MENU

お笑いタレントの松本明子が実家の維持管理に1800万円を費やした理由

2023 2/17



お笑い芸人の松本明子が、昨年2022年6月頃、実家じまいに多大な金銭や労力を費やした体験談「実家じまい終わらせました!」を出版して、密かにブレイクしていた。






松本明子は、父親から実家を相続し、その後、25年間で、1800万円の維持費を損失し、また毎年7回は帰郷して、庭の草刈りなど様々な作業に追われ、多大な労力と時間を消耗した。


私は読んでいないのだが、おそらく上記の本には、そうした奮闘の詳細が記されている。



松本明子の出生データは、5ちゃんねるに「1966年4月8日 明け方頃 香川県高松市」と掲載されている。


試しに朝の6:00で、チャートを作成してみると、ラグナは牡羊座3°57’付近になった。


然し、種々検討した所、ラグナが牡羊座では、この松本明子が実家の維持管理で1800万円を消耗したという奮闘記が説明できなかった。


そこで、少し時間を遡らせ、魚座ラグナに設定すると、この出来事が説明できた。





この魚座ラグナに設定すると、松本明子にとって、実家の維持管理、そして最終的に売却して処分したという労力は、人生の一大事業であったことがよく分かる。



まず、魚座ラグナである理由だが、松本明子は、1998年に結婚しており、その時はダシャーは、水星/金星期である。



マハダシャーロードの水星は7室の支配星で、アンタルダシャーロードの金星は、3、8室支配で、結婚生活の8室を支配している。


そして、水星と金星はコンジャンクトして、絡んでおり、結婚のタイミングとしてよく説明出来る。



ナヴァムシャのラグナだが、今回は、この結婚と実家の維持で、大変な出費をしたことが両方とも上手く説明できる魚座ラグナに設定した。




父親からのうれしい?贈り物


つまり、ラグナは、魚座のレヴァーティー第4パダで、ナヴァムシャのラグナも魚座である。ラグナはガンダーンタに在住している。


またラグナは魚座の第3ドレッカーナであるサルパドレッカーナに在住しているが、2、9室支配の火星もラグナで、魚座29°06’のサルパドレッカーナに在住している。


サルパドレッカーナは逮捕監禁を表わすドレッカーナで、サルパというのは「蛇」を意味しており、前世からの因縁による束縛を表している。


2、9室支配の火星は、両親の2室と父親の9室の支配星だが、これがサルパドレッカーナに在住する意味は、両親、あるいは父親による拘束を意味している。



何故なら、松本明子は、27歳になった1993年頃、父親から実家を相続し、2003年に父親が亡くなる前に「実家を頼む」と告げた為、”遺言”と感じ、金銭的負担を感じながらも維持費を払い続けたという。


おそらくこれがサルパドレッカーナの蛇の呪いに該当すると考えられる。


この父親の遺言で、家を売ろうにも売れなくなってしまい、必死に維持費を支払い続けたということである。







ナヴァムシャのラグナに戻ると、ナヴァムシャのラグナを魚座に設定すると、水星/金星期に結婚した理由が分かる。



水星は7室の支配星で、金星は、結婚生活の8室を支配し、7室支配の水星と相互アスペクトしている。



マハダシャーロードとアンタルダシャーロードがそれぞれ結婚に関係しており、それらが相互アスペクトによって絡んでいる。



従って、結婚のタイミングである。




結婚した1998年のトランジットを見ると、以下のような配置であった。







月日まで分からない為、1998年1月1日で試しに作成してみたが、土星は魚座をトランジットして、木星は山羊座をトランジットし、5室蟹座と7室乙女座にダブルトランジットしており、結婚のタイミングである。


因みに子供は、2000年5月に第一子となる長男が誕生している。



既に結婚したタイミングで、5室にもダブルトランジットが生じていた為、直ぐに子供を作ることを考えていたということである。



子供が誕生したのは、水星/太陽/木星期である。







出生図を見ると、水星は、月から見て9室支配で5室に在住しており、また表示体の木星から見ても9室に在住して、9室の支配星、5室の支配星の両方とコンジャンクトし、木星からのアスペクトを受けている。


また木星は、子供の表示体で、月から9室に在住し、9室支配の火星からのアスペクトを受けている。







因みに水星/太陽/木星期に子供が生まれた理由は、月ラグナと表示体の木星をラグナとして使わないと説明出来ない。



水星は月ラグナから見て、5室の支配星で9室支配の土星とコンジャンクトしている。



太陽は表示体の木星から見た5室に在住し、木星は、子供の表示体である。







サプタムシャ(D7)を見ると、水星は月から見た5室に在住し、太陽は月から見た5室の支配星、木星は月から見た9室の支配星で9室にアスペクトバックしている。



通常、サプタムシャで、月ラグナを使わなくても、ラグナから説明できることが多いが、今回は月ラグナや表示体のラグナを使わないと説明出来ていない。




2000年5月のトランジットを見ると、土星と木星が牡羊座を通過して、天秤座に在住する5室支配の月にアスペクトして、5室にダブルトランジットしている。







火星は、牡牛座4°15’付近をトランジットしているが、75日以内に牡羊座をトランジットし、5室と5室支配の月にアスペクトしていた為、子供の誕生のタイミングを表わしている。





そうしたことで、結婚と出産が説明できるため、松本明子のラグナは魚座レヴァーティー第4パダで、ナヴァムシャのラグナも魚座で良さそうである。




因みにこのナヴァムシャで、1、10室支配の木星が、3、8室支配の金星と8-10の星座交換をしているが、3-10が絡んでおり、これが芸能人としての仕事の配置である。






