
西暦 | 年月 | 出来事 | ヴィムショッタリ | チャラ | ヨーギニ | トランジット |
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もともとは歌手を目指しており、アメリカに短期留学して聖歌隊で歌うなどしていたが、「歌の才能はない」と先生に言われる。「それでも歌を出したければ、まず留学先でシリコン豊胸手術を受けて顔を売れ」と勧められ、グラビアに挑戦。最初は恥かしさもあり不安が大きかったが、プロにメイクやライティングをしてもらうことによって綺麗な仕上がりになることに納得し、撮影終了後に「楽しかった」と感じたことでグラビアモデルを続けることにした。芸名は最初の写真集を撮る際、連れていかれた現場での野田義治の「お前は今日からMEGUMIだ!」の一言で決定。 甲高いアイドル声と可愛さを前面に出す、というアイドル路線が一般的であった当時において、グラビア活動主体の新人タレントとしては、体型以外で飛び抜けたセールスポイントはなかった。しかしながら、よく通る声と、「おっさんトーク」とまで揶揄された核心に触れるトークで人気を博した。 | ||||||
2003年 | 関根勤率いる「関根勤とパロディー集団」として『エンタの神様』にVTR出演。(~2004年4月頃まで) 約1年間、歌手として活動した。 | |||||
2003年 | 7月16日 | 坂本九の「見上げてごらん夜の星を」をダンスホールレゲエ調にアレンジし、日本のレゲエラッパーCORN HEADをフィーチャリングしたマキシシングルと、同曲を含む5曲入りのミニアルバム『MY NAME IS MEGUMI』を同時リリースし、念願の歌手デビュー。当時「見上げてごらん夜の星を」を平井堅もカバーアルバム『Ken's Bar』でカバーしており第54回NHK紅白歌合戦にて歌唱、MEGUMIの「見上げてごらん夜の星を feat.CORN HEAD」は、世間に広く認知された平井バージョンとは対照的に陽の目を浴びることなくオリコン週間チャートにおいても最高位130位という結果に終わった。その後も、今度はCORN HEAD側からのオファーでフィーチャリングという形で参加したCORN HEAD名義のシングルでありラッツ&スター「め組のひと」のカバー曲である「め組のひと feat.MEGUMI」、Yellow Girls名義でリリースした「六甲おろし」のカバー「六甲おろし〜Yellow Girls Version〜」の他、2004年までにシングルを3枚、ケツメイシのRyojiやSILVA、"DOUBLE BLADES"名義のNao'ymtやshungo.、YANAGIMANといった第一線で活躍するアーティストや音楽プロデューサー、コンポーザー、リリシストがこぞって参加したフルアルバム『LOVE ALL PLAY』を相次いでリリース、歌手活動を継続したが、ヒット曲には恵まれず、オリコンチャート上位などには無縁であった。 『熱唱オンエアバトル』の特別放送にゲストとして呼ばれた。本人もこの番組が好きで大変喜んでいたが、ハリガネロックと息が合わずたじたじだった。また本人は「ファイナルで球を転がしたい」とも言っていた。 『くりぃむナントカ』などで突発的にPVが披露されたが、歌唱力が低いと失笑された。 | ||||
2003年 | 12月 | テレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際、司会の黒柳徹子がMEGUMIの大きな胸を触って、エンディングを迎えると言う前代未聞の演出があった(2008年及び2011年に同番組に再出演した際にもその話題が触れられた)。 | ||||
2004年 | 所属事務所をイエローキャブからサンズエンタテインメントに移籍。その後は女優業にも進出。 | |||||
2005年 | 7月18日 | ドラマの撮影でロケ地に向かう途中、マネージャーの運転する車の後部座席で横になっていたところ、後続のバス2台とトラックに追突されるという交通事故に遭い、恥骨のみ骨折と診断され、2週間ほど入院。入院中は医者が回診に来ては恥骨の辺りを触るが、来ないと寂しかったという。 | ||||
8月下旬 | 退院後は静養し、8月下旬仕事に復帰した。 | |||||
2008年 | 7月7日 | 自らの妊娠が判明したことを機に、交際中であったDragon Ashのボーカル・降谷建志と結婚する。 | ||||
2009年 | 2月6日 | 都内の病院で第一子となる男児を出産した。 | ||||
2010年 | 2月8日 | フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』で、倖田來未からの紹介でテレフォンショッキングにゲストとして出演した時、出演祝いとして送られる生花が木村多江が送った1つだけであった。 | ||||
wikipediaより引用抜粋 |