白川郷・野沢温泉村・草津町を巡る -山間部に見た水瓶座のコミュニティー-

2023年9月-10月は、色々用事があって、旅行をする機会が多かった。


そうした機会は、自身の出生図のダシャーの検証をする機会でもあり、また各地方の土地柄、住民の性質などを実体験できる貴重なフィールドワークの機会でもある。


9月のことについては、また別の記事で書くとして、まず直近の2023年10月10日から15日にかけて、私は用事があって愛知県に訪れた。


その帰り道で北上して、兼ねてから行きたいと思っていた岐阜県の白川郷に行って来た。


10日に横浜から箱根を経由して、静岡入りして、浜名湖を通過し、愛知県の豊橋市に到着した。


そこで1泊して、11日に用事を済ませ、そこから北上して、名古屋を経由して、ひたすら岐阜の飛騨・高山の奥地に入っていったのであるが、夜間に走っていると、山道に色々な動物が飛び出してくる。


例えば、タヌキとかキツネとか、イタチとか、リスとか、シカ(鹿)とか、様々な動物に遭遇した。





最も驚いたのは、頭に立派な角が生えた牡鹿が、道の真ん中に佇んでいたのに遭遇した時である。


車のハイビームに照らされて、堂々とした鹿の姿が眼前に迫り、あわてて車を止めた。


写真を撮ろうとしたが、スマホを操作している間に鹿はくるりと向きを変えて、道端の茂みの中に姿を消してしまった。





岐阜県は日本の真ん中とされるポイントがあり、そこも通過したのだが、真夜中に走れるだけ走って、それでスマートフォンで、booking.comやagoda.comといった予約サイトを使って、直前に近場の宿に入るといったやり方が好きである。



事前にどこに宿泊するとか、そうしたことを決めてしまうと、行動が束縛されてしまう為、その直前、あるいは宿についてから、予約サイトを経由して予約をするのが、最も好ましい方法である。



そこで、その夜は、岐阜県の山の中の宿泊施設を兼ねた日帰り温泉施設に宿泊した。





10月に入って、暫く経過していた為か、私が出発した頃から急に気温が寒くなって来て、山間地は夜は冷え込むのである。



温泉施設の共有スペースに寝床だけが並べられた簡易宿は、夜中もずっと暖かく、快適だったが、如何せん、隣のスペースとの間隔が狭過ぎるのは問題だった。



設計ミスなのか、隣の寝床との仕切りに隙間が空いており、隣の人の頭が見えてしまって、中々気になって眠れないのであるが、隣の方も同じ思いだったと思われる。



いつの間にか寝てしまっていた。



朝方、また早朝に出発して、白川郷を目指した。







白川郷へ




白川郷については、以前の記事『岐阜県の有名な白川郷について ― 女系の王国・蟹座の世界 ―』の中にも記したが、昔の山間部の生産力の乏しい村落社会において、男性は独立して結婚し家を設けるだけの経済的基盤がなかった為に少数の家に多数の血縁者が共同で生活するようなスタイルが確立したのである。


一つの家に26人ぐらいの血縁者が一緒に暮らしていたという。





女性は基本的に家からは出ずに男性が夜だけ通う婚姻様式(ツマドイ婚)であったという。



子供が生まれると、その家で共同で育てていくのである。





明治維新と近代化が進むにつれて、外部の世界に出ていく人が増えて、村からは人が徐々に減っていき、最終的に全ての村人が、村を捨てて出ていくことになった。


白川郷に今、残っている家は、全て、その建物だけであり、他の人や公的機関に買い取られて、観光名所として、活用されているだけである。


実際、行ってみて分かったことだが、あの白川郷の世界遺産にもなっている合掌造りの茅葺き屋根の巨大な家々は、内装をリフォームして民宿などの旅館に改造されているか、あるいは、お茶や軽食などの飲食店に改装されていたり、みやげ物屋として運営されているか、あるいは、入場料を聴取して、当時の生活を知るための博物館的に活用されているかのいずれかであった。















