2025年3月16日 石垣島講演会 結果報告



3月16日に石垣島の石垣市民会館で講演会を行ったが、当日はキャンセルが出たものの、8名の方にご参加頂き、最後に感想なども伺い、質疑応答なども行って、良い雰囲気で終わることが出来た。


小さな島なので、当初、集客は難しいと考えており、2~3名でも来てくれれば御の字だと思っていたが、地元に家を構える知人の勧めなどもあって、現地の八重山毎日新聞にイベント情報を告知する広告なども出してみた。

また知人が本屋に掲示したA4チラシなどを見てお越し頂いた方、口コミで、来て頂いた方など、またチラシの配布を手伝って下さった方もいて、結果、8名の方にお越し頂いて、何とかイベントとして、形になった。


3月13日ぐらいから現地入りして、会場の周辺にチラシを配布したみたり、色々人力でやってみたが、やはり、新聞広告と、本屋など人が集まる場所へのイベント告知が最も効果的に人を集めることが出来たようである。


ポスティングは現地の様子を知るには良かったが、イベント告知としては全く効果がなかった。


今回、何故、沖縄・石垣島で講演会を開催したかと言えば、やはり、知人がセカンドハウスを建てて住んでいるということが一番、大きかった。


一度、訪問したいと思っていたのだ。


また石垣島と言えば、昨年の秋から別府、呉、大阪、神奈川などで行った講演会のテーマで、今年2025年の日本の危機に最も関連する地域でもあり、この離島の様子を目視で確認してくると共にその現地の方々にジョーティッシュで読み取れる知見をお伝えすることには意味があると思ったからである。


取り合えず、無事ミッションが完了してほっとした。


確かに魅力的な島で、ただ旅行に行くだけでもいいのだが、何らかの目的が欲しい所である。


今回は、講演会を行い、現地の方々に講演「2025年の日本と世界」をお届けすることが出来た。



そして、講演会が終了した後の3~4日を使って、全部の二次離島には行けなかったが、竹富島、西表島、与那国島などに行ってみた。


これらの島々では、必ず、島民がいて、そこでは生活が営まれていた。


竹富島には星のリゾートがホテルで進出していると聞いていた為、少ないながらも人が住んでいると思っていたが、西表島や与那国島は、ほとんど人が住んでいない島といったイメージしかなかった。


特に与那国島は、西の端にあり、空港があって、2~3戸ぐらいしか家が建っていないイメージだった。


しかし、現地には民宿や旅館が20以上もあって、警察の駐在所もあり、スーパーや飲食店もあて、小さいが家が密集する集落があった。



私は初めて知ったが、石垣港から、竹富島、黒島、小浜島、波照間島、西表島、与那国島など、様々な離島に行くことが出来る。


これらの島々は、竹富町に属している。


竹富島は小さい島で、自転車で回るような島だったが、ちゃんと小学校や中学校も備えている島だった。







西表島と言えば、イリオモテヤマネコしか浮かんでこなかったが、やはり、ここもちゃんと集落があり、スーパーも飲食店もあって、警察の駐在所もある。


南側に大原港があり、北側に上原港がある。



私は出足が遅れて乗れなかったが、大原港からは、マングローブの森に川を上って探検する船のツアーもやっていた。


レンタカーを借りて、大原港から北側の上原港に向かって、ドライブを楽しんだ。











島の大分部分は、ジャングルで、原生林が残っていて、おそらく、その中にイリオモテヤマネコが生息しているのだが、出会うのは中々、難しい。現地の方の話によれば、もう100匹ぐらいしかいないそうだ。


しかし、運よく出会うと、やはり野生のヤマネコで、普通の猫とは雰囲気はだいぶ違うようである。


上原港の近くの白浜からは船が出ていて、舟浮港に行くことができ、舟浮集落に行けるのだが、そこは陸路では行けない場所で、いい所だそうだ。


今回は行けなかったが、次の機会に行ってみたいと思った。



そして、最大の目玉が、やはり与那国島だった。


西の端にある島で、台湾の目と鼻の先にある。


100Kmぐらいしか離れていないようである。


与那国島の漁師が、台湾で、獲れた魚を陸揚げしたり、色々密接な関わりを持って生活していたようである。



既に上述したが、私は与那国島には、空港があって、家が2~3軒しか建っていないイメージだった。


しかし、実際には約1700人の人々が住んで、生活を営んでいる。


何の計画も立てていなかったが、偶々、明日、与那国島に行ってみたいと思った時、その日に10時出航のフェリーが出ていることを知った。


そこでその船に乗って4時間かけて、与那国島に着いた。







そして、2~3時間、観光して、直ぐその日の最後の飛行機で、石垣島に戻るつもりだったが、飛行機のチケットを空港のカウンターで当日、直接買おうとしたところ、かなりの高額で、2倍ぐらいの金額になっていて、手が出なかった。