松本明子は、1993年(27歳)の時に両親を東京に呼び寄せたタイミングで、父親から実家の家を相続した。







そして、実家の維持費を支払い続けて、25年間で、総額1800万円という莫大な金額を費やした。





1972年に父はこだわりを持って高松市に家を建て、松本は6歳から中学卒業までをここで暮らした。上京後27歳の時に両親を東京に呼び寄せると、父は兄の承諾を得た上で娘に実家を相続させる手続きをした。本人はとりあえず実家の維持費を払い始めたが、2003年に父が亡くなる前に「実家を頼む」と告げたため“遺言”と感じ、金銭的負担を感じながらも維持費を払い続けた。
2017年に「実家の片付け」をテーマにした番組出演が転機となり、家を手放すこと(実家じまい)を決意。その後、実家の購入者が見つかり売買契約が成立したが、以後3ヶ月間は両親の遺品を含めた膨大な数の家財道具の整理・処分作業に追われた。2018年に家を売却して実家じまいを終えたが、それまでの25年間でかかった維持費などの総額は、約1800万円にのぼった。

(wikipedia 松本明子より引用抜粋)



この時、マハダシャー水星期がちょうど始まるタイミングであった。


水星は、4室(住まい)支配で、12室(出費)に在住し、3、8室支配の金星とコンジャンクトし、11、12室支配の土星とコンジャンクトして傷ついている。


因みに家を相続したのは4室の支配星が8室支配の金星とコンジャンクトしているからである。


然し、11、12室支配の土星が12室に在住して、4室の支配星を傷つけており、家の維持で、稼いだ収入を費やすような配置をしている。







東京に住んでいた松本明子にとっては、香川県松本市の実家は、郊外(12室)の辺境にある家であるが、その実家の維持で、年に7回、帰郷して、庭の草刈りをしたり、様々な労力や時間、お金を費やしたのである。


それが25年間で、総額1800万円にも及んだというが、ちょうど、この期間は、マハダシャー水星期とケートゥ期に該当する。



まず水星は、そうした家の維持で多大な出費に悩まされた時期である。



ケートゥは9室に在住しているが、11、12室支配の土星からのアスペクトを受けている。




チャトゥルシャムシャ(D4)


因みにD4を見ると、このことは非常に興味深い形で表している。







水星とケートゥは、D4の12室に在住しており、家の維持で、多大な出費があったことを物語っている。



2、3室支配の土星も共に12室に在住して、ラーフ/ケートゥ軸から傷つけられているが、これも財産、金銭の損失を表しているように見える。



6室支配で定座に在住する金星がアスペクトしていることも家の維持管理で、消耗したことを表わしているように見え、あまり良さそうには見えない。




ナヴァムシャ(D9)


そして、ナヴァムシャに戻るが、4室支配の水星が4室に在住しているが、11、12室支配の土星とコンジャンクトし、火星からアスペクトされて激しく傷ついている。



ここでもやはり、12室と4室の結びつきが見られ、家のことでの出費を物語っている。








著書「実家じまい終わらせました!」の出版でブレイク


このようにマハダシャー水星期、ケートゥ期を通して、実家に維持管理に束縛され、多大な金銭と労力を消耗した。



然し、2017年9月から松本明子は、マハダシャー金星期に移行し、金星/月期になった2022年6月に実家の維持管理に苦労した奮闘記「実家じまい終わらせました!」を出版した。







これでブレイクして、25年間で、損失した1800万円を多少は取り戻すことが出来たかもしれない。



マハダシャーロードの金星は、8室の支配星で、印税による不労所得を表わし、月から見て1、8室(不労所得)を支配して、出版の5室に在住して、4、5室支配で5室で定座に在住する土星と、出版の表示体であり、9室支配の水星とコンジャンクトして、1-4、1-5、1-9のラージャヨーガを形成している。



そして、アンタルダシャーロードの月は、出版の5室を支配し、不労所得の8室に在住しており、ここにはラグナロードで、10室の支配星である木星がアスペクトして吉祥である。





魚座ラグナから見ると、12室の損失体験を表わす水瓶座の土星、水星、金星は、月ラグナから見ると、5室の出版における成功を表している。



また出版がきっかけになって、講演活動などもしているようであり、これは明らかに祭り事やイベントの5室の象意である。



転んでもタダでは起きないというのは、このことかもしれない。



月は、天秤座のヴィシャーカーに在住しており、ヴィシャーカーの目的に対するひたむきさからすると、損失の経験を何か、プラスに転じることが出来ないかと意識的に考えたのかもしれない。





ジャイミニスキーム


最後に念の為、ジャイミニで、結婚と出産のタイミングを検討するが、まず、結婚した1998年は、双子座/山羊座 もしくは双子座/射手座である。



双子座には、DKの木星が在住し、山羊座から見た7室には金星がアスペクトし、射手座にはDKの木星がアスペクトし、射手座から7室にDKの木星が在住している。







また第一子を出産した2000年5月は、双子座/天秤座、第3レベルまで見れば、双子座/天秤座/双子座、あるいは、双子座/天秤座/蟹座である。



双子座には、子供の表示体である木星が在住し、またPKがジャイミニアスペクトしている。



また天秤座から見た5室支配の土星は5室に在住し、5室で、AK、AmKがジャイミニラージャヨーガを形成している。



蟹座や蟹座から見た5室には、PKや木星のアスペクトはなく、蟹座から見た5室が強いということもない為、おそらく、第一子は、双子座/天秤座/双子座の時期に誕生したと考えられる。







サプタムシャを見ると、同じく双子座には、子供の表示体である木星が在住し、双子座から見た5室には、PKの太陽がジャイミニアスペクトしている。



天秤座にはPKがアスペクトし、天秤座から見た5室にPKが在住している。




このように見て来ると、松本明子のラグナは、魚座レヴァーティー第4パダで、ナヴァムシャのラグナは、魚座で間違いないと思われる。








(参考資料)

実家じまいに1800万円使った松本明子さんの痛恨
リフォーム後に売ろうとしたら「マイナス査定」
内埜 さくら : フリーインタビュアー、ライター 2022/06/26 10:00 東洋経済ONLINE

『電波少年』や『DAISUKI!』など数々のバラエティ番組での飾らない明るさが印象的な松本明子さん。

そんな松本さんは、誰も住まなくなった四国の「実家じまい」に25年もかかった“苦労人”でもある。今月発売した著書『実家じまい終わらせました! ~大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』(祥伝社)ではその経緯を赤裸々に記している。

