
石垣島での講演会を終え、竹富島、西表島、与那国島などの探索も終えて、3月21日の午後の便で、次の目的地、沖縄本島に向かった。
モノレールで県庁前駅の国際通り入り口付近にある楽園カフェにて、早速、移動日の当日、鑑定をさせて頂いた。
翌日、男女共同参画センター(てぃるる)の会議室で、鑑定会を行ない、翌日の23日に講演会と鑑定会を行なった。

沖縄(那覇)では、鑑定には12名の方にお越し頂き、また講演会には8名の方にお越し頂いた。
特に宣伝もしておらず、HPのみの告知だったが、支援者の方が口コミで、伝えてくれたおかげで、多くの方にお越し頂いた。
これで沖縄イベントが終了し、昨年から行って来た講演会の締めくくりとなった。
この予測の検証結果は、今年中に明かになり、また今後5年間で、検証されていくことになる。
翌日からレンタカーを借りて、沖縄を下道で、縦断して、夜中にも走り回って、2回、往復した。
10時にレンタカーを借りて、南城市の安座真港フェリーターミナル から久高島へ行こうとしたが、12時発の便が満員で乗れなかった。
仕方なく、その日は、参加者の方から教えて頂いた斎場御嶽(せーふぁうたき)という沖縄の聖地を巡礼した。
その昔、琉球王国の国王や女性の神官しか入れなかったと言われる礼拝所を見学した。







琉球王国では、女性の祭司である「ノロ」やその頂点に立つ聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれる祭司の最高職が、国王の祈願や祭祀を司っていたという。
女性が祭司の最高職に就いているというのは、邪馬台国の女王で、巫女的存在でもあった卑弥呼が、存在していた古代日本を思い起こさせる。
斎場御嶽は、何もない岩の壁に礼拝所が設けられており、岩を祭る神道と共通するものを感じた。
偶像崇拝ではなく、自然に神が宿っており、その神を礼拝する形である。
宗教発生の歴史的過程としては、まず自然に霊魂や神が宿っていると考えるアミニズムが最も原初的な宗教形態であり、次に神道やシャーマニズムのような女性の神官が活躍する宗教文化が続き、その次に大陸の文化、男性優位で、権力志向の一神教の宗教形態が来るように思える。
沖縄の神道やシャーマニズムに通じる宗教文化、ノロやユタが活躍する文化は、一神教の世界よりも前の、あるいは、一神教の世界とは異なる精神文化に思える。
大陸の弥生文化が入ってくる前の縄文文化といった印象である。
神が自然の中に宿るため、自然崇拝で、石とかに対して礼拝する。
特定の人間に神が宿っているとして、その像を崇拝する偶像崇拝ではない。
礼拝所を保護、監視するガイドの方は、神道とのつながりは否定していたが、明らかに似ているし、一神教の文化とは異なるアミニズムに近い古代日本の精神文化に思える。
何の変哲もない岩場に礼拝所が設けられていて、時々、熱心に祈っている人がいるが、その人の邪魔をしないように注意された。
この祈っている人たちは特にノロという訳でもなく、普通の人たちだという。
人々を代表して祈りに来るという。
ガイドの方に聞いたのだが、南城市には他にもこのような礼拝所が何か所かあって、南城市全体が聖地のようなものである。

この斎場御嶽(せーふぁうたき)から久高島が見えるが、太陽が昇る方向にあるこの島は、神が最初に降り立ったとされる島で、神の島と呼ばれる。
私は当初、久高島こそが、聖なる島であると思っていたが、そうではなく、斎場御嶽(せーふぁうたき)の他に安須森御嶽(あすむぃうたき)や、クボウ御嶽、薮薩御嶽(やぶさつうたき)、雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき)、クボー御嶽(くぼーうたき)、首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき)など、南城市を中心に沖縄の各地に7つの礼拝所が存在し、それら全てが聖なる場所なのである。
そして、その一部として、久高島があり、久高島の中にも立ち入り禁止の礼拝所があるという。
この島には民宿を経営しているノロの方が住んでいて、神に祈りを捧げているという。
またガイドの方もいて、有料だが、島の歴史や伝説についてガイドしてくれるそうである。
24日の日曜日に満員で船に乗れなかった為、翌日、朝一番の8時の便で、フェリーに乗り込み、久高島に向かった。









島は非常にきれいで美しかったが、管理に苦労しているようだった。
漁師がいて、島では生活が営まれており、民宿や観光事業が営まれており、小学校もあった。
電動自転車のレンタル事業などが営まれており、観光事業で稼ごうとする意欲が感じられた。
汚水処理施設や電波塔も建っており、普通の島と全く同じである。



