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ロッキー青木家の遺産相続争い

2023 5/19


アメリカで、Benihana(紅花)という、寿司&鉄板焼きの一大レストランチェーンを築いたロッキー青木こと、青木廣彰氏の遺族である夫人や子供たちの間で、遺産を巡る争いが起こっているとコロナが流行ろうとしていた2020年2月19日付のニューズウィーク日本版の記事が伝えていた。



アメリカ日本食ブームの立役者、ロッキー青木の財産を巡り揺れる遺族
2020年02月19日(水)17時00分 ニューズウィーク日本版 for woman (安部かすみ)

<アメリカで一大レストランチェーンを築いたロッキー青木は2008年に他界したが、未だにその財産をめぐって遺族の間で訴訟問題となっている……>

Benihana(紅花)という、全米展開する寿司&鉄板焼きの一大レストランチェーンを聞いたことはあるだろうか? 1964年にレスリングの日本選抜チームの一員でもあったロッキー青木氏がニューヨークで創業したレストランだ。客の目の前でパフォーマンスをしながら肉を焼くという当時としては斬新なスタイルで一世風靡し、日本食をニューヨークから全米中に広める先駆けとなった。

2006年、生前のロッキー氏に取材したことがある。インタビュー時、青木氏のオフィスの壁には、青木氏がカバーとなった米『Newsweek』が飾られていた。

遺産管理をめぐって遺族の間で訴訟問題に

ロッキー氏は2008年に病気で他界したが、未だに遺された青木一家が揺れている。彼には前妻との間に生まれたDJスティーブ青木氏と、シャネルなどで一躍有名になったモデルのデヴォン青木氏を含む6人(一部7人という情報もある)の子がいる。他界した時には、3番目の妻で日本出身の実業家、青木恵子氏と婚姻関係にあった。

その恵子氏と義理の子にあたるスティーブ氏とデヴォン氏が、財産を巡って訴訟問題になっているという。2月8日付けの『ニューヨークポスト』は、「紅花の相続人スティーブ氏とデヴォン氏は、5,000万ドル(約55億円)の家族信託から義母を追い出したい」という見出しで報じた。

記事によると、ロッキー氏がスティーブ氏とデヴォン氏のために残した「数百万ドル」(約数億円)を恵子氏が浪費したとし、信託基金の筆頭から除外すべく昨年12月、恵子氏を相手取り、再び訴えを起こしたとしている。恵子氏がこの兄妹に訴えられたのは初めてではないという。

2014年5月には6年に及ぶ法廷闘争の末、デヴォン氏とスティーブ氏が5,000万ドルを2人で共有できるようになったが、2人は恵子氏を家族信託の筆頭から1日も早く排除したいとの考えのようだ。

恵子氏はロッキー氏の死後、Benihana of Tokyoの北米と南米を除くフランチャイズのCEOとして活動している。以前は補正下着の事業を成功させた実業家で、ロッキー氏に出会って以降も、彼の右腕として手腕を発揮してきた。またニューヨークの一等地、五番街でのセレブとしての未亡人生活を、日本のテレビ番組でたびたび紹介されている。

また、Beni-Girlsという鉄板焼きの料理人を連想させるダンスデュオをプロデュースしたり、KOA(2014年)やROKI(2017年)という高級居酒屋をマンハッタンにオープンしたりして話題になったが、いずれも思うほどうまくいかず、共に1~2年で事業を畳んでいる。

恵子氏の苦悩は、地元紙で以前このように紹介されている。「ロッキーは『会社には(統制する)1つの声が必要』と信じていた。私には会社を統制する責任がある。しかし子どもたちは私と違う意見を持ち、私と争おうとしている」。


私が何故、ロッキー青木のことを知ったかと言えば、全く関係のない密教の本を読んでいて、その本の中で、ロッキー青木(通称)のことをアメリカンドリームの体現者であると紹介されていたからである。


この密教関係の本自体が、非常に興味深い本である為、それについてはまた後日、書きたいと思うが、このロッキー青木は、まさに射手座ラグナの成功者の典型であり、アメリカンドリームと言えば、それは射手座のことを表わしているという私の理解は、ここでまた確認することが出来た。



このロッキー青木には、1964年に結婚した最初の妻(小林ちづる)との間にグレース(1968年生まれ)とケヴィン(1968年)、スティーブ(1977年生まれ)の3人の子供がいる。




スティーブと小林ちづる



そして、1981年に結婚した2番目の妻(パメラ・ヒルバーガー)との間にカイル(1976年生まれ)、エコー(生年不明)、デヴォン(1982年生まれ)の3人の子供がいる。



パメラ・ヒルバーガー



デヴォン青木



そして、2002年に結婚した最後の妻(小林恵子)との間には子供はいない。





ロッキー青木と小林恵子(青木恵子)



ロッキー青木は、2008年に亡くなっている為、この最後の妻である小林恵子との間で、実質的に結婚生活を送ったのは、6年間ほどである。



しかし、子供たちとは、長い年月を過ごして来たにも関わらず、ロッキー青木が、年老いて人生の晩年に結婚した小林恵子は、6年経過していると言えども、子供たちにとっては昨日今日に突然、現れた見ず知らずの女性であり、この父親の最後の妻に対して、快い気持ちは抱いていなかったようである。



但し、ロッキー青木は、この小林恵子に絶大な信頼を置き、遺言によって、この最後の妻、青木恵子(小林恵子)をBenihana(紅花)の全ての管財人に選んだ。


(1999年にインサイダー取引で不正な利益を得たとして罰金50万ドル、保護観察3年の有罪判決を受け、「BENIHANA」会長の座を辞任し、また2001年には、母親が亡くなり、弟と遺産分割に対する訴訟を経験するといった形で、問題が続いていたロッキー青木にとって、妻の恵子氏は、支えとなったのかもしれない。)



父親が晩年に結婚した若い妻に対して、元々の相続人である子供たちが訴訟を起こすというのは、よくありがちな話である。



この子供たちと、最後の妻、青木恵子(小林恵子)との間には、ロッキー青木が生きている間から、争いは生じていた。



そして、ロッキー青木は、2005年、財産分与を巡り、6人の実子のうち、スティーヴ・アオキとデヴォン青木を除く、4人を訴えている。



父親であるロッキー青木が、実の子供たちに対して、訴訟を起こしているのである。



つまり、父親のロッキー青木は、青木恵子(小林恵子)を信頼し、Benihana(紅花)の全ての管財人にしようとしたが、子供たちは、ロッキー青木が生きている間から、この決定に対して、不服を表明し、結局、裁判の結果、2010年8月に青木恵子(小林恵子)が、Benihana(紅花)の全ての管財人となった。



この騒動について、アメリカの雑誌 (New York)が、2006年10月26日に「ロッキーのファミリー・ホラー・ショウ」として、報じている。 (記事は少々長い為、翻訳して、参考文献に記載)



そして、この遺産相続を巡る争いはいまだに続いており、2020年2月8日付けの『ニューヨークポスト』は、「紅花の相続人スティーブ氏とデヴォン氏は、5000万ドル(約55億円)の家族信託から義母を追い出したい」という見出しで報じたという。



ロッキー青木が、スティーブとデヴォンのために残した「数百万ドル」(約数億円)を青木恵子が浪費したとし、信託基金の筆頭から除外すべく、2019年12月にスティーブとデヴォンが、青木恵子氏を相手取って、再び訴えを起こしたということである。



