筋トレの心理-マッチョな男の心理学-


前回の記事で、松本人志が今、筋肉を鍛えてムキムキの肉体になっているのは11室にラーフが在住している為であり、11室の象意である称号(肩書き)や富を追求しているのと同じことではないかと書いた。


肉体に筋肉を積み上げるというのも、結局の所、物質欲であり、富を追求する行為に似ているからである。


また獅子座のプールヴァパールグニー(金星)に在住するラグナロードの太陽も関係しているのではないかと書いた。


プールヴァパールグニーの支配星は金星である為、快楽主義と関係しており、身体の表示体である太陽が、プールヴァパールグニーに在住することは、自分の身体美を物質欲の一種として追求するのではないかということである。


こうしたことを更に検討していた所、以下の2017年9月24日付の文春オンラインの非常に興味深い記事によって更に考えを発展させることが出来た。



少々長いが以下に引用する。


松本人志“変節”の起源は、三十路を過ぎてマッチョ化する元文化系男子の系譜にあった
速水健朗×おぐらりゅうじ すべてのニュースは賞味期限切れである
2017/09/24 文春オンライン

速水 今回は松本人志をめぐる問題について。

おぐら 『ワイドナショー』(フジテレビ)のコメンテーターに就任して以降、番組内での発言がしょっちゅうネットニュースになってますね。

速水 最近だと、共謀罪に対するコメントと、日野皓正の往復ビンタ問題。

おぐら 共謀罪については、『ワイドナショー』で「僕はもう、正直言うと、いいんじゃないかなと思ってるんですけどね」「やっぱり冤罪も多少はそういうこともあるのかもしれないですけど、未然に防ぐことの方が、プラスの方が多いような気もするし」と。
速水 これはちょっとアレンジすれば叩かれない中身になる。「テロを未然に防ぐ必要はある。だけど、そのために冤罪を生んではだめ」だったらまったく問題ない。でもコメントとしては無難すぎる。「多少あるかも」という言い回しは、少し過激さを出してみたんだろうね。

おぐら 無難なことは言いたくないし、求められてもいない、という。ただ、番組を見ていた印象としては、少しためらいながら言葉を発していたので、本心だったのかなとは思います。

速水 けど、本当に過激なところに踏み込めるわけでもない。この場合だと「国民の権利なんて制限して当然」とまでは言わないわけだから。

おぐら これを受けて、『週刊金曜日』が表紙と巻頭で「松本人志と共謀罪」という特集を組みました。

速水 一応目を通したけど、うーん……おもしろくなかった。

おぐら 特集のリードには「松本人志の変節と、共謀罪の成立を許した私たちの社会」と書いてあります。

速水 だけど別に共謀罪の議論に踏み込むわけでも、松本人志論に踏み込むわけでもなく、かつての番組プロデューサーやなんかが出てきて、昔はこんなじゃなかったみたいな。本人を呼んできて、どういう意図の発言だったか聞けばよかったのに。

おぐら ここ何年か、チャップリンやモンティ・パイソンを引き合いに出して「日本の芸人はなぜ権力の批判をしないんだ」っていう議論がありますけど、単純にビジネスにならないからっていうのも一因だと思うんです。「音楽に政治を持ち込むな」論争でも明らかになったように、一定数の日本人が政治的なネタを歓迎しないというマーケットの問題。実際、現政権や権力を批判するネタをやっている芸人もいますけど、アンダーグラウンドな活動の域を出ない。要は売れないってことです。

速水 「日本のお笑いはオワコン」と言った茂木健一郎が『週刊金曜日』の特集で書いていたのは、日本のお笑いは「空気読み」の一等賞を決める競争だっていう論。まあ、その指摘は正しい。それを踏まえて言うと、政治家の政局もまさに空気読みでしょ。いかに時流に乗るかという能力が問われる。

