月別アーカイブ: 2008年6月

水星にとって何故、太陽は友好惑星なのか

政治学者の副島隆彦氏によれば、歴史的にユダヤ人は徴税請負人として、国王権力に対して、融資をする見返りに借金証書(国債)を発行してもらい、その証書を回収するために課税するように国王から念書を取ったそうである。
そして、様々な新しい税目を考え出して国王に持ちかけ、それらの新しい税金を国王に代わって国民から徴収する権限を国王への融資の担保として得たのだという。

あの初代ロスチャイルドもヴィルヘルム9世に取り入って戦争資金を調達したことをきっかけに頭角を表し、各国の王朝に資金を融資し国家の財政を預かることによって、今では国際的金融勢力として台頭したのである。

特に王室のハウスである獅子座からみて水星は2、11室を支配しており、王室にとっては財政面で強力に王室を支援する表示体である。

だからこそ、ヨーロッパの王室とその財政を預かった宮廷ユダヤ人というのは、まさに太陽と水星の表示体である。

また、時を20世紀、21世紀の現代社会に移してみると、現在、ロスチャイルドとか、ロックフェラーとか、モルガンなどような、民間の金融資本が、連邦準備銀行とか、各国の中央銀行の株主となり、政府に借款をさせて巨額の財政赤字を生み出して、国民から贈税によって、取り立てるというビジネスモデルが出来上がっている。

まさに政府とか国家権力に取り入ることによって、国民の税金を取り立て、また政府の通貨発行権を握ることによって、通貨発行量(マネーサプライ)と、公定歩合(中央銀行が貸し出す場合の金利)を操作して、国民経済を完全にコントロールしている。

この彼らが成し遂げた現在社会の奇跡は、まさに国王との癒着、国家権力との癒着によって成し遂げたのである。

これは彼らの目から見たら、大変な奇跡であり、躍進であり、大成功と言えるかもしれない。

面白いことに太陽から見ると、水星は中立惑星でしかないが、水星からみると、太陽は友好惑星である。これは興味深いのであって、本来、寒色系の惑星である水星が、暖色系である太陽が支配する獅子座において友好星位になるのは例外的なのである。

水星にとって太陽は自分の能力を発揮するための欠かせない要素なのだと理解できる。太陽と水星の関係では水星の方が得をする関係である。

そして面白いことに乙女座から見ると、獅子座は12室を支配するのであり、これは何を意味するかというと、宮廷ユダヤ人が調達した資金を湯水のように使って(12室)しまうのが、王室(王様)であり、国家権力である。

これは現在の日本やアメリカの政府が国債の発行に依存し、巨額の財政赤字に陥っていることを見れば分かる。宮廷ユダヤ人、すなわち現在の中央銀行にとっては歓迎すべき事柄であり、それらの国債は金利がついて戻ってくるからである。

乙女座から12室目に獅子座が在住しているということは獅子座が友好星座となる根拠ともなるものである。

アリスベイリーの著作の中には、ユダヤ民族を表しているのは、乙女座と山羊座であると書かれており、これは私たちの経験と一致しており、大変興味深い。

このように、水星とは、金融(ファイナンシャル)とか、簡単に言えば、お金の表示体である。そして、また水星はユダヤ人の表示体でもある。

ラオ先生が何故、人々を無料で鑑定し、またお金を毛嫌いしているかを考えると、やはり、お金の表示体である水星が12室に在住して、ケートゥと接合していること以外考えられないのである。

ラオ先生にお金を渡しても基本的にお金を見ようとしないとは、以前から聞いていたが、私が5月にラオ先生のところを訪問した時に、ラオ先生に日頃のお礼と、研究費として、お金を包んだ封筒を渡したのだが、ラオ先生は封筒を見ないで、さっさと枕の下に隠してしまった。

枕の下とはまさに12室である。ラオ先生の場合、奉仕を表す9室支配の水星が12室に在住しているため、お金は基本的に人々に奉仕するために寄付したり献金してしまうのだろうと思われる。

ラオ先生は自著の中で、教師がお金をかき集めるのは、それを使って、世の中に施すためであると述べている。ラオ先生の考え方も基本的に同じであり、ジョーティッシュをサーダナ(修行)として行なうのと同様にお金もサーダナ(修行)として、奉仕に用いるのである。

この水星と太陽の結びつきの例は、宮廷ユダヤ人の例ばかりでなく、秦の始皇帝の側に仕えた宦官などの例にも見られる。

司馬 遼太郎の『項羽と劉邦』などに描かれている宦官は皇帝と臣下の間に立つことによって、次第に実権を握っていく様が描かれているが、まさにあの宦官たちは皇帝に入れ知恵したり、皇帝の身辺で権謀術数を用いたりして、国家権力に取り入ることで自らの出世進退が適った人々である。

彼らは去勢された存在で中性なのであって、まさに水星の表示体なのである。

そして、水星がユダヤ人の表示体であるとすると、何故、ユダヤ人が、ヒトラーの台頭によって、歴史的に悲惨な経験をしたのかが理解できるのである。

ヒトラーの牡羊座には火星、金星、太陽、水星が在住しているが、牡羊座から見ると、水星は3、6室支配である。

6室の支配星は、奴隷、敵、ペットである。
彼にとってユダヤ人は奴隷であり、敵であり、ペットであったと言える。

ヒトラーのチャートにおいて、水星はユダヤ人の表示体である。

牡羊座に在住する3、6室支配の水星は牡羊座で火星と接合し、土星からアスペクトされて傷ついている。この水星に対する土星と火星の絡みがヒトラーのユダヤ人迫害を表している。

しかし、興味深いことに、ヒトラーの母親の病気を治療した医師がユダヤ人であり、後にユダヤ人迫害が開始された後もこの医師は手厚く保護されて外国に解放されたりしたようである。
また、第一次大戦の時にヒトラーを鉄十字叙勲のために推薦した上官はユダヤ人であったり、ヒトラーに恩恵を与えたユダヤ人が彼の生涯の中には何人かいたようである。(ウィキペディアより)

ヒトラーは天秤座ラグナのため、水星は9室の支配星である。従って、彼に恩恵を与えたユダヤ人もいたと理解できる。

ヒトラーの7室に在住するラグナロードで逆行する金星は、ヒトラーの愛人であるエヴァブラウンを表していると思われるが、彼女は自殺未遂をしたり、また最後にはヒトラーと一緒にピストル自殺をしている所を考えると、まさに火星と接合して、土星からアスペクトされる金星が表していると理解出来る。

金星はヒトラーのラグナロードでもあるため、彼はエヴァブラウンと一緒にピストル自殺をしたのである。

因みに、水星の話から脱線してしまうが、

7室に在住する太陽は、彼の側近である部下たちを表している。彼の側近である部下たちは皆、ヒトラーのビジョンの実行部隊であり、強力な司令官たちであった。

天秤座ラグナから見て11室支配の太陽が7室で高揚しているが、

これは彼が20世紀の命運を握る、各国の首脳たち、例えば、チャーチル、スターリン、ルーズベルトらと、国際政治と外交の舞台で会談を交えたことを表している。

また牡羊座から見ると、5室支配の太陽が1室で高揚しているが、これは、彼の側近であるルドルフ・ヘスとか、ハインリッヒヒムラーとか、ゲーリングとか、ヒトラーのビジョンを強力に実施する実行部隊を表している。

水星にとって何故、太陽は友好星座なのかというテーマから若干、それてしまったが、やはり、ヒトラーの7室に在住する水星はユダヤ人を表していると理解できる。

キリスト教が金利を取ることを禁止している時代から、高利貸しを生業とし、やがて、各国政府の財政を預かって、国際金融資本家にまで成長し、米国の映画界やメディア業界を上から統制する金融ユダヤ人は、まさに水星の表示体である。