この文脈からすると、ロッキー青木が2005年に4人を訴えていたというのは、6人の実子のうち、スティーヴ・アオキとデヴォン青木を除く、4人に対して、財産を分与しないという争いであったようである。




父親からも認められた正当な相続人であったスティーヴ・アオキとデヴォン青木が、管財人である青木恵子に対して、父親が自分たちに残してくれた財産を浪費しているとして訴えていたようである。









このロッキー青木のラグナが最初の直感通り、本当に射手座ラグナであるかどうかを結婚のタイミングや子供の誕生のタイミングで検討した。





結婚のタイミング



まず、1964年に小林ちづると結婚した時、ダシャーは金星/太陽期、あるいは、金星/月期である。







トランジットを見ると、土星が2室山羊座、木星が4室魚座をトランジットして、2室と8室にダブルトランジットしている。



そして、ラーフ/ケートゥ軸は、1-7軸を通過している。



2室や8室へのダブルトランジットは、既に生活を共にしていたことを物語っている。




1981年に2番目の妻、パメラ・ヒルバーガーと結婚した時、ダシャーは、太陽/火星、あるいは、太陽/ラーフ期である。






トランジットを見ると、土星と木星は7室支配の水星とコンジャンクトして、7室にダブルトランジットを生じている。



また木星と土星は、2室の支配星にもアスペクトし、木星は2室にもアスペクトして、2室にダブルトランジットが生じている。



またラーフ/ケートゥ軸も2-8軸で、8室にラーフがトランジットしている配置からは、結婚願望が読み取れるタイミングである。




2002年に小林恵子と結婚した時、ダシャーは、火星/金星、あるいは火星/太陽、または火星/月期辺りである。





トランジットを見ると、木星は7室双子座を通過し、土星は牡牛座で逆行して、7室にアスペクトしている。



またラーフ/ケートゥ軸も1-7軸にあり、結婚のタイミングを物語っている。





子供の誕生のタイミング




1968年に小林ちづるとの間にグレースが誕生した時、ダシャーは金星/ラーフ期で、トランジットを見ると、1968年6月17日の時点で、土星が牡羊座5室に移動し、木星は9室を通過して、5室支配の火星とコンジャンクトし、5室にアスペクトして、5室にダブルトランジットしていることが分かる。





サプタムシャを見ると、出生時間が不明な為、ラグナが正しいかどうか不明だが、金星は9室の支配星で、木星は子供の表示体で、5室支配の水星と相互アスペクトしている。



小林ちづるとの2番目の子供であるケヴィンも同じ1968年に誕生している。







そして、3番目の子供スティーブは、1977年に生まれているが、ダシャーは、金星/水星期で、サプタムシャでは、金星は9室の支配星、水星は5室の支配星である。



トランジットは、1977年1月1日時点で、木星は5室を通過し、9室にアスペクトして、5室の支配星にもアスペクトしている。



土星は蟹座から9室の支配星にアスペクトし、逆行して5室の支配星にもアスペクトして、更に5室にもアスペクトして、5室と9室にダブルトランジットしている。






次にパメラ・ヒルバーガーとの間で、1976年にカイルが誕生しているが、ダシャーは、金星/水星期であり、1977年生まれのスティーブと同じようにサプタムシャでは、金星は9室の支配星、水星は5室の支配星である。



因みにカイルは、2番目の妻、パメラ・ヒルバーガーとの間に生まれた子供であるが、1976年に生まれており、スティーブは1番目の妻、小林ちづるとの間に生まれた子供だが、カイルよりも1年後に生まれている。



つまり、この時期、小林ちづると結婚していたが、パメラ・ヒルバーガーとも愛人関係にあり、両方の相手との間で、子供が誕生したことが分かる。



トランジットを見ると、1976年2月26日の時点で、木星が5室を通過し、9室にアスペクトして、5室の支配星にもアスペクトしている。



土星は蟹座で逆行して、9室にアスペクトし、5室と5室の支配星にアスペクトして、5室と9室にダブルトランジットしている。



またラーフ/ケートゥ軸は、5室を通過していたことが分かる。







そして、パメラ・ヒルバーガーとの間で、5番目の子供として、エコーが誕生しているが、生年月日が不明な為、省略するが、6番目の子供として、1982年にデヴォンが誕生している。







デヴォン青木は、ハリウッド映画にも出演するスーパーモデルである。




ダシャーを見ると、太陽/ラーフ、または太陽/木星期、あるいは太陽/土星期である。




トランジットでは、土星が乙女座で逆行して、5室支配の火星と絡み、木星が天秤座から5室にアスペクトして、5室にダブルトランジットしている。




このように結婚と子供の誕生のタイミングで検討した所、射手座ラグナで間違い無さそうである。







ロッキー青木は、大学時代にレスリング部に所属し、レスリング日本選抜で、米国遠征し、そのままアメリカに残って、ニューヨーク市立大学シティカレッジ (CCNY)に入学し、レストラン経営を学んでいる。


しかし、いくらアメリカンドリームの体現者だと言っても、全くゼロから掴んだのではなく、元々、両親が既に日本橋を本店に銀座などで、洋食屋「紅花」を数店舗経営しており、両親兄弟も伴って、家族で渡米し、鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」第1号店をニューヨーク・マンハッタン西56丁目にオープンしたというのが、事の成り行きのようである。


元々実家が、飲食店業でのノウハウを持っており、家族のサポートを受けながら、米国にレストランをオープン出来たということが真実である。


その後、パフォーマンスを取り入れた鉄板焼きが、多数のメディアの取材を受けて成功し、米国内80店を含む世界110店舗を展開する一大日本食チェーン「BENIHANA」の礎を築くこととなった。


実業家として成功してからも、バックギャモンの全米チャンピオンになったり、気球で、太平洋横断を行なうなどして、冒険家の一面を見せた。


因みに射手座ラグナは、アスリートを生み出す典型的なラグナであり、根っからの冒険家で、スポーツ界に留まらず、実業界でも成功する人が多い。


私が以前、射手座ラグナに修正したシンガポール在住の投資家ジム・ロジャーズも若い頃、バイク(ハーレーダビッドソン)で、世界一周旅行をしている。


射手座は、実業の世界で成功するだけでは飽き足らず、必ず、アスリートや冒険家を兼業しているような人も多いのである。




2001年1月に母である青木かつ氏が死去した際にロッキー青木は、青木四郎ら弟たちに未払い遺産分割に対する訴えを起こし、全面勝訴した。


これが何故、起こったのかと考えると、まず、ロッキー青木は、ラグナロードで4室支配の木星が、起業、自営業の2室に在住し、2、3室支配で4室に在住する土星と、2-4の星座交換をしている。


これがおそらく、実家の両親が、洋食屋「紅花」を数店舗経営しており、実家の飲食業と切っても切れない濃密な縁があることを示す配置である。


しかし、8室支配の月が3室支配の土星と4室で、コンジャンクションして、3-8の絡みが見られるため、実家の飲食業に弟と一緒に参画したが、そりが合わないことを示している。







