フィンセント・ファン・ゴッホ -死んでから有名になった男-




画家のゴッホと言えば、自画像やひまわりの絵で知られる世界的に有名な画家だが、生前は1枚しか絵が売れなかったと言われている。


2,100枚以上の作品を残した中で、たったの1枚しか売れなかったというのである。


ゴッホの作品の中でも最も有名な作品は、最後の2年間に書かれたもので、有名な『ひまわり』は、1888年8月に書かれた作品で、『包帯をしてパイプをくわえた自画像』は1889年1月に書かれた作品である。







wikipediaには、以下のように記されている。




1888年2月、南フランスのアルルに移り、『ひまわり』や『夜のカフェテラス』などの名作を次々に生み出した。南フランスに画家の協同組合を築くことを夢見て、同年10月末からポール・ゴーギャンを迎えての共同生活が始まったが、次第に2人の関係は行き詰まり、12月末のファン・ゴッホの「耳切り事件」で共同生活は破綻した。以後、発作に苦しみながらアルルの病院への入退院を繰り返した(アルル時代)。1889年5月からはアルル近郊のサン=レミにある療養所に入所した。発作の合間にも『星月夜』など多くの風景画、人物画を描き続けた(サン=レミ時代)。1890年5月、療養所を退所してパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り、画作を続けたが(オーヴェル時代)、7月27日に銃で自らを撃ち、2日後の29日に死亡した(死)。発作等の原因については、てんかん、統合失調症など様々な仮説が研究者によって発表されている(病因)。

(wikipedia フィンセント・ファン・ゴッホより引用抜粋)



この頃は、マハダシャー月期で、月は2室支配の強力なマラカで、6室で減衰し、ナヴァムシャでも月は2室支配のマラカで、6、11室支配の火星からのアスペクトを受けている。




「耳切り事件」のロジック



ゴッホが、自分の耳を切り落とした「耳切り事件」が起こったのは、1888年12月末で、月/火星/月期である。


ゴッホは、当時、共同生活をしていたゴーギャンと口論になり、憤慨して家を出ると、ゴーギャンに馬鹿にされた自分の左耳を剃刀で切り落としたという。








月は、マラカの2室の支配星で6室で減衰しているが、ディスポジターは、火星である。


アンタルダシャーは火星であり、プラティアンタルダシャーは再び月である。



マハダシャーの月が、アンタルダシャーロードの火星の星座に在住していることから、主にこの時期は、火星の象意が顕現する時期と考えられるが、火星は鋭い刃物の表示体である。



6、11室支配の火星とは、6室は暴力のハウスで、11室は6室から見た6室目のハウスで6室の本質のハウスである。


従って、6、11室支配の火星とは、2つの暴力のハウスを支配している生来的な暴力の表示体、あるいは、鋭い刃物の表示体である。


因みに3室は右耳の表示体で、12室は左耳の表示体であるが、この凶暴な火星が、10室で、3室の支配星と12室の支配星とコンジャンクトして、傷つけていることに注目である。



火星がこれらの耳の表示体と絡んで傷つけている為にこの「耳切り事件」が起こったことは明らかであるが、10室(大舞台)で、それが生じている為、当時、ゴッホの「耳切り事件」は地元紙でも報道され、注目を浴びている。







ナヴァムシャを見ると、更に6、11室支配の火星が同じように3室に在住して3室を傷つけ、12室支配の金星ともコンジャンクトして、12室を傷つけている。



月から見ると、3室支配の土星が6室で減衰し、8、11室支配の水星とコンジャンクトして傷つき、12室支配の金星は、再び、6室支配の火星とコンジャンクトしている。


またナヴァムシャでも月から見た3室支配の金星が火星とコンジャンクトして土星からアスペクトされており、12室と12室支配の土星は火星からアスペクトされて傷ついている。






火星が「耳切り事件」において大きな役割を果たしており、それが月/火星/月期に起こったというのは非常に分かりやすい。




このような事件があり、そして入退院を繰り返した後、ゴッホは、1890年7月29日の月/木星/木星期に自殺により、その生涯を閉じた。



月はマラカの2室の支配星で、木星はマラカの7室支配で、マラカの7室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸によって傷つけられている。



また木星は、月から見て、マラカの2室支配で、マラカの2室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸によって傷つけられている。








障害、挫折の連続、貧困の中での創作活動


この月期に入ってからの2年間は、最もゴッホが苦しんだ時期であるが、然し、最も素晴らしい作品を残した時期でもあった。



月から見ると、ラグナロードの火星が創作の5室に在住して、1-5のラージャヨーガを形成し、10室支配の太陽とコンジャンクトして、1-10のラージャヨーガを形成、更に7室支配の金星もコンジャンクトしている為、1-7、5-7のラージャヨーガも形成している。



5室に惑星集中して、5室では表現力、芸術性を表わす金星が高揚し、5室支配の木星は2室でムーラトリコーナで、ラグナからハンサヨーガを形成している。



金星はラグナから見ると、5室の支配星で10室でマラヴィアヨーガを形成している。



従って、こうした本来ラグナから見ても強い惑星が、月から見て、5室で高揚したり、5室の支配星となることで、この月期が一際、創造的な時期として輝いたのである。



6室で減衰する月はパラシャラの例外則で、ラージャヨーガ的に働く配置であり、また月は、ニーチャバンガラージャヨーガを形成している。



その為、この最後の2年間で、「耳を切り落とす」など、ひどく健康上の問題で苦しみ、入退院を繰り返して、最後には自殺して、この世を去ったが、この2年間が、極めて創造的な時期になり、後に語り継がれる作品を生み出した時期になったのである。



因みにダシャムシャでも月は5室支配で2室に在住し、D60でも4室支配で5室に在住し、5室支配の太陽と相互アスペクトして、4-5のラージャヨーガを形成しており、またD150でも、月は2室支配で、5室に在住している。



月はいずれも創作の5室と絡んでいる。





ゴッホは、生前には絵がほとんど評価されず、1枚しか売れなかった訳で、生きている間に後の名声や富を享受することは一切なかった。



創作活動は、常に障害や貧困との闘いであり、弟のテオが送ってくれる金を画材とモデル代につぎ込み、口にするのはパンとコーヒーとタバコだけで、食費を切り詰め、体を酷使したため、歯は次々欠け、衰弱したといったこともwikipediaには、記されている。


こうした配置は、月が6室で減衰し、月から見た6室で、4室支配の土星が減衰し、8、11室支配の水星がコンジャンクトしている配置に象徴されている。



6室は病気、負債、訴訟(争い)などの障害との闘いを象徴するハウスで、月から見た6室も強調されている為、ゴッホの人生を一言で表すとすれば、障害との闘いの人生と呼ぶことができる。



最初に伯父の助力で就職した画商では、解雇され、聖職者を志し、伝道師になりたいと願ったが、そこでも挫折している。



以下のように記されている。





同年(1878年)12月、彼はベルギーの炭鉱地帯、ボリナージュ地方(モンス近郊)に赴き、プティ=ヴァムの村で、パン屋ジャン=バティスト・ドゥニの家に下宿しながら伝道活動を始めた。1879年1月から、熱意を認められて半年の間は伝道師としての仮免許と月額50フランの俸給が与えられることになった。彼は貧しい人々に説教を行い、病人・けが人に献身的に尽くすとともに、自分自身も貧しい坑夫らの生活に合わせて同じような生活を送るようになり、着るものもみすぼらしくなった。しかし、苛酷な労働条件や賃金の大幅カットで労働者が死に、抑圧され、労働争議が巻き起こる炭鉱の町において、社会的不正義に憤るというよりも、『キリストに倣いて』が教えるように、苦しみの中に神の癒しを見出すことを説いたオランダ人伝道師は、人々の理解を得られなかった。教会の伝道委員会も、ファン・ゴッホの常軌を逸した自罰的行動を伝道師の威厳を損なうものとして否定し、ファン・ゴッホがその警告に従うことを拒絶すると、伝道師の仮免許と俸給は打ち切られた。

(wikipedia フィンセント・ファン・ゴッホより引用抜粋)




極めて真面目に真摯にキリスト教の伝道を行なっているが、オランダでは労働者たちの理解が得られなかったようである。



労働者は、現実的な社会福祉制度を必要としており、オランダは、社会的不正義を労働運動で、政治に働きかけて、社会福祉政策を勝ち取るといった形で、キリスト教の精神が活動の場を見出した極めて現実主義の国である。



魚座に惑星集中しているゴッホは、理想主義ではあるが、現実的ではなかったと言える。



キリスト教に傾倒したのは、魚座が強い為である。







死んでから有名になったのは何故か?


