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芥川賞作家、西村賢太について -木星期に作家として輝く-

2022 2/11


芥川賞作家で、私小説家の西村賢太がタクシーで移動中に突然意識を失い、そのまま病院に搬送され、死亡したとニュースが伝えている。



芥川賞作家の西村賢太さん死去 「苦役列車」「暗渠の宿」
2022/2/5 13:39 共同通信

 「苦役列車」「小銭をかぞえる」などの破滅型の私小説で知られる芥川賞作家の西村賢太(にしむら・けんた)さんが5日午前6時32分、東京都北区の病院で死去した。54歳。東京都出身。

 中学卒業後、アルバイトで生計を立てながら小説を執筆。同人誌に発表した作品が2004年に文芸誌「文学界」に転載され、07年に「暗渠の宿」で野間文芸新人賞、11年に「苦役列車」で芥川賞を受けた。受賞決定後の記者会見での型破りな発言が注目され、同作はベストセラーに。映画化もされた。

 関係者によると、4日夜、タクシー乗車中に意識を失って病院に搬送されていた。


西村賢太は、中卒で家から飛び出して家賃8000円のアパートで、独り暮らしを初め、港湾荷役や酒屋の小僧、警備員などで職を転々とし、色々な人から借金をしまくり、一時期、同棲した交際相手の女性の実家からも借金をしていたというが、生涯、独身生活を貫いた。

芥川賞を受賞した時、受賞会見で、自宅でその連絡を受けた時、「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」と発言し、話題となった。





実際、実家を飛び出した時、母親からもぎ取るように10万円を奪い取って、独り暮らしを始めたというが、母親への扱いや女性への扱いが酷いことも特徴である。


そして、日雇いの仕事をして、稼いだ金で、風俗に通い、一日、煙草を100本吸ったり、酒を飲む生活を繰り返していた。


芥川賞を受賞したのは、2011年1月で、「苦役列車」という作品だが、基本的に私小説である為、本を読めば、西村賢太の生活ぶりというものがよく分かる。


それはダメ人間の日常生活を記録し、告白したような私小説である。


西村賢太自体、私は全く作品を読んだことがなかったが、西村賢太の死去のニュースを知ってから、「苦役列車」という芥川賞受賞作を今、読んでいる。



これを読んでいて、西村賢太がしていた港湾荷役の日雇いの仕事の描写などが、私自身が、学生時代にしたアルバイトを思い出した。


昭和島とかあの辺りで、大手スーパーの商品の集配センターのような所で、深夜の間、鉄の籠の中に各地のスーパーに補充する食品などを詰め込む仕事である。


集合時間に日雇い人夫を現場まで運ぶ乗合バスのようなものに駅前から乗り込んで、その作業場に向かうのであるが、その辺りの描写も描かれている。


学生だから、そうした仕事は短期間しかするつもりがない為、気楽だったが、作業員の中には、かなりのいい年齢に達していて長期で、その仕事を行なっている人もいた。


そうしたベテランの人たちが、深夜の休憩時間に今日の稼ぎで、ようやく電気代が払えるなどと語らっているのが聞こえて来るような現場である。


西村賢太は、そうした所で働いて、それを小説に書いていた。



西村賢太は、1978年秋に父親が強盗強姦事件を起こして逮捕され、刑務所に収監されてしまい、それで両親が離婚し、その後は、3歳年上の姉と共に母子家庭で育っている。


中学3年の時に父親が起こした事件が性犯罪だったことを知り、以後、不登校になり、それで進学せずに家を飛び出してしまうという破天荒な人生である。



このような経歴を調べて、種々検討した結果、ラグナは、おそらく魚座だと分かった。





決め手は、芥川賞を受賞してからの人生の急上昇である。



芥川賞など賞を受賞することは、専門家たちの集団(文壇)から高い評価を得ることを示している為、受賞して称号を得ることは、11室の象意である。



西村賢太は、2004年12月に『煉瓦』第30号に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、下半期同人雑誌優秀作に選出されている。



また2006年頃、「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補となったり、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補となったり、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補となるなど、高い評価を受け、そして、2007年1月に『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞を受賞している。


2008年には、「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補となり、2009年には「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補となっている。


そして、ついに2011年「苦役列車」で第144回芥川賞を受賞している。


こうしたタイミングで、11室にダブルトランジットが形成されているかどうかという観点で、ラグナを消去法で絞り込んでいった所、最終的に牡牛座や魚座の可能性が残り、そして、魚座にした場合、ラグナロードの木星が5室で高揚する為、作家としての才能を示すことになり、また魚座ラグナであれば、西村賢太の破天荒な人生の様々なエピソードを説明できる。



従って、西村賢太は、魚座ラグナである。






2室のラーフ -家庭の崩壊-


魚座ラグナだと、ラーフ/ケートゥ軸が2-8軸に位置して、2室を激しく傷つけており、2、9室支配の火星が8室に在住して、ラーフ/ケートゥ軸に傷つけられている。



従って、父親の強盗性犯罪による逮捕で、家庭が崩壊し、両親が離婚に至ったと分かる。









2室のラーフは暴飲暴食を表わすが、西村賢太の話の中には、150円の金をワンカップの酒を買うか、次の仕事に行く為の交通費にするかで迷う場面というのが出てくる。



やはり、酒好きで飲まずにはいられない性格である。



またヘビースモーカーで煙草を1日100本吸うような生活を送っていたようであるが、そうしたエピソードもこのラーフが在住して火星がアスペクトバックする2室が物語っている。



9室支配の火星が8室に在住して、ケートゥとコンジャンクトする配置は、父親がいなくなる配置で、父親が犯罪を犯していなくなることでの失望や寂しさ、父親の裏切りなどを表わしている。




