れいわ新選組について -今回の参議院選で分かったリベラル政党の限界-




今回の選挙でれいわ新選組の限界が分かった。


あれだけ山本太郎が奮闘し、全国的に街を行き交う人と対話型の街頭演説を繰り広げて、聴衆も大勢集まって世間の評価も高いはずであるのに参院選で大きな票の獲得に結び付かず、日本全国からマニアックなコアなファンからの票をかき集めて、やっとのことで+1議席を獲得した。


れいわだけでなく、立憲民主党も、社民党も全く±0で、議席を獲得していない。


そして、共産党は、-4議席と議席を減らしている。


リベラル政党が軒並み、伸び悩んだのである。


立憲民主党は、消費税廃止は、国民の為にならないとして、あくまでも維持を主張していたが、選挙前になって突然、食料品だけ消費税0円と言い出した。


しかも原則1年である。


しかし、票を減らすまでにはいかなかったのは、立憲民主党のリベラルな主張を支持する岩盤支持層が一定数いることを示している。


ただ自民、公明を嫌う有権者の票は、全く吸収できていないのである。


このことで分かるのは、リベラルの限界である。


日本は、保守の国である為、リベラル政党は、ある一定の評価しか受けられない。ましてや今の右傾化した世界情勢では尚更である。



山本太郎よりも後発であったにも関わらず、参政党が爆発的に短期で大量議席を獲得したのは、政党が勢力を拡大するには、少しずつ議席を拡大していかなければならないという常識を覆すものであった。それよりもイデオロギー的に大多数の国民にその政党の主張がマッチしているかどうかが重要に思える。


国民主権だからそれが保守的であろうと国民の感覚が重要である。


国民の大多数の感覚として、明確な国家観を持つ参政党や保守的なスタンスで、具体的な経済成長のための政策を打ち出す国民民主党を保守的な日本人はより好んだのである。


れいわ新選組は、山本太郎のマニアックなファンを全国からかき集めているだけで、そうした人たちはやはり多数派ではなく、国民を代表していないのである。


だから、れいわ新選組は、時間をかければ政権を取れる訳ではないことが分かった。


それなりの勢力を維持し、単独過半数を取れない野党の連立政権の中で、山本太郎が総理大臣に指名されたり、大臣に指名されたりする可能性はあるが、れいわ新選組自体が単独過半数を取得して与党になれる政党ではないことが明らかになったのだ。


参政党や国民民主党が票を伸ばし、れいわが票を伸ばせなかったというのは、そういう意味である。


れいわ新選組の消費税廃止という政策は国民が望むものでよかったが、それを野党各党が採用することで、れいわ新選組の存在意義が薄まってしまい、その消費税廃止という政策は好んだが、保守的な国家観を持つ有権者は、参政党に流れてしまった。


あるいは、与党と交渉し、政策を実現する手腕のある国民民主党に流れてしまった。


だから、れいわ新選組の山本太郎は、消費税廃止の訴えにより、減税の必要性を広く訴え国民的議論に各政党を巻き込むという意味で影響力は発揮したが、自らの政党の勢力の拡大には結び付かなかったのだ。そのことが露呈した選挙であった。


れいわ新選組の国家観は、国家はしばしば暴走する油断ならぬ存在であり、いつ国民に向けて刃を向けるか分からないというもので、この国家観は、共産党や社民党、他のリベラル左翼的な政党の基本的なスタンスである。


全ての人民は王の所有物であるような絶対王政の時代の王の権力を制限するという戦いの中で人権や財産権など人間の諸権利が獲得されて来た。封建的な身分制度を維持する王朝や日本においては、天皇制を打倒しようとするのが、左翼イデオロギーであり、国家権力や国家そのものの解体を目指している。


フランス革命でもロシア革命でも世襲の王朝は廃止されて来た。イギリスのように王朝が存続したとしても王室の権力は制限された。


日本においては、GHQが与えた民主主義の憲法によって天皇の権力が制限される形で、天皇制は存続された。言わばアメリカから与えられた憲法によって天皇の権力は制限されたのである。市民革命によってではない。この辺りが複雑である。