家族との思い出がたっぷり詰まった実家を処分することは、想像以上に大変なことだ。「私と同じしくじりをしてほしくなかった」と語る松本さんに詳しく聞いた。

「明子、実家を頼む」

――香川県高松市の、ご両親の実家を25年間維持する費用が、累計で1800万円超かかったと聞いて驚きました。実家じまいをするまで25年間もかかったのは、お父様の遺言に重みを感じたからだそうですね。

父が亡くなったのは、2003年8月末。私が37歳のときでした。亡くなる少し前に病室を見舞うと、「明子、実家を頼む」と声を絞り出すように言ったんです。

両親はその数年前に東京に呼び寄せていて、実家はすでに数年、空き家の状態でした。

でも、浮き沈みの激しい芸能界で私の仕事がなくなったとき、いつでも高松に戻って来られるようにという思いと、母をおもんぱかったうえでの遺言だったのかもしれません。わざわざ宮大工さんに頼んだこだわりがつまった家だったので、生きた証しとして自分の城を遺したかったのだとも思います。

そうして、私は実家を相続で受け取りました。父は、高松の実家は2000万円ぐらいの価値があると考え、兄には実家の価値の半分ぐらいの金額を、保険を解約するなどして先に渡していました。実際には、実家にそこまでの価値はなかったことが後でわかるのですが、父がそこまで考えていてくれたことはとても嬉しかったですね。

ただ、いま振り返ると「実家を頼む」とはどのくらいの期間なのか、もっと具体的に聞いておけばよかった。私が一生涯、実家を管理すべきなのか。身体が動く70代ぐらいまでなのか、50代で手放していいという意味だったのか――。

――松本さんはバラエティ番組で、家族仲がいいとお話されていました。良好な家族関係も、実家じまいに時間がかかったことに影響しているでしょうか。

たしかに、父と母を亡くした頃は相当落ち込んで、実家じまいをするなど考える余裕がなく、しばらくおいておいた面はあります。

私は兄が10歳年上で、両親が40歳近くになって生まれた子どもで、溺愛されて育てられました。父とは、私が結婚後も一緒にお風呂へ入るほど仲良しでしたね。

私が幼稚園時代は父と母、私の3人で夜な夜なバーやスナックへ繰り出していた思い出も。父はお店に行くと「明子、歌え、歌え」と言って私に歌わせる。するとママさんやホステスさんが褒めてくれて、10円や20円を私にくれる。その場で私は、カルピスをボトルキープする子どもでしたね(笑)。

母は若い頃、芸事を職業にしたいと思っていた人で、私が歌う姿に目を細めていました。いま思えば、酒場で歌う体験が私の芸能界へ入りたい!?と思う原点だったのかもしれません。

親を2人とも亡くした喪失感は想像以上

ところが、「上京して歌手デビューしたい」と伝えると、父は大反対。「自分の目が届く範囲で歌っているならいいけれど、実家を離れて上京するなんて絶対にダメだ」と。甘々なところと厳しいところ、両極端を持っている父でした。私の夢を応援してくれたのが、母です。「明子のやりたいことをやらせてやって」と、援護射撃してくれたんです。母が父を説得してくれなければ、私は上京できなかったかもしれません。

――バラエティ番組『DAISUKI!』(1991年4月14日から2000年3月26日まで放送。日本テレビ)では、松本さんが共演のお2人に毎回、腕を絡ませる姿が印象的でした。

あの番組では、秀ちゃん(中山秀征さん)や直ちゃん(飯島直子さん)に、ずっとくっついていた記憶があります。末っ子ですから、甘えん坊なんです。

父を亡くしたときももちろんつらかったですが、41歳(2007年)のときに母を亡くしたときは、心身ともに大きく負担がかかりました。同性だからか、人生の道しるべを失ってしまった感覚もあり、「この先、どうすればいいんだろう」と、心が路頭に迷ってしまったというか。

親を2人とも亡くした喪失感は想像以上に大きく、「私ってこんな人だっけ?」と、自分でも驚くほど打ちひしがれ、3年間ほどは両親がこの世にもういないという現実に、なかなか向き合えませんでした。

ですが、親が亡くなると、悲しんでいる暇もないぐらい、半年1年と時間がどんどんすぎていくんです。銀行口座や保険の解約、さまざまな証明書集めなど、雑務に追われるからです。

事務作業には泣く泣く着手しましたが、両親を思い出すとつらくて実家じまいは後回しにしていました。遺品を見るだけで泣けてくるんです。実家から戻ると、「今度、両親にこのお菓子を送ろうか」と思った直後に、「あ、もう私の両親はいないんだ」と自覚して、悲しみが押し寄せてくることもありました。

実家じまいをしようと決意できたきっかけ

――悲しい思いを抱えつつも、実家じまいをしようと決意できたきっかけは。

実家じまいは法事や神事を節目に考える人が多いとも聞きますが、私は『クローズアップ現代+』(NHK)という番組への出演がきっかけでした。実家の片づけがどれだけ大変か、そこでハッとさせられたんです。

母が他界して10年目に、夫や義母が「もう手放してもいいのでは?」と言ってくれたことも、後押しになりました。

このまま実家を維持すれば将来、高松に縁もゆかりもない一人息子に、私と同じ苦労をかけることになる。それだけは避けたいという思いも、私を奮い立たせてくれました。

――実家を維持する金額がふくらんだのは、2度もリフォームされたからでもあるそうですね。いったいなぜリフォームを?

