双子座の浅はかさ -28宿と27宿の議論から-

最近、風の星座が持つ欠点、特に双子座の浅はかさについて思いついた。


双子座は、全てを数学的に処理し、数値化し、確率論などにしてしまう。


以前、小室直樹の『数学を使わない数学の講義』を読んで非常に参考になったが、自然界に存在するものは割り切れないのである。


物理学で用いている定数などもそうである。


従って、小数点をどこかで切り捨ててそれで用いている。


自然界に存在するものは、そもそも割り切れず、数学的に完璧に美しいものは、自然界には存在しないという認識が大事である。


物理学などで使用される数式や数は、近似値にしか過ぎないのである。



例えば、ナクシャトラに関する理論でも28宿と27宿の理論が両方存在する。


どちらが正しいかという問題があるが、どちらも正しいというのが本当である。


月は、27.3日で、地球の周りを一周するが、1日1宿だと、0.3が余ってしまう。


その余りの0.3は何なのかということになるが、この部分にもう一つのアビジットというナクシャトラを無理にねじ込んだのが、28宿の理論である。


ねじ込む場所は、シュラヴァナと、ウッタラアシャダーの間であり、シュラヴァナの15分の1と、ウッタラアシャダーの4分の1をもらってきて、アビジットに幅を持たせる為、シュラヴァナとウッタラアシャダーの幅が狭くなってしまう。



1つのナクシャトラが、13°20’で、全て分に直すと、13×60’+ 20’= 800’である。


ウッタラアシャダーは、4分の1が引かれて、800’-200’で、600’になり、シュラヴァナは15分の1が引かれて、800’-(53’20”)=746’40”となる。



そして、アビジットは、これらの引かれた度数をもらって、253’20”となる。



従って、28宿理論は、他の全てのナクシャトラが800’なのにシュラヴァナが746’40”、ウッタラアシャダーが600’、アビジットが253’20”であるとする変な理論である。



シュラヴァナ 746’40”

アビジット 253’20”

ウッタラアシャダー 600’



全く数学的に美しくない理論である。



然し、実際には、月の地球に対する公転周期が、27.3日で、0.3の部分が余ってしまうため、それを何とかしようとする方法として、こうしたやり方も出て来たと理解できる。



27宿理論の方は、数学的な美しさを目指して、0.3の部分は切り捨ててしまったのである。



数学的には美しくない余りの数だが、自然界には厳然として存在している。




ここで思い出されるのは、自然界は、全て割り切れない数字で出来ているという事実である。



科学者は、数学的に美しい理論を考え出し、その理論で自然を説明できない場合に自分の理論に自然の方が合っていないとして、文句を言ったりすることもある位で、いつの間にか自然そのものよりも理論の方が大事になってしまう。



特に経済学などで、これは顕著であり、実際の経済が、経済理論と合っていないなどと言い出す始末である。




双子座は、フリーメーソンの星座であり、理性、科学をもたらした星座である。



この理性が、理論が美しくあるためには不要である半端な数値を切り捨てて、その理論の方を実際の自然そのものよりも大事に思うのだ。




私は、28宿理論を知った当初、変な理論だなと思い、全く興味を持たなかったのであるが、最近、28宿理論を詳しく調べる機会があり、また私の現在のダシャーが、そのような数学的に美しくない理論にも興味を抱かせているようである。




そして、最近、自然そのものの方が理論よりも重要であることは間違いないため、数学的に美しくない理論があっても、それにも価値があるのではないかと思えて来た。



特にナクシャトラについては、28宿の理論の方が先に出てきたようであり、またこれを元にしたアストッタリダシャー(Astottari dasha)というものが、かなり使われていた事実を見てもそう思う。




28宿理論の方は、0.3の余りの部分を無視しないで、大切に扱った理論なのである。




数学的な美しさは失ったが、自然界に厳然と存在するものを切り捨てたりはしていない。




こうしたことを考えているまさにこの時、私は、金星/土星期にいて、私の場合、土星はナヴァムシャで、5室の支配星で、2室の蠍座に在住している。



このアンタル土星期に移行してから、私は、民俗学や日本のローカルな歴史に興味が出てきた。



これまでは、西洋近代とその学問、哲学や科学の発展にしか興味がなかった。



歴史もプラトンからヘーゲルに至り、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」に示されたような西洋史観に囚われていた。