つまり、夜にライトアップされたあの夜景に登場する家々は、全て、民宿か、博物館か、飲食店か土産物屋のいずれかであり、洗練された観光地と化していたのであった。






そこに中国や韓国やタイなどのアジア系の外国人、そして欧州やアメリカの観光客が、大勢訪れていた。






当たり前のことだが、行ってみて、だいぶイメージと違ったのである。







しかし、合掌造りの巨大な家屋に入り、実際に火を起こして囲炉裏を囲んで暖を取れるようになっており、また2階や3階に上がって、中の様子を見ることも出来る。






当時の大家族が、囲炉裏を囲んで暖を取っていた姿が、目に浮かんでくる。



当時の人は、2階や3階で、蚕(カイコ)を飼育して、綿を生産していたのである。







昔の人々が使っていた家具類は、非常に頑丈で贅沢な木材で出来ており、今、これを作ったり、購入する場合は、大変な金額がかかるだろうことは明らかである。



今の100円ショップなどで売っているような石油を加工して作った安っぽい品物とは比べ物にならないくらい立派なものが多い。



家屋の入り口付近には、巨大な丸い桶のようなものがあって、見た瞬間、これで何か米を発酵させて酒でも作るのかと思ったが、実はそうではなくて、そこは便所であった。






つまり、汲み取り式の便所であり、大家族が、家に閉じこもって生活していなければならない為、巨大な桶のようなぼっとん便所が必要なのである。



地方の中古の不動産物件などを見ると、島物件や山間部の物件など僻地にある物件は、今でも下水がなく、汲み取り式の家が多いのは、私も最近、知ったことである。



こうした白川郷の村落社会からは、水瓶座のイメージが感じ取れる。



女系社会とか家の象意は、蟹座なのだが、しかし、家の中には、何世帯もの家族が一緒に暮らして、経済的に協力していく、小さな共同体を形成していたのである。



こうした共同体は、水瓶座を体現している。



こうした白川郷のような家は、血縁はそれ程、重視されず、比較的血の繋がりの薄い親族も広く包括的に受け入れるような寛容な社会であり、平等で、民主的な社会であったようである。



これは完全に水瓶座の世界である。




自然が厳しい山間部の村落社会である為、共同体を作って協力して生活しなければ生きていけなかったのである。



この白川郷は、昔の僻地の村落社会の典型的なステレオタイプである。



「風の谷のナウシカ」などで、宮崎駿が描いた世界も、こうした山間部の村落社会をモデルにしているように思える。



何世帯もの家族が一緒に共同で、村落社会を構成し、一緒に経済活動を共にしていて、大叔母様のような知恵のある年寄りを囲んで、指示を仰ぐといった光景は、こうした社会がモデルだと思える。











この白川郷で1日を費やして、色々な家屋を見て回ったが、真面目に資料も読み込んで、色々勉強になった。



白川郷が近代化の過程で、住民が徐々に減っていって、最後の住民も、医療が受けられないとか色々な不便を抱えていて、最終的に村の外に出ていく決断をするといった過程についても、当時の新聞やニュース記事の切り抜きなどから説明されていたが、そうした流れの中で、この村の家屋が文化財として、貴重に考えている識者の働きかけなどがあって、その保存を行ったことで、今、こうした家屋群を見ることが出来るのである。



つまり、人々が生きて生活している村落としてではなく、遺跡として残っているのが、白川郷であった。





能登半島を一周


白川郷を十分に見たので、その後で目指したのは、石川県能登半島の先端である。



以前から能登半島を一周したいと思っていたが、できないでいた。



今回は、金沢の方から能登半島に入って、先端まで行った上で、富山の方に抜けていくというプランであった。



時間もなかったので夜通し走り続けて、先端に近い道の駅で、車中泊したが、能登半島の先端は何もない場所であった。










ひたすら海岸線を走って、ドライブをするには、気持ちの良い所である。



戻り道で、能登島のある七尾市の和倉温泉の辺りに辿り着いたが、能登半島で、一番、いい観光地かもしれない。








ここで和倉温泉の日帰り温泉に入って、一休みしたが、近くに日本一のサービスを誇る加賀屋のホテルがそびえ立っている。



あたかも天まで届けと言わんばかりにヨーロッパのキリスト教の大聖堂のようにそびえ立っているのである。







前から考えて来たが、この石川県は、日本でも有数な保守的な地域であり、そうしたシェアハウスやシェアスペースのような共同体的なコンセプトは全く花開かない地域なのである。



