2005/6/25からインド旅行に約1週間行ってきた。
この旅はインド占星術的に検証してみると非常に興味深い旅となった。
まず行くことになったのは全く偶然だった。
ずっと前から行くと決めていた訳ではなく、ひょんなことから、今が行くチャンスではないかと気づいたのだ。
また最初に行く予定であった日程とは少し変わったのであるが
然し、その変更がちょうどよくスクーシュマダシャー木星に
切り替わる時に一致したのである。
それは会社と休みの調整でもめることによって、変更を余儀なくされたのであるが、返ってそれがダシャー的には好都合になった。
まず、旅行の間を通してプラティアンタルダシャーが月期であるが月は4室で自室に在住しており、9室支配の木星と相互アスペクトしている。
月期は非常に女性から母性的な親切を受けるというのが今までの月期の体験である。
実際、旅行に行ってみると、まず、デリーに到着して、占星術の先生を訪ねた所、事務所に宿泊させてもらえたのである。
そして、翌日、先生の娘2人にデリー市内の観光に連れて行ってもらい、その翌日は先生の知り合いの年配の占星術師の女性と日本で言えば通産大臣にあたる政治家である夫が先生に占星術を習っている関係で、その奥さんと合流し、ともにインドのあるクラブに出かけて食事をしたのだが、2人とも日本からの客人である私に気を使ってくれて、母親のように世話や気配りをしてくれた。
夜には先生の自宅に招かれ、先生の奥さんから食事をご馳走になり、非常に日本からの大切な客人としてもてなしてもらったのである。
特に食べ物を何度もしつこく勧めてくれるところなど、非常に母親的な愛情がこもっており、家庭に家族として迎えてくれたかのようであった。
デリーの最終日には再び娘さんに映画につれていってもらい、夜には再び食事に招かれて、大変、至れりつくせりのもてなしを受けたのである。
こうした体験は皆、4室で自室の月のみがもたらしているように思われるがそうではない。おそらく月/木星のコンビネーションがあって始めて可能になったのだ。
月/木星の前は月/ラーフであったが、旅行に行く直前であった。月からみてラーフは6室目に在住しており、必ずしも母性的恩恵を受けていた訳ではない。総じて母性的な感じはあったかもしれないが、必ずしも快適だった訳ではない。行く直前には色々、困難があったのを覚えている。会社の同僚との間もギクシャクしたこともあったのを覚えている。
この辺り記憶がうる覚えになっているが、やはりダシャーの貴重な体験は直ぐにメモして日記などで記録に残さないと忘れてしまう。ダシャーの検証になる体験は必ず記録しておくべきである。
ダシャーのレベルを検討する時には、ターゲットとなる体験がどのくらいの期間を要するものかを検討することがまず大切である。
今回の旅の基調を決めたのはプラティアンタルダシャーとスクーシュマダシャーである。つまり、1週間ぐらいの体験であれば、第3レベルと第4レベルが決定するのである。
そして、日々の体験の基調はプラーナダシャーが決めるのである。
少し脱線したが、こうして、至れりつくせりのもてなしを受けた後で、6/28の朝7:10に国内線でデリーからバンガロールに飛んだのである。
空港まで送り届けてくれて、初日に航空券の再確認(recomfirm)もしてくれたのであり、非常に色々親切に保護してくれたのである。非常に感謝したのであるが、全ては先生が妻や娘、友人など多くの女性を用いてしてくれたことであった。つまり、9室支配の木星と4室支配の月のコンビネーションである。
そして、ここからがインド占星術のヴィムショッタリダシャーの幽玄微妙な所であるが、バンガロールに飛び、バンガロール空港に降り立ったのが、6/28 10:00頃である。そして、私はタクシーをチャーターして、アガスティアの館を探しまわった。13時ぐらいに館を見つけると、自分の葉っぱを見つけるのに1時間を要した。
そして、14時ぐらいに館を出発し、プッタパルティのサイババのアシュラムを目指して出発したのである。タクシーでひたすら砂漠地帯(ステップ地帯?)を走り続け、サイババのアシュラムに到着したのが、17時ぐらいであった。
アシュラムに入ると外国人登録所に行って、滞在の許可を取り、単独の滞在だったため、2~3人用のアパートではなく、他の大勢の単独参拝者と一緒に共同住宅に押し込められたのである。
そこはアシュラムの最も外れの場所であり、中は薄暗かった。