東日本大震災のような大地震も経験し、今住んでいる東京でもいつ災害にあうかわからないという感覚がありました。そんなもしものときに高松の実家を避難所にできるよう、リフォームしたんです。台所、トイレなどの水回りを全面改修したりで、約350万円かかりました。

その後、『爆報!?THEフライデー』(TBS)という番組が、空き家になった実家の処分に奮闘する私の姿を、ドキュメントで取り上げてくれることになったんです。そこで、考えたことは、今後売るにせよ貸すにせよ、もうすこしきれいで使いやすいほうがいいということでした。そこで、浴室のユニットバスへの変更や、一部フローリングの張り替えをして、今度は約250万円ほど出費しました。つまり、リフォームで合計約600万円かかったわけで、これは痛い出費でした。

しかも番組の収録で査定していただいたところ、「買取価格は築年数が古いので上物の価値はゼロ。土地の価値だけで200万円。更地にすれば買い手はつきやすいですが、費用は500万円ほどかかります」と言われたのです。

ほかにも実家の管理や帰省費用がかかっているのに、更地後、売却してリフォーム代を引くだけでもマイナス300万円と。まさに、「なんじゃそりゃ!」状態でした(笑)。

――そのほかに月々の光熱費や、毎年の固定資産税などの固定費も25年分積み重なって、累計で1800万円超。それだけの費用をかけても、高松のご実家に移住したいとは思わなかったんですか。

私は1983年に『♂×♀×Kiss(オス・メス・キッス)』でアイドルデビューさせていただいたものの、鳴かず飛ばずでした。ありがたいことに、『TVチャンピオン』(テレビ東京)、『電波少年』『DAISUKI!』(ともに日本テレビ)で、やっと忙しくお仕事をさせていただけるようになったのは、20代半ばのことでした。そろそろ親孝行がしたいと思い、両親を高松から呼び寄せて、賃貸マンションで一緒に暮らし始めたのが27歳です。

松本さんが語る「教訓」

そこからお仕事がさらに増えて、「この仕事になんとか“永久就職”できるのでは」と思い始めたのが、40代前半です。「もし仕事が万が一少なくなっても、高松に移住することはない。永住するのは東京だ」と、やっと腹をくくれたんです。

結果的に、両親を呼び寄せた27歳から実家を処分するまでの51歳まで足掛け25年、ほぼ空き家となった実家を管理し続けることになったんです。

――松本さんの経験から、伝えたい教訓は?

経験していえるのは、親が元気なうちにやはり実家の話をしておいたほうがいい、ということでしょうか。誰でも「亡くなったあと、実家を処分してもいい?」などとは切り出しにくいと思います。親の死が前提の話は子どもとしてしたくないですし、「お金に換えたいから、そろそろ死んでほしいのか」と、子どもの思いとは異なるニュアンスで親に受け取られる可能性もありますから……。

だからといって話をせずにいると、私のようなことになります(笑)。「松本明子さんのように、あとで子どもが大変な目にあうらしいよ。累計で1800万円だってよ」と、私の体験談をうまいこと使ってみてください。子どもに迷惑をかけたくないと思っている親は多いので、「それは大変だ」と、感覚を切り替えてもらえるかもしれません。
参照元:実家じまいに1800万円使った松本明子さんの痛恨
リフォーム後に売ろうとしたら「マイナス査定」
内埜 さくら : フリーインタビュアー、ライター 2022/06/26 10:00 東洋経済ONLINE
松本明子さんの実家じまい「私のしくじり体験談」
50代で年に7回、四国に片づけに行く壮絶
内埜 さくら : フリーインタビュアー、ライター
2022/06/26 10:01 東洋経済ONLINE

25年間、空き家の実家を維持するのに1800万円

──松本さんは27歳のときにご両親を東京へ呼び寄せ、ご両親が亡くなった後も、ご自身が51歳になるまで誰も住んでいないご実家を25年、維持し続けられました。前編ではリフォーム代などが高額だったことを伺いましたが、そのほかに維持費もすさまじかったそうですね。

人が住まないと家は傷みが早いので年に数回、両親や私が帰省するだけでしたが、25年間でかかった費用に自分でも驚きました。プロパンガスは火事が心配なので止めましたが、水道や電気はいつでも使えるように契約していました。基本料金だけでも水道代は年に約1万2000円、電気代は母屋と離れを合わせて約8万円。ほかに固定資産税が年間約8万円、火災保険(地震保険込み)が年間約10万円。25年間累計で680万円以上支払っていたんです。

東京に両親を呼び寄せた後、父が元気だった頃は、母と一緒に実家へ帰るたびに草を刈ったり、枝を切ったりしていました。ですが、老いてくるとそういう行動もできなくなる。上京して5年ほど経つと、両親は実家から足が遠のいていきました。

その頃でしょうか。高松市役所からの電話で、注意を受けました。「庭の草木の手入れをしてください」と。市の担当者の方が「地域のシルバー人材センター(地域毎に設置されている高年齢者の自主的な団体)に頼むこともできますよ」と教えてくれたのですが、1回の料金は5万円。夏と冬、年に2回頼んだら年間10万円です。実家を維持するためには必要なコストだと思いお願いしましたが、20年間で200万円もの出費になりました。

──松本さんは香川県が運営する「空き家バンク」に実家を登録したのち、3カ月で希望額で買ってくれる買い手がついたわけですが、決まるまでにもかなりのご苦労が。

地元の不動産屋さんによる実家の査定では、「上物は築年数が古いのでゼロ、土地が200万円。更地にすれば買い手がつきやすいが、家の解体費用は500万円ほどかかる」と厳しいものでした。そこで親戚にも聞きましたが引き取り手がなく、わらにもすがる思いで登録したのが「空き家バンク」でした。賃貸と売却の両方で登録しましたが、当初はこちらの希望額とは遠いリクエストばかりが届いて落ち込みましたね。

累計で600万円かかったリフォーム代だけは回収できる金額でなんとか、と待ったところ、その金額で買ってくださる方が見つかったのは、本当に幸運でうれしかったですね。

体力的にも大変な時期の実家じまい

──実家を売ると決めた後の、実家の室内の片づけも大変だったとか。

羽田空港から高松空港までの飛行機代が、往復約6万円。夫婦で高級レストランのディナーを楽しめる金額ですよね(笑)。家財や遺品整理に3回ほど飛行機で行ったので、合計約18万円かかりました。その費用を節約するためと、自宅に荷物を持って帰るために車で行くこともありましたが、到着までに早くて片道およそ10時間。往復20時間。1年間で7回行ったので、24万5000円ほどかかりました。体力勝負でしたね。

──日本人女性が閉経する平均年齢は50歳頃で、前後10年間、45歳から55歳を更年期世代と呼んだりします。松本さんが実家じまいをしたのは51歳なので、体力的に大変だったのでは。