しかし、海岸に出ると、その美しい浜辺は、神が降り立ったというにふさわしい気がした。

※残念なことにカメラのレンズに埃がついている


沖縄巡礼初日に船が満員で久高島に行けなかったのは、返って必然だったのだと思えた。
久高島にいきなり来ても何も分からなかったが、斎場御嶽に先に行って、ガイドの方から色々聞いたことで、久高島も含めた沖縄の精神文化について、よりよく知ることが出来た。
色々久高島を散策して、最後にイシキ浜という美しい浜で、写真を取ったりして、帰ろうとしていた所、向こうから見覚えのある方が歩いて来た。
何と今回のイベントで、講演会や鑑定に来て頂いた方と、ばったり再会したのだ。
別に示し合わせた訳でもなく、びっくり仰天したが、これも偶然ではないだろう。(私は久高島に行くとは、イベントの会場などで、一切、言っていなかった)

※沖縄には146万人から148万人が住んでいて、確率的には低いのであって偶然ではあり得ない
占星術的に言えば、これは魚座つながりである。
沖縄は島であり、水の象意に溢れている。
一見、ハワイなどと似ていて、ゴージャスで、ラグジャリーな雰囲気に溢れている。
国際通りなどを歩いていて、その日本離れした雰囲気にここは外国(琉球王国)だと思った。
占星術的には沖縄は本土の人間にとって完全に外国(海外)を意味している。
(※例えば、私が初めて沖縄に行ったとき、プラティアンタルダシャーやスークシュマダシャーにラーフ期が来ていたが、ラーフは9室に在住しており、完全に海外旅行を意味していた)
皆、ラフで、センスの良い夏服で、時々モデルのようなゴージャスな美人が街を闊歩している。
それで分かったのは、沖縄は、金星が高揚する魚座に象徴される島だということだ。
水の象意にも関わらず、支配星に火の惑星を持ち、火と水のコンビネーションで、温泉文化をもたらす蠍座の象意とは異なっている。
例えば、以前も記事の中で書いたが、別府などは、完全に蠍座の象徴に溢れていた。
不思議なことに沖縄では温泉は見当たらないし、全く存在しない訳ではないが、売り物になっていない。
ノロやユタ、聞得大君など、女性の神官、あるいは、シャーマンが、神と交信する精神文化は、どう考えても女性星座で、木星を支配星に持つ魚座の象意である。
街を行き交う女性たちを見ても派手でケバケバしい雰囲気ではなく、落ち着いた上品な女性が多い。
魚座が好みそうな落ち着いたドレスのような服装を身に付けている人々が多い印象である。
そして、私の講演会や鑑定会にお越し頂いた方々も魚座が強調されている方が多かった。
例えば、魚座ラグナであったり、ラグナロードが魚座に在住していたり、魚座で金星が高揚したり、木星が定座に在住していて、ナヴァムシャで木星と金星が魚座に在住していたり、何らかの形で、魚座に強力な配置を持つ方々ばかりだった。
トランジットの土星がまもなく魚座に移動する効果により、私の魚座12室(海外)の象意を顕現させたのである。
(これを書いている今は2025/3/30であり、今日から土星が魚座に移動するはずである)
私は牡羊座ラグナで、ラグナロードの火星が8室の支配星でもあり、魚座12室(海外)に在住している。

