月別アーカイブ: 2008年7月

ドキュメンタリー『THIS DIVIDED STATE』を視聴して

★ドキュメンタリー『THIS DIVIDED STATE』を視聴してアメリカの保守、および、地域主義 対 国際主義の対立関係を考える★

『THIS DIVIDED STATE』というドキュメンタリーを見たのだが、これはアメリカの保守について理解する大変、素晴らしい教材だった。

http://www.anti-rothschild.net/link/animation.html#new0704

舞台はブッシュとケリーの2004年度の大統領選挙選を控えたアメリカユタ州のオレム市で、地元の大学の学生会のリーダー達が、映画監督のマイケルムーアを選挙直前の講演会に招聘しようとした所から始まるのだが、地元の有力者が、マイケルムーアは保守の地元にとっては屈辱的な人物であり、断じて受け入れられないと強固に反発するのである。

マイケルムーアを招聘した学生達はリベラルであり、民主党を応援しており、ブッシュ大統領のイラク戦争を批判しているのだが、地元の大学においては、彼らは少数派で大部分の生徒達はブッシュ大統領を支持している様子で、学生会のリーダー達に対する批判やののしり、苦情の電話、あるいは地元有力者からの訴訟まであったりして、地元の人々から激しい非難が展開されるのである。

それでも頭が固まっていないリベラルの学生もそれなりにいるので、ユタ州はリベラルと保守の力が拮抗して、まさに分裂状態に陥っているのである。

それがまさにこのドキュメンタリーの題名「THIS DIVIDED STATE」(分裂した州)の所以である。

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注:マイケルムーア監督
『ボーリング・フォー・コロンバイン』で米国の高校生による拳銃乱射事件の原因について迫り、『華氏911』では911事件の疑惑やブッシュ大統領とイラクの石油利権との結び付きなどに切り込んだ
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ユタ州はモルモン教徒が人口の80%を占めており、日本では外資系の
マルチレベルマーケティングで販促を行なう健康食品産業が本社を置く地域として、よく知られている。また夏の7、8月に日本にスーツを着たモルモン教徒の、2人組みがヘルメットを被り、自転車などに乗って、日本で布教している姿もよく見かける光景である。
彼らは、米国のニューヨークの若者と違って、どこかどん臭い田舎者という雰囲気で、純朴な若者達という印象であったのを覚えている。

モルモン教徒とは原理主義的キリスト教徒を指しており、ブッシュ政権の大きな支持母体である。米国にはモルモン教徒に限らず、原理主義的キリスト教徒が4000万人とかいるらしいのである。大変な人数であり、アメリカ市民社会の大きな性格傾向を形成する一大勢力である。

ブッシュ大統領の側近で、選挙参謀だったカール・ローブがこのような原理主義的キリスト教徒の多い地域に早くから選挙対策として、教会と総合レジャー施設が合体したような巨大施設を沢山作って、平常時から選挙に備えて支持者を養成していたようである。NHKの番組でそのようなドキュメンタリー番組が報道されていた。

ブッシュ大統領自身が、キリスト教原理主義者であるということも今ではよく知られている。

私が、このドキュメンタリーで印象的だったのが、マイケルムーアの招聘に反対する地元の有力者(この人物は、マイケルムーアに支払う予定の4万ドルの大部分を自分が負担するから、彼の招聘を取りやめるように大学側に要請さえした)が彼に対するインタビューで「この地域(ユタ州オレム市)は伝統的に保守の地域で、よそ者は受けつけないのだ、われわれは家族であり、ムーアは家族の伝統を破壊しようとしている、われわれは外の世界と関わりたくないのだ」というような主張を何度も何度も繰り返していた。

つまり、彼ら地元の保守主義者の主張とは、私は外部のものとは関わりたくなく、外部の価値観に触れたくないというものである。われわれは家族でこの地域で安全で、伝統的な価値観を守りながら生活しており、マイケルムーアには来て欲しくない、彼が来るのはわれわれに対する攻撃であり、屈辱だというような主旨である。