おぐら 弁護士との不倫疑惑をスクープされて民進党に離党届を提出した山尾志桜里議員も、その前に「保育園落ちた日本死ね」のブログを国会で取り上げたことで時流に乗った人でした。

速水 お笑い芸人が社会問題に対して発言をするのは、まさに空気を読んで時流に乗っているからだろうね。ちなみに、ワイドショーコメンテーターも同じ。

おぐら コメンテーターといえば、宇野常寛さんが『スッキリ!!』(日本テレビ)のコメンテーターを降板するとツイッターで明かしました。

※ 編集部注:宇野氏は、日中戦争中の南京事件に否定的な本を置いていたアパホテルについて、今年1月放送の『スッキリ!!』で「歴史修正主義だ」と批判し、「日本テレビに街宣車が押し寄せ」たことを番組側が問題視したのではないかとして、「『スッキリ!』クビになりました」とツイート(8月31日付)。YouTubeでも動画を投稿して「僕は事実上のクビだと解釈しています」などと語りました。

速水 宇野くんは空気を読まない希有なコメンテーターだったと思うよ。あのスタイルが制作側と衝突して降ろされてしまうというのはわかる。それが傍目で納得できるかどうかは別として。

おぐら もはやワイドショーのコメントは、いかに万人が納得する解釈を披露できるかを競うゲームみたいになってますよね。

速水 ワイドショーにも事件の説明過程があって、そこまでの流れをぶった切るコメントをするのは勇気が要るんだよ。局側に何かを無理に言わされるということはないんだけど、そもそもそれをテレビが伝える意味とかに口を出し始めると、コメンテーター自身の存在意義って何?ってなりかねないし。

おぐら そんな『スッキリ!!』の日本テレビで、『いつかボクらもご意見番 コメンテーター予備校』というバラエティ特番がはじまったんですよ。お題のニュースに対する芸能人たちのコメントを、一般の人たちがジャッジするという……。

速水 それを番組にしちゃったんだ。

おぐら 公式HPの紹介では「どんどん肥えていく視聴者たちのコメンテーターを見る目」「『どんなコメントが求められているのか…?』『こんなコト言ったら炎上しちゃうかな…?』」「視聴者を『なるほど』と唸らせるコメント力を学ぶ」と書いてあります。

速水 テレビ局がコメンテーターに何を求めているのか、よく分かるね。

おぐら それに、9月21日放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日)が「コメンテーターやりたい芸人」だったんです。つまりコメンテーターは、いま旬のネタとして扱われるような存在になっていて、そのぶん世間から厳しい目を向けられているっていうことですよね。

三島由紀夫・長渕剛・松本人志が貧弱な文化系男子だったころ
おぐら 松本人志の変化といえば、身体を鍛え始めたことは重要ですよね。

速水 むしろ今回はそっちがメイン。松本人志の変遷を考える上で、身体のマッチョ化には大きな意味がある。


おぐら 若い頃は、威勢がいいけど痩せ型だったのが、ムキムキになって思想も変わった人でいうと、長渕剛が思い浮かびますけど。

速水 もともと弱々しいキャラの男が、30歳を超えたあたりから体を鍛え始める系譜って、三島由紀夫から脈々と受け継がれる文化系男子のパターンなんじゃない?

おぐら 長渕剛は『巡恋歌』や『順子』をリリースした初期、デビューからしばらくは、か弱い男を体現しているようなルックスでしたよね。

速水 俺が好きだった頃の長渕は、粋がってるけど弱そうな近所の兄ちゃん風だったんだよね。

おぐら 『親子ゲーム』に主演してた頃?

