6のせいか、敵との関係が何かとつきまとうんですよね…
    それで、敵作っても周りが全員敵でも平気なタイプなんですよね…

    それと、計画的に、相手を泳がせたり墓穴掘らせたりして、気付いてるのに気付いてないフリして、何年かけても最後勝つ、最後に一気に毒を盛る、みたいなとこあります。

    私、実際、若い頃、敵対した社長を、辞めてから四年ぐらいかけて、粉飾決算の資料集めて本国に送りつけて、電撃解任させたりしたこともあります…

    味方や友達として選ぶ相手はほんと極少数なんですけど(数多く身内を作る蟹座とはそこがちょっと違いますね)、味方は自分を犠牲にしても守りますから。
    • >私、実際、若い頃、敵対した社長を、辞めてから四年ぐらいかけて、粉飾決算の資料集めて本国に送りつけて、電撃解任させたりしたこともあります…


      それはかなりヤクザっぽい行動パターンかもしれません。


      よくマフィア映画でも何十年もたってから昔の復讐を果たすといった場面が出てきますが、蠍座の感情の持続力、執念深さには怖いものがあります。


      何十年も前の恨みを昨日、今日のことのように体験しているからです。


      おそらく、感情が、何度も何度も繰り返し追体験され、強化されているのだと思いますが、何年たっても風化しません。


      それを良い方面に行かす例であれば、刑事が犯罪者を執拗に追及して、追い詰めるといった形の人生をかけた逮捕劇などにもつながるかもしれません。


      日本で、北朝鮮の拉致被害者が何年たっても執拗に追求していくといった根気強さ、集中力も、やはり蠍座特有のものだと思います。


      水に囲まれた日本は、水の星座が強く、国民性として、蠍座の特徴、蠍座の文化は、一定の割合で、備えていると思われ、蠍座の行動パターンが多々見られます。


      ラグナが同時に6室を支配している為、敵との関係が何かと付きまとうというのは、興味深いですが、敵との関係が解消しないまま、ずっと継続することができ、例えば、金貸しが金を貸した相手に対して、執拗に付きまとうといった形で現れるかもしれません。


      貸し借りの関係を終わりにしない訳です。


      人生において絶えず抗争がある修羅道の日常にも耐えられるということかもしれません。

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