彼ら地元の人々は、マイケルムーアの映画を全く見ていないのに彼の映画はうそだらけだと、批判し、彼の人格を批判して、彼が地元入りすることを強固に反対するのであるが、彼らが映画を見ないのは、彼らが潜在的に無意識の中では、マイケルムーアの主張が正しいことを知っていて、彼の主張に言い負かされて、それを心が受け入れてしまうのを恐れているからである。だからこそ、顕在意識では強固に反対して受け付けないという態度に出てくるのである。彼ら地元の人々はマイケルムーアの主張が正しいことを知っているのである。

然し、マイケルムーアの到来は黒船の到来のようなものであり、地元の価値感に外部から、見ず知らずの国際主義的な概念を導入して、家族共同体を破壊するというそのことだけを恐れているのである。ムーアが言っていることが真理かどうかはどうでもいいという態度である。とにかくムーアが伝統を破壊するのは許されず、よそ者が家族の中に入り込んできて、勝手なことをするのは許さないという態度である。

そして地元の有力者は妻とソファに座ってくつろいだインタビューの中で、「われわれは外の世界を知りたくないし、われわれはこの世界が好きなのだ」という心情を吐露していた。

私はこうした地元の有力者の主張や態度を見て思ったことは、彼はまさに蟹座を代表する人物であるということである。

彼らは家というプライベートなくつろげる環境を好み、外部からの侵入者には強固に反対するのである。蟹座の攻撃は外部のものに対しては激しいのである。然し、蟹座は殻が固く、外部からの攻撃にはハードに対応するものの、殻の中は意外と、やわらかく、軟弱なのであり、彼らはまずよそ者を自分達の家族の世界の中に入れないように頑強に抵抗するのである。

であるから、もはやそこには真理かどうかなど関係なく、ただよそ者を入れたくない、自分達は、気心の知れた家族だけで安全な生活をしていきたいという欲求があるのである。

いったん、内部に外側の価値観を入れてしまうと、彼らの子供達や妻とか、追従者は容易に外部のものによって、その有力者本人の価値観を超えた普遍的な価値を受け入れて、洗脳されてしまう。自分達の家族をめちゃくちゃにされてしまう。だからこそ、彼らはその家族共同体のもろさを知っているからこそ、外部の強敵を内部に受け入れないように、徹底的に抵抗するのである。

それではムーアがもたらそうとしている外部とは何なのかというと、私が思うに、彼は普遍的な真理とか真実とか、平和とかであり、家族を超えた世界の万人によって共有される価値観である。

この万人に共有される価値観とは私が思うに水瓶座が表しているのである。水瓶座は国境を越えた万人が一体となっていく特質があり、家族とか、地域とかに限定されずに国際的に通用する普遍性を持つのである。

民主党はリベラルであり、またリベラル思想とは、国際的であり、普遍的であり、世界を舞台にしているのである。それで、その価値観を世界の隅々まで行き渡らせようとするのであり、これは、地域主義で、保守主義者の蟹座にとっては脅威と映るのである。それでムーアが民主党代表のケリーの強力な応援団として、ユタ州オレム市に訪れたとすれば、それは水瓶座の普遍的価値観を蟹座のプライベートで私的な居場所に持ち込むことを表していたと私は思うのである。

蟹座から見ると、水瓶座は8室目を表すため、蟹座を支配してくる相手なのであり、敬遠したい相手である。然し、春分点が水瓶座の方向にどんどん移動しているため、世界は普遍性、一体化に向かって進んでいくのである。

そのために国際連合が作られたし、第3セクターといわれるようなNGO、NPOと呼ばれるような国際的な奉仕活動を展開する事業組織が、戦後、爆発的に増大した。世界はどんどん水瓶座によって飲み込まれていくのであり、蟹座の地域主義もどんどん、水瓶座の力によって、世界の普遍性、世界共同体の中に取り込まれていく過程にあるのである。

その中で、やはり蟹座にとってはそうした水瓶座に統合されるのが怖いのであり、自分達は自分達で、アイデンティティーを維持してやっていきたいので、ほっといてくれという感じなのである。それが、ユタ州オレム市のような原理主義的キリスト教徒のコミュニティーなのではないかと思われる。

面白いことに、ブッシュ大統領は蟹座に惑星集中しており、ブッシュ政権を牛耳っていたネオコン思想、いわゆるアメリカ新世紀プロジェクト(世界覇権国アメリカが世界を支配管理していく)というのは、蟹座の思想なのである。