その代わりに加賀屋のようなその昔ながらのサービスで、頑固に競争を勝ち抜いてきたような老舗の旅館がそびえ立っているような地域である。



完全に競争的な魚座の地域であり、また蟹座(個人主義、市場原理)の地域であるように思えた。



この能登半島でも宿泊しようとしたのであるが、ゲストハウスのようなトイレやバスルーム、キッチン、居間などが共用で、寝るスペースとして、相部屋のドミトリースペースだけが与えられているような格安の宿泊施設は全く存在しなかった。




私は旅行先ではよく、こうした格安の宿を利用するが、こうした形態は最近、増えており、水瓶座の共同体的なコンセプトの下で設計されている。



皆がくつろぐことの出来るラウンジのようなスペースがあり、バーのようになっているお洒落なタイプもあるが、寝る場所は狭いカプセルホテルのようなスペースしかないようなそうしたドミトリー型の宿泊施設である。


こうしたコンセプトの宿で、良さそうな所が、金沢では見つからず、その為、宿泊せずに車中泊した。



岐阜県の山間部と比較すると、石川県の能登半島、和倉温泉の辺りは、全く文化が違っていたのである。



こうした違いを見つけることは、非常に興味深い体験である。





野沢温泉村へ


能登半島を富山県の方に抜けてゆくと、今度は、糸魚川を通過して、新潟まで行って、佐渡ヶ島に渡って、一周してみるというプランを考えていたが、時間的に足りない感じがして来た。



全ての旅程を7日ぐらいに収めるプランを考えていた為、新潟や佐渡ヶ島まで行くと、日数が若干、オーバーしてしまう。



その為、新潟まで行くのは諦めて、少し南下して、群馬県と長野県の境界付近にある野沢温泉(野沢温泉村)に向った。



野沢温泉には20時付近に付いたが、やはり、そこも温泉街なだけに格安で泊まれる場所はなかった為、1時間ぐらい走って長野駅前まで行かないとバックパッカー用の安宿はなかった。



そこで、一度、長野駅前まで行って、宿泊して、もう一度、野沢温泉村に戻ることにした。



野沢温泉村は、山の傾斜地に存在する小さな街だが、狭い区域に住宅が密集しており、温泉街も道は狭く、車で移動するには不便だった。



どこか離れた場所に車を駐車して、歩いて、温泉を巡らなければならない。







22時頃までに村が運営している共同温泉浴場のような所に入ったが、野沢温泉は熱い湯が特徴である。



最初に湯に入ろうとすると火傷でもするかのように感じるほど熱いのである。



水で薄めた湯を桶を使って、体にかけながら、徐々に熱さに慣れてゆくことで、やっと入れるようになる。




村人が管理する13の無料の温泉施設


ここは、村人たちが村の各地域ごとに温泉仲間というグループを使って、村全体に13カ所もの温泉施設を共同で運営しているのである。








その温泉施設は村人も外部の旅行客も無料で入ることができる。



そうした13の温泉施設は、村人たちが交代で管理して、自分の番が回ってきた時は、電気代や水道代などを負担するなどして運営している。



入り口付近に募金箱のようなものが設置してあるが、基本的に無料で外部にも開放している。







従って、13ケ所の温泉施設を村人たちが運営していて、宿泊施設自体には温泉は付いていないのであり、皆、村人が共同で運営する同じ温泉に入るのである。



通常、大分県の別府などでは高級な温泉旅館など、宿泊しなければ利用できない温泉施設なども多く、富裕な客向けのサービスというものも充実しており、差別化が図られている。



金がない人は、日帰り温泉で我慢しなければならない。



野沢温泉村では、いかなる富裕な人であっても、貧乏人であろうと、村人であろうと、外部の旅行客であろうと、同じ温泉施設に入るのである。



そうした意味で、非常に平等な社会であり、また外部に無料で解放しているという気前の良さも、開かれた水瓶座の美徳を表わしているように思われた。



野沢温泉村は、長野県の辺境にあるのだが、長野県自体が、そうした水瓶座的な美徳を体現する地域なのかもしれない。









というのは、長野駅前に外国人にも人気で、皆がくつろげるバーのようなラウンジを設けた非常にお洒落なドミトリー型の宿泊施設があり、私もそこを利用して、水瓶座のコンセプトを体験したからである。



