3、6室支配の水星期—運命

ケートゥ/土星/木星/水星/ケートゥ期であった。

私の水星は3、6室を支配し、3室でヴァルゴッタマ、ナヴァムシャではラグナ、月、太陽から見て、9室の支配星である。

3、6室支配の水星は最悪であることが改めて分かったのが本日の体験である。

職場でコミュニケーションの行き違い、意思の疎通の不良で、職場の上司に誤解され、険悪な空気を作ってしまったのである。

今まで特に職場での振る舞いには気をつけていたのだが、油断して様々な誤解が生じてしまったようである。

そして、同僚との間のコミュニケーションも非常にぎこちないもので、衝突や対立がたびたび生じたのである。

プラティアンタルダシャー木星から見て、スクーシュマダシャーの水星は6室目であり、何かコミュニケーション上のトラブルが起こることが迫っていたのである。

ケートゥも損失を表し、当然、コミュニケーション上の不良、不足を表している。

ケートゥは数学、プログラマーという象意があるが、それらの専門家がしばしば、コミュニケーション能力に乏しいことに見て取れるように、水星とケートゥのコンジャンクトは通常の常識的なコミュニケーション能力、対人的なコミュニケーション能力を欠く象意なのかもしれない。




そして、職場で仕事中に携帯に電話がかかって来たが、取ることができず、後から連絡をしても連絡がつかなかったり、また留守電に連絡が入っていたのに気がつかず、気がついた時に相手に電話してみると、連絡がつかなかったり、コミュニケーション上の疎通が上手くいかないようである。


また帰宅時に満員電車(交通)だったのだが、奥まで入って行こうとしない人を批判する年配の男性と若者の小さなトラブル、闘争的コミュニケーションを目撃したのであるが、3、6室支配の水星期には自分のコミュニケーションが上手く行かないばかりでなく、そうした事象をも目撃するのである。これは前兆学的、象徴学的な事象であるが、今までもよくこうしたことは起こっている。


例えば太陽が高揚している友人はしばしば非常にステータスの高い社会的権力者、実力者を目にするそうであるが、私たちが日頃、ただ目にするだけの現象でも私たちの惑星配置が決めている所があるのである。


水星は占星術のカラカであり、またナヴァムシャで9室の支配星でもあることから、水星期には占星術を非常に実践できる時期でもあるのだが、スクーシュマ/プラーナが、水星/ケートゥ期である現在、職場で占った同僚3人からフィードバックが返ってきて占星術的体験が充実してくるのである。

それらの同僚は日頃、仕事上でコンタクトしたことはなかったが、偶々占星術をすることになったのである。

そのフィードバックが3名から返ってきた訳であるが、量的に鑑定体験が盛んになるのもこの水星期である。

そして、水星期の今、このコメントを書いている事も水星が影響しているのかもしれない。

3、6室支配の水星は非常な困難をもたらす。ハウスの法則は正確に働き、私たちにその影響力を振るうのである。



そして、近々、ケートゥ/水星期が迫っている今、私は非常に憂鬱である。

このように未来がはっきりと分かっている場合、何ともやりきれないものである。

マハダシャー水星期の時、強迫神経症、関連妄想、あらゆるマインドの病気に陥ったものである。妄想したり、偏見を持ったり、誤解を受けたり、偏見を持たれたりなど、自分自身がそうであるように相手からもそうした対応を受けるのである。

つまり、3、6室支配の水星とは頭の病気である。思考の病気であり、識別力に問題が生じるのである。妄想、偏見などマインドの曇りによって、真実が見えない。

然し、ナヴァムシャで9室支配の水星がそうした曇りの中で、冷静で賢明な思考、判断をしてくれることを期待したい。そうした内奥の要素が働くことが希望である。

ラオ先生がある程度の占星術的知識を有していて自分の死期が分かってしまった人物のその後の経過を悲惨な情景として記述していたが、インド占星術の未来予測技法は正確に働くだけに未来が分かることは悲劇をも生み出す。

その日が迫ってくるのはまるで時限爆弾が爆発するのが分かっているのに逃げられないようなものである。

このような事から、鑑定時に人の未来の困難を軽々しく口にしてはいけないこと分かってくる。インド占星術師はつい否定的な鑑定をしがちであり、それはハウスの法則が機能し、否定的な時期がはっきりと特定できるだけにその認識をしゃべりたくなるのである。

手塚治の「ブッダ」の中に41歳で息子に殺されるという予言をされたビンビサーラ王の物語が出てくるが、彼は非常に悩み苦しんでブッダに救いを求めたと描かれている。

然し、そのブッダの回答は覚悟をして正しい行動、正しい生活を送り、勇気を持ってその日を迎えることをアドバイスするものだったようだ。

死ぬ運命を予め知り、その日を知りつつもそれに向かって生きるという力強さ。

インドには寝っころがったまま、一生を終える聖者もいて、それは一度、決めたことを変えないで実行することによる意志を鍛錬する修行なのだという。

そうした聖者がいるような力強い国の伝統の中で生きて使われてきた占星術だから、それを用いることでインドの力強い伝統の中に引き込まれるのである。

鑑定を受ける方も、鑑定をする方もその伝統の中に引き込まれるのである。


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