最近、レッスンを受けている方から華原朋美を題材に取り上げて欲しいとの依頼があり、過去の経歴を調べていた所、非常に様々な発見があった。
華原朋美は、小室哲哉に見出されて、歌手デビューし、その豊かな歌唱力で、歌手として大成功を収めた。
wikipediaによれば、小室哲哉は、華原朋美と出会った当初、カラオケで、彼女がTRFを歌うのを聴き、「涙腺を刺激する歌声」と称して、感動し、歌手デビューが決まったのだという。
彼女は、小室哲哉が見出されて歌手デビューし、デビューしてからは、小室が楽曲を提供し、全てに渡って、面倒を見てもらう。
当時、実際、プライベートでも小室哲哉は、華原朋美と交際していたのであり、デビュー前に2人の関係をすっぱ抜いた写真週刊誌フライデーの記者に「アーティストに手をつけたのではなく、プライベートの恋人に曲を書いてデビューさせただけです。」と語ったそうである。
小室哲哉は、華原朋美の歌声を「倍音を沢山含んだ豊かな響きを持つ声。滅多にいない声で、その声で生まれて良かったと思って欲しい」と評している。
そもそも歌手になる前の華原朋美は、「三浦彩香」や「遠峯ありさ」など芸名を変えながら、雑誌でモデルを務めたり、テレビ番組の司会のアシスタントを務めたり、深夜番組でアイドルとして活動したり、毎日、オーディションを受けて、オーディションにも何度も落選しており、奮闘(struggle)の日々を送っていたという。
従って、私たちが見る歌姫としての華原朋美は、彼女のアーティストとしての最終形態であり、その前には泥臭い芸能界での下積み生活を送っていたことが分かる。
どこの世界でも同じだが、とにかく、その世界で仕事をしたいという強い希望を持ち、チャンスを掴むためになりふり構わないで活動し続けたことがよく分かる。
アイドルとして、バラエティ番組(1994年10月~1995年3月)にレギュラー出演していた際に小室哲哉に見初められ、番組プロデューサーを介して、小室が当時、青山で経営していた店「TJM」に呼ばれたことがきっかけで、小室哲哉との交際が始まったのだという。
つまり、華原朋美は、公私共に小室哲哉に見出されたことが分かる。
そして、その後、ある時、小室哲哉との破局報道というものが伝えられて、2人は別れたようだが、その頃から失恋のショックもあったのか、彼女に奇行が現れ、度々、病院に運ばれ、薬物中毒にもなり、精神的に病んだ痛々しい姿が、当時のメディアでも報じられていたことを覚えている。
芸能活動が続けられなくなった彼女は事務所を契約解除となり、芸能界長期活動休止となり、精神科の閉鎖病棟に入院していた時期もある。
退院後に父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めで、ボランティア活動に従事し、現地の孤児院で子供の世話などをしたそうだ。
そして、芸能活動も再開して活躍したようだが、最近では、すっかり表舞台に出て来なくなり、昨年(2019年)5月4日に妊娠6ヶ月であることを発表している。
このように波乱万丈の華原朋美の人生は、チャート上で、どのように説明できるのか、その辺りは、誰もが興味を持つ所かもしれない。
そこで過去の出来事と日付、彼女の生活歴などを辿り、種々検討した結果分かったのは、彼女はおそらく射手座ラグナである。
射手座ラグナにすると、様々なことが説明可能である。
兄と弟の存在
まず、華原朋美は、兄が2人、弟が1人の4人兄弟である。
射手座ラグナの場合、木星が11室にアスペクトし、更に逆行して11室の支配星にもアスペクトしている。
弟の3室にも木星が在住し、弟妹の表示体である3室支配の火星がアスペクトしている。
因みに兄弟姉妹が存在するのは、3室や11室の支配星が3室や11室の自室に在住している場合や、3室や11室の支配星が3室や11室にアスペクトバックしている場合などに起こりやすい。
またその次に木星のアスペクトも有効である。
弟は幼少期に誕生しているはずであるが、9歳までは、マハダシャー水星期であり、水星は3室支配の土星のアスペクトを受けている。
乗馬の趣味
華原朋美は、3歳頃、「あれに乗りたい!」の一言で乗馬を始めたという。
乗馬の趣味は、高校3年生の時に出場した1992年山形べにばな国体で4位入賞という好成績を修め、2016年の馬術の日本国内大会『ジャパンオープン』でも優勝しているようである。
因みに乗馬とは、スポーツ(3室)の一種だが、馬は、乗り物(4室)でもある。
従って、もし射手座ラグナであれば、1、4室支配の木星が3室に在住している配置は、乗馬というスポーツを嗜む配置ではないかと思われた。
木星は、生物(living being)を表わすため、それで、生き物である乗り物に乗るスポーツをたしなんだのである。
またラグナロードの木星が3室に在住する配置は、芸能界との縁を表わす配置である。
華原朋美は、木星のアンタルダシャーの時期には、バラエティー番組に出演してマルチタレント化していることからもそれが分かる。
3室の木星と7室の土星のつながり
木星はプールヴァバードラパダー(木星)に在住し、土星は7室双子座でプナルヴァス(木星)に在住しており、木星の一方的なアスペクトを受けているため、非常に木星の強い影響を受けている。
つまり、木星は3室に在住し、3室の支配星にアスペクトし、その3室の支配星はプナルヴァスに在住することで再び、支配星は木星である。
木星と土星は緊密に結びついていることが分かるが、これは芸能(3室)とパートナー(7室)の関わりであり、芸能界でのパートナーを表わしている。