通貨や債権や株式などの取引がもたらす、実体経済がその3%にしか満たない数字上の経済、マネーゲームは、彼らの遊技場である。

因みにキリスト教は魚座の時代の宗教であり、魚座で水星が減衰するために、水星の表示体であるお金とか、金利の話に弱いはずである。そもそもイエスは貧しい人々に税金を払わないように勧めたのであり、また神聖なエルサレム宮殿内で商売をするユダヤ人に怒り狂って屋台を壊して追い払ったことが新約聖書に書かれている。















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6-8の関係の重要性

先日、再び、夫婦の鑑定をしたのであるが、

夫の方が、ラグナロードの木星が8室で高揚し、妻の方がラグナで木星が高揚しているのである。

ラグナロードとラグナが絡む濃密な関係である。

そして、私は最近、注目している6室と8室の関係についての知識、特に8室理論をもとに、彼女に対して、夫は尻に引かれてますか(尻に引いてますか)と聞いたところ、やはりそうだとのことであった。

ラグナの位置関係が6-8の関係であり、彼女からみて、夫は6室目である。そして夫のラグナロードがパートナーのラグナである8室に在住しているのである。

夫は彼女の言いなり状態であり、自分では何も決められず、彼女の決定に従うのだという。何でも彼女が発案し、夫は彼女にまかせきりで、彼女に従属している感じだという。

それで、8室理論が今回も見事に作用していることが検証できたのである。

然し、お金は夫がもたらしてくれるようであり、ラグナロードの木星が8室で高揚している場合、パートナーのお金で潤うだけではなく、パートナーにお金を与えるというようにも理解する必要があるのかもしれない。

6室が強調されている人は、結婚して、離婚してなど、何度か繰り返して、その時、その時で、関係が完結して、清算されて、きっぱり終結しているのに対して、8室が強調されている人は、はっきりとした結婚とか、離婚とかいうかたちを取らないで、相手に拘束された状態で、継続していくようである。

それはよく理解できるのだが、経営者は社員がやめてもどんどん次の社員を補充していくから回転が速いのである。だから、6室が強調されている人は、社員がやめていなくなってしまい、そうしたらまた次の人を雇うというように従業員との関係は、その時、その時で、終了させていくのである。

然し、8室が強調されている人は、経営者にかなり長い間、従属し、拘束されて行くのである。一度、入社した会社にしがみついて行くのは現代社会においても普通のことである。

それで一度、辞めても出戻りといって、一度辞めた職場に戻っていくケースがあったり、雇用条件に悩んだりしながらも従業員としての立場はかなり長期的に継続していくのである。

このように立場を変えてみると、6室の象意を沢山経験するのは、支配者であり、強い人であり、次から次へと支配する相手を変えていく人である。これは経営者に例えられ、また男性にも例えられる。

一方、8室の象意を経験しやすいのは従業員であり、女性であり、雇用主やパートナーとの関係を中々解消できないで、関係が悪化しても、悩みながらでも継続していくケースが目立つのである。

これは例えば、女性が男性と離婚して慰謝料をもらうことにも表れている。
ひどいのになると、彼女がその後も生活していけるように毎月、いくら支払うとかいう契約もあったりする。

あるいは、男性に会社を退職させて、退職金で慰謝料を払わせるとかいうパターンもあるそうである。慰謝料が一度に払えないので、月賦で払うというケースも多いようである。

これは大澄賢也はまだ小柳ルミコに慰謝料を月賦で払っているのだろうか、という問題ともつながってくるのである。

8室が強い人の場合、関係が色々悪化したり、解消しても継続していくのである。

男性は慰謝料を払う側であり、なるべく離婚が成立したら、きっぱりと妻とは縁を切りたいのであるが、女性の方は離婚後も、子供の養育費だとか、色々な名目で、慰謝料や手当てをもらうような関係を継続させようとするのである。これは8室が強調されている人の関係の仕方であり、関係がおかしくなっても関係は継続していくのである。

以前、同じ職場に蠍座ラグナで、6室に太陽や金星などの惑星が集中している同僚(男性)がいたのだが、彼は妻にマンションを追い出されて、その後、離婚しマンションも慰謝料として取られてしまったようなのである。

なんとも悲惨な話である。

そして、彼はその後、ルームシェアをして生活していたのであるが、そんな悲惨な体験をしているにも関わらず、彼は飄々として、たいしてこたえていないようであった。

そこで今思えば、つまり彼は強いということではないかと思うのである。そんな状況下にありながらも飄々と何とかやり繰りしてしのいでしまうのである。6室が強い人は、借金を背負っていても何とかやり繰りしてしまうようである。

想像されることは彼女の方は8室が強調されていたということであり、
慰謝料でマンションを手に入れたというのは8室の象意しか考えられないのである。

やはり、ここでも6室と8室の理論が成立する。6-8の関係とは対であり、一方が6室目であれば、他方は8室目なのである。

支配するものと、支配されるものが両方いて始めて、成立するのである。

ジョーティッシュの理論の中で、もっとも重要なのが、この6-8の関係論ではないかと思うのである。これは、20世紀の現代の資本主義社会が作り出している人間関係の本質なのである。

パートナー関係でも親子関係でも、あらゆるレベルの関係において、この6-8の関係が問題となるのであり、支配と被支配、資本家と労働者という階級闘争は人類史上最大のテーマである。

この6-8の関係を全世界的に構造的にもたらしているのが、各国の中央銀行のネットワークとそれの株主である民間銀行であり、信用創造によってお金をこの世界に生産している仕組みである。

それは人が銀行から借金(ローン)をした時に銀行は信用創造によって、通帳に金額を記入して、全く無からお金を作り上げるのである。

この世界の経済的仕組みはお金で維持されているが、そのお金の生産は全て、この世界に負債(6室)を作り出したことによって、生み出しているのである。

これはつまり、その対向として8室に該当する人も作り上げるのである。それはお金を生産し、作り出したその諜報人たる国際金融資本家である。

大昔から、支配-被支配関係というのはあったのであるが、ここ100年、200年ぐらいの資本主義が成熟した現代社会においては、国際金融資本家と、そのお金を利用する全人類という支配-被支配構造が出来上がっている。

すなわち、6-8の関係というのはあまりにも巨大なテーマであり、この世界の隅々にまでこのテーマの抱える問題が浸透しているので、この問題と格闘することこそ、私たちの生きる目的そのものである。

私たちは芸術や、学問やスポーツや娯楽など、好きなことをして生きたいのであるが、どうしても生きるためにお金を稼がなければならないのであり、そのためには雇用されて働き、サラリー(給料)をもらわなければならないのである。

これは誰も無視できないテーマであり、他人事ではいられない問題である。

この世の中が何でも好きなことをして生きられる地上天国(ユートピア)のようにならないのは、この地球の資源を独占し、またお金を生産して流通させ管理する人々の手に握られているからである。

現代のお金に関わる仕組みは、6-8の関係を生み出し維持している。

 

戦国時代に活用されたという宿曜の知識も、究極的にはこの6-8の関係論を中心に用いていたと思うのである。

6-8の関係で奥義とも言えるポイントは、敵である6室の相手にはうまく対処して、戦って倒すことが出来るが、支配者であり対応がうまく出来ない8室の相手に対しては私たちは敬遠し近づかないということである。

