フレデリック・テイラーの科学的管理法

以前、堀江貴文が「寿司職人が何年も修行するのはバカ」とツイッターでつぶやいて炎上したそうだ。


ホリエモン「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言 数か月で独り立ちの寿司はうまいか?
2015/11/ 2 18:47 JCASTニュース

寿司職人として一人前になるためには「飯炊き3年、握り8年」の修行が必要、などという話があるが、ホリエモンこと堀江貴文さん(43)がツイッターで、問題なのは職人としてのセンスであり「何年も修行するのはバカだ」と切り捨てた。

寿司職人になるためには修行をするのはナンセンスで、料理学校に数か月間通えばなれるものだし、自己流でやっている人もいる、というのだが本当だろうか。

「飯炊き3年、握り8年」の伝統

ホリエモンは2015年10月29日にツイッターで、寿司職人に関してバカなことを書いているブログがあると指摘し、

「今時、イケてる寿司屋はそんな悠長な修行しねーよ。センスの方が大事」

とつぶやいた。フォロアーからご飯を炊く時の水分調節やシャリを握るのはそう簡単に会得できるものではない、と意見されると、

「そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿って事だよボケ」

と返した。長い期間の修行や苦労によって手に入れたものは価値がある、というのは偏見であり、寿司職人の修行というのは若手を安月給でこき使うための戯言に過ぎないというのだ。

ホリエモンは2014年12月26 日にYouTubeで配信している「ホリエモンチャンネル」で寿司職人について語っている。コロンビアに寿司店を出したいという男性からの相談に答え、その中で寿司職人になるには10年くらいかかると言われてきたけれど、半年くらいで

プロを育成する専門学校も出来ている。長い期間修業が必要なのは「1年間ずっと皿洗いしていろ」などと寿司作りを教えないから。今は独学で寿司を出したり、短期養成の専門学校に行って寿司職人になる人が増えている、問題は寿司を作る人のセンスだ、などと語

った。

これに対して、「求人@飲食店.COM」の2015年4月10日付けの記事は、

「寿司は日本の伝統食であり、美食の象徴でもあります。やはり一流を目指すとなると、現在第一線で活躍する巨匠たちの辿ってきた道、つまり『飯炊き3年、握り8年』を実践するのが一番確かな道です」
と反論した。

今回のホリエモンのツイッターは、この記事に対する再反論というわけだ。

寿司を握るのは花形、問題はセンス

こうしたやり取りにネットではこんな様々な意見が出た。

「ホリエモンのほうが正論。目で見て盗めとか日本の精神文化はおかしすぎる」
「職人バカにしてるのかこいつ」
「飯炊き3年握り8年とはそれだけ場数を踏まないといけない事を表した表現であり、それだけやったからOKってわけでもない。どんな仕事でも、教わってできることと場数を踏むことで得るものがあるんです」

大阪が本社の「3ヶ月で江戸前寿司の職人になる」と看板を掲げた専門学校に話を聞くと、

「授業は厳しいですが、3か月で海外に店舗を出した生徒さんもいるなど、短期間で寿司作りから経営まで学ぶことはできます」

と説明した。では10年以上も修行する人と、3か月で店を出せる人の違いは何なのか。質問してみるとこんな答えが返ってきた。

「寿司は古い体質があり、寿司を握ることができるのは花形なんです。新人は追い回しから始まり寿司を握ることはずっと先の話になりかなりの時間を要するわけです。そのため当校ではプロの寿司職人を講師に招き、始めから実践を積み重ねます」

ダシの取り方、魚のおろし方、魚の目利きの仕方などのコツを集中して抑えて行くのだそうだ。とはいっても受講した全員が3か月で一人前の寿司職人になれるかというと、そうではないらしい。

「和食を長くやっている職人でも寿司は苦手だという人もいます。問題となるのはセンスがあるかどうかで、センスがあれば一気に高みに登って行きます」

そう担当者は話していた。

日本の伝統的な精神論によれば、職人の世界では弟子入りした者は長い修行や下積みの時間を経て初めて、一人前の職人になれるという決まり文句がある。


職人の世界で長い修行を経験した人は、その理論を信奉して、それを後に続く人にも伝える。


然し、果たして本当にそんなに長い修行は必要なのだろうか、見習いは、長い年月を見習いのまま搾取されて、時間を奪われるだけなのではないか、それが真実ではないかという議論である。


この手の議論はずっと繰り広げられてきたものであって、かなり歴史が古い。



この議論は、封建社会から近代合理主義社会への移行を象徴する議論である。



この封建社会から近代合理主義社会への移行を資本主義の発展の中で示した事件が19世紀から20世紀のアメリカで起こっている。



アメリカの技師、エンジニアで、経営学者でもあったフレデリック・テイラーが科学的管理法を発案し、生産現場に近代化をもたらしたのである。







テイラーは、労働者の作業や道具の標準化を図り、仕事を細分化し、それに擁する時間を計測したのである。



それによって合理的で効率的な生産現場の革命をもたらした。



現在、様々な企業で進められている合理化・効率化の元祖といってもいいかもしれない。



テイラーは、現在、「科学的管理法の父」と呼ばれるに至っている。







テイラーが出てくるまでは仕事は熟練工によって支えられていて、徒弟制度のように師から弟子、親方から徒弟へとその技を継承するといったやり方で属人的に仕事は教えられた。



