占い師・細木数子 ―昭和、平成の怪物―



細木数子が8日、東京都内の自宅で死去したとニュースが伝えている。



細木数子さん死去 占術家、83歳
2021年11月10日17時58分 JIJI.com

 バラエティー番組などで活躍した占術家の細木数子(ほそき・かずこ)さんが8日、呼吸不全のため東京都内の自宅で死去した。83歳だった。東京都出身。公式サイトなどで10日発表された。葬儀は近親者で行う。喪主は娘で占術家のかおりさん。14日午後6時から東京都港区南青山2の26の38の梅窓院でお別れの会を開く。

 1980年代に、独自に編み出した占い「六星占術」に関する本がベストセラーとなり、ブームに。2000年代には人気占師として多数のテレビ番組に出演。「地獄に落ちるわよ」などの過激な発言で注目を集め、「視聴率の女王」と呼ばれた。

 その後、「本業に専念したい」としてレギュラー番組を降板。近年はテレビ出演を控えていた。


ワイドショーなどで、細木数子の人生を振り返る特集が組まれて、メディアは芸能界の大物の死として扱い、番組で共演した芸能人たちが、口々に細木数子への感謝や追悼の言葉を述べ、完全に美談として扱われている。


私はワイドショーなどで、その様子を少し見たが、誰も細木数子のことを悪く言わないことに衝撃を受けた。


京都の別荘の近隣に住む住民も全く細木数子のことを悪く言わず、京都の関係した住職たちも全く悪く言わない。


誰一人として、細木数子のことを悪く言わないのである。


細木数子は朝青龍のタニマチ的存在であったことは有名で、2ショットの姿も写真に収められている。


モンゴルでの巡業に招かれて、細木数子が訪れたこともあったようである。


朝青龍は、「私の日本の母親」、「隔離終にお手合わせに行きます」と追悼の言葉を述べている。


芸能界では、細木数子のことを悪く言える人間はいないようである。


視聴率女王として、テレビ局や番組制作会社、共演した芸能人たちに仕事を与え、多くの人間を経済的に潤わせた。





京都では、地元の有力者にお中元でお酒を送るなど、気配りも欠かさず行なう。


気前よく、振る舞い、周囲のお金の面倒を見て来た細木数子のことを悪く言える人間はいないようである。



一方で、そうした細木数子の訃報を伝えるコメント欄には、細木数子の死が美談となっていることに疑問符をつける多くのコメントが見られる。


例えば、20億円の借金を背負った島倉千代子の後見人となって、その借金を解決し、その後は、島倉千代子の興行の権利、レコードの販売権、所有していた赤坂のマンションを手に入れ、島倉千代子から何億円も搾取した。


島倉千代子が、「あの人だけは許せない」と言ったとかいう話は有名である。


島倉千代子と細木数子の関係は、あたかも女郎に売られた花魁が、遊郭の女主人から奴隷のように働かせられ、吸い尽くされたイメージである。


他に半分、認知症になりかかっていた陽明学者の安岡正篤と知り合い、安岡の親族が反対するなか、安岡と交わした結婚誓約書をもとに単独で婚姻届を提出するなどのトラブルも起こしている。


また細木数子は、依頼人に対して、先祖供養のためと称して、1000万円を越える墓を勧め、墓の鑑定料として10万円を受取るなどしていたが、購入した依頼者は巨額の借金を背負うことになる。


京都の墓石販売業「久保田家石材商店」の関連会社社長が「細木先生を通じてウチにきはるお客さんで、年間十億の売上がありますのや」と発言したとかいう話も週刊現代の溝口氏の記事で紹介されている。


細木数子の著作には、「久保田家石材商店」の連絡先が書いてあり、細木数子と「久保田家石材商店」に対して、墓石を購入した依頼人から訴訟を起こされている。


他にも赤坂にディスコを開業して、1日に何百人も訪れて、実業家としても大成功した。



「一日に何百人も来てね、売り上げの札束なんて、ゴミを入れる大きなポリタンク3つに、足でギュウギュウ押し込んでたね」(『週刊ポスト』’05年5月13日号)


ジャーナリスト溝口敦氏の週刊現代の連載記事『魔女の履歴書』の細木数子の経歴を見ると、1971年頃、店の客だった男に10億円をだまし取られ、暴力団からカネを取り立てられる生活を送った過去などもあったようである。



「青山の2LDKのアパートで、手首にかみそりを当てた。(中略)人の運命とかそういう本ばかり読んでいた。その中に陽明学者・安岡正篤という人の『易と人生哲学』『運命と立命』という本もあった」(『宝石』’93年4月号)


そのように細木数子の人生というものは、平均的な人間の常識的平凡な人生とは言い難く、ヤクザから借金の取り立てを受けるかと思えば、今度は、ヤクザと組んで、島倉千代子を使って、荒稼ぎするなど、海千山千の修羅場を潜り抜けて来た昭和の女傑である。




