安倍晋三は2004年9月20日からチャラダシャーのメジャーダシャーが乙女座である。
乙女座から見ると10室にAmkが在住し、AKが1室に在住して、10室にアスペクトして、ジャイミンラージャヨーガを形成している。
然し、1室にはGKも在住して10室にアスペクトしているため、キャリア上の障害も多いことを表している。
2003年9月に自民党の幹事長に抜擢されているが、天秤座/乙女座、天秤座/天秤座の境目である。
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自民党幹事長
2003年(平成15年)9月、小泉によって自民党幹事長に抜擢された。事前には筆頭副幹事長への就任が有力視されていたため、小泉の「サプライズ人事」として注目を集めた。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の大平正芳総裁時代の斎藤邦吉幹事長以来24年ぶりであった。大臣経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは前代未聞。総選挙で与党は安定多数の確保に成功したが、自民党の単独過半数はならなかった。
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安倍晋三は自民党幹事長になった辺りがチャラダシャー天秤座時代の終わり頃の天秤座/乙女座の時期であった。サブダシャーが乙女座であり、また直後から乙女座の時代がやってくるので、この時期から地位が向上しているのが分かる。
自民党の幹事長になったが、直ぐに天秤座/乙女座から天秤座/天秤座に移行して、Amkが9室に在住しているため、参院選の敗北の責任を取って辞任している。
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2004年4月埼玉8区補欠選挙で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人柴山昌彦が当選(同公募には佐藤ゆかりも最終選考に残った)、同年夏の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。
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然し、その後、2005年10月31日に乙女座/蠍座に内閣官房長官として入閣しており、2006年9月1日に自民党の総裁選への出馬を表明している。
つまり、メジャーダシャーが乙女座の時期に移行してから、自民党の総裁選に出馬するといった大舞台に挑戦しているのである。
チャラダシャーで見ると、安倍晋三は乙女座のメジャーダシャーに移行した辺りから、政治家としてのキャリアにおいて急上昇している。
そして、途中、2007年7月~9月の間に極度の不調により総理大臣を辞任しているが、
その時期は乙女座/射手座の時期である。
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参議院議員選挙での敗北
2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。同年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」[19]と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、東北地方や四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。
体調の悪化と総辞職
安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する批判が出た。
参院選直後の7月31日の自民党総務会において、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)。 同日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた。翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と自民党内からも批判された。
広島平和記念式典に行く前日の8月5日から、胃と腸に痛みを感じ、食欲の衰えを感じるようになる。そして、8月19日から8月25日のインドネシア・インド・マレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。しかし、慶應義塾大学病院の主治医によると、潰瘍性大腸炎の血液反応はなく、機能性胃腸障害という検査結果であったという。
アジア太平洋経済協力首脳会議にて、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュと握手を交わす安倍(2007年9月8日)選挙結果や批判を受け、8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(第1次安倍内閣 (改造))。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、オーストラリア・シドニーで開催された APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良により APEC の諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。
2007年9月10日に第168回国会が開催され、安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」という趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。
2007年9月12日午後2時(JST)、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った。(wikipediaより)
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ラオ先生の「Predicting Through Jaimini Chara Dasha」では、チャラダシャーが射手座の時期は転落の危険がある時期として注意が促されている。
安倍晋三の射手座はラグナからみた6室でGKもアスペクトして批判を受けたり、病気になったりする転落の時期であったと考えられる。
射手座をラグナとするとGKとAKが10室に在住して、まさに国民の前で辞任を表明して入院するという失態を演じたのは、この為であると考えられる。
ジャイミニのチャラダシャーで見るとキャリア上の昇進は乙女座の時期から始まったことが鮮やかに示されている。
また射手座のサブダシャーの時期に総理大臣という高い所から転落し、また天秤座のサブダシャーの時期にAmkが9室(10室から12室目)に在住していることから、総理大臣を引責辞任していることが分かる。
非常にチャラダシャーが正確に機能していることが分かる。
また結婚は1987年6月で、土星/木星期であり、チャラダシャーは射手座/蟹座の時期である。
蟹座にはDKとDKNが在住している。
またこのDKとDKNに土星が蠍座からジャイミニアスぺクトしているタイミングであった。
1991年に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死しているが、この時期は射手座/射手座の時期である。
つまり、この父の死も安倍晋三にとっては転落の体験であったことが分かる。
現在、安倍晋三は2014年9月20日以降、乙女座/獅子座の時期であり、乙女座からみてAmkの月は10室に在住し、獅子座からみてAmkの月は11室に在住している。
従って、安倍晋三はキャリア的に上昇の極みにいる状態である。
但し、乙女座をラグナとすると、3、8室支配の火星が4室から10室にアスペクトし、また10室はラーフ/ケートゥ軸が接合し、GKがアスペクトして傷つけられている。
従って、キャリア的に上昇の極みにいる状態であっても障害が常に付きまとっているのである。
また乙女座のメジャーダシャーの時代が安倍晋三の政治家としてのキャリアが最も充実している時期であることから、乙女座ラグナのようにチャートを吟味することが出来る。
そうすると10室に月が在住していることは大衆からの人気を表し、また10室支配の水星に太陽が接合していることは政治家として内閣に入り、行政府の長を司ることを表している。
また12室支配の太陽が接合していることは外国への訪問とか外交を表し、また2室に強い金星と土星が在住することは、スピーチの上手さなどとして現れている可能性がある。
4室に在住する8室支配の火星とラーフは岸信介の娘であり、未だに安倍晋三に強い影響力を持つ母親の存在も示唆しているかもしれない。
このラーフと火星が4室に在住する配置からすると安倍晋三は心穏やかでなく、また一つの狂信状態に心が支配されている状態ではないかと思われる。
3、8室支配の火星と11室支配の月が4-10室の軸で相互アスペクトして、ラーフ/ケートゥ軸が絡んでいる状態はあまりよくない配置である。
11室と8室の絡みは貪りのハウスと苦悩のハウスのコンビネーションである。
また11室で木星が高揚しているので、今は世間的には非常に高い評価を受けて、高い地位につき、称号や肩書き、富を得ていることを示している。
安倍晋三はこの後、2015年9月20日~2016年9月20日まで乙女座/乙女座の時期を経過するため、まだ暫くは総理大臣に留まるものと思われる。
その後、2016年9月20日以降にメジャーダシャーが獅子座の時期に移行するため、その後も
2027年9月20日まで獅子座の時期に留まるため、Amkが11室に在住して、総理大臣経験者としての高い称号を得た状態で、今後も社会的には高い地位に留まり続ける配置となっている。
安倍晋三の今後について
2015.05.12
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