才能と凡庸さについて

明石家さんまのチャートを検証したが、
高揚惑星が2つ、減衰惑星が2つで、ニーチャバンガや、
ヴィーパリータラージャヨーガなど非常に個性的なチャートである。

6室や8室といったドゥシュタナハウスが強調されている為、
決して幸福なチャートとは言い難い。

誕生した直後の母親の死や、弟の死、離婚など私生活は波瀾に満ちている。

然し、力強く非凡なチャートである。

惑星の強さは惑星のエネルギー量を表わすものであり、
吉凶を表わすものではないので、むしろ、星位よりも吉凶に注目することが
重要であると言われていたし、そのような考え方から、

惑星の高揚、減衰といった星位よりも機能的吉凶の方が重要であると自分の解釈においても言い聞かせて来た。

然し、惑星が高揚している場合は才能があり、力強く、多少、人生が波瀾に満ちていたとしても、
非凡さによる誰にも到達できない、追随できない人生の栄光が、ユニークさがある。

逆に減衰や敵対星位による惑星の弱さは、たとえ惑星が機能的吉星化していたとしても惨めである。

高揚する惑星は才能やユニークさをもたらし、減衰する惑星は凡庸さや惨めさをもたらす。

但し、減衰する惑星はニーチャバンガラージャヨーガとなることによって、
高揚しているかのようなパワーをもたらす場合があるので減衰も非凡さの一つであることから注意が必要である。

ドストエフスキーも凡庸な人間の苦悩について書いていたようだが、

凡庸さというのはこれも一つの大きな苦しみのように感じられる。

ジョーティッシュは、惑星の星位によって、才能があるのか、平凡なのかといったことを残酷なまでに描き出す。

当初、惑星の高揚や減衰のニーチャバンガなどによる力強いチャートよりも、惑星の星位は平均的であっても、
ケンドラやトリコーナに在住して平凡な幸福を味わえるチャートの方がよいと考えていたが、

ある時から、再び、そうは言ってもやはり高揚や減衰ニーチャバンガのような個性的で力強いチャート、
ドゥシュタナハウスに惑星が集中していたとしても、何か人間の新しい可能性を開くような、
人間の深淵を垣間見せるような凄みのある人生を送る力強いチャートの方が、やはりユニークであり、
世界の中で一際、輝かしい価値を持つものだと思えている。

つまり、ギリシャ神話のように人間が世界で織り成すドラマの極限を表現したようなそうした創造の神秘、
未知の可能性を開示するような力強さである。

人間が犯す間違いを代表して犯すようなそうしたスケールの大きい人生などもそうである。

だから、犯罪者や極悪人のチャートでも、凡庸で幸福なチャートと、どちらがいいのか(あるいは価値あるのか)は
考えものなのである。

惑星の力量は平均的でも、吉祥なハウスに惑星が集中して、凡庸でも幸福な人生を送る祝福されたチャートもあれば、

高揚や減衰などにより個性的で惑星が力強く、富や名声に恵まれていても、一部、ドゥシュタナハウスの強調があることで、

様々な私生活上の悩みを抱えている罪深いチャートもあるのである。

どちらが幸福なのか、凡庸でも幸福で祝福された人生か、あるいは、天才的で非凡で人類の階層の上層に位置しながらも、
罪深くカルマの負債が容赦なく襲い掛かるような、人生に何重にも試練が仕掛けられているようなそうした人生か。

試練や罰は苦しみであるが、凡庸さもまた苦しみである。

最もいいのは惑星のエネルギーが強くしかも幸福で祝福されている人生である。

こうした人生は稀である。

もっとも悪いのは、惑星のエネルギーが弱く、しかも不運で試練が多く祝福されていない人生である。

これらはどららがいいのかは悩むまでもない。簡単である。

然し、昔から、太く短く生きるか、細く長く生きるか、どちらを好むか、とよく言われるように、

天才的で不幸や試練を多く抱えた罪深い運命(チャート)か、
それとも、真面目に正しく生きてきた罪を犯したことのない凡庸な運命(チャート)か。

これらのどちらがよいのかは悩むところである。

明石家さんまのチャートというのは、非凡でいて、私生活上の多くの試練を抱えたチャートである。

然し、力強い成功するチャートでもあると言える。非常に味わい深いチャートなのである。

正しく祝福されていて、しかも力強い人生を歩むことが健全であり、理想的である。

そして、平凡でも正しく祝福された人生を送る人は、亀のような速度でも着実にいつかは非凡な人間になっていく。

然し、稀に明石家さんまのような多くの試練を抱えた力強いチャートにも遭遇する。

そうしたチャートはまた何ともいえない魅力を持っているのである。

 