細木数子のラグナ


以前、旧サイトで、細木数子の人生の時系列を収集し、チャートを検討したが、その時は、出生時刻を修正して、ラグナを特定するという発想まではなかった。



然し、今回、過去の時系列を種々検討した結果、おそらく細木数子のラグナは、蟹座ラグナではないかと思われる。











最初の結婚


1963年に店に来ていた客(静岡の眼鏡店の後継ぎ息子)からプロポーズを受け、結婚している。(但し、3ヶ月で婚家を飛び出し、離婚)



この時のトランジットを見ると、ラーフ/ケートゥ軸が蟹座/山羊座軸を通過し、土星が山羊座をトランジットしている。







蟹座ラグナであれば、土星が7室を通過し、木星が7室の支配星の上を通過している為、7室にダブルトランジットが生じている。



この時、ダシャーはラーフ/土星期であり、ラーフは月から見た7室に在住し、土星は7室の支配星である。



マハダシャーロードのラーフが、ラグナを通過し、アンタルダシャーロードの土星が7室を通過し、結婚のタイミングであることを示している。



然し、この結婚は嫁入りした先で火事が起こったり、姑との関係が上手く行かず、3ヶ月で家を飛び出し、その後、1966年に協議離婚する結果となっている。







この離婚した年は、4月~8月にかけて土星は魚座から射手座6室にアスペクトし、木星は双子座から射手座6室にアスペクトして、6室にダブルトランジットが形成されていた。



そして、ラーフ/ケートゥ軸も7月19日から月から見た6-12室の軸に移動し、ラーフ/ケートゥ軸が出生の金星に絡んで傷付けている。



蟹座ラグナであれば、木星は12室をトランジットし、土星も7月12日から逆行して、12室の支配星にアスペクトし、12室にもダブルトランジットしている。



つまり、1966年7月に6室と12室にダブルトランジットして、木星は12室を通過し、ラーフ/ケートゥ軸は月から見て6-12室の軸をトランジットしていた。



こうしたトランジットは、離婚のタイミングを表わしている。



ダシャーを見ると、ラーフ/水星期であり、ラーフ/ケートゥ軸は、ラグナロードの月を傷つけ、ラーフは月から見た7室に在住して、7室を傷つけている。



アンタルダシャーの水星は、12室の支配星で、12室の支配星は、7室(配偶者のラグナ)から見た6室(離婚)の支配星である。





ナヴァムシャのラグナは山羊座


因みにこの段階で、ナヴァムシャのラグナについての検討もついた。



それは、まず細木数子の性格から考えると、ラグナは蟹座のアーシュレーシャに在住しているのではないかと考えられる。









アーシュレーシャは、妖艶で、マニアックで専門性を追及していくナクシャトラであり、若干、モラルに欠けている。



もっと言えば、世間の常識や道徳観念に囚われず、常識を容易に踏み越えていく性格である。




因みにブリハット・サンヒター(占術大集成)によれば、アーシュレーシャは以下のような象意を持っている。




『7 アーシュレーシャー宿には、商品、根茎、根、果実、虫、蛇、毒、他人の財を盗むもの、籾のある穀物、すべての薬草が、』



ここで、「他人の財を盗むもの」というキーワードが出て来るが、20億の借金に苦しんでいた島倉千代子の弱みを握り、興行権やレコードの販売権などを買い取り、島倉千代子を奴隷のように支配して、何億という金を搾取したことや、酒を飲んで泥酔していたか、認知症によるものかは分からないが、判断能力を失っていた陽明学者の安岡正篤から取得した結婚誓約書をもとに単独で婚姻届を提出して強引に結婚し、結婚に反対する安岡の遺族と訴訟になる辺りもそうである。安岡の死後、遺族の反対を押し切って安岡の墓を勝手に建立している。


こうしたことは、通常、プシュヤやプナルヴァスは出来ない。



プシュヤは、「思慮深く、安定したハートを持ち、欲望が適度に制御され徳があり・・・」といった性格であり、プナルヴァスも温和で野心がなく呑気な性格である為、細木数子の性格やパーソナリティーと明らかに合致していない。




アーシュレーシャの場合、ナヴァムシャのラグナは、射手座から魚座に絞られるが、水星期に離婚するとラーフ/水星期に離婚すると考えられるのは、山羊座ラグナで、ラーフが8室に在住し、水星が6室の支配星の場合である。



ラーフがナヴァムシャの8室に在住している為、結婚願望があり、結婚したが、パートナーの姑と上手く行かず、何故か、パートナーの実家が火事になったりして、トラブルが相次いで、パートナーの実家にいられなくなって、飛び出したのである。



