中山美穂

氏名中山美穂
ローマ字Nakayama Miho
生年月日1970年3月1日
出生時間7:00
出生場所東京都小金井市
Rodden Rating
ナクシャトラ(Asc)
ナクシャトラ(Mo)
職業女優、歌手
所属ビッグアップル
業績
その他
データソースwikipedia, 2チャンネル

コメント

検証メモ
検証メモ(ジャイミニ)
検証メモ (その他)

nakayamamiho_chart

(参考資料)

「バカじゃないの!」…中山美穂、仕事激減&問題行動連発で事務所も激怒&愛想尽かす
2016年3月6日 17時0分 ビジネスジャーナル

 仏パリ在住の女優、中山美穂の一時帰国中の言動に、所属事務所も手を焼いているという。中山といえば、一昨年7月に息子の親権を手放し、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成と離婚。離婚成立前の同5月に中山は、音楽家の渋谷慶一郎氏とキスする様子を「女性セブン」(小学館、同6月5日号)に報じられ、不倫疑惑が浮上した。

「すでに“離婚秒読み”とメディアが騒いでいた渦中のことでもあり、中山の無防備で軽率な行動には事務所関係者も相当おかんむりでした。中山の所属する事務所は、AKB48所属の島崎遥香を含めて所属タレントが4人ほどの小規模なものですが、芸能界で大きな影響力を持つ大手事務所系列・Aの後ろ盾があることでも知られています」(テレビ局関係者)

 そもそも中山の離婚は、一昨年3月にスポーツ紙が「離婚に向けて話し合い中」とスクープ報道したことで明るみとなった。その理由について当初、辻の中性化や辻の不倫疑惑などとされ、すべての原因は辻側にあるというものだった。

「当初の報道は、離婚の原因を週刊誌などにしつこく探られ中山に非があることがバレないようにするために、中山サイドがスポーツ紙に情報を流したものです。芸能事務所の常套手段ですね。離婚成立前にあんな不用意な行動をとらなければ、そのまま辻を悪者にしてさっぱり離婚するはずでした。しかし、せっかくそこまでお膳立てした事務所の苦労は中山の軽率な行動でパーに。それどころか、中山には“愛息をあっさり捨てて、別の男に走った”というイメージが定着してしまいました。

 タレントと事務所の大きな収入源は、CMやイメージキャラクターなどの広告。ただでさえパリ在住とあってあまり働かず仕事が激減しているのに、イメージダウンでさらに仕事が減れば事務所の収入に与える影響も大きい。事務所も当時はなるべく派手に扱わないようにメディアに働きかけていたようですが、さすがに中山本人に対してもかなり抗議したようです」(中山の事務所の事情を知る会社関係者)

●辻との格差広がる

 そんな中山だが、昨年12月には渋谷との破局も報じられ、今月1日には日本で約2年ぶりに公の場に登場した。中山が登場したパリの老舗トランクメゾンの日本第1号店オープニングイベント関係者によれば、「破局報道後としてはメディアの前に姿を見せるのは初めて。民放全局、スポーツ紙、週刊誌などほぼすべての主要メディアが来てくださって、大盛況でした」という。

「現場には事務所Aの関係者が姿を見せており、報道陣の動きに目を光らせていました。一方で、当の中山本人は左手薬指に大きなデザインリングをハメて現れ、現場にいた報道陣をザワつかせていました。当然ながら記者たちから指輪の詳細について質問攻めを受け、中山の事務所関係者は本人のいないところで『バカじゃないの!』と愚痴っていましたよ」(イベント関係者)

 さらに、事務所の事情を知るテレビ局関係者は語る。

「事務所は、中山が渋谷と破局したことは認めています。今回の破局報道も、おそらく事務所が流したものでしょう。事務所としては、渋谷と別れさせて中山さんを一度“真っ白”に戻して、もっと働いてもらうための強行手段でしょう。もしかしたら指輪の件は、こうした事務所の行動に反抗する意思表示だったのかもしれません」

 離婚から約2年。辻が作家活動に加えてテレビやライブなど精力的に活動し活躍する一方、中山の迷走ぶりがいっそう際立つ。

(文=編集部)
参照元:「バカじゃないの!」…中山美穂、仕事激減&問題行動連発で事務所も激怒&愛想尽かす
2016年3月6日 17時0分 ビジネスジャーナル
東京に拠点移した中山美穂 今は妹・忍が寄り添う
2016.07.24 16:00 NEWSポストセブン

この春、中山美穂(46才)はパリから東京へ、生活の拠点を完全に移した。子供と離れ、カレとも別れ、選んだのはもう一度、女優としての道。そんな彼女に寄り添う、1人の女性…。