おっしゃるとおりで、更年期真っただ中でした。40代後半から50代は女性のホルモンバランスが崩れる時期らしいですが、私も例にもれず心身ともにつらかったです。

その頃は、子どもがいる人であればちょうど受験の時期などとも重なるわけです。高齢の親が心配になったとき、子ども世代は40代から50代です。最近は男性更年期障害もニュースで取り上げられるようになりましたが、男女ともにヘビーなタイミングで迎えるんですよね、実家じまいは……。

室内の片づけの話に戻ると、最終的に私は東京から高松まで通う体力を消耗したくないのと節約したい一心で1週間、実家近くの健康ランドに寝泊まりしていました。実家はプロパンガスを止めていたのでお風呂に入れませんし、布団はすでに処分していたので、寝泊まりできなかったからです。

そして、朝8時から夜11時までおよそ15時間、毎日実家の断捨離。いま56歳なのでまだ5年前ですが、いまやれと言われても体力的に無理だと思います。

『空き家バンク』に登録して買い主が決まり、家の家財や遺品整理までの“締め切り”が3カ月後と決まっていたから、気力で踏ん張ることができたという理由も大きいです。

私は両親から具体的な意向を聞かずに家を相続した経験者だからこそ、伝えたいです。気軽に明るく話せるような家族イベントとして、親が元気なうちに話し合っておいたほうがいいと思います。「お父さんとお母さんがいちばん大切なものはなに?」とか「これは子どもにも孫にも引き継ぎたいものなの?」と、質問しておくと先々きっと役立ちます。

長年にわたる、地元のご近所さんと親戚の支え

──実家を売却するまでは、地元のご近所さんにもとても助けられたそうですね。

ご近所さんには、長年かなり甘えっぱなしでした。空き家になった郵便ポストの郵便物は数カ月に1度まとめて、私が住む東京に送っていただいたりしていました。合鍵もお渡しして、月に何回か部屋の換気や掃除もしていただいて。地元にいる親戚にもお願いして、部屋の換気と掃除もしてもらっていました。

うちの実家は、高松市の中心部から8キロ以上離れた不便な場所にあるんです。それを希望価格で売却できたのは、長年にわたる近所のみなさんや親戚の協力と支えがあったからこそだとしみじみ思います。

──ご近所さんが助けてくれたのは、日頃の松本さんの対応が丁寧だからだったからではと想像するのですが、ご近所さんとはどんなお付き合いをされてきましたか。松本さんが人付き合いで気を付けていることはありますか。

大したことはしていないんです。季節ごとに手紙やハガキ、自分がおいしいと思ったお菓子をお送りするぐらいですが、「親しき仲にも礼儀あり」とは思っています。

その気持ちは芸能界に入って、右も左もわからない頃から親切にしていただいた方についても同じです。私は人脈が豊富なわけではなく、人数は少ないかもしれませんが、深く長くお付き合いさせていただいている方が何人かいます。秀ちゃん(中山秀征さん)や松村邦洋くん、久本雅美さんや高田文夫先生とは、連絡を1週間以上空けたことがありません。お互いにメールや電話をして、マメに交流をしています。

──その人脈で、ご両親の遺品を受け取ってもらえる先も見つかったとか。

母の着物や洋服が100着以上ありましたが、使えそうな着物は譲りました。昔から知り合いの、高松でスナックをしているママに送ったほか、劇団のWAHAHA本舗にも持っていきました。看板役者の久本雅美さんや柴田理恵さんに、「よかったら使ってください」と言って。撮影用の衣装をレンタルしている、東京衣裳さんにも送りました。テレビや映画の時代劇に着物は欠かせませんから、もし使えるものがあればと……。

父は小説家を目指した時期があり、離れの書斎に書籍があふれていました。整理していたらエロい本や雑誌がたくさん出てきたので、「あーあ、何やっているんだか」と苦笑しましたが(笑)、漫画家のみうらじゅんさんがほしいとおっしゃるので、全部引き取っていただきました。

父の名誉のために言いますが、作家を夢見ていたのは本当だったらしく、書斎には小説の完成原稿が一篇、残っていました。父の夢のかけらにふれて感動しましたし、みうらさんにお譲りした本や雑誌は、小説の資料だったのかもしれません。

道筋を早めに決め余裕のあるうちに始めていく

──実家じまいに手こずったからこそ、読者に伝えたいことはありますか。

実家を売却しようとすると、私の場合のように、3カ月などの短期間で売れるケースは少なくないそうです。自分が中年になってくれば、実家じまいは体力的にもしんどい。元気で余裕のあるうちに、コツコツと片づけておくといいと思います。

『実家じまい終わらせました! ~大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』(祥伝社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします きょうだいがいる方は、それ以前に話し合いを持っておくことをおすすめします。将来、実家を売却するのか、維持するのか。それとも相続放棄するのか。道筋は早めに決めておくほうがいいと学びました。私のように、大赤字を出さないためにも、です。

両親の遺品は捨てづらいかもしれませんが、自宅へ持ち帰るのは最小限にとどめることもお勧めしたいです。私の夫は理解ある人ですが、高松の実家から大きなダンボール10箱を持ち帰ったら、「こんなに荷物が増えるの?!」と、さすがにちょっと呆れていました(笑)。現物を保管するのではなく、デジタル化する方法もありかもしれません。

──松本さんはご著書で、ご実家の売却前にかかった諸費用の総額と内訳を公開されていました。実家の売却の可能性のある人は、金額をメモしておいたほうがいいですか。

私のように、現住地と実家の距離が離れている人ほど、ざっくりとでいいので書いておくといいと思います。実家じまいは、重い腰が上がらない人が多いと思うんです。でも、両親が実家を所有していたら、いつかはやらなければいけない。金額を見える化すると、やらざるをえないという気持ちになりやすいので。私自身、実家の維持費の見通しが甘かったことは、大きな反省点でもありますから。私みたいに、1800万円超もかける前にぜひ(笑)。
参照元:松本明子さんの実家じまい「私のしくじり体験談」
50代で年に7回、四国に片づけに行く壮絶
内埜 さくら : フリーインタビュアー、ライター
2022/06/26 10:01 東洋経済ONLINE
松本明子は“持ってるオンナ” 不遇のアイドルからブレーク、新著「実家じまい本」が話題
2022/06/13 06:00 日刊ゲンダイ