6室の相手には苦労しながらも何とかうまく対処することが出来るが、
8室の相手は絶対勝てない相手であり、支配されるので近づきたくない相手である。

だからこれらの知識は軍事に応用されたというのも非常によく分かるのである。もし、相手に戦争を仕掛けるなら、6室に凶星とか、月とか太陽がトランジットした時である。

6室の相手を我々は撃破することが出来る。
然し、8室の相手からは我々は戦わないで逃げ出すのである。

だから、自分にとって6室に惑星がトランジットしている時に戦争を仕掛ければ、相手にとっては自分は8室になるため、勝てるのである。相手は絶対に勝てない相手と戦っていることになって撃破されるか逃げ出すのである。

逆に8室に月、太陽など、惑星がトランジットしている時に戦争をすると、うまく対処できない、勝てない相手に苦しめられ、相手に撃破されて散々な目にあうのである。

ムフルタで8室に月がトランジットしている時に、何かを始めてはいけないというのは、そういう意味である。

全くどうにも対処できないトラブルで、その計画や事業は中断されるのである。

もし国境を隣にした戦国大名のラグナの位置が分かれば、もし、自分のラグナから6室目に相手のラグナが位置していれば、相手は攻め込んで来ないのである。8室の相手を敬遠するからである。

もし相手のラグナが自分のラグナから見て8室目にあったら、相手は勝てない相手の為、相手に勝てる別の大名(相手のラグナが6室目になるような人)と同盟を結んで勝てない相手と戦ってもらうのである。

国境線というのは常にいつ攻め込まれるか分からない緊張状態にあるものであるが、もし、ラグナやその時期のマハダシャーの支配星の星座(ダシャーラグナ)が分かれば、それを元に、どこの境界線は突破されやすいか、あの大名とあの大名はどちらが力関係が上か、支配-被支配関係は、どうなっているかなど明確に分かるのである。

客に対して態度が悪い従業員の態度を更生させるには、従業員の雇用主(8室)に文句を言って、従業員に対応してもらえばいいのである。従業員に対しては勝てなかった客も雇用主を通して、文句を言えば、勝てるのである。

あるいは、政治の世界で何らかの圧力をかける時は圧力をかけたい相手の雇用主(8室)に対して、圧力をかければいいのである。

別に宿曜など関係なくとも、知識を使うかどうかは別として、この程度であれば、これらは直観的にも分かることである。

 

宿曜占星術でも、三九の秘法も、もっとも気にされるのがこの6-8の関係ではないかと思われる。

例えば3-9の秘法の理論を検討してみると、

【命・業・胎】の関係とは、5/9の関係である。

宿曜の説明には、

命は自分自身を表し、業は自分の前世のカルマを表し、胎は自分の来世を表すと書いてある。業は5室目であり、5室は前世の徳を表し、それが子供とか弟子との関係として表れるのだろう。だから、子供とか弟子は自分のカルマなのである。

胎は9室を表し、自分の師匠であるから、自分が目指す理想を表していると理解できる。

また、【栄・親】のように、両隣とのナクシャトラと相性がいいというのは経験的に分かる事実である。これは理論というよりも事実である。

ハウスで言えば同じハウスであり、1/1の関係である。

次に【友・衰】の関係があるが、これは、数えてみると4/10、6/8、2/12の関係になるのである。

宿曜では【衰】の関係は、【命】に対して【衰】が弱い立場になることを示しており、ハウスで数えると2、6、10室目が該当しているのである。

1室の【命】は2室から12室目に位置するため、2室目の人の足を引っ張り、出費させるのである。【命】から6室目は6-8の理論で言えば、奴隷、部下、ペットであり、弱い立場である。

また【命】から10室目は、これは調べて始めて分かったことであるが、【命】を1室とすると、【命】からみた10室目の人は【命】の仕事を実行する役目として利用されるのではないかと思うのである。
そして、10室目から4室目の【命】は陣地にいて、10室目の人の労力を利用する立場なのではないかと思うのである。
それで、10室目よりも4室目の方が強いということかもしれない。(この可能性は今後検証していかなければならない)

このように、【命】に対して、【衰】が弱い立場になるというのはハウスの位置関係で理解可能である。

もう一方の【友】は、【命】よりも【友】の人の方が強い立場になるという関係性である。

【命】を1室とすると、【友】はハウスで数えると、4室目、8室目、12室目に該当するのである。

だから、家にいて指令して自分を働かせる人(4室)、自分を支配する人(8室)、自分に出費させる人(12室)という形で【友】の方が【命】に対して、強い立場に立つのである。

【成・危】の関係というのは、1/7、3/11の関係であり、パートナー関係や友人関係やいい意味でのライバル関係を表している。

そして、最後に【安・壊】の関係も、【友・衰】の関係と同じように、4/10、6/8、2/12の関係を表している。

例えば、宿曜理論(三九の秘法)では、【命】は【安】の相手には、自分が優位な立場に立ちます。

【安】は【命】からハウスで数えると、2室、6室、10室目を指している。

【衰】の所で、触れたように2、6、10室目の相手に対してはハウス解釈では自分が強くなるのである。
(但し、10室目に関しては今後の検討が必要)

一方で、【壊】というのは、【命】を破壊する相手を指すのであるが、
【壊】は、【命】からハウスで数えて、4室、8室、12室に該当しているのである。

自分を破壊する恐るべき相手は4室、8室、12室目の相手である。
つまり、ドゥシュタナハウスを表している。

まとめると、

——————————————-
【命・業・胎】 5/9 の関係
【栄・親】   1/1 の関係
【友・衰】   4/10、6/8、2/12 の関係
【成・危】   1/7、3/11 の関係
【安・壊】   4/10、6/8、2/12 の関係
——————————————-

ということで、三九の秘法というのは、ジョーティッシュで言うところのハウスの位置関係での相性論にほとんど収束してしまうのである。

そして、この中で特に【友・衰】と【安・壊】の関係は、人間関係において、どちらが有利になってどちらが不利になるかを決定するものであり、これが宿曜でももっとも重視されたと思うのである。

戦国時代に宿曜で調べられたのは、主に相手にとって自分が4、8、12室のドゥシュタナの位置関係になっているかということである。もしそういう配置になっていれば、相手は自分との関係において、力が弱体するのである。

自分から見て相手が、【衰】及び、【安】になっているか、
相手からみて自分が、【友】及び、【壊】になっているか、

その辺りを戦国大名は気にしたのではないかと思われ、それはまさに、
ジョーティッシュで言うところの4/10、6/8、2/12の位置関係のことを指している。

そしてこの中でも最も重要なのが6/8の関係であり、まさに勝敗の決定要因である。

6/8の関係は宿曜で言う所の、【中距離】に該当する。

次に重要なのが、2/12の関係であり、相手が自分の利得になるか、出費をもたらすかという意味で、重要な関係性である。

例えば、12室目に位置する相手は自分の背後から、関わって来て出費をもたらす相手である。
戦国時代なら背後に陣をひいて来たり、補給路を絶ったりしてくる相手であり、和睦を結ぶのに莫大な費用がかかったりとかするかもしれない。

あるいは自国の裏側に位置する山の上に監視棟を設置して、領内を一望して来たりする相手である。直接攻撃はして来ないが、後方の弱い部分を抑えて、苦しめてくる相手である。

この2/12の関係は、【遠距離】に該当する。

そして、4/10の関係がジョーティッシュでも必ずしもよい関係とは言えないといわれる理由が、この【友・衰】と【安・壊】の関係に4室目とか、10室目というハウスの関係性が出てくることから、分かるのである。

この宿曜の理論で行けば、4室目の方が、10室目の方よりも強いのである。理由としては4室目は10室目の人の力を自分の行為として利用してしまうからではないかと思われる。
(この象意については検討中)

