7/14から木星が獅子座に入室し、土星が蠍座から獅子座にアスぺクトすることで、本格的に獅子座へのダブルトランジットが成立している。
そのことで、いろいろ出来事が起こり始めた人が続出している。
木星や土星が移動するタイミングでは毎度のことである。
あるスピリチャル系の集会に友人に誘われて行く機会があった。
開始時間よりも少し早めに着くとそこは獅子座の人だらけであった。
獅子座の人たちは見れば一目で分かる。
ジーンズなどのラフな格好で不器用な性格で寛大で鈍くささを漂わせているが、根拠のない自信に裏付けられて、寛いだリラックスした雰囲気で、声や態度が大きいことが特徴である。
そのグループの集会では、形而上の神からの信託を特殊なメソッドによって受信し、様々に解釈してそのお告げを分析し、日常生活に生かすということを行っている。
このように形而上のメッセージをチャネリングや信託、様々な前兆によって受信し、未来を予測するのは8室(非物質・非法則)の象意である。
※因みに9室は法則のハウスというが、それは「常識」と呼ぶこともできる。つまり、9室を損失する(12室目)8室は非常識なハウスである。
8室の支配星のダシャーの時期にしばしば夢や霊感などによってメッセージを受け取るのである。
そのようなことをラオ先生も書いている。
その信託の受信の仕方には言葉の音に様々な漢字を当てはめて、漢字の「つくり」などから象意を解釈するなどの方法がある。
例えば、神戸で地震が起こった時に「神戸」を”神の戸が開く場所”と解釈し、「神戸」は神からの特別な啓示や役割のある街であるなどと解釈するのである。
宗教的なグループ、神に献身的なグループに行くと万事がこの調子である。
論理ではなく直観やフィーリング、類似や比喩によって物事を解釈するのである。
これは典型的な魚座のグループであり、人々である。
私自身、ラグナロードの火星が12室の魚座に在住しているので、このような魚座の宗教的な世界は嫌というほど経験して来ている。
そこでは形而上の世界について知るには形而下の因果律などで論理的に解釈するのではなく、類似、比喩といった象徴解釈によって形而上の理由を知ろうとする姿勢が見られる。
つまり、前兆学的な解釈を神の啓示として考えるのである。
そして、私が即座に理解したのは、彼らは獅子座の人々であり、8室の魚座に惑星が在住するなどして魚座に特別のカルマがあり、巫女のパフォーマンス、信託などによって宗教性(魚座)と関わらざるを得ない人々なのであるということである。
彼らは信託、チャネリングといったものをありがたがって、それらの啓示を信じ切り、啓示に依存していく人々である。
やがて、それは麻薬のようにそれなくしては生きられないような人々を生み出すはずである。
私は獅子座と宗教(魚座)というこの全く異質な組み合わせに対して違和感を感じて来た。
獅子座の人々は、宗教オンチであり、本来、宗教がよく分からない人々である。
世俗の王なのであり、宗教は全く似合わない。
その世俗の王が全く宗教的センスがないのに信仰を熱心に実践しているのを見ると、どこか滑稽である。
彼らは全く自分たちがセンスがなく才能もないことをぎこちなくやっているのである。
通常、8室というのは自分が近寄りたくない相手であり、避けたい相手である。
だから獅子座の人々は、通常、宗教に近づかない。
然し、獅子座の人々が宗教にはまった時には全く惨めなまでに我を忘れ、盲目的に神のお告げ(信託)に没頭する。
その姿は、アルコール依存症のように惨めである。
※例えば、ラスプーチンに操られたロマノフ王朝などが考えられる。宗教家と王室という組み合わせである。
自分の弱点であり、全く不得手とするものにはまった人は、完膚なきまでに徹底的に搾取され尽くすのである。
つまり、世俗の王を支配するのは宗教家なのである。
何故、世俗の王(政府)が宗教に厳しい税金を課すことができないかというと、それは彼らの弱点、急所(8室)だからである。
日本でも政治家が宗教家の元にお忍びで通い、様々な相談事をしているケースがあるようである。
彼らは神託をありがたがり、神託を過大評価する。そして時には依存する。
私は友人の誘いで訪れた集会でそのような獅子座の人々の悲哀を感じ取った。
そこで「先生」と呼ばれている講師の立ち居振る舞い、話の内容、教えは明らかに魚座に彩られている。
明らかに魚座の宗教家であった。
従って、その集会の構図は魚座の宗教家が獅子座の人々を洗脳し、完全に支配しているという構図であった。
獅子座の人々には「先生」の言っていることが正しいかどうか検証する術を持たず、また神託が正しいかどうかを検証する術を持たない。
それらはただ受け入れられるだけである。
それが本当かどうかは試してみるまでは分からない。
分かるためには数か月~1年試すことを要求されるのである。
確かに8室で何か霊的なシッディなどによって何らかのインスピレーションを受けたとしてもそれに判断を頼るのは騙される可能性が高いと言わざるを得ない。
それが8室の盲目性なのである。例えそれが質の高い高級霊からのメッセージであってもである。
そのように論理や理性を失った世界が8室の世界である。
私は獅子座の人々が好きである。
鈍くさいが裏表がなく単純な彼らと波長が合う。皆、人がよく親切である。
然し、神託に判断をいだねる場合、それは5室の支配星が8室に在住している状態であり、マインドの死、判断力の停止である。
その状態からは、無責任や無知などあらゆる苦悩が生じるのである。
土星が蠍座にあり、獅子座に木星が入室し、金星が入室し、月も入室した時、このようなことが起こったのである。
獅子座にダブルトランジットが生じているので、魚座の教祖が獅子座の人々を支配するという人間界の悲哀の舞台を私は垣間見たのである。
この獅子座と魚座の関係で思い出されるのが、参議院議員の山本太郎が天皇陛下(魚座)に手紙を渡したあの一件である。
あれだけ、人に媚びず、自己を確立した山本太郎が、天皇陛下には頭を垂れ、手紙を差し出して、依頼心を示したのである。
あの人に媚びない山本太郎が、古の宗教的権威である天皇には、卑屈に振る舞い、依存したのである。
あの姿が獅子座が魚座にひれ伏す図である。
つまり、王様(獅子座)よりも宗教家(魚座)の方が強いのである。
それは西欧においてローマ教皇と世俗の王の関係にも見られた。
私は獅子座が魚座にひれ伏す図をまさに目の前に目撃し、そこで、どのような力関係で何が行われているかを理解した。
因みに私は1、8室支配の火星が12室の魚座に在住している。
8室の支配星が12室に在住しているため、ヴィーパリータ・ラージャヨーガである。
だからか、私は非常に濃密に宗教的経験をして来たし、せざるを得なかったのだが、だが宗教に支配されたことはなかった。
むしろ、私自身が宗教によって自己を克服し、宗教によって生かされた人間であり、一つの宗教家の一種であるのである。
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