因みにフィンセント・ファン・ゴッホは、生きている間は、全く名声が得られず、死後に、その絵画が高く評価され、高額で取引され、有名になったのは何故なのか、疑問である。




例えば、有名になるハウスはどこかと言えば、それは10室である。



従って、有名になれないとすれば、それは、10室が傷つけられていたり、10室に何らかの影響があることが考えられる。



ゴッホのチャートを見ていて気づいたことは、10室に12室の支配星が絡んでいたり、10室の支配星に12室の表示体であるケートゥが絡んでいたりする配置である。



月から見ても10室の支配星に12室の支配星が絡んでいる。



ナヴァムシャでも10室の支配星にケートゥがコンジャンクトしており、月から見た10室の支配星にもケートゥがコンジャンクトしている。




またダシャムシャでも10室にケートゥが在住して、10室の支配星とコンジャンクトしており、10室に12室の支配星である土星が在住して、10室の支配星ともコンジャンクトしている。



従って、10室や10室の支配星に対して、12室やケートゥが何度も絡んでいることが確認できる。




ゴッホの金星は5室支配で10室に在住してマラヴィアヨーガを形成する素晴らしい金星であるが、12室の支配星ともなっている。



月から見ても金星は12室の支配星である。



従って、創作活動はして、作品を生み出しても、それが他人から評価されず、お金にもつながらないのである。



双子座ラグナにとって、金星は芸術的才能や創造性を表わしているが、それがしばしばお金や現実的な利得につながっていかないのは、12室の支配星でもあるからである。




そして、こうした12室支配の金星が出生図の10室や10室の支配星に連結していることが、ゴッホが生きている間に有名になれなかった配置ではないかと思われる。


例えば、12室にはあの世とか死後の生活とかそうした意味があったと思うが、死んであの世に行ってから有名になるといった象意が発生するのかもしれない。



ゴッホは、1861年~1881年の20年間が、マハダシャー金星期であったが、この時期には、絵画を習ったり、就職して娼館通いをしたり、キリスト教の伝道師になろうとして活動するなどした時期だが、有名になったり、成功した形跡は全くない。



12室の支配星としての否定的な象意が噴き出した時期である。



それは理解できることで、12室の支配星が3室支配の太陽と6、11室支配の火星によって傷つけられているからである。



但し、死んでから評価されるようになったのは、自殺したマハダシャー月期の後が、11室支配のマハダシャー火星期で、その火星が、5室支配の金星とコンジャンクトして5-11のダナヨーガを形成している為ではないかと思われる。



そして、おそらくは、AKの月がナヴァムシャで魚座に在住していることも大きな役割を果たしていると思われる。



AKの月がナヴァムシャで魚座に在住する場合、ジャイミニの霊的な解釈では、解き放たれることや、カルマの周期の満了、解放、解脱を暗示しているとされている。



おそらく、AKがナヴァムシャで魚座に在住する場合、名声を受けたり、富を獲得して現世的喜びに浸ることは出来ないのである。



魚座はナチュラルゾーディアックでは、12室の象意を持っており、キリストの生涯のように現世では解脱の為に全てを奪われ、磔にされるからである。




何故、私がこのゴッホの生涯の「生きている間には有名にはなれず、死んでから有名になった」という概念に強い関心を抱いたかと言えば、私自身が、過去において、サイキックな方から、そのようなことを言われたことがあるからである。



「あなたは死んでから有名になる」と言われたのである。



2人ぐらいからそのように言われたことがある。




そのうちの一人は、手相占いの秘儀を知っている方である。







それで、私自身、10室に12室の支配星が在住し、10室の支配星がケートゥとコンジャンクトして、更にAKがナヴァムシャで魚座に在住している。



10室と12室の表示体との絡みや、AK自体の12室の象意との絡みが認められる。




従って、私の人生もまた12室というものがテーマになっている。



実際、ラグナロードで、ヴァルゴッタマで、アートマカラカの火星が12室に在住している為、私の人生のテーマは、12室である。



12室が強調される場合、「死んでから~」といった特徴をもたらすようなのである。



おそらく、1室/1室の支配星、10室/10室の支配星が、12室や12室の表示体と絡む場合に生きている間には有名になれず、死んでから有名になるといった象意が生じるのである。





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