そして、ベッドを確保すると、たまたま隣のベッドにいた日本人の男性と知り合いになったのだが、昼間は寝てばかりいる人で、また顔つきは食事を控えている修行僧か、まるで病気療養で滞在している人のようで痩せていてあまり健康そうでない容貌をしていた。聞くところによると長期滞在しているらしい。
彼は気さくな人物であったが、私がかばん持ちやサービスの押し売りをしてくるインド人にチップを与えようとすると、しかめ面をして、『与えなくていいよ、そんなの1ルピーを与えとけばいいんだよ』というケチな人だった。ただ気さくな人で関西弁を話していたのが印象的であった。ひとことで言えば土星的な人であった。
このアシュラムの外れの薄暗い共同住居をあてがわれ、荷物を置いて、ベッドに落ち着いたのが、おそらく17:30~18:00ぐらいだったろうか。
この時のダシャーがKe/Sa/Mo/Ju/Raであり、ちょうどスクーシュマ木星期から土星期にシフトする直前だった。
この木星/ラーフになってから、私はバンガロールから降り立って直ぐに客引きの営業をしてきたインド人と値段の交渉をしてチャーターした正規でない自家用車を使ったタクシーと強引に値切って契約し、アガスティアの館を探し回り、プッタパルティ村まで走ったのであるが、この車は紫色の窓ガラスをしており、ヤクザな感じの車であり、運転手は遅い前の車に対して、傲慢にブザーを鳴らしてどんどん追い抜いたのであり、サイババアシュラム内に入ってからも暫くは、ショッピングセンターに連れていってもらったり、アシュラム内を傲慢に走り回ったのである。物質主義的な印象のする車であり、私は途中でアシュラム内で自分が浮いていることに気づき、運転手に車を引き取って帰ってもらったのである。
この時、Ke/Sa/Mo/Ju/Raだったというのは非常に興味深いのであって、アシュラム内に入っても直ぐに土星期に移行しなかったのは、Ju/Raだったからであり、まだ到着したてで勝手が分からずに色々、アシュラム内で勝手気ままに振舞ってしまったのが、Ju/Raだったのだ。
この9室に在住するラーフには父親との対立という象意があるが、これはサイババのアシュラムで静かに霊的に振舞わなかった行動が一致するのである。
そして、次の日6/29 の朝は4時に起きて、良い場所を確保するためにシバ神像の前に並んだのであるが、4:16にKe/Sa/Mo/Sa/Saにシフトし、スクーシュマダシャーが土星にシフトし、土星の生活がスタートしたのである。
つまり、私のサイババ体験は土星の体験であり、アシュラムの外れで、2日間、早起きをして、ダルシャンを受け、夕方のダルシャンを受けたら、翌日の朝、再び早起きをするという、非常に規則正しい、行動が制限され、時間に拘束された修行僧の生活としての体験であった。
決して、サイババにインタビュールームなどに呼ばれて、霊的教師と出会い、教えを受けるような木星的体験ではなく、隠遁所で祈り、瞑想をするかのような体験だったのである。
デリーで占星術の先生に会い、多くのもてなしを受けた体験が9室支配、10室在住のスクーシュマ木星の体験だとすると、アシュラムに入ったとたん月から12室、ラグナから3室の土星期に変化したのは分かりやす過ぎる程、見事なタイミングだったのである。
【インド旅行ダシャー】
Ke/Sa/Mo/Ju/Ju 6/24 16:19
Ke/Sa/Mo/Ju/Sa 6/25 6:43
Ke/Sa/Mo/Ju/Me 6/25 23:49
Ke/Sa/Mo/Ju/Ke 6/26 15:06
Ke/Sa/Mo/Ju/Ve 6/26 21:24
Ke/Sa/Mo/Ju/Su 6/27 15:23
Ke/Sa/Mo/Ju/Mo 6/27 20:47
Ke/Sa/Mo/Ju/Ma 6/28 5:47
Ke/Sa/Mo/Ju/Ra 6/28 12:05
Ke/Sa/Mo/Sa/Sa 6/29 4:16
Ke/Sa/Mo/Sa/Me 6/30 00:34
Ke/Sa/Mo/Sa/Ke 6/30 18:44
Ke/Sa/Mo/Sa/Ve 7/01 2:12
Ke/Sa/Mo/Sa/Su 7/01 23:34
Ke/Sa/Mo/Sa/Mo 7/02 5:59
Ke/Sa/Mo/Sa/Ma 7/02 16:40
このようにインドの旅は非常に興味深い占星術体験をもたらしてくれたのである。
インド旅行【9室の旅】Part1
2005.07.14
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