長野県にスピリチャル系の団体、新興宗教などが、拠点を設けたりするのも分かる気がした。



ピッピーが集まって、瞑想したり、共同で生活するのに向いている雰囲気があるのである。(ヒッピー文化とはアメリカにおける水瓶座の表現である)



実際、野沢温泉村を歩いている時にチベット密教の修行僧のような恰好をした人々に遭遇したので、何らかの修行のようなことをしているのかもしれない。




ここで分かることは岐阜の飛騨・高山付近の山間部の白川郷のような村落共同体や、野沢温泉村のような山間部の村落共同体では、水瓶座的なコンセプトや美徳を発揮した協力的で平等的な共同体が発達するのではないかということである。



一方で、石川県能登半島のような海に近い地域や別府のような海に近い地域は、保守的で、魚座や蟹座が体現するような地域は、基本的に市場原理が支配し、富裕層と貧困層の格差や差別化が発生するのではないかということである。




・水瓶座 =土星=山 = 平等で協力的な共産主義的なコミュニティー

・魚座 =木星=海 = 保守的で市場原理に基づいた競争的で差別化されたコミュニティー



長野県というのは、どこまでも真っ直ぐに続く、一本道というものが多く、周囲を山々が囲み、空気が非常に澄んでいて、即座に心理的に落ち着き、即座に瞑想的な雰囲気に浸ることが出来る。



ドライブしていても、非常に気持ちのよい地域である。



これまで何度か人に連れられて長野には来ていたが、改めて、自分自身で、来てみると、それを強く感じることとなった。



22時頃に深夜まで空いていた飲食店で、食事をしていた所、「道祖神火祭り」を宣伝するポスターが目に付いた。





道祖神火祭りとは?


店員に聞いてみると、野沢温泉村では、毎年1月15日に村人が2組に分かれて、村の厄年の男たちが悪霊(災い、厄)を追い払うことを象徴する火の儀式が行なわれるそうである。



その式典の中では、実際に火の付いた藁で叩き合って、闘うようである。












こうした火を使った儀式を毎年行って、村が上手く運営されていく辺りは、明らかに水瓶座がもたらす儀式的秩序であり、魔術であるとも言える。



米ネバダ州でも、巨大な人形を燃やす「バーニングマン・イベント」があるが、それと似たようなイベントである。





こうした儀式はそれに参加した人々に一定の効果をもたらし、一種のイニシェーションであり、秘密結社などでは必ず行なわれている。



おそらく村人を結束させて協力させる為の重要な儀式的魔術なのである。



こうしたイニシェーションを通して、村の若者たちは、協力して悪の手から村を守ることを象徴的に体験し、一人前の村人としての自覚を養うのである。



水瓶座の時代とは、やはり地球規模で行なわれる人類全体が参加する祭りのようなイベントが重要なものになって来ると思われる。



オリンピックやワールドカップサッカーなど世界的なイベントはある程度、そうした祭典の役割を果たしていると考えられる。





長野駅前で、一泊して、その後、もう一度、野沢温泉村に戻って、1日を使って、村のあちこちにある温泉施設に入ってみた。



村全体が山の傾斜地に出来ているのだが、一番、高所には、スキーをする人の為のエスカレーターが運営されていて、ゲレンデまで行けるようになっており、雪がなくても滑れる夏用のサマーゲレンデが運営されていた。









ここで、スキーを昼間に楽しんだ客が、夜は、この各所に設置してある温泉施設に入るのである。



そして、村人たちも夕方になると、温泉に訪れて、皆、同じ温泉に入っている。



スキーと温泉が楽しめる非常に心なごむ観光地だと感じた。





群馬県・草津町へ


野沢温泉村を後にして次に向かったのが、群馬県の草津温泉である。



野沢温泉から山を越えて、2~3時間ほどで、行くことができ、非常に近場にあることが分かった。



野沢温泉、越後湯沢、草津温泉などは、皆、近場であり、曲がりくねった山間部を車で走ることになるが、2~3時間で移動できる。



その為、どうせ行くなら、一度に全部行ってみるべきである。



草津温泉になると、東京に近いためか、もう山間部の雰囲気はなくなっており、車のナンバーも東京や千葉のナンバーが多くなって来て、週末を利用して訪れている観光客というものが目立っていた。