11、12室支配の土星がラグナに在住 - 人生の貧困や浮き沈みの激しさを決定づける配置-



魚座ラグナである場合、11、12室支配の土星がラグナに在住するが、これが人生全般や身体の健康などを傷つけており、またパートナーの7室を傷つけている。


11、12室支配の土星は、魚座ラグナにとってのマラカであるが、11室は収入のハウスで、12室が出費のハウスである。


従って、そもそも魚座ラグナの人は、稼いだ金(11室)を全て使い果たしてしまう(12室)などの人生傾向を持っている。



金の出入りが激しいのである。







また11室は高い評価であり、12室は損失、隠遁である為、人生の浮き沈みも大きいと言える。



12室の支配星である土星がラグナに在住する配置は、西村賢太の金がなく貧困で苦しい生活という人生の基本的な基調を表している。


そして、この土星は8室の表示体でもあり、西村賢太の健康を長期に渡って蝕んでいったことは間違いなく分かる。




姉の存在


西村賢太に3歳年上の姉に恵まれたのは、5室で高揚するラグナロードで10室支配の木星が11室(姉兄)にアスペクトし、11室の支配星にアスペクトしているからである。



また西村賢太は、母親や女性に対する扱いが酷いが、それは月(母親)や金星(配偶者、女性全般)が6室(部下、愛人、ペット)に在住しているからである。








母親から10万円をむしり取るように奪い取って、家を出たというエピソードや女性に対する暴力的な傾向、風俗に通って女性を買うという習慣などがこれに該当する。



6室の金星が多くの女性と交わる配置であるというのは、古典の中でもそのように解説されており、非常に分かりやすい。




借金をして踏み倒す


西村賢太は3、8室支配の金星が6室に在住しているが、これは8室の支配星が6室に在住することで、ヴィーパリータラージャヨーガを形成している。



これはパートナーの実家のお金(8室)を借りて、借金(8室)をし、それを踏み倒して、チャラに出来る配置である。



配偶者から当たり前のように金を借りて、それを踏み倒したり、長期に渡って借り続けて、うやむやにする配置と言える。



ある意味、不道徳な配置であるが、本人にとっては有利な配置になっている。





強い水星と木星 -優れた知性と感受性、文筆における表現力-



西村賢太のチャートで非常に印象付けられる配置は、4、7室支配の水星が4室でバドラヨーガを形成しており、月から2、11室支配で11室に在住し、2-11のダナヨーガを形成する配置である。



そして、木星は、1、10室支配で、5室で高揚しており、月から見ても5室支配で、12室で高揚している。



この知性と知識を与える2つの惑星が非常に強い配置であることが注目される。



これらの配置が、中卒で社会に出て、非常に不利なスタートであったにも関わらず、文壇から認められ、賞を受賞し、作家としての称号を確立することを可能にしたと言える。









特に5室の木星は作家を生み出す配置であり、高揚している為、一流の作家にする配置である。



教育を受けていなくても独学で教養を身に付け、博識で、語彙力や表現力が豊かな作家にさせる配置である。





マハダシャー木星期において作家としてブレイク



そして、魚座ラグナに設定すると、ちょうど2007年8月頃からマハダシャー木星期に移行するが、木星は1、10室支配で5室で高揚している為、この時期に作家としての西村賢太の創造性が爆発したのである。




wikipediaによれば、西村賢太の作家としての歩みは以下のような時系列になっている。



2003年夏 同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始める (ラーフ/金星)

2004年 『煉瓦』第30号(同年7月)に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、同誌の下半期同人雑誌優秀作に選出される (ラーフ/太陽)

2006年「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補 (ラーフ/月⇒火星)

2007年 『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞 (ラーフ/火星⇒木星/木星)

2008年「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補 (木星/木星)

2009年「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補 (木星/木星⇒土星)

2011年「苦役列車」で第144回芥川賞受賞 (木星/土星)


(wikipedia 西村賢太より引用抜粋)


2003年夏のラーフ/金星期に同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始め、キャリアがスタートしている。



ラーフ/金星期は、しばしば社会デビューの時期であり、その後の活躍の最初のタイミングとなる。



そして、ラーフ期が終わりに差し掛かり、木星期に移行する前のダシャーチッドラに差し掛かったのが、2005年頃で、それ以降、文学賞の選考委員たちから軒並み高い評価を受け始める。



文学賞の候補に連続的にノミネートされる状態が続いていく。



そして、2007年に木星/木星期に移行したその年に第29回野間文芸新人賞受賞するのである。



そして、2011年1月の木星/土星期に「苦役列車」で第144回芥川賞を受賞している。







芥川賞を受賞することで、西村賢太は一躍スターとなり、年収も5,600万円に飛躍したという話である。



かつては、ワンカップを買うために150円を使うかどうか悩んでいた境遇から考えると、凄まじい上昇である。



これは高揚した強い木星が、11室や11室の支配星にアスペクトしている為にもたらされた。



ちょうどこの時、トランジットの木星と土星も11室にダブルトランジットを形成している。



マハダシャーロードの木星とアンタルダシャーロードの土星は、土星が木星の星座に在住し、木星が一方的にアスペクトする形で絡んでいる。



これは木星の働きが優勢になる配置であり、この木星/土星期に1、10室支配で5室に在住し、11室や11室の支配星にアスペクトする高揚した木星の力を発揮したのである。



この作家としての創造性の爆発と、名誉ある賞を受賞し、作家としての確固たる称号を得たことは、魚座ラグナで、木星が5室で高揚していなければ不可能である。




ダシャーの推移






西村賢太の誕生した時からのダシャーの流れを見ると、5歳までが太陽期で、太陽は6室の支配星で4室の支配星を傷つけている。



幼少時から家庭内暴力の傾向があったというが、太陽が6室の支配星である為、平穏ではない。



5歳~15歳が月期だが、月は、5室支配で6室に在住し、3、8室支配の金星とコンジャンクトして、金星は6-8の絡みを生じ、そこに5室支配の月が接続している。



5室の支配星である為、本来は、学業に集中しなければならないが、6室や8室の支配星と絡んでいる為、平穏ではない。



結局、月期の後半に入った1978年秋の月/水星期に父親が逮捕されて、両親が離婚し、西村賢太はその後、不登校になり、国語を除くと成績は「1」ばかりでローマ字も書けない状態だったというが、5室支配の月が6室に在住して傷ついている状況は、学業における障害を表している。