2001年1月は、火星/金星期で、金星は6室支配で、12室に在住して、ヴィーパリータラージャヨーガを形成している。


6室の支配星である為、敵との訴訟を表しているが、ヴィーパリータラージャヨーガの為、最終的に敵が消えてしまう配置になっている。


金星は、蠍座のアヌラーダ(土星)に在住しているが、土星は、3室支配で、8室支配の月と共に4室で、3-8の絡みを形成しており、弟のことでの困惑を表している。



因みに火星/金星期において、アンタルダシャーロードの金星は、マハダシャーロードの火星の星座に在住している。


従って、この場合、アンタルダシャーロードの金星が火星の制御下に入り、主にマハダシャーロードの火星が結果を表わすことになる。


火星は月から見ると、2室(両親、家族)を支配して、6室(訴訟)に在住しており、2-6の絡みで、親族との訴訟を表している。



2005年には、財産分与を巡って、6人の実子のうち、スティーヴ・アオキとデヴォン青木を除く、4人を訴えているが、この時は、ラーフ/ラーフ、もしくはラーフ/木星期のいずれかである。


ラーフのディスポジターは6、11室支配で、12室に在住する金星であり、金星は、ディスポジターである5、12室支配の火星からアスペクトされて傷ついている。


火星は5室(子供)と12室(出費、損失)の支配星であり、その為、ラーフ期に子供たちとの訴訟による出費がもたらされたと考えられる。




そもそも射手座ラグナは、配偶者の表示体である金星が、6、11室の支配星となり、部下や愛人を表わす6室の支配星となる。




最初の結婚(小林ちづる): 1964年・・・・・金星/太陽 or 金星/月


2番目の結婚(パメラ・ヒルバーガー):1981年 ・・・・・太陽/火星 or 太陽/ラーフ


3番目の結婚(小林恵子):2002年・・・・・火星/金星 or 火星/太陽 or 火星/月



その為、配偶者は、部下や愛人的な立ち位置であることが多く、結婚と離婚を繰り返すことになりがちである。


またお金目当ての結婚というものも多くなってくる。



2002年に3度目の結婚(小林恵子)をした時は、直後にラーフ期(2003/1/27~)に移行している。


ラーフのディスポジターは、6、11室支配の金星である為、小林恵子との最晩年の結婚生活は、愛人兼部下との結婚といったニュアンスがあった。


しかし、この金星は訴訟の6室の支配星でもあり、子供の5室と損失の12室の支配星である火星からのアスペクトを受けて傷ついている為、子供との訴訟に移行していったのである。



父親の最晩年の愛人、部下が、父親の信任を受けて、Benihana(紅花)の全ての管財人になろうとするのに対して、子供たちが反発し、訴訟を仕掛けたのである。



この金星は、6室支配である為、通常は意見の不一致が起こり、仲が悪くなるはずだが、金星は6-12のヴィーパリータラージャヨーガを形成している為、二重否定で、敵対関係を失う配置となり、結婚を行なった場合は、関係は不思議と安定する配置である。




月から見ると、3、8室支配で9室に在住している為、ロッキー青木にとっては、3番目の妻、小林恵子(青木恵子)は、頼りにする相手であったかもしれない。



そうしたことで、小林恵子(青木恵子)はロッキー青木の信任を得たのだが、しかし、金星は11室の支配星でもあり、12室に在住していることから、お金をどんどん浪費する配置にもなっている。



父親が、長い人生においては、昨日今日出会ったばかりの小林恵子(青木恵子)に全ての財産の管理を任せるといったことは、子供たちにとっては父親の浪費に映ったかもしれない。



また実際、ロッキー青木は、小林恵子(青木恵子)と出会ってから、金銭をどんどん失う流れに入っていったと考えられる。



つまり、父親が晩年に出会った愛人にお金をどんどん使い込んでしまうといった状況に陥ったと考えられる。



実際、2010年8月に裁判所は、ロッキー青木の遺言を執行し、小林恵子(青木恵子)がBenihana(紅花)の全ての管財人になったが、それに対して、子供たち(スティーブとデヴォン)が、父親が残した「数百万ドル」(約数億円)を青木恵子氏が浪費したとして、訴訟を起こしたのである。



金星が、11-12のコンビネーションを形成している為、父親の生前から、お金を使い込んでいくような傾向があったのだと思われる。



ロッキー青木のラグナを射手座に修正して、そして、この6、11室支配で12室に在住し、5、12室支配の火星から傷つけられたこの悩ましい金星を見て、これこそが、父親の晩年の愛人問題、金星トラブルを表わす表示体であることが分かった。



ロッキー青木さん死去 日本レストラン「ベニハナ」を創業
2008.7.12 19:17 産経ニュース

 【ニューヨーク=長戸雅子】米国での日本食レストランのさきがけとなった鉄板焼きチェーン「ベニハナ」の創業者で冒険家としても知られるロッキー青木(本名・青木広彰)さんが10日夜、ニューヨーク市内の病院で肺炎のため死去したことが分かった。関係者が11日、明らかにした。69歳、東京都出身。

 1959年、慶応大在学中に日本選抜チームのレスリング選手として米国遠征に参加、60年に米国に留学し、ニューヨーク市マンハッタンのハーレムで移動式アイスクリーム店を開いた。番傘を添えるアイデアが話題を呼び、米国での最初の成功を収めた。

 64年に「ベニハナ・オブ・トーキョー」を開店。ショースタイルの料理法が受け、日本食がまだ珍しかった時代に店舗を次々に増やしていった。

 82年には気球で太平洋横断を行うなど冒険家としても知られた。

 青木さんが会長を務めていた非営利団体「ニューヨーク倫理友の会」のリンゼイ芥川笑子理事長は「青木さんが現れるとその場が明るく、和やかになった。(複数回の結婚など)私生活のことがいろいろ取りざたされたが、本質は純粋な人。偶然の幸運でなく、自分の才覚でビジネスを成功させた『ゴールデン・ボーイ』だった」と故人をしのんだ。