中心部の湯畑という温泉が湧き出て湯けむりを舞い上げているエリアは、非常に観光客で賑わっていた。



草津温泉は湯質が非常に良いようで、暫く入っていると、皮膚の皮が柔らかくなって溶けだしてくる酸性の湯で、肌がつるつるになってくる。



皮膚の角質が、剥がれ落ちて、全部綺麗にしてくれそうな湯である。



御座之湯、大滝乃湯、西の河原露天風呂など、3つの有名な温泉があるが、皆、スケールが大きく、河川に沿った広大な場所に庭園の池のような温泉が作られていた。











こうしたスケール感は、別府などでも中々味わえない。別府の方がこじんまりしている印象である。



これに対抗できるのは、鹿児島県の豪快な巨大な温泉施設である。



草津温泉は、観光経済新聞社主催のにっぽんの温泉100選で、19年連続で第1位だそうである。






確かにそう言えるような湯質の良さと、開放感があった。



この草津町で、またドミトリー型の簡易宿で宿泊しようとした時にチェックイン時間が22時を過ぎてしまったが、チェックイン時間に間に合ったか、間に合わなかったかということで、深夜チェックイン追加料金を請求された為、最初からそうした説明があったかなかったかということで宿泊施設ともめてしまい、結局、その宿泊先には宿泊しなかった。



この時、ダシャーは、金星/水星/金星/木星から、金星/木星/金星/土星に切り替わり、スークシュマダシャーが木星期から土星期に切り替わるタイミングであった。



土星は現在、月から見て8室の水瓶座をトランジットしている為か、booking.comといったホテル予約プラットフォームと提携の宿泊施設と、揉める形となり、現在も返金請求などをしている最中である。



これは明らかにスークシュマダシャーロードの土星が月から8室を通過する効果が噴出した結果であり、プラットフォーム(水瓶座)が提供する仕組み、システムに支配され、翻弄されたことを意味している。



ということで、予約した施設には宿泊せず、草津温泉街の中心部から離れた駐車場で、夜が冷える中、車中泊をして過ごした。



野沢温泉村も草津温泉もそうだが、宿に泊まってくれないと商売にならない為か、車中泊を禁止している所が多かった。(それでも何人かは強引に車中泊をして過ごしている)



最近、日本でもキャンピングカーや、車中泊仕様の車などが流行って来ているようだが、日本の道路は狭い所が多く、夜間に走っていると、大型のトラックやダンプカーと頻繁にすれ違うのだが、ぶつかりそうで非常に怖いのである。



特に車幅が広いキャンピングカーなどは、アメリカだったら自由自在に走れるが、日本の道路事情では、難しいのではないかと思わざるを得ない。



能登半島の先端の道の駅などで深夜に停車している大型のキャンピングカーを見かけたが、周囲から浮いており、やはり、日本で定着するのは難しい印象であった。



車中泊などが流行ってしまうと、日本のホテルや旅館業は、うれしくないかもしれない。



また車中泊とは、何でも自前で済ましてしまうという、節約型の蟹座的なスタイルであり、その地方の人々にお金を落としたり、人々と触れ合ったりもしない為、あまり社会性がない活動である。



以前、アメリカのノマド事情や『ノマドランド』という映画についてコメントしたが、アメリカのようにリバータリアン(自由至上主義者)が、活発に移動しながら生活しているような社会で、車中泊は流行っている。



安倍元首相が、政治家を引退したら、キャンピングカーで、日本を一周したいと生前にコメントしていたが、リバータリアンの蟹座ラグナならではの発想ではないかと思われた。



豪華なキャンピングカー(移動する家)で移動しながら生活するという自己完結型のスタイルは、蟹座(4室=家)的な願望であり、また4室が強い人の発想である。



草津町は、洗練された温泉観光地であり、もはや野沢温泉村のような水瓶座のコミュニティーといった雰囲気はなかったが、それでも所々に町民や外部の人が入れる共同の温泉施設といったものが見られた。









