岐阜県の有名な白川郷について ― 女系の王国・蟹座の世界 ―

最近、日本が近代化される前は、どんな暮らしだったのか、人々は幸福だったのか、不幸だったのかということが気になっている。


それで、民俗学の本などを読んでいる。


昔の日本については、悲惨だったという説と、素晴らしく幸福だったという説があり、どちらが本当なのか分からない。


近代化される前の昔の日本は素晴らしかったとひたすら唱えるような論客も多いが、昔の日本を美化しないで、リアリズムに客観的に見て、実際はどうであったのかが気になる。


逆に昔の日本は、ひどい生活であったと主張する論客もいる。


最近、書店で見かけるのは、江戸時代の庶民の生活について語る本が多い。



江戸の生活は、上水道を初めとして、インフラも整っており、衛生管理もされて、庶民は楽しく生活していたといった内容である。


また『イザベラ・バードの日本紀行』では、例えば、川で、船頭に渡しを依頼した所、多めのお金を渡したら、多すぎるといってお金を返して来たといった話が紹介されていたり、日本の自然の美しさ、簡素で美しい生活、日本人の純粋さ、正直さなどの素晴らしさを唱えている。


そうした外国人の目から見て、日本の簡素さ、美しさなどを褒める内容を取り上げて、日本の右翼が、youtubeの動画で、昔の日本はこんなに素晴らしかったと誇らしげに訴える姿には、違和感があり、あたかも傷ついた自尊心を癒そうとしているかのように見える。


日本のダメな所を自己批判しないで、日本や日本人の自画自賛に徹する論説には違和感を感じたりもする。


然し、近代化される前の日本は素晴らしかったというのも、ある程度、本当だとも思う。


そうしたことで、どちらが本当かを知りたいという気持ちが出て来たのである。



それで最近、興味のある本が、若干、変化してきた。


以前は、西洋近代までの歴史の流れを知りたいと思い、西洋文化に興味があったが、ある程度、分かったので、日本について知りたいと思うようになった。


明治維新の頃の近代化は、日本に何をもたらしたのか、その前の日本はどうだったのかということである。


それで、最近は、民俗学の本が目に付くと、直ぐに手にとってしまう。



例えば、『日本残酷物語1~5 (平凡社ライブラリー)』平凡社などは、美化された日本ではなく、本当の日本の昔を教えてくれる本として非常に貴重な本だと思える。







昔は、強盗だらけで、農民は貧しく、常に食糧不足で、生活の為に娘は売られ、伝染病が流行し、迷信が蔓延っており、貧しい山奥の村に入ってゆくと、追剥にあったり、農民が借金漬けになっている様が当時の借用証書の記録などから分かるといったことが書いてある。

そして、生産力が小さかったため、農家に子供が生まれても口減らしの為に間引きしたりといったことが行なわれていたとも書いてある。

日本に渡来したキリシタンがそうした記録を残しているそうだ。

また働けなくなった年寄りの居場所はなく、姨捨山といったことも本当に行なわれていたらしい。

貨物船が難破すると、漂流物を着服することが年中行事化していたり、戦に負けた落武者がいれば、警戒して、先手を打って農民が金品、武具を奪い取るなどしたと記されている。


そうした記述からは、昔の日本の本当のリアルな厳しい現実が描かれていると思える。


生産力が低かったので、生活が大変だったことがよく分かる。



明治維新後の頃、日本にやって来た外国人が、日本の簡素な美しい文化、日本人の純粋さ、正直さなどを主張しているのは、日本の良い所しか見えておらず、嘘ではないかと思えてくる。


但し、おそらく見る人の視点やその時の状況によっても左右されるのだとも思われる。





おそらく昔の日本が良かったという説も悪かったという説も両方とも正しいのである。



例えば、いつだったか、ホームと電車の間に挟まれた女性を50人ぐらいの日本人が協力して電車を押して傾けて救出したといったことが美談として語られた。



外国人の目から見て、そうした日本の団結力は素晴らしいというのである。



然し、日本人は一人だと困って人がいても無視して、誰も助けようとしないし、自分だけ浮いたり、人と違うことをしていることを極度に恐れる。



日本人が、災害の時に誰も略奪などせずに一列に並んで、配給品の支給を受ける姿を見て、素晴らしいと言う外国人もいる。



然し、集団の力学の中で、互いに牽制し合い、個を確立できておらず、人の違いを認めないという単一民族特有の在り方などは、非常にグロテスクで情けないと思う。




日本人が昔、西洋人の目から見て、純粋で正直に見えたのは、マインドが無かったからである。


マインドが無かったから、欲望も無かったし、それで純粋だったのである。


子供が純粋なのと同じである。



然し、いざ困った時や危機的な時には、しっかりと利己性や残酷さも示すのである。



例えば、日本人は行儀が良いが、他人に対して冷たいのも特徴とされる。




特に今の時世は、戦争中と同じような状況だからか、詐欺や犯罪が多発している。



日本が経済的に豊かな時は、余裕があったから犯罪が少なかっただけで、特に日本の経済的衰退が見え始めた頃から、詐欺や犯罪が非常に多くなっている。



日本人のどこが正直で純粋なのかとは思うのだ。



余裕がなくなったら犯罪でも詐欺でもやってのけるし、外国人と何ら変わらないのだ。



外国人が日本を褒める記事などを見ると、否定したくなることも多い。



日本人が列に並ぶのは、他の人から後ろ指指されたり、批判されるのが嫌だから、ルールに従うだけなのであり、全体主義、相互監視社会なだけなのだ。



殺人などが外国ほど起こらないのは、統制が厳しいからである。



日本人がこのような状況になってしまったのは、新自由主義が導入されたからだと考えられるが、上記の本によれば、それだけではなかったようだ。




過酷な状況の中では、正直で純粋なだけではいられなかったようだ。



おそらく、昔、外国人が日本人の中に見た美しさ、日本人が、笑顔を絶やさず、常に楽しそうに見えるといったことは、例えば、発展途上国の子供たちの様子に似ていたのかもしれない。