ヘーゲルの歴史弁証法やマルクスの階級理論などの考え方、西洋学問の枠組みの中で、歴史を理解していた。



それは、フリーメーソンのフランス革命に始まる近代革命が、科学、民主主義の発展をもたらし、歴史を推進しているという考え方でもある。




然し、数学的に美しくないものにも価値を認め、28宿の理論にも価値を見出したりといったように考え方が少し変わって来た。



もっと長い歴史のスケールで見た場合に西洋近代が導入される前の日本の伝統や文化は独自の価値を持っており、西洋近代が押し付けて来た価値のものさしに合わなくてもそれらは立派に価値を持っているのである。




西洋近代は、この500年ぐらいの流れに過ぎない。



もっと大きな歴史の流れにおいては、西洋近代の価値を相対化できるのである。




双子座が理性、科学、数学、数値化、確率論などであれば、蠍座は、非数学、非数値化、割り切れないこと、非合理などである。



蠍座はナチュラルゾーディアックで言えば、8室であり、9室(理性、科学)を損失するハウスである。




然し、ヨーガは8室が意味しており、サマーディーなども8室である。



理性や科学、数学などで辿り着けない真理に辿り着けるのが、蠍座や8室かもしれない。



28宿の理論もそうした意味では、価値があるのである。




最近、LGBTの権利を拡大する議論が活発化して来たのは、木星が水瓶座に入室し、双子座、天秤座などにアスペクトして、風の星座(理性)が活性化されているからである。



マイケル・サンデル教授の新刊『実力も運のうち 能力主義は正義か?』が出版され、リベラル左翼的な価値、自由や平等、民主主義の理念などの価値が伝えられている。



マイケル・サンデル教授は、ハーバード大学のリベラルな学風を体現していると言える人物で、ハーバード大学は、フリーメーソンが創った大学である。



アメリカのハリウッドは双子座が体現しており、やはり、LGBTの権利を拡大するような啓蒙的な映画作品が数多く撮影される。



例えば、以前、同性愛の二人の男性が身寄りのないダウン症の子供を疑似家族を作って育てるという映画『チョコレートドーナツ』という作品が作られていたが、フリーメーソンの特徴は、自然に手を加えたり、組み換えることである。



双子座の理性には、自然を克服し、改造し、自らの自由に組み替えるという特徴があり、与えられたままの自然を敬虔に享受するという発想がない。



DNAの組み換えなどの生命倫理の問題、環境破壊の問題などは、自然を思うままに組み換えてゆく双子座がもたらしている。



日本の昔が美しかったというのは、自然と調和しているという意味で、美しかったのである。




しかし、フリーメーソン、双子座、西洋近代革命によって、日本の調和した美は、破壊された。



これはもはや後戻りはできない。




ナクシャトラの話に戻れば、昔は、28宿が使われていたのだが、おそらく近代に入って、より数学的に美しく整合性の高い27宿が使われるようになったのである。



理性は、特にその中でも数学はその理性の道具として、理性の代表であるが、自然にある半端な数、割り切れない整数などを切り捨ててしまう。



そこに理性の過ちがある。



例えば、GNP(国民総生産)という経済指標があるが、女性の家事労働や地下経済など、国民経済の実態が全く反映されない数値である。



この数値を使っても国民経済の実態は全く分からない。



しかし、経済学者たちが、悦に入った態度で、それらの指標を使って、経済を論じたり、政策を提言したりする。




つまり、GNPという指標は、数学的能力から生み出された成果であるが、リアリティー(現実)を把握できなくさせるという効果(諸刃の剣)も持っている。




秘教では「自分が長所であると思ったまさにそのことが自分の最大の弱点になる」という格言がある。




これに関しては、双子座の理性(フリーメーソン)というものが該当すると思われる。




マイケル・サンデル教授も指摘しているが、双子座の理性(フリーメーソン)の驕りがあり、現在の能力主義社会の中で、上手く立ち回れない、負け組の人たちの猛烈な反発を招いたのである。




