西暦 | 年月 | 出来事 | ヴィムショッタリ | チャラ | ヨーギニ | トランジット |
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1984年 | 『少女コミック』主催の「ザ・スカウトオーディション'84」でグランプリ・浅香唯賞を受賞。これにより、芸名が「浅香唯」となる。自身は芸能界には全く興味がなかったが、優勝者に贈られる副賞“赤いステレオ”欲しさでオーディションに応募した。審査員だった前述の作品の作者は「『浅香唯』はこの子しかいない」と、浅香を一目見た瞬間から決めていた。浅香はステレオとグアム旅行を手にするという目的を果たし、これで終わるはずだったが、数々の芸能プロダクションから次々とスカウトの電話が来る。 | |||||
1985年 | 3月 | 中学卒業と同時に上京した翌日からTBSの生放送番組『EXPOスクランブル』にレギュラー・アシスタントとして出演する。 | ||||
6月21日 | シングル「夏少女」で歌手デビュー。キャッチフレーズは“フェニックスから来た少女”。約1年半の間にシングル5枚、アルバム1枚を発売するも、5枚目のシングル「10月のクリスマス」がオリコンチャート88位にランキングされた以外は、他のシングル・アルバムは100位以内にランキングされなかった。 | |||||
1986年 | 10月 | フジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』に、主役の3代目麻宮サキ役で出演を果たした。 | ||||
1987年 | 1月 | 1987年1月発売の「STAR」が同ドラマの主題歌に起用され、オリコン9位にランクインする。以降、TBS系『ザ・ベストテン』、日本テレビ系『歌のトップテン』、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』、テレビ朝日系『ミュージックステーション』等、多数の音楽番組に出演する。同年9月発売の「虹のDreamer」で、初のオリコンチャート1位を獲得。風間三姉妹(長女:大西結花、次女:中村由真、三女:浅香唯)として発売したシングル「Remember」でもオリコン1位を獲得、コンサート活動も行う。シングル発売時には松坂屋上野店等の屋上にてイベントを行った。『スケバン刑事III』は当初半年間の放映予定であったが、1年間放送された。 | ||||
1988年 | 映画『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』に主演。 | |||||
1988年 | 4月 | ドラマ、映画、キャンペーン、コンサートと約1年半にわたる『スケバン刑事』関連の仕事が終了した後、4月には、カネボウ化粧品のCMイメージ・キャラクターに選ばれ、そのキャンペーン・ソング「C-Girl」が大ヒット。オリコンでは2週連続(通算3週)1位、『ザ・ベストテン』では初の1位を獲得。続く「セシル」はノー・タイアップながら、オリコン1位、『歌のトップテン』でも1位を飾る。レコードがヒットし、映画、ドラマ、雑誌、ラジオ、そしてCMにも多数出演するようになる。各メディアからは「ポスト松田聖子」、さらに中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称され、日本一忙しいアイドルと言われた。 | ||||
1989年 | 1月 | 1989年1月発売の「TRUE LOVE」で4作目のオリコンチャート1位を獲得。 | ||||
4月 | 4月には2作目の主演映画『YAWARA!』が公開される。階段で足のじん帯を損傷し、開催中のコンサートは2本延期されるが、程なくして復帰する。夏のコンサートツアー『YUI ASAKA SUMMER TOUR '89 ROCK'N ROLL CIRCUS』は24ヶ所48公演という、浅香にとって最も公演数の多いツアーとなったが、初日(7月29日)、東京厚生年金会館での公演中、風邪による高熱で倒れ、6曲歌ったところでコンサートは中断されるも、翌日の同会場でのコンサートは予定通り行われた。 | |||||
11月4日 | 11月4日には、1989年締めくくりのコンサートとしてよみうりランドEASTにて『YUI DREAM POWER in EAST '89』を開催した。 | |||||
1990年 | 1月 | 新曲「Chance!」で夜ヒットに出演した際、女優活動を休止し、音楽活動に専念すると発表する。「ロックをやりたい」という発言に対し、周囲からは「脱アイドル宣言」と言われたが、本人は“脱アイドル”を宣言したつもりではなく、また「ロックをやりたい」という発言は、表現方法がわからずそう発言しただけであり、メッセージ性のある歌を歌いたいという意味(それが浅香にとっては“ロック”という表現に繋がった)だったことを、後に雑誌のインタビューで語っている。コンサートもそれまでとは異なり、セットリストはアルバム曲中心でヒット・シングルはわずか、また衣装替えもほとんど無しというスタイルになる。 | ||||