おそらく、これは小室哲哉のことを表わしており、小室哲哉は、7室に在住する土星で象徴されている。
華原朋美と小室哲哉は、おじさんと娘のような年の離れた関係性であることから、明らかに7室の土星は小室哲哉を表わしていると分かる。
土星は8室の表示体でもある為、関係に問題をもたらし、関係がこじれてくる。
7室の土星は、誠実に相手と長く付き合おうとする配置であるが、一方で、問題をもたらすのである。
従って、華原朋美も小室哲哉に対して、真剣そのものであったが、何か関係がこじれて来て破局する結果となった。
小室は、その後、KEIKOと結婚した為、おそらく三角関係のようになって、別離となったと考えられる。
芸能界デビューと下積み生活
華原朋美は、中山美穂や工藤静香に憧れて、1990年の高校1年の時に全日本国民的美少女コンテストに応募している。
然し、本戦の事前親子面接にて母親が「娘の芸能界入りには反対」と発言したために本戦には出場できなかったという。
彼女がコンテストに応募した1990年は、ちょうどマハダシャー金星期(1990/5~)に移行したタイミングである。
金星が6、11室支配であるが、11室の支配星の時期というのは、資格を取得しようとする時期であり、その為にコンテストなどに応募する時期である。
公認会計士でも弁護士でも何か資格を取得しようとする時には、11室の支配星や11室の在住星が働いている時である。
彼女は自ら望んでコンテストに応募したのである。
然し、彼女は母親の反対に遭って、本戦には参加できなかった。
これは6、11室支配の金星が8室に在住し、8室支配の月とコンジャンクトしている為である。
これは支配的な母親を表わす配置で、母親の反対で、コンテストへの参加が頓挫したことが分かる。
それから自宅に他の事務所からスカウトの電話が入ってくるようになり、芸能界入りを強く意識するようになったそうである。
この時、近づいてきた芸能関係者は、11室の表示体であり、11室とは貪りのハウスであり、利益を目論んで利用しようとするような人々を表わしている。
1992年の高校3年の時に乗馬に打ち込む一方で、渋谷の吉野家で、当時の事務所アバンギャルドにスカウトされ、芸能界入りしたという。
高校卒業後に美容師を目指し、山野美容専門学校に入学するが、芸能界入りを決意して退学したという。
この時、美容師の資格を目指して、美容専門学校に入ったのも資格取得を意味する11室支配の金星の象意である。
然し、この11室支配の金星は、8室に在住し、8室支配の月とコンジャンクトしている為、途中で退学したことが分かる。
その後の華原朋美の活動を見ると、まさに6、11室支配で8室に在住する奮闘(struggle)に満ちた金星の象意そのものである。
1993年から『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日系)でレギュラーアシスタントを務め、テレビ初出演を果たす。雑誌『CanCam』、『ViVi』等でモデルを務める。同年秋にはMBSラジオ『茶屋町学園』のオーディションを受けるが惜しくも落選。しかし、このオーディションがきっかけで雑誌「MABU」の巻頭グラビアを飾る。当時の芸名は同事務所の三浦早苗に因んだ三浦 彩香(みうら あやか)を主としていた。 1994年4月、遠峯 ありさ(とおみね ありさ)の芸名を使用開始し、持田かおり(現:持田香織)らが在籍していた黒BUTAオールスターズの第4期生に選抜されるも、すぐに脱退。深夜番組等でアイドルとして活動。当時は毎日のようにオーディションを受けていたという。また、カラオケ映像にも出演していた。バラエティ『とんねるずのみなさんのおかげです』のコント「近未来警察072」の女性隊員役のオーディションでは、松嶋菜々子とともに最終選考の2名まで残ったが、惜しくも身長の低さが理由で落選した。当時、とんねるずの石橋貴明は面白い子がいるとプロデューサーの秋元康に話していたという。 (wikipedia 華原朋美より引用抜粋) |
テレビ番組のアシスタントや雑誌モデル、その傍らで、オーディションに何度も落選し、芸名も2回変えている。
これはまさしく奮闘(struggle)そのものである。
どんな仕事でもいいからとにかく芸能界で仕事が欲しい、テレビに出たいという態度であり、なりふりかまわない様子がよく出ている。
そんな中で、小室哲哉との出会いがあったのである。
小室哲哉との出会いと歌手としてのブレイク - ヴィーパリータラージャヨーガとムクタヨーガ -
小室哲哉にカラオケで、歌を披露した当時、彼女はまだ女優志望だったという。
従って、彼女に才能があることを見抜いたのも小室であり、歌手になるお膳立てをし、楽曲も提供したのも全て、小室哲哉である。
つまり、華原朋美はシンデレラガールであり、小室哲哉は、言わば、白馬の王子様的な存在であっただろうと思われる。
自分を別の世界に引き上げてくれる存在である。
それがちょうど金星/月期である。
月は8室支配で8室に在住しており、棚から牡丹餅を表わしており、また自分よりも強い支配者、自分が全面的に依存する相手を表わしている。
因みに小室哲哉のチャートを見ると、ナヴァムシャでラグナと月が蟹座に在住しており、まさにこの8室に在住する月の表示体であることが分かる。
華原朋美が、小室哲哉に何から何までお膳立てしてもらって、歌手としてブレイク出来たのは、この配置が物語っている。
この金星/月期になってからの大ブレークは、wikipedia 華原朋美の小室哲哉プロデュース時代を読めばよく分かる。