速水 そうそう。元暴走族の兄ちゃんがラーメン屋をやっていて、親に捨てられた少年を引き取るドラマ。当時の長渕は、コメディ役者兼歌手だった。

おぐら ドラマ『親子ゲーム』(TBS)は1983年放送ですね。僕の世代だと『とんぼ』(TBS、1988年放送)のほうが印象に残ってます。この頃は、体は痩せてますけど、もう完全にこわい人っていうイメージ。

速水 ここが大きな転機なんだよ。長渕が最初にマッチョを演じたのがドラマ『とんぼ』で、いつのまにかケンカが強いっていうキャラに変わってた。

おぐら 孤独なチンピラが、本物の強い男に変わっていくような。

速水 『とんぼ』の直後の『ウォータームーン』は、宇宙人だけど修行僧っていう役で、長渕の変身願望をまわりのスタッフが受け止めきれずに空中分解した映画。

おぐら ファンの間でも語り継がれている怪作ですね。

速水 マキタスポーツによると、映画『竜二』の影響とブルース・スプリングスティーンが長渕に憑依したっていう分析。ムキムキになってから日の丸を背負うのも、スプリングスティーンの星条旗の代わりだったわけだし。

おぐら 一方の三島由紀夫は、筋肉の体で、日の丸の鉢巻に日本刀という出で立ち。

速水 長渕と三島の変節は年齢的にも共通点が多いよね。あと、どちらも運動音痴っぽい。

おぐら っぽいって……。

速水 いや、実際、三島のことは石原慎太郎が馬鹿にしているの。三島由紀夫が日本刀を持ってきて居合い抜きをしたら、鴨居に刺さっちゃった話とか。彼は運動神経がなさ過ぎるって。

おぐら 身体能力にコンプレックスというか弱さを抱えている人が、年齢を重ねて、何かをきっかけに身体を鍛え始めるんでしょうか。

速水 でも、松ちゃんにやばさを感じたのは、深夜番組で作務衣とか着始めたとき。

おぐら 『一人ごっつ』(フジテレビ)だ。1996年に放送開始です。

速水 作務衣とか求道者イメージとかを茶化しているのかと思ったら、どんどんそっちにいって、髪も短くなって。

おぐら なるほど。その時代に一度、変化してるんですね。

速水 最初は片岡鶴太郎的なものをいじってるのかな?って思ったんだけど、むしろ鶴太郎的なものへの憧れがあったんじゃない?

永遠の童貞派と身体ロンダリング派

おぐら ボクシングとか書画とか、芸人とは違った部分で才能をアピールする方向。ちなみに、長渕剛も詩画をやってますよ。

速水 そして鶴太郎は、いまやヨガを極めて体重43キロでしょ。マッチョの先を行って、完全にスピリチュアルの世界。

おぐら というか、最初から方向性としてはスピだったんじゃないですか。ヨガはもちろん、ボクシングも書画も精神世界と相性いいですし。

速水 女性のスピがオーガニックとか、フラダンスとか、占い師のマネージャーとかに向かいがちなように、男の場合は陶芸とか、そば打ちとか、作務衣・求道系みたいなほうに向かいやすいんだね。