ブッシュ大統領は身の回りをネオコンに囲まれていたのであり、だからこそ、彼の蟹座ラグナには金星、土星、水星と、3つの惑星が集中していたのである。

それで蟹座のブッシュ大統領だからこそ、ユタ州オレム市はブッシュ大統領を応援したと思われる。ユタ州オレム市のような伝統的で保守的な生活を保障してくれる指導者と認知したからである。

だから、ユタ州では圧倒的な数の原理的キリスト教徒の伝統的保守的な”地域主義”と、リベラルで、国際社会の普遍的価値観を地域に導入しようとする、”国際主義”の対立で、分裂が起こっていたのである。

前者は比較的、年配者が多く、後者は比較的、若者が多いのだと思われる。

然し、若者の中にも強固に伝統に固執する保守主義者はいたし、また中高年でも大学教授などは、マイケルムーアのリベラル思想に賛成していたので、これは必ずしもそうではないのだが、しかし、いずれにしても若者の方が、国際主義の感覚に心が開いている。(それはつまりは水瓶座の時代が徐々に迫っているので、水瓶座のエネルギーを表現できるようなラグナや惑星配置で生まれてくる若者が多いという事実の反映ではないかと思われるが)

つまり、アメリカのユタ州は外部から隔絶された土地柄で、ほとんどモルモン教徒しかいないので、本当に蟹座的な社会なのである。宗教が一つの州になっているかのようであり、宗教とは一つの家族共同体である。

だから、そこに外部からマイケルムーアがリベラル思想を持ち込もうとしたので、彼ら地元の人間は猛烈に反発したのである。

そして、今年、ユタ州は民主党では、ヒラリーではなく、オバマ氏を選んだのであるが、何故、より共和党よりのヒラリーではなく、リベラルなオバマ氏を地元の人たちが選んだかというと、オバマ氏は太陽と水星が蟹座に在住しているからである。

彼はリベラル思想ではあってもアメリカを深く憂うる愛国者なのであって、アメリカという一つの地域を代表する民族主義者(アメリカは他民族国家なのであるが、アメリカ国民という抽象的な一つの民族を代表していると考えられる)なのである。彼は合衆国という一つの地域単位を蟹座的に保護する人物である。であるから、ヒラリーの方がネオコン寄りで、共和党よりであったにも関わらず、ユタ州はバラクオバマ氏を民主党候補に選んだようである。

そして、共和党候補者では、マケイン氏ではなく、ロムニー氏を選んでいる。ロムニー氏が得票率90対5の圧倒的多数で選ばれているようである。

これはマケイン氏が蟹座的な保護を与えてくれる人物としての魅力に欠けていたからだと思われる。

それで面白いのは本選である。共和党候補はマケイン氏が選ばれたので、ユタ州で、ロムニー氏に投票した圧倒的多数のモルモン教徒たちは、一体、オバマ氏と、マケイン氏のどちらに投票するのかということである。

私が思うにおそらく、オバマ氏の方が蟹座的な保護を与えてくれる頼もしい強力な人物と、ユタ州の選挙民はみなすと思われるのである。

これは米国内にいる約4000万人の原理的キリスト教徒に共通する心情ではないかと思われる。

アメリカが覇権を失い、国際連合などの国際機関にその力を吸収されて世界の普遍価値に統一される過程にあって、国際主義を嫌う、伝統的、家族的な宗教原理主義者たちは、米国という国家を一つの単位とした愛国的、民族主義的なバラックオバマ氏を選択するのだろうと思われる。

オバマ氏は蟹座の魅力にあふれており、アメリカを愛する米国民は彼についていくと思うのである。

ヨーロッパを中心とする国際社会からは少し一線をひいて、地域覇権国家として、アメリカは今後は生き延びていくのだと思われる。

それではネオコンというのは、何だったのかというと、彼らは非常に狂信的で視野の狭い、集団だったと言われている。彼らはヨーロッパや国連が嫌いであり、アメリカの単独の覇権によって、世界を統一支配管理していこうという野心を急激に、ブッシュ政権に変わってから、打ち出して来たのである。

