12月19日、自動車の方は無事、卒検をクリアしたが、また自動二輪の方が残っていた。12月24日、卒検日が決まったが、まだ全く上手く走ることが出来ない状況での試験である。
読者の方は自動車免許、自動二輪の免許取得ぐらいのことで大げさな・・・と思われるかもしれないが、私の主観においては、様々な課題をクリアしなければならないクライマックスであった。
まだ20代、30代の時はもう少し簡単に免許を取得出来たと記憶しているが、年齢を重ねたためか、自動二輪に至ってはバイクに跨る際に足がふらつくなど、明らかに体力が低下しているのが分かった。
私の場合は遠方から来ているので、そう簡単に何度も来ることが出来ない。来年から10室に土星と木星が入室するので仕事が忙しくなりそうなので、年内に合格しないと来年、来れなくなり、中途半端なままで終わってしまう。
途中での断念につながりかねない。また若い人には合格保証というものがあり、合格するまでは追加料金がかからないが、私の場合は、合格が保証される年齢を超えているので、合格しないと教習費が実費でかかってしまう。年齢がある程度、いってしまうと規定の期間に合格出来ない人は、どれくらいの期間を与えれば合格出来るか予想が出来ないということもあるのだと思われる。
つまり、そうした人は合格する能力がもはやないと判断されるのだ。(一定の期間に合格できないなら諦めて下さいということなのだ。遠まわしにそう言っている感じである)そんなことで私もズルズルと合格出来ないまま年末となり、来年また来るかを判断しなければならない可能性があった。
それと、もう一つは卒検前の「みきわめ」という段階において、雨が降っており、私は40kmの速度から急ブレーキをかける急制動という演習中、スリップして転倒してしまった。
幸い怪我はなかったが、本番でも同じことが起こるのではないか、また大怪我をするのではないかという疑念が頭をもたげて来た。折しも射手座をトランジットの惑星群が高い所から転落の象意かあるため、尚更、自分がそうなるのではないかと動揺した。(例えば落馬などもそうである)また更に卒検当日は、月が私のラグナから8室を通過するのである。
以前、バイクの免許取得時にトランジットの太陽が蠍座8室を通過していた時に私は坂道でエンストして、不合格にもなっている。
従って、今度は月のトランジットだが、また同じことが起こるのではないかという疑念に苛まれた。
正に試験の直前までそうした疑念とプレッシャーで心が一杯になっていた。
そうした自分の心の動揺との戦いだったのである。
ダシャーは悪くなかったため、トランジットだけでは決まらないと思っていたが、経験上、例え軽微ではあっても何らかのアクシデントが起こるはずであった。(実際、当日はエンストやエンジンが始動しないなどのトラブルがあった)
だから単に免許を取得するといった単純な事柄ではなく、私の主観では、あたかも落ちぶれたボクサーが自分の身体の不調(衰え)や恐怖心、自分への疑念と戦いながらカミングバック(復活)を果たすという物語のようであった。よくありがちなストーリーだが、例えるならそんな感じである。
その試練に私は打ち勝つことが出来た。
当日はゼッケン1番の番号を身につけて、試験番号1番で臨んだが、これも牡羊座らしい、いつものパターンである。
恐怖心を乗り越えて、自己の疑念を克服し、勝利を掴みとれというのが、この時の試練(レッスン)だったのである。
そのプレッシャーを跳ね除けて無事合格出来た時、なんとも言えない喜びが湧き上がった。
疑念、妄想との戦い、心のコントロール、恐怖心との戦い。
厳しくも有難い教官達のサポートを受けて、私は自分の失われた人生を取り戻すことが出来た。
この5年間、私を苦しめた屈辱、免許のない生活から自分を解き放ったのだ。
◆ ◆ ◆
卒業後、時間が出来たので、私はもう一度、渡しで、磯に行く時間が出来た。
ここ2回、休日時に私は渡し船に依頼して嵯峨ノ島と呼ばれる西端の島に行ったり、定期船で、黄島という島に渡って釣りをした。
たいした成果もなく、五島に行ったら魚がうようよ泳いでいて誰でも釣れると思い込んでいたため、期待外れでもあった。
それで、今回、一発で合格出来たため、あと島に2泊して、もう一度、渡し船で磯に行って、トライしてみようと思ったのである。
偶然、合宿中に一度だけ乗ったタクシーの運転手の方が民宿を経営していて、その近くの波止場から渡し船で磯に行くと、釣れる場所に連れて行ってくれるという話を聞いていたため、早速、私は連絡を取って、島の北端の民宿に連れて行ってもらうことにした。
翌朝7時頃、波止場から渡し船が出るので、それに乗せてもらう約束をしてその日は早く寝た。
翌日15分前に波止場に来るように言われていたため、行ってみると船は既に出港してしまっていた。
それらしき船が出て行くのを見たが、約束の時間になる前にフライングスタートで出港したような感じであった。
私は呆然として波止場にたたずみ、最初から乗せるつもりがなかったのではと思った。渡し船の船長は、方言が強く、私が直接、話しても全く会話が成立しない感じだったため、民宿の主人が電話してくれて予約が成立したのだが、船長は予約の段階で待ち合わせ時間をはっきり言わず適当な感じであった。それで7時の少し前に来てということで、15分前に波止場にいることを約束した。
私と直接のコミュニケーションが成立していないので、一抹の不安があったが案の定、私を待たずに出港してしまっていた。
私はもう少し早く来るべきだったと後悔すると同時に船長に裏切られた気持ちで落胆した。
