



行ってみて分かったことはチケットを購入した時にパビリオンに事前に予約しておかないと当日、会場で完全予約制のパビリオンは見れないということだ。
例えば、一番人気のアメリカのパビリオンなどは完全予約制で見ることが出来なかった。
(その為、今度、アメリカのパビリオンと、それ以外のまだ見ていないいくつかのパビリオンを見てみたいと思っている)

それでもほとんどのパビリオンは列に並んで見ることが出来た。
どのパビリオンも巨大なスクリーンに映像を流して、その国の文化や見所を紹介するような作りになっており、AIやロボット技術などを使った農業や漁業、産業の振興を計画するなど、ビジョンが、全く似通っている。
基本的にパビリオンは、技術的には全く同じものを使っていて、全く面白みがなかった。
会場内では現金は全く使えず、クレジットカードやpaypayやその他の電子マネーしか使えないようになっており、また事前予約で、並ばないことがコンセプトになっていた。
そうしたコンセプトなら、最初から十分に説明して欲しかったが、そうした何の予備知識もなく、いきなり入場した為、長い列に何度も並ぶ羽目になった。
例えば、主要先進国のパビリオンは、それなりに面白いものもあったが、例えば、イタリア館では、ファルネーゼのアトラス、カラヴァッジオの「キリストの埋葬」ダ・ヴィンチの直筆スケッチなど本物が並べられていたという。
またフランス館では、ルイヴィトンやディオールなど、フランスの高級ブランドの全面協力の元に斬新なオブジェの展示などもあった。


しかし、これらをわざわざ日本に運んで来て展示する意味はあるのかと思える面もあった。
例えば、実際、フランスの美術品を見るなら、ルーブル美術館に行けばもっと感動するだろうし、歴史物の展示物などを見たければ、大英博物館で、ロゼッタストーンなどを見た方がよほど、感動するのだ。
あるいは、エジプトに直接言って、ピラミッドを見た方がいいかもしれない。
ほんの少しお触り程度の展示物を海外から運んできて、展示してあったとしても、それ程の感動はなかった。
全てが子供騙しであり、このグローバルな社会で、わざわざこのような展示会場を作って何の意味があるのかと思えてくる。
しかも各パビリオンの建物は、耐震強度など通常の建築基準法の基準に合わせて作られた訳でなく、特例で建築している為、万博が終わったら全て取り壊すという。
また目玉である円形の大屋根リングも全て、スウェーデンから大量に木材を運んできて、わざわざ建設したのに万博が終わったら、全て取り壊すという。

もったいない限りである。
社会学者・古市憲寿が、「万博よりUSJの方が絶対に楽しい」と発言したが、多くの人がその意見に賛成しているという。
私もその点には賛同したいと思った。
2日間、万博に通ってみたが、全く期待外れであった。
この催しに3000億円費やしたのであれば、壮大な無駄ではないかと思った。


但し、そうは言っても開催したからには、どんな内容なのか見たくなるもので、見ないと気が済まないことは確かである。
いくつかのパビリオンを見て、全く退屈で期待外れで落胆していた時、面白くないのは私の受け身な態度に問題があるのではないかと気づいた。
面白くないならば、自分から面白くすればいいのであり、面白くしなかったら、それは自分の問題であると思った。
その為、私は各パビリオンのスタッフに声を掛けて、情報収集することにした。
スタッフに話しかけて、どうやって応募したのかとか、その方の母国の文化について尋ねるなど、色々世間話をしてみた。

例えば、具体的にどこの国のパビリオンだったかは忘れたが、中東の某国のパビリオンでは、年配の女性たちが機織りの実演をしていたが、ヒジャブのようなものをまとって、口には鉄のマスクを身に付けている。
だが、スタッフの若い女性は、口にはそうしたものは身に付けていなかった。

何故、年配の方は、身に付けているのにあなたは身に付けていないのか、など、しつこく、日本人の変わった中年が話しかけて来たと思われたとしてもかまわないので、しつこく聞いてみた。
その女性は何と説明したらいいのやら、「身に付けるも身に付けないも自由なのです」などと、当たり障りのない回答をしてくる。
やはり、「イスラム教で厳格に決められていて、身に付けなければならないのです」といった悲観的な話はスタッフとしての立場上、出来ないらしい。