これは、ヨーロッパや国連が示す、普遍的価値観を世界に示す国際主義的な勢力が、だんだんと勢いを増していくのに対して、自分達の力が衰えているのをうすうす感じた時に、地域主義で、伝統的な価値観を持つ人々は反動的に強固な態度を示して、自分達の勢いを盛り返そうとしたのである。

これはつまりは蟹座の地域主義、家族主義の歪んだ表れである。本来、外部からの敵から自分達を守る時にしか、戦わないような保守主義者が、積極的に外部に打って出て、劣勢を挽回しようとしたのである。

それがネオコン現象だったのである。しかし、ブッシュ政権が終わるのに伴って、ネオコンは急速に消滅しつつあるのである。

イスラム原理主義にしてもネオコンにしても古い時代の価値観が崩壊していく時に、反動として、古い時代の機構、制度、伝統にしがみつき、勢力を巻き返そうとする反動的な動きが生じるのである。

ネオコンというのは、冷戦時代の古い時代の秩序とアメリカの力を復活させようとする、軍産複合体と結び付いた保守の極右的活動なのであり、水瓶座の時代の到来で、力を失いつつある、魚座あるいは、蟹座が引き起こした反動的な活動である。

注意が必要なのは、水瓶座がもたらす変化には善いものと悪いものがあるということである。

例えば、国際主義一つとってもその中にも善い働きと、悪い働きがある。

例えば、国際連合(主に国連総会。安全保障理事会ではない)とか、非政府組織(NGO)、非営利組織(NPO)などのような世界の安全を保証したり、貧困とか、環境問題を解決したり、先進国と第三世界の格差を是正するような組織は、正しい動機をもった組織であるといえる。

然し、連邦準備銀行とか、IMF(国際通貨基金)とか、世界銀行などは、お金の流れをコントロールして、人類を奴隷状態にして、先進国と第三世界の貧富の拡大にしかつながらない、高利貸しのようなことをする組織であり、これは国際主義と言っても、悪に分類される。

ブッシュ政権のネオコンによるイラク戦争に見られる強行的な外交や国連決議を無視した利益活動は、地域主義で、悪に分類される活動である。

一方、ネオコン衰退後のおそらく、これからやってくるオバマ政権は、地域主義でもアメリカ国民を目覚めさせ、世界に奉仕するアメリカの役割を国民に思い出させる政権ではないかと思われ、善に分類される。

然し、善悪の軸を置いておいて、これからやってくるのは、水瓶座の時代のため、これから衰退するのはアメリカで、これから発展するのはヨーロッパなのである。

そして、アメリカの力が衰退すると共に国連におけるアメリカの傲慢な姿勢も訂正されることになる。

ベンジャミンフルフォード氏によれば、日本の暴力団山口組はロスチャイルドの日本における代理人だそうである。そう考えると、国際主義と地域主義というように新旧交代の勢力を代表しているとしても、悪は悪同士で結びつき、善は善同士で結びつくのである。















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ムフルタ — 6室への月のトランジット —

7月8日の15時20分ぐらいから、トランジットの月が6室乙女座に入室した。

昨日(8日)の16時ぐらいだったと思うが、契約している職場の特定の人物に対して、契約上の権利を激しく主張して、口論のような感じとなり、一瞬、緊張状態が走ったが、それは直ぐに妥協点が見出されて収まった。相手もそれ以上突っ込みたくないような印象で、収まったのである。私の体感としては言いたいことを言って、すっきりした感じであり、決して負けではなく、むしろ、権利を相手に印象づけて勝利に導かれた感じであった。つまり、相手はその緊張時の印象で、自主的に権利について、その後、妥協してきた感じであった。

また本日、また同じ人物に対して、業務上の成果を私の方が、激しく主張するような挑発的なメールを送ってしまった。そのメールを送る前に随分考えたがやはり、送らないで我慢したのでは精神的に満足できないと思い、思い切って、送ってしまった。相手側にとっては私が成果、業績の主張を強引にしかけてきた印象を受けたと思われる。