暫く波止場で釣りをしていたが、もうここにいても意味がないので、今日の午後早めに帰ろうと思い、失意で波止場から立ち去ろうとしたその時、出港した船が戻って来て、私に「乗りねえ」といった。
1時間は経過していただろうか。
私は戻ってきた船長に驚きつつも波止場から船に飛び乗った。
そして、渡し船の船長は、沖のこれ以上外側には陸地が一切ない所まで私を連れて行き、小さな岩場のような所に私を降ろした。
かろうじて分かったところでは、12時に迎えに来ると言って立ち去った。
12時頃から雨が降り始めるので、12時がこの日のタイムリミットであった。
翌日は雨で、海がシケるので、船長は明日は船を出せないということだった。(だからこれがラストチャンスである)
そんなことで、私は諦めかけていたが、運良く磯に行くことが出来た。
後で聞くと、私からの電話があったので民宿の主人が、とにかく(私は)今日しかチャンスがないから迎えに行けと口添えしてくれたらしいと分かった。
こうして私は磯で最後のトライをすることになった。
目的は、土星が射手座にトランジットしてから私の心を掴んで離さなかった巨大な青物を釣り上げることである。
青物を釣り上げて一人で食べ切れない刺身を食べるという、リバータリアン的な夢の実現である。
暫くルアーを投げて釣っていると最初は根掛かりしたのかと疑う程の重いものが引っかかったのが分かった。
しかし、リールを巻くと少しずつでも巻き取れるため、根掛かりではなく、これは重たい何かだと分かった。
その後、その重たい何かがぶるんぶるんと竿先を揺さぶる程、激しく暴れ出したので、これは巨大な魚だと分かった。
私は無我夢中でリールを巻くと、それは物凄い重みであるため、今まで出会ったことのないような巨大な魚なのだと気づいた。
私は興奮したが、その魚体が見えた時に私の興奮はMaxに到達した。
それは釣り動画をアップしているユーチューバーたちが披露する自慢の魚たちと比較しても全くひけを取らないような大物であった。
そして、それを実際に自分が釣り上げたのである。
願望成就した瞬間であった。
この時、ダシャーは、金星/土星/土星/金星/土星であった。
アンタルダシャー、プラティアンタルダシャー、プラーナダシャーの土星は11室の支配星で、ラグナロードの火星と相互アスペクトして、1-11のダナヨーガを形成している。
釣りに関しても諦めずに最後まで粘り強くトライした結果、理想の夢の実現を手に入れた。
射手座を土星がトランジットした時から始まったこの尽きせぬ想い、それは山羊座に土星が移動したタイミングで消えてしまうだろう。
何故なら山羊座10室にはまた別のテーマがあるからである。
だからこそ、最後のチャンスだったのだ。
私はこの魚を釣り上げたことで満足し、妄想のようになっていた願望が満たされたのを感じている。
今後も釣りをするかもしれないが、時々でいいかもしれない。
このように12月24日、25日は、私の射手座の経験がクライマックスに達したタイミングであった。
まさにクリスマスプレゼントである。
魚座はキリスト教を象徴する星座だが、この魚座から10室射手座にダブルトランジットしたタイミングで、キリストは最大限の力を発揮したのだ。
何故、ローマ法皇が最近、来日して長崎を訪れたのか考えると、そういう意味なのである。
長崎、また五島は地域全体にキリスト教の教会が建っており、キリスト所縁の地なのである。
今回、最後に宿泊した波止場近くの民宿の隣にも教会が立っていた。
私の場合は、射手座9室にトランジットしているため、学校への入学であった。それは単なる車の運転の教習ではなかった。自分の恐怖心や疑念を克服し、自己への信頼にかけるということ、そして祈りである。
私は検定前に何度も祈った。
全てやれることをやった後は最後の頼みは祈りしかないのだ。
そしてこの旅は、キリストの所縁の地を訪ね歩くという巡礼の旅でもあったのだ。
(不思議なことに単に釣りをしているというだけでなく、巡礼の旅がセットになっているのである)
現地の人々とは沢山のコミュニケーションをして、それは決していいものばかりではなかったが、現地の人々の人情に触れる機会は多かった。
既に福岡について金星が高揚する街だと評価したが、長崎(五島)もまた魚座で象徴される街である。
人間の感情の機微を描いたノーベル文学賞のカズオ・イシグロも長崎で幼少期を過ごしたと言われるが、路面電車の走るこの街は、魚座のスピリットで満ちている。
最後に・・・
一つ今回の旅で知ったことは、五島は釣りの聖地と言われているが、そうした五島でもここ最近、魚(青物)やイカが全然、獲れないという。渡し船の人や堤防や波止場で釣っている人、土産屋の売り子の人たちと話をしても皆が、最近は温暖化の影響なのか全く魚がいないのだという。水温が上がっているため、本来、冷たい海流の中を回遊していた魚が皆、北の方に上がってしまったのではないかということだった。その一方で、本来、沖縄などの暖かい地域でよく見られる魚が、見られるようになって来ているという。
自然に恵まれて移住先としても人気の高い五島ですら、このような環境破壊に直面して生態系は変化して来ているというのだ。
単に自然のある場所に移動すればよいだけでなく自然環境を守らなければ、移住先さえなくなるということなのである。
私は青物を釣ろうとしてこの釣りの聖地に来たこともあって、それは身近で切実な話として感じ入った。
クリスマスプレゼント
2019.12.26
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