月期が終わると、15歳~22歳まで、マハダシャー火星期だが、火星は2室支配で8室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸と絡んで傷ついている為、不遇な時期である。



金銭の2室の支配星が8室(他人のお金)のハウスに在住している為、人からの借金に頼る時期であったと思われる。








そして、次のラーフ期が22歳~40歳まで続くが、このラーフ期はディスポジターが結果を与える為、やはり火星期と同じような時期である。



またラーフが2室に在住している為、おそらく酒を飲んだり、煙草を1日100本吸ったりといった不摂生を繰り返していたのがこの頃である。



ラーフはマラカの2室に在住している為、この頃から徐々に寿命を縮めていったと考えられる。




然し、西村賢太の私小説によれば、この時期、恋愛もし、女性と同棲していた時期があったようである。



ラーフから見ると、ラグナロードの火星が7室に在住し、2、7室支配の金星が5室に在住して、5-7の絡みが見られ、そして9室支配の木星が4室で高揚している為、女性と恋愛し、同棲生活の中で、住まいの幸福や心の安定などを得た時期である。



ちょうど、同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始めた頃が、ラーフ/金星期である為、この時期、同時進行で恋愛や同棲生活などを送っていた可能性が高い。




このように太陽期、月期、火星期、ラーフ期と、生まれてから40歳まで、全く良さそうな配置のダシャーには恵まれていなかった。



従って、特にその直前のラーフ期は、ラーフ/ケートゥ軸が、西村賢太自身の家族やお金を表わす2室と、パートナーのお金や家族を表わす8室を傷つけている為、お金に苦労し、人に借金を申し込んでも中々思ったように援助が受けられない配置である。


10、11室支配の土星が12室に在住し、全く仕事や収入に恵まれなかった時期でもあり、ひたすら借金に頼る生活になったのではないかと思われる。



一時期、同棲した女性の実家からお金を借りていたという話がそれを物語っている。



それで、職を転々とする生活を30年も続けて来て、芥川賞の受賞が決まったのは、そろそろ限界が近づいて来た時だったと、西村賢太自身が振り返っていた。




このように連続して不遇なダシャーが続いた後にいきなり1、10室支配で5室で高揚する木星期が訪れたのである。



その木星のダシャーチッドラに差し掛かった時、西村賢太はこれまでにない程、高い評価を受け始めた。



そして、年収も5,600万円に飛躍したのだが、それは木星から見て、4、11室支配の金星が2室に在住し、ラグナロードの月とコンジャンクトして、2-11、1-11のダナヨーガを形成しているからである。



木星から見て、ラグナロードの月も2室に在住することで、1-2のダナヨーガや1-4のラージャヨーガなども形成しており、また5、10室支配のヨーガカラカの火星が4室に在住している配置からは、良い住まいに引っ越したことを物語っている。



こうした人生の激変は、しばしば、ケートゥ期から金星期への移行期や、ラーフ期から木星期への移行期に経験するのだが、西村賢太の場合、それはラーフ期から木星期への移行によって訪れたことが分かる。






ナヴァムシャのラグナ


因みにナヴァムシャのラグナはどこになるかだが、ナヴァムシャの木星の配置もそれなりに良くなければ木星期のパフォーマンスを説明出来ない。



またこれまで見て来た家庭の崩壊や仕事上の苦労、女性との確執なども説明出来なければならない。



出生図が魚座ラグナの場合、ナヴァムシャのラグナの取り得る範囲は、蟹座~魚座までである。








そうすると、木星期に作家として創造性を発揮できる配置は、蟹座ラグナか、蠍座ラグナの場合である。



蠍座ラグナだと、5室支配の木星が10室支配の太陽と相互アスペクトして、木星期に作家として成功したことを表しているように見えるが、木星期に結婚していないことを考えると、蟹座ラグナではないかと思われた。



蟹座ラグナであれば、木星は9室支配で5室に在住し、受賞の11室にアスペクトし、また2室支配の太陽と、2-9のダナヨーガも形成する為、木星期に作家として作品を生み出し、文学賞を受賞して、収入が飛躍的に増加したことが全て説明できる。




ラーフがラグナに在住している為、ラーフ期に女性と同棲したことなどが説明できるが、ラーフのディスポジターである月が6室で、7、8室支配の土星とコンジャンクトしている為、同棲したパートナーと喧嘩が絶えなかったことが理解出来る。


またここでも8室支配の土星が6室に在住して、ヴィーパリータラージャヨーガが成立しているが、パートナーからお金を借りて踏み倒す配置であり、相手からお金を借りているにも関わらず、当然であるかのように強く出られる傾向を意味している。


5歳までの太陽期は、太陽が2室支配で、11室に在住し、9室支配の木星と相互アスペクトしている為、父親の収入などもある程度よく、父親は、祖父の代から続く下請け中心の運送業者の経営者であった為、中小企業の経営者として、羽振りはよかったのかもしれない。


父親は外車マニアで、数年ごとにジャガーやカマロやクーガーなどを買い替えていたそうであるから、そうして車を買い替えるだけのお金の余裕があったことになる。









そして、西村賢太が芥川賞を受賞した後の話だが、2012年10月2日からTOKYO MXの『ニッポン・ダンディ』に1年ぐらいの間、レギュラー出演していたが、この時は、木星/水星期である。


アンタルダシャーの水星は、3室(メディア)支配で、10室(仕事)に在住しており、この時期に芸能活動をしたことを物語っている。


(出生図でも水星は木星から見て、3室の支配星で12室に在住している)



蠍座ラグナではこれが説明出来ない為、ナヴァムシャのラグナは蟹座で間違いないと思われる。






ダシャムシャのラグナ



因みに西村賢太のラグナは、おそらく魚座のプールヴァバードラパダー第4パダで、ナヴァムシャのラグナは蟹座、ダシャムシャのラグナは射手座である。



ナヴァムシャのラグナを蟹座に設定すると、ダシャムシャのラグナが自動的に射手座、あるいは、蠍座に移動する。



ダシャムシャのラグナを蠍座に設定すると、5室支配の木星が10室に在住する為、この時期にキャリア上の上昇があったと解釈できるが、それだと、月が9室支配で7室牡牛座で高揚し、火星もラグナでルチャカヨーガで、ラーフも9室に在住することになる為、月期、火星期、ラーフ期に職を転々とし、借金を重ねて苦労したことが説明出来ない。