この時にちょうど華原朋美という芸名を使い始め、ビジュアルクイーンオブザイヤー95’に選出され、オリコン4位を記録し、新人賞を総なめにしている。
アルバムが300万枚売れて、ミリオンセラーとなり、1996年には新高輪プリンスホテルで“華原朋美ヒット記念パーティー”を開催し、業界・報道関係者1,000人が出席したという。
小室哲哉プロデュース時代(1995年 – 1998年) 1995年6月、事務所を移籍し、小室のイニシャルと同じT. Kで、なおかつ本名に近い華原朋美に改名。由来は小室の「僕と君は心のユニット」という意向であり、プロデュースのイメージは「円山町のクラブ前のコンビニでしゃがんでいる女性」を表現しようとした。8月には小室が音楽を担当したイメージビデオ『PARADOX』を発売し、フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー’95に選出。9月、21歳の時にパイオニアLDC内の小室が立ち上げた新レーベル・ORUMOK RECORDSの第一弾アーティストとして、シングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。メディア出演は殆どなかったもののオリコン・シングルチャート最高8位を記録し、いきなり37万枚のヒットとなる。続く翌10月発売の2枚目のシングル「I BELIEVE」が驚異的なロングセラーを記録しオリコン最高4位を記録。同曲で年末の新人賞を総なめにした。 1996年、3月に3枚目のシングル「I’m proud」を発売。同3月25日付で前作「I BELIEVE」がミリオンセラーを達成し、デビューから半年足らずの新人としては異例の快挙となった。「I’m proud」も続いてミリオンセラーを記録、同曲で年間シングルチャート女性ソロアーティスト最高位の8位、年間カラオケリクエスト首位を獲得するなど、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。6月にはファーストアルバム『LOVE BRACE』を発売し、初のオリコン首位を獲得とともに、ファーストアルバムの歴代最高初動売上を記録(後に宇多田ヒカル、倉木麻衣が更新)。同作は最終的に出荷ベース300万枚を突破するダブルミリオンを記録した。同月、新高輪プリンスホテルで“華原朋美ヒット記念パーティー”を開催。小室やdosらがお祝いに駆けつけ、業界・報道関係者1,000人が出席した。10月には5枚目のシングル「save your dream」を発売し、シングルでも初の首位を獲得。大晦日には『第47回NHK紅白歌合戦』に初出場し、小室のピアノ演奏で「I’m proud」を歌唱した。 1997年1月、小室ファミリーが集結して発売したTKこねっと「YOU ARE THE ONE」に参加、4月にはカネボウ化粧品「ブロンズラヴ」のイメージキャラクターに初起用され、タイアップソング「Hate tell a lie」を発売。3週連続首位を獲得し、自身シングル3作目のミリオンセラーを記録した。6月からはフジテレビ『TK MUSIC CLAMP』3代目のパーソナリティを担当。7月には「LOVE IS ALL MUSIC」、9月には小室との共作詞による「たのしく たのしく やさしくね」、12月には2枚目のアルバム『storytelling』を発売(ミリオンセラー)と、この年発売したCDはいずれも首位を獲得した。同月、香港で開催された「TK GROOVE MUSEUM」に出演し、globe「DEPARTURES」のカバーを披露。『第48回NHK紅白歌合戦』では第2部トップバッターで登場し、小室がギターで飛び入り参加して「Hate tell a lie」を歌唱した。 1998年2月、自身出演のJT「桃の天然水」のCMオンエアがスタートしCM内の華原のセリフ”ヒューヒュー”が当時流行語になるなど大きな話題に。6月にはレコード会社をワーナーミュージック・ジャパンに移籍し、桃の天然水のタイアップが付いた11枚目のシングル「tumblin’ dice」を発売する。7月にはフジテレビ月9ドラマ『ボーイハント』で主人公の女子大生(演: 観月ありさ)の同級生役としてドラマ初出演。同月、同クールの別のドラマ「ランデヴー」主題歌に起用された「here we are」を発売。11月には3枚目のアルバム『nine cubes』を発売したが、12月に小室と破局を迎える。破局後、3年連続出場となった『第49回NHK紅白歌合戦』では、小室プロデュース最後のシングル曲「daily news」を歌唱した(小室のバック演奏はなし)。 当時、雑誌『JUNON』で“なりたい顔1位”にも選ばれるなど、同性を中心に絶大な支持をされた。安室奈美恵の“アムラー”に対して、華原のファッションや言動を真似する女子は“カハラー””ともギャル”と呼ばれ、“平成のシンデレラ”などとも呼称された。また、当時華原が大好きと公言していたハローキティがサンリオ社長もその効果を認めるほど女子高生を中心に再流行し、テレビで公言した吉野家牛丼における専門通の食べ方「つゆだく」が一般認知になり、CMで“ヒューヒュー”のフレーズが強調された「桃の天然水」が僅か1年間で1,600万ケースを売り上げる大ヒット商品となるなど、様々なブーム火付け役のリーダーにもなった。 当時の華原朋美はエイベックスに所属する他の小室ファミリーとは異なり、パイオニアLDC内に小室が立ち上げた独自レーベルORUMOKに所属し、戦略的にじっくり時間をかけて小室プロデュースが行われた。また、当時は小室哲哉と公私含めたパートナーであったため、華原と小室のエピソードが小室自身が率いるGlobe作品の歌詞の題材となったり、華原が安室奈美恵のデモテープを歌うこともあった。 なお、小室哲哉プロデュースによる華原朋美は、元アイドルがアーティストとして華麗に転身して大成功を収めた先駆け的存在でもあった。当時、この成功例を間近で見たエイベックスの松浦勝人はアイドル的外見を持つアーティストがファッションリーダーなどとしても売れると察知し、小室&華原の成功手法・ノウハウを取り入れながら、エイベックスにおける脱小室戦略として元アイドルのEvery Little Thing(持田香織)や浜崎あゆみをその後デビューさせた経緯がある。 (wikipedia 華原朋美より引用抜粋) |