言わば日本は自発的な市民による革命を経験していない、個人主義や人権を自らの思考や行動で勝ち取った民族ではない。民主主義が根づかずにイラン・シスラム革命のように容易に封建的権威に復古しやすい国民性である。参政党の憲法草案を見るとそれが感じられる。


れいわ新選組の国家観は、このように制限すべき国家権力という考え方である。


だから、憲法9条もそうだが、国民主権や象徴天皇を明記する日本国憲法を守っていく立場である。もし憲法改正されたら、もう一度、日本国民の理性で、憲法をリベラルなものに修正することは出来そうにない。日本国民には、それだけの能力がないとみなしている。



戦時下での特高の活動なども覚えており、国家権力は、国民に向けて恐ろしい刃を向けてくるため、それは制限しなければならないし、常に政府や権力を不信な目で見ている。


そうした国家観であるため、れいわ新選組が政府与党となって国家の繁栄を望み、国家を諸外国に対して自国を有利に運営しようとしたり、国益を追求したり、国民の繁栄を願うナショナリズムを追求することとは、相容れないのである。


そうしたナショナリズムの追求は民族の歴史や物語、文化や伝統は、民族の英雄や指導者の記憶と結びついており、日本で言えば、日本の文化や伝統は天皇と深く結びついている。


れいわ新選組は天皇の権力は制限するというスタンスで国家や国家権力を否定的に捉えているため、民族の歴史、文化、伝統など国家という価値観を積極的に追求出来ない。



れいわ新選組が見ているのは、個人であり、個人の権利や個人が自分らしく生きるための権利である。



だから根本的にどういう国であるべきかという国家観を示せないし、国民が望む国益も追求できない。



また極論を言えば、個人の権利や自由のためには国家などない方がよいという考えに行きつきやすいと言える。



しかし、国家なき個人が単独で存続することなど出来ず、もし日本という近代国家が存在しなかったら、日本列島に住む日本人は、諸外国に吸収され、奴隷化されていただけである。


だから国家は極めて重要であり、諸外国の軍隊やグローバル資本家から国民を守れるのは、日本の政府や自衛隊だけである。



日本全体がGHQが仕掛けた日本国憲法や占領政策、その後に続く、年次改革要望書や様々な米国からの外圧により、欧米の価値観を受け入れ、リベラル化し、外国の軍隊やグローバル資本家への抵抗力を国家として失い続けたことが日本衰退の理由である。



だから国家観は大事だし、ナショナリズムは大事であり、国民主権の原則を維持しながら、民族の歴史、文化、伝統(天皇も含む)も大事にする立憲君主制が日本には合っている。



れいわ新選組が見ているのは、社会的弱者など個人だけである。



国家は国民に刃を向ける暴力装置であり、絶えず監視し続けなければならない油断のならない存在である。



しかし、国家にはグローバル資本家や外国の軍隊から日本を守るという機能もある。



政府を監視し、グローバル資本家から国家を守るように仕向けなければ、政府は、グローバル資本家に胡麻をすって妥協し、あるいは買収され、国民に向けて刃を向ける。



国家の強さを維持し、国民の権利を充実させることが重要で、やはり、それには保守とリベラルの健全なバランスが必要である。



つまり、人権というものは、憲法や法律によって、国家から守らなければならないし、国家によって保護されなければならないのである。



人権侵害を受けた時にそれを回復してもらえるのは、国家によってである。



国連に裁判を開いてもらい、回復してもらえるわけでもない。



犯罪の被害者になった時に加害者を刑事告訴して、裁いてくれるのは国家であり、国連ではない。



日本という国家は、我々の人権を守る上でも極めて重要であり、民族の歴史、文化、伝統を維持する箱としても極めて重要である。



それを絶対に失ってはならない為に日本の保守が立ち上がったと言ってもいいかもしれない。




ユダヤ人など、国を失った民族が、いかに自分たちの国家を建国しようとする運動(シオニズム)で、苦労し、奮闘したかを見ると、母国のある幸せを痛感できる。



単一民族で、諸外国のように他民族国家で、国境線の問題や民族問題など複雑に抱えていない日本は、極めて幸せな民族であり、決して、日本を失ってはならないのだ。




れいわ新選組は、正式には2019年4月1日に「れいわ」の同音平仮名を用いて結党されている。

しかし、実際に党としての活動開始を宣言し、創立をアナウンスしたのは、2019年4月10日午後6時(18:00)頃、東京の記者会見の場で山本太郎参議院議員によって行われたと記憶されている。