従って、ダシャムシャのラグナはおそらく射手座なのである。



射手座であれば、月は8室支配で6室に在住し、2、3室支配の土星とコンジャンクトし、常にお金が不足して苦労したことを示し、火星は5、12室支配で、6、11室支配の金星と12室でコンジャンクトし、稼いだお金は全部使ってしまうとか、借金体質を表している。


ラーフは、8室に在住しており、ラーフ期のディスポジターの月は借金の6室に在住し、土星とコンジャンクトしている。


ラーフ期に同棲相手の女性の実家から金を借りたということが、この8室のラーフで表されている。



そして、木星は1、4室支配で9室に在住し、9室支配の木星と相互アスペクトしているが、芥川賞を受賞した後、東大で「人生に、文学を」と題するオープン講座で、講演を行なっている所を見ると、9室で良さそうに思われる。


10室の木星だと本格的な職業教師やコンサルタントを示しているように見え、東大に招かれてボランティア的な感覚で、講演を行なうという啓蒙的な活動は、9室の象意の方が適している。






怒りやすく喧嘩っ早い性格 -プールヴァバードラパダー-


ナヴァムシャのラグナが蟹座である場合、出生図のラグナは、魚座0°~3°20’に在住することになるが、そうすると、ラグナは、プールヴァバードラパダーの第4パダになる。



ナヴァムシャのラグナを蠍座にすると、ウッタラバードラパダーになる。



プールヴァバードラパダーとウッタラバードラパダーの性格面を比較すると、やはり、プールヴァバードラパダーの性格と合致しているということで納得した。



プールヴァバードラパダーは、非常に気が強く、古典によると、突然の怒り、残酷な行為、絶望、悲しみ、満たされない野望などがあり、またしっかりした独立精神や信念があるという。



然し、ウッタラバードラパダーは、共感力があり、慈善的で、ものおしみしない優しさがあり、またウッタラバードラパダーには、資産家という意味があり、お金に不自由することはないという。









従って、これは明らかにウッタラバードラパダーは当てはまっておらず、プールヴァバードラパダーの性格である。



西村賢太は気性が荒く、2012年10月2日からTOKYO MXの『ニッポン・ダンディ』に出演していたが、番組スタッフとMCの段取りの悪さに不満を爆発させ、1年ぐらいで突然降板している。



また1992年(25歳)のラーフ/ラーフ or 木星期には、アルバイト先の同僚と揉め、止めに入った警官を殴って逮捕され、略式起訴を経て10万円の罰金刑を受けている。


そして、5年後の1997年(29歳)の時には、飲食店で酔って他の客に絡んで暴力をふるい、逮捕され、10日間留置され、東京簡易裁判所で罰金20万円の有罪判決を受けたそうである。



このように怒りやすく喧嘩っ早いのが、プールヴァバードラパダーの特徴なのかもしれない。



このことは、西村賢太のラグナを修正する中で、今回、学んだことである。





芥川賞受賞後の芸能人との親交


芥川賞を受賞して有名になってからは、芥川賞の選考委員だった石原慎太郎と対談したり、ビートたけしと飲み歩くなどして、親交があったようである。



石原慎太郎は、射手座ラグナで5室支配の火星が蟹座で減衰し、6、11室支配の金星とコンジャンクトしている為、やはり蟹座の世界を描く作家である。



選考委員として、石原慎太郎は、西村賢太の作品をずっと推していたが、他の選考委員に承諾されなかったという。



石原慎太郎の5室支配の火星に西村賢太の木星がコンジャンクトしている為、お互いに相手の作品を尊敬しているようである。







西村賢太は、石原慎太郎の作品を好んで読んでいたという。



またビートたけしは、山羊座ラグナで、月が蠍座に在住しており、西村賢太の出生図で蟹座で、高揚する木星が、たけしのラグナや月にアスペクトしている為、それで、親しいのだと思われる。



ナヴァムシャでも9室支配の木星が5室蠍座に在住している為、ビートたけしに尊敬の念を抱いているようである。



またミュージシャンの稲垣潤一を慕っており、ファンクラブに足しげく通っていたようである。



また西村賢太は、既に亡くなっているが、小説家の藤澤清造を慕い、弟子を自称し、清造の墓標を貰い受けて自宅に保存したり、毎月29日には清造の菩提寺の浄土宗西光寺(石川県七尾市)に墓参を欠かさないのだという。




芥川賞受賞後の2011年7月に新潮社から清造の代表作『根津権現裏』を新潮文庫より復刊させたり、2012年には、自ら編集した「藤澤清造短篇集」を同文庫から刊行している。



このように木星が強いためか、師に対する献身の情は非常に篤いようである。





タクシー乗車中の突然死


西村賢太は、2022年2月4日夜に赤羽からのタクシー乗車中に意識を失い、運転手により東京都内の病院に搬送されたが心臓停止の状態で、翌6時32分に死去したという。


ビートたけしとの交流の中で、最近、体調が良くないことを漏らしていたようで、また自身でも週刊SPA誌上での芸人・山田ルイ53世との対談インタビューの中で、以下のように死を予感させるコメントをしている。




僕は(芥川賞を受賞した)40代のときはものすごく元気だったんです。しかし、50代に入ると気持ちに変化が出てきた。先が見えて、今後自分の人生に劇的な変化が起こらないことも、くっきり見えてしまった。

 気力や体力が今のレベルを保っていられるのは、運が良くてせいぜい10年。もう人生の日は暮れようとしている。それなのに、まだ書きたいことは山ほどあるし、何も残せていない。そう思い至ったとき、50歳になって、ようやく「真剣に生きる」ことを具体的に意識し始めたんです。

(〈西村賢太氏追悼〉「小説以外に興味は何もないと自覚したとき、他の一切が無駄に思えた」週刊SPA!編集部 2022年02月10日より引用抜粋)


