小野家の墓、三池炭鉱跡を訪れる ― 日本近代化の歴史を想う -

五島で私が釣った魚は、後で調べるとどうやらオオモンハタという魚であったようである。


まだら模様の根魚で、水揚量は余り多くないが、美味なので高級魚とされているらしかった。


そんなことで青物ではなかったが人生で初めての大物を釣り上げた私は、思い描いていた結果を得ることができ、至極満悦だった。


帰るまでの残りの日々は観光に当てることにし、まず、フェリーで長崎に渡ると、直ぐに列車で、福岡県大牟田市に向かった。






以前、鑑定に来てくれた方が世界遺産のある福岡県牟田市を観光案内するので来ませんかとの誘いを受けていたからである。



夕方、新大牟田駅の駅前のホテルにチェックインしたが、世界遺産以外は全く何もないような所で、駅前に開いている店は1件しかなかった。


街灯などもなく、夜は真っ暗である。


新幹線が止まる駅にしては、あまりにも寂しいので、不思議に思っていると、日本で2番目に使われていない新幹線の駅であるらしかった。


チェックインしたホテルの管理人の方が、そのように説明してくれた。


町おこしに参加している方で、街が発展する為に色々な努力をしているそうである。


街の公共施設、例えば、トイレなどをデザインし、実際の施工時にタイルなどを貼ることまでしたそうである。


駅前に三井三池炭鉱の経営を成功させ、三井財閥の総帥となった團琢磨の像があるが、その銅像も、うちの社長の寄付で建てたのだと自慢気に話してくれた。





そうしたことで、翌朝、出発時にそのホテルの管理人の方の勧めに従って、近くにある小野家の墓を見に行った。





小野家とは、ジョン・レノンと結婚したオノヨーコの家系である。



柳河藩の家老である小野春信が、1721年11月に採炭を開始したのが、三池炭鉱の始まりである。



その三池炭鉱が日本の近代化、経済発展に貢献して、今では、世界遺産になっている。



実際、その世界遺産を訪れてみると、運良く、その炭鉱の名物ガイドの方がいらっしゃったので、その方に炭鉱の歴史を説明してもらった。



大牟田市が、炭鉱訪問者に市の予算で、無料で付けてくれるガイドである。 



炭鉱労働者は、エレベーターのようなものに乗って地下160メートルまで下りて、通気口の穴がない40°ぐらいの熱さの中で、12時間、石炭を掘り続けなければならないのだという。



日本が富国強兵の為に国策として、刑務所の囚人にこうした炭鉱作業をさせていたらしく、8000人といった多くの労働者を集めたが、多くの方が過酷な労働で命を落としたそうである。



今現在、アメリカが刑務所の囚人を労働力として使って、企業が儲けていることが問題となっているが、西洋諸国に追いつこうとして懸命だった日本にもこのような時代があったということが分かる。


戦前の昭和初期の日本などは、今のアメリカのように市場原理主義的で、企業が貪欲に過酷な労働を強いて労働者が使い捨てにされる時代があったとリチャード・ヴェルナーが書いていたが、炭鉱跡とは、そうした状況を推測させる歴史の遺物である。




宮原炭鉱跡


※当時、炭鉱労働者が使用した暖炉



万田坑跡


三池港



この日のダシャーは、金星/土星/土星/金星/土星で、土星、木星、太陽、水星、ケートゥ、月、(冥王星)などが、9室射手座をトランジットしていた。



アンタルダシャー、プラティアンタルダシャー、スークシュマダシャーの土星が9室をトランジットしている。



小野家の墓、そして、小野家が始めた炭鉱を訪れる旅は、巡礼の旅(9室)であった。



私はオノヨーコのチャートを教材の中で解説しているので縁があると言えるかもしれない。



以前、鑑定に来てくれた方や、ホテルの管理人、偶然、運よく案内してもらえた名物ガイドのおかげで、この巡礼の旅を終えることができた。



三池炭鉱で、日本の近代化の歴史を振り返った私は、最後の目的地、別府に向かった。




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