この大ブレイクが、金星/月期からスタートしたというのは、非常に重要である。
因みにこのマハダシャーの金星は、6、11室支配で8室に在住しており、6室の支配星が8室に在住していることによるヴィーパリータラージャヨーガを形成している。
パラシャラの例外則もニーチャバンガもヴィーパリータラージャヨーガも皆、言えることだが、決して、ドゥシュタナハウスやトリシャダヤハウスの悪い象意が消えてなくなる訳ではないのであり、最初は苦労するのである。
然し、後半、あるいは、最終的な結果は、非常に良いものとなる。
(因みに華原朋美の場合、金星期の比較的早い段階でブレイクしている為、後半や最終的な結果として現れたかどうかは分からない。二重否定がラージャヨーガ的な効果を表わすタイミングについては今後も研究が必要である)
華原朋美もマハダシャー金星期が始まって直ぐの間は、オーディションに落選の連続で、あらゆる仕事をこなし、カラオケの映像にも出演したという。
非常に奮闘(struggle)し、苦労しているが、然し、小室哲哉と出会ってから、大ブレイクしている。
アンタルダシャーの月は8室支配で8室に在住しているが、棚から牡丹餅的な恩恵がある時期だが、それだけではなく月が定座に在住し、月から8室に木星が在住しているため、ムクタヨーガを形成している。
”ムクタ”というのは王冠という意味だそうだ。
私も最近、教えてもらったばかりであるが、非常にこのヨーガは使えるヨーガである。
1996年6月頃、新高輪プリンスホテルでの“華原朋美ヒット記念パーティー”に業界・報道関係者1,000人が出席したというのは、まさに王者の貫録である。
小室哲哉のヴィーパリータラージャヨーガ、ムクタヨーガと相乗効果
そして、小室哲哉のチャートを見ると、この時、木星/太陽期であり、木星/月期(1996/9/3~)に入る直前であった。
小室哲哉も月がラグナで高揚し、木星が6室に在住して、ムクタヨーガを形成しており、またラグナ、月から見て、木星は8室支配で6室に在住して、ヴィーパリータラージャヨーガを形成している。
従って、華原朋美と小室哲哉の両者ともにこの時、マハダシャーとアンタルダシャーが、ヴィーパリータラージャヨーガと、ムクタヨーガを形成する惑星で、それらの惑星同士が、絡んでいることになる。
小室哲哉にとってもこの自分がプロデュースした華原朋美の成功は、自分自身の成功と同じことである。
従って、このヴィーパリータラージャヨーガとムクタヨーガという2つの特殊なヨーガが、この時期のブレイクをもたらしたのである。
華原朋美の8室は、6、11室支配の金星と8室支配の月が在住する為、6-8の絡みも形成されており、非常に悩ましい配置である。
これは小室哲哉から引き上げられたにも関わらず、その後、小室哲哉と別離となって、悩む配置であり、支配と服従、すれ違いの関係性を表わしている。
然し、一方で、ヴィーパリータラージャヨーガやムクタヨーガといった形で、大成功をもたらしたのである。
つまり、華原朋美のチャートや小室哲哉のチャートは、ヴィーパリータラージャヨーガやムクタヨーガが、どう働くかを学習する為には、最高のサンプルである。
この配置について、初心者の方は、全く理解できないはずである。
私自身、かなり以前に小室哲哉のチャートを読解したが、その時は、ヴィーパリータラージャヨーガが働いていたかもしれないぐらいにしか認識していなかった。
木星のナヴァムシャの配置も良いので、そうした配置から説明することも出来るが、非常に難しいチャートである。
ヴィーパリータラージャヨーガが確実に機能することを体感していないと、この時期に上昇するとは理解出来ないし、またムクタヨーガについて知らないと、全く理解することができない。
特にムクタヨーガは、知らないとどうにもならないヨーガである。
今回、華原朋美のチャートを射手座に修正する中で、この重大な発見をすることになった。
小室哲哉との破局と神経衰弱、奇行、薬物依存
小室哲哉と破局したのは、1998年12月のまさにそうしたブレイクの真っ只中であったが、金星/ラーフ/水星期辺りである。
金星は6、11室支配で8室に在住している為、ブレイクをもたらしたとは言え、それほど、相性的には良くない配置である。
支配と服従の関係性であり、小室哲哉にとっては、華原朋美は完全に支配できる相手(愛人、部下)であり、華原朋美にとって小室哲哉は完全に依存する相手(支配者)であった。
従って、関係性がちぐはぐなのである。
仕事上でブレイクするのには、この関係性は上司と部下として有効であったが、私生活まで一緒に送ろうとする場合、問題があった配置と言えるかもしれない。
またこの時、アンタルダシャーはラーフ期であったが、ラーフは12室(別離)に在住している。
ディスポジターの火星は、7室からみた6、11室の支配星であり、別離(離婚、別れ)の時期である。