草津温泉は、にっぽんの温泉100選で19年連続で第1位に選ばれているだけあって、素晴らしい温泉だった。



私も色々な温泉に入ってきたが、もはやこれ以上のものはないということから、温泉を一通り体験してきた中での満足感があった。



草津町で、温泉に入った後は、山梨を経由して、山梨でも2カ所ぐらい地元で有名な温泉に行ってみたが、草津温泉など、No.1の温泉と比べると、見劣りして、あまり感動はなかった。





山間部で見られた水瓶座のコミュニティー


今回の小旅行で、岐阜の飛騨高山の白川郷や、長野の野沢温泉村のような山間部の村落では、村人たちが皆で共同で協力し合って比較的平等に生活している水瓶座的な文化が確認出来たのは大きな収穫であった。



以前、兵庫県の城崎温泉を訪れた際にも温泉街全体が、外部から客を呼ぶためにどの温泉にも入れるチケットなどを共同で販売するといった協力的な営業が行われていて、水瓶座的なコンセプトが感じられたが、野沢温泉村で無料でどの温泉にも入れた体験は、更に水瓶座の美徳を体現している寛容な共同体の文化が感じられた。


そして、長野県全体が、ヒッピーが住むのに適した環境であることに気づいた。



一方で、石川県の能登半島の七尾市の和倉温泉の加賀谷がある海の近くは、非常に保守的で、市場原理、競争原理が活発な地域であると感じた。



例えば、金沢には、江戸の城下町の町並みが残っており、東茶屋街といった遊郭の名残のような場所があるが、非常に保守的である。





水瓶座時代の地政学的解釈


20世紀は、アメリカが世界覇権を取って、各国の港の主要な海上ルート(シーレーン)を発達させたが、海の文明であると言える。



海と言えば、水であり、水と言えば、魚座であるが、その一方で、中国は一帯一路を推進しており、陸路で各国と交易ルートなどを接続し、大陸にルートを張り巡らせようとしている。



今回、山間部で、水瓶座的な文化や生活スタイルが確認出来たが、水瓶座というのは、陸の文化なのである。



20世紀にアメリカが、海上の交易ルートを支配し、シーレーンを築き、海の文化を築いたが、水瓶座は、山間部や陸の文化なのである。



今の所、中国の一帯一路は失敗しているように見えるが、アメリカが没落した後は、この陸路による交易が活発化して、中国、ロシアなど、ユーラシア大陸の国々が活発化してくると予測を立てている地政学者がいるが、地政学には「陸の国」、「海の国」という概念があり、海=魚座、陸=水瓶座と考えると、これは非常に納得できる。



つまり、山や陸は、水瓶座であり、海や島は、魚座である。



日本は、四方を海で囲まれ、完全に海の国であり、また魚座、蠍座、蟹座などの水の星座の影響が強い国である。



従って、水瓶座の時代において、水瓶座の陸の文化の発展に取り残されていくのが日本なのである。



電気自動車やAIの開発などでも一歩遅れており、またライドシェアなどのシェアリングビジネスの発展もタクシー業界など既得権益が阻んでいて、中々、発展しない状況にある。




興味深いことは、海の国であるアメリカや日本は資本主義を採用し、陸の国であるロシアや中国は、共産主義を採用したということである。



共産主義は、水瓶座から出てきた思想である。



今は独裁者の台頭によって中国やロシアもおかしくなっているが、やがて独裁者が退いて、正常化した時、水瓶座の時代は、やはり陸の国である中国やロシアが発展していくのではないかと考えている。



「ブレードランナー」という映画があるが、巨大なビル群が立ち並ぶ未来都市のイメージは、明らかに中国大陸を表わしている。



あれは予言的な映画であり、水瓶座の時代のイメージとは、大陸にそびえ立つ巨大な建造物や集合住宅のイメージである。




この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

コメント

コメント一覧 (3件)

  • 秀吉先生、

    水瓶座と水象正座のコミュニティの違い、興味深かったです。

    アフリカ等には今でも原始共産制の地域が残ってますが、貧富の差の無い平等なコミュニティであるけれども、それ故に現代の資本主義で繁栄を積み重ねてきた世界からすれば、平等だけど、平等に貧しい世界ですよね…

