赤松啓介は、異端の民俗学者で、1990年代から長らく絶版だった著書が再刊され、ブームになっている。
「夜這い」というのは漫画やアニメでは、夜に女性の寝床に男性が押し入って襲い掛かるといったイメージで、コミカルに描かれるが、現代社会であれば犯罪行為かもしれない。
例えば、ドリフターズの志村けんが、加藤茶と共に先生役として、修学旅行に来ている女子生徒たちの部屋を訪問し、女子生徒が寝ている隙に布団の裾を持ち上げて中を覗き込むといったコントがよくあったが、今は、それを笑って見ていられる時代ではなくなっている。
テレビ局のコンプライアンスが厳しくなって、セクハラに該当するような番組は自主規制し、視聴者の苦情に配慮し、スポンサーのイメージが悪化しないように神経を尖らせる。
従って、以前は放映できたが、今は放映できないような番組も多い。
資本主義、民主主義、リベラリズムといった原理が、封建社会を駆逐した結果、昔の村落共同体の名残りが、更に一段と失われた結果だと思われる。
この本の裏表紙には、以下のような説明がある。
筆下し、水揚げ、若衆入り、夜這い・・・・。ムラであれマチであれ、伝統的日本社会は、性に対し、実におおらかで、筒抜けで、解放的であった。 日本民俗学の父・柳田国男は<常民の民俗学>を樹ち立てたが、赤松は、「性とやくざと天皇」を対象としない柳田を批判し、<非常民の民俗学>を構築し、柳田が切り捨ててきた性民俗や性生活の実像を庶民のあいだに分け入り生き生きとした語り口調で記録した。『夜這いの民俗学』『夜這いの性愛論』の二冊を合本した本書は、性民俗の偉大なフィールド・ワーカー赤松啓介のかけがえのない足跡を伝える。上野千鶴子による力作解説を収録。 (「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」より引用抜粋) |
赤松啓介によれば、戦前の日本、そして戦後も暫くは、日本の村落共同体において、「夜這い」という慣習が行われていたということらしいのである。
テレビやラジオなど娯楽が全くなかった時代において、「夜這い」というのは男性と女性が出会う一つの村落共同体で認められた形式だったようなのである。
まだ西洋社会のキリスト教道徳が入り込んでくる前の昔の日本の村落共同体は、性的なタブーなどもなく、「夜這い」という慣習によって男女が、簡単に性的関係を結んでいたようなのである。
今の時代から考えると、それは男性による強制的なものだったのではないかと思えるが、当時の感覚としては、男性と女性に合意が存在しており、一方的なものではなかったようである。
性的行為について罪悪感とかそうしたものも全くなかったようである。
日本が1890年(明治23年)の第二次世界大戦前に日本の道徳教育の根幹となった教育勅語を発表したが、これは識者によれば『カトリックの倫理綱領と同じ』だそうである。
つまり、明治維新と共に西欧キリスト教社会の一夫一婦制的な道徳観念が日本にも入って来て、近代合理主義社会への移行が始まったが、日本の村落共同体が崩壊し、農村にいた若者が、都市の工場労働者などに吸収されて教育勅語的な道徳教育が普及すると共に西洋社会に対して原始的で未開人のように見える「夜這い」のような慣習が禁止され、失われたようである。
例えば、「夜這い」だけでなく、昔は普通に行なわれていた混浴といった慣習も禁止されることになった。
然し、「夜這い」が禁止になったらかつて村にいた若者は結婚相手をどうやって見つけたらいいか分からないと主張したそうである。
「夜這い」というのは男性が女性と出会う為の一つの文化形式だったからである。
「夜這い」による性的交流はあったが、結婚はやはり自由恋愛によって、お互いに相性がいい好きな相手と行ったという。
従って、赤松啓介によれば、資本主義によって、様々な性風俗産業が発達し、お金で買春が行われるようになった社会よりもより健全な社会であったという。
ビートたけしの少年時代の自伝などでも東京の下町では、知らない人が勝手に自分の家に上がり込んで飯を食べているといったことを書いていて、昔は、今よりも人と人の距離感が近く、プライバシーの観念が希薄であったと考えられる。
従って、夜中に村の若者が、村の娘の家を勝手に訪問したとしても、現代人が考えるほど、それはおかしなことではなかったはずなのである。
例えば、平安時代でも源氏物語などを読めば分かるが、結婚というのは、男性が女性の家を訪問することである。
訪問というのは昔の感覚では、プライバシーの侵害などでは全くなかったはずである。
従って、男性と女性が「夜這い」によって、性的関係を結んだとしても、現代とは全く違った感覚であったはずなのである。
まして、まだ西欧社会のキリスト教的な一夫一婦制的な道徳観念が入り込んでくる前の社会であれば尚更である。