つまり、宿曜占星術の三九の秘法も、ジョーティッシュのハウスの基本象意の解釈と、相性関係論の中に収束するのであり、その中のもっとも重要な6-8の関係性の理解は、ジョーティッシュの学習の中で最も重要なものである。

 

(参考資料)

宿曜占星術 光晴堂
http://kosei-do.com/index.html 

 















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6室支配の水星と8室支配の水星

牡羊座にとって水星は3室と6室を支配する機能的凶星です。 
これによって牡羊座のマインドは闘争状態にあり、常に騙されまいとして身構えています。 

この結果、牡羊座の水星の問題として、猜疑心とか人を信用しないとかいう傾向が出てきます。判断能力に絶えず闘争しようとする傾向が顕現してくるのです。 

太宰治が書いた『走れメロス』という短編小説がありましたが、この小説は実は、猜疑心が強くて、部下や身内のものを次々に殺していく人間不信に陥った王様の話です。 

簡単にストーリーを説明すると、 

暴君ディオニスの横暴に激怒して、彼を暗殺しようとした羊飼いのメロスが、衛兵に捕まってしまい、処刑されることになるのですが、メロスには一人の娘がおり、その娘に花婿をつけて結婚させるために、親友のセリヌンティウスを人質として王様のもとにとどめておくことを条件として、娘の結婚式のために村に戻るための三日間の猶予をもらうのです。然し、王様はメロスが親友を裏切って逃げると思っており、それを見たいのでメロスを試すためのこの3日間の猶予に同意するのです。 

それで、メロスは最後に親友を見殺しにするという誘惑に打ち勝って、親友の元に戻ってきて、人間不信の王様の気持ちを変えることに成功するという楽観的な理想主義的なストーリーです。 

この人間不信の王様が実は牡羊座そのものであり、人を信じることが出来ず、直ぐに猜疑心に支配される牡羊座のマインドを表しているのです。 

実は私は中学の国語の授業の時に『走れメロス』の続編を書くという課題が出された時があったのですが、その時、私が書いたストーリーとは、メロスが王様の元に、帰ってきて、メロスとセリネンティウスが抱き合って、王様もそこで一度は心を変えるのですが、王様が二人の元を離れた後、再び、猜疑心が蘇ってくるという不吉なストーリーを書いたことがあります。 

皆、ハッピーエンドの後の幸せな話を書いているのに、私だけ、王様に再び猜疑心がよみがえるという心理サスペンスのようなものを書いたのを思い出します。 

今思えば、私は牡羊座なので、そのような楽観的なストーリーが信じられないという所から、考え付いたのかもしれません。当時は別にそんな哲学的なことを考えたわけではなく、王様が、再び、猜疑心を持ち始めたら、面白い話になるなと思って書いたのですが、実は極めて、牡羊座ラグナの私が考え出しそうなストーリーだったというわけです。 

私は今まで、いろいろな占星術師に占ってもらったことがありますが、 
何度か、『あなたは人を絶対に信用しない』と言われたことがあります。 

ついこないだインドに行った時もそのようなことを言われたのを思い出します。 

何故、そのような鑑定内容になったのかその時は分かりませんでしたが、私の水星が3、6室を支配しているので、そのような傾向が生じてくるのです。 

一度、あることを信じてもその後、にょきにょきと猜疑心が頭をもたげてくるのです。 

そして、ジョーティッシュのロジックで考える場合、おそらく3、6室支配の水星が凶星から傷つけられた場合に人間不信や猜疑心に支配されるのです。 


そして、もう一つ8室支配の水星についてですが、 

8室支配の水星というものは以前から何度か別の記事のところでも書いていますが、8室というのは支配者を表しています。 

マインドが支配されてしまうのです。 
これはどういうことかというと騙されやすいことを意味しています。 
つまり、人が言ったことを簡単に何の知的検証、正常な意味での批判的評価検討もせずにそのまますんなりと信じてしまうのです。 
これは知的怠惰、あるいは盲目というべきマインドの状態を意味します。 

もっともよく言うとすれば、人を信じやすい傾向です。 

ですから、蠍座ラグナの人は最も騙されやすく、簡単に霊感商法というものにひっかかります。何か開運法として高価なものを奨められても直ぐに騙されて買いそうなのがこの人々です。 

蠍座ラグナの人は実際、鑑定中に言ったことをそのまま素直に即座に信じるところがあり、全く何の疑いもなく、信じている様がよく目立ちます。おそらくもっとも騙されやすい人種と言えるかもしれません。 

つまりはマインドが支配されており、もっとも洗脳されやすい人々と言えるかもしれません。全く識別力やマインドの批判的姿勢を欠いているのです。 


ですから、蠍座ラグナの人は8室目に位置する双子座ラグナの人にいとも簡単に騙されてしまい、全く知的に支配されてしまう恐れがあるのです。 

例えば蠍座アヌラーダにラグナが在住している女性がいるとすると、例えば銀座のママとか、水商売風の派手な衣装を着た霊感占い師のことが思い浮かびます。 

彼女たちが一方はお客さん、他方は占い師として対面していたとすると、占い師の方は水晶とかタロットとかを操って、出てきた答えとか、ビジョンを何の識別もせずにすんなり受け入れて、それをお客さんに伝えます。 

そして、お客さんである銀座のママもその占いの結果を何の疑問も抱かずにそのまま、受け入れるという構図が浮かび上がります。 

まさに全く判断能力を使っていないその両者の光景が思い浮かびます。 

蠍座ラグナの人は識別力を表す5室が水星が減衰する魚座になるため、識別力を損ない、ビジョンとか、夢とか、イメージとか、フィーリングなどによって、物事を識別する人になります。 

それらはあいまいなもので、しばしば根拠を欠くので、移ろいやすく、見えたものをそのまま信じてしまい、判断能力が非常に限定されるのです。 

魚座自体がこの世界に宗教とか、信仰をもたらした星座ですが、信じるというのは判断しないことを指しています。それは思考停止です。つまり、蠍座ラグナの人は信じるだけで判断しないのです。 

そのようなマインドですから、もし何らかの思想とか、イメージを植えつけられたら、もうそれに抵抗することが出来ず、それを受け入れるしかないのです。 

つまり、熱心な宗教信者とか、イデオロギストの誕生です。 


大量の知識と活発で啓発されたマインドで、社会情勢を分析する双子座が、何かの判断を告げて来たら、もうそれに抵抗することが出来ず、恐れ多いと畏まり、ひれ伏す感じなのかもしれません。 


6室や8室を水星が支配するパターンは例えば、山羊座ラグナにおける6、9室支配の水星、あるいは水瓶座ラグナにとっての5、8室支配の水星というパターンもありますが、それらは片側がヨーガカラカになるため、6室や8室の凶意が減少します。 

然し、3、6室支配の水星とか、8、11室支配の水星は、3室や11室のトリシャダハウスを支配するため、欲望がマインドの判断能力を曇らせるのです。 

おそらく、6室の場合、3室の食欲、性欲、睡眠欲、表現の欲求などの肉体の低次の欲求が猜疑心と結びついて、対人関係上のトラブルを引き起こすのです。 


もう一方の8室の場合、11室の名誉欲、金銭欲、評価を求める欲求などと、8室の支配者、束縛という象意が結びついて、これも対人関係上の支配-被支配関係がもたらされます。 

