沖縄県の首里城の火災で、正殿と北殿、南殿など計7棟が焼失した。
首里城で火災、現場一帯から住民避難 2019.10.31 Thu posted at 10:55 JST CNN.co.jp ロンドン(CNN) 沖縄県の地元警察は31日までに、CNNに対して、首里城で火災が発生したことを明らかにした。 警察報道官によると、現場一帯では住民の避難が進められているという。ただし避難者の数や火災の規模は不明。 NHKは那覇市消防局の話として、首里城の正殿近くから出火したと伝えた。首里城跡は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている。 首里城は400年以上にわたり琉球国王の居城となっていた。 第2次世界大戦中は旧日本軍の地方司令部の役割を果たした。1945年の沖縄戦で全壊し、復元作業が完了したのは90年代初頭のことだった。 |
この火災の映像を見た時、先日のパリで起こったノートルダム大聖堂の火災を思い出した方もいるかもしれないが、私は三島由紀夫の『金閣寺』という小説で描かれた金閣寺の火災の映像が思い浮かんだ。
ノートルダム大聖堂の時もそうだし、今回の首里城の火災もそうだが、燃えてはいけないものが燃えている、その壮大な映像を目にして、不謹慎にも、その燃え上がる姿が、非常に美しく思えた。こんなことを書けば関係者からおしかりを受けるかもしれないが、事実そうであった。
歴史上の吉原炎上とか、江戸の大火とか、あるいは、ギリシアのトロイア戦争で燃えた街、アレクサンドリアの大図書館の火災など、おそらく歴史上の火災で、重要な建造物が火災で焼失する出来事はこれまでにもあったと思われるが、そうした壮大な歴史絵巻が眼前に現れたかのような衝撃を受けたのである。
『金閣寺』は1950年7月2日に金閣寺の見習い僧侶・林養賢の放火によって国宝を含んだ数々の文化財が焼失した事件を元に三島由紀夫が、犯行に及んだ林養賢の屈折した心理描写を行なった作品である。
美しいものの象徴であった金閣寺に火を付けることで重度の吃音症による苦悩や劣等感から生じる社会への復讐心などを満たしたという描き方だったと思われる。
心理学的に言えば、高い所にいる人物を引きずり下ろすことによって、自分が相対的に上昇するという卑屈な心理状態である。
自分がより高い位置に付くには、自分が上昇するか、相手を引きずり下ろすかの二者択一なのである。
自分が上昇しようとするのは健全で高貴な精神だが、自分に上昇する見込みがなく、重度の劣等感にさいなまれて絶望している時には、相手を引きずり下ろすという卑屈な心理状態として現れるしかないのである。
それが地位の高い人物が何か不祥事などで失脚したり、高い地位から転落した時にそれを「それみたことか」「自業自得だ」と感じたり、日頃の羨望の情や、劣等意識、復讐心などをそれによって償うのである。
ニーチェ的に言えば、奴隷の精神であり、畜群の道徳意識であるが、これがかなり多くの日本人に適用できる大衆感情なのである。
首里城も金閣寺に負けず劣らぬ美しい建造物であったと思う。
沖縄県人の方々が琉球王国時代のゆかりの建築物として、何が何でも守ってゆきたい文化的遺産である。
自分たちの誇りであり、それが失われたということには、まるで自分の家を破壊されたかのような大きなショックがあったと思われる。
然し、そうであるからこそ、絶対に燃えてはならないこの美しい建造物が、一瞬にして燃えあがったその姿は、壮麗な危険な美を放っていた。
道徳と切り離した時にその巨大な火の燃え上がる姿は、壮麗な光と炎のイベントである。誰も見たことのない映像である。
芥川龍之介は、自らが究めようとする美のためなら、実の娘が焼け死ぬところも描く芸術至上主義の人物を『地獄変』の中で描いている。
私がこうしたことをちょっとでも記述できるのは沖縄県が遠い場所であり、自分の身近な生活環境ではない為ではないかとも思われる。
沖縄県の首里城には、沖縄を旅行した際に2度ほど訪れたことがあるが、やはりどこか遠くから客観的に見ている所がある。
沖縄県人の方々には、そのように客観的に見ている余裕はないかもしれない。
芸術の機能とは、それを見て、どのような感情が沸き起こるか、自分の内面に向き合う作業であると聞いている。