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コメント

コメント一覧 (10件)

  • ピカソのチャートでは、土星、金星、太陽、月・・・何と4つの惑星が減衰していますね。そのうち土星と金星は減衰惑星のラージャ・ヨーガの条件を満たしています。しかし、それでも彼は力強い人生を歩みました。彼は歴史的な天才です。波乱に満ちたドラマチックな人生を歩みました。彼のチャートもとても興味深い研究材料となるでしょう。
  • こんばんは、Kです
    才能があるないも確かに一つの苦悩だと思います。人間はその人が望む望まないに限らず、占星術の世界では、その生年月日と出生時間で誕生し、その人に秘められた能力や人間性までもが、厳密に決定されてしまう、
    つまり、ホロスコープに示されたカルマによって与えられた事しか出来ないし、叶える事もままならないという厳しい現実が存在している。それがもし、幸福なチャートならともかく、不幸なチャートなら尚のことだと思います。もちろん先生が言うようにドゥシュタナハウスに惑星が集中していたとしても、二重否定の法則や、パラシャラの例外法則などによって波乱であっても、名を残したりすることができる人々も存在しています。その逆もしかりですが‥。前世の不徳や功徳の影響とはいえ、悲しいほどにはっきり出てしまうものなのですね。今回も自己満足な文面で申し訳ありませんが、書かせていただきました。
    • 人間というのはこの世に産み落とされた後、自分に与えられた可能性(運命)を実現していく存在だと言えます。
      それはチャートを見るとかなり正確に描かれています。

      ただ大抵の人は運命があるということすら知らず、完全に自分の自由意志で生きていると思っています。
      主観的には、色々努力して、自由に選択して生きていると思っています。

      もっと上位の視点からはそれは全てほとんど決まっているということです。

      神がいるのかどうかということと同じくらい深遠な問題です。

      量子力学などでは、私たちが生きている世界は、完全にバーチャルリアリティーだという認識になるようです。

      ジョーティッシュというのは、その運命というものを惑星配置などから読み取ることを可能にするものです。

      様々な人生模様がありますが、それらは皆、それらの人々に与えられたものです。

      人は自分以外の人間にはなれません。自分自身の運命を全うするしかありません。

      それが栄光の人生でも凡庸な人生でもです。
      • 返信有難うございました。人はやはりチャートに示された人生を生きる存在なのですね。
        全ての事は偶然ではなく、こうしてコメントを書いたりする事も含めて、予定されている通りのことが起きると‥。話の方向性が少しずれるかもわからないですが、先程、これとは別の記事のコメント欄で、姓名判断について触れていた文章を見て思ったことがあり、例えば姓名判断などで、生まれた時の名前の運勢が実際のその人間が持っているホロスコープのカルマの運勢と非常に酷似した象意を持っていたりするものなのでしょうか。又は、生まれた時の名前の方ではなく、後に、結婚やそれ以外の理由などで、別の姓になった時の名前がその本人の持つチャートのカルマに当てはまるような事などもあるものなのでしょうか、元々姓が変わるといった事柄も運命の中に含まれているのでしょうか。先生がジョーティシュの専門家であり、姓名判断などは専門外であり、質問の内容的に困惑されたら申し訳ありませんが、もし返答頂ければ幸いです。
        • 姓名判断では画数などで、その人の運命が決まってくるという考え方で、結構、当たっていると思います。