近代合理主義の導入、私有財産とか、個人主義の発達やプライバシーの観念が発達した後では、「夜這い」は、完全に男性が加害者で女性が被害者である犯罪行為のように思えるが、昔の村落共同体ではそうした感覚ではなかったようである。
この本には、上野千鶴子の解説が付いていて、それが分かりやすいので、文末に参考資料として掲載するが、そこから重要な箇所を一部引用する。
日本では夜這い慣行は、高度成長期直前まで各地に残っていたことが知られている。なかでも農村より漁村に残ったといわれる。 共同労働が多く、集団の結束が固い漁村では、共同体慣行がおそくまで続く傾向があったためである。 高度成長期以前、50年代までは、日本の農業人口は約三割、農家世帯率は五割を超える。都会に働きに出た多くの日本人にとっても、 出身が農家であるという人々は多かった。夜這い慣行の消滅は、村落共同体の崩壊と軌を一にしていた。高度経済成長期は、明治から長期にわたって続いた 村落共同体の解体過程に、最後のとどめを刺したといってよい。 明治政府が夜這いを「風紀紊乱」の名のもとに統制しようとしていたことは知られている。だが、各地で夜這いは長期にわたっておこなわれた。 夜這いは、いっぽうで乱婚やフリーセックスのような道徳的な退廃として、他方では古代の歌垣のようなおおらかな性のシンボルとしてロマン化され、 さまざまな思い込みや思い入れを持って語られてきた。だが、タブーが解けてしだいに明らかになった夜這い慣行の実相は、共同体の若者による娘の セクシュアリティー管理のルールであることがわかってきた。初潮のおとずれとともに娘組に入り、村の若者の夜這いを受ける娘にとっては、処女性のねうちなどないし、 童貞・処女間の結婚など考えられない。娘の性は村の若者の管理下におかれるが、そのなかで結婚の相手を見つけるときには、「シャンスをからくる」(瀬川清子)といって、 恋愛関係のもとでの当事者同士の合意がなければ成り立たない。親の意向のもとで見たこともない相手に嫁ぐという仲人婚は、村の夜這い仲間では考えられない。 夜這いには、若者にとっても娘にとっても、統制的な面と解放的な面の両面がある。(略) (「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」より引用抜粋) |
ここから分かることは、日本の村落共同体の「夜這い」慣行においては、娘は若者の夜這いを拒むという選択はなかったようである。
今とはプライバシーや個人の権利の感覚が違う為、今の感覚で語ることは出来ないが、そうした習慣を当然のごとく受け入れていて疑問にも感じていなかったと考えられる。
然し、結婚は、お互いに相性が合い、好きな相手と行っていたので、自由恋愛の側面があったのである。
従って、非常に興味深いことであるが、親の意向の下で、見たこともない相手に嫁ぐという結婚は、比較的最近の歴史の浅い習慣であったということである。
因みに赤松啓介は、1909年生まれ(明治42年)で、明治時代は、45年まで続くため、明治時代の終わりに生まれ、大正-昭和の移行期を生きた人である。
「夜這い」が行われていた時代から、「夜這い」慣行が禁止され、廃れていった時代を生きてきた人である。
赤松啓介は、自分が実際に実体験として、「夜這い」を経験したことを雄弁に物語る語り部であり、自分で経験しているだけに説得力があると上野千鶴子は言うが、一方で、そこに赤松啓介の思い込みや偏見がなかったとは言えないとして、赤松啓介の豊富な「夜這い」経験を一般化できるかどうかに疑問も呈している。
つまり、「夜這い」という慣習は、日本全国の村落共同体で、一般的に行なわれていた慣習なのか、あるいは、赤松啓介の経験が特殊な経験であって、「夜這い」慣行は、極めて限られた一部の地域での特殊な慣習だったのかといった点で、疑問が残るのである。
実際、赤松啓介のチャートを作成してみて、その疑問がはっきりしたが、赤松啓介のチャートはかなり特殊なチャートであったということである。
このチャートであれば、現代社会であっても「夜這い」に近い体験をしかねないチャートなのである。
出生時間が分からない為、12:00で作成すると、月は蟹座のアーシュレーシャに在住している。
アーシュレーシャは世間の道徳や価値観などを容易に踏み越える性質があり、マニアックに熱中する癖があり、特に性愛に関することになると、不倫、三角関係など何でもありである。
おそらく赤松啓介は、その「夜這い」経験の豊富さからも分かるが、月のナクシャトラは、アーシュレーシャである。
アーシュレーシャと言えば、お笑い芸人・アンジャッシュの渡部建もラグナを検証した所、おそらくラグナがアーシュレーシャである。
渡部健は、グルメで有名であるが、六本木の森ビルの多目的トイレでの不倫事件で、謹慎中で、中々テレビに復帰できない。
