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ヒトラーの予言 ー 水瓶座時代の悪夢のシナリオ ー

2019 3/09

最近、youtubeでヒトラーの予言について言及する動画がいくつかあるが、


2チャンネルでヒトラーの予言が当たっているという書き込みがなされてそれが話題となっていたようである。


その種本となっている五島勉の「ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年」という本を私も読んでみた。


以前、1988年に出版された『1999年以後-ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』という本に一部加筆し、改題された復刻版である。


非常に興味深い本であり、また他に最近、出版された本とあわせて考察すると、現代の問題が明確に浮かび上がってくる。


ヒトラーの思想に関心が集まっているのは、以前も書いているが、