おぐら 松本人志が竹原ピストルを気に入っている理由にも繋がってきます。

速水 そこは見る目がないとは思うけど。

おぐら そう考えると、三島由紀夫や長渕剛もスピリチュアルと遠くはないです。

速水 資質として、スピに向かいやすい感じの人たちではあるよね。

おぐら 強い身体に憧れてマッチョになる男たちがいる一方で、童貞っぽさというか、心は少年のままでいることが芸風やクリエイティブに繋がるという考えもありますよね。

速水 大人になれない感じのね。大槻ケンヂとか伊集院光とかを代表とする人たち。その両者を名付けるなら、永遠の童貞派と身体ロンダリング派っていう感じなのかな。

おぐら そのどちらかに振り切った方が、表現者としては突き抜けられるってことなんでしょうか。

速水 その二者択一かあ。うーん、どっちも嫌だなぁ。

この上記の対談の中で、30歳を過ぎて体を鍛え始めた人々として、三島由紀夫、長渕剛、松本人志が取り上げられている。



そして、この対談の中では、体を鍛え始めたことと思想の変化との因果関係について指摘しているのである。



私は前回の記事の中で、松本人志と三島由紀夫の類似性について気づいたが、更にここでは、長渕剛についても挙げられている。



長渕剛のチャートを作成してみると、非常に興味深いことに身体の表示体である太陽が、獅子座のプールヴァパールグニー(金星)に在住しているのが分かった。





やはり、金星のナクシャトラに身体の表示体である太陽が在住している場合、身体美を追求するのではないかと思った次第である。



三島由紀夫のチャートを見ると、やはり、太陽ではないが、ラグナと月がプールヴァパールグニー(金星)に在住している。







ラグナは太陽と同じく身体を表している。



従って、身体の表示体が、金星のナクシャトラに在住した場合、身体美を追求するのではないかというのが私の仮説である。




あともう一つの理由として、私は以前から三島由紀夫についてはその数奇な経歴について関心を持っていた。




猪瀬直樹の『ペルソナ―三島由紀夫伝』 (文春文庫)で指摘されているが、三島由紀夫は臆病者であり、 臆病を克服しようと大変な努力を行なっていたというのである。



三島由紀夫が『仮面の告白』で描いているように徴兵検査の時に嘘をついて兵役を逃れたというエピソードからもそれが分かる。



私は以前、この逸話を知った時、それは、三島由紀夫の出生図のラグナと月から見て太陽が6室に在住してラーフ/ケートゥ軸によって激しく傷つけられており、ナヴァムシャでも太陽は6室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸や火星、土星と絡んで傷つけられており、またシャドバラで太陽は、0.5ポイントしかなく、平均値の1.0の半分しかないことが原因ではないかと考えた。


この太陽の傷つきが、自信の無さをもたらし、この自信の無さを克服する為に涙ぐましい努力をして、最後に切腹までやり遂げてみせたと考えられるのである。



それは涙ぐましい奮闘(6室)であるが、6室でヴァルゴッタマの太陽は、時間と共に改善してゆき、その結果、彼が切腹をした時、ためらい傷は無かったのだと考えられる。



このように太陽が傷ついており、自信の無さや劣等感というものを補うために筋肉を鍛えたのではないかと思ったのである。





そして、改めて調べてみると、松本人志の太陽は、ナヴァムシャで減衰して土星からアスペクトされて傷つけられていることが分かった。







前回の記事でも示したが、松本人志が、自らの筋肉を披露する写真がネット上で見ることが出来る。







また長渕剛のチャートを見ても、太陽はナヴァムシャで減衰して土星から傷つけられている。







長渕剛も若い頃は痩せていたが、中年になってから筋肉を鍛え始め、インスタグラムで、わざわざ上半身裸の筋肉隆々の肉体を披露している。








長渕剛にしろ、松本人志にしろ、何故、彼らが筋肉隆々の裸体の上半身を写真に撮って自慢気に見せびらかさなければならなかったのか考えると、獅子座プールヴァパールグニー(金星)に太陽が在住していることによる肉体美の追求と、太陽が減衰して傷ついていることによる自信の無さを補うという2つの理由によるものではないかと思うのである。



このように太陽が減衰して凶星から傷つけられている結果、その自信の無さを補おうとする結果、筋肉の獲得に熱中するのである。




更に私は、三島由紀夫、長渕剛、松本人志の他に島田紳助もこれに該当するのではないかと思うのである。




島田紳助のチャートについては私は以前、蠍座ラグナに修正している。



彼は今、マハダシャー木星期であり、芸能界を辞めて楽しそうに生活している。



島田紳助の引退についてはまた別の記事の中で取り上げてみたい興味深いテーマであるが、やはり、ナヴァムシャで太陽が減衰し、火星とコンジャンクトして傷ついている。



そして、逆行の土星からもアスペクトされて傷ついている。







島田紳助も芸能界を引退した後、体を鍛え始め、筋肉隆々になっているという。



松本人志 島田紳助さんとの共通点を指摘「すっごいムキムキ」
2017年9月25日 10時58分 トピックニュース

24日放送の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!特別版」(日本テレビ系)で、ダウンタウン・松本人志が、芸能界を引退した島田紳助さんに言及。自身と同様に筋骨隆々になっている現在を明かした。

