『メーソン―第三等級の姉弟』について – フリーメーソン解明の為の第一級資料 –

最近、以前、古本で購入しておいた『メーソン―第三等級の姉弟』ウィル・L. ガーヴァー (著), 尾高 樹良 (翻訳)を読んだ。

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この著は、フリーメーソン内部について知り尽くしている人物によって書かれたと思われる第一級の内部情報である。

フリーメーソンの中でも位が低い人物には、このように詳細に書くことは出来そうもない。

フリーメーソンの内部事情について精通し、フリーメーソンの中でもある程度の階級に到達した人物にして初めて書けるような、そうした稀有の書である。

Amazonの古本市場で1,500円前後で売っているので、興味がある方は是非、読んでみて頂きたい。
本書の全部を紹介することはできないため、「出版にあたって」と題する序文を以下に引用抜粋した。


出版にあたって

明治維新以来、西洋文明の表面的輸入消化に忙しかったわが国は、儒教、道教、仏教、神道の真髄をなすMysticismを見失う一方、Academismの枠外に出る西洋Mysticismの輸入消化を怠ってきた。国家社会権力を代表するAcademismが、国家社会権力を超越する一面をもつMysticismを度外視したのは当然である。Mysticismの一環をなすフリーメーソンについて理解が不十分なのは尤もである。

一般的には、政治的陰謀に関係のある秘密結社として漠然と理解されているとでも言おうか。古代英知の密儀教団の流れをくむ、世界市民主義・理想主義的修道団体として捉えられることはまずない。フリーメーソンについて、正当な理解をもつことは、現下の急務である。

文明の根底を支え方向を与えるのはMysticismである。

宗教の真髄はMysticismである。

天才の霊感の源泉はすべてMysticismにある。

Mysticismなくして人生問題の解決はない。

本書はMysticismの初歩から最奥儀まで、人間の成長、精神の向上完成に到る道程について、前代未聞の詳細なる具体的解明を与える。

西洋Mysticismの摂取をもって西洋文明の輸入は完結し、日本文明は新紀元を画する。

本書は「バラ十字会」(本部サン・ノゼ)及び「サミットライトハウス」(本部モンターナ)の推薦図書である。

本書の内部で持ちいられるMaster、Adept、Initiation、Hierarchyといった用語は全く、アリスベイリーの著作の中に出てくる用語と同じである。
つまり、アリスベイリーの著作の中で用いられている用語は、フリーメーソンでも共通して使用されている用語であると言える。

あらすじとしては、主人公のアルフォンソ・コロノ氏が、両親の影響でフリーメーソンに入団し、修行の結果、精神的に向上し、位階を登っていく過程を描いている。

読者はこれを通じて、秘教学徒の世界、アリスベイリーの著作の中で描いている霊的ヒエラルキーについてフリーメーソンの形式の中で知ることが出来る。

フリーメーソンの中で、秘教占星学が取り上げられ、双子座がキーワードになっているのが非常に興味深い。

そして、主人公はフランス革命後のナポレオン戦争で、革命を防衛し、諸外国に輸出するために敵国ドイツにスパイとして潜入し、ドイツ軍の作戦内容について、透視能力や透聴能力で読みとり、メンタル・テレパシーでフランス側に知らせるのである。

そうしてナポレオン戦争の勝利に貢献する。

フランス革命は、フリーメーソンが背後で暗躍した革命であると言われているが、その革命の防衛戦であるナポレオン戦争においてもナポレオン側が勝利するためにフリーメーソンが暗躍したようである。

つまり、フリーメーソンが、ナポレオンを道具として用い、フランス革命を封建諸侯などの旧勢力から守り、ヨーロッパに大フランス共和国を打ち立てて、人民の自由と平等を確立しようと試みたのである。

私がこの本を読んで感銘を受けたのは、社会の裏舞台で暗躍する秘教学徒の活動内容は、ほとんど諜報の世界に等しいということである。

諜報の世界こそ、秘教学徒の活躍の舞台である。
wikipedia ナポレオン戦争には、以下のようにナポレオン戦争の影響について記されている。



(略)ナポレオン戦争以前のヨーロッパの絶対主義諸国は、傭兵を主体とした軍隊を有していた。
フランス革命を経たフランス軍は、革命の成果たる共和国を防衛しようという意識に燃えた一般国民からなる国民軍へと変質していった。

(略)

国民軍の兵士たちは強い愛国心を持ち、また団結力を有していた。彼らは逃亡のおそれが低いため、散兵戦術のような兵士の自律的判断に依存する戦術を用いることができた。

(略)

各国の利害が錯綜して進展の遅れていたウィーン会議は、ナポレオンがエルバ島を脱出すると各国の妥協が成立し、1815年6月にウィーン議定書が合意された。ナポレオンの完全失脚後、主要戦勝国によって神聖同盟が結ばれ、ヨーロッパは復古主義・正統主義を原理とするウィーン体制下に置かれることとなった。

だがナポレオン戦争の過程で、民主主義、近代法、特権階級の廃止などのフランス革命思想が、ヨーロッパ各地やラテンアメリカなど一部の植民地へ伝播した。ナポレオン法典を基礎とした諸法典は、旧体制の復活の後も各国に残された。革命思想は1848年革命の思想的基盤となってゆく。同時に、ナポレオン戦争は民族主義が広まる契機となった。民族主義はヨーロッパの歴史を大きく変え、その後100年間にヨーロッパ諸国は封建領主の領土を単位とした領域から国民国家へと変貌した。一方で、ナポレオンが意図したヨーロッパ統一国家の構想は瓦解した。ヨーロッパ統一の機運が再び高まるのは第二次世界大戦後のことになる。