発展途上国の子供たちが、貧しいのに無邪気で、笑顔をたやさない日常の光景というのは、誰もが見たことがあると思うが、昔の日本人とはそれと同じではないかと思われる。






岐阜県飛騨白川村の大家族制度



そうしたことで、『日本残酷物語1~5 (平凡社ライブラリー)』平凡社は、非常に参考になる本だが、その中に岐阜県飛騨の白川村の大家族制度の生活について記されていた箇所があった。



今では岐阜県の白川郷と言えば、大きな藁ぶき屋根の家が立ち並ぶ観光名所として有名である。



1976年に国の重要伝統的建造物群保存地区として認定され、1995年にユネスコの世界遺産に登録されている。









この集落は、生産力の乏しい貧しい村で、男性は、独立して結婚し、家を設けるだけの経済的基盤がなかった為、結婚―自立という権利を放棄して、「家」に寄生する生活を送らねばならなかったのだという。


それで村内で分家というものが行なわれずに少数の家に多数の血縁者が共同で生活していたところだそうである。


1つの家に26人ぐらいの血縁関係者が暮らしていたという所だそうである。



この村では、女性は基本的に家からは出ずに男性が夜だけ通う婚姻様式(ツマドイ婚)であったという。



それで、男性も女性も普通の同棲生活はしないで、外面的には、生涯を通じて、独身生活を通していたそうだ。



この村では、男性も女性も家を離れることを禁じられており、特に女性は「家についたもの」という伝統的な観念が強く、生まれた時からそのようにしつけられて成人したそうだ。


女性は家で生涯を送るのが、女として正しい生き方で、他家へ嫁入りなどもっての外と固く信じていたそうだ。



それで女性たちは、子供を産むと、その子供たちを共同で、育てて、他人の子供でも乳を与えたりして育てたのだという。



家には一人の家長としての男性とその妻がいて、他は、血縁関係の女性たちとその子供たちがいて、その女性たちの夫は、他の家に住んでいるという形になる。



家長以外の妻たちの夫は他の家に住んでいて、一緒には暮らしておらず、一つ屋根の下で同棲できるのは、家を相続した家長とその妻とその家にずっと住み続けている女性たちとその子供達だけである。



女性と夫から誕生した子供たちは、主に女性の住む家で、育てられるという形らしいのである。



この大家族の暮らしは非常に興味深く、「家」というものが重要で、人は独立して家を持つのが難しかったので、複数の女性たちとその子供たちが同じ家に同居して、その父親は別の家に住んでいるという形式なのである。



そして、家の中では、女性たちは共同で、子供たちを育てるなど、集団生活を協力して行っていたようである。



この大家族共同体は、例えば、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の中で、描いていた谷に囲まれた小国の中で、族長が中心となる大家族集団を形成しており、大勢が一つの家族のように生活しているようなそうしたイメージである。



封建社会で、「家」=「社会」だった時代の生活スタイルである。



一つの家に26人もの人が暮らしているので、そこは一つの社会であり、炉端を囲んで話し合って物事を決めるような社会生活が営まれていたのである。



然し、その村も明治維新後の近代化の流れで、学校教育などが始まると、村に住んでいる若い女性たちは、村で生活していたら、結婚して家を持つことが出来ず、子供が出来ても戸籍上は私生児の扱いになってしまうということを知り、町で奉公先を見つけて、村から抜け出そうとする女性たちが出てきたようである。



また男性も兵役などで他の国を見る機会が出来て、村から逃亡する人が増えて、働き手を失った家は、女手だけでは、生活が苦しくなり、それで家長の方から、女性に町での奉公先を見つけたり、嫁入り先を見つけて、村から出ていくように促したのだという。



そのようにして近代化の流れで、村の閉じられた社会が維持できなくなって、大家族制度が、終わっていったのだという。



それで、現在、白川郷には、その時代の大家族を象徴する建物群だけが残っている。








白川村(白川郷)は、岐阜県の外れにあり、石川県の境界付近にある村であるが、富山県・石川県・福井県の辺りは、自民党が強い保守王国である。



県民性は、勤勉で忍耐強く、富山県が持ち家比率が全国一、福井県や石川県もそれに続く数字だという。



つまり、家や家族を大事にする県である。




また個人的な話になるが、何故か、私は石川県とは非常に縁が深いのである。



それで、私はある時から、石川県は、蟹座の世界だと考えている。



私は蟹座に月と太陽が在住している為、こうした蟹座の世界との縁があるのだと感じたのである。




白川郷は、子供には母親しかおらず、父親はどこか他の場所にいるというスタイルであり、女系が強い文化である。



従って、魚座―蟹座-蠍座の水の星座が強い、家父長制的な伝統社会ではないかと思われるが、女性は生まれた家で一生暮らすというように家と女性が一体化している世界である。



女性たちが団結して、家を守っている世界で、その中で、家長になれない男性たちは、労働力として、家に仕える存在である。



女性たちに子供が出来ると、その子供たちは、その女性の下で、その大家族の成員となってゆく。



従って、家長はもちろん絶対的な支配者であるが、家の中で、女性の数が多く、女性が強い立場にいたと言えるかもしれない。



その為、水の星座の中で、特に蟹座の象意を感じさせる世界である。



蟹座は、母親を表わす月を支配星とする星座で、家の象徴となる星座でもあり、家族、家を大事にして、家族の成員を守る星座である。




そうした蟹座スタイルというのが、白川郷の巨大な藁ぶき屋根の家から感じられるのである。






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