 10日夜には家族や近親者が病床に集まり、最後を看取った。青木さんが最後に書き残した言葉は「もっと挑戦」だったという。

 スーパーモデルで女優のデヴォン青木さんは実娘。


ロッキー青木は、2008年7月10日に亡くなったが、死因は、肺炎だった


ダシャーはラーフ/土星期であり、マハダシャーロードのラーフのディスポジターは、6、11室支配の金星であり、金星は射手座ラグナにとってのマラカに相当する。


アンタルダシャーロードの土星は2、3室支配のマラカで、4室(肺)に在住し、4室支配の木星と星座交換して、4室(肺)を激しく傷つけている。


またコンジャクトする月も生来的な4室の表示体である。


この土星は、12室支配の火星からのアスペクトも受けて、更に傷ついている。






ロッキー青木は、自分が信頼する3番目の妻を子供たちが嫌うことに不満があり、子供たちが自分の財産を当てにばかりすることにも不満だったようである。


ラグナロードの木星は山羊座の2室に在住し、5室支配の火星は獅子座に在住して、ラグナロードと5室の支配星は、6-8の関係にあることが分かる。


タジクシステムによれば、これはロッキー青木と子供たちが、相性が悪いことを表わしている。


ロッキー青木自身は、自分の努力で、お金を稼ぎ、栄光を掴み取れといった考え方で、射手座の成功哲学と、山羊座の実務的実際的な行動力が混じり合ったような性格であった。


一方で、子供たちは、自分たちは、子供として当然のごとく財産を相続する権利があるといった根拠のない自信を示す獅子座のふてぶてしさ、図々しさがあったかもしれない。


山羊座と、獅子座は全くそりが合わない。



因みに今回、ロッキー青木について知ることになったのは、「あらゆる願望をかなえる 現代密教 天地開動術」藤本憲幸著という本がきっかけだった。



この本の中で、ロッキー青木をアメリカン・ドリームを実現した男として、紹介されていたのである。



”アメリカン・ドリーム”を実現した男

自分のことなら説明はつく。だが、途轍もない成功を勝ち取ったロッキー青木氏の場合はどうだろう。
”ロッキー症候群”という旋風まで起こした億万長者であるから、知っている人も多いだろうが、ベニバナ・チェーン五十余店舗のレストランのオーナーであるロッキー青木氏の第一歩は、十九歳(一九五七年)で全米アマチュアレスリング選手権に全日本代表として選ばれたときにスタートした。
日本を出発するとき、父親から、「アメリカにはドルがあふれている。その凄さも味わってこい」と言われたことが頭に焼きついた。
ただ彼の当面の目標は、「オレは絶対に勝つ。チャンピオンになる」ということにあった。事実、彼は日本を出発前、町の写真屋へ行ってユニフォームに着替え、日米の国旗を背にVサインをしている写真を撮らせたりしている。潜在意識は「勝つ」ことへ向けて完全武装していたわけである。
アメリカへ着いて空港の到着カウンターへ向かう途中、彼は一ドル札を拾った。父親の一言が頭に甦った。
「試合に勝って、アメリカに残りたい」と彼は改めて考えた。
試合は何度も負けそうになったが、そのたびにあの”Vサインの写真”が頭にひらめき、最後の踏んばりで逆転勝ちを収め、とうとうチャンピオンになってしまったのである。
目標は達成された。しかし、彼には”ドルの夢”が残った。その戦いに勝ちたいという夢である。
「よし、やっぱりこのままアメリカに残ろう。そして、リッチマンになるんだ」
かくて、十九歳の青年がアメリカの実業界でVサインを出して笑う姿を選んだのである。

夢の実現に絶対欠かせないもの

帰国する選手団と別れたロッキー青木氏には、遊んでいられるお金はなかった。働き口は見つけたものの、英語が話せない。彼は積極的にガールフレンドを探してつき合った。安上がりに、しかも楽しみながら英語も生活習慣も学べるからである。

車もありきたりのものでは満足できなかった。町でロールスロイスを見かけると、彼は頼み込んで車と一緒にいる写真を撮ってもらった。ドアに手をかけている写真、別の日には運転席に腰掛けている写真-こうして何枚もの「ロールスロイスと一緒にいる自分」の写真を、肌身離さず持ち歩いたのである。
小柄なロッキー青木氏は女の子にモテたのだが、その中の一人に、可愛いミッシェルがいて、なんと彼女はロールスロイスに乗っていた。何回目かのデートのあと、豪華なマンションの前まで送っていった彼に、「ロッキー、あなたさえよければ、この車を自由に使っていいわ」と、キーを渡してくれたのである。ロッキーの”写真想念術”がこうしてまた一つ成功した。
このロールスロイスは、彼が事業計画を起こして銀行へ借金を申し込むときにも役立った。彼はその車の所有者たるにふさわしく、堂々と振る舞ったからである。金を借りなければ死んでしまいそうな人に、銀行は一セントだって貸してはくれない。一九六四年、ロッキー青木氏はニューヨークのマンハッタンにベニバナ一号店をオープンした。何年も頭の中に描き続けたその城のようなデザインの店は、若い日本人オーナーであることと相俟って、たちまち大評判となった。

いったん”時の人”となると周囲が黙っていない。美人コンテストの審査員を皮切りに、彼には”翔んでる男”の役回りがどんどん舞い込んできた。金髪の美女たちが、いつも周囲に群がるようになった。

今や百億の資産家となった彼には当然のことであるが、小川や射撃場まで備えた別荘や、二十九部屋もある豪邸などをいくつも持ち、自家用機を二機、世界の名車だけでも三十台を数える(※飛行機はその後、航空会社の役員になったため手離す)。

彼はそれを単に”買った”のではなかった。店舗と同じように、一つ一つを事前にしっかりとイメージし、自分の夢の領土を拡げるように追加していったのである。それがまた、新しい夢を大きく育てていったのである。

私が彼の家に泊まったとき、夫人が息子の頭をなでながら、「この子は運動神経が発達しているから、きっといい選手になるでしょう」

と言ったのを遮って、ロッキー青木氏は、「今のこいつはダメだ。そうなる自分を信じてないからダメなんだ」と厳しい顔で言ったものである。

彼は一九八一年、気球による太平洋横断という快挙を成し遂げ、ここでもまたヒーローになった。そのときプロジェクトに参加した私は彼の日常を見たのだが、レストラン王でありながら、彼自身はあまり食べない。酒の飲まず、タバコも吸わない。ゴルフもしない。ひたすら夢を育て、夢を実現することに打ち込む姿だけがそこにあった。

これが、瞑想の世界なのである。実業界や社交界の中で忙しく立ち回りながら、彼は瞑想を実践しつづけていたのである。


(「あらゆる願望をかなえる 現代密教 天地開動術」藤本憲幸著より引用抜粋)


藤本憲幸氏が、現代密教について解説したこの本は、射手座的な自己啓発に満ちた本である。


密教、ヨーガを自己実現の為、人生を変える為に実践することを勧めるような内容であった。



そして、この本の中で、紹介されていたロッキー青木は、まさにアメリカン・ドリームを実現した射手座的な人物であった。


調べてみた所、まさに射手座ラグナであった。



私は、2022年11月30日から金星/水星期に移行しており、水星は双子座から射手座にアスペクトしている為か、最近、射手座的な自己啓発に触れる機会が多くなっている。



(参考資料)

ロッキー青木さん、七回忌
2014/7/25 ニューヨークビズ

「KOA」で友人ら集う

米国で鉄板焼きチェーン、ベニハナを経営し成功した実業家、故ロッキー青木さんの七回忌の集いが10日、生前、ロッキーさんと親交のあった友人らを招き、マンハッタンのレストラン「KOA」で行われた。ロッキーさんは2008年6月10日肺炎のため亡くなった(享年69歳)。

この日は、恵子夫人から、このたび遺骨が日本に戻ることになり、東京都世田谷区奥沢にある浄土宗の寺、九品仏浄真寺に安置されることが報告された。

七回忌が行われた「KOA」は、生前「ヌードルレストラン」をつくりたかったというロッキー氏の思いを組んで、恵子夫人が今夏、フラットアイロン地区にオープンしたレストラン。七回忌という節目の年に、ロッキー氏の夢がまた一つかなった形となった。

(「WEEKLY Biz」(ニューヨーク)2014年7月26日号掲載)
参照元:ロッキー青木さん、七回忌
2014/7/25 ニューヨークビズ
ロッキーの家族ホラーショー
2006年10月26日 New York (ローガン・ヒル)

「娘のグレースが『お父さん、お母さんがあなたを毒殺するつもりだから、食べ物に気をつけて』って言ってるんだ」と、ロッキー青木が奇妙で楽しそうな笑顔で言う。

最近、ロッキーはグレースの言うことをあまり聞こうとしていない。彼のアパートから数階下のオリンピックタワーの会議室で、紺色のサングラスよりも濃い色のピンストライプのスーツを着て座っている、68歳のベニハナの王様は、彼が創設した会社の支配権を奪おうとする「不忠で無能」な4人の子供たちを訴える理由を説明しようとしている。彼がすぐに言い当てる理由は、「基本的に、彼らは僕の奥さんが金目当てだと思ってるんだ」と言って、4年前に結婚した3人目の妻、51歳の恵子・オノを指して言う。そして彼は冗談を言う。「でもお金はすべてじゃないさ」と、サングラス越しにウインクしながら言う。「たったの99パーセントだけだよ。」