アーシュレーシャがどういう性質を持っているか、この渡部健の事例からも推測できる。
そして、月ラグナから見ると、金星と太陽が8室水瓶座に在住し、9室支配の木星と相互アスペクトしている。
非常に8室が強い状態になっていることが分かる。
8室に金星が在住する場合、それは不倫の配置であり、女性の世話を受けたり、女性との性的な経験をする配置である。
8室はカーラプルシャでは、性器を表わす為、そこに金星が在住するなどして強調されている場合は、性的欲望が強く、また性的な経験に恵まれることになる。
金星は女性の表示体であるが、この場合、8室に在住していることは女性の方が、支配的で、格上であり、自分よりも優位な立場であり、経済的にも強いことを表わしている。
赤松啓介が、「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」の中に記している豊富な「夜這い」経験は、ほとんどが、丁稚時代に小間物屋とか佃煮屋とか魚屋とか乾物屋とか、場末の廉売市場の小規模商店で、店を転々として丁稚奉公をした時の経験で、その店の主人が遠出している隙に経済力のある商店の夫人から呼ばれたり、頼まれたりして、夫人の相手をしたりして、小遣いを貰うといった経験である。
金星が月から見て8室に在住し、太陽とコンジャンクトし、木星がアスペクトするなどして、8室が強い配置は、そうした愛人経験を表わす配置であり、自分よりも経済力があり、権力(太陽)がある女性からモテる配置である。
水瓶座は、コミュニティーや共同体、幅広い交流を表わす配置であり、8室が水瓶座であったことは、ある種、フリーセックス的な女性たちとの交友関係を表す配置である。
従って、そうしたことから考えると、赤松啓介の「夜這い」経験は彼自身のかなり特殊なカルマ的傾向を表わしており、豊富な「夜這い」経験はこの配置がもたらしたものである。
そして、赤松啓介が、もし「夜這い」の慣習のない現代に生まれていたとしても、似たような経験をしたであろうことは直ぐに分かる。
この水瓶座に金星と太陽が在住し、木星がアスペクトして水瓶座が強い配置は、彼が戦前に非合法であった日本共産党に入党し、治安維持法で検挙され逮捕収監された経験を持ったことも表わしている。
水瓶座は共産主義の星座であり、8室に在住する太陽は政府からの支配を表わしており、治安維持法で当局から目を付けられて、逮捕監禁されたことを物語っている。
本には、以下のように記されている。
『(略)しかし結婚したのは四十近くなってからで、若い盛りには特高の刑事が「お前、何人、女こしらえとったんじゃ」とあきれたくらいで、さすがに勘定しきれなかったらしい。おとに聞こえた特高の調査網をもってしても、その全容がつかめなかったのだから、まあ相当のものであったのだろう。(略)』 (赤松啓介著「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」より引用抜粋) |
従って、赤松啓介の経験談は、あまり一般化できないものである。
大正から昭和初期にかけて、高度成長期前まで「夜這い」の慣習はあったが、もう少し控えめな経験であったり、人によってその程度は、様々であったと思われる。
赤松啓介は、「夜這い」慣行がまだ残っている前近代社会において、そのシステムを極端に最大限利用した人間ということになる。
然し、日本の村落共同体において、昼間は厳しい農作業をこなし、全く娯楽などもない生活の中で、若衆が、夜中に娘のいる家を訪れるというのは、結婚適齢期の男女の出会いを促す村の文化や慣習と考えれば納得できる。
例えば、先日、『イラン保守大国の内部事情 -女性の死に対する抗議運動がイラン全土に広がる-』の中でも書いたが、例えば、アメリカの高校生活の最後にプロムというダンスパーティが行われるが、男子が女子をダンスに誘って、参加するという習わしになっている。
そうした慣習と似たシステムである。
以前の記事に以下のように書いたので、そこから引用してみたい。