10月 | 10月発売の「Self Control」はシングル作品で初の本人作詞となった。CD制作においては企画段階から浅香自身が携わるようになると同時に、テレビ出演は減り、CD制作やライブハウスでの音楽活動が中心になる。 | |||||
1991年 | 6月 10月 | フジテレビ系オムニバス・ドラマ『世にも奇妙な物語』(「ベビーシッター」)に出演、『金太十番勝負!』(1988年10月 - 12月、フジテレビ系にて放送)以来3年振りのドラマ出演となった。また、10月放送開始のTBS系連続ドラマ『ADブギ』にも出演し、あまり笑顔を見せないクールな女性を演じた。 | ||||
1992年 | 8月 | 1992年8月に発売された13枚目のオリジナルアルバム『joker』はシングル曲を収録せず、また浅香の念願だったアルバム全楽曲を女性作家陣のみで作った作品になった。 | ||||
1993年 | 2月 | 1993年2月をもって8年間所属した事務所・六本木オフィス、所属レコード会社・マイカルハミングバードとの契約が切れるのを機に、両社との契約延長をせずに退社した。「自分を見つめ直し、音楽活動の幅を広げるための勉強をしたい」という理由で、3月14日のクラブチッタ川崎でのライブを最後に無期限休業に入ることをファンクラブ会報にて発表した。突然の休業宣言となり、前触れもなしにその会報の発行をもってファンクラブは解散する。引退ではなく、あくまでも休業であることを強調していたが、後日「浅香唯引退」と報じる記事が新聞や雑誌に掲載され、「引退はしません」と釈明会見を行った。 | ||||
1993年 | 4月1日 | 1990年から3年間続けていたレギュラー番組TOKYO-FM『スーパーFMマガジン 浅香唯のNORU SORU』は、局側の強い希望もあり、当初は休業後も続ける意向だったが、完全休業をしたいという希望から1993年4月1日の放送をもって降板し、完全休業に入る。 所属事務所とレコード会社との契約を延長せずに退社した上での休業だったことで、前述の引退否定会見の後も、引き続き報道各社は「引退」の記事を掲載し続け、事務所とのトラブルで休業に入らざるを得なかったという旨の記事が多く出たが、実際には1990年頃から、浅香は事務所に「(あまりにも忙しすぎることから)休業をしたい」という意向を伝えていたことを後に明らかにしており、「そもそも事務所とのトラブルなどなかった」と発言している。 | ||||
1994年 | 2月 | 休業宣言からちょうど1年後、本名の「川崎亜紀」名義で写真集『FAKE LOVE』(KKベストセラーズ)を出版した。ヌード写真集出版と一部で報じられたものの、実際はヌード写真は1枚も掲載されていなかったが、初版の3万部が完売。 | ||||
1997年 | 8月 12月 | 個人事務所「Y-Chord」を設立し、YUI名義で音楽活動を再開する。メルダックから4年半振りに新曲「Ring Ring Ring」を発売する。また、12月には渋谷Egg-manにて復帰ライブを開催する。 | ||||
1998年 | 8月 10月 12月 | 1998年8月に復帰第2弾シングル「不器用な天使」を発売、12月には東名阪で『Well, Well, Well '98』と銘打ったライブツアーを行う。(このライブタイトルは06年まで、99年と01年を除く毎年12月に開催されたライブのタイトル・シリーズとなった。)10月、ザ・イエロー・モンキーが参加した三国義貴のアルバム『Kirihito 霧人』収録の「水〜pied piper come down〜」でボーカルを担当。その後、『Well, Well, Well 2000 〜扉〜』に三国がキーボーディストとして参加、演奏曲のアレンジも行った。会場限定で配布された新曲「白の扉〜I wish a Merry Christmas〜」では浅香が作詞を、三国氏が作曲と編曲を手掛けた。 前所属事務所とも和解し、芸名を「浅香唯」に戻し、女優・タレントとしての芸能活動も再開。ドラマやバラエティー番組に出演するようになる。 | ||||
2000年 | 3月 | 新宿シアターサンモールで上演された、朝倉薫演劇団 春の特別公演『0021 〜僕は君のために雨を降らそう〜』で舞台初主演を果たす。1度歌を辞めたアイドル歌手が再び歌い出すまでを描いたこの作品は、浅香自身とダブるところがあるが、実際に浅香のために書かれた脚本である。 | ||||
2001年 | 4月から9月 12月 | フジテレビ系『笑っていいとも!!』に隔週木曜レギュラーとして出演する。12月のライブで、解散していたファンクラブを再結成することを発表。12月30日、『ザ・ベストテン2001』に出演し「セシル」を歌唱。 | ||||