但し、1998年2月頃は、金星/ラーフ/木星期であるが、彼女が出演したJT「桃の天然水」のCMオンエアがスタートしCM内のセリフ”ヒューヒュー”が流行語になるなど大きな話題になっている。
金星/ラーフ期は、途中までは、仕事上は、順調に見える時期であった。
この時、ラーフのディスポジターが5室支配の火星で、9室に在住して、ラージャヨーガを形成し、プラティアンタルダシャーも木星期(3室メディア)であったからである。
然し、1998年12月に小室哲哉と破局した直後から彼女はおかしくなり、1999年1月30日に自宅で料理中にガス中毒で倒れて緊急入院している。
小室哲哉と破局した直後の年明けから奇行が目立っていたようである。一時は意識不明の重体であったという。
芸能事務所をプロダクション尾木に移籍し、復帰会見を開いたが、一週間後に自宅マンションのロビーで貧血で倒れて再入院している。
そして、6月頃に静岡県の乗馬クラブで復帰会見を行った時、薬物依存に陥った別人のような姿でメディアの前に登場し、世間に衝撃を与えた。
当時の映像は、まだ覚えている方が多いかもしれない。
この時のトランジットを見ると、ラーフ/ケートゥ軸が2-8軸をトランジットし、8室側にラーフが通過している。
土星は2室にアスペクトし、火星も2室にアスペクトして、太陽、水星も2室をトランジットしている。
この時、華原朋美は、ガスを口から吸いこんで、ガス中毒になっているが、2室は口から入るものを表わすハウスである。
2室に凶星のトランジットが集中し、またここで注目すべきなのは、アンタルダシャーロードのラーフが8室を通過していることである。
8室のラーフはパートナーの収入や人脈などパートナーが持っているものに頼りたいという配置であり、強い結婚願望を表わすが、8室を傷つける為、対人関係上の不親切に直面する。
この8室のラーフは、人への依頼心というものを削り剥がされるような激しい苦痛を経験する時期である。
依頼心や依存心、親切にされたいという欲求は全く満たされず放置され、摩耗して、干からびてしまうような時期であり、その過程で、激しい苦痛を経験する。
小室哲哉と破局し、これまで何から何まで小室哲哉に依存して来たのが、いきなりサポートが得られなくなって激しい苦痛を感じていた時期である。
そして、ラーフは6室支配の金星と8室支配の月の上を通過しており、パートナー関係のトラブルを表わしている。
このガス中毒というのが、故意の自殺だったのかどうかはよく分からないが、無意識の自殺願望のようなものが、ガスの元栓を開いたままにするなどのミスを起こさせた可能性もある。
あるいは、そうした願望を抱えたまま、意識がもうろうとした状態の中で、共時的にそうした事故を引き寄せたように思える出来事である。
実際は、トランジットのラーフが8室を通過して、6室と8室の支配星の上を通過していた為に起こったのである。
この2-8軸へのラーフ/ケートゥ軸のトランジットは、華原朋美にとっては危険なタイミングである。
その後、テレビに復帰し、暫く活動を再開したが、翌2000年に再び「100%の自分を取り戻す」ために無期限休養に入り、カナダへ留学してしまう。
この時期はまだ金星/ラーフ期だが、木星と土星が牡羊座5室をトランジットして、5室(学習)にダブルトランジットしている。
ラーフのディスポジターは、5、12室支配の火星で9室に在住し、9室の支配星とコンジャンクトしており、この時期は、海外留学する時期でもあることが分かる。
然し、このように2-8軸にラーフ/ケートゥ軸が通過しており、治療のための旅といった性質も持っていたと考えられる。
カナダに留学中、華原朋美は、その間にもフォト&エッセイ集やアルバムを発表し、作品を生み出し続けていたのは、ラーフのディスポジターが5室の支配星で、9室でラージャヨーガを形成し、3室(芸能)にアスペクトしていたからである。
そして、7月半ばに金星/木星期に移行すると、8月から『進ぬ!電波少年 〜華原朋美の電波少年的全米デビューへの道〜』のオンエアがスタートしている。
7ヶ月間、渡米し、洗車場でのアルバイト、自炊生活、クラブでのステージ、ボイスレッスンなど、色々なことを経験し、その間の様子が実況中継される。
同2000年1月、カナダにて休養中に初のフォト&エッセイ集『未来を信じて』、2月には「Believe In Future -真夜中のシンデレラ-」を発売。7月、カナダで心身ともに回復していることが報告され、前年発売の『One Fine Day』から「Blue Sky」がドラマ主題歌に起用されることからシングルカット化された。同時期のカナダから一時帰国中に日本テレビ『進ぬ!電波少年』から、アメリカ合衆国デビュー企画のオファーを受け出演。翌8月から『進ぬ!電波少年 〜華原朋美の電波少年的全米デビューへの道〜』のオンエアがスタート。結果として7ヶ月間渡米し、洗車場でのアルバイト、自炊生活、クラブでのステージ、ボイスレッスンなど経験を積む。翌2001年1月、セリーヌ・ディオンやダイアナ・キングなどを手がけるアンディ・マーベル(Andy Marvel)プロデュースのオーディションに合格し、全米デビューへの切符を掴む。アンディのコンピレーションアルバムに華原歌唱の「NEVER SAY NEVER」が収録されたが、CDは未発売。翌2月、約8ヶ月ぶりに日本へ帰国し、SHIBUYA-AXで凱旋ライブを開催した。 (wikipedia 華原朋美より引用抜粋) |
冒頭で述べたが、木星のアンタルダシャーの時期は、木星が3室(芸能)に在住しているからか、バラエティ番組に出演などして、マルチタレント化するのである。