それは盲従とか、騙されて支配されるという状態として表れます。 


おそらくこれらは3、6室支配の水星が凶星と絡んだり、8、11室支配の水星が凶星と絡んだ場合に顕著に表れます。 


簡単に言えば、牡羊座ラグナの人は、人を信用しないで、猜疑心が強いのであり、蠍座ラグナの人は、人を直ぐに信用する、騙されやすいのです。 

6室支配の水星は頭のいい敵であり、その敵に騙されまいと身構え、結果、猜疑心に結びつきます。 

8室支配の水星は頭のいい支配者であり、また陰謀者であり、騙して支配してくるのですが、8室はどうしても勝てない相手なので支配されるしかないのです。 

これらは6室と8室の象意の応用なのですが、一見、占星術師が何でそう言ったのか理由は分からないけど、非常によく当たっている言説とか指摘というのは、そのように単純なハウス解釈の応用に過ぎないと言えます。 















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相互扶助と、競争の原理について

お金というのは文明が発展するのに欠かせないもので、銀行が保有する金に対して、その何倍もの紙幣を発行する(信用創造)ことによって、文明社会にお金をふんだんに供給し、産業革命後、世界経済を拡大発展させるのになくてはならない道具として機能したと思われる。 

このお金の仕組み自体は文明を円滑に発展させ維持するための非常に便利な発明品であると思われるが、お金は人間の活動における道具になるべきであって、お金が金利を生んだり、お金自体を蓄積収集しようとすると問題が生じてくる。 

そうすると、人間生活のあらゆる面がお金儲けの観点から見られるようになり、全てが最大利潤という観点から考えられるようになる。 

友人によれば沖縄には”模合”という相互扶助の仕組みがあるそうである。それは何人かで模合のグループをつくって毎月、いくらかずつ模合に対して、お金を収めるのである。 

そして例えばお葬式代が必要になったり、子供が進学する際に学費が必要になったり、緊急の必要の際に必要な金額を模合からもらって使うのである。

全ての模合のメンバーが同じ時にお金を必要とするわけではなく、必要とする時期が異なるため、必要が生じた際に順番に資金の拠出を受けるのである。 

これこそ相互扶助の仕組みである。 

先日、ラオ先生の占星術学校に訪問した際に、授業と授業の休み時間に 
喫茶店で私達に飲み物をおごってくれたのだが、それはラオ先生が生徒にかわるがわる交代で、授業に出席した全員分の飲み物代を出させているのだそうである。 

この遣り方は非常に相互扶助の精神に富んでいてある意味、遣り方は違うが、模合に似ていると思ったのである。一人一人が自分の分だけを出すのではなく、全員の分を出すのである。そして、それを交代で行ない、皆の分を出して、ある種、和合というか、相互扶助の精神というか、メンバー皆が一体であるという感覚を養うのである。 

交代で出す際にはある時は全員の生徒の数が多いかもしれないし、ある時は全員の生徒の数が少ないかもしれないが、あまりそうした損得を計算しないのである。とにかく交代で、その当番の人が全員の分を出すのである。(つまり、拠出額に違いが生じてしまうことこそ、合理的な計算マインドを落とすために必要なことである) 

それぞれが自分の分だけ出して、自分だけの面倒を見るのではなく人の面倒を見るのである。これがある種、相互扶助の共同体のあり方であり、相互扶助の精神を養うよい訓練、機会である。 

沖縄の模合の例で言えば、わざわざ、仲間を作るために行なう”親睦模合”というのもあるそうである。それは模合の仕組み自体が仲間との間に一体感や絆を生むよい機会だからこそ、そうした”親睦模合”なる 
ものが生まれたのだと思われる。 

このような模合の中に見られるのは相互扶助の仕組みであり、もし本当の意味での共産主義というものがあるならば、このような仕組みをさすのだろうと思われる。 

メンバーはがちがちの計算によって損得を追求しないで、拠出額に多少の違いは生じるとしても、ある程度のおおらかな意味での平等が維持されるのである。それはがちがちの細かい緻密な計算をする平等ではない。 

相互扶助というのはある程度の平等を維持した上で、絶え間ない損得計算をするマインドを落としてしまわなければならない。マインドが自分と他人を厳密に区別し絶え間なく、損得を計算する時、そこには、おおらかな相互扶助が存在できる隙間、空間がなくなってしまうのである。 

従って、クリシュナムルティも言っているが、マインドは絶えず、自分と他人を区別し、比較し、差別、評価して、計算するので、損得計算の絶え間ないマインドが働いている限り、愛(それは相互扶助とか、分かち合いと呼んでもよいかもしれないが)の存在する隙間、空間はなくなるのである。 

———————- 
近代合理主義精神というのは、私有財産制度などと共に始まったのであるが、個人が自分と他人の区別をつけて、富を蓄積する権利が憲法や法律で認められたのである。 

マックスウェーバー著の「プロテスタンティズムと資本主義の精神」によれば、キリスト教改革派のプロテスタントこそが、商売をして富を蓄積することを奨励する原動力となったということであるが、このプロテスタントは利益計算をして、損得を追求し、冨を蓄積する最大利潤を追求する合理精神の表れだそうである。 

副島隆彦氏によれば、理性とか、合理的とか言う言葉は、我々日本人が理解しているような、ゆるい意味ではなく、本当の意味は、最大限の利潤を追求する精神、金銭崇拝の精神を表しているのだという。 

近代合理主義精神の産物である、市場経済、法律、株式会社とか、この文明を維持している多くの制度、形式が、この合理マインドから生成されているがゆえに、現在の社会は商業至上主義(最大限の利益を追求する)で埋め尽くされている。 

それは自分と他者を厳密に区別し、個人の最大限の利益追求と冨の蓄積を認めた私有財産制度によって発展してきた態度である。その究極が、商業至上主義であり、人がのたれ死のうが、リストラし、賃金をカットして、ぎりぎりまで利潤を追求する企業の態度であり、またIMFや世界銀行が発展途上国の医療費や教育費を削減して、借金を返済させようとする態度であったりする。

現在の市場経済の中では、損得計算のマインドが激しく活発に働いていて、人間の必要よりも利潤追求の方が優先されていくのである。 

そうした世界を生み出している商業至上主義の起源とは、実は、このお金を発明し、金融業を発明して、世界に金融ネットワークを形成した、マインドの力と非常に近しい関係にある。 

”ルシファー”を崇拝している人々は理性、合理精神こそが、全ての神秘主義を打破し、この世界のあらゆる問題を解決できると信じている。 

イルミナティという秘密結社はルシファーを崇拝しており、イルミナティに所属する人々は、市場が万能だと思い込んでいる。 

然し、理性は絶えず、比較し、区別し、損得を計算し、そこには多少の損を許容できるだけの空間が全くない。最大限の利潤を追求するのが、理性であり、些細な損失も許さない。 

例えば、金持ちほど、ケチであるというエピソードはよくあることである。船舶王のオナシスは、ボーイにチップを渡したくないがためにコートを着ないで出かけたという。コートを着て出かけると、部屋に入る時にボーイにコートを渡してチップを渡さなければならないからである。 

この金銭崇拝、利益計算、損得計算のマインドが働いている限り、せいぜいできたとしても、自分の評価を高めるために行なうフィランソロピーぐらいのものである。 

損得計算のマインドは、人間のもっと高貴な性質、霊性、相互扶助の表現など、人間のいのちに仕えて、働くふさわしい場所があり、それは外的文明社会の維持管理である。それらを人間の生活や人間のいのちの表現の上に君臨させてはならないのである。 

あくまでもマインドは道具であり、マインドが生み出したお金も道具である。それが目的になってしまうとおかしくなる。 


沖縄に”模合”という仕組みがあることを知ってから、私は株式市場や外国為替市場、先物市場なども”模合”と同じ仕組みかどうかを考察してみたが、どうやら、全く似て非なるものである。 