2002年 (~2004年9月まで) | 4月 | テレビ東京系バラエティー番組『やるヌキッ!』にレギュラー出演し、活動の幅を広げる。 | ||||
2002年 | 7月21日 7月23日 | 1988年のコンサートでバックバンドの一員だったドラマーの西川貴博と入籍。7月23日に所属事務所が明らかにし、浅香も公式ウェブサイトで報告した。1989年に写真週刊誌にて発覚した2人の交際は14年間に亘り、浅香は「そろそろけじめをつけたいというお互いの気持ちの結果」と説明した。 | ||||
2004年 | PlayStation2『塊魂』のサウンドトラック『塊フォルテッシモ魂』に「カタマりたいの」で参加。CBC制作・TBS系列のドラマ30『冗談でしょッ!離婚予定日』で初の昼帯ドラマ主演を務め、翌2005年には同じCBC制作・TBS系列のドラマ30『ママ!アイラブユー』で2年連続の昼ドラマ主演を果たし、同時に主題歌も担当、インペリアルレコードから7年4ヶ月振りのシングル「笑顔の私」を発売した。 | |||||
2007年 | 9月12日 | 長女(陽舞莉:ひまり)を出産したことを公式ホームページにて発表した。 | ||||
2008年 | 11月21日 | ベネッセチャンネル『げんきすくすく』(DVD+CD)に「はだかでピース」(本人作詞)で参加。 | ||||
2009年 | 5月20日 | シングル「マジ?マジ!マジカル☆ジュエル」をテレビ東京系列のアニメ『ジュエルペット』のオープニング・テーマとして発売。多数の子供向けイベントに参加。 | ||||
2010年 | 6月19日、20日 | 2日間にわたってSHIBUYA BOXXにてデビュー25周年を記念したライブ『25th Anniversary LIVE「9132」』を開催。 | ||||
12月4日、5日 12月25日 | 12月4日、5日には同じくSHIBUYA BOXX、12月25日には大阪・南堀江knaveにて、25周年記念のアンコールライブ『25th Anniversary「9132」Encore LIVE』を開催。 | |||||
2012年 | 自身初のNHK大河ドラマ『平清盛』に藤原朝子役で出演。 | |||||
2014年 | 自身初のミュージカル『アニー』にハニガン役で出演。 | |||||
2015年 | 6月17日 | 『浅香唯 30周年記念コンプリートBOX』を発売。新曲「ありがとう」(本人作詞)とライブで演奏してきた「Shake Love」(本人作詞)も収録された。 | ||||
6月21日 | (浅香のデビュー日)に芸能活動30周年を記念して、『Yui Asaka 30th PREMIUM LIVE』を開催。 | |||||
7月19日と20日 | 『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』で共演した大西結花と中村由真と「唯・結花・由真 三姉妹コンサート」を開催。 | |||||
9月23日 | 3人による新曲「Anniversary」のCDが同コンサートの会場限定で販売され、同コンサートの映像も収録した同曲のミュージックビデオが9月23日に発売された。 | |||||
2015年 | 12月5日、6日 | 『Yui Asaka 30th Memorial Live 2015 〜感謝をこめてリクエストパーティー〜』を開催。 | ||||
wikipediaより引用抜粋 |
浅香唯
2016.09.13
氏名 | 浅香唯 |
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ローマ字 | Asaka Yui |
生年月日 | 1969年12月4日 |
出生時間 | 05:20 |
出生場所 | 宮崎県宮崎市 |
Rodden Rating | |
ナクシャトラ(Asc) | ヴィシャーカー |
ナクシャトラ(Mo) | ウッタラパールグニー |
職業 | 歌手、タレント、女優 |
所属 | 六本木オフィス (1985/6 ~ 1993/3) Y-Chord(1997/8~ 1999/5) JAM企画 (1999/6 ~ 現在 ) |
業績 | |
その他 | |
データソース | wikipedia, 2チャンネル |
コメント |
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検証メモ | |
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検証メモ(ジャイミニ) | |
検証メモ (その他) |
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