    だけれども、資本主義の競争原理による人々の発展というものも、そろそろ限界に近づいてきて、貧富の格差による弊害の方が逆に問題となってきていますよね。

    物事は進化して収斂するに従って、変化の余地が無くなって来るので、頂点に達すると、パラダイムから見直す必要が有りますね…

    まだ時間はかかると思いますが、資源・エネルギー・食料における生産と分配の問題が解決されたら、未来的な平等に豊かな共産制が生まれるのでしょうね。
    • アフリカに原始共産制の地域が残っているという話は初めて聞きましたが、やはりアフリカ大陸も陸の文化ということになるかもしれません。

      水瓶座というのは固定星座で、一度、形を作ったらそれを頑固に変化しないで維持し続ける星座ですから、持続可能な循環型社会というものを作ったら、それを永続的に回していくと思います。

      水瓶座は電気を表わすため、水の星座(魚座)が象徴する石油なども使わなくなり、ガソリン車から電気自動車に変わり、また様々な問題をテクノロジーで解決していきます。

      エネルギーを効率的に使い、無駄な消費もしないようになり、全てが効率化、合理化されることになります。

      そういう意味で、行政制度が、未だに紙を使って行なわれていたり、既存の業界を守って、ライドシェアなども導入せず、変化を拒んでいる日本は、ほとんど水の国として、世界の変化に遅れています。

      日本の会社には無駄な中間管理職なども多く、頑強に変化を拒んでいます。

      そういう意味で、日本はかなり遅れていると思います。

      水瓶座という概念を理解すれば、どの方向に進んで行けば正解なのかが分かると思います。

      紙のお金や金属の貨幣など、物理的なお金は無くなって、デジタル化されることも予測できたはずで、そういう人であればビットコインが伸びていくこともいち早く予測できたはずです。

      ビジネスでも何でも水瓶座という概念を理解して、実践していく人が、最終的に上手く行くことになります。

      そういう意味で、ラグナが風の星座だったり、風の星座に惑星が集中しているような人は時代の最先端を歩んだり、時代の寵児になれます。

      逆にラグナが水の星座だったり、水の星座に惑星集中している人は、変化を拒み、既存の制度や仕組みについて守りに入りがちになると思います。

      自分がどちらに属しているか、占星術を使って、自己を客観的に分析することは、生活、行為、人生といったものを意識化する上で、重要であると思います。

      魚座の時代、そして、資本主義は、ねずみ講のような所がある為、一部の富裕層が莫大な富を蓄積し、贅沢をして貧富の差が拡大するといった形になりますが、水瓶座は、共産主義をもたらし、水瓶座の時代は、皆が、平等に持続可能な範囲で、衣食住などある程度、満たされるようになり、最終的には全てが無料となり得ます。その代わり、一部の人が贅沢というのは出来なくなります。

      そうした概念は全て占星術によって可能になります。


      今、日本は、海外から高く評価されて、日本ブームなどが起こっており、それに便乗した右翼民族主義者、愛国者が、日本は素晴らしいと自画自賛する動画も散見されます。

      しかし、日本はかなり遅れている保守的な国ではあります。

      電気自動車に直ぐに飛びつかなかったのはトヨタの英断などと言われていますが、それはたまたま歴史の流れに抵抗する逆行現象が起こっているだけで、独裁者が台頭したり、国家社会主義や民族主義が出て来て、水の星座の価値観に留まろうとする保守的な勢力の反発が、活性化している為、上手く行っていないだけです。

      これが終わって、再び、風の星座の価値観を推進する状況になれば、電気自動車、AI、自動化などがどんどん推進されていきます。

      日本はたちまちのうちに遅れた社会になっていくと思います。
  • 秀吉先生、

    カメルーンのバカピグミー族等は、原始共産制から貨幣共産制へどう移行するのか、研究対象になっているようですね…ニ十年程前までは原始共産制のままだったようで。

    日本がキャッシュレスから取り残されている…

    他にも、後進諸国が白熱電球の時代をすっ飛ばしてLEDを使い始めるとか、色々ありますけど、

    聖書に書かれている、後の者が先になり、先の者が後になるだろう…マタイの福音書のようですけど、

    先生が仰るように、一部が先端を行く変化を嫌い、同質化を無言の圧力で強制する日本社会は、安心と安全はあるでしょうけど、世界の体制や技術の進歩からは取り残されていくでしょうね。

コメントする

CAPTCHA