これがラーフが8室に在住している意味である。







ナヴァムシャが山羊座ラグナの場合、木星と火星が10室に在住し、10室の木星は成功した占い師の配置であり、カウンセラー、コンサルタントの配置である。



特に細木数子の場合、依頼者に上から指示を与えていく、鑑定スタイルであるが、おそらく、それは火星が木星にコンジャンクトしている配置から来ている。




ラグナロードの土星が11室に在住する配置は、人脈が広く成功する配置であり、それは初期の頃、銀座のママなど水商売の世界でキャリアを築いたことを考えると、蠍座の11室ということで納得できる。



そして、そのラグナロードで2室支配の土星に5、10室支配のヨーガカラカの金星がアスペクトして、5-11室の軸で、1-5、1-10、2-5のラージャヨーガ、ダナヨーガを形成している。



これが銀座でクラブを開店したり、ディスコを経営したり、芸能事務所を起ち上げたりして、細木数子に富をもたらした配置である。



因みに細木数子は、1955年の火星/ケートゥ⇒金星期に丸の内に喫茶店『ポニー』を開業し、それを売却して、1957年の火星/月期に銀座に『クラブ潤』を開業している。









このようにマハダシャー火星期に物件を借りるなどして店を開店したのは、ナヴァムシャで火星が4室の支配星で4室にアスペクトバックしているからである。



また出生図でも火星は、5、10室支配のヨーガカラカで10室に在住し、4室(不動産、店舗)支配の金星とコンジャンクトして、4室(不動産、店舗)にアスペクトしている。



その後、ラーフ期に移行すると、『クラブ潤』を売却して、クラブ『メルバ』の雇われマダムになっている。




然し、1958年には、銀座8丁目にクラブ『かずさ』を開業し、1959年には、銀座でクラブを複数経営している。



このように短期間のうちに開店した店を直ぐに売却して、より大きなお金に換えていくセンスは、蟹座ラグナのものではないかと思われる。



最初の喫茶店は、テレビ局の重役に売却しているが、銀座の夜の世界で、店に来る富裕な客に現状の店舗の価値よりもはるかに高額な金額で、売り抜けて、自分は再びその得た資金で、新しい店を起ち上げることを繰り返す手法ではないかと思われる。



細木数子は、1975年にディスコ『マンハッタン』を東京・赤坂に開業している。



この時は、ラーフ/火星期である。このディスコを開業した時、やはりその開業の為の不動産を借りるか取得しなければならず、この時期がナヴァムシャの4室支配で4室アスペクトバックするアンタル火星期であったということで納得できる。



そして、占い師として成功した後、1988年6月に京都に30億かけた豪邸を新築している。


この時は、木星/火星期である。









再び、アンタルダシャーが火星期であるが、宗教家の4室に火星が絡んでいる場合、寺院を建立したりするが、まさに細木数子の京都の別荘は、そのような豪邸である。



2016年2月には、東京・神楽坂の一等地に3億5千万円の豪邸を建設している。



この時は水星/金星期であるが、金星は、出生図で4室の支配星で、火星とコンジャクトし、ナヴァムシャでは4室支配の火星からアスペクトされており、また月から見た4室の支配星で、4室でマラヴィアヨーガを形成している。



細木数子は、2014年秋頃から自身が主催する勉強会で、後世に残るような寺院を建立する計画を口にするようになったようである。


そして、その寺院は、2017年12月17日読売テレビの放送で、完成したことが明らかになっている。



2014年は、神楽坂に豪邸を建設したのと同じ水星/金星期である。



従って、細木数子は、アンタルダシャーが火星期や金星期に物件を取得したり、自宅を建設したり、寺院を建立するなどしていることが分かる。



こうしたことから、ナヴァムシャのラグナは山羊座である。




2度目の結婚


1983年3月に陽明学者で歴代首相の相談役でもあった安岡正篤と知り合い、9月に安岡正篤が腹痛を訴えて、細木宅で倒れた。


安岡正篤と結婚の約束を取り交わした細木数子は、親族が反対する中、結婚誓約書をもとに強引に単独で婚姻届を東京文京区役所に提出し、強引に結婚している。


それに対して、安岡家は、東京家庭裁判所に安岡と細木の婚姻を無効とする調停を申し立てている。


この時、安岡正篤には認知症の症状が出ており、正常な判断力で結婚したかどうか分からない、そうした、いわくつきの結婚である。







この1983年は、1月~7月にかけて、木星は蠍座、土星は天秤座から蟹座にアスペクトして、ラグナ(7室からの7室)にダブルトランジットしている。



2月13日からは、土星が天秤座で逆行し始める為、木星と土星が7室の支配星にアスペクトして、7室にもダブルトランジットが生じている。



従って、結婚のタイミングである。



1984年6月に安岡正篤の遺族から婚姻が無効であることを確認する訴訟を起こされているが、細木数子は、8月に青松寺(東京・港区)に安岡の墓を3000万円かけて建立している。



