マイケル・ムーア

氏名マイケル・ムーア
ローマ字Michael Moore
生年月日1954年4月23日
出生時間12:45
出生場所アメリカ合衆国ミシガン州フリント (Flint, Michigan)
Rodden Rating
ナクシャトラ(Asc)
ナクシャトラ(Mo)
職業ジャーナリスト、ドキュメンタリー映画監督、テレビプロデューサー、テレビディレクター、政治活動家
所属
業績2002年の『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞
その他ゼネラルモーターズの生産拠点の一つであったミシガン州フリントでアイルランド系の家庭に生まれ、フリント郊外のデイヴィソンに育つ。母は秘書、父と祖父は組み立て工、叔父は自動車工労働組合創立者の一人で、座り込みストライキで有名だった。
ムーアは14歳で教区の学校に入学し、続いてデイヴィソン高校に入学する。同校を1972年に卒業、同年同校長と副校長の解雇を求めて教育委員会選挙に出馬し当選。任期終了までに校長と副校長は辞職した。
またボーイスカウトの最高位であるイーグル・スカウト(当時の日本では富士スカウト章にあたる)でもあり、イーグルとして自らのコミュニティにおける様々な危険や問題を指摘する映画を製作した。

全米ライフル協会の会員だったが、ベトナム戦争の影響で19才の時にその資格を返上した。その後コロンバイン高校銃乱射事件をうけて生涯会員となった。『ボウリング・フォー・コロンバイン』では全米ライフル協会の生涯会員であると述べている。

妻はプロデューサーのキャサリーン・グリン(1958年4月10日生まれ、フリント出身)。長女はナタリー(1981年生まれ)。

信仰する宗教は、ローマ・カトリックで熱心な信者である。毎週日曜日の礼拝を欠かさず、自身の結婚式を司式した神父を映画に出演させてキリスト教的思想に基づいて「資本主義はキリスト的ではない」と主張したり、ヨハネ・パウロ二世がイラク戦争の際にブッシュが『神』を引用してイラク戦争を正当化しようとしたことに「罪悪」と不快感を述べたことに共鳴してブッシュを批判している。
データソースwikipedia, Astrodatabank

コメント

検証メモ
検証メモ(ジャイミニ)
検証メモ (その他)

michaelmoore_chart
西暦年月出来事ヴィムショッタリチャラヨーギニトランジット
1972年デイヴィソン高校卒業。

同校長と副校長の解雇を求めて教育委員会選挙に出馬し当選。任期終了までに校長と副校長は辞職した。
1981年長女ナタリー誕生
1986年ミシガン大学フリント校を1年で中退し、22歳で隔週刊誌『The Flint Voice』(後に『The Michigan Voice』と改名)を刊行。廃刊になったが代わりに1986年にマザー・ジョーンズ誌の編集者となりカリフォルニア州に転居する。5ヶ月後同誌において、サンディニスタの人権記録を穏和に非難したポール・バーマンによる記事の掲載を拒否したため、解雇されている。
1989年生まれ故郷の自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリー映画『ロジャー&ミー』で監督としてデビューする。アポイントメントなしでゼネラルモーターズの企業経営者、ロジャー・B・スミス会長に突撃取材する手法が話題を呼んだ。
1994年『ジョン・キャンディの大進撃』を監督。冷戦が終結して敵のいなくなったアメリカが、隣国のカナダを無理やり仮想敵国に仕立てるコメディ映画で、常に外敵を必要とするアメリカ政治を滑稽に笑い飛ばした。
1997年ドキュメンタリー映画『ザ・ビッグ・ワン』では『ロジャー&ミー』と同様の取材方法で、アメリカ国内の工場を閉鎖して失業者を増やしながら生産工場を国外に移して利益をあげるグローバル企業の経営者たちに直撃取材を敢行している。
1999年アメリカのロックバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲「Sleep Now In The Fire」のPV撮影を、ニューヨーク証券取引所前にてゲリラ的に敢行。ニューヨーク市警察に逮捕され、ホワイトハウスのブラックリスト入りのきっかけのひとつとなった(連行される様子は当該PVに収められている)。
2000年『マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人』- The Awful Truth(1999年)(テレビ番組)

2000年下院議員選挙において、当選確実で議員が選挙区に帰らないニュージャージー州の選挙区にフィカスを立候補させる(曰く「フィカスは守れない公約は口にしません。献金も不要、いるのは水と空気と日光だけ。」)企画等(なお「フィカス候補」は多数の票を獲得したと思われるが、すべて無効票扱いされた模様)。

2000年アメリカ合衆国大統領選挙では、アメリカ緑の党のラルフ・ネーダー候補を支援。しかし、共和党・ブッシュと、民主党・ゴアの接戦が伝えられると、反共和党の立場から「絶対にブッシュを当選させてはならない」と、接戦州ではゴアに得票を集中させるよう訴えた。結果はブッシュの勝利に終わったが、民主党支持者の多いアフリカ系アメリカ人などの社会的少数者を投票から閉め出したり、無効の可能性の高い海外不在者投票(主に軍人で共和党支持者が多い)が有効扱いされるなど数々の不正があったと、ムーアは主張した。
また、ブッシュ優位ながら僅差のため再集計にもつれ込んだフロリダ州では、再集計でゴア逆転の目が出てきたものの、合衆国最高裁判所(共和党政権任命判事が多数)により再集計が差し止められ、ブッシュの当選が決まった。こうした経緯からムーアはブッシュをアメリカ合衆国大統領と認めず、「Bush, Governor of Texas(ブッシュテキサス州知事、ブッシュの前職)」と呼び、大統領の座を盗んだ「泥棒の頭目(指導者を意味し、大統領を指すこともある"chief"と、泥棒を意味する"thief"を掛けている)」と強く批判した。
2002年『ボウリング・フォー・コロンバイン』 - Bowling for Columbine (2002年)