そこに土星がトランジットし、更に木星は牡牛座から私の8室や10室に在住する12室支配の木星にアスペクトして、12室にもダブルトランジットしている。
つまり、このツアー中、私は8室と12室にダブルトランジットしていたのである。
蟹座に在住する月、太陽から見ると、火星は5室(イベント)と10室(仕事)を支配するヨーガカラカで、魚座9室(海外旅行、教育、啓蒙活動、慈善活動、巡礼の旅)に在住している。
その為、ただ旅行するだけでなく、講演や鑑定なども野心的に行ったのである。
月、太陽から見て10室の支配星が9室に在住することで、講演を通じて啓蒙する旅であり、また聖地を巡る巡礼の旅(9室)でもあった。
そうしたことで、私は本質的に海外である沖縄(琉球王国)に行って、講演会や鑑定会を行ない、魚座が強い人々と交流するカルマがあったのである。
そして、旅行中、様々な人のお世話になったのは、8室にダブルトランジットしている為である。
8室の支配星が12室に在住している為、外国のような沖縄で、参加者の方から色々サポートして頂き、お土産なども頂いた。
これは明らかに8室の象意が出ていると思った。
しかし、8室が強調される場合、通常は、人の世話になる為、束縛感や不自由も感じるものだが、私の場合、8室の支配星が12室に在住することにより、8-12のヴィーパリータラージャヨーガが成立しており、恩恵は受けても束縛感はそれ程、感じなかった。これはヴィーパリータラージャヨーガ(逆転のラージャヨーガ)の効果だと思われる。
石垣島でも知人のサポートを受け、また最後に書くが、沖縄の友人からのサポートも受けた。
これは火星が8室の支配星で12室に在住し、そこに土星がトランジットし、8室にダブルトランジットしている効果である。
今回、私はHPでの告知以外、一切、宣伝していないが、私の協力者が、フォロワーに話をしてくれたおかげで、沢山の方々に参加頂くこととなった。
この辺りも8室の象意である。
つまり、この旅自体が、8室の恩恵による賜物なのであった。
沖縄は魚座の象意なのだから、明らかに右翼であり、保守である。
そして、沖縄の人は、日本人というアイデンティティー以前に沖縄人としてのアイデンティティーを持っている。
私が現地の人と何気なく会話した時に沖縄の人は、度々、沖縄が日本に復帰したことを話題にするのである。
沖縄は元々は独立国であったが、日本の統治下に入り、その後、アメリカの統治下に入り、再び、日本の統治下に入ったということが、忘れられない歴史なのである。
それには沖縄の複雑な歴史が関係しているが、沖縄は、15世紀に島が統一され、琉球王国として、独立国であった。
その後、1609年に薩摩藩の侵攻を受けて、薩摩の支配下に入るが、中国に対しては独立国として200年間、振舞い続けた複雑な歴史がある。
その後、1872年に明治政府が、琉球王国を琉球藩に変えて、実質的に日本領となり、1879年に明治政府による「琉球処分」により、琉球藩を廃止し、沖縄県となった。
しかし、その後、第二次世界大戦での日本の敗戦により、アメリカの占領下におかれて、30年近く、アメリカの統治下に入り、1972年5月15日に日本に復帰している。
このような歴史から、沖縄人には、単純に日本人としてのアイデンティティーが成立していないのである。
まず、日本人である前に沖縄人なのである。
神奈川県で生まれ育った私は、神奈川県人などというアイデンティティーは全く持っておらず、自分のことを日本人としか思っていないが、沖縄県人は違うのである。
本土の人間に絶対にバカにされるなという対抗意識がある。
西表島に行った時、スーパーを経営していた現地で生まれ育った年配の女性と話した時、若い頃、日本の本土で暮らしたことがあるが、本土の人間に絶対にバカにされるなと教育されたようである。
島で生まれ育った人は、若い頃に一度は、島を離れて、東京やその近辺に出ていくが、その時、そのような対抗意識を燃やしていたのだ。
そのような話を聞いて、やはり、島の人々は、自分は、島の人間であり、琉球王国の人間という、アイデンティティーがあり、単純に日本人としてのアイデンティティーではないのだと感じた。
沖縄の米軍基地反対運動なども、沖縄の人々は、沖縄人、琉球王国の国民としての愛国民族主義の立場から、基地に反対しているのではないかと思われる。
しかし、日本の左翼は、反米左翼の立場から、沖縄の基地に反対する。
本来、右翼と左翼で、相容れない人々が、米軍基地反対という立場では、利害が一致するので、それで共闘しているように思える。
沖縄人は、右翼で保守であるにも関わらず、愛国民族主義的な立場から、自民党が日米安保条約を堅持して、沖縄を米軍基地として提供し、思いやり予算などで、手厚く誘致する政策に反対しているのだ。
つまり、沖縄の右翼、保守の人々が、日本の本土の保守政治家である自民党と相容れないのは、沖縄が、あたかも主権国家のような独立したアイデンティティーを持っている証拠である。
久高島を見終わった後、車を高速で走らせて、国頭村に向かった。
現地に住むジョーティッシュの初期の学習仲間であるジュナさん(owlママ)に会うためである。
ジュナさんは、2007年夏頃にシュリK.N.ラオの元を表敬訪問したり、2011年秋頃にデリーで行われたインターナショナルセミナーに一緒に行った仲間である。
あれ以来、会ったことがないため、14年ぶりである。
予め予定は伝えておらず、行き当たりばったりで向かって見た。
現地に到着して、携帯に電話してみると、国頭から移動して、うるま市にアパートを借りて住んでいるとのことだった。
沖縄の辺境の村と、中心部の街を行ったり来たりしているそうである。
つまり、家が2つあって、子供たちも近くに住んでいる為、優雅で豊かな生活を送っているようである。
私の横浜での生活よりも明らかに優雅な暮らしである。



辺戸岬を見た後、うるま市に戻り、スーパーのレストランで食事をしたが、話をするのは久々だった。

※本人は顔は写りたくないとのこと
14年前のことは昨日のことのように感じる。
その日の夜、アパートを使っていいと勧めてくれた為、そこで一泊したが、本人は、国頭に戻るとのことで、深夜に車で出発し、そこでお別れとなった。
この旅では色々な方からお世話になったが、アパートに泊まらせてもらえたこともやはり8室の恩恵である。
翌日の朝、空港へ出発し、12:40の便で、帰路に着いた。
因みに石垣島の浜辺で、巨大な貝殻を見つけて、持って帰ろうとしたが、重量オーバーで、持ち帰れず、那覇で、道端にオブジェとして配置して来た。
次に沖縄に来た際にまだあるかどうか見るのが楽しみだ。


このようにして、私の石垣島、沖縄遠征は終了した。
全てがパーフェクトだった。ミッション完了である。
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