          ホロスコープと同じように画数などに運命が描かれているということです。

          例えば、昔は、女性は結婚すると、男性の家の姓を必ず名乗ることになりましたが、今は選択的夫婦別姓制度などが議論されているようにそれは絶対ではなくなりました。

          結婚といった案件は、運命学ではかなり逃れられない決まった事柄と考えられています。

          そうすると、女性が結婚することは決まっていたし、姓が変わることも決まっていたということになります。

          昔は、女性の運勢が結婚によって大きく変わったというのはそういうことではないでしょうか。

          今現在、姓を変えないで生活している人が多くなりましたが、それは、社会の民主主義やリベラル化が進んで、

          女性が相手の家の影響を受けなくなったということであり、結婚して相手の家の影響を強く受けて激的に運勢が変わるということも少なくなったと思います。

          だから姓も変わらなくなったということです。


          おそらく姓が変わるか変わらないかというのは、社会制度や文化など社会のあり方に関連しますが、今は、結婚によって運命が昔ほど変わらない社会になったからこそ、姓も変わらなくなったと考えることができます。

          つまり、姓が変わることなども全て最初から決まっていたという考え方が出来ます。

          姓名判断では、運命を変える為に名前を変えるということが行なわれます。

          ですから姓名を変えるという自由意志の行為によって、運命が変えられると考えているのではないでしょうか。

          然し、そのようにして姓名を変えたとしても出生データによって作成したホロスコープは同じですから、

          ジョーティッシュの観点では、その人は、運命は変わっていないということになります。


          姓名を変えて、運命を変えようとする人は、開運法に強い興味や執着がある人で、そういう人は、運命を自由意志で変えられると思っている人、


          つまり、射手座が強い人ではないかと思います。


          射手座が強い人は、ムフルタや改名などを行なって、運命を変えようとする方が多い印象です。


          そうすると射手座ラグナに生まれた人が頻繁に改名するような場合、改名するかどうかも、その人のホロスコープの性格の特徴や行動パターンとして予め運命として決まっていたと考えることが出来ます。


          改名するといった行為が、何かその人の運命の中の積極的な行動を取って、運命を変えて行こうとするようなタイミングを示しているかもしれません。


          例えば、射手座の在住星のダシャーが来た時に急に改名がしたくなって、改名するといった形で、現れるかもしれません。


          確かにその方は、改名した頃から、運命が突然変わり出したのですが、それは射手座に在住する惑星のダシャーが来たからでした。


          改名の結果、運命が変わったのではなく、運命が変わった結果、改名行為を行なったということです。


          そうした場合、つまり、改名行為も全て、運命の中に折り込み済みであったということです。


          例えば、占い師の指示で、名前を変える人もいますが、そうした人は、その時期にそうした占い師と出会い、名前を変えるなどの操作的な扱いを受けるということが運命として決まっていたということが言えそうです。


          そういう占い師に操られるような場合、その人は9室の支配星と8室の支配星が絡んでいるような配置があり、そのような配置を形成しているダシャーが来たからそのような扱いを受けたのです。


          例えば、グル(師匠)から名前を与えられて、以後、その名前を名乗る人もいますが、そういう人は、9室と8室が絡んでおり、グルの影響下に入り、グルから完全な支配を受ける配置があるということです。
  • こんばんは、Kです。毎回のように急なコメントで申し訳ないのですが、以前、この欄に書かせていただいた姓名判断の事で少し面白いことに気づいたので、感想とは関係のないものになってしまいますが、書かせていただきます。自分はこういった、ジョーティシュ以外にも、占いに興味を持っている人間なのですが、算命学や四柱推命などに使われている干支と姓名判断の画数が何かしら共通点のようなものを持っているのではなかろうかと思い至り、例えば、癸未という干支がこの二つの占術にあるのですが、この干支を保有している、人間の名前をとある姓名判断サイトで算出すると、9係数の画数、19画や9画であったり、または、7係数の画数、17画、27画が必ずというわけではないのですが、入っている例が多く、癸未の有名人の名前(本名)から調べていくと、これらの画数が入っていることがやはり多く、ある意味では本当に共通する面があるのではないだろうかという確信ではないのですが、思いたりました。とはいえ、姓名判断も流派があるので、サイトによっては画数が異なる場合もあるので、一概には言えないのですが、個人的に利用しているサイトを使い、検証というには大袈裟かもわかりませんが、そういった結果が出ることが多かったのは事実です。