タレントの松本明子(56)が今月1日に出版した「実家じまい終わらせました!」(祥伝社)が話題だという。生まれ育った香川・高松にある実家を、松本自身が処分するまでの話がつづられている。

 松本は1993年に両親を高松から東京に呼び寄せて以来、実家は空き家になっていたが、2003年に亡くなった父親の遺言もあり、自身が実家の維持管理をしていたという。07年に母親が亡くなったことで自分の子どもに同じ思いをさせないために、処分を決意。

 両親が3000万円かけて建築し、松本が14年の間でリフォームを含めて維持管理に1800万円ほどかけた実家だったが、最終的に600万円で売却したという。

 相続などで地方に手付かずの空き家を所有する人が年々増えているだけに、なんとも身につまされる話だが、松本の実体験にもとづく話がウケているとのこと。

「昨年11月に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に松本が出演した際に語った実家じまいの話が反響を呼び、それが書籍化されました。しくじり先生といえば、松本が5年前に出演したときのネタである、アイドル時代に放送禁止用語を連呼した話はあまりにも有名です」(週刊誌記者)

■小型キャンピングカーのレンタル業開始

 松本は生放送で笑福亭鶴光などにけしかけられて、訳が分からずに女性器を表す言葉を叫び2年ほど干される形となったが、この事件が鳴かず飛ばずのアイドルから売れっ子バラドルに転身するきっかけとなった。バラエティーに活動の場を移してからは、「DAISUKI!」「進め!電波少年」(日本テレビ系)でブレイク。98年に6歳下の俳優・本宮泰風(50)と結婚。00年に長男が誕生している。

「現在22歳の長男が小学生の時も、テレビでのあの調子で学校の行事にも積極的に参加していて、地元に多くのママ友がいる人気者だったようです。コロナ禍で一部芸能活動が中断し、その間に登山にハマったことをきっかけに、芸人のヒロシのアドバイスもあり、昨年から東京・方南町で小型キャンピングカーのレンタルを副業として始めています。気になることはとりあえずやってみるというノリの良さは健在のようです」(前出・週刊誌記者)

 松本は自身の体験による便秘解消本を今から7年前に出版。10万部を超えるベストセラーになっている。なんだかんだで“持ってるオンナ”のようだ。
参照元:松本明子は“持ってるオンナ” 不遇のアイドルからブレーク、新著「実家じまい本」が話題
2022/06/13 06:00 日刊ゲンダイ
松本明子、“実家じまい” で得た価値観 「高価なものは持たなくなった」
2022/8/31 21:40 日テレNEWS

タレントの松本明子さん(56)が30日、『空活会議(アキカツカイギ)2022』に登場。全国に広がる空き家問題について、自身の“実家じまい”の経験をふまえて語りました。

松本さんは仕事が軌道に乗った27歳の時に、実家の香川・高松市から、両親を東京に呼び寄せたそうで、実家はそれから約25年空き家になったといいます。

空き家を維持し続けた理由は、病床に伏せていた父の『実家を頼む、明子』という言葉だったそうです。父の言葉を重く受け止めた松本さん。空き家を維持するために費やした税金や保険料などの総額は25年間で1000万円を超えました。

松本さんは険しい顔で「もっと早くに(実家の整理・処分について)やっておけばと後悔するばかりです。もっと早く家族、両親と実家をどうするべきか、早く道筋を相談しておけば良かったな」と振り返りました。

■松本さん「私が解決しないと…」“実家じまい”を決断

迷っていた松本さんですが「私の主人に『実家のことを真剣に考えた方がいい』と言われたのと、私が亡くなった時に息子がこの問題をどう思うのだろうと考えて、私が解決しないといけないと思いました」と決心した理由を語りました。

そして、いざ“実家じまい”する際に苦労したのが家財道具の整理だったそうです。「2トントラックで10往復分の家財を自分と知り合いの2人で処分した。業者にお願いすると100万円近くかかるし、両親の思い出の品、全部に目を通して仕分けしました」と、泊まりがけで行ったことを明かしました。

また使えそうな家財や、価値のありそうなものを買い取りに出したそうですが、二束三文だったと言います。さらに両親にプレゼントした、ものまね番組の優勝トロフィーについて松本さんは「トロフィーも値段がつかなかったですね~」と笑いを誘い、東京にまた持ち帰ったことを明かしました。

松本さんは最後に「実家の処分が学びになったので、息子には同じ思いをさせたくない。負の遺産を残さないように、高価なものは持たなくなった」と自身の考えを示しました。
参照元:松本明子、“実家じまい” で得た価値観 「高価なものは持たなくなった」
2022/8/31 21:40 日テレNEWS
松本明子が明かす実家の片付け秘話「家じまいは苦行。早めに始めておくべきです」
2022/07/27 06:00 日刊ゲンダイ

「生まれ故郷の香川県高松市の実家を空き家のまま25年もの間、維持してきましたが、2018年1月に『家じまい』をしました。その間にかかった費用は、光熱費や税金、リフォーム代などを合わせて、実に総額約1800万円……」

 こう話すのは、発売中の「実家じまい終わらせました! 大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方」(祥伝社)が5刷突破の大ヒットとなっているタレントの松本明子(56)。彼女の「家じまい」の顛末とは、どのようなものだったのか。

  ◇  ◇  ◇

「昭和世代の父にとって、マイホームを持つことは念願でした。わざわざ宮大工さんに頼んで建ててもらった、クギを一本も使わない木組みの総桧造りの平屋建て5DK。費用は約3000万円(上物約2000万円、土地約1000万円)。洋室の応接間には一度も使われているのを見たことがない立派な暖炉までありました(笑)」

松本は、地元、高松の中学を卒業するまでの10年間、この実家で暮らしていた。82年に上京して翌年デビュー。やがて「進め!電波少年」や「DAISUKI!」などの人気番組にレギュラー出演するようになり、生活に余裕ができると、27歳のとき、両親を呼び寄せ、家族3人で東京で暮らすようになった。