高校生2人が彼ら自身の在籍する学校で10数名を殺傷したコロンバイン高校銃乱射事件に題材をとり、銃社会アメリカとそれを生み出す恐怖の再生産について、ジャーナリスティックに考察したドキュメンタリー映画。この作品が世界的な大ヒットとなったことから、ドキュメンタリー映画家としての評価を確立した。同作はカンヌ国際映画祭55周年特別賞や、2003年度アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

アカデミー賞授賞式ではブッシュを「架空の選挙で選ばれた架空の大統領」、ブッシュ政権の起こしたイラク戦争を「架空の理由で戦っている戦争」と断じた。さらに「恥を知れ、ブッシュ氏よ。恥を知れ! お前は(開戦に反対した)ローマ教皇と(「大統領が自分たちと同じテキサス州出身であることが恥ずかしい」と述べた)ディクシー・チックスを敵に回した。お前の持ち時間は終わりだ」と批判する演説を打って賞賛とブーイングを受けたが、終了を促す音楽で強引に打ち切られた。ちなみにムーアによれば、会場では賞賛が圧倒的であったのに、報道ではブーイングが強調されていたとのことである。
2003年『ザ・シンプソンズ』 The Simpsons (2003年) 声の出演
2004年『華氏911』 - Fahrenheit 9/11 (2004年)

2004年アメリカ合衆国大統領選挙において、ブッシュの大統領の再選を阻止する目的で公開された。カンヌ国際映画祭での最高賞パルム・ドールを受賞し各国でヒットとなるものの、当初の目的は果たせなかった。題名はイギリスのSF映画『華氏451度』から引用している。
2005年『マイケル・ムーア in アホでマヌケな大統領選』 - THIS DIVIDED STATE (2005年公開)

スティーヴン・グリーンストリート監督作品。ときに「Divided State」と呼ばれるほど、アメリカの中でも文化的に特異で、政治的には共和党の牙城とされるユタ州の、その中でもとりわけ保守性が強いといわれるオレム市にあるユタバレー州立大学の学生会が、2004年にムーアを講演に呼ぼうとしたことが大きな騒動を引き起こした。

この映画はその一連の騒動のドキュメンタリーであり、ムーア本人はほとんど登場しない。多くの住民や学生達が、全く映画を見もしないで(あるいは手を加えられた「編集版」のみを見て)ニュースや伝聞だけから、ムーアの映画や本人を「悪」「反米主義者」と決め付け、教育環境に悪影響を及ぼす、あるいは地域に対する侮辱であるとしてムーアの講演に反対し阻止しようとする。対立意見を聞くことも大切であり、議論の場を持つことが重要であると主張する学生会の責任者や学長・教授達を始め、一部の学生や住民の努力にも関わらず、学生会は脅迫され、裏切り者扱いされたあげくに辞任にまで追い込まれ、訴訟問題にすら発展してゆく。「『自由の国アメリカ』に言論の自由はあるのか?」という皮肉を突きつけた問題作。
2007年『シッコ』 - Sicko (2007年)

3年の時を経て、今度は米国の「医療問題」をテーマにした映画を制作。米国内医療業界の大手各社は、突撃取材に厳戒体制であった。2007年カンヌ国際映画祭の特別招待作品。
2007年5月アメリカ政府当局の許可なしにキューバを訪問していたことが発覚し、財務省から捜査を受けている。事前にムーアは渡航許可を求める申請書は提出していたが、実際の許可は出されていないという。
2009年『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』 - Capitalism: A Love Story(2009年)

世界金融恐慌を取り上げる。映画の共同配給元オーバーチュア・フィルムズ(Overture Films)とパラマウント・ヴァンテージ(Paramount Vantage)によると、2008年に決まった巨額の企業救済策でハイライトを迎えた「企業と政治のペテンをコミカルな視点でとらえた作品」。映画のPRとして来日し、東京証券取引所での会見では、「君は実のお母さんから10億円もらったことある?」など鳩山由紀夫総理献金問題など日本の時事ネタを披露した。
2009年11月30日『キャピタリズム~マネーは踊る~』のプロモーションで来日したムーアは、東京・中央区の東京証券取引所で映画の記者会見を行った。ムーアは『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』でドキュメンタリーを撮るのは最後かもしれないと発言している。
2009年12月映画の宣伝活動を終えるとその後はプライベートで大阪・京都・広島を訪問した。
2009年12月4日尊敬する原一男監督に会うため新幹線で大阪へと向かい、大阪芸術大学の映像学科で講義する原教授の授業を1時間半聴講し、授業後は学生との質疑応答に応じた。日本の映画では『ゴジラ』が好きだと答えたムーアは最後に学生に向けてこんなメッセージを送った、「君たちには、ハリウッドやテレビ番組の真似ばかりせず、自分しか出来ない映画をどんどん作って日本の映画を守ってほしいし、守らなければならないよ」。その後、ムーア夫妻は大阪芸術大学近くの近鉄長野線喜志駅前で原監督らと一緒にお好み焼きを食べたが、このときは映像学科長であり『ゴジラ』シリーズの監督でもある大森一樹監督も同席している。ムーアはお好み焼きを食べて「何が入っているか分からないけど、これ美味しいね」と答えた。
2011年9月17日ニューヨークマンハッタンのウォール街で行われたデモに対して、デモ隊の拠点となっているズコッティ公園を訪れ激励している。
2015年『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』 - Where To Invade Next(2015年)
wikipediaより引用抜粋

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