エストニア、ラトビア、リトアニアのパビリオンだったか、詳細は忘れたが、北欧のスタッフたちが皆、髪の毛を青やピンクに染めているので、不思議に思って、その髪は、今回のスタッフの仕事の為に染めたのかと聞くと、そうではなく、普段からこの髪で生活しているということだった。
日本でも茶髪だったら、ピンクや青の色に染める人は、見かけるようになったが、北欧では別に髪を染めていても就職などには全く影響しないということだった。
話には聞いているが、民主主義が一段と進んでおり、個人の自由が尊重されているということがその一件のみで、感じられた。
因みに北欧のスタッフの女性は、全パビリオンの中で、最も美しい女性たちが、務めていた。
もう詳細は覚えていないが、それに匹敵するのはフランスのスタッフだったか、それ程はいなかったと思う。
やはり国を挙げて、それなりに選抜されて来た人たちだとは思うのだが、他の国々とはレベルが違うのである。
あともう一つ印象に残ったのは、ハンガリーのパビリオンである。
中に入ると、暗いドーム型の建物の中に円形に並べられた椅子に座らされた。

中央にオペラ歌手のような女性がたたずんでいて、歌を披露してくれた。
その雰囲気が、映画「アイズ・ワイド・シャット」のような秘密結社的な雰囲気で、中々の演出なのである。
ハンガリーのスタッフたちは、気さくに日本人に話しかけて来て、ユーモアもあり、親日国であることがよく伝わってくる。
おそらく彼らは、日本が好きなのだろうと思った。
また今回は、私は事前に知らないで観覧したのだが、メディアアーティスト・落合陽一がプロデュースしたという、シグネチャーパビリオン「null2(ヌルヌル)」も見た。
米国の「ソウ」というホラー映画があるが、あの雰囲気によく似たおどろおどろしい空間を演出していて、それなりに興味深い体験だった。
来場客たちと世間話
そして、私は、パビリオンの列に並んでいる時に退屈だったので、前にいた2人組の若い女性にも声を掛けてみた。
彼女たちは、カナダからの留学生で、日本で、今、インターンをしているという。
その一人はおそらくカナダ生まれで、もう一人は、カナダで生まれ育った中華系の女性だった。
随分大人びでいたので、20代後半ぐらいだと思ったが、聞いてみると、20歳と21歳の2人組で、インターンで、社会人になり立てだった。
かなり長い待ち時間で、退屈しのぎに世間話をすると共に出生データを聞いて、そのうちの中華系の女性のチャートをスマホで作成してみた。

その女性をソフィア(仮名)と呼ぶが、ソフィアは、現在、マハダシャー木星期に入りたての木星/木星期だった。
木星は仕事の10室とパートナーの7室を支配して、蟹座で高揚している。
なるほど、これからインターンになって、素晴らしいキャリアが始まる訳だ。
またもしかすると、パートナーと職場結婚などして、結婚してお金が入ってくるのだ。
そのことを伝えると、パートナーからお金が入ってくるということは、本人は、あまりピンと来ないらしいが、「これから私はお金稼ぐよ」と乗り気だった。
因みにこんなに適当に声を掛けたに過ぎないのに双子座惑星集中で、蟹座で木星が高揚しており、私とは惑星配置的に大いに縁があるようで、いつもの事ながら、偶然ではないような気がした。
私は、双子座に水星、ケートゥ、土星など惑星集中し、蟹座に月と太陽が在住する為、彼女のように双子座や蟹座が強調されている人は度々、私の人生に登場する縁ある人々である。
そして、このソフィアのチャートでは5、12室支配の金星が12室で定座に在住し、高揚するラーフとコンジャンクトしている。
イベントの5室の支配星が海外の12室で、同じく海外を表すラーフとコンジャンクトしており、現在、その金星やラーフに木星がトランジットし、土星がアスペクトして、ダブルトランジットしている。
海外で、大阪万博のようなイベントに参加したり、あるいは、イベントを作る側にまわって創造的な活動に取り組む時期である。
それにしても金星とラーフが定座であったり、高揚して強く、かなりゴージャスな配置である。
彼女は、今回の日本でのインターンを大いに楽しむようである。
こんな感じで、パビリオンに並びながら、待ち時間に読書をしたり、前にいる人に話しかけたりして、時間をつぶしていたが、話し相手が出来ると、それは面白い体験だった。
実際は、そうしたパビリオンなどの箱物よりもそうした交流の方が面白いのである。
もし私が今回、大阪万博で、意義深い経験をしたとすれば、各国のイベントスタッフに話しかけたり、上述したように待ち時間に他の国の人と会話をすることで得られた経験である。
本来は、そうした経験はもっと安上がりなはずで、こんなに高価な箱物は必要ないし、工夫をすれば、もっと安上がりで面白いイベントを作れるはずである。
例えば、世界中の学者や研究者が一堂に会して、国際オープンキャンパスを開催して、一般向けに最新の研究成果を講演やセミナー形式でレクチャーするようなイベントなどがあってもいいと思う。
そうしたイベントの方がクオリティーが高く、しかも安上がりである。
大阪万博、それは壮大な無駄遣いだが、それでも楽しみ方はある
大阪万博は、壮大な箱物であり、壮大な無駄遣いなのであるが、それでもそこに世界中からスタッフや参加者などが一同に会することによってそこにはやはり意味や可能性が生じて来る。
イベントを立ち上げてしまったからには、そこから最大限の効果を引き出すべく、参加者もそこに積極的に関わって、楽しみ方を見つけるべきである。
イベントを2日間で一通り見て、一部、見れないパビリオンもあったが、それはまた次回にするということで、最後の締めくくりとして、大屋根リングから、パビリオンの全景を楽しんだ。