 だが、このタイミングで実家を手放すことはなかった。さらに、東京で両親と同居を始めてしばらくしたころ、松本は父から「高松の家を継いでほしい」と伝えられた。その維持費は、電気、水道、固定資産税、庭の手入れなどで、年間37万円ほどかかっていた。

 その後、父は03年8月に肝臓の病で他界。母も07年に他界。家じまいを決意したのは、17年1月のことだった。しかし、査定を頼んだ不動産業者にはこう告げられた。

「築年数が古いので上物の価値は0円。土地の価値だけで200万円。家屋を壊して更地にすれば買い手はつきやすいけど、費用は500万円ほどかかります」

 そんなとき香川県が運営する「空き家バンク」のことを知った。登録から約3カ月後、高齢の夫婦から問い合わせが入り、何とか希望額の約600万円での売買が成立した。しかしすぐさま今度は、家具や衣類、食器、書物などの処分である。

■「父の書斎からは官能小説やエッチな雑誌が…」

「両親は物が捨てられない世代。たとえば、母の遺品では着物や洋服が100着以上ありました。『とにかく家の中をすっからかんにしてください』と業者に一任するのが、一番手っ取り早い方法でしたが、遺品をそのように扱うのは気が引けました。そこで、自ら仕分け作業を行いました。母の着物は久本雅美さんや柴田理恵さんにお願いしてWAHAHA本舗さんに一部を、また『東京衣裳』さんにも引き取っていただきました。父は趣味で小説を書いていたようで、書斎には文学全集などの本や雑誌が大量にありました。その中には、官能小説やちょっとエッチな雑誌も(苦笑)。みうらじゅんさんが欲しいと言ってくださって引き取ってもらいました(笑)」

 結局、廃棄した遺品の総量は2トントラック10台分にも及んだ。遺品を処分するためにかかった費用は、交通費や宿泊費も含めると100万円以上だという。

「私の場合は、なかなか『家じまい』に踏み切れず、結局25年もかかりました。デリケートな問題なので、なかなか両親に対しても単刀直入には言いづらいものです。かかる労力と金額のことを考えると、両親が元気なうちに、上手に話して理解してもらい、少しずつ進めるべきだったというのが一番の反省点です。先送りをしていると、最終的に『家じまい』をする本人も毎年、ひとつ年をとり、当然、体力も落ちていきます。特に、遺品の処分は本当に何かの罰ゲームをやらされているかのような苦行以外のなにものでもありませんでした(笑)。わたしのしくじりが少しでもみなさんの参考になれば、うれしいです」

(取材・文=大崎量平)
参照元:松本明子が明かす実家の片付け秘話「家じまいは苦行。早めに始めておくべきです」
2022/07/27 06:00 日刊ゲンダイ
松本明子さん「遺品整理にはこんなコツがあった」
プロに聞いた、効率的に空き家を片づける方法
松本 明子 : タレント / 上野 貴子 : 家財整理業ワンズライフ代表取締役
2022/07/24 15:00 東洋経済ONLINE

手元に残す量をまず決めることが大切!

松本:お忙しいところありがとうございます。

上野:いえいえ。ご実家の処分でだいぶご苦労されたと伺いました。

松本:そうなんです……。まずは遺品整理についてお伺いしたいのですが、私の場合、実家の片づけをほぼしてなかったので、物が大量にあったうえに、いざ片づけを始めると、あれこれ手にとっては、つい思い出に浸ってしまうことが多くて整理が進まず、時間ばかりかかってしまいました。

手際よく片づけるにはどうすればいいのでしょうか?

上野:実家で親と同居をしていない方の場合、現在の実家の家財の状態がわからないケースがほとんどだと思います。

しかし、遺言やエンディングノートなどで、何がどこにあるのか、残すべきものは何か、家はどうしてほしいのか、お金のことや家財の処分などについて、親の意向がわかるようになっていないと、通帳ひとつどこにあるのかわかりませんから、ありそうな場所を手当たり次第に探すしかなくなります。

松本:あとからひょっこり残高1円の父の通帳が出てきてひどい目にあいました(苦笑)。1円を引き取りに高松の銀行まで来てほしいと言われたんです。

上野:結局、放棄を?

松本:何年もかかりましたけど、そうしました。

上野:そんな事態を避けるためにも遺言やエンディングノートなどが必要になるわけですが、そういうものを親が残さずに他界した場合は、遺族が大量の家財の中から貴重品(預貯金通帳、貴金属、有価証券、登記簿謄本、各種契約書など)や残すべき品などを見つけ出さないといけなくなります。

でも、大量に残された物と格闘し、ひとつひとつ「いるもの、いらないもの」を選別するのは、精神的にも労力的にも金銭的にも負担が大きくなります。

親があらかじめ「いる、いらない」を指示してくれていたら、その苦労をしないで済むわけです。

捨てていいよ、と言われていたらどんなにラクだったか

松本:よくわかります。私の場合、たとえば母の残した大量の着物があったのですが、生前に母の意向を聞いていなかったのでずいぶん悩みました。捨てていいよ、と言われていたら、どんなにラクだったか。

上野:そうなんです。親の意向がわからないと、明らかに捨てていいとわかるもの以外は、極端な話、1つひとつ「いる、いらない」を判断しないといけなくなります。

松本:そうすると、ついつい、あれこれ手にとっては、見入ってしまうんですよ。だって小学生のときに使った彫刻刀とか出てきちゃうんですから、もう懐かしくて。

上野:お気持ちはよくわかります。ただ、思い出に浸りすぎてしまうと、なかなか片づけは進まないんですよね。いくら時間があっても足りなくなってしまいます。

松本:では、どうすればいいでしょうか?