その後、安岡正篤の遺族と和解した後は、1986年に天龍寺本山の別院(京都・嵯峨野小倉山弘源寺墓苑)に安岡の墓(宝篋印塔)を建立している。



この陽明学者の安岡正篤との出会いがあった1983年3月は、ちょうど木星/ケートゥ期で、蟹座ラグナであれば木星は9室の支配星で、師匠との出会いを表わしている。







木星は6、9室の支配星だが、7、8室支配の土星と星座交換しており、師匠との出会いが、同時にパートナーとの出会いでもある配置である。



8室と9室の星座交換は、師匠と寝食を共にするぐらいの濃密な関わりや指導を表わし、6-8の絡みもある為、何らかの意見の不一致も考えられる。



また8室は、安岡正篤の遺族を表わしているが、その8室の支配星と6室の支配星が星座交換している為、それで、安岡正篤の遺族とも争いが生じたのである。




チャンドララグナから見ても9、10室支配の土星が、8、11室支配の木星と10-11の星座交換をしており、8-9の絡みが見られ、やはり師匠との濃密な関わりが見られる。



このように木星が9室の支配星で、7室の支配星と星座交する蟹座ラグナに設定することによって、木星期に師匠でパートナーともなる相手と出会ったことを説明することが出来る。




アンタルダシャーのケートゥは、ラグナロードの月とコンジャンクトしているが、ディスポジターの金星は、月ラグナから見たラグナロードで、7室支配の火星と12室でコンジャンクトしている。


ナヴァムシャでは木星は10室に在住しているが、月から見た2室の支配星で、ケートゥはラグナから2室に在住し、7室支配の月とコンジャンクトしている。



ケートゥ期に安岡正篤と出会ったというのは、納得できる配置である。


ケートゥのディスポジターが月ラグナから見たラグナロードの金星で、7室支配の火星と12室で、コンジャンクトする配置は、プライベートでひっそりと交際する遠距離の恋愛のように見える。


そして、ナヴァムシャで2室に在住し、7室支配の月とコンジャンクトする配置は、パートナーを囲い込む配置である。


実際、安岡正篤は、細木数子の自宅で、倒れたのであり、ケートゥは2室で7室支配の月とコンジャンクトする配置は、この象意に合致している。







そして、婚姻届を提出して受理されたのは、1983年10月25日で、木星/金星/金星期である。


このタイミングで、結婚したことはナヴァムシャでは説明しにくいが、木星は月からみた2室の支配星で、金星は配偶者の表示体である。



そして、1984年8月の木星/金星/ラーフ期に安岡正篤の墓を3000万円で建立している。



因みにアンタル金星期は、細木数子が不動産を建設する時期であり、神楽坂の豪邸や京都の寺院を建設した時もアンタルダシャーは金星期であった。


安岡正篤の墓の建立もそれと同列に論じられるかもしれない。



安岡正篤の権威を記念碑として、自分の拠点に取り込み財産とする感覚かもしれない。







ラーフ期から木星期の転換期に生じたニーチャバンガラージャヨーガ



細木数子の人生を時系列で見て行くと、マハダシャー木星期に移行する直前の1971年、ラーフ/金星期に店の客に10億円を騙し取られ、暴力団からカネを取りたてられる生活を送っている。



そうした経験で、運命学の本を読み漁るようになり、ラーフ/金星、太陽、月期を通して、運命学を勉強して、『六星占術』を生み出している。



そして、1981年の木星/水星期には、『六星占術による運命の読み方』がベストセラーになっている。



つまり、ラーフ期から木星期への移行期を通じて、細木数子は、運命学と出会い、占い師になっている。









ここで、5室で減衰するラーフ期に10億円を騙し取られて暴力団にカネを取り立てられるという酷い逆境を経験しているが、そのことを通して、運命学に興味を持ち、占い師になって成功したため、災い転じて福と為すニーチャバンガラージャヨーガの発現ではないかと思われた。



5室で減衰するラーフは、ディスポジターが、ラグナから見たケンドラに在住しており、ラーフが高揚する星座の支配星である金星もラグナから見てケンドラに在住している。



そして、減衰するラーフ自身は、高揚する月からアスペクトされており、またラーフのディスポジターである火星が減衰するラーフにアスペクトしており、ニーチャバンガラージャヨーガの条件を4つ満たしている。



減衰するラーフのディスポジターである火星がケンドラの10室でルチャカヨーガを形成していることなどもポイントかもしれない。



おそらく5室で減衰するラーフから見ると、借金の6室に火星、水星、金星が惑星集中している配置が借金の取り立てなど、困難をもたらした配置である。



マハダシャーが生来的凶星のラーフ期である場合、アンタルダシャーが4、11室支配の機能的凶星の金星で、その金星がラーフと絡んでおらず、ラーフから見て、7、12室支配で借金の6室に在住している配置が、客から10億円を騙し取られた配置である。