気力や体力の衰えを感じていたようである。



ダシャーは、木星/ラーフ/土星期であった。



マハダシャー木星期の最後のアンタルダシャーの時期で、ダシャーチッドラにあり、次のマハダシャー土星期の象意を経験し始めるタイミングであった。



アンタルダシャーのラーフはマラカの2室に在住し、プラティアンタルダシャーの土星は、11、12室支配で、魚座ラグナにとってはマラカで、ラグナに絡んでいる。



ナヴァムシャでもラーフはラグナに在住してラグナを傷つけ、ディスポジターの月は、7、8室支配のマラカの土星と共に6室でコンジャンクトしている。



そして、プラティアンタルダシャーの土星は、まさにマラカの7、8室支配の土星である。







この土星はレヴァーティー(水星)に在住しており、水星は魚座ラグナにとっては、4、7室支配のマラカで、6室支配の太陽とコンジャクトしている。



因みに魚座ラグナにとっては太陽(心臓)が6室を支配する為、心臓が強くないが、その太陽が、4、7室支配のマラカの水星とコンジャンクトしているのは、心臓には良くない配置である。



土星のプラティアンタルダシャーが来たり、またダシャーチッドラである為、マハダシャー土星期の影響が表れ始めていたが、その場合、この土星が在住するレヴァーティーの支配星、水星の象意が顕現する。



木星は蟹座で高揚しているが、プシュヤ(土星)に在住しており、土星は11、12室支配のマラカで、ラグナを傷つけている為、やはり、木星期の間にも体調の不良をもたらす影響は続いていたと考えられる。



マハダシャー木星期が終わった次には、マハダシャー土星期が控えており、その土星は、11、12室支配のマラカで、ラグナに在住して、健康問題を示唆していた。



それで、西村賢太は、最近、健康不安を口にしていたのである。




何故、突然、意識を失い、心停止したのか

ジョーティッシュのロジックで考えた時、11、12室支配の土星が、8室の表示体でもあり、それが身体を表わすラグナに在住して、慢性的な健康不良の傾向をもたらしていたということである。


健康で幸福な人生を送るためのチャートを保護する要素とは、ケンドラの吉星(1、4、7、10室)とトリシャダ(3、6、11室)の凶星である。


ケンドラに在住する惑星は吉星であれ、凶星であれ、強い力を発揮するが、凶星が在住するとチャートに与えるダメージが大きい。


ラグナ(身体)に在住していたということは、健康問題に与えるダメージが大きかったことを意味している。


土星は、魚座ラグナにとって11、12室支配のマラカで、月ラグナから見ても6、7室支配のマラカで、8室に在住している。


ラグナロードで10室支配の木星は5室に在住して、作家としての最高のパフォーマンスをもたらしたが、5室は、医療占星学で言えば、心臓のハウスである。


心臓の5室に在住する身体を表わすラグナロードが、土星のナクシャトラ(プシュヤ)に在住していたが、その土星は、ラグナから見ても月から見てもマラカとなって、ラグナに絡んでいる。


そして、月ラグナから見ても木星は心臓を表わす5室の支配星で、12室に在住し、土星のナクシャトラ(プシュヤ)に在住している。


従って、マハダシャー木星期は、土星の影響を強く受けていたのである。


そして、土星自身は、ラグナで、水星のナクシャトラ(レヴァーティー)に在住し、水星は4、7室支配のマラカで、6室を支配して傷ついている太陽(心臓の表示体)とコンジャンクトして傷つけている。


従って、ラグナロードの木星⇒土星⇒水星というナクシャトラの支配星の連携で、こうした象意が導き出されたことが分かる。


そして、傷ついた8室もマラカとなり得るが、8室にはラーフ/ケートゥ軸が絡み、火星のアスペクトを受けており、8室の支配星も6室に在住していた。


従って、マハダシャー土星期を目前に控えたダシャーチッドラの木星/ラーフ/土星期にこうした健康問題が噴き出して来たということである。



おそらく、より深刻な健康問題を暗示する土星期に移行したとしても病気になるなどして、長く生きられなかったと思われ、これが寿命であったと考えられる。



西村賢太は、運命のマハダシャー木星期に作家として最高のパフォーマンスを発揮し、高く評価される作品を残して旅立ったのである。




典型的な魚座ラグナの人生


魚座ラグナは、個人主義者で、芸術家肌で、組織に属したり、社会に適応できず、放浪癖があり、人生全体が旅のように放浪する傾向がある。



西村賢太の人生とは、そうした典型的な魚座の人生であったと思われる。









(参考資料)

たけし 西村賢太さんとハシゴ酒の思い出も「『体調が悪い』ってあの頃から言ってた。今考えたら…」
2022/2/6 10:35 スポニチアネックス

 タレントで映画監督のビートたけし(75)が5日放送の「新・情報7daysニュースキャスター」(土曜後10・00)に生出演。急逝した芥川賞作家の西村賢太さん(享年54)との思い出を語った。

 「西村さんは、受賞のときのコメントがおもしろくて、一緒に飲みに行ったんですよ。はしごしたんだけど、三軒目に酔いつぶれて寝ちゃってあの人」。その後、西村さんから電話で「すみませんでした。ちょっと体調が悪いんです」との連絡を受けたそうで、たけしは「『体調が悪い』ってあの頃から言ってた。今考えたら悪いことしたなと思った。けっこう体が悪かったみたい」と明かした。

 共演者の安住紳一郎アナウンサーは「たけしさんと三軒も一緒にお祝いで飲めたのは、うれしかったと思いますよ」とフォロー。しかし、たけしは「悪いことしちゃった。もうちょっと『体が悪い』って言ってくれればいいのに。『行こう行こう』って言っちゃったからさ」と申し訳なさそうに話した。

 西村さんは11年、「苦役列車」で芥川賞を受賞。関係者によると、4日夜、タクシー乗車中に意識を失い、病院に搬送されていた。
参照元:たけし 西村賢太さんとハシゴ酒の思い出も「『体調が悪い』ってあの頃から言ってた。今考えたら…」
2022/2/6 10:35 スポニチアネックス
芥川賞作家・西村賢太さん54歳で死去…日刊ゲンダイに語っていた「自分の墓」の秘話
2022/2/6 9:06 日刊ゲンダイDIGITAL