確かに市場に参加することは流動性を生み出し、流動性に一票を投じるかもしれない。参加することによって売り買いが円滑に行なわれる保証を高めるのである。然し、流動性とは相互扶助では全くなく、お互いに競争するもの同士が偶然作り出しているに過ぎない。 

然し市場は私は痛感するが、含み損を抱えた人の損切り値幅が、含み益を抱えた人の利益確定になるという仕組みになっている。 

市場とは万人の万人に対する闘争であり、負ける人がいるから勝つ人がいる、損する人の損失額が得した人の得した金額になるという闘争場である。 

そして、そこでは圧倒的に資本を持っている人が相場を動かすので、強い人が常に勝つ闘争場である。 

強い人、知識のある人が常に勝つのが市場であり、それは模合のような相互扶助の仕組みとは異なっている。 

現在の市場経済は競争というものが根本原理である。市場は全く無慈悲で、最大限の利潤を追求し、自然環境や人間から、労働力や資源(いのち)を搾り取る。全く盲目的で、貪欲で、破壊的である。 

従って、最大限の利潤を追求する合理マインドに任せていたら、地球環境を破壊したり、原子力で汚染したり、人間生活の質が犠牲にされるのである。 

あらゆる制度、機構の背後には相互扶助の精神とか、分かち合いの精神とか、互いに協力し合う動機が必要である。 

現在社会のように過剰に競争して、自分だけの最大限の利益を求める、合理マインドにこの社会の制度、機構というものをコントロールさせると、それは我々の地球を破壊し、人間のつながりを破壊するのである。 

ラオ先生がアメリカに行かないことを宣言したのは、その辺りに理由があるのである。何でも金銭に換算し、金銭を介した交換条件となる精神文化のない米国に嫌気がさしたのである。ラオ先生が著書の中で、ある米国人に無料で鑑定をしてあげたのにその米国人に米国の有名人の出生データを収集するようにお願いしたところ、その米国人がラオ先生に見返りに代金を請求したことについて、ぼろくそに非難しているのもそれがためである。 

アメリカ、つまり、国際金融勢力が管理しているアメリカは物質主義にもっとも冒されてしまった国家である。皆、子供の頃から、投資とか、資産運用の仕方を教えられるのであるが、それが賢い人間をつくると考えられている。 

然し、実際に見てみればあのアメリカの冷たい社会や精神文化の荒廃ぶり、貧富の差が拡大していく有様を見てみれば、お金に操られ、お金のマインドに振り回されて、あらゆる価値がお金に換算される商業至上主義(コマーシャリゼーション)の顛末は伺いしれるのである。 

社会は少しも明るくならない、人々は将来に不安を持ち、暗い顔つきで、互いに心を閉ざしているのである。 

こないだ親戚がニューヨークに旅行に行ったらしいが、人々の顔は暗く、雰囲気が悪いので、二度と行きたくないと思ったらしいのである。 

そして、その商業至上主義のマインドが最近、日本人の中にも急速に拡大している。金融ビッグバン、規制緩和という名目で、アメリカを中心として世界に広められている商業至上主義が日本にも導入され、貧富の差が日本においても拡大してしまった。これは小泉改革が原因と言われている。 

日本人皆が、FXとか株とか投資に夢中になり、投資の本がよく売れている。皆、競争することを教えられている。それが頭のいい生き方だと教えられている。 

株式市場とは90%の人が損をして10%の人がその皆の損から利益を上げているという厳然とした事実があるにも関わらず、その10%の勝者になろうとして、皆、競争に明け暮れる。大抵の人はその競争に負けてしまうのにである。 

だから10%の勝者になろうとすることは残り90%の人々の不利益のことは関心がなく、そうした他者のことに関心を持たずに自分の利益だけ、自分の生活の安定だけに集中していく態度である。 

これは霊的修行とは全くマッチしないようである。 
霊性を高めようとしたら、意識を拡大して他者の必要に気づいて、他者に奉仕していかなければならないにも関わらず、自分の利益、自分の自我に集中していくのである。 

これは精神エネルギーの無駄遣いであり、自我への集中を解き、全てのものとの一体感を持とうとする姿勢とは矛盾するのである。 

従って、どうやら私自身の頭がこの合理マインドに冒されているようなのである。最近、先物取引とか資産運用のことに心的資源、マインドのエネルギーを消費して本来もっと有益なことに使うべき、心的資源を奪われてしまっているのである。 

これは非常にエネルギーの無駄遣いだと最近、思い始めている。 


我々の社会はお金を忘れてしまえる社会にならなければならないのである。つまり、お金は全く人間生活の主役ではなく、脇役であり、道具にならなければならないのであり、人間がお金に使われてはならないのである。 

然し、私たち個人が日々、物の売り買いをする時に交換する金銭と品物の交換などは害は少ないかもしれないが、商業至上主義のような利潤を最大限に上げるマインドが、大規模かつ、構造的に世界に君臨した場合に、人々は全く、いのちの表現を奪われるのである。 

然し、何故、私たちは本来、物やサービスを物々交換すべきところを、 
このお金という媒介物、プロセスに頼らなければならないのか? 

私たち文明社会に住む人間は、お金というこの便利な媒介物がなければ何も出来なくなってしまったのである。お金というものは便利であるからこそ、そこに依存が生じるのである。 

何かお金がなければ私たちは生きていけないと錯覚している。 
然し、私たちは別にお金がなくても、一次産業に従事して農作物を育てたり、漁業などをして生きていけるのである。お金に頼らないで完全に自給自足の自立した生活をすることも出来るのである。 

日々の生活圏で物々交換のために利用されるお金と、銀行が信用創造によって生み出すお金は、同じお金でありながら、全く別物である。 

それは何故かというと、都会と地方では同じ日本であっても物価が違うのであるが、本来同じ価値であるはずのお金がその生活圏内の閉じられた系の中だけの価値というものが生じるのである。それはその生活圏での日々の物々交換に素朴に利用されているからである。 

一方で、信用創造によって中央集権的に生み出されるお金は全く別物である。 

信用創造によって生み出されるお金は全く手品のようにして作られている。 
http://www.anti-rothschild.net/ 

私たちはこの便利なお金を使い、お金に依存することによって、この文明のお金を管理している人々に支配されたり、操作されてしまうのである。 

アリスベイリーの本を読んでいたら、覚者方は、人間がお金そのものを欲望しなくなり、お金を単なる道具として用いることが出来るまで、お金という仕組みを世界から一度、排除する過程を検討していると書いてあった。(そのページを示すことができないが確かにそのように書いてあったと思われる) 

それはどのような過程かは分からないが、そんなことが可能なのかとも思われるが、水瓶座時代というのは、おそらく、お金に使われるのではなく、お金を使う社会なのだろうと思われる。 

言語とか、お金とか、我々の文明社会を存立させている道具は、私たちがリアリティーを直接体験するのを妨げる媒介物である。そうした媒介物に頼る必要がなくなったときに初めて、リアリティーを直接体験でき、そうした媒介物に操作されたり、フィルターされずにもっと活き活きとした真の体験が出来るのである。 

言語にしても、もしテレパシーが使えるなら、各文化の枠組みを越えられない言語の壁を越えることができ、またお金に媒介されなければもっと、物々交換の体験は活き活きと人間的で、精神的なものになる。 