ナヴァムシャで、ラーフは8室に在住して、土星のアスペクトを受けているが、金星は5、10室支配のヨーガカラカである。



然し、ラーフと絡んでいない為に8室に在住するマハダシャーのラーフの悪い象意が噴き出したと考えられる。



ラーフのディスポジターである8室支配の太陽は、ラグナに在住し、4、11室支配の火星からのアスペクトを受けている。



この火星に傷つけられたラグナに在住する8室支配の太陽は、債権者と考えてもいいかもしれない。



ラーフ/金星⇒太陽⇒月⇒火星と推移していくが、この中で、アンタルダシャーの金星、月、火星は、ニーチャバンガラージャを構成する条件の一部である。



そして、1974年12月のラーフ/月期には、細木数子のビジネスを管理する「中央三光商事」を設立し、取締役に就任している。



既にこの時点で、六星占術でブレイクする下地を作っていることが分かる。



そして、1975年のラーフ/火星期にディスコ『マンハッタン』(東京・赤坂)を開業し、これがヒットして大きな収益を上げている。



この躍進などで、借金の返済などが進んでいったと思われる。



そして、このラーフ/火星期に暴力団二率会の幹部である堀尾昌志と知り合っている。



ラーフは蠍座で減衰し、火星は牡羊座から蠍座にアスペクトバックしており、蠍座に絡む減衰したラーフと火星のコンビネーションは、暴力団との付き合いを表わす配置である。






マハダシャー木星期に『六星占術』でブレイクする


そして、木星は9室の支配星で、8室に在住し、運命学の研究を意味しているが、月から見て木星が10室に在住している為、占い師となったことが分かる。







10室に在住する木星は、成功した占星術師という象意を持つが、しかも10室に在住する8、11室支配の木星と9、10室支配のヨーガカラカの土星が、10-11室で星座交換している為、世間から高い評価を受けて、大ブレイクする結果となった。



そして、この頃、暴力団の堀尾と共に20億の借金を抱えていた島倉千代子の貢献人となって借金を整理し、芸能事務所を起ち上げて、島倉千代子の興行権やレコード販売権を管理していく。







島倉千代子のチャートを見ると、月が水瓶座に在住し、特に月から2室に在住する土星や太陽が、魚座でウッタラバードラパダーに在住している。



島倉千代子の月が細木数子の木星の表示体となっており、土星もウッタラバードラパダーに在住して、島倉千代子の2室と強く関連していることを考えると、島倉千代子の売り上げが、細木数子の10-11室の星座交換による成功と結びついていたことが分かる。



島倉千代子の月から2室に惑星集中しており、そこには高揚する金星も在住している為、歌手として、出来高で大きくお金を稼げる配置であるが、これらの惑星のディスポジターである木星は、月から2、11室支配で、12室で減衰しており、莫大なお金を稼いでも、それらを損失する配置になっている。







細木数子は、木星期において、単に『六星占術』でブレイクしたに留まらず、島倉千代子を管理する芸能事務所を起ち上げて、そこから莫大な収益を上げたのである。



そして、島倉千代子から数億円を搾取したと言われている。






土星期に否定的なカルマが噴出する


その後、木星期が終わって、1991年7月からマハダシャー土星期に移行するが、土星/土星期に移行した直後に佐賀県の主婦から勉強会、個人面談を受けるうちに相場の数倍の価格で墓石を買わされたと、細木数子と「久保田家石材商店」を相手取って、損賠賠償請求を起こされている。


また1994年に「千葉新聞社」社長であった弟の久慶氏が、恐喝した容疑で逮捕されたり、1999年には、再び、弟の久慶氏が、マルチ商法で訴えらえている。



2006年には、再び、弟の久慶氏が、詐欺容疑で逮捕され、度々、細木数子は弟から足を引っ張られていることが分かる。





2室(家族)の支配星を傷つける土星


土星は、7、8室支配の機能的凶星で、マラカで、8室の支配星でもあり、2室支配の太陽(両親、家族)とコンジャンクトして傷つけている。



従って、家族のことで問題が生じることを示しており、それが弟の問題であったことが分かる。



因みに2室の家族というのは、自分の両親の家族であり、弟など、兄弟姉妹も含まれる。









2室支配の太陽は、レヴァーティー(水星)に在住しており、その水星は、3、12室の支配星であり、弟(3室)から足を引っ張られる(12室)という象意を保持している。



それで、土星期になって、土星がコンジャンクトする太陽が在住するレヴァーティーの支配星である水星を経由して、3、12室支配の傷ついた弟の象意を顕現させたのである。




このように土星期は、否定的なカルマが噴き出してきた時期ではあるが、月から見て、9、10室支配のヨーガカラカで、10-11の星座交換なども形成し、またナヴァムシャでは、ラグナロードで、2室支配であり、5、10室支配のヨーガカラカの金星と相互アスペクトしている為か、テレビで高視聴率を取って視聴率女王として君臨した。