現代でお金に関して上手く立ち回るためには、投資の知識などが必須なのは、どんどん経済が実体経済(実物経済)から銀行、株式市場、投資商品などが複雑に絡み合った金融経済に移行したからである。



そして、その世界は、その専門知識を持っている人たち(テクノクラート)だけが幅を効かすマニアックな世界になってしまっている。




これは、双子座(フリーメーソン)がもたらした結果である。




双子座(フリーメーソン)が今や力を得て、迫害される存在から、迫害する存在に変わったと言ってもいいかもしれない。





私は双子座に水星、土星、ケートゥが集中し、ナヴァムシャでも双子座に水星が在住している。



従って、双子座の人々と関わることが多いし、考えや行動が双子座に色づけられることが多くなっている。



そうした双子座を誇りにして来た所もある。



然し、双子座にはどうしようもない欠点があり、それは理性や科学が持つ欠点でもある。




従って、現代の問題は、双子座(フリーメーソン)がもたらした結果でもあると思われる。



フリーメーソン(理性、科学)がもたらすものを何でも受け入れるのは要注意であるが、世界はますます、双子座、水瓶座、天秤座の性質を体現してゆき、その流れは変えようもない。



双子座の理性、科学、数学の力は、強力であるが、どこか浅はかさも持っているように思える。



それは、自然を説明するための数学的理論や専門用語を作り上げて、それを本物の自然よりも価値があると錯覚してしまう所である。




双子座の人と話していて感じることは、合理的で無駄がないことである。



無駄な行動をしなくて済むように行動する前に事前に調べ尽すのが、双子座である。



抽象的に考える能力が発達していて、特にそれは経済の分野で発揮される。



投資や財テクなどについて考える場合、双子座には絶対にかなわない。



何故ならそうした分野は、双子座が生み出した世界だからである。





科学技術や金融工学の専門家(テクノクラート)が、専門用語を用いて、数字を使って、説明を繰り広げる時、それには注意が必要である。



大衆はこうした専門家の発言に弱いのであるが、「この人たちは頭がいいのかもしれないが、この人たちの言うことは嫌いであり、反対だ」とする感性も必要である。



その反動がブレグジットやトランプ大統領の当選などで始まった右翼革命である。




例えば、天皇制の女系天皇の議論においても、リベラリズム、民主主義の考え方によれば、女系が認められるべきだという考え方になるが、近代革命が始まる前の伝統社会では、神から与えられたそのままの自然を崇敬し、受け入れている自然法(ナチュラルラー)の考え方になる。



伝統的に受け継がれてきた文化というものは、自然法(ナチュラルラー)思想の中で守ることができる。



その中では、男女の生物学的違いなども重視されるのである。




然し、フリーメーソンの理性主義は、こうした自然法(ナチュラルラー)思想を破壊するし、自然そのものを改造し、組み換えてゆく。




従って、伝統というものは、結局、破壊され改変されてゆく運命であり、存続したとしても以前のものとは違ったものになってしまう。





科学や理性を推進する人々、専門家集団、テクノクラートは、非常に自信があり、知的な傲慢さも持っている。




自分たちこそが知識を持っていて、何でも決定する権利があると思い、知識のない大衆は自分たちに従うべきだと考えている。




サンデル教授も書いていたが、大衆は、もうテクノクラートの言う専門用語にうんざりしているという。




然し、先祖返りは上手く行かず、もはや後戻りはできない為、理性による理性の自己批判が必要である。



その方法しかあり得ない。



冒頭で、双子座は、全てを数学的に処理し、数値化し、確率論などにしてしまうと書いたが、あともう一つ付け加えるとしたら、双子座は何でもお金に換算してしまうということである。


孫正義から経営を学んだとする本が多数出版されている。


それらの内容をざっと見てみると、孫正義は何でも数値に置き換えて、それで処理するそうだ。


双子座についての問題提起を行なってきたが、それにも関わらず、科学、技術、数学、数値化、確率論といったものが、現代において最もお金を儲ける手段である。


然し、宗教、芸術など、生き方のアートとして、人生を考える時、これらのマインドとマインドの構築物が邪魔になる場合もあるのではないかと思われる。



何故なら、現代において、時間はお金だと言われている。


然し、宗教や芸術においては、時間を忘れなければならないからである。




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