    後、これも余談になってしまうのですが、自分は趣味で書き物をしており、その自分が創作した登場人物の名前を生年月日をつけたりなどをして、(月日は私の誕生日を使って)
    その誕生日を算命学などで算出するとたまたま、先ほどの文で書いた、癸未という干支を保有している生年月日であり、その物語の登場人物の名前を姓名判断してみると、先程、癸未の例で算出して導き出された、9係数の画数と7係数の画数などが、はっきりと表れていて、また他の登場人物にも生年月日をつけているのですが、その干支を保有、(これも有名人の例で確認しているのですが)している場合に出てくる、その二人は甲辰と壬申で、甲辰の方は主に名前の画数に15画を持ってる事が多く、壬申も癸未同様、9係数の画数を保有しているという結果でした。

    この記事の内容から大きく逸れている上に、このようなコメントの内容などでご不快に思われたら申し訳ないですが、こうした発見?もおもしろいのではないかと思い、書かせてもらいました。
    • 癸未(みずのとひつじ)の生まれの人には、9係数の画数、19画や9画など、9という数字が入ってくるとか、7係数の画数、17画、27画が入っているという洞察ですが、数秘術的な観点で、そうした発見は納得できるものです。

      例えば、カバラ数秘術などを調べていくと、明らかに数字に性格や性質が現れてきます。

      それをホロスコープに対応させると、明らかに関連があります。

      例えば、生年月日や氏名のローマ字を数字に変換する作業によって、1という数字が出て来たとすると、ホロスコープでは、太陽が高揚していたり、太陽が獅子座で定座に在住していて強かったりとか、あるいは、牡羊座が強調されていて、まさに1という数字が表わすようなホロスコープであったといったことはよくあることです。

      ハリシュジョハーリ著「ヒンドゥー数霊術―運命の指針」といった本にもそうした認識が記されています。

      画数に現れる数字もカバラ数秘術と同じことだと思います。

      そうした数字に様々な占術や運命学を横断した共通した法則が見つかると面白いと思います。

      私は干支や中国系の占いは勉強していない為、発見したものが何を指すのか、具体的、詳細には分かりませんが、何を言っているのかは分かります。

      つまり、名前の漢字の画数や生年月日(西暦)の数字やそれらを足した数などに傾向や法則が発見されるなど、数字と運命に関連が出て来るのは、数字には意味があり、偶然に割り当てられるものではないからだと思います。

      まさに数霊と言ってよいものだと思います。
      • 返信ありがとうございます。数秘術的なものを意識したわけではなかったのですが、ただ、やはりそれらの干支を所有する人ら、自分の友人の名前や、有名人の本名からにも、そうしたとある干支によく現れる画数が出ているので、その名前自体もつけられるべくして、つけられたものなのかなと。
        後、それが例え、物語の中の架空の人物からもそうした特徴のようなものが出ていたので、そうした物語も書かれるべくして、書かれたものなのかなとも思ってしまいます。
        当たり前の話ですが、占星術は実在の人物を対象に、占うものですが、上記のように物語の中の登場人物にも何かしら意味が出てくるものなのでしょうか?それらの登場人物には生年月日をつけていて、特に主人公の方には、(私自身の)出生時間を使っています、ただし、正確な時間か微妙な所ですが、
        • アニメのキャラクターなどでも舞台設定として生年月日が与えられている場合、その生年月日で、チャートを作成すると、そのアニメのキャラクターの性格を表わしているというのは以前からよく聞く話です。架空の登場人物に付けられた名前の画数といったものにも、その登場人物の性格などが反映していると思います。
          • そうなのですね。ご返信ありがとうございます。そういった架空のキャラにもその特徴がやはり現れるのはおもしろいですね。占星術などで、そのキャラクターのチャートを作成して、検証しているような記事を見てみたい気もしますが、生年月日までならともかく、時間まで設定しているような例はほとんどないので、時よりそういったキャラを、インド占星術や西洋占星術などで検証しているのは見たことがありますが、先生の記事はかなり事細かい検証している文面が目立つので、架空の人物をテーマに書かれるのもおもしろいかもしれませんね。先生の記事で見てみたいです。(個人的な興味です)長々と失礼しました。

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