然し、テイラーが「科学的管理法」を実施してからは、仕事は細分化され、分業体制の道が開かれ、大量生産が可能になるのである。



まさに大量生産、大量消費の時代の幕開けである。



大規模工場の生産ラインというのは、このテイラーの手法によって編み出されたといっていいかもしれない。



この過程で多くの熟練工は仕事を失い、単に1つの生産工程の一部でしかない単純作業を遂行する未経験の単純労働者にとって代えられたのである。



仕事を教えるやり方なども親方から徒弟へ口頭で教える代わりにマニュアル化された教材で、一度に大勢の新人に細分化され定型化された作業を教えることが可能になった。



作業は非常に細かく分析され、どんな作業によって構成されているかを徹底的に調べられ、マニュアル化されたのである。



そうしたことで教育の在り方も変わったのである。



テイラーの科学的管理法は、単に工場の運営に留まらず、あらゆる分野のマネジメント全般にもたらされたのである。



例えば、インドの伝統社会では師から弟子へと技や知識を継承していくパランパラの伝統があるが、そうした個人的な方法ではない、大規模で大衆向けの効率的な教育法が生み出されたのである。



テイラーの科学的管理法が明らかにしたのは、職人による複雑で高度な作業も細分化してみれば、それは複数の単純な作業の組合せに過ぎないという真実である。



つまり、単純な作業の組合せであるということは、ロボットにも代わりが出来るということであり、オートメーション化の道を開いたのである。



テイラーの科学的管理法によって、安い未熟練労働者で、大量の商品を生産できるようになったため、資本家の利益は増大し、資本主義全盛時代となった。



当時、テイラーの科学的管理法によって仕事を奪われるかもしれない労働者たちは、労働組合を上げて、これに反対したそうである。



何故なら、熟練工は自分たちの特権を失い、単純労働者に落ちぶれてしまうからである。




このテイラーの科学的管理法は、例えば、ナイキの搾取工場などでも応用されているのである。



労働者の作業が分秒単位で決められており、休み時間も完全に管理され、1日どれだけの商品が生み出せるかを完全に管理され、刑務所のように高い塀と鉄条網で囲まれた工場で、人間の労働力を余すところなく搾り取るシステムである。



従って、科学的管理法は、現在の悪名高い市場原理主義経済に通じる道を開いたとも言えるかもしれない。





然し、今思えば、結局、このテイラーの科学的管理法こそが、労働者を労働から解放する黄金時代を人類にもたらすものであったのである。



例えば、現在、仕事は全て人工知能による機械労働に置き換えられつつあるが、それは元々はテイラーの科学的管理法のおかげである。



結局、未熟練労働者で出来る単純作業というものは、ロボットによる機械化、自動化が可能だからである。



まもなくあと10年、20年もすれば汎用人工知能が開発されて、人間が日常生活で必要とする全ての消費財は、ロボットが作るようになると言われている。



つまり、テイラーは労働者から仕事を奪ったというよりも、最終的に労働者を労働から解放するのである。



その途中段階で、資本主義の発展の段階があり、大量に物を生産する時代となり、初めて、全ての人類に行き渡るに十分なだけの物を作り出せるようになった。




現在、富の配分には偏りがあるが、全ての人類に行きわたるだけの物資は存在していると言われており、後は分配の問題だけである。




然し、多くの労働者は、このテイラーが行った仕事を誤解したのである。



短期的には労働者の仕事を奪い、労働者を単純労働に追いやって不利益をもたらすからである。





冒頭で取り上げた「飯炊き3年、握り8年」の伝統が必要だとする寿司職人と、それを批判する堀江貴文のやり取りは、歴史的には、熟練労働者と科学的管理法を導入しようとするテイラーとの対立の中に現れている。


それが日本的な身近な例で繰り返されているに過ぎない。




確かにこのテイラーの科学的管理法は、強欲な資本家に莫大な利益をもたらした。



だから当時の人々にとっては、テイラーが悪の権現のように思われたかもしれない。



合理化、効率化という思想は、このように古い時代の利益の代弁者たちからは誤解を受けやすいのである。



テイラーのチャートを見ると、水瓶座に惑星集中で、土星と水星が水瓶座と双子座で星座交換している。



つまり、水瓶座-双子座-天秤座の風のトライアングルで表される近代合理主義の教科書のような人物である。





この理解を宗教的な分野にまで拡大すると、イルミナティーやフリーメーソンが、アメリカのキリスト教原理主義者やリバータリアンといった右寄りの人々から誤解を受けやすいことに通じている。




米国人のかなりの人々がイルミナティー、フリーメーソン、ユダヤ人による陰謀理論を信じている。




確かにエスタブリッシュメントは利益に貪欲で常に支配力を強化しようとしている。




然し、フレデリックテイラーの「科学的管理法」に見られるように”光”というものは最終的に人類を開放するのである。




西洋近代合理主義がもたらす理性の光は、途中の過程で、貪欲な利益追求に使われたかもしれないが、その理性の光の究極の顕現においては、全ての問題を解決する力を持っていると言える。




それが、最近、注目されているシンギュラリティー(技術的特異点)という議論である。




汎用人工知能とロボットが人類に必要なあらゆる日用品を生産し、人間は労働から解放され余暇をどう生きるかが問題となる。




仕事が合理化によってどんどん失われていけば、給料を稼げない人々にベーシックインカムなどを支給することが最も安上がりな合理的な社会政策となるのである。




それはまさに桃源郷といった世界である。






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