媒介物というのはフィルターであり、それを通過した時にリアリティーが歪曲されたり、操作されてしまうのである。 
世界規模の資源の分かち合いが実現した社会では、日々の生活レベルでは、情報化された電子マネーを利用して、お金を意識することはなくなるかもしれない。そして、お金というものは段々重要なものではなくなってくるのだと思われる。分かち合うような社会では、活き活きと人間的な接触が行なわれ、愛他性が浸透し、そこではお金という媒介物が全く馬鹿馬鹿しいつまらないものに思えてくるだろうと思われる。 

本当の人間関係、本当の相互信頼などを体験するので、お金を媒介とした性悪説的な慇懃な媒介物、真の関係を妨げるフィルターなどに誰も関心を持たなくなるのである。 

そして、無限のエネルギーが供給される社会においてはお金そのものが意味をもたなくなるのである















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減衰木星と恋愛

1973年生まれが職場にいないということを教えてくれた友人が、もう一つ1973年生まれの人の特徴としてあげていたのが、1973年生まれの女性は恋愛したことがなかったり、人を好きになったことがない人が多いのだという。 

それで結婚相手などは条件面(収入、職業)などで選ぶ傾向があり、結婚してもうまくいかずに離婚してしまうケースが多いのだという。 

それは友人が1973年生まれの7人ぐらいの事例で、見出した共通点だという。 

これは条件面で選ぶというよりも人を好きにならない(つまり恋愛したことがない)から、条件面で選ぶことになってしまうということらしいのである。 

また、事例の中には1973年生まれの女性で離婚して慰謝料をもらったり、婚約破棄で金銭をもらう人が多いのだという。 

こうして経験談を語ってくれたのであるが、友人は特に占星術の知識があるわけではなく、客観的に今まで体験した1973年生まれの人の共通点を見出したのである。 


私はこれを聞いて非常に面白いと思ったのである。 

つまり、木星というのは理想主義の惑星であり、理想化の働きがあるのである。そして、恋愛というのは一人の客観的な異性を実際のその人よりも素晴らしいと考える理想化の働きがあるのである。 

つまり恋愛というものは合理主義への反発として西洋近代社会が生み出した男女関係の理想主義的な形なのである。それは実際には西洋キリスト教文明の底流に位置する基本的な風潮である。 

それは異性の存在をあたかも神に接するがごとくに賛美し、理想化するという一つの宗教的感情いわゆる信仰に近いものである。 

これは所謂、過去2000年の魚座の時代がもたらした理想主義の結果であり、神に対する献身や崇拝を異性に移したものである。 

これは私のオリジナルではなく、以前、ベンジャミンクレーム氏の著書の中で、恋愛というものは過去2000年のパイシス(魚座)の時代(つまり、春分点が魚座にあった時代で、現在もそうである)がもたらした男女関係の理想であると、記述の中に書いてあったことである。(要約するとこうしたことでした) 

そして木星が山羊座で減衰してしまう人はこの理想化の働きが全くないから、相手を実際よりも理想化する(つまり恋する)という働きが一切なく、それで相手を好きになるということもないのである。 

それで、相手の地位とかお金とか容姿(肉体)とか現実的で物質的な条件を判断材料にして極めて、現実的、実際的な要求によって相手を選択するのが、山羊座の木星の人なのである。 

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ロマンしゅぎ【ロマン主義】 
romanticism 
一八世紀末から一九世紀の初めにかけてのヨーロッパで、芸術・哲学・政治などの諸領域に展開された精神的傾向。近代個人主義を根本におき、秩序と論理に反逆する自我尊重、感性の解放の欲求を主情的に表現する。憧憬(どうけい)・想像・情熱・異国趣味と、それらの裏返しとしての幻滅・憂鬱(ゆううつ)などが特徴。文学ではルソー・ゲーテ・ワーズワースを先駆とし、スタール夫人・シャトーブリアン・ラマルチーヌ・ユゴー・ミュッセ・バイロン・シェリー・キーツ・ノバーリス・シュレーゲル兄弟、絵画ではジェリコ・ドラクロア・ゴヤ、音楽ではシューベルト・シューマン・ショパン・ベルリオーズらに代表される。日本では北村透谷・島崎藤村らに始まり、雑誌「明星」によった歌人らに代表される。ロマンチシズム。ロマンチスム。 
(大辞泉より引用抜粋) 
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辞書で、ロマン主義の説明を読むと、明らかにこれは西洋近代社会で流行った論理に逆らって、感性や情熱などを尊重する魚座の顕現した文化であることが分かる。 

つまり、恋愛という理性では制御できない感性の表現は西洋近代のキリスト教世界で発達した男女関係の文化である。 

この恋愛がなかった社会では男女関係はどうだったかというと、これは見合い結婚(つまりは家同士の結婚)とか、現実的、政治的な要求によって男女が結びつくというあり方である。そこには恋愛という文化が花開く要素はないのである。 

あるいは日本の地方の村には祭りのときとかに複数の村の若い男女が暗い部屋で、適当に交わってしまうという夜這いの文化があったというが、これは本能的な動物に近い男女の関係であり、恋愛という非常に理想化された感性的な要素はなく、性欲という本 

能と、その実現を目的としたストレートな関係の仕方である。 

これら西洋キリスト教社会の影響を受けない社会では、過度の異性を理想化し、神のように賛美したり、崇拝するような風潮は西洋社会よりも弱いのであって、やはり、これは魚座の時代にもたらされた文化であると分かる。 

魚座の支配星は木星であり、木星は魚座のこの理想化という作用を持つのである。 

従って、もし木星が魚座に入っている1975年生まれの人は非常に恋愛したり、人を好きになりやすい人ではないかと思うのである。実際よりも相手のことを理想化して、よく見てしまうところがあり、冷徹な現実を見る視力を持たないのである。 


従って、木星が魚座に在住している人は、ひとめぼれをしやすく、人を好きになりやすい恋愛体質な女性ということが言える。 


そこで私は魚座に木星が在住している女性に以下の質問をぶつけてみたのである。以下のような回答であった。 

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Q.あなたは人を実際よりも理想化してよく見る傾向がある恋愛体質な女性であり、それでその理想化した夢想が破れて、現実を思い知った時に相手から去ることになるのではないか。相手を理想化し、ひとめぼれをしやすいのではないか。 

A.当たってます 
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この一例として、TBS系の朝のニュース番組「JNNニュースバード」の中澤有美子アナがいる。 

彼女は1975年生まれで魚座で木星が定座に在住している。 


私は魚座の木星の事例について、いろいろ探していたところ、以前、魚座の木星であることを知っていた、中澤アナの記事を見つけたのである。 

ネット上のブログに以下のような中澤アナの記事が載っていたので引用するが、以前、「FLASH」に掲載された記事のようである。 

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今日発売の写真誌「FLASH」によると、不倫相手のAさんとは仕事で知り合い、関係がスタートしたのは中澤キャスターの積極的なアプローチによるもの。Aさんに送信したメールは800通に達するというから、事実なら異常行為だ。 

離婚まで約束しながら数ヶ月後、一方的にメールで別れを告げてきたのも中澤キャスターの方だった。ここまでなら不倫のテン末としては、それほど変わった話ではないが、2人の関係はさらに泥沼化する。 

昨年末、納得できないAさんが何度もメールで説明を求めると、中澤キャスターはストーカー行為を受けたと警察に被害届を提出。2人は警察立会いのもと、一度は和解したが、今年五月、再び被害届が提出された。 
(引用東スポ) 
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つまり、中澤アナが最初にAさんを好きになって猛烈にアプローチして、800通もメールを送ったのだそうである。しかし、その後、一方的にメールで別れを告げたのだそうである。 