芥川賞作家の西村賢太さんが5日朝、都内の病院で死去した。4日夜に乗車中のタクシー内で体調を崩し、病院に搬送されたが、帰らぬ人に。54歳だった。

1967年、東京都出身。中学卒業後は、肉体労働などで生計を立てながら小説を執筆し、2007年に「暗渠の宿」で野間文芸新人賞、11年に「苦役列車」で芥川賞を受賞。作品や本人の破天荒な言動などから「破滅型」「無頼派」などと評された西村さんだが、15年の日刊ゲンダイ「“極私的”東京物語」のインタビューで、自分の墓についても語っていた。

 西村さんは、東京・芝公園で凍死した大正期の私小説作家、藤澤清造を「他に替え難い存在」と“偏愛”し、「歿後弟子」と称していた。「清造は幸か不幸か、病院では死ねずに公園で野垂れ死んでいるので、より多くの感慨があります」などと語っていた。

 20代後半で藤澤にのめり込んでからというもの、毎年1月29日未明、藤澤の祥月命日にひとりで芝公園に足を運び、当日中に藤澤が永眠する石川県七尾市内にある菩提寺へ向かっていたというのだが……。

「実は清造の墓の横に僕の墓をつくったんです。清造の墓の隣はすでに他の方の墓があり、さすがにこちらは動かしようもなかったのですが、両隣のうちのもう片側がお地蔵堂だった。しかもお地蔵堂と清造の墓標の間が1メートルぐらい空いていたので可能な限り清造の墓標をずらし、僕の墓標を並べたってわけです」

「たいそう罰当たりな話ですが、そこまでしたのも自分の中で清造の墓守気取りの意識が強かったんですね。墓を建てたのは平成14年で、僕が小説を書く以前の話。ほんと、常軌を逸した男のやる話ですよ(笑い)。ちなみに僕の墓標には『西村賢太墓』と記してあり、文字は清造の直筆で起こしました。手紙や原稿から西だの賢だの一文字ずつ拾って、石屋にお願いして彫ってもらった。お墓の横には『藤澤清造集字』と入れてあります」

 さらに西村さんはこんな話もしていた。

「藤澤清造が亡くなったのが42歳。僕は今年で48(当時)になりましたが、年々命が惜しくなってきました。もう少し仕事がしたいっていう。とはいえ、誰しも病気にかかったら死にまっしぐらなんで、あまり深く考えないようにしています。場所は芝公園? ない、ない。そんな度胸は僕にはありません」

 54歳は早すぎた。
参照元:芥川賞作家・西村賢太さん54歳で死去…日刊ゲンダイに語っていた「自分の墓」の秘話
2022/2/6 9:06 日刊ゲンダイDIGITAL
芥川賞「苦役列車」西村賢太さん、54歳で死去 タクシー内で意識を失い病院へ搬送
時事ドットコム 2022/02/07

 「破滅型」といわれる作風の私小説で知られ、「苦役列車」で芥川賞を受賞した作家の西村賢太(にしむら・けんた)さんが5日午前、東京都内の病院で死去した。54歳だった。関係者によると、4日夜にタクシー内で意識を失い、病院に運ばれたという。

 1967年、東京都生まれ。中学時代に不登校となり、高校進学はせず、港湾荷役や警備員などの仕事をしながら古書店に通った。私小説にのめりこみ、大正期の作家で同じく破滅型といわれた藤澤清造に心酔した。

 2003年、同人雑誌「煉瓦(れんが)」で小説を書き始め、翌年発表の「けがれなき酒のへど」が文芸誌「文学界」に転載。その後、相次いで作品を発表し、07年には「暗渠(あんきょ)の宿」で野間文芸新人賞を受賞した。

 11年、日雇い労働で糊口(ここう)をしのぐ若者の屈折を描いた「苦役列車」で芥川賞を受賞。翌年に映画化もされた。

 藤澤の菩提(ぼだい)寺の浄土宗西光寺(石川県七尾市)への墓参を続けた。後年まで「藤澤らの私小説に救われてきた」との思いを強く抱き、代表作「根津権現裏」を復刊させたほか、短編集の編集も担当した。
参照元:芥川賞「苦役列車」西村賢太さん、54歳で死去 タクシー内で意識を失い病院へ搬送
時事ドットコム 2022/02/07
〈西村賢太氏追悼〉「小説以外に興味は何もないと自覚したとき、他の一切が無駄に思えた」
2022年02月10日 週刊SPA!編集部

芥川賞作家の西村賢太氏が2月5日に東京都内の病院で死去した。54歳。無頼派私小説作家として筆を揮った西村氏は、中卒で肉体労働に従事しながら古書店に通い、大正期の作家・藤澤清造に心酔、月命日の墓参は欠かさなかった。特異な人生を歩み続けてきた西村氏の人となりとは? 週刊SPA!は昨年「中年のお悩み白書」特集で、西村氏と芸人・山田ルイ53世氏の対談を実施。中年期を迎えてからの西村氏の人生観・死生観を伺える内容となっている。謹んで故人のご冥福をお祈りするとともに、あらためて掲載する。

「50歳から『真剣に生きる』ようになった」西村賢太

西村:僕は(芥川賞を受賞した)40代のときはものすごく元気だったんです。しかし、50代に入ると気持ちに変化が出てきた。先が見えて、今後自分の人生に劇的な変化が起こらないことも、くっきり見えてしまった。

 気力や体力が今のレベルを保っていられるのは、運が良くてせいぜい10年。もう人生の日は暮れようとしている。それなのに、まだ書きたいことは山ほどあるし、何も残せていない。そう思い至ったとき、50歳になって、ようやく「真剣に生きる」ことを具体的に意識し始めたんです。