ロッキーはくすくす笑う。それは彼の2番目に好きな冗談で、時と場所を選ばずに言い放つことが多い。彼が女性を虜にする魅力があるのも不思議ではない。彼がこんなに大変な状況にあるのも不思議ではない。そして、彼が一番好きな冗談、彼が一番語りたがる冗談は、この家族との確執がどのように始まったのかという長くて馬鹿げた話だ。

何世代にもわたって、どこで何がうまくいかなかったのかを特定できないほど機能不全に陥っている家族がいる。青木家はそういった家族ではない。ロッキーによると、彼らの問題は1979年9月14日、サンフランシスコのホテルで始まった。

当時、ロッキーは絶好調だった。第二次世界大戦からわずか20年後の1964年、彼は西56丁目のベニハナレストランで、アメリカのフォーチュンクッキー(もう一人の日本人がサンフランシスコで発明した)と同じように日本の小道具で金を掘り当てた。1979年には、ベニハナは世界中に店舗を持つ数百万ドル規模の会社に成長し、ロッキーはNewsweekの表紙を飾る移民成功者の代表格になりつつあった。「僕はトランプみたいだった」と自慢するロッキーは、白人が他のアジア人と区別できるように60年代に取り入れたという独特の縮れ毛のジェリーカールが特徴的だ。「会社を宣伝するために何でもやったんだ。リチャード・ブランソン?彼は僕を真似たんだよ。」

料理ができないセレブリティシェフとして、ロッキーは安価な宣伝スタントの技術を習得し、スターの座についた。彼は自分のストレッチ・ロールスロイスのホットタブで写真を撮ったり、ストレッチ・フォルクスワーゲン・ビートルで全米レースに参加したりした(「ストレッチ・コルベットも持ってるよ」)。彼は『ハワイファイブ・オー』にカメオ出演し、全米バックギャモン選手権で優勝し、ベニハナのロゴ入りの熱気球で太平洋を横断した最初の人物として世界記録を達成した。1979年には、彼はスピードボートに夢中だった。だから9月14日の暖かく風の強い朝、サンフランシスコのホテルの部屋で3歳の息子カイルと一緒に、ベニハナ・グランプリの準備をしていた。そんな時、ロッキーはドアをノックする音を聞いた。

彼は予期しない2人のゲストに驚いた。15年間の結婚生活で生まれたロッキーと千鶴・小林との間の2人の息子、11歳のケビンと幼いスティーブだった。ロッキーは千鶴と子供たちにはニュージャージーにいてほしいと思っていた。そうすれば、彼はカイルとその母親であるパメラ・ヒルバーガー、ロッキーの愛人と一緒に過ごす時間が持てるからだ。「ケビンがカイルを見て」とロッキーは思い出話し、どんなにこの話が彼にとって悪い結末を迎えても、笑顔を止めることができない。「彼は僕に『この子は誰?』って聞いたんだ」ロッキーはあわてて嘘をついた。しかし、うまくはいかなかった。「僕は『ああ、彼は友達の息子だよ』って言ったけど、カイルが『お父さん!お父さん!』って言うんだ」ロッキーは「いや、お父さんはここにはいないよ。ニュージャージーのどこかにいるんだ!」と言った。しかし、ケビンはそれを信じなかった。「大レースの前日に、ケビンはカイルが僕の子供だってことを知ってしまった。大きなミスだったよ。」

しかし、それが最悪のことではなかった。「もう1つのミスは、僕が事故を起こして、死にかけたことだ」とロッキーは言う。

その日の午後、ロック・ハドソンの『壮大なる妄想』のような場面で、ロッキーは38フィートのレーシングボートをサンフランシスコ湾に出した。彼はゴールデンゲートブリッジ近くで時速80マイルに達し、その後ニューヨークタイムズのスポーツコラムニスト、レッド・スミスが表現したように「ロッキー・アオキのスピードボートはバラバラになり、ロッキーも同様だった」。ロッキーは折れた腕、粉砕された足、裂けた大動脈、切れた肝臓で水に飛び込んだ。彼は近くの病院にヘリで搬送され、そこで医師たちが彼の脾臓と胆嚢を取り除き、10時間の心臓バイパス手術を行った。「3日間、意識がなかった」と彼は言う。目を覚ました時、「全裸で、陰茎にチューブが入っている。僕の妻が片側に立っていて、もう片側にはガールフレンドがいるのを見た」と彼は思い出す。「そこで『おおっ…しまった!』って言ったんだ。」

病院のベッドで横たわり、妻と愛人が彼の上に立っているのを見て、ロッキーはどうしたらいいか分からなかった。そこで彼は目を閉じて、気絶したふりをした。そして彼は考え始めた。確かに彼は裕福だったが、最近は物事が手に負えなくなっていた。彼はただの成功したビジネスマンではなく、「ヒュー・ヘフナーのように」なっていた。彼はポルノ雑誌「ジェネシス」(もちろんベニハナ風の仕掛け:1つの価格で2つのセンターフォールドが付いてくる!)を創刊し、4階建てのミッドタウン・ディスコ「クラブ・ジェネシス」をオープンさせ、自分専用の遊び場にした。夜ごとに、彼は夜明けまで起きてコカインを吸い、女性をナンパし、バックギャモンで1ポイント100ドルを賭けていた。彼は何年もの間、愛人のパメラを妻の千鶴から隠し、他の彼女たち(ミス・アイスランドを含む)を両方から隠していた。事故の前、ロッキーは自慢気に、「3人の女性から同時に3人の子供がいた」と言っていたが、そのうちの1人は認知訴訟を通じて知った。

そこで横たわっているロッキーは、「この2人の女性のような状況を続けたいか?」と自問自答した。彼はそれを望まないと決めた。次に彼は、自分が生きることを望むかどうかを問いかけた。「僕は死にたいと決めた」と彼は言う。「僕はすべてのチューブを引き抜きたかった。点滴も全部。でもできないんだ。壊れた骨のせいでね。」最後にロッキーが目を開けると、千鶴が話しかけた。「彼女は『大丈夫。彼女がいても大丈夫。日本の習慣だから』って言ったんだ。」

ロッキーは自分の幸運を信じられなかった。

「それで、千鶴が僕がパメラと一緒に赤ちゃんを持っていることを知ったんだ」と彼は言いながらテーブルを叩く。「それで離婚したんだ」

あの27年前の運の悪い日がなければ、ロッキーは今、ケビンやカイルを訴えたり、パメラとの娘エコーを訴えたり、千鶴との娘グレースを訴えたりしないかもしれないと言います。「みんなの背後には元妻がいる」とロッキーは初対面から数日後に言います。ピンストライプのスーツを着た彼はハーバードクラブでクラムチャウダーをすくいながら、千鶴が占星術で自分に対抗していると思う理由を説明します。「彼女は天空で起こっていることを使ってグレースに何をすべきかを伝えている」と彼は陰謀論者のように言います。「彼女はまだ僕がパメラと赤ちゃんを持っていることを許してくれない。今度は慶子も嫌いだと言っている」