これは、おそらく理想化が過度に働いて、最初はひとめぼれの興奮状態で、メールを800通も送ったのであるが、いざ、熱が冷めてみると、相手の現実に幻滅し、それで早速、別れ話をくりだしたのだろうと思われる。 

つまり、過度の理想化の後には、激しい幻滅と(相手の)価値引き下げがあるのである。 

これは精神分析でもこの過程は知られており、ナルシズムの研究者であったハインツ・コフートが、自己愛人格障害の人は、最初に過度の理想化をし、その後に価値引き下げをするというこの分裂した動きについて、記述している。

もう一度、ロマン主義についての説明を調べてみると、 

『憧憬(どうけい)・想像・情熱・異国趣味と、それらの裏返しとしての幻滅・憂鬱(ゆううつ)などが特徴』と書いてある。 

つまり、相手を賛美し理想化した後、その相手の現実に気づいた時に、幻滅し、憂鬱になり、過度に相手の価値を引き下げるのである。 

つまり、これが魚座の人の恋愛パターンなのである。 
相手にひとめぼれし、相手に猛烈にアプローチし、相手の現実に気付いて、幻滅し、相手をこき下ろすというものである。そうして、多くの人を好きになりながらも、一人の相手ともうまく行かないのである。最初に理想化しすぎた分、相手の現実を受け入れて、現実と折り合いをつけて、うまくやっていくことが出来ないのである。 

つまり、夢追い人である。 

現在は魚座の時代であり、また過去2000年で、人間の感性や感情が発達したためにこうした理想化と価値引き下げは、人々に一般的な特徴かもしれない。然し、本来は魚座や木星が持つ特徴のはずである。















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減衰木星と仕事運

私の友人で有名な外資系や国内大手のIT企業を渡り歩いている人がいるんですが、先日面白い話を聞きました。

それは友人は今までIT系のエリートが集まるような、例えば、K大とかW大とかいうところを卒業していて、結構、キャリアも積み上げているような人々がいるような会社を転々としてきたらしいのですが、それらの会社には、何故か、1973年生まれの人だけがいないそうです。

1971年生まれも
1972年生まれも
1974年生まれも
1975年生まれも
1976年生まれも

いるのに、何故か、1973年生まれの人だけが、それらの大手企業にはいないそうです。

他の例えば1975年生まれとかは8人もいたりするのに1973年生まれは一人もいないそうです。

1973年生まれだけポッカリと穴が空いてるようです。

それはやはり木星が減衰しているからです。

1973年前後の生まれの人達が優秀だというのは理解できます。

例えば、

1971年生まれだと木星が蠍座で魚座自室にアスペクトバックします。
1972年生まれは木星がムーラトリコーナで強い配置です。
1974年生まれは木星が水瓶座でIT業界でやっていくのに必要なスキルがありそうです。
1975年生まれは木星が魚座自室にいます。
1976年生まれは牡羊座で木星が射手座にアスペクトバックします。

このように1973年生まれの前後の生まれ年は木星がそれなりに強い配置ですが、1973年は木星が減衰していて弱いのです。

例えば友人に言わせると、1973年生まれの人達は皆、定職についていない人が多く、ニートとか、フリーターみたいな人が多く、また女性だと主婦とか、あまりパッとしないさえない人が多いとのことです。

実はニートの全体の数に占める割合が最も高いのが1973年生まれかもしれません。1973年生まれはバブルが弾けて就職難の渦中に社会人となった人々です。ほとんどまともな定職についていない人が多いのです。然し、1973年生まれはベビーブーマーで最も人数は多いのです。

一番、人数が多い人たちが、最もカルマを解消して進化している人達であるはずがないので、おそらく業の深い不道徳な人たちが集まって集団で生まれてきたというのが、私たち1973年生まれなのかもしれません。

例えばMixiの1973年生まれの人の掲示版を見たりすると昼間はコンビニでバイトして、夜はホステスをして、男性にお金を貢いで借金を背負って苦労しているとか、色々、不幸な体験談が多いそうです。

あと皆、定職についてなかったり、フリーターみたいなことしてたり、まともな仕事についていない人が多いようです。

確かに木星が減衰したら一般に不幸になると言えます。
然し、まれに例外がいます。

例えば、イチローは3室で木星が減衰しており、3室で木星が減衰すると特別な法則により、ラージャヨーガ的に働きます。

あるいはサイバーエージェントの藤田晋も木星が減衰しています。
彼は出生時間が分かりませんが、3室や6室での減衰など特別な法則が働いている可能性があります。

有名人で木星が減衰している人は何人かいますが、皆、あまり幸せそうな顔をしていない点は、共通しています。

特別な法則やニーチャバンガが働く時、減衰していても逆にその逆境をばねにして、躍進できる人もいるかもしれませんが、然し、一般的に言って、木星が減衰していたら、何らかの問題が生じます。

それで、私も1973年生まれなんですが、1973年生まれというのは一つ上の学年が、1972年で木星が射手座ムーラトリコーナに在住しています。

それで非常に落差が激しいのがこの1972年と1973年の違いです。1学年で木星がムーラトリコーナの位置から、減衰する位置に木星が移動しているのです。

これは例えば金星が乙女座で減衰するのが次の天秤座だとムーラトリコーナになるというのと似ていますが、1学年の違いがこれほどくっきりと表れるのは射手座木星から山羊座木星への移行しか例がありません。

例えば、私は高校時代、ラグビー部に所属していましたが、私の高校は一応、進学校で、それなりに優秀な人達が集まってくる学校でした。

それに加えて、私の高校はラグビーが盛んな学校だったので、私の一つ上の1972年生まれの人たちの中にはラグビーがしたくて、わざわざ学区外から越境入学してくるような意識の高い人たちもいました。総じて、やる気のある野心的な人たちが多かったと思います。
やはり射手座の木星は高い目標を抱き、向上心が強いのであり、今にして思えばその象意はよく分かります。

それで、私の学年はどうかというと、1972年生まれの人たちがいなくなると、ほとんど、チームを維持するのがやっとのポンコツチームでした。明らかに前年度のメンバーとは見劣りするのです。

それで1972年の人たちが勝ち取った県大会のシード権を、翌年、私たちのポンコツチームがあっさりと負けて失いました。

それで私の木星は逆行しているのですが、面白い点に気づきました。

それは、私は1972年の人たちのチームにもレギュラーとして参加していたのです。ラグビーは15人とメンバーが大勢必要なため、1972年生まれのメンバーだけでは足らず、一学年下の1973年のメンバーからも3~4人ほど加えていたのです。

それで何故、木星が減衰する私が1972年の学年の人たちのチームに所属できたのかを考えると、それはおそらく私の木星が逆行して、射手座に在住しているかのような配置となっているからなのです


逆行する惑星は一つ前のハウスからアスペクトするので、ある種、私の減衰する木星は、射手座に在住しているかのような働きをしているのです。おそらくそれしか考えられないのです。

中学の時にはサッカーをしていましたが、やはり、そこでも1学年上の人たちのチームに参加していたのですが、やはり、おそらく同じような理由なのです。

それで私は減衰の山羊座とムーラトリコーナの射手座の両方に足を突っ込んでいるかのように両方体験できたのです。

1972年のメンバーのチームにも参加して、勝利とか躍進を経験して、翌年1973年のポンコツチームにも参加して、成績が伸び悩んだりしているのです。

そう考えると、私の木星は減衰しているにも関わらず、非常にトリッキーな働きをしているのかもしれません。

これは友人が1973年生まれの人がいかに恵まれておらず、野心がなく、やる気がないかという話を聞いていて、減衰の木星について、いろいろ考えていた時に思いついたことです。















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