山田:夏休みの最後の1週間になって、めちゃめちゃ宿題頑張るみたいな感じですね。中年になって考え方が変わったという点では、僕も同じかもしれません。30代の頃は「俺は一発屋じゃない。このまま終わるわけがない!」という反骨心がまだありましたが、40歳を過ぎてからは、「もう、冷蔵庫の中のありもんでやるしかない」というふうに変わりました。

 でも、それは決して悪いことじゃないと思うんです。「年を重ねること=自分の可能性を潰していくこと」と気づいたとき、「じゃあ、自分にできることを丁寧にやるしかない」と肩の荷が下りたような気がしました。自分から“一発屋”と言えるようになったのも中年に差しかかってから。「諦めること」って、人生においてはすごく大切な要素だと思います。

西村:可能性や多様性のあることが一概に善であるかのような風潮は、ちょっと違うと思いますね。事と次第によります。人生の残り時間が少なくなって「小説以外の興味は何もない」と改めて自覚したときに、他の一切が無駄に思えて、切り捨てることができました。

「『趣味は生きること』で、何も悪くない」山田ルイ53世

山田:ワークライフバランスという言葉も、「仕事はほどほどにする代わりに、家庭や趣味を充実させてね」って圧というか「結局充実させなアカンの?」と思ってしまう。

 自分は中学2年生から6年間ひきこもっていたのですが、そういう話をすると決まって、「やっぱりその時期があったから、今があるんですよね!」みたいに言われる。でも、今でもその6年間は“完全なる無”だったと後悔しています。あくまで自分の場合はですが。

 何でもポジティブ変換というのもしんどい。別に仕事もやれることはやればいいし、趣味だってなくてもいい。週末もキラキラしてない、でも生きてる。それでいいじゃないですか。

西村:向上心や好奇心って、そんなに持たないといけないものなのでしょうか? 僕の場合、家庭の事情で中学を卒業した2日後に家出をし、そこから職と住を転々としましたが、生活するだけで精いっぱいで、「人生を充実させよう」なんて思う暇もなく年をとりました。お金だっていまだに貯金もなく、毎日生きていくのがやっとだけれど、別に不安や不満はないですよ。

山田:そもそも「生きる」って、結構大変じゃないですか。だから、西村先生や自分なんかは、旅行でもスポーツでもなく「生きることが趣味」という感覚ですね(笑)。

可視化よりも不可視化

西村:と、そんな達観したように言っていますが、達観どころか、結構エゴサーチとかもしてしまうんですよ。

山田:本当ですか!? まったくそんなふうに見えませんでした。

西村:でね、こんな感想を言う人がいる。「作家だったら自分のことばかり書かずに、もっと世の中や他人の人生を書け」と。私小説看板の書き手には的外れすぎることを、悪意なのかなんなのか、普通に書き込む手合いが案外に多いですなあ。

山田:まったく見当違いのことを自信満々に言い切る人、いらっしゃいますね。僕はエゴサーチして、「嫌なことが書いてありそうやな」と思ったら、すぐ見ないようにします。

 今、何でも「可視化」と言われていますが、中年にとっては「不可視化」も大事なんじゃないかと思います。クサいものには、どんどん蓋をしていく。だってクサいから(笑)。昔は、「なにくそ!」と怒りや妬み嫉みをガソリンにしていましたが、中年になると燃費が悪すぎてしんどい。

「私小説以外を書け」と言ってきた人って、おそらく中年かそれより上の世代の人だと思うのですが、めちゃくちゃ燃費の悪い生き方をしていると思います。もうもうと黒煙が立ち込めて、自分自身の姿が見えないくらい。

忘却力こそ中年の武器

西村:僕自身はSNSはまったくやりませんが、スマホで育った世代でもないのに、スマホ上でエキサイトしている中高年たちを見ると、正直、気味が悪い。偏った価値観を押しつける人が多すぎるし、「ネットの声」を変に重用する人も多すぎます。どちらも、みっともない。

山田:結局、「どっちについたら勝ち目あるか? マウント取れるか?」みたいな部分があって、「ほんとにご自身がそう思ってるの?」と。

西村:自分自身と向き合うのも精いっぱいなのに、他人の勝手な価値観に影響されるのなんてまっぴらです。僕は自分の書いた小説すら、書き終わると同時に忘れ去るくらいですから。「もっといい作品にできたはずなのに」などとネガティブな感情が湧くでしょう。もう、その時点で辛い。

山田:自分も現場が終わったら、一目散に忘れます(笑)。若い頃は「もっと爪痕残さなアカンかったのに!」と悔しい思いをエネルギーにしていましたが、中年になると耐えられない。「忘却力」こそが、中年の武器です。

いつまで生きたいと思いますか?

山田:我々、人生の日暮れの中年世代ですが、西村先生はいつまで生きたいと思いますか?

西村:僕は独り身なので、なんの責任もありません。だから、小説が書ける限り、という感じですね。書けなくなったときが死ぬときでいい。

山田:なんかカッコいい! 自分も長生きに興味はありませんが、小学3年生と2歳の2人の娘がいるので、少なくとも彼女たちが成人するまでは生きなければ、と思っています。

西村:それは本当に立派ですよ。

山田:子供に生かされている状態です。逆に、西村先生のように「小説を書くことが生きがい」と言い切れるものがなく、子供もいなかったら、「人生100年時代」なんて、ちょっとぞっとします。

ハッピーエンドな不老不死なんてない

西村:長生きも必ずしも善ではありませんね。未練がましくただ生きているだけでは、恥をかくだけだし。

山田:不老不死の物語でハッピーエンドのやつ、見たことないですもん。大抵、バッドエンド。まだ娘に父親が芸人であることを明かしていないのですが、成人式の後にレストランに連れていって、ワインを頼もうと思っているんです。「あれ、パパはいつもウイスキーしか飲んでいないのに、今日はなんでワイン?」と娘が訝しがっているところで、「成人おめでとう。ルネッサーンス!」とカミングアウトするのが、人生の最大の目標です。

西村:それは楽しい目標ですね。それこそ素晴らしい、良い人生の証しですよ。

【西村賢太氏】
’67年、東京都生まれ。30代半ばで小説を書き始め、’11年に『苦役列車』で第144回芥川賞受賞。近著に『瓦礫の死角』(講談社)、『一私小説書きの日乗 堅忍の章』(本の雑誌社)