(略) 然し、2017年9月11日のCOURRIERで、イランの若者の間で、乱交パーティーなどが流行っているといった記事が紹介されていた。(参考資料参照) 厳格な保守の国イランでは、当局の目をかいくぐって、若者が文化的な面で、過激に反抗していたようである。 イランの建国図を見ると、このことはよく現れている。 イランは、木星、太陽、水星、火星などが、蟹座と魚座の水の星座に惑星集中している為、封建的な厳格な保守の国なのだが、金星が水瓶座の8室に在住し、そこにラーフ/ケートゥ軸も絡み、ディスポジターの土星が獅子座から水瓶座8室にアスペクトバックしているのである。 この水瓶座は、革新勢力を表わしており、リベラルで自由を求める若者文化を表わしていることは明らかである。 然し、この水瓶座は蟹座から見ると8室で、魚座から見ると12室であり、イラン当局から見ると損失であり、悩みの種である。 因みに水瓶座は、アメリカや西側諸国の何かとパーティーを行い、人が集って自由に交流する文化を表わしている。 乱交パーティーまで行かなくても何かとパーティーを行って、若者が交流するのがアメリカの文化である。 例えば、アメリカの高校生活の最後にプロムというダンスパーティが行われるが、男子が女子をダンスに誘って、参加するという習わしになっている。 西欧の宮廷文化などでもサロンに集う貴族が、仮面舞踏会を催したり、水瓶座的な集いが行われている。 モーツアルトがこうした舞踏会に呼ばれて、演奏するなどしたのであるが、こうした集いによる横の連帯がやがて、フランス革命などに繋がっていく。 こうした真面目な文化から不道徳な文化までが、水瓶座的なニュアンスがある。 (『イラン保守大国の内部事情 -女性の死に対する抗議運動がイラン全土に広がる-』より引用抜粋) |
やはり、イランの建国図も水瓶座8室に金星が在住しているチャートであり、イランの若者の間で、乱交パーティーなどが流行っているというのは、こうした配置から来たものだと思われる。
つまり、赤松啓介は、水瓶座-天秤座-双子座などの風の星座群がもたらしたリベラルで、性的な意味でも自由奔放なフリーセックスの文化を経験したということになる。
アメリカやヨーロッパの社交界の場で、男女が相手を次々に入れ替えながらダンスを行なうものがある。
そうしたダンスは上手い仕組みになっていて、色んな人と関われるようになっている。
日本のお見合いパーティーなどでも男女が話をして、10分で相手を交代して、全ての人と話をするといった仕組みを導入していたりする。
システマティックに男女を幅広く交流させる上手い仕組みになっているが、そうしたシステムは水瓶座がもたらすものである。
「夜這い」慣習もそうした村落共同体が生み出したシステムであったと考えられる。
村落共同体で、農民たちが一揆を起こして、連判状などを代官に突き出す場合に誰が首謀者か分からないように名前が円形に並べられて記されている図を見ると非常に感銘を受ける。
村落共同体というのは、水瓶座的なネットワークであったのであり、村の掟とか慣習と言った形で、ルールによって、形態の力で、参加者を厳格に従わせる力があったのである。
また秘密結社のネットワークというのもそうした水瓶座的なつながりであり、ルールや掟、形態の力によって、参加者を秩序づけるシステムである。
それはフリーメーソンなどもそうであり、西欧のサロン文化というのが、秘密結社のネットワークを育てたというのはよく分かる。
村落共同体や秘密結社や水瓶座のことを考える場合、スタンリー・キューブリック監督の遺作『アイズ ワイド シャット』(Eyes Wide Shut)を思い浮かべる。
あの作品の中に秘密結社がルールや掟によって参加者を縛るあり方が描かれている。
おそらく村落共同体における掟やルールといったものもこれに近いものがあると考えられる。
日本では明治時代に欧米からキリスト教に基づく、結婚観や性道徳などが輸入されたということである。
イギリスのヴィクトリア朝式の性規範は非常に厳しいもので、当時、イギリスでヒステリー症状に悩まされる女性が多かったが、フロイトが明らかにした所によれば、性的なタブーや抑圧が強いため、それが意識できずに身体症状として現れてしまったということである。
キリスト教的な理想を掲げて、常に欲求を抑圧する為に性倒錯など、様々な病的な症状が現れたのである。
こうしたキリスト教に基づく、近代の結婚観というものは、比較的歴史的には浅いものであったというのは大変な驚きである。
結論として、「夜這い」文化はあったが、チャートを検討すると、赤松啓介の経験はかなり極端なものであったと言うことができる。
現代でも性的な経験や回数などはかなり千差万別で、人によって個人差がある。
それと同じように「夜這い」慣習があったからといって、全ての若者が、赤松啓介のように振る舞っていたと考えるのは間違いである。
然し、「夜這い」慣習は、米国のプロムや西欧のサロン文化や仮面踊踏会など、パーティー好きな西欧社会の様々な慣習と同じように男女が出会う仕組みとして機能したことは間違いないのである。
異端の民俗学者・赤松啓介の「夜這い」の体験談が、彼に特殊な偏ったものなのかどうかというのは、上野千鶴子が疑問を呈していたように日本民俗学における謎であったが、彼のチャートを確認することで、その謎が解けたのではないかと考えている。
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