芸術的な価値、美の基準というものが客観的に実在しているというよりも個々の人々の心の中に美の感覚が存在しているのである。
その自分の中にある美の感覚を見つめることが重要であるとすれば、私は、この美しい首里城が燃えている映像の美に圧倒された。
私自身の中に芥川龍之介的な芸術至上主義的な狂気が少しは混じっているのではないかと思える要素が若干ある。
例えば、私は、画家でも音楽家でもないが、ジョーティッシュで、色々な人の運命を検討していて、それが幸福な出来事であれ、不幸な出来事であれ、ジョーティッシュの運命学の法則が、数学的に美しいロジックで、出来事を説明している時にそれに驚愕し、圧倒され、それに魅せられてしまう。
それがその人にとって幸福な出来事であろうが、不幸な出来事であろうが、お構いなしにその精密なロジックと事象との一致に心を奪われてしまう。
それがあったからこそ、ここまでジョーティッシュの学習にのめり込めた所がある。
これは場合によっては不道徳にもなり得る一つの狂気と言えるかもしれない。
おそらく首里城の火災に直面して、人それぞれ様々な感情を呼び起こしたことと思われる。
私に呼び起こされた感情は、ただ圧倒されたという一言だった。
こうしたことは、初めでではなく、例えば、2001年9月11日にアメリカの世界貿易センタービルに航空機が突っ込んでビルが崩壊した事件を目撃した時にもそのような感覚が生じた。
この映像を見た時もその出来事の壮大なスケールに圧倒されたが、その事件で犠牲になった方々への同情が沸くというよりも、むしろ、今まで一度も見たことのないそのイベントのスケール、発想に驚愕した。
もう少し露骨に言えば、悪の帝国であるアメリカにイスラムの決死隊が正義の一撃を喰らわせた瞬間のように捉えて、スカッとした気持ちになったのを覚えている。
小林よしのりが、ゴーマニズム宣言の中で、貿易センタービルに突っ込んだ航空機を見て、「その手があったか」と感じたことを綴っているが、巨大な軍事力で世界を支配する悪の帝国アメリカに逆らうそんな方法がまだ残っていたのかと賞賛する気持ちである。
普通の大衆である私たちは、そんな世界の見知らぬ土地の人々の不幸に同情する程の国際性は身に付けておらず、国内でほとんど屈折した心理状態で生きている為、こうした感情が沸くものである。
首里城が焼失した占星術的な理由
これは台風19号で日本の国土がひどくダメージを受けたことと全く同じロジックで説明出来る。
(『台風19号の被害と日本のマンデン図』)
(『台風19号の被害と日本のマンデン図 その2』)
日本のマンデン図の4室で減衰し、土星、逆行の火星からアスペクトされる水星のマハダシャーである為、このようなことが生じると考えられる。
国家の貴重なインフラ、建造物が被害を受けることを意味している。
またジャイミニスキームで魚座/魚座の時期で、4室の魚座や魚座から見た4室に土星、火星、ラーフ、ケートゥなどの凶星のアスペクトが集中しているからである。
トランジットを見ると、ラグナから見た12室に1、4室支配の木星やダシャーロードの水星、美しい文化財を象徴する金星、月などがトランジットしている。
4室支配の木星は、水の星座から火の星座に移る境界付近のガンダーンタのポイントを通過中である。
射手座への惑星集中
また射手座が高い所からの転落を意味する星座であり、その射手座に土星がトランジットし、ラーフ/ケートゥ軸が絡んで、火星がアスペクトするタイミングである。
射手座が傷ついているチャートで、ヴィムショッタリダシャーで射手座に絡む惑星のダシャーやチャラダシャーで射手座の星座ダシャーが訪れるような人で、更に土星、火星、ラーフ、ケートゥなどの惑星が影響し、木星と土星のダブルトランジットなども形成しているような場合、その射手座に形成されるカルマが噴出するタイミングである。
非常に価値ある重要文化財が火事で焼失するといった事件も高い所からの転落を表わしていると考えられる。
ノートルダム大聖堂の火災も、基本的にこの同じ惑星群が、射手座に絡んでいることを確認できる。
この時も火星が射手座にアスペクトしていることを確認できる。
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補足)私は、インド占星術の他の先生とは現在は、誰とも関与していません。
石井仁生