2004年後半にはブームのピークを迎え、8月『スバリ言うわよ!』(TBS系)や、10月『幸せって何だっけ~カズカズの宝話』(フジテレビ系)などのレギュラー番組が始まり、番組で、タレントに改名を促したり、「地獄に落ちるわよ」などの口癖が話題となった。



この頃は、土星/火星期である。






水星期-引退



2008年3月頃の土星/木星期に「テレビの仕事の充電期間を設けたい」「本業の仕事に専念する」として、細木数子の申し出により、レギュラー番組を降板した。



ちょうどマハダシャー水星期に移行する直前のアンタルダシャーの時期で、水星期の象意として、この頃、事実上の引退をしたことが分かる。



水星は、ラグナから見て12室の支配星で、月から見て12室に在住しており、12室(隠遁、引退)が強調されている。



土星期は、月から見て、土星がヨーガカラカで、木星と星座交換して、10-11の星座交換をしていたことと比べると、大きな違いがある。







土星は、9室支配の木星と星座交換することで、占い師としてのパフォーマンスが発揮できたと考えられる。



水星は、それと比べると、そこまでの強さはなく、12室との絡みが多いため、レギュラー降板後なったことが分かる。



但し、水星は、3室の支配星で、月から見て、5室の支配星でもあるため、時々、テレビには出演していたようである。



またナヴァムシャでは、水星は9室(10室からの12室目)支配で、6室に在住しており、やはり、ラグナロードで11室に在住し、ヨーガカラカの金星と相互アスペクトする土星と比べると見劣りする配置である。




ただここでの疑問は、水星がダシャムシャで1、10室支配で11室に在住する配置である。





養子縁組


細木数子は、自分の後継者として、妹の長女である細木かおりと養子縁組をしている。



5室のラーフは養子縁組の配置である。





サプタムシャを見ると、やはり5室支配の水星にラーフがコンジャンクトしており、養子縁組の配置である。



2016年というと水星/太陽もしくは金星だが、水星はラーフと絡む5室の支配星で、太陽は9室の在住星、金星はラグナロードでラグナに在住している。



従って、このタイミングで、養子縁組で、子供を設けたことが分かる。



このように見て来て、細木数子は、ラグナが蟹座アーシュレーシャ第2パダで、ナヴァムシャのラグナが山羊座、ダシャムシャのラグナが乙女座、サプタムシャのラグナが牡牛座ではないかと思われる。






朝青龍との親交


朝青竜と親交があり、度々、朝青龍とのツーショットの写真がメディアで報じられるが、朝青龍は、月が牡羊座のバラニーにあり、細木数子の5、10室支配で10室でバラニーに在住する火星の表示体になっている。


つまり、あの2ショット写真というのは、あらゆる人に見られ知られる10室の大舞台である。








一方で、朝青龍のラグナロードの金星は、蟹座のアーシュレーシャに在住しており、バラニーもアーシュレーシャに在住している。



つまり、朝青龍にとっては、蟹座のアーシュレーシャに在住する金星とラーフの表示体が、細木数子である。



こちらも10室に在住している為、あらゆる人から見られる公の場で、交流したことが分かる。








これが、細木数子と朝青龍の2ショット写真の意味である。



またそう考えると、朝青龍の10室に在住するラーフや金星は、アーシュレーシャに在住している為、細木数子のラグナは、アーシュレーシャであることを示している。










細木数子のチャートの特徴



細木数子は、蟹座ラグナで戦後の混乱期に幼少時から商売を初め、うどん屋、喫茶店の経営から始まり、銀座のママなどをしながら、運命学を研究し、独自の『六星占術』というブランドを確立した。



その一方で、芸能事務所の経営者として、島倉千代子のマネジメントなども行い、自分自らもテレビに頻繁に出演して、視聴率女王になった。



客から10億円を騙し取られて、ヤクザに取り立てられ、そのことがきっかけで、運命学に目覚めるなど、宗教家にありがちな、どん底の苦境に陥って精神的に開眼するといった体験も持っている。



『六星占術』で成功したが、ただの占星術師として定義できず、芸能界に深く入り込み、幅広い人脈を持ち、朝青龍のタニマチのような立場でもあった。



また京都に寺院を建立して、勉強会や個人相談会などを定期的に開催するなど、宗教家の一面ものぞかせる。









このような人生を生み出したのが、この細木数子のチャートだが、蟹座ラグナのため、基本的に個人主義であり、店を起ち上げては転売することを繰り返して、資本の原始的蓄積を行なっている。



そのような機動性、動きの素早さは、牡羊座への惑星集中がもたらしている。




基本的にリバータリアンで、一山当てるタイプである。



10室のルチャカヨーガが、不動産取得や、店の開業などで力を発揮しており、また蠍座のラーフにこの火星がアスペクトする配置が、暴力団とのつながりを示している。



またラーフ/ケートゥ軸が減衰し、ニーチャバンガラージャヨーガを形成し、ラグナロードの月は11室で高揚し、木星と土星が星座交換して、10-11の星座交換をする配置も強力である。