やはり、夜間の会場内の雰囲気はよく、17時以降に入場できる夜間券というものもあるので、そうした券で、人が帰り始める夜間に入場するのもいいかもしれない。
万博会場は格差社会だった
因みに大阪万博はかなり入場券が高額であるが、中のレストランや飲食店も非常に高額だった。
全て皆、外国人価格であり、日本人が楽しめるような価格になっていなかった。
中に入場してから更にそこで食事やショッピングを楽しむにはお金がかかってくるが、それが半端な金額ではなかった。
日本の税収からの予算で開催するイベントだが、日本人が楽しめるような金額ではないのである。
あれが、楽しめるとしたら相当余裕のある人である。
万博会場内で食事をするぐらいなら、道頓堀にでも行って、食事をする方がよほど良いかもしれない。
グローバリゼーションが浸透した今、国別の博覧会を開いて意味があるのか
そして、既に上述したが、万博の各パビリオンは、全て巨大なスクリーンに映像を投影するような似たような作りになっている。
どんどん世界が均質化しているのである。
例えばフランスのパビリオンの目玉であるルイヴィトンやディオールは今では世界中に支店があって、世界のどこでもこれらの商品を体験することができる。
まだグローバリゼーションが浸透していない昔であったら、各国、固有の文化(商品や芸術)を経験できる博覧会は新鮮で意味があったが、グローバリゼーションが浸透した今、世界中の物は、世界中のどこにでもあるのである。
まして、世界中の文化を知るための映像などはインターネットで簡単に入手できる時代である。
こうした物主体の博覧会を開いて、そこに意味はあるのかということである。
巨大スクリーンに映された映像など、インターネットで見るものと何ら変わりはなく思え、家で、一日中、ネットサーフィンしていた方がはるかに安上がりで面白いかもしれない。
各国の民族性や文化のもっと深い部分を知ることには意味があると思うが、その為には物主体ではなく、人間との直接的な交流が必要である。
このような箱物イベントは全く不必要である。
インターネットで代替できるものをわざわざ3000億円かけて、作って壊して、そこに意味があるのか全く疑問である。
2025年の新月図から見た大阪万博
因みにこの大阪万博は、2025年の日本の新月図にしっかりと示されていることに気づいた。