「マユちゃんの言いなりでずっと行く。これ、教え子って言うか、むしろ奴隷?」

 主人公の中年女性が、25才年下の若い男性を自分好みの男に調教していく。山田詠美の小説『賢者の愛』(2015年1月)は、谷崎潤一郎の名作『痴人の愛』をモチーフにした愛憎劇だ。

 編集者の父と母、そして離れに住む作家志望の青年・澤村諒一と暮らしていた中学生の真由子。隣に越してきた百合と仲よくなるが、慕い続けてきた青年も、そして父親も“親友”だと思っていた百合に“奪われ”てしまう。

 それから20年、真由子は復讐を誓う。百合の息子と逢瀬を重ね、精神も肉体も自分に依存させるように仕向けるのだ。『賢者の愛』はドラマ化され、8月20日からWOWOWで放送開始。主人公・真由子を中山が、百合を高岡早紀(43才)が演じる。

「ドラマの撮影はすでに都内のスタジオで始まっていますが美穂さんの演技は鬼気迫るものがあります。“懐かしい人としてではなく、今の私を見てほしい”と仕事への意欲を話していて、完全復帰という感じです」(芸能関係者)

 中山はパリではなく、東京をメーンにした生活に完全に切り替えた。東京で生活するのは十数年ぶりのことだ。中山は2002年、辻仁成と結婚し、芸能活動を休止してパリに移住。2004年1月に長男を出産した。

「しかし、その一方で辻さんとの溝は次第に深まっていきました。そんな折に出会ったのが、パリでの仕事が多かった音楽家の渋谷慶一郎さんでした」(中山の知人)

 2014年7月、子供を辻が引き取るという条件で、離婚。妻や母親としてだけではなく、“ひとりの女”としても生きたいという決断だった。

「美穂さんはその後もパリを拠点に生活して、東京にいる間は渋谷さんのマンションで暮らす半同棲生活を送っていました。ところが、昨年秋から、渋谷さんとの関係が怪しくなった」(前出の知人)

昨年秋、中山はツイッターで、《ひとりでいるほうがストレスないならそれがいい。一緒にいるけど浮気はするよ、なら言ってくれ》と苦しい胸の内を吐露した。

 さらに今年4月、渋谷のマンションに別の女性が出入りしていることが報じられ、破局は決定的に。「子供を手放してでも」と選んだ恋を清算するという、大きな決断だった。

「2つの別れ」を経て中山は、日本での芸能活動を再開。18年ぶりに生出演した昨年末のFNS歌謡祭では瞬間最高視聴率を記録し、3月には初舞台にも挑戦。そして今回、連続ドラマへの出演を決めた。そんな中山の隣に1人の女性がいた。

「都内に家を借りて引っ越したようですが、おひとりさま生活なのかと思いきや、最近は妹の(中山)忍さん(43才)と一緒のことも多いようです。忍さんは美穂さんの初舞台を見に行ったり、今年の美穂さんの誕生日に幼い頃のツーショット写真をインスタグラムで公開したり。忍さんは美穂さんの本格復帰を本当に喜んでいましたね。

 美穂さんの方も久々の東京での生活や仕事で忍さんを頼ることが多いようです。どちらかというと、自由奔放な美穂さんのことを、忍さんが“お母さん代わり”でお世話しているような感じですね(笑い)」(前出の知人)

 最近、姉の活躍と相まって、忍もバラエティー番組などに出演し、過去に1億円ヌード写真集オファーがあったことや、大物俳優と交際していたことを明かして話題になった。中山姉妹の新章が気になる。

※女性セブン2016年8月4日号
参照元:東京に拠点移した中山美穂 今は妹・忍が寄り添う
2016.07.24 16:00 NEWSポストセブン
中山美穂が悲惨な過去告白 男に包丁振り回された、帰宅途中に「誘拐」
2009/5/11 20:26 JCASTニュース

女優の中山美穂さんが仏パリでの生活、子育てについて綴ったエッセイで、「同居していた男性に包丁を振り回された」「小学生の頃に誘拐されそうになった」という悲惨な過去を明かしている。2009年内に中山さんの主演映画が公開される予定だが、なぜこのタイミングで暴露したのか。

誘拐トラウマで、「息子の手を離せない」

中山さんのエッセイ「なぜならやさしいまちがあったから」(集英社)は2009年5月8日に発売された。集英社広報室によると初版は3万部で、芸能人のエッセイとしては「多いほう」。発売からまだ3日だが、「出だしは好調だ」。

女性誌「LEE」での連載(06年10月~09年4月)をまとめたもので、書籍化にあたって、全229ページのうち半分以上の121ページを書き下ろした。 加筆した部分で、こんな悲惨な過去を綴っている。

・「一緒に暮らす男性に包丁を振り回されたことがあります」

同居していた男性に包丁を振り回された、と驚愕のエピソードを明かしている。いつ、どういう状況で起こったのか、相手の男性は誰なのか、くわしくは書かれていない。

刺されるかもしれない恐怖を前に、とっさに子どもの頃に似たようなことがあった、と思い出した。刃を向けられたのは中山さんの母親で、中山さんをかばって相手の足に噛みついたので、その隙に逃げた。

しかし同居男性に襲われた時は逃げずに正面から向き合った、と強さをみせている。

・「もしかしたらあの時命を失っていたかもしれない」

さらに、小学生の頃、帰宅途中に誘拐されかけたと明かす。母親の知り合いが「迎えを頼まれた」と声をかけてきたので車に乗ると、東京から3時間ほど離れた場所に連れて行かれた。結局、何をされるでもなく東京に戻ると、パトカーが何台も待機していた。その時のトラウマで、「息子の手を離せない」としている。

メディアの反応はイマイチ?

・「彼女は自ら命を絶ちました」

中山さんが歌手デビューした翌年(1986年)に、姉的存在としても慕っていた2つ年上のモデルが自殺した。生前、彼女には恋人がいて幸せそうだっただけに、誰かに「別れなさい」と言われて自殺したのではないか、と思ったそうだ。

これをきっかけに自身は「自由な恋愛をしよう」と決意、「誰にも止めることができない自由な魂で結婚をしました」と結んでいる。

女優、歌手として活躍していた中山さんは2002年に作家の辻仁成さんと結婚、男児を出産した。結婚後は仏パリで暮らしている。

CMや試写会に登場する程度だったが、09年中に公開予定の辻さん原作映画で主演を務め、これを機に女優として本格復帰するともみられている。

そのタイミングを狙った書籍化だったと推測できるが、ネットニュースで取り上げられている程度でメディアの反応はイマイチだ。

芸能関係に詳しい業界関係者は、

「中山さんの結婚を快く思っていない関係者は多く、バックアップがなかったのではないか。また、出版社側は売れると踏んで悲惨なエピソードを付け加えたのでしょうが、暴露本が売れたというのは昔の話。不況下で不幸な話題よりも、幸せな生活を自慢した方が売れるんじゃないか」

と話している。
参照元:中山美穂が悲惨な過去告白 男に包丁振り回された、帰宅途中に「誘拐」
2009/5/11 20:26 JCASTニュース
中山美穂の生い立ちは壮絶?両親の離婚、そして誘拐事件。壮絶な過去
2015/5/28 女性のオシャレに彩りを MARBLE (参照元:http://topicks.jp/14381)

辻仁也さんとの離婚、そして親権を手放したことで話題の中山美穂さん。そんな中山美穂さんの生い立ちが話題になっています。中山美穂さんはどんな幼少期を送ってきたのでしょう?誘拐事件とは?普通の人が経験しえない壮絶な生い立ちらしいのですが?そんな話題の中山美穂さんが芸能界デビューするまでの生い立ちについて調べました。

中山美穂の生い立ち~両親の離婚~

中山美穂さんの生い立ち、まずはご両親について。

中山美穂さんは母子家庭で育ちました。お父さんは死んだと聞かされていたようです。
中山さんのご両親は、中山さんが幼いころに離婚しました。

そして中山さんは母親に引き取られました。

母一人で子供を育てるには、一生懸命働かなければなりません。

お母さんは仕事のために度々家を空けることがありました。

子供を一人にしておくわけにはいかないので、

親戚に預けられることも多かったのですが、

かなり不自由な生活を送っていました。

幼い頃から大変だった中山美穂さん。

辛い生い立ちだったようです。

中山美穂の生い立ち~誘拐事件~

中山美穂さんの生い立ちの中で最もショッキングなエピソード。

それは「誘拐事件」です。

幼い頃から整った顔立ちだった中山美穂さん、
小学生のときに誘拐の標的にされてしまったようです。

ある日、中山さんは母親の知り合いから

迎えを頼まれたと、知らない人に声をかけられました。

そのまま車で知らないところに連れて行かれる

という、恐ろしい目にあったのです。

中山さんに危害は加えられませんでしたが、

心に大きな傷を負いました。

当然、母親も責任を感じて、東京で美穂の帰りを涙ながらに待ちました。

なんと恐ろしい過去!すさまじい生い立ちです。

なんでも東京から車で3時間も離れたところに連れていかれたそうです。

危害が加えられなかったからといって、幼い中山美穂さんの心に十分な傷を与えた事件でした。
今でもショックを与え続けているという悲惨な生い立ちエピソードの一つです。

車の中で幼い女の子がどんな気持ちでいたのでしょうか。

親戚に預けられているという状況でなければ起きなかった事故かもしれません。

中山美穂さんは自分の生い立ちを恨めしく思わなかったのでしょうか。

中山美穂さんがエッセイでこんなことを言っています。

その時のトラウマで、「息子の手を離せない」

手を離したら息子が誰かに誘拐されてしまうかもしれない、そんな気持ちなんでしょうね。

生い立ちを恨めしく思っていないにしても、
大人になって、子供をもってからも消えない心の傷があるという事実。

本当に痛ましい生い立ちです。

中山美穂の生い立ち~優しかった叔父~

中山美穂さんの生い立ちについてお伝えしてきましたが、
少し話を明るくさせていただきましょう。

その生い立ちは辛いだけではありませんでした。

中山美穂さんは預けられる生活をずっと続けてきましたが、
とても明るくふるまっていたようです。

中山美穂さんの生い立ちは辛いものだと語られがちですが、
中山美穂さんが感謝する親戚の方々。

大変な生い立ちの中でも光指すときもあったのです。
恵まれた環境でないにもかかわらず、幼い彼女はひょうきんで、とてもおしゃべりな子供でした。とくに大好きだったのは、おじさんの家で過ごす事でした。

おそらくこの「おじさん」とは「白土さん」という親戚のことだと思います。
2010年1月23日放送の「A-Studio」出演時、中山美穂さんのこんなシーンがありました。

美穂チャンの父親代わりだった、白土サンという、若くして亡くなってしまった伯父さんがいたのですが、鶴瓶サンがその人の話をしている途中から、みるみる美穂チャンの目が潤んできて。

父親がいない子どもだった美穂チャンに手を上げることも厭わず、とても親身にしてくれた伯父さんだったようです。

姉妹を自分の子供のように接し、普通の家庭と同じように家族団らん、季節の行事を行って過ごしました。

白土さんは中山美穂さんにとって、父親のような「おじさん」だったのでしょう。

辛い生い立ちの中、幸せな時間を白土さんは中山美穂さんに与えたに違いありません。

中山美穂の生い立ち~母の再婚~

預けられる生活が続く中でも頑張ってきた中山美穂さん。

誘拐事件を経験するという壮絶な生い立ちですが、更に追い打ちをかける出来事がありました。

「母親の再婚」です。

母親と一緒に暮らしたが

母親が再婚して帰る家がなくなり

かなり荒れていた時代があったそうです。

誘拐事件が落ち着いたと思ったら、次は母親が再婚。
なんて大変な生い立ちなのでしょう!

お母様に再婚はいけない、なんてことは思いませんが
思春期の多感な中山美穂さんにとって、

どれだけショッキングな出来事だったことかと思います。

中山美穂さんが自身の生い立ちを語る中で
一時期荒れたことがあったと言っています。

子供にとっての居場所である「家庭」が
母親の再婚によってなくなってしまったということなのでしょう。

預けられている方がよかったのか?

中山美穂さんの生い立ちを思うと複雑な気持ちにさせられますね。

中山美穂の生い立ち~荒れているときにスカウト!~

中山美穂さんの大変な生い立ちに終止符を打つことになるのは、そう、

芸能界デビュー!

ですよね。

中山美穂さんがスカウトされたのは、

そんな「荒れている」時期のことだったそうです。

中山美穂さんは幼いときから「歌手」にあこがれていました。

親戚の家でも明るく歌っていたようです。

中山美穂が大好きだったのは、70年代のちょっと大人びた歌謡曲を歌う事で、縄跳びの取っ手をマイクがわりにして、みかん箱にたち歌い、「歌手になる」と周りに宣言していました

まさかの夢が実現!

大変な生い立ちでしたが、ここからは

皆さまご存知の中山美穂さんの華やかな人生がスタートするのです。

荒れていたときに転機が訪れたのです。

原宿を歩いていると、芸能界にスカウトされました。

中山さんの仕事はとんとん拍子に進み、

あっという間にスターの座を取ったのです。

「みぽりん」という愛称で呼ばれる中山美穂さんを
見ない日はなかったのではないでしょうか。

中山美穂さんはエッセイで自らの生い立ちについても語っています。

中山美穂さんの生い立ちが気になる人はどうぞご覧ください。

壮絶な生い立ちを経験してきた中山美穂さん。

芸能界デビューしてからも、結婚に離婚等々、なかなかに波乱万丈。

才能あふれる方なので、何があってもめげずに、前のように活躍していただきたいですね。
参照元:中山美穂の生い立ちは壮絶?両親の離婚、そして誘拐事件。壮絶な過去
2015/5/28 女性のオシャレに彩りを MARBLE (参照元:http://topicks.jp/14381)

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