【追悼】本多信明氏逝く

我々の占星術仲間であった本多信明氏が亡くなった。


本多信明氏とは、私がジョーティッシュを本格的に学び始めた2000年代の前半、東西占星術研究所の講座で出会ったのが最初だった。


講座終了後にお茶を飲んだりしたが、この頃は、まだそれ程、親しいとは言えず、学習先で出会った知り合いに過ぎなかった。


私は2005年頃に旧サイト『鑑定家』を作成して、有名人のチャート分析などを行なったり、ブログに日々の出来事などを書き始め、対面鑑定活動も始め、2007年にデリー在住のシュリK.N.ラオの元を仲間と共に表敬訪問し、2009年2月に最初にセミナーを行ない、2010年7月に初めて大阪でセミナーを行なうなど活動を積み重ねていたが、本多信明氏は、その前年度に既に大阪に訪れており、同じ頃、活発に活動していた仲間の一人である。


本多信明氏は、2010年2月にB.V.ラーマンの著作を参考にした『基礎からはじめるインド占星術入門』を説話社から出版するなどやり手の面をのぞかせた。


最近では、ジョーティシュ関連本を日本人が出すことも多くなってきたが、まだ日本語で読めるジョーティッシュ関連本が少ない中で、出版社から本を出せたというのは画期的であった。


2011年秋にデリーのBVBで行われた2週間のセミナーに参加した時も特に誘い合わせた訳ではなかったが、本多信明氏も日本人の一人として参加していて、向こうで色々と交流し、楽しく過ごした仲であった。


このように本多信明氏とは縁があるらしく(チャート的にも確認できる)、学習の初めの時も、インドでも一緒になった。そして、その後も何かと交流が続いていった。


本多信明氏は、私に一目置いてくれており、毎年、忘年会をやろうといって連絡をくれるため、その後、毎年、年末に忘年会で一緒に飲むようになった。


このような誘いは、以前、セミナーで一緒になった時以来、何かと続いていたが、私はそれ程、付き合いがいい方でもなく、積極的でもなかったが、本多信明氏が積極的であったこともあって付き合いは続いてきた。


そんなことで、ここ数年は、毎年、本多信明氏と忘年会を行なうのが恒例の行事になっていた。


本多信明氏が亡くなったという知らせを受けた時(ミチユウさんから連絡を受けた)、今年も彼とは忘年会をやるものと思っていたので、大変、驚くと同時に非常に寂しい気持ちになった。


彼は西洋占星術とジョーティッシュの技法の比較論的な話が得意で、西洋占星術や他の占術についての話題に事欠かなかった。


また業界の裏話的な話に通じていて、それらの話も非常に面白かった。


金星が支配星となるナクシャトラの持つ独得な諜報能力を発揮して、色々な裏話に通じているのが彼の魅力だった。


2~3年前のことだが、本多氏の過去の武勇伝や西洋占星術業界での色々な出来事などを聞く機会があったが、それらも平凡な話ではなく、非常に個性的で面白かった。


彼は70歳を越えていて、私よりもかなり年配であったが、気さくで、特に大人ぶることなく、普通に同年代の友人と同じように接することができるのが彼の魅力でもあった。


そんな風にして本多信明氏とは、もうかれこれ16年位の付き合いになるのである。


それで本多信明氏が逝ったという話を聞いた時、私は彼ともう飲めないのかと思い、彼の笑顔を思い出して非常に寂しい気持ちになった。


彼と占星術や占星術業界の色々な裏話をした楽しい時間は思い出である。


彼はビジネス的な手腕があり、やり手で、頼もしく勇ましい戦士であった。その行動力にはいつも感心していた。私とはライバルでもあり、盟友でもあったと思う。




本多信明氏はやる気に満ちていて、K S Charak氏の『Essentials of Vedic Astrology』の日本語訳を出版する交渉をCharak氏とインドの出版社との間で取りまとめて、まもなく本も出る予定であった。


この出版の話は、2年前ぐらいに聞いていて、私もAmazonの書評を書いて欲しいなどと頼まれていたのだが、作業が中々進まずに延期されていたようである。



こうした本多さんの未完の仕事が残っているので、これを引き継いで、何とかこの翻訳本を世に出してあげて欲しいと願う次第である。



ジョーティッシュの日本語で読める入門書が出れば、日本の学習者たちに役立つので、何とか出版してもらいたいと思う。




本多信明氏は9月26日までブログを更新しており、9月21日辺りは元気だったそうである。



彼には身近な親族がいなくて、遠戚しかいない為、連絡が取れないことに気づいた方が警察に連絡し、10月21日に自宅で畳の上で亡くなっているのが発見されたそうだ。



警察から杉並区役所に引き取られ、昨日10/30(水)10:00に堀ノ内斎場で火葬が行われたが、私もミチユウさん、河合範安さんらと参列して来た。



正式に告知された訳ではなく、皆、人づてに知らされたにも関わらず、火葬には多くの人が集まっていた。



中国系の占いをされている方で、本多さんと親しくされていた方や、本多さんのクライアントの方も参列されていて、そうした方と、色々話すことも出来た。



また本多信明氏は、声楽などもやっていた為、そうした関係者の方たちが大勢来ていた。



通常、親族であっても葬儀に参加しない場合もあったりするのだが、来ていた方は、皆、本多さんと友人として楽しく過ごした為にその友情の為に来ていたように思われた。



彼は友人に恵まれており、人望も厚かったようである。



自宅で亡くなって親族もいないとなると、現代の孤独死の問題を思い起こさせるが、本多さんの場合は決してそんなことはなかったように思う。



彼は非常に沢山の友人から慕われていて、友人たちに見守られていた。



この日のトランジットだが、蠍座に木星、金星、水星、月がトランジットしていた。





彼は、射手座ラグナで、月が12室蠍座に在住しているので、友人たちに囲まれていたことを物語っている。



暫くしてから、埼玉県新座市の天照院の共同墓地に入るそうである。



おそらく本多信明氏と交流した方は、まだ大勢いると思われるため、本記事は、その方々に向けての報告である。




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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 初めまして。
    いつもブログを拝見させて頂いてます。
    とても勉強になります!ありがとうございます。

    本多先生が亡くなられたとの事、心よりお悔やみ申し上げます。
    本多先生のブログもよく拝見させて頂いていたので、とても驚きました。
    私はただの読者なので交流はありませんでしたが、お知らせ頂きありがとうございました。
  • わたしが、秀吉さんをはじめとするインド占星術の実践者する方々に対して過去において、誹謗中傷したことは全て事実無根でした。申し訳ございませんでした。また、わたしの過去における発言を訂正し、お詫び申し申し上げます。今後は二度と致しません。

    補足)私は、インド占星術の他の先生(清水先生も)とは、誰とも関与していません。

    石井仁生

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