【山田ルイ53世氏】
’75年、兵庫県生まれ。中高一貫の名門私立校からひきこもりを経て、’99年にお笑いコンビ「髭男爵」結成。文筆業も好評で、『一発屋芸人列伝』(新潮社)など著書多数

<取材・文/週刊SPA!編集部>
参照元:〈西村賢太氏追悼〉「小説以外に興味は何もないと自覚したとき、他の一切が無駄に思えた」
2022年02月10日 週刊SPA!編集部
胸中の人、石原慎太郎氏を悼む…西村賢太
2022/02/02 05:00 讀賣新聞オンライン

現代人への「生」の檄文…開口一番「インテリヤクザ同志」

石原慎太郎氏の 訃報ふほう に接し、虚脱の状態に陥っている。

 私ごとき五流の私小説書きが、かような状況下にあることを語るなど痴愚の沙汰だ。実におこがましい限りの話でもある。しかし十代の頃から愛読していた小説家の逝去は、やはり衝撃の度合が違う。これでもう、私が好んだ存命作家は 唯ただ の一人もいなくなってしまった。

 十六、七歳の頃の、日雇い労働後の娯楽はもっぱら読書であった。古本屋の均一台でカバーの取れた文庫本を四冊百円で購入し読み 耽ふけ るのが、最も金のかからぬ消閑法だった。

 当時、各社文庫には石原氏の作が数多く入っていた。背表紙にその名があれば、積極的につまんでいた。

 『太陽の季節』や『完全な遊戯』、『亀裂』、『行為と死』 或ある いは『化石の森』等の代表的作品は 云い うに及ばず、氏はミステリ系統にも出色の傑作が多かった。

 殊に『汚れた夜』は氏が二十八歳のときに発表した長 篇へん だが、麻薬に政治の腐敗を絡めたストーリーの展開はやや通俗的ながらも、乾いたスピーディーな文体によって他に類のない上質なハードボイルド作に仕上がっている。この時代――一九六〇年代にはいかにも頭と小手先で書いただけの“ 物真似ものまね ハードボイルド小説”が横行したが、氏のそれは大藪春彦同様に決してその種のまがい物ではない、いわゆる“身体性”を伴った 真物ほんもの だとの印象があった。 即すなわち、自分にとっての信用できる作家であったわけである。戯曲『狼生きろ豚は死ね』でもその観を強くした。

 そして初期の随筆『価値 紊乱びんらん 者の光栄』を読むに至って、愛読の中に敬意の念が色濃くなっていった。

 坂口安吾の『堕落論』(一九四六年)から 恰度ちょうど 十年後に発表されたその一篇は、まさに十年後の復興安定した世相に再度投げつけられた現代人への“生”の 檄文げきぶん であり、この示唆が往時の太陽族としての氏のスター性の影に隠れる格好となったのは、まこと不幸であった。

 石原氏の政治家としての面には 毫ごう も興味を持てなかった。しかし六十を過ぎても七十を過ぎても、氏の作や政治発言に、かの『価値紊乱者の光栄』中の主張が一貫している点に、私としては小説家としての氏への敬意も変ずることはなかった。

 それだけに、後年芥川賞の選考委員としての氏が、落選を繰り返す拙作をその都度文中の“身体性”に着目して唯一人推し続けて下すっていたことは、忘れられぬ徳である。が、もう一つ――念願 叶かな って初めてお会いした際に、開口一番向けられた「お互い、インテリヤクザ同志だな」との言葉も、常に胸中に掲げている。その真意は分からない。以降、お会いするたびにお聞きしようと思いつつ、 結句けっく野暮やぼ なこととして控えていた。

 今はそれで良かったと、虚脱状態の中で得心している。(作家)

行為の作家、政治も表現の一つ

  関東学院大教授で文芸評論家の富岡幸一郎さんの話  1956年(昭和31年)に『太陽の季節』で石原慎太郎さんが芥川賞を受賞して文壇に登場するまで、戦後の日本文学は、実際に戦場を体験した野間宏や武田泰淳など、暗く、重いものが中心にあった。

 だが、当時大学生だった石原さんの登場により、一気に若い世代が注目された。中でも、作家の三島由紀夫は、デビュー直後から石原さんに注目した。それは、彼が肉体を書ける作家だったからだ。石原さんに『行為と死』という初期作品がある。石原さんは、まさしく行為の作家だった。

 文学と肉体への志向と同時に、13歳になる年に終戦を迎えた石原さんは、敗戦による大きな喪失感も抱えていた。この相反する二面を抱えたことが、石原さんを作家にしたと思う。後には政治家として活動したが、石原さんには、政治も表現の一つであるように見えた。

 人生の決定的な瞬間を切り取った1990年の短編集『わが人生の時の時』のような優れた作品もあり、石原さんは生涯、書くことを手放さなかった。自分は何より表現者だという意識があったと思う。多くの作品が残されており、読み直すことを通して石原文学の再評価だけでなく、戦後日本を見つめ直す機運も高まるはずだ。

ヨットに乗せてくれた

  詩人の谷川俊太郎さんの話  『太陽の季節』が世に出た後、詩人を通じて知り合った。時々、電話をかけてきて、ヨットに乗せてくれたり、クレー射撃に誘ってくれたり。文学について語り合う友人というより、僕が年上だけれど、いろんな男の趣味を教えてくれる“先輩”みたいに思っていた。
参照元:胸中の人、石原慎太郎氏を悼む…西村賢太
2022/02/02 05:00 讀賣新聞オンライン

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 秀吉先生、お久しぶりです。

    西村賢太さんがファンだった稲垣潤一さんですが、若い頃、年上の奥さんを亡くすという特徴的な経験をされています。

    もしご興味湧かれましたら、またいつか記事で取り上げてください。

    稲垣潤一の結婚した嫁との意外な関係や子供の存在とは? – 最新エンタメ・スポーツニュース https://entamesports.com/geinouuta/inajyuich/

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