それで昨日に続いて今回も私の側が有利であり、主張を強引に押し通した感じであった。体感的には全く不利な感じが無く、むしろ獲得である。

こうして文章にすると大げさな感じがするかもしれないが、誰もが経験する日常の取るに足りない些細なエピソードである。

別にいつもこうなのではなく、その人物ともいつもは友好的に接しているが、今日に限っては自然にこのような関係性となったのである。

別にわざとやったわけではない、そうするのが自然であるかのごとくそうなってしまったとしか言いようがない。

同じ相手との人間関係もその時々によっていろいろ変化するのである。

これらは非常に抽象的で微細な体感について話をしているが、重要な事実である。

私がそうした攻撃的なメールを送った後で、私の側に利があり、受け手がひるんでいる印象を受けた時、そう言えば、トランジットの月が今日は乙女座に入室しているということに気がついたのだ。

つまり、6室に月がトランジットする時とは、ムフルタで言うところの戦争を仕掛ける時期なのである。

そして、6室とは相手にとっては悩みであり、自分にとっては、攻撃、闘争、相手の撃破なのである。

従って、6室トランジットの時期とは闘争の状態にありながらも、自分の方が強い感覚、相手を撃破して、相手の方が遠慮がちに、譲るような状況が生じている。

然し、本当は6室に惑星がトランジットしている時に、人が戦争とか攻撃を行なって来た事実が、占星術師によって、長い実践経験の中で、観察されて発見されたはずである。

しかし、ムフルタでは、それを応用して、戦争や闘争を仕掛けたい時は、惑星が6室にトランジットする時だと主張する。

本当は、人に戦争や闘争が起こるときに6室に惑星がトランジットしていることがまず客観的に事象の後付で観察されたのである。

そしてその後に占星術師がそれらの事象の観察から得られた事実を所有した後、戦争を仕掛ける時は6室に惑星がトランジットする時だと主張したのである。

卵が先か、鶏が先かというような議論である。















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『告発』について

1995年に公開されたアメリカ映画で少し古い作品だが、こないだビデオで見たのである。

あらすじは、ニューヨークの沖、アルカトラズ島にあったアルカトラズ連邦刑務所での虐待を告発するという内容で、ケヴィンベーコン扮するヘンリーヤングという実在の人物が、刑務所からの脱獄を試みたが、仲間の裏切りで失敗し、全く光の届かない狭い地下牢に3年間、閉じ込められるのである。

1年に30分間しか運動が認められず、全く身動きできないまま、狭い地下牢で、うずくまって生活していたせいで、肉体が衰弱し、両側を支えられないと立つことも出来ず、また地下牢から出されてもしばらくはうずくまっている状態でいるしかなかったのである。

そして3年後、地下牢から出されたヘンリーヤングは食事中に、裏切った囚人をスプーンで殺害するのである。

クリスチャンスレーター扮するジェームズスタンフィル弁護士が弁護の担当となり、ヘンリーヤングと話す過程で、自らの独善的な囚人の更正哲学を持つ、ゲイリーオールドマン扮するミルトングレン刑務所長が、
過酷で非人道的な虐待をヘンリーヤングに課したことが分かってくるのである。

裁判の最後の方で、ヘンリーヤングは罪を認めて、第一級殺人で死刑になるか、罪を認めないで、死刑は免れるものの、過酷なアルカトラズ刑務所に再び収容されるかの選択を迫られるのである。

ここは映画のクライマックスでもあるのだが、ヘンリーヤングはアルカトラズ刑務所に戻るくらいなら、死んだほうがましだと叫ぶのである。彼は弁護士とともに連邦裁判所での虐待を訴えたので、所長たちの復讐が怖かったのである。彼は泣いて恐怖を訴えるのである。

然し、彼は最後に殺人の罪を認めず、再び、アルカトラズ刑務所に戻ることになる。

そして、実話の話しだと、その後、ヘンリーヤングは再び、地下牢に閉じ込められて、獄中で死んだそうである。地下牢の下の床には、ヘンリーヤングが、『Victory(勝利)』と落書きした後が記されていたという。

この事件がきっかけで、アルカトラズ連邦刑務所は閉鎖につながり、所長達もその後、刑事告発されたと、エンディングで説明されていた。

この作品を見て思ったことは、この物語はまさに12室の物語だということである。

12室は狭い牢獄に監禁されることを表している。
おそらく、ヘンリーヤングは12室に惑星集中しており、また彼が生きている間のダシャーは殆ど、12室に在住する惑星のダシャーだったと思われる。それも土星や土星が絡む惑星のダシャーであったと思われる。