ナヴァムシャでも金星は月から見て、マラヴィアヨーガで、水星もラグナから見て、9室支配で6室、月から見て5室支配で5室で双子座自室に在住しており、水星も強いことが分かる。



こうした配置も占星術の書籍の出版に生かされていることが分かる。



おそらく既存の運命学を『六星占術』という形で、独自仕様にしたのは、牡羊座に惑星集中して、牡羊座が強いためである。



牡羊座は、世界で唯一のもの、No.1になり、人の先頭を行く星座である。



細木数子は、占い本発行部数世界一として、ギネスブック認定されているようであるが、これは牡羊座への惑星集中と、牡羊座でのルチャカヨーガがもたらしたと考えられる。




このように細木数子は、スケールが大きく、パワフルなチャートの持ち主で、只者ではないことが分かるが、清廉潔白とは言い難く、成り上がる過程で、強引に手段を選ばない人物であった。




まさに女傑といった形容が相応しいかもしれない。




西暦年月出来事ヴィムショッタリチャラヨーギニトランジット
1938年4月4日東京・渋谷に生まれる。父親は民政党院外団壮士の細木之伴、母親はシケ(実母はみつ)。3男5女の8人兄妹の4女。妻妾同居の家庭だった。之伴は高知県出身。
1945年2月、父・之伴死去。渋谷の百軒店に4軒あった店のうち、3軒を売却。数子、大向小学校(現・東急百貨店本店の地にあった)に入学。
1952年「母が子供を全員集めて、1斗の米を目の前に置き、”ああ、この米も3日でなくなる”と泣いたんです。それで私が、”なにか仕事をしよう”と母にすすめて、おでん屋を始めたんです」(『女性セブン』’86年7月10日号)
「みかん箱を踏み台にして背丈をごまかし、大人のふりをしておでん屋の客にお酌をしたのが十四才」(『宝石』’93年4月号)
1953年母・シケ死去。
1954年ミス渋谷(商店街主催)に選ばれる。成徳女子高を中退。「外人の宿舎(編集部注:米軍宿舎ワシントンハイツ)のパーティーに招かれたりして高校を中退したころ、おでん屋のお客だった株屋の社長に『店』を持たないかといわれた」(『宝石』’93年4月号)
1955年東京駅に近い丸の内で喫茶店『ポニー』を開業。「初体験は17歳のときよ。好きな人と、ちゃんとしたお茶屋の座敷でね」(『女性セブン』’86年7月10日号)
1957年テレビ局の重役に喫茶店を売却。銀座で『クラブ潤』を開業。「バーテンが女優の山本陽子の弟」(『宝石』’93年4月号)
『クラブ潤』売却し、クラブ『メルバ』の雇われマダムに。
1958年クラブ『かずさ』(銀座8丁目)開業。
1959年銀座でクラブを複数経営。『だりあ』、『シンザン』など。「21才のとき、お店のお客さんだった静岡の人と結婚したけど、嫁いで1か月ほどで家が火事になって燃えてしまったり、主人の母とうまくいかなかったりで、3か月で離婚して東京へ舞いもどり、また銀座でクラブを始めたんです」(『女性セブン』’86年7月10日号)
1963年3月、客の一人だった静岡の老舗眼鏡店の御曹司と結婚するが、1週間で飛び出す。
1965年世田谷区代沢に邸宅を構える。「佐藤栄作元首相の家の近くで、いまのお金にすると5億円はくだらなかったでしょう」(『女性セブン』’86年7月10日号)
1966年老舗眼鏡店の御曹司と協議離婚。
1971年店の客だった男に10億円をだまし取られ、暴力団からカネを取り立てられる生活を送る。(細木自身が、32歳のときの事件と説明することもあり)。「青山の2LDKのアパートで、手首にかみそりを当てた。(中略)人の運命とかそういう本ばかり読んでいた。その中に陽明学者・安岡正篤という人の『易と人生哲学』『運命と立命』という本もあった」(『宝石』’93年4月号)実母・みつが死去。
1973年「35才ごろだったと思うけど、そのころから占いに関心をもつようになって、まず方位学の本を買ったのが最初でした。(中略)独学で方位学のほか、算命学、万象学、帝王学などから勉強して、細木流『六星占術』が生まれた」(『女性セブン』’86年7月10日号)
1974年12月、細木のビジネスを管理する「中央三光商事」設立。取締役に就任。
1975年ディスコ『マンハッタン』(東京・赤坂)を開業。「一日に何百人も来てね、売り上げの札束なんて、ゴミを入れる大きなポリタンク3つに、足でギュウギュウ押し込んでたね」(『週刊ポスト』’05年5月13日号)。この頃、暴力団二率会の幹部である堀尾昌志と知り合う。
1977年歌手・島倉千代子が多額の負債を負った際、後見人として堀尾とともに負債の整理に当たる。島倉千代子の個人事務所を設立。