番組では、「絶対に答えなくてはいけない! レジェンド芸人に聞きたいことSP」と題して、オードリー・春日俊彰が松本に対して、「1番自信のある筋肉の部位はどこですか?」という質問をぶつけた。

「僧帽筋(そうぼうきん)」と回答した松本はそこからさらに「軽く(顎が)しゃくれの奴 筋肉つく説」なる”珍説”を唱え、スタジオの笑いを誘った。松本は「今、紳助さんとか、すっごいムキムキなの!」と証言し、「しゃくれてる奴って、やっぱ頑張る」と断言したのだった。

なお、紳助さんの現在の肉体については以前、親交のある板東英二も別番組で「蝶野(正洋)さんより、すごい身体してます!」と証言している。


因みに身体を表わすラグナロードの火星は射手座のプールヴァアシャダー(金星)に在住し、月は獅子座のプールヴァパールグニー(金星)に在住している。




やはり、ラグナロードや月などの特別な感受点が金星のナクシャトラに在住することで肉体美を追求したと考えられるのである。







因みに上記のような写真が2015年6月17日付のnetgeekというサイトに掲載されている。



松本人志が島田紳助の肉体について言及したのが、2017年9月24日である為、現在は、この写真の時よりも更に筋肉が付いている可能性はある。



島田紳助が自信が無かったということは、私が証明するまでもなく、事ある毎に本人自身が「僕は、本当は小心者なんです・・・・」と口にしていることから分かる。



また私は島田紳助が女性マネージャーに暴力事件を起こした時の状況をよく覚えているが、彼は何故、暴力を振るったかの理由について、その女性がため口をきいたとか、自分の尊敬する上司のことを呼び捨てにしていたことなどを挙げていた。




つまり、太陽が減衰しているため、ほんのちょっとしたことで自尊心が傷ついて自己評価に揺らぎが生じてしまうのである。



繊細で傷つきやすいということが出来る。



従って、太陽が弱い人は、自己評価が揺らぎやすい為、怒りやすいのである。



然し、通常は、それを表に出すことはないが、彼の場合、始末がわるいのは、ナヴァムシャにおいて、減衰する太陽には、牡羊座にアスペクトバックする火星がコンジャンクトしており、火星のエネルギーが加わっている。


従って、自己評価が揺らいだ太陽が、直ぐに怒りを爆発させるのである。



彼が女性マネージャーに対して、気がふれたように怒り狂ったのはその為である。



然し、私は島田紳助が最も小心であることを証明したのは暴力団と付き合うことによって、自分のバックには暴力団がいるんだぞと言わんばかりに周囲を威嚇したことではないかと思われる。