そして、刑務所内で脱獄や殺人も犯していることから、おそらくその12室には火星も絡んでいるのである。

そして、彼には弁護士の援助があったことから、その12室には木星も絡んでいたのである。

彼が全く光を失った地下牢の3年間は、長い刑務所生活の中でも最も過酷な時期を表しており、おそらくトランジットの土星などが影響したり、アンタルダシャーの土星などが影響した時期ではないかと思われる。

そして、地下牢はまさに12室だが、この物語の舞台となっているアルカトラズ島からして、12室の孤島である。

そこで残酷な刑務所長の虐待を受けたのであるが、刑務所長自体が、そうした12室に監禁された存在だったのである。

アルカトラズ刑務所が閉鎖された後に、刑務所長が刑事告発されたのであり、所長自らも囚人と同じような立場でしかなかったのである。

つまり、刑務所長も看守も、囚人も皆、12室にいる人々である。
立場は変わっても皆、12室に監禁されている存在なのである。

12室はドゥシュタナハウスであり、それにトリシャダハウスとか、凶星が絡むとき、12室の試練は大変な過酷なものとなるのである。

この映画は12室の過酷な試練を表している。















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『ランボー最後の戦場』について

最近、『ランボー最後の戦場』を観に行った。

最後の4作目で、ランボーは円熟して、ある種、全てを諦めている達観した境地に達していたような感じだった。

例えば、ランボーがミャンマーを救いに来たボランティア達がミャンマーの軍事政権に捕らえられ、その救援を要請された後に彼が自分の過去を回想しているシーンが出てくる。

その中で、「俺は生まれついてのファイターだ。
国家の為に戦うのではなく、自分のために戦うのだ。戦闘を楽しむのだ」というようなセリフが出てくる。(セリフの内容を正確に再現できないが、だいたいこのような意味である)

これは、ある種、ランボー第1作から続いている、国家の為に戦ったのに、最後に国に見捨てられたベトナム帰還兵という被害者的な観念を完全に振り捨てて、全く無執着な境地にたち、たた自分は生まれついてのファイターだから、だから戦うんだ、戦うことが自分の本性なんだという、自分の境遇や悲運に対する執着が全くない、ある種、達観した境地にたっているかのような潔さがあるのである。

もうこの『ランボー最後の戦場』の中に出てくるランボーはベトナム帰還兵の心傷ついた兵士ではなく、もはや、自分のファイター(戦士)としての運命(人を殺す)を完全に諦めて受け入れているかのようなのである。全く運命に抵抗せず、ただ無執着に受け入れている潔さが見られ、そこにはもう悩みとか迷いがないかのようである。

バガヴァッドギータの中のクルクシュトラの戦いの前で、勇者アルジュナにクリシュナが、無執着になすべき仕事を為せというカルマヨーガの境地を伝授した時のような無執着の境地なのである。

クリシュナも勇者アルジュナに対して、あなたは、戦士であり、戦うことが本性なのだから、あなたはその本性どおり戦うべきなのだ、それがあなたの仕事なのであり、自分の仕事を無執着で為せばよいのであるというような教えを説いたのである。

このランボーの独白シーンを見ながら、私にはランボーの”自分は戦士であり、戦いを楽しんでいるのであり、自分の為に戦いをしているのだ”という悟りにも似た潔さ、正直さ、運命に対する諦めや、謙虚な姿勢にバガヴァッドギータの勇者アルジュナが重なって見えたのである。

また、ランボーが傭兵たちに対して、

「ムダに生きるか何かのために死ぬかお前が決めろ。」

と言って選択を迫る、非常に印象的で、心に残る名セリフが出てくるのだが、これもランボーのムダに生きるならむしろ、何かの為に死ねという、戦士の高潔な本性から出た言葉であり、戦士を導くリーダーのセリフである。

そして、ランボーは戦闘が終わって、捕虜となったボランティアたちの救出に成功すると、最後のエンディングシーンで、自分の故郷に帰るのである。

故郷というのは4室を象徴しており、故郷に帰るということは、彼が過去から引きずってきた心の傷が癒えたことを象徴しているのである。

心傷ついたベトナム帰還兵のランボーは、第4作にしてついにインド最高峰の霊的教え、カルマヨーガの教えに到達したと私は思うのである。















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