大阪万博やオリンピックなどの国民の祭典は、マンデン図の5室が表すが、2025年の新月図では4、5室支配のヨーガカラカの土星が水瓶座の5室に在住しており、この土星が今年の万博を表している。
ヨーガカラカの土星がしっかり5室で定座に在住している為、一流のイベントをしっかり開催したことを意味している。
しかし、その土星には若干問題があり、水瓶座の29°58’に位置しており、通常星座の一番最後の方の度数は良くない領域である。
惑星の覚醒状態を表すアヴァスタの概念によれば、ムリタ・アヴァスタ(Mrita Avastha)で、死を表しており、全く結果を出すことが出来ない。
また私はこの2025年の新月図については昨年、今年と何度も言及しているが、この土星は、わずか6時間後には、魚座に移動するのである。
惑星は通常、2ヵ月前の時点で、次の星座に在住しているかのような効果を発揮する為、実質的にこの土星は、4、5室支配で6室に在住していると考えるべきなのである。
そうすると、国民の祭典を表す5室の支配星が、他の惑星と共に6室(病気、負債、訴訟)に在住して、国民の祭典における障害や奮闘を表している。
実際、このイベントは当初、大阪の予算内で賄うはずであったが、建設費が大幅に増額することになった為、国が支援することになり、国民全体の税金で負担することになった。
つまり、このイベントは国民の負債であり、国民の重労働によって返済していく贅沢である。
そして、開催の直前まで建設が遅れているなど、トラブル続きだった。
また会場内のトイレが壊されたり、色々問題も生じているようである。
つまり、奮闘の末にやっと開催に漕ぎつけたやっつけ仕事なのである。
こうしたトラブル続きの大阪万博は、5室の支配星である土星が6室に在住して、5-6の絡みを形成していることで説明できる。
また会場内では、どこも似たような巨大スクリーンに映像を投影するようなテクノロジーが使われており、本質的に均質的な空間である。
会場内では、キャッシュレスで、クレジットカードや電子マネーしか使えず、また全てスマホで予約して、一切、会場前には行列を作らないというコンセプトなども5室支配の土星が5室水瓶座に在住していることが示すような水瓶座の未来社会のコンセプトに満ちていた。
しかし、それが上手く機能しないで、空回りしているのが目立った。
スマートフォンで、チケットを購入して更にパビリオンの事前予約などもしなければ完全予約制のパビリオンは見れないのであり、かなりスマートフォンを使いこなしていなければ、楽しめない難しさになっている。
つまり、スマホが上手く使えない人は、会場には入れても何も見れないで出て来る羽目になる。
お年寄りなどには難しすぎると思えた。
水瓶座とは、本来は、テクノロジーは隠して、もっとユーザーインターフェースは、万人に分かりやすく、使いやすいものになっていなければならないが、テクノロジーがそこまでのレベルに達しておらず、中途半端なのである。
だから、水瓶座の理念が、理念のままで終わっており、十分に具体化していないのである。
そして、結局の所、完全予約制などは実現できずに長い行列が出来ていた。
つまり、結果を出すことが出来ないムリタ・アヴァスタ(Mrita Avastha)そのものであり、5-6の絡みそのものなのである。

そして、これは非常に興味深いことだが、2025年の新月図は、6室惑星集中で、6-8の星座交換なども出来ていて、日本国民の試練を示す大変な配置になっている。
実際、日本の各地で、財務省解体デモなども生じており、国民生活の厳しさを訴える国民が増えてきて、不穏な状況になって来ている。
トランプ関税により、アメリカの株、債券、為替などのトリプル安になっており、まもなく本格的に不況が訪れそうである。
そうなれば、それが世界的に拡大して、日本も不況となり、更に国民の生活は苦しくなり、デモ活動なども拡大していく可能性がある。
中国の尖閣諸島への領海侵犯や軍事的な挑戦も目立って来ており、以前にも増して、軍事的緊張が高まっている。
またウクライナでは、アメリカ(NATO陣営)とロシアの代理戦争が行なわれて、緊迫した局面にもある。
こうした中で、金と時間を持て余した平和ボケした世界中の人々が、欠陥の多い万博に訪れて、万博内のレストランや飲食店で、高価な(彼らにとっては高価でない)食事をして、日本人たちは、その近くで指を咥えて見ているだけという、奇妙な状況になっている。
つまり、楽しい国民の祭典(5室)と、格差社会でインフレによる生活難に苦しむ国民の反体制運動(財務省解体デモ:6室)といったかなり温度差のある要素が、今年の新月図では共存しているのであり、それが実際に具現化していることには驚くばかりである。
今年は、更に7月に向けて、経済的不況が進行していくと思うが、そうした厳しい生活環境の中で、大阪万博という国民の祭典も空気が読めない感じで行われていくのである。
まさに2025年の新月図通りのことが今、起こっていることが分かる。
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