2~3時間で、観光して帰るなど、ほとんど時間が足りず、全くの無謀な計画だった。


港について直ぐにレンタカーの看板を掲げて、その場に立っていたスタッフの方に声をかけて、レンタカーを借りることが出来たが、それは18時までしか借りられなかった。



車で、島を走りながら、パンフレットに載っている民宿に電話をかけまくったが、20件ぐらいの宿、全てが満室で、空いている部屋は無かった。


後で聞いた所、まず、このシーズンでは通常は予約は取れないとのことだった。



通常は何か月も前に予約するのであり、宿に宿泊した人は、来年の予約を入れて帰っていくという。



そうしたことで満室だらけで、空は全くなかった。



それでも諦めずに最後の一軒に電話した所、その電話は転送され、出たスタッフの方によると、ちょうどキャンセルが出たため、空があるという。



何とか、宿が予約できたので、ほっと胸をなでおろした。


もし宿が予約できなければレンタカーも18時までしか使えず、帰りの飛行機の予約も放棄した為、島で野宿するしかなかった。


島は、全く電灯がなく、おそらく、夜は真っ暗闇になってしまう。



島には馬が放し飼いされていて、島をドライブした時に多くの馬に遭遇したが、馬たちがそこら中に糞をしており、糞だらけの島である。








そうした環境の中で、野宿するのは、中々厳しいものがあった。



(おそらく、港には屋根の着いた待合場所のようなものがあったため、もし野宿になったら、そうした場所にいたと思われるが、それでもそれはきつい一夜になっただろうと推測される)


宿に何とか辿り着いて、宿泊の手続きを済ませると、18時までにレンタカーを一旦、返却しなければならなかった。


そして、改めて、レンタカーを借りることにしたが、その宿泊した宿で借りることにした。



宿のオーナーが、迎えに来てくれたが、威厳や迫力を感じさせる、そのオーナーは、後で知った所によれば、海底遺跡を発見し、「海底遺跡」と命名した新嵩喜八郎氏、その人だった。



どうやら、私たちは、新嵩喜八郎さんが経営する宿に泊まることになったらしいのだ。



私は以前、与那国島の近海で、海底に遺跡が存在する話をどこかで読んだ記憶がうっすらあったが、その記憶ははっきりしていなかった。


その為、与那国島で海底遺跡を見るという計画も特になく、とにかく西の端の島に行ってみたいという単純な動機で、この島を訪れたのである。



しかし、遺跡を見学する船のツアーがあると知って、そのツアーに申し込んだが、そのツアーは、新嵩喜八郎さんがプロデュースするツアーで、新嵩喜八郎さんが所有する船で、1時間、船底がガラス張りになった船で、海底遺跡を見学するツアーなのだった。



宿のスタッフの方と話をしていた所、その宿のスタッフの方は、海底遺跡のツアーに同行するスタッフの方だった。


つまり、私たちは、与那国島のど真ん中にアクセスしたらしいことが分かった。



与那国島と言えば、海底遺跡であり、海底遺跡と言えば、新嵩喜八郎さんを意味していた。



その新嵩喜八郎さんが経営する宿に偶然にもキャンセルが出て、そこに宿泊できることになったのである。





※同行してもらった友人と共に喜八郎氏からサインをもらって記念撮影をした




色々食事の席におまじゃして、海底遺跡について話を伺うことも出来た。



石原慎太郎と交友関係があり、一緒に尖閣諸島に行って、灯台を建てたのも、この方だという。



翌日、その新嵩喜八郎さんがプロデュースする海底遺跡ツアーに参加して、この西の端の離島への旅のクライマックスに達した。








私はこの旅で、「2025年の日本と世界」というテーマで講演を行う目的があったが、その話の中には、古代文明についての話も含まれている。



まさにそうした古代文明について語る旅において、本物の古代文明の名残り、すなわち、ムー大陸の名残とも考えられる海底遺跡を見ることになるとは夢にも思っていなかった。



私は旅の計画自体は、直感的によく考えないで、飛び出して来ただけだった。



だから、海底遺跡を見るといったことは全く予定していなかったのだが、こうした海底遺跡を見ることになったのは、偶然ではないような気がした。



つまり、この旅は、聖地を巡る旅であり、スピリチャルな旅であり、こうした古代文明の遺跡に自然と導かれたのである。







私の火星は、月、太陽から見て、5、10室支配のヨーガカラカでは、室に在住している。



ラグナから見ると、1、8室支配で12室に在住している。



8-12の絡みがあるため、ヴィーパリータラージャヨーガである。



そうしたこともあって、まもなく私の12室(魚座)に土星が入っていき、今、既に土星が魚座に移動した効果が始まっているが、離島(12室)でスピリチャルな体験ができるという私のカルマが発動したようである。




今日は、3月21日に沖縄本島に移動して、今日は鑑定2日日だが、明日3月23日は、沖縄本土での講演会を予定している。



これで、昨年から開催してきた「2025年の日本と世界」の最終回とし、これで締めくくりとしたいと考えている。



(当記事を投稿した本日、沖縄講演会は無事終了した)

















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