先日、トランジットの月が蟹座を通過していた時のことであるが、私のダシャーは金星/月/土星/ラーフ/太陽、そして、金星/月/土星/ラーフ/月であった。
スークシュマ/プラーナを見ると、ラーフ/太陽、ラーフ/月と続いた。
私のラーフは射手座にあり、月、太陽は蟹座に在住しているので、射手座のスークシュマダシャーロードのラーフをラグナとすると、太陽や月は8室にあるのだが、この2日間はまさにこの8室の象意を経験した。
例えば、ラーフ/太陽では、ラーフから見ると太陽は9室支配で8室に在住していたが、具体的には書けないが、ちょっとしたトラブルがあり、職場の上司の立場の人間に頼らざるを得ない状況が生じた。
つまり、依存と支配というのは表と裏なのであるが、そうした経験であった。
そして翌日のラーフ/月では、ラーフからみて8室支配の月が8室に在住していた。
8室の月の象意として、これも具体的には書けないが、女性とのコミュニケーションにおいて、ちょっとしたトラブル、困惑があり、支配を経験した。それはまさに8室の象意であった。
支配星が月であるため、母性的な世話といった象意になるが、まさにそうした類の事象であった。
いずれも、ちょっとした些細な出来事である。
然し、些細な出来事とは言え、ダシャーとトランジットの原理を精密に示していた。
そして、この2日間はプラーナダシャーロードの月と太陽にトランジットの月が通過していたため、
なおさら、この象意がよく顕現したのだと思われる。
私はこの2日間、蟹座の人間だったのだ。
そしてその2日間で接触した人物のうち、水瓶座ラグナ(と思われる)人物は蟹座が6室に該当するためか冷たく、そっけなく、蠍座ラグナ(と思われる)人物は、私が9室に該当したからか、妙に親切で敬意があった。
通常はあまり気にしないでやり過ごす類の体験であり、注目もせず、記憶にも残らない日常の些細な出来事であるが、その体験内容を検討すると、それはハウスの組み合わせや惑星の象意によって描写が出来るのである。
そして、ダシャーやトランジットの対応を調べてもそれらの事象が説明できることが分かる。
パラシャラが生きていた時代にこんなプラーナダシャーレベルの微細な検証をしたのかどうかと思うが、スークシュマやプラーナダシャーも時には使うべきであると言っているからには、やはり、こうしたプラーナレベルの惑星の象意は経験していたと思われる。
当時だったら計算が面倒だったと思われるが、ある体験をした時にはっとして、これがどんなプラーナダシャーの体験であるかをチェックするぐらいしたことは十分考えられる。
このような発言も何度も繰り返してきたことであるが、この2日間の体験は鮮明に意識されたので書いてみた。
先日、面白い体験があった。
面白いと言っても冷や汗ものの体験だったのだが。
先日、朝の電車の中でカバンを社内に忘れて降りてしまい、大変慌てて右往左往し、それを取り戻すべく奔走した、その一部始終である。
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2012/3/10
今日の朝、私は電車の中にカバンを忘れて新橋駅で降りてしまった。カバンを二つ持っていて、一つは肩から下げ、もう一つは網棚の上に置いておいた。
新橋駅に着くと急いでいた為に網棚に置いたカバンを忘れて降りてしまい、暫く歩いた後で、はっと気が付いた。
慌てて私が乗っていた6:15発の電車が今どこにいるかと駅員に聞くと、東京駅で電車が10分程、清掃点検で停車するとのこと。
だから直ぐに行けばカバンを探せるかもしれないということで、急いで山手線に飛び乗って、東京に向かった。
その時に私はふと月のトランジットの位置が気になった。
確か今、トランジットの月が水瓶座にいたから、今頃、魚座に移動しているかもしれないと思い、手元のスマートフォンでトランジットを調べると、まだ水瓶座にいた。それで少し希望を感じたのだ。
もし魚座に移動していると魚座は私の損失、出費の12室であるので、カバンは戻って来ないかもしれないと思ったからだ。
しかし月はまだ水瓶座で太陽も水星も水瓶座だった。
出生の月、太陽からみた12室にも惑星はトランジットしていなかった。
水瓶座はテクノロジー、ネットワークを表し、組織やシステムを表している。それで私はカバンは鉄道会社の社内体制やネットワークを通じて、確保され、無事戻ってくることを予想し期待した。
東京に付くと停車している東海道線が間もなく出発しようとしていた為に飛び乗って探したが見つからず、車内の売り子に聞くと、その電車は自分がカバンを起き忘れた電車とは別の電車だった。
それで再び新橋で降りて東京に戻った。駅員事務所でカバンを忘れた電車を追跡してもらい、途中駅で確保してもらおうとしたが、駅員は電話をしてくれたものの、朝は駅員が少ないので出来ないと駅側から断られた。
このまま電車は終点の小田原に向かうので、そこで、車内点検の時に見つかるはずであるとのことであったが、そこまで辿りつく迄に誰かに盗まれはしないかと気が気ではなかった。