この金星/木星期は、本当に様々な番組に出演しているのが分かる。彼女は歌手だったはずだが、完全にこの時期はタレントとして活動していることが分かる。
以下は全て金星/木星期に行なった仕事内容である。
凱旋帰国後の2001年、4月に復帰シングル「Never Say Never」を発売し、オリコン初登場10位を記録。7月にはフォト&エッセイ集第2弾『苦あり楽あり 〜未来を信じて Part2〜』を発売し、初の握手会を開催した。8月にはイン・シンクなどを手がけるヴィンセント・ディジョルジオ(Vincent Degiorgio)プロデュースによる「PRECIOUS」を発売し、デビュー7年目にして初の単独ツアーとなった『TOMOMI KAHALA FIRST LIVE 2001 〜待っててくれてアリガトウ〜』を開催した。10月からはレギュラーラジオ番組の文化放送『華原朋美のLIPS PARTY 21.jp』がスタート(年末まで)。11月には5枚目のアルバム『Love Again』を発売し、“DJ Tomo”名義で発売記念DJイベントを開催。12月には雑誌『プチセブン』で連載されていた自身脚本の漫画『SHOWBIZ』を発売し、二度目の握手会を実施した。この年から本格的にバラエティ番組へも出演し始める。 2002年、NHK総合テレビの公開収録番組『にっぽん愉快家族』でコロッケと司会を担当し、4月に番組がスタート。同月、自身出演のポッカ缶コーヒーCMソング「あきらめましょう」を発売。7月にはワーナー移籍後の曲を収録したベストアルバム『Natural Breeze 〜KAHALA BEST 1998-2002〜』を発売し、翌8月からホールツアー『Tomomi Kahala Concert Tour 2002 “Natural Breeze”』を開催。4年ぶり4度目の返り咲き出場を果たした『第53回NHK紅白歌合戦』ではZONEがバックバンドで参加し、「あきらめましょう」を歌唱した。 2003年、『クレヨンしんちゃん』原作者の臼井儀人と華原がお互いファンであることから、テレビアニメ『クレヨンしんちゃん』のオープニングテーマを担当することになり、2月に「PLEASURE」を発売。 (wikipedia 華原朋美より引用抜粋) |
デビュー10周年となる2005年5月に過去の失恋を歌った「涙の続き」を発売しているが、この時は、金星/土星期である。
土星は3室支配で、7室に在住しており、失恋の相手とは小室哲哉のことだと思うが、土星期は、そうしたパートナーへの未練を表わしている。
その辺りもダシャーに表れているのが非常に興味深い。
但し、2006年12月にミュージカル『ガールフレンズ』に主演し、公演中に急性気管支炎と急性声帯炎を併発し一部を休演する事態となっている。
アンタルダシャーの土星は2室と3室の支配星であり、気管支と声帯は、3室の象意である。
土星は2、3室支配であるが、2室は3室から見た12室目であり、気管支と声帯を損失するハウスである。
また2、3室支配の土星はマラカでもあり、マラカの7室に在住している為、健康を損ねる時期である。
然し、この土星には木星がアスペクトしている為か、一部休演となる事態となったが、復帰している。
所属事務所との契約解除と芸能界長期活動休止
前年度の気管支炎の影響で、2007年明けから4月まで3度目の休養となる自宅療養を行なう。
この時は、金星/水星期であり、トランジットを見ると、6室(病気、障害)にダブルトランジットしており、またラーフ/ケートゥ軸は、3-9軸で、土星は9室(10室からの12室目:仕事の損失)をトランジットし、木星は12室(海外、隠遁)を通過している。
5月に仕事を再開したが、事務所から、突然の仕事キャンセルが続いた為、心身共に健康の回復状態が思わしくなく、これ以上の芸能活動を支えるのは不可能と判断され、6月29日に専属契約が解除される。
2007年6月29日のトランジットを見ると、獅子座で逆行していた土星が蟹座に戻っており、木星が12室から蟹座にアスペクトして、蟹座8室にダブルトランジットしている。
また6室支配の金星にもダブルトランジットを形成している為、6室と8室にダブルトランジットが生じているタイミングである。
障害と行き詰まりの象意が噴き出す配置である。
事務所にもこれ以上、芸能活動を支えるのは無理と匙を投げられた形である。
6、11室支配の金星が出生の金星にリターンしており、芸能活動の奮闘(struggle)と行き詰まりをよく表している。
この頃、ファン向けのブログで、仕事キャンセルについての謝罪などを行なっているが、ブログはわずか9日間で突然閉鎖されており、この時期がまさに奮闘(struggle)と行き詰まりのただ中にあることが分かる。
3ヶ月後の同年9月20日にはファン向けに自身のブログを開設し、その中で仕事キャンセルについて謝罪の文を掲載。理由について、自身の健康管理が悪く精神的にもダウンしたこと、さらに尾骨を骨折していたことも告白し、今は完全に完治し健康である事を綴っていた。しかし、マスコミで報道された直後の9月29日に、わずか9日間でブログは突然閉鎖された。 (wikipedia 華原朋美より引用抜粋) |
その後、華原朋美は、2009年にも急性薬物中毒で倒れて病院に緊急搬送され、精神安定剤の大量服用による薬物中毒と報道されている。
また2010年にもタクシー乗車中に意識もうろうとなり、救急車で病院に搬送されている。
日常生活が破綻し、精神科の閉鎖病棟に入院していた時期もあったという。