「それは復讐だ」と慶子は平然と言う。「長い間、怒りをためていた。残念ながら彼は面倒な女性と結婚した」

(千鶴の息子ケビンは後に「係争中の訴訟に関連する問題にはコメントできません」と説明しましたが、父親と母親は「あまり話さない。そのため、父は彼女が彼に対する陰謀をたくらむためにいろいろなアイデアを考えていると思うかもしれないが、それは確実に事実ではない」と付け加えました。グレースと千鶴はコメントの依頼に応じませんでした。)ともあれ、ロッキーの新しい妻が確執の焦点となっています。だから今日、慶子は私たちの会合のために特別に選んだという服装で防御に回っています。それは彼女のスタイルを強調する深いネックラインのある短くて露出の多い青いドレス(彼女はマーケティング・コンサルタントとしてワンダーブラを日本に紹介した)と、ふわふわしたパステルカラーのシャネルのジャケットで、キラキラしたシャネルのサングラスをハイライトされた髪に押し付けてアクセサリーにしています。彼女の手首には、目を引くダイヤモンドがちりばめられたカルティエの時計がつけられており、「私が半分払った」と彼女は強調しています。ロッキーと一緒に費用を分担しました。

二人は2001年にパーティで出会い、関係が深まるにつれ、ロッキーの健康状態は悪化しました。糖尿病、肝硬変、C型肝炎(ボート事故後の輸血で感染したと言います)がありました。慶子は彼の世話をしました。「彼女が僕の命を救ったんだ。彼女がいなければ、僕はもう死んでいた」とロッキーは言い、彼女を完全に信頼していると付け加えます。

それでも、ロッキーの子供たちは疑いの目を持つ理由があります。慶子とロッキーは結婚する前に1年未満しか付き合っていませんでしたが、2002年7月にニューヨークの市役所で結婚しました。そして、当時ロッキーはあとわずかしか生きられないと思われていました。二人はロッキーの子供たちに結婚のことを数週間後まで話しませんでした。訴訟によれば、ロッキーと慶子がようやく小さなパーティを開いたとき、現在38歳のケビンと40歳のグレースは、すぐにすべてを持つことになる女性にぴったりの結婚祝いを持ってきました。それは、慶子がロッキーのベニハナ資産への利益を放棄することを要求する結婚後の合意書でした。慶子はそれに署名することを拒否し、ロッキーも彼女に強制することを拒否しました。彼はその後、ケビンが慶子を調査するために私立探偵を雇ったと主張しています。それが確執が爆発した瞬間でした。

それ以来、ロッキーと慶子は、訴状に名指された子供たち―ケビン、グレース、エコー、カイル―とロッキーの相続財産、特に家族のベニハナ・オブ・東京株式会社をめぐって争っています。ロッキーはBOTの現在の価値を「6,000万ドルから1億ドルの間」と見積もっており、これは主に家族の資産を大手ベニハナ・インク(2005年度にベニハナ、RA寿司、ハルのレストランを通じて2,310万ドルの営業利益を報告)で管理しているためです。1998年、ロッキーは内部取引の有罪判決が迫っていたことを受けて、法律顧問から会長職を辞任し、ベニハナの資産をBOT信託に移すよう助言されました。その結果、子供たちはBOTの支配権を通常よりも多く持つことになり、ロッキーの再婚後、相続財産を保護するためにそのレバレッジを使ってきました。

2003年の秋、ロッキーは家族に和平を強制しようと必死の試みをしました。しかし、それはサンフランシスコのホテルで「お父さんはニュージャージーにいる!」と叫ぶくらいのセンスがありませんでした。ロッキーは遺言を書き直し、彼の死後に子供たちに75%の財産を分配する方法を慶子に任せることにしました。彼は訴訟で説明していますが、彼は「子供たちが彼女と和解することが最善の方法であることに気付き、全員をまとめるだろう」と期待していました。彼は大変、大変間違っていました。

「あなたはこれが子供たちと慶子が仲良くなる方法だと言った」と、彼の訴訟によるとグレースは彼に書きました。「何て病んだねじれた論理だろう。どの子も彼女が私たちに1ペニーもくれるとは思っていない。彼女がどこまで行くのか、そしてあなたがどこまで彼女に行かせるのか、本当に驚くべきことだ」。それがロッキーが子供たちを訴える決意をしたときです。彼の訴訟は、4人の子供たちが「信託義務を違反した」と主張し、その一部はベニハナ・インクの支配権を失ったBOT(株式希薄と売却により、持ち株比率が50.9%から36.5%に減少)によるものです。ロッキーは、子供たちが彼の給与をキャンセルし、訴訟によると「企業の支配権を握ろうとする」試みをしていると言います。これは主に、「原告の妻に対する憎悪」のためだと彼は言います。

「子供たちを助けたいけど、自分で這って歩いて走ることができるようになるまで待ってほしい」とロッキーは説明しています。「そうすれば助ける。でも、彼らは這うことさえできない。ただお金を集めて何もしない。他に何が欲しいんだ?死ぬのが待ちきれないか?」ロッキーは、もうほとんどグレースやエコーと話さなくなり、怒りの矛先を主にケビンに向けています。一方、パメラの娘デボンとチズルの息子スティーブは、おそらくベニハナとは別に自分たちでお金を稼いでいるからか、この争いから距離を置いています。スティーブはインディ・レコードレーベルDim Makを運営し、Bloc Partyを売り出し、スリランカ出身のラッパーM.I.A.をアメリカに紹介しました(両者ともロッキーの家に滞在しています)。彼はクラブ界の有名人となり、「キッド・ミリオネア」という名前でDJ活動を行っています。「人々はいつも僕がすごく金持ちだと思っている」とスティーブは言い、父親が彼のレコードレーベルに投資していないことを強調しています。「僕は父親と仲がいいけど、もし父親が僕に投資していたら、大問題があっただろう?」彼は言葉を止めます。「しまった、言い直さなきゃ。」

ロッキーは繰り返し言いますが、彼のお気に入りの娘はデボンです。細身で月顔のモデルは13歳の時にランシドのコンサートで発見され、後にナオミ・キャンベルの後任としてヴェルサーチの顔になりました。「ページ・シックス」が彼女を「ベニハナのグリルよりも熱い」と呼び始めたとき、ロッキーは誇らしげでした。デボンが18歳の誕生日を迎える頃に30代のレニー・クラヴィッツと付き合い始めた時、彼はこれ以上ない喜びを感じました。

「彼女はいつも正しいことをしている」とロッキーは言います。「彼女が『本当に大丈夫?』って聞くから、僕は『問題ない』って答えるんだ。彼女が『彼は半分黒人で半分ユダヤ人だよ』って言うから、僕は『それでもいい。それがアメリカだ!黒人とユダヤ人から逃れられないんだ!』って言ったんだ」彼は笑い転げそうになります。

彼はデボンが忠実で、おそらく彼の情熱を共有する唯一の子供であるため、他のどの子供よりも彼女を愛していると言います。「僕が望んでいることはただお金を稼ぐことだけだ」とロッキーは言います。「目覚めると、頭の中でお金を稼ぐ方法を考えている。デボンも同じだ」子供の頃から、デボンはお金が大好きで、おもちゃのように部屋中に札を散らかしていました。「100ドル、200ドル、300ドル!何百ドルも。ベッドのそばに!床に!バスルームに!彼女に『お金が大事だと思わないのか!』って言ったら、彼女は『お金を見たいの、お父さん。ベッドにいるときも、バスルームにいるときも、どこにいてもお金が見えるようにしたいの』って言ったんだ」