従って、「2019年4月1日 時間不明 東京」のチャートと、「2019年4月10日18:00 東京」の2つのチャートが重要である。



今回は、4月1日の方は、10:00に設定してみた。










どちらのチャートを見ても水瓶座に水星と金星が在住し、土星が水瓶座にアスペクトバックしていることが分かる。



水瓶座への吉星の在住は、人権を重視して、平等を主張し、人々が自分らしく生きる権利(LGBTQ)などを言論で、ソフトに主張していくことになる。



博愛的で、人を国籍、人種、性別、年齢などで差別しない。



そのような理念、価値観が政策に反映されてくるはずである。



そして、今現在、れいわ新選組は、人権の中でも人が健康で文化的に生きる権利を推進している。


つまり、生活に困る国民の為に日本経済を成長させる為、減税して、経済を活性化させるという形での人権や平等を目指している。



水瓶座は、共産主義が出て来た星座である為、経団連を批判し、消費税を廃止した分の財源は、儲かっている企業への増税で確保することを主張する。



もし水瓶座に土星や火星、ラーフなど凶星が在住する場合は、ロシア革命とか、暴力的な共産主義革命運動などを意味して、非常に天王星の打倒とか、国体の破壊などを主張する要素が出て来る為、不穏な雰囲気になって来る。



しかし、水瓶座に吉星が在住している分には、社会民主主義のように議会の中で、言論と民主主義的な選挙によって、国政を改革しようとする。







山本太郎自身も水瓶座に木星が在住しているが、リベラルな理念を持ち、自由、平等、博愛、人権といった価値を尊重する人々は、皆、水瓶座が強調されている。



しかし、今の日本では、そうしたリベラルな主張よりも、愛国民族主義といった保守的なスタンスで、国を救おうとする保守革命の流れが起こっている。



将来的には、春分点が水瓶座に移動していく為、れいわ新選組の主張や政策は、極めて正統なものであるという評価になっていくと思うが、今の右傾化した世界の中では、躍進は厳しいかもしれない。



また上述したように日本は保守の国である為、リベラルな理念はある程度までしか浸透しない。



その為、消費税廃止という、山本太郎が一貫して訴えて来た主張は、参政党や国民民主党に模倣され、取り入れられたのである。



れいわ新選組は、議席を拡大出来なかったかもしれないが、日本の政治に多大な影響を与えていると言える。








れいわ新選組の「2019年4月10日18:00 東京」のチャートでは、6室に水星と金星が在住し、6室支配の土星がアスペクトバックしている。



これは戦闘的に国民の為に資本家を批判し、減税などを訴えていくことを意味している。



れいわ新選組山本太郎の活動などを考えると、どちらかと言えば、「2019年4月10日18:00 東京」のチャートの方が機能しているかもしれない。




このチャートによれば、2025年2月14日からマハダシャーラーフ期に移行しているが、ラーフのディスポジターである水星は、1、10室支配で、2、9室支配の金星と6室水瓶座でコンジャンクトして、1-2、1-9、9-10のラージャヨーガ、ダナヨーガを形成している。




これまでは火星期で、火星は、3、8室支配で、11室支配の月とコンジャンクトして、11室を傷つけていた為、世間の評価は低く、メディアなどからも相手にされない傾向があったが、参政党や日本保守党や、その他の政党が次々に誕生する中で、リベラルな政治理念を持つ真っ当な政党としての評価が与えられてきたように感じられる。



参政党のおかげで、れいわ新選組への扱いが変わって来たのである。



ラーフは月から見ると、2室に在住し、ディスポジターの水星は、2、5室支配で、ラグナロードの金星と10室水瓶座でコンジャンクトして、1-2、1-5のラージャヨーガ、ダナヨーガを形成している。



従って、世界の右傾化の中では、中々選挙戦も厳しいが、れいわファンに支えられて、これからもぶれずにリベラルな政策を主張していくものと思われる。




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