「虎の威を借りる狐」という言葉があるが、自分に自信がない人間ほど強い人間が知り合いや親族にいることを自慢する。



例えば、「叔父が警察署長なんです・・・」とか、「親が政治家なんです・・・」とかである。



中学生ぐらいの時、「俺のバックにはヤンキーが付いている」とか常に周囲に語っているような人がいたが、やはり、自信の無さの裏返しだと考えられる。






このように私は筋肉を鍛える人は、深いレベルで自信がない人ではないかと考えている。




自分に不足があると考えるからこそ筋肉を鍛えるのである。




そもそも自分に充足している人は、今持って生活して来て普通に得られている筋肉で十分であり、筋肉のことについて意識しないはずだからである。




筋肉を鍛えるという行為は、アドラー心理学的に言えば、劣等感補償の心理機制が働いていると言える。




つまり、筋トレを好むのは、劣等感を補うための神経症のようなものである。




例えば、スポーツ選手、例えば、プロ野球選手やサッカー選手が競技のために筋力を鍛えるということはより競技に耐えられる肉体を作るという目的がある。




然し、筋肉を付けること自体が目的の筋トレは、身体美を得たいというナルシズムであって、何らかの心理的な動機が想定されるのである。




自然に生活している中で得られている筋肉以上の筋肉を欲しがるという心理状態は、やはり動機として、何らかの劣等意識が想定されるのである。





右傾化する社会と筋トレの心理


この筋トレをする心理を今の社会情勢から考えてみると、こうした状況は社会が概して、右傾化していることを表している。



市場原理主義(競争原理)によって、社会福祉などのセイフティーネットが破壊され、万人が万人と闘争して勝利した者だけが生き残れるとする弱肉強食の論理や実力主義、能力主義が優勢になった社会においては、他人は頼りにならず、自分を守れるのは自分だけであり、自分の実力のみが生き残れるかどうかを決するといった現実主義(リアリズム)に基づいた殺伐とした思想が優勢になるのである。


例えば、ナチスは優れたものだけが生き残るべきで劣ったものは滅びるべきであるとする『弱肉強食』の思想であった。


そうした思想の中で「健康的な肉体美」というものが推奨されたのである。






従って、右翼思想と、マッチョな肉体というのは、一体のものなのである。


社会のモラルが崩壊し、法や道徳が廃れて、誰も社会のルールを守らない実力主義の時代に突入した時、最後に勝負を決するのは、腕力や体力などの原始的な肉体の力である。


これは軍事力と言ってもいいかもしれない。


そのため、三島由紀夫は、マッチョな肉体を誇示して、刀を振り回して、私設の軍隊を持ち、自衛隊に突入して、決起を促したのである。


彼はその時、蟹座に在住するラーフ期であった。(私は以前から蟹座と右翼思想が関係していることについて述べている)



筋力を鍛えるというのは、その最も原始的で基本的な戦力としての腕力を他者に勝利するために自ら身に付けるという思想である。





この心理は、深いレベルでの不安や自信の無さに関係している。



例えば、北朝鮮が、核搭載可能なミサイルの発射実験を繰り返し、ミサイル開発を推進するのはアメリカを初めとした、いわゆる国際社会によっていつ体制崩壊させられるか分からないからである。


そのことに怯えるため、軍事力を身につけて周囲を威嚇しなければならないのである。



実際、彼らはアメリカからいつ体制崩壊させられるか分からない危機に直面しているとも言えるため、それは現実主義(リアリズム)に基づいた冷徹な判断であるとも言える。



つまり、最近、松本人志が筋トレをし始めてマッチョ化していることは、彼が才能の枯渇や、自信の無さを抱えているということと、ブレグジット(英国のEU離脱)やトランプ現象に見られるような広く国際的な右傾化が起こっていることの相乗効果の結果であると考えられる。



市場原理が極限まで進んでいるアメリカには、リバータリアン(自由至上主義者)と言われる非常に右寄りの人々が存在する。



彼らは自分の身を守るのは、自分の責任だという自己責任の考え方が徹底しており、自分の身を守るために銃を所持する権利があると考えている。



つまり、弱肉強食の世界にあって、最後に身を守るのは、武器であり、力強い健康な肉体は、その武器の一つなのである。



これが右翼思想家の感覚であり、筋トレする心理であると言える。





因みに私にとって、三島由紀夫、長渕剛、松本人志、そして、島田紳助の心理状態は他人事ではない。




私自身、ナヴァムシャで太陽が減衰しているからである。




あいにく減衰はしているが、ディスポジターの金星がラグナ、月からケンドラに在住している為、ニーチャバンガは形成している。



然し、私は、例えば、島田紳助の心理状態など手に取るように分かるのである。



何故、彼があれほど、怒り狂うのかについて、それが小心から出ているということは、私には手に取るように分かる。



いつも自分の中で体感していることだからである。



(彼らがこの記事を読んだら怒りださないか心配である)