翌2008年7月10日、東京ミッドタウンで開かれたパーティに出席。「年内には復帰したい」と語ったものの、それから約半年後の2009年1月17日、JR錦糸町駅でタクシーに行き先が告げられず、急性薬物中毒で倒れ病院に緊急搬送されてしまう。医師から処方された精神安定剤を多く所持しており、「大量服用による薬物中毒」と報道されていた。 翌2010年8月29日にも、新宿・歌舞伎町でタクシー乗車中に意識もうろうとなり、救急車で病院に搬送されたと報道された。日常生活も破綻し、見かねた家族の判断で閉鎖病棟に入院していた時期もあった。退院後は父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めでボランティア活動に従事。現地の孤児院で子供の世話などをした。 (wikipedia 華原朋美より引用抜粋) |
この2009年のトランジットを見ると、やはり、ラーフ/ケートゥ軸が2-8軸を通過し、土星が逆行して、8室にかかり、火星が蟹座8室にアスペクトし、また更に太陽、木星、水星が山羊座2室を通過するタイミングであったことが分かる。
2010年8月29日のトランジットを見ると、土星、木星が4室にダブルトランジットし、火星もアスペクトしている為、閉鎖病棟に引っ越ししたような感じとなっていたことが分かる。
退院後、2010年ぐらいから父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めで、ボランティア活動に従事し、現地の孤児院で子供の世話をしたという。
翌年、兄のブログの中で、海外で自分磨きをしていると綴っていたのはこのことである。
慈善活動家の父親
華原朋美は、2010年5月半ばからマハダシャー太陽期に移行しており、太陽は9室支配で9室に在住し、5室支配の火星や7、10室支配の水星、ラグナロードで、4室支配の木星と相互アスペクトし、多くのラージャヨーガを形成している。
この太陽は、父親の所に訪れて、ボランティアに励んだことを表わしている。
言わば、父親の所に留学したような感じである。
父親は、そうした慈善活動を行なうNPOを運営している人物だということが分かる。
父親の9室をラグナとすると、3、10室支配の金星が12室支配の月と共に12室蟹座に在住しており、海外で、乳幼児やその母親のサポートの仕事などに取り組んでいることが分かる。
私は、このマハダシャー太陽期の出来事を確認して、華原朋美が射手座ラグナで間違いないことを確信した。
それ以前から何度も緊急入院や薬物中毒などを起こしているが、その時にはほぼ毎回、ラーフ/ケートゥ軸や火星や土星などの凶星が、2-8軸に絡んでいる。
従って、これらのことが、華原朋美が、射手座ラグナであることの有力な証拠である。
そのため、8室で形成されるヴィーパリータラージャヨーガやムクタヨーガの象意が、間違いなく金星/月期に顕現したと言えるのである。
然し、このように華原朋美の出来事を見ていくと、この8室で形成される特別なラージャヨーガは、必ずしも常に発現している訳ではなく、トランジットの位置や、アンタルダシャーの配置によっては、緊急入院や薬物中毒、恋愛における破局など、様々な問題ももたらしていることが分かる。
復帰
2012年12月5日に『2012 FNS歌謡祭』に生出演し、「I’m proud」を歌唱し、5年半ぶりに復帰を果たし安定した歌声を披露する。
この出演時の動画が一時的にインターネット上にアップロードされると、すぐに100万回以上再生されるなどSNSを中心に非常に大きな話題を呼んだのだという。
この頃は、太陽/木星期で、木星は11室や11室の支配星にアスペクトしている為、高い評価を受けたことが分かる。
翌年の2013年12月には、『2013 FNS歌謡祭』に出演して、小室哲哉と15年半ぶりに共演を果たし、「I’m proud」「I BELIEVE」を歌唱したということである。
華原朋美は、マハダシャー金星期において、ヴィーパリータラージャヨーガにより、仕事上で大変なブレイクを果たしたが、小室とのパートナー関係や私生活においては、必ずしも幸福とは言えない時期を過ごした。
この辺りが、6-8の絡みヴィーパリータラージャヨーガの特徴かもしれない。
やはり金星期が持つ機能的凶星としての凶意は経験したのである。
然し、その金星期の困難もやがて、太陽期を経て、彼女はそれらから吹っ切れたように思われる。
父親の所で、ボランティアなどをして、彼女の心の健康は、小室と再会できるまでに回復したことが分かる。
再び活動休止
然し、2016年11月に体調不良で仕事をキャンセルし、11月5日に病院での検査で「急性ストレス反応」と診断されたことを公表している。
月末まで活動休止し、30日に退院している。
トランジットを見ると、土星は入院の12室を通過し、また火星が2室を通過して、土星が12室から2室にアスペクトしている。
華原朋美の2室には6室支配の金星と8室支配の月がアスペクトしており、やはり2室は体調を崩しやすいハウスである。
ここにトランジットの土星と火星が絡んでいることが、この体調不良の理由だと分かる。
また2016年11月は、マハダシャー月期に移行しており、この時は、月/月期である。
ダシャーとしても月期は、それ自身が8室の支配星で、6室支配の金星とコンジャンクトする惑星の時期である。
従って、ダシャーとトランジットの観点から、この時期に体調不良となったことが分かる。
マハダシャー月期へ
マハダシャーが月期になってからは、暫く芸能活動や馬術に励んでいたが、2017年9月25日の放送をもって、表立った活動が少なくなっている。