1979年弟の久慶、衆院選に立候補(東京4区)するも、落選。
1980年堀尾、「中央三光商事」の監査役に就任。
1981年『六星占術による運命の読み方』がベストセラーに。
1983年3月、陽明学者で歴代首相の相談役でもあった安岡正篤と知り合う。安岡は当時、85歳。
9月、安岡が腹痛を訴え、細木宅で倒れる。
10月25日、安岡との婚姻届を東京・文京区役所に提出。
11月、夫である安岡を自分の元に戻すよう求め、東京地方裁判所に人身保護の請求。一方、安岡家は、東京家庭裁判所に安岡と細木の婚姻を無効とする調停を申し立てた。
12月13日、安岡正篤が心不全で死去。
1984年6月、安岡の遺族が、安岡と細木の婚姻が無効であることを確認する訴訟を起こす。「死別だから離婚はできないのよ。私は法律上は安岡正篤の妻」(『宝石』’93年4月号)
8月、青松寺(東京・港区)に安岡の墓を3000万円かけて建立。
1985年5月、安岡の遺族と和解。
1986年『大殺界』シリーズ400万部突破。
天龍寺本山の別院(京都・嵯峨野小倉山弘源寺墓苑)に安岡の墓(宝篋印塔)を建立。
1988年『週刊ポスト』(1月5・10日合併号)誌上で、セミ・ヌードを披露。
「自分で自分の楽しい世界をもっているから、結婚する必要はなかったの」(『週刊ポスト』4月1日号)と、過去に結婚歴がないかのような発言。
6月、京都に30億円かけた豪邸を新築し、話題に。
1989年10月、「中央三光商事」が国税当局から7000万円(過去2年分)の申告漏れを指摘され、修正申告して2400万円の過少申告加算税を支払う。青松寺と天龍寺別院に安岡の墓を建てた費用である計約1億円を、会社の経費から支出していた。
1990年弟の久慶、スポーツ平和党から衆院選に立候補(東京4区)するも、落選。
『週刊文春』8月16・23日号で、京都の墓石販売業「久保田家石材商店」の関連会社社長が「細木先生を通じてウチにきはるお客さんで、年間十億の売上がありますのや」と発言。
1992年12月19日、堀尾昌志が死去(享年64歳)。
1993年11月、佐賀県の主婦が、細木と「久保田家石材商店」を相手取り、佐賀地方裁判所に損害賠償請求を起こす。細木の勉強会、個人面談を受けるうちに相場の数倍の価格で墓石を買わされたというもの(後に訴訟取り下げ)。
1994年6月10日、「千葉新聞社」社長だった久慶が、千葉県小見川町議会議長を恐喝した容疑で逮捕される(懲役3年、執行猶予5年の有罪判決)。
1999年6月、弟の久慶、パソコン、霊芝、焼却炉などのマルチまがい商法疑惑が発覚したNPO「やまびこ会」で講演。また11月には「JBA(ジャパン・バリアフリー・アソシエイション)(株)」設立。久慶が設立に関わったとされる。JBAには「やまびこ会」関係者が関与していた(久慶は、いずれの組織とも関わっていないと主張)。
2001年3月、JBA会員が久慶らを相手取り、カネをだまし取られたとして損害賠償訴訟。
2004年「私はJBA代表取締役の弟(久慶)を刑事告訴するべく準備しています。弟がどんなに言い逃れをしようとも、私の名前を利用して怪しげな商売に手を染めていたことは確実です」(『フライデー』’04年2月27日号)
8月、『スバリ言うわよ!』(TBS系)、放送開始。
11月、『幸せって何だっけ~カズカズの宝話』(フジテレビ系)、放送開始。
2005年『新潮45』(4月号)で「一回、四百万よ。テレビのギャラは、各局の取り決めがあってね、私は『吉永小百合』より高いんだから。(中略)いま決まってる特番が四本、これは一本につき一千万。それでテレビやめるバカがいるわけないじゃない」と発言。
5月、高額納税者の公示。四谷税務署管内で82位。納税額は3423万4000円(推定所得額は約1億円)。
9月、衆院選の自民党候補の個人演説会に出席。「自民党に入れるんだよ。入れなかったら、交通事故に遭うわよ」と発言。
11月、『幸せって何だっけ』で「(卵)はほとんど薬でつくられている」と発言し、日本養鶏協会など生産者団体がフジテレビに抗議。
2006年1月、ポスト小泉は誰になるかを占うテレビ、新聞の企画で、武部勤幹事長の名前を挙げる。1月27日、弟の久慶、茨城県セーフティネット融資制度を悪用した詐欺事件に関わったとして、茨城県警に詐欺容疑で逮捕される(水戸地方検察庁は不起訴処分に)。
 (年表は、週刊現代’06年5月20日号P30-31溝口敦氏記事より引用)



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