ただ私は別に筋肉を身に付けようとは思わない。



私自身、三島由紀夫が、『仮面の告白』で示したような自分の小心や臆病さというものを内観してそれをどうにかしたいと思っていたことはあったが、一時期は、自分の臆病さを克服して、大胆で、豪快で、強気の人間になろうとして努力していたこともあった。



つまり、「あるがままの自分」ではなく、「こうあるべき自分」になろうとしていたのである。



その努力が根本的に間違いであったと気づいたのは、早稲田大学教授・加藤諦三氏の著作を読んだ時である。



いくつかの著作を続けて読んでいたが、例えば、その中に「強気の人、弱気の人」というタイトルの本があった。



人には強気の時も弱気の時もあるので、その時々の心理状態に素直に従って、その時の自分のありのままでいればいいのだといった内容であった。



こうした思想は、老子の無為自然にも通じるもので、後にクリシュナムルティーの著作を読むようになって、更にこうした考え方がより深く身に付いた。



従って、私は自分を実際の自分よりも大きくみせようと思わないし、小さくみせようとも思わずに常に等身大の素直にその時の自分でいようと考えている。



この考え方を身に付けた時から、私の人生は、努力することから解放され、随分、楽になったものである。



なにしろ、性格というものは努力によって変えるものではないということが分かったことが救いであった。



その時から、私の努力というものは、私が本来のありのままの自分から不自然に別の自分になろうとしていることを観察すること、気づくことに向けられた。



そして、不自然な有害な努力が為されていると感じられた時には、私はそれに気づけるようになり、徐々にありのままの自分でいられるようになった。




今では、こうした心理学の知識に加えて、私にはジョーティッシュの知識が加わったため、別の人間になろうとする努力が全く無駄で有害であることがまた別の角度からよく分かるのである。



何故、私が、それ程、強気の人間ではないのか、世の中には、狂犬のように強気な人間がいるが、どうして、私はそういう人間ではないのか、そういう狂犬のような人間が常に幼少時や青年期の男子たちの人間関係の力学の中で、常に優位な立場を得るのを見て、うらやましく思ったものである。



然し、本来、何か理想のあるべき自分になるために生まれて来たのではなく、自分は他の誰かになるために生まれて来たのではなく完全に自分自身になるために生まれてきたのである。



そして、完全に自分自身になる時、その性格や運命を受け入れる時にそれが自己実現なのである。



ニーチェが運命愛という言葉を使っているが、その適用範囲や概念の深さには若干、違いがあると思うが、おそらく同じようなことを意味していたと思うのである。



人は自分のホロスコープというものは、一生涯、変えることは出来ないのであり、ただそれをありのままの自分として受け入れるということが、無為自然に生きる、ありのままに生きるということである。




私はそのような思想の元にジョーティッシュを実践している。




筋肉を鍛えるということが悪いのではなく、何故、筋肉を鍛えているのかについて気づくことが重要である。




そのことに意識的でいて、その上で、筋肉を鍛えることは何らわるいことではないのではないかと思う。




つまり、私は、自信がないので、自信を付けるために筋肉を付けたいという欲望が正直にありのままに見えていて、その上で、行うならそれはそれでいいのかもしれない。




また更に今現在の弱肉強食のご時世が、不安を催すため、筋肉を付けたいと思うといったように自分の動機について意識的であることは非常に重要なことである。





今回、私が提示した理論は、ラグナやラグナロード、あるいは月など身体を表わす特別な感受点が、バラニー、プールヴァパールグニー、プールヴァアシャダーなど金星のナクシャトラに在住する場合、身体の表示体が金星の影響を受ける為、身体美を意識し、欲望しやすくなるのではないか、



そして、太陽が減衰していたり、激しく傷ついていたりする場合、心理的な劣等感を補償するかのように更にその身体美、すなわち、筋トレに熱中するのではないかということである。



また更に社会が右傾化しているような背景がある時には、それが促進されるのではないかということである。




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