ロッキーは笑顔で「彼女はお気に入りで、とても賢い」と言います。

ロッキーの子供の一人であることは大変でしょう。その理由は、ただ今おそらく醜い訴訟の真っ最中にいるからだけではありません。「彼の子どもであることには大きなプレッシャーが伴っています」とケビンは言います。「彼は基本的に、アメリカ人が日本の文化と料理について考える方法を変えました」。ロッキーの人生物語は、現代のホレーショ・アルジャー物語として称賛され、11冊の日本の本、日本のテレビ映画、アメリカの伝記、マンガ、そしてミルウォーキーからブカレストまでのベニハナの壁に描かれています。

1938年10月9日、東京で青木ひろあきことロッキーが生まれました。彼の父親、ユノスケは、「プレイボーイ」、「子役」、そして派手なバーレスクの人物であり、ロッキーによると、「フレッド・アステアが大好き」でした。彼はタップダンスを妻となるタンゴダンサーのカツに教え、レストラン業界に進出しました。ロッキーが6歳のとき、アメリカのB-29が東京を焼夷弾攻撃し、約10万人が犠牲となりました。攻撃の後、伝説によると、ユノスケは瓦礫の中を歩いているときに小さな赤い花を見つけ、新しいカフェにその日本語の名前である「紅花」と名付けることにしました。

「父は『映画スターになれる』と言っていた」とロッキーは言います。しかし、ロッキーは自分を次のアステアとは見ていませんでした。「僕はエルビスが好きだ」。悪童として、ロッキーは学校で盗まれた女性の写真を売り、他の生徒を階段から突き落として停学処分になり、ロウディ・サウンズというロックバンドに参加しました。「僕たちはアメリカのアイドルをまねする。今の日本人がラップをするようにね」と彼は笑いながら言います。「僕はベースを弾くけど、レスリングに変えた理由はリズムが合わないからだ」

彼は1960年の日本のオリンピックチームに選ばれ、アメリカの奨学金を得ました。学生の足を折ったり、鼻を折ったりしたことで奨学金を失った彼は、ニューヨークに移りました。

「なぜ誰もがニューヨークに来るのか?」彼は尋ねます。「お金の匂い。日本のビジネスマンはここに来て、いつも『私、お金の匂いがする』って言うんだよ」

ロッキーはニューヨーク市立技術カレッジでレストラン経営を学び、2回のAAAUレスリング選手権で優勝し、アイスクリームトラックを運転しました。「当時、誰もハーレムでアイスクリームを売るのが怖かった」と彼は言います。そこで、ロッキーは自分のトラックの横にレスリング選手権の新聞記事を貼り、泥棒を遠ざけ、その地域を独占しました。彼は1963年の夏に10,000ドルを稼ぎ、父親を説得して4席のレストランに共同投資しました。ロッキーは、カレッジで学んだ「牛肉、鶏肉、エビ」の定番メニューに日本の鉄板焼きのコンセプトを取り入れたかったのですが、彼のお調子者の父親はそれが退屈だと思いました。「彼は『ロッキー、シェフがオープングリルで料理するのは、アメリカ人が見たいものじゃない。お客さんの前で見せ物をしてみたらどうだ?』と言ったんだ」

「子供たちを助けたいけど、自分で這って、歩いて、走る方法を学んでほしい」とロッキーは言います。「でも彼らは這うことさえできない。ただお金を集めて何もしない。他に何が欲しいの?私が死ぬのを待てない?」

25歳のロッキーは、渋々なシェフたちにナイフを鳴らし、エビをジャグリングし、冗談を言わせました。彼は6ヶ月間お金を失いましたが、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙からの絶賛が人々を引き寄せ、メディアの価値を学びました。「すぐに、すべてのテレビ局が私にインタビューをしたがっていました。」そしてすぐに、彼はシカゴ、ホノルル、サンフランシスコ、ロサンゼルスに新しいレストランをオープンしました。それだけでは十分ではないかのように、彼は言います。「ある夜、レストランの裏で、抹茶アイスクリームを発明したんだ」彼はまた、サケティーニも発明したと言っています。

しかし、派手な息子によって影が薄れたと感じたロッキーの父親は、ロッキーのボート事故のわずか3ヶ月前に亡くなるまで、二人は口論を続けました。だから、ロッキーに自分の父親のようになることを心配しているかどうか尋ねました。彼は子供たちと疎遠になり、ビジネスをめぐって争っている。「私の父は小学校しか卒業していないけれど、ビジネスのことは賢かった」と彼は慎重に言います。「多分彼は家族が裕福ではなかったからビジネスがうまくいったのかもしれない」

最近、ロッキーは私に電話をかけて、物事が上向いていることを説明しました。彼は、東側の散らかった町の家を約500万ドルで売却し、ピカソやキッチュなもののコレクションをオークションにかけました。ケイコは、彼女がリフォームしたロッキーのオリンピックタワーのコンドミニアムで、二人にとって「シンプルでモダンな生活」を計画しています。

彼は、ケイコのおかげで、ニューヨークアスレチッククラブでの大好きな火曜日の夜のバックギャモンのゲームをする健康を維持できると言います。そして、彼は子供たちとの和解が近づいていることに自信を持っています。証拠に、彼は言います、「私のお気に入りの息子、カイルが街に来ている」。そこで、私はロッキー、ケイコ、カイルと、ウェスト56丁目の看板のある弁慶で会いました。ほとんどの弁慶のように、ここもロッキーへの生きた神社です。彼は最盛期のダーデビルとしてカメラに向かってポーズをとり、スピードボートや熱気球で遊び、スティーブン・セガールと一緒に写真を撮っています。

「僕はこのレストランで写真がない唯一の子供だ」と、全身黒の服を着た30歳のカイルが不満を言います。

「本当に?デボンは私のお気に入りの娘で、カイルは私のお気に入りの息子だ」とロッキーがからかいながら、カイルの背中を思い切り叩きます。「でも僕はカイルを訴えたんだ!彼をほとんど刑務所に入れたんだぞ!」

カイルは少し気まずそうに笑います。「僕の父はとてもプライドが高い人だ」と彼は言います。「この全てのこと、それはプライドに関係しているんだ」

物事があまりにも深刻になる前に、弁慶のシェフが鉄板グリルでシンバルのようにナイフを鳴らし、父と息子は昔のことをからかいあい始めます。カイルは、「僕の父と、鉄板焼きのシェフが料理をふりかけて、裸の女の子がグリルに寝ている写真を見つけた」と言います。

ロッキーはにっこりと笑います。「父は言ったんだ、『裸の女性をグリルに乗せるのは良くない!グリルはビジネスだけのためだ!』って」

映画プロデューサーを目指すカイルは、これに関する映画があってもいいと言いますが、「それはコメディでないと、あまりにも悲惨だろう」彼はボートシーンや病院のシーンを想像します。「お父さんが目を覚まし、『あぁ…しまった!』と言う」クリストファー・ウォーケンがロッキーを演じると、青木家は笑い始めます。たとえケイコでさえ、彼女の犬が手術を受けたばかりで「うつ病」だったと言います。