(略)

フランスではナポレオンが失脚し、フランス革命以前のアンシャン・レジームが復活した。国内には王党派とボナパルティストとの深刻な対立が残された。しかしフランス復古王政下の反動的な政治体制は長続きせず、やがて七月革命で打倒される。


ナポレオン戦争の意義は、封建諸勢力からフランス革命の成果たる共和国を防衛したことである。

そして、民主主義、近代法、特権階級の廃止などのフランス革命思想がヨーロッパ各地やラテンアメリカなどに伝播し、旧体制の復活後も各地に残されて、1848年革命の思想的基盤となっている。

つまり、ナポレオン戦争によってフランス革命の精神が広く普及し、後戻りすることのない大きな変化の流れを作りだしたと言うことが出来る。

そして、民族主義が台頭し、封建領主の支配から国民国家というものが誕生するきっかけとなっている。

つまり、ナポレオン戦争の成果とは、特権階級を廃止することによる民主主義の確立とそれを法文化する近代法、そして、その近代法の器となる国民国家の確立であったと言える。

つまり、国民国家とは、人民の権利を守るための制度機構である。

このナポレオン時代に確立された国民国家という単位が、現在社会においても人々の権利を守る単位として、今だに力を持っている。

国民国家と憲法が、人民の権利を守り、特定の特権階級に自由に好き放題させないための安全装置なのである。

封建諸勢力は打倒されたが、その次に資本家階級が巨大な富を独占し、新たな特権階級として台頭した。

そして、その資本家階級が中央銀行を作り通貨発行権までも手に入れて官僚や政治家など行政府に多くの人材を送り込んで、超国家的に人々を支配しようとしている。

国家と企業が一体となった米国のコーポラティズムなどに対抗して、日本人、その他の諸国民の権利を守れるのは、国民国家を使うしかないのである。

国民国家と、憲法と法律を使って、外国の貪欲な企業から国民を守らなければならない。

それが国民国家と民族主義という形での善の実現である。

昨今の世界情勢を見ると、いまだにナポレオン戦争の時に形成された民族主義、国民国家という単位が依然として強い力を持っていることが分かる。

国民国家という単位は、人民の権利を守る単位として有効であるが、国家指導者が国民を誤り導いて、戦争などに突入させる危険性も持っている。

また特権階級が富を蓄積したり、権力を拡大したりするための道具としても機能しがちである。

従って、国民国家には、人民の権利を守る側面と、人民の権利を奪う側面、そして、他国民の権利を奪う侵略戦争という可能性を持っている。

最終的に世界共和国というものが確立されることが理想であるが、その前に国民国家というものがまだまだ人民の権利を守るための主戦場である。

この国民国家という単位での戦いなくして、世界共和国というものはあり得ない。

また国民国家における人民の権利を失わせるコーポラティズムの侵略を許せば、それは国民国家の破壊を意味し、世界帝国という形での世界の統一をもたらすが、それは世界共和国ではなく、またそこには人民の自由や権利も存在しない。

アドルフ・ヒトラーが作ろうとしたのは、この世界の人民を完全に奴隷として隷属させる世界帝国の樹立である。

また現在、米国において特に顕現している貪欲な多国籍企業と国家官僚が癒着した巨大な帝国主義もそのような人民を隷属させる世界帝国を目指している。

従って、このコーポラティズムの侵略に対しては、民族主義、国民国家で対抗しなければならないのである。
いまだにこの道具が有効であり、重要なのである。

ナポレオン戦争以来、いまだかつてない程、国民国家、民族主義というものの重要性が増しているのである。

それは多国籍企業と国家が癒着した巨大な帝国主義的な力に対抗できる器は、国民国家を除いて他にないからである。

国連は役には立たない。国連に権力をもたせて各国に従わせるというやり方も得策ではない。

それは結局は超国家的に人民を隷属させる帝国主義が国連の衣を被って生まれるだけである。

従って、外国の侵略に対しては国民国家という単位を使って軍事力を使って自国を防衛しなければならない。

また他国民を侵略しようとする自国の国家指導者には選挙での投票行為やデモ活動等の政治運動によってその権力を抑制しなければならない。

憲法によって自国民の特権階級や権力筋を監視し、その力を抑制しなければならない。

また憲法には外国の侵略に対抗できるだけの国家主権や柔軟性もなければならない。

また自国民の権利を最大化するための法律を整備しなければならない。

現在、外国のコーポラティズムと結託した官僚たちが、国民国家を内側から腐らせるという、そういう過程も進行中である。

TPPなどの多国籍企業に有利で、自国民には不利となる法律が通る流れというものも官僚が開いているのである。

ナポレオン戦争時に確立された封建諸侯の終焉と、国民国家、民族という単位は、いまだに生き活きている。

そして、それを使って、民主主義、人権、自由、平等といった諸権利を守っていく必要がある。

最近、フリーメーソンを改めて考察したくなり、以前、購入しておいた『メーソン―第三等級の姉弟』を読んでみた。

この本はフリーメーソンの内部を詳細に解明し、神秘主義(Mysticism)の深い理解につながる類まれな本である。

私自身、最近、チャラダシャーが天秤座で、天秤座から見て5室支配の土星が9、12室支配の水星とケートゥが9室双子座(フリーメーソン)に在住しているからこそ、この本が読めのではないかと思う。

人にいくらいい本だから読むように勧めても結局、読める人は限られてくる。

その本に縁がなければ読めない訳である。


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