明本歌子

氏名明本歌子
ローマ字Akemoto Utako
生年月日1935年7月26日
出生時間不明
出生場所東京都世田谷区
Rodden Rating
ナクシャトラ(Asc)
ナクシャトラ(Mo)
職業日本の占星術師、音楽家
所属
業績
その他東京生まれ。作曲家の明本京静の一人娘。東京藝術大学卒。25歳で高橋悠治と結婚。子はのちに鮎生(高橋鮎生)と改名する。30年に渡り海外で生活。ジャック・マグリアの忠告を受け、思う所があり離婚。イラン国王の親戚筋の男と再婚する。その後、39歳で剃髪してリンゼイ・ケンプとそのカンパニーに参加するために出奔。そこで三番目の夫と出会う。50過ぎてハワイに渡り占星術を学ぶ。その後、子供向けの音楽講師をする。
1977年に『題名のない音楽会』に「歌子故郷に帰る」で出演。
データソースwikipedia

コメント

検証メモ
検証メモ(ジャイミニ)
検証メモ (その他)


(参考資料)

音楽家で星占学者のウタコ(明本歌子)
元夫や恋人もファミリーに
自由に「非常識」を実行

(よみタイムVol.67 6月15日発行号 ニューヨーク人間模様 エッセイスト 飯村昭子) [其の10])

コンサートでニーチエの曲を演奏するウタコ

 『神は死んだ』という言葉を残した19世紀末のドイツの哲学者、ニーチエの作曲した曲を聴いた人はほとんどいないだろう。私は聴いた。1984年、ニューヨークのセラ・ディ・フェリーチェ画廊で。音楽家で星占学者の明本歌子(ウタコ)がベーゼントルファーで演奏した。フラットな床に置かれた木の椅子にアーティストたちがぎっしり座っていた。故スーザン・ソンタグさんの顔も見えた。誰かが独り言を言っているような不思議な音楽だった。

 ウタコは白い手袋をし、リーディンググラスをかけた洒落たいでたちだった。あんな不思議なコンサートを忘れることができようか。

 「一か月ぐらい練習して、手が痛むので、それで手袋をしたのよ」。

 いいコンサートだった。ニューヨークタイムズにいい批評が載った。

 作曲家の父を持ち、東京芸大の作曲科を卒業したウタコにとって、このコンサートはとくに異質なものではなかったかもしれない。しかし、当時のウタコは、クラブやディスコでロックの弾き語りをしていた。ピアニストを目指すわけではなく、22歳も年下の英国人の男との暮らしに夢中になっていた。

 イーストビレッジの家で、彼等はスピリチュアルな本を読みまくっていた。私はウタコに私の前世についての記述を読まされたこともある。不思議な暮らしを彼等はしていた。

 もっと言えば、1975年、ブラッセル行きのチャーター機に乗っていた時、後部座席の方で大きな声でしゃべっている人がいるので見たら、坊主頭にスカーフを被ったウタコだった。ブラッセルから私はパリヘ、ウタコはロンドンへ向かった。思えば彼女は、中学を終え夏休みを父親と過ごすために日本に行く息子と別れ、ニューヨークで見たリンゼイ・ケンプ一座の公演に魅入られて追いかけて行った。やがてそれから人生を共にする若いダンサーと出会う直前だった。

 ウタコはやがて夫となるそのダンサーとオーストラリアや日本を自由に移動し、放浪に近い暮らしをした後、またニューヨークへ、二人で帰ってきた。そして病気になり、手術をうけることになり、そのベッドの両脇には前夫と夫が寄り添って彼女を見守った。

 ウタコの不在中に他の若い女と恋に落ちた夫と別れて、50歳になっていたウタコは単身ハワイに移った。そこで不動産業の資格を得るための学校に通い、サーフィンの講習も受けはじめた。病気以来、毎日水泳を欠かさなくなっていたのでハワイの水は大歓迎だった。やがて20歳の青年と恋をする。

 彼が「君、どこの大学?」ときいてきたのがきっかけだった。サーフィンの名手で、ハワイのサーフィンの雑誌に彼の波乗りの写真が表紙に使われていた。私がハワイを訪れた時、彼女の海の見えるアパートの部屋に、その表紙が飾ってあった。

 しかし、ハワイで熱中したものはサーフィンだけではなく星占いもだった。百科事典のような部厚い占星術の本に無数のカラフルな傍線を引き、傍点をつけてチャートを作成、星の動きに支配される人の運勢を解読する。

 ウタコは、星占学者になった。今は日本で生き方の知恵を教えるユニークな存在になっている。

 彼女のリーディングには、星の動きと絡んだ彼女なりの人生観が織りこまれる。それが相談事を抱える女性(ほとんどが女性)の心の枠を取り除き、自由な広い人生観を植え付けて行く。

 「嫉妬すると自分をだめにするから、なんとかしてそれを友情に変えるのよ。すると元の恋人とも、恋仇とも、彼等の子供とも仲良くなれて、深いつながりができて、一生涯の家族になれるのよ」。

 「おカネで買えない二つのこと、愛と健康が一番大切」。

 ウタコの半生の自伝『コスミック・ファミリー』が出版されると、それを読んだ女性たちが熱狂的ファンになった。自由に「非常識」を実行し、誰も不幸にしない生き方に「目の前が急に晴れた」思いをするのだ。作家のよしもとばななも、ウタコの自然体に惹かれ、雑誌でスピリチュアル対談をした。(06年4月、 Vogue誌)

 一度は見捨てられたような時期もあった息子も、今は一児の父親で父親に並ぶ音楽家、ウタコにオバアチャンの幸せを与えてくれている。かつての夫や恋人たちにもそれぞれ子どものいる家庭があり、ウタコを囲む大きなファミリーのメンバーだ。

 星のことを深く知れば知るほど、自分が見えてくる。社会の常識やしきたりに従うために星の示す自分の人生を無理に変えれば、自分が苦しむ結果になる。

 3回離婚し、今独身のウタコは星の動くままに楽に生きている。それが美しく、素晴らしく見えるのは、まったく無理をしていないし、無駄な努力をしないからだ。魅力的な芸術作品がすべてそうであるように。

 絶版になったこの本は、人生のバイブルとして、最近ではプレミアムがついている。

 ピアノの先生もするようになった。初めは子どもだけだったが、最近はRBR(www.rbr-art.com)で若い女性たちにも教えている。自由で創造的人生のレッスンも加わって彼女たちをいっそう惹き付け、言いたくても言えないことがない、女たちの場所と時間にもなっている。
参照元:音楽家で星占学者のウタコ(明本歌子)
元夫や恋人もファミリーに
自由に「非常識」を実行

(よみタイムVol.67 6月15日発行号 ニューヨーク人間模様 エッセイスト 飯村昭子) [其の10])

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