「カイルは僕のお気に入りの息子だ」とロッキーは再び言います。「彼はストレートシューターだ。彼は弁慶が欲しくない。彼は『お金が欲しい』と言ってる」

「僕はお金じゃなくて、安全を求めているんだ。それは違う」とカイルが訂正します。

「でも自分でセキュリティを確保できるか?」ロッキーは言い、自分を止めます。「カイルはお金が欲しいだけ、ケイコはお金が欲しい、グレースはどうでもいい」と、彼は陽気に歌います。しかし、「弁護士に3~6百万ドル」払った後、もうやめる時が来ました。「最近、みんなハイエナみたいだ。だって、お金って全てじゃない…」カイルとロッキーは一緒にオチを言います。「ただの99%だけさ!」

シェフは熱したグリルの上に玉ねぎのスライスを積み上げ、湯気が指輪状に吹き上がると、「火山!」と叫びます。ロッキーはほとんど気付きません。彼がなぜそんなに希望に満ちているのか尋ねると。

彼は前に身を乗り出します。「今は占星術の戦いのようなものだ」と彼は低く、かすかな声で打ち明けます。「千鶴子は僕にとって悪いことを探すために占星術を使っている。ケイコは、いつも星を使って良いことを探しているんだ」

ロッキーに、彼が本当にそんなことを信じているのか尋ねると、「レーガンを見て!」と彼は言います。「ケイコの占星術師は、ロッキーの人生が2年間地獄のようになるって言ってた。それが当たってる。この2年間はまさに地獄だった。でもその2年間、今すぐに終わろうとしてるんだ。これから僕の人生は上がっていくんだ」彼は歪んだ笑顔で、手のひらを下に向けて上げます。まるで車の窓から手を出して風に乗る子供のように。「ただ1つ問題がある」と彼は言い、声を落とします。「ケイコのチャートによると、今年彼女に近い人が亡くなるって言ってるんだ」

それはロッキーの子供たちの最悪の恐怖を確認するかもしれない考えです。ダディ、ケイコはあなたを毒殺するつもりです!なぜロッキーはにっこり笑っているのでしょうか?

「しばらくの間、心配していた。僕が今年死ぬのかもしれないと思った。でも今は…ケイコの犬が具合が悪いんだ。それはひどいことだけど、もしケイコの犬が死んだら」と彼はにっこりと笑いながら言います、「たぶんロッキーは大丈夫だろう」
参照元:ロッキーの家族ホラーショー
2006年10月26日 New York (ローガン・ヒル)
「エルメスのバッグからドルの札束を鷲掴み…」 ロッキー青木の妻が見た“バブルの王様”ファミリーの豪快ショッピング
2023.01.22 19:00 マネーポストWEB

 アメリカ日本食ブームの立役者で、鉄板焼きレストラン「Benihana of Tokyo」を米国で展開して大成功を収めたロッキー青木とその妻・青木恵子は、揃ってアメリカ社交界の有名人だった。その妻・恵子が、当時、街金融・アイチを率いて“バブルの王様”と呼ばれた森下安道(1932-2021)と古くから交友があったことはほとんど知られていない。『バブルの王様 森下安道 日本を操った地下金融』を上梓したノンフィクション作家・森功氏が、恵子本人の証言から振り返る。(文中敬称略)

 * * *  1956(昭和31)年生まれの恵子は、山脇学園短期大学のバスケット部時代に東京都のミスコンテストに応募して優勝した美貌の持ち主だ。日本の短大からハワイ大学に入り直して卒業し、ニューヨークに住んで毛皮店でアルバイトを始めた。

 恵子はそこから独立し、もっぱら日本人の富裕層を顧客として、洋服店を経営するようになる。今でこそ環境保護問題で下火になった米国産のミンクやフォックスの毛皮は、当時日本で買えば、1000万円以上する高級品も珍しくなかった。それが米国なら驚くほど廉価で、日本の15%ほどの値段で買えた。最高級品でも200万円もしない。そこに目を付けた恵子が、米国の毛皮を日本人に売って上客をつかんだ。その一人がほかでもない、森下なのである。

 森下にとって恵子は、4番目の妻と同じ名であり、奇縁を感じたのかもしれない。彼女を気に入った森下は家族旅行でニューヨークに足を延ばすと、3人の娘たちに店でいちばん高い毛皮を買い与えた。

 この旧姓小野恵子は、のちに青木廣彰と結婚する。廣彰はニューヨークの鉄板焼きレストランを経営して大当たりさせ、ロッキー青木と名乗ってきた。1964年、日本橋の洋食「紅花」を鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」に衣替えして米国に出した。ヒルトンホテル会長のバロン・ヒルトンとの知遇を得て、やがて全米で日本食レストランチェーンを展開し、ヒットさせる。

 その青木と恵子が結婚したのは2001年7月のことだが、1980年代半ばのこの頃、森下もまたロッキー青木と知り合う。

 ちなみに青木夫妻はドナルド・トランプとも親しかった。恵子は2016年5月放送のTBS「世界の日本人妻は見た!」に出演し、トランプと食事している写真を公表した。2008年7月に他界した夫君のあとを継ぎ、ベニハナグループを率いてきた。

 トランプタワーを拠点にした森下は、こうした数々の出会いを経て人脈を広げていった。青木恵子と会うことができた。

「まだ私がニューヨークに行ったばっかりの頃でした。私が覚えている森下さんは、トランプタワーを買われ、部屋をリノベーションして使われていました。奥様と3人の娘さんを連れ、ニューヨークによくいらしていました」

恵子は女優のような煌びやかな容姿をしている。ニューヨークにおける森下一家の記憶を呼び起こしてくれた。

「強く印象に残っているのは、とにかくタバコをよく吸われる姿です。ものすごく長いリムジンに乗ってやって来るのですけど、ドアが開くと、車の中から真っ白い煙が吐き出される。その中から森下さんが現れる。そんな感じでした。森下さんはとにかくせっかちな方で、なんでも急いでやる。『恵ちゃん、タダで動くのは、地震だけなんだよ』というのが口癖でした。要するに、何をするにもカネがかかるという意味で、『うちの娘たちなんか、あんなにたくさんカネを使うけど、タダでは俺に灰皿一つ持って来てくれないんだ』とブーブー文句を言っていました」

 森下は亡くなる数年前にタバコをやめるが、それまでは1日6箱を吸ってきた。灰皿で火を消したかと思うとすぐに新しいタバコを銜えて火をつける典型的なチェーンスモーカーだ。さらに恵子がニューヨークにおける森下ファミリーのエピソードを付け加える。

「3人の娘さんのうち、長女の方は意外と地味でした。けど、次女と三女の方はとても派手で、買い物なんかもすごかった。エルメスの手提げバッグを開けると、そこにドル紙幣がびっしり詰まっている。その札束をわしづかみに取り出し、買い物の代金を支払うんですから、びっくりしました。欧州は現金の持ち込みにうるさいけど、アメリカは申告さえきちんとすれば、5000万円でも1億円でも自由に現金を持ち込めますから、森下一家はそれをドルに換えて買い物をしていたのでしょう。上から下までブランド品で着飾っていて、とても目立っていました」

【プロフィール】

森功(もり・いさお)/ノンフィクション作家。1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2018年、『悪だくみ──「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近著に『菅義偉の正体』『墜落「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』など。最新刊は『バブルの王様 森下安道 日本を操った地下金融』。
参照元:「エルメスのバッグからドルの札束を鷲掴み…」 ロッキー青木の妻が見た“バブルの王様”ファミリーの豪快ショッピング
2023.01.22 19:00 マネーポストWEB

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 写真を持ち歩くのは願望実現にありますが、それは想像力の訓練?仮想現実を具現化する練習のようなものですね

    死後の世界でも役立つための訓練にも感じます

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