上野:片づける前に、手元に残しておきたい物の数や量を決めておくことです。

貴重品は必須ですから、それ以外で考えるといいでしょう。具体的には、自分のいま住んでいる家の収納スペースなどを考え、持ち帰るのは1人(1家族)10個までとか、ダンボール箱一つだけとか、上限を設定しておくのです。

松本:本当に手元に残しておきたいものだけを選んで持ち帰るわけですね。

上野:よく「無人島に持っていける本が3冊しかないとしたら、あなたはどんな本を選びますか?」という問いがありますが、それと同じように考えればいいと思います。

松本:上限を決めてしまうことで迷わないようにする、と。

上野:そうすれば、実際に物を見たときに、「あれも、これも」と際限なく持ち帰る物が増えてしまうことを防げます。

家財の整理は、大量の情報の中から必要な情報だけを探し出す作業と似ています。

よく洋服の整理術で3年そでを通していないものはどうせ着ないから処分したほうがいいと言いますが、同じ要領で自分なりに基準を決めて「いる、いらない」を整理する。

残す基準は、学生時代の思い出の品かもしれないし、両親とのかけがえのない日々を思い出させてくれる品かもしれない。人それぞれです。

それでたとえば、10個だけ持ち帰ると決めていたとして、全部片づけ終わったときに残しておきたいものが15個とか20個になっていたら、「やっぱりこれはやめて、こっちにしよう」と入れ替えを行ない、10個まで絞り込む。

松本:ダンボール箱1つと決めた場合も同じように、1箱に収まるように絞り込めばいいわけですね。それで残りはすべて「いらないもの」として処分する。

上野:そういうことです。「無人島に持っていける3冊の本」の感覚は、遺品整理に限った話ではなくて、生前整理でも空き家の整理でも基本的には同じです。

片づけは「時計回り」で行う

松本:実家の家財整理では、思いつきであちこち手をつけてはやりっぱなしにして、片づけてるんだか、散らかしてるんだか、わからなくなりました。

上手に片づけるセオリーみたいなものはあるんでしょうか?
上野:基本は、無駄をなくすために一方向に片づけることです。

たとえば、「手前から奥へ」とか「時計回り」のように方向を決めておけば、同じ場所を何度も片づける無駄を省けます。

松本:部屋に入ったら左回りでぐるっと1周するように片づけるということですか。

上野:そうです。時計回りに1方向で作業をして、確実に片づけていく。

そうすることで、あちこち手をつけて、あとでどこまで片づけたのかわからなくなる、というような非効率を防ぐことができます。

松本:例外をつくってはいけないということですね。

上野:例外なしです。機械的に時計回りの一方向でやる。リビングも台所も浴室も全部時計回りです。それが一番無駄がありません。

仕分けの数だけダンボールを用意する

松本:「いる、いらない」で選別したものは、どうやって整理するのがいいですか。

上野:片づけを始める前に仕分けの数だけダンボールを用意しておくといいと思います。

弊社の場合、遺品整理では、「金品」「権利証などの書類」「写真、日記などの想い出の品」「仏壇、 位牌などの供養品」など残すものと、それ以外の「リサイクル物(古紙・布・鉄や銅・食器等)」で、合わせて10品目以上に仕分けします。

松本:ダンボールがいいですか?

上野:別にゴミ袋のようなものでもかまいません。要は、たとえば一つの棚を片づけるとき、これは写真、これは通帳、これは位牌と、パッパッと分類して入れられるものがあればいいわけです。

捨てるものは、そのままゴミ収集に出せるようにゴミ袋のほうがいいかもしれません。地域によってゴミの分別収集の仕方が違いますから、その地域のルールをよく把握して、それに合わせてゴミ袋もゴミの種類に応じて仕分けできるようにすると、あとでゴミ出しをするとき楽だと思います。

実家じまいは法事や神事を節目に考える人が多い

松本:私は母が亡くなったあともなかなか実家を処分できなかったのですが、一般的に実家じまいというのは、親が亡くなり、相続して、どのくらいたってからやる人が多いんでしょうか?

上野:実家じまいをするまでの期間ですが、弊社の事例で言えば、仏教なら三回忌(満2年)や七回忌(満6年)、神道なら三年祭(満3年)や五年祭(満5年)が済むまでは、そのままにされる方が多いようです。

あるアンケート調査でも、実家を相続しても3~6年はそのままにしておくという回答が一番多かったですから、傾向としてはだいたいそういったものかと思います。

松本:法事や神事で一区切りついたところで処分を考える方が多いわけですね。

上野:そうだと思います。つい先日も、「三回忌が済んだので、そろそろ実家を売却したいと思って」と遺品整理のご相談をいただいたお客様がいらっしゃいました。

一般的に2年から5、6年というのは、親を亡くした痛みから子どもが立ち直るのに必要な時間なのでしょうね。だから仏教でも神道でもそのタイミングで法事や神事を行なうのだと思います。

ただし、グリーフ(喪失体験)というのは人それぞれですから、当然、立ち直るのにもっと時間を必要とする方もいらっしゃいます。

その場合は、十三回忌や十七回忌、あるいは十年祭や二十年祭が、実家じまいをするタイミングになるのかもしれません。

松本:親を亡くした痛みが深ければ、それだけ立ち直るのに時間がかかりますからね。

上野:もちろん、なかには急にお金が必要になったからというのが実家じまいの理由であり、タイミングだったという方もいらっしゃるでしょう。

ですから、基本的には人それぞれですが、一般的には親が亡くなって2年から5、6年で処分を考える方が多いということです。

松本:それ以上先延ばしにすると維持費もかかるし、建物も古くなって処分しにくくなるという判断もあるのでしょうね。

上野:それもあると思います。そしてそういう現実的な判断ができるようになるには、人それぞれにそれなりの時間が必要なのです。

松本さんの場合も実家を25年維持してから売却されたというお話ですが、松本さんの人生にとっては、それがベストのタイミングだった、とも言えるのだと思います。

松本:ありがとうございます。そう言っていただけると救われます。
参照元:松本明子さん「遺品整理にはこんなコツがあった」
プロに聞いた、効率的に空き家を片づける方法
松本 明子 : タレント / 上野 貴子 : 家財整理業ワンズライフ代表取締役
2022/07/24 15:00 東洋経済ONLINE

スポンサーリンク


スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

コメント

コメントする

CAPTCHA