そして、2019年5月4日に妊娠6ヶ月で相手は外資系企業勤務の一般男性であることをファンクラブサイトで公表している。
妊娠するには相手が必要だが、この時、ラーフ/ケートゥ軸が1-7軸をトランジットし、パートナー関係の変化を表わしている。
また土星がラグナを通過して、7室にアスペクトし、木星も逆行して、7室にダブルトランジットが生じている。
また土星は射手座で逆行している為、5室の支配星と9室の支配星にアスペクトし、木星は5室にアスペクトしている。
妊娠を発表したその当日、子供の5室に月、太陽、水星がトランジットしていることもおそらく意味があると思われる。
そして、8月30日には、男児を出産している。
出産後、12月19日に「華原朋美 Christmas Dinner Show 2019」が開催され、出産後初の歌声を披露したとwikipediaに記されており、また2020年2月9日、ガールズオーディションプロジェクト「DUO presents TCG AUDITION 2020」の公開ドラフト会議に出席したようである。
8室支配の月は、金星と共に2室(歌唱、スピーチ)にアスペクトしており、まだこれからも歌を歌っていくということである。
然し、現在、8室支配で8室に在住する月期である為、主に結婚生活を中心に考えているものと思われる。
8室の月とは、かつて、小室哲哉との出会いがあったのは、金星/月期である。
金星/月期において、全面的に依存し、自分を引き上げてくれる相手と出会うことになった。
従って、今回、マハダシャー月期になって、華原朋美は、そうした相手と出会ったと言えるかもしれない。
然し、週刊誌の記事によれば、華原朋美は、妊娠を発表したが、「結婚は未定」なのだという。
その辺りが、やはり6、11室支配の金星とコンジャンクトする8室支配の月なのであり、何か複雑な事情を感じさせる。
つまり、8室の支配星というのは支配者であり、それに対する華原朋美は愛人の立場であるということかもしれない。
相手は既婚者であるか、あるいは、他に相手がいるということではないかと思われる。
ナヴァムシャのラグナ
今回、ナヴァムシャのラグナについては十分に検討しなかったが、今回は、獅子座ラグナに設定した。
何故なら、強い9室の象意をナヴァムシャでも繰り返し、金星期の芸能活動、歌手としての活動を考えると、3、10室支配の金星が2室に在住している配置で納得できる。
マハダシャー太陽期に父親の元に行ってボランティアに励んだのもこの配置で説明できる。
そして、9室惑星集中であれば、3室にアスペクトして芸能活動が強調される。
また彼女は乗馬で馬に親しんだが、ナヴァムシャの牡羊座に集中する水星、太陽、土星は、アシュヴィニーに在住している。
アシュビニーは馬という象意があり、ナヴァムシャでアシュビニーに在住する水星期に乗馬を開始したというのは、アシュビニーの象意ではないかとも思われる。
もしナヴァムシャのラグナを獅子座に設定すると、サプタムシャのラグナは、魚座になり、出産をしたのは、月/木星期であるが、月は5室の支配星で、木星はラグナロードで5室で高揚している。
もしナヴァムシャのラグナが獅子座で正しければ、マハダシャー月期に結婚できない理由は、月が12室支配で6室に在住しているからである。
ヴィーパリータラージャヨーガは形成しているが、ちょっとしたすれ違いがあり、結婚生活を共にしにくい関係なのである。
ヴィーパリータラージャヨーガとムクタヨーガの働き
今回の成果は、華原朋美が射手座ラグナであることが分かると同時に6室支配で8室に在住して、ヴィーパリータラージャヨーガを形成する金星と8室支配で8室で自室に在住し、木星との間で、ムクタヨーガを形成する月が、マハダシャーとアンタルダシャーの支配星同士で、コンジャンクトして絡んでいるその金星/月期に小室哲哉との出会いがあって、彼女の歌手としてのブレイクが始まったことが分かったことである。
この一見、悪くしか見えないこの配置が、偉大な上昇をもたらしたのである。
然し、その一方で、この配置は、小室哲哉との破局など泥沼の恋愛劇、精神の不安定や薬物中毒、緊急入院などももたらしている。
この吉凶混合し、ドゥシュタナハウスやトリシャダヤハウスの象意が全く消える訳ではなく、それらを経験した上で、更に途轍もない上昇をもたらすのが、これらのヨーガだということである。
これらの特別なヨーガの働きを詳細に見せてくれた事例ではないかと思われる。
コメント
コメント一覧 (2件)
先月のマスターコース講習でも話題になっていた「ムクタ・ヨーガ」を実際に備えたチャートが見つけられたのは素晴らしい偶然ですね
確か自分の記憶では小室哲哉の持つラーシの配置(月から見た6室7室8室に連続して生来的吉星が並ぶ状態)にはダーナ・ヨーガ的な富貴のヨーガとして固有の名前があったと思います
それから
ミチユウ氏のHP同様にたまに私が覗いている清水先生運営の『インド占星術の学校』というインド本国のジョーティッシュ記事の和訳サイトで
例の「ムクタ・ヨーガ」の名前が登場する記事を見つけましたのでURLを添付しておきます
https://xn--dckxbb0dvii1m.com/techniques/third_house_8
ご参考までにどうぞ
ムクタヨーガとして素晴らしい予測を行なったというのでしょうか。
DVスバーラオ氏が、サカタヨーガをムクタヨーガとして全く逆の予言を行なったことや、
出生時刻修正において極めて高い精度を出し、第5レベルのプラーナダシャーまで使えたという話は興味深いです。
彼のテクニックは研究するに値しますね。