仕事の時間に間に合わなくなる為、小田原で確保してもらうように手配してその場を去った。
電車が小田原に8:11に到着するので、その時間を見計らって、忘れ物の問い合わせセンターに電話するとカバンは届いていた。私はほっと胸をなでおろした。
その前に小田原に電車が到着する8:11頃に月はどこにあるか念の為に調べたが依然として水瓶座だった。
月は1時間で約0.56°移動するので1時間ぐらいではそれほど動かない。カバンを忘れて降りてしまったのが7時近くでその時、月は水瓶座の21°にあった為、魚座に移動するまで18時間弱の余裕があった。
そんなことで月の位置で若干、私は希望を抱いていた。
カバンが無事に小田原で確保されることを願いながら特にそれ以上は何も出来ないので、仕方なく出勤すると私はIDカードなどが全てカバンの中に入っていた為に職場に入れないなどのことでトラブルになり、会社のシステム担当者などに仮IDを発行してもらったり、色々、迷惑をかけることとなり、また世話にもなった。
つまり、鉄道会社や職場といった組織やシステムに余計な負荷をかけて迷惑をかけ、世話を受けることとなり、その過程で、自分の思い通りにならない困惑や屈辱、災難を経験した。
私の出生の月、太陽から見て、8室である水瓶座に、月ばかりでなく、太陽や水星もトランジットしていた為に水瓶座の世話を受け、支配されるという事象を経験したようだ。
システム、組織、ネットワークというのは水瓶座の象意である。
その水瓶座のおかげでカバンは戻って来たのだが、困惑を感じるような悲惨な目にもあった。
これが8室の象意である。
しかし8室は困惑や屈辱を受けるが、12室のように損失そのものの象意ではない。
だから私は何となくカバンが戻ってくるのではと思ったのである。
今日は電車にカバンを忘れるという事態に遭遇して、とっさに自然に無意識的にトランジットを用いて占星術の観点から事態を分析していた。
特に身構えて分析したのでなく、全く自然に行っていたことに気づいたが、それだけ占星術の論理が生活の中に浸透している。また月のトランジットの位置というのは参考になると経験的に分かっていたので見たくなったとも言える。
2010年終わり頃から11年初めにかけて、トランジットの木星が12室を通過し、ダブルトランジットも12室に形成した時にインドで荷物や金銭を騙し取られるという経験をしていただけに、12室の損失における破壊力は身にしみて理解していた。
だから月や太陽が水瓶座にいて12室に絡まず、木星や土星も12室を刺激していないタイミングで、損失が起こるのは可能性としては小さいと考えて実際その通りになった。
現在、金星が私の12室魚座をトランジットしているので、それについてはどう考えるかということだが、金星についてはあまり意識しなかった。
やはりトランジットで重要なのは、木星、土星、そして太陽、月であると思う。
ラーフやケートゥも重要だが、金星、火星、水星などは、それ程、重要には思えない。
金星、火星、水星などは特定のテーマにのみしぼって使えるのかもしれないが、分かりやすく事象と一致してくるのは太陽や月、そして、ベースとしての木星、土星の位置ではないかと思うのである。
体験というものは主観的体験であるため、自分にとっての体験の意味、内容は、ラグナとして使うことも出来る月や太陽の位置(ハウス)がおそらくもっとも分かりやすく出てくるのである。
また出生の位置から見たトランジットの位置というものが重要なのだろう。今回は私の場合、蟹座に在住している月、太陽から見て、8室をトランジットしていたことが重要だったのである。
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以上のようにして、この日、電車内にカバンを忘れるという災難に遭遇して、とっさに
占星術を応用していた。
占星術は人を占うためのものというよりも、私自身にとって最も役立っている。
第一に日々尽きぬ探求の分野を与えてくれるので興味が尽きない。
また何かトラブルや困惑する体験があった時にダシャーやトランジットを見て、それが起こった理由に納得すると、妙に心落ち着くのである。
結果を受け入れられずに動揺したり、結果に後悔するのではなく、諦めの気持ちでその結果を受け入れると共に、その体験自体はちっぽけに感じられる。
所詮、マインドによって把握済みのことであり、予測可能なことなのだと。
人から聞いた話であるが、哲学者のヘーゲルは自由とは未来を予測することであると言ったそうである。
私たちが自分の未来を予測できる時、運命に一喜一憂する奴隷ではなく、運命を把握し、そのメカニズムを高い所から俯瞰する超越者となり、運命の束縛、奴隷から解放される。
それは起こる出来事が変わるという訳ではなく、運命に対する私たちの主観が決定的に変わるからである。
言わば、人生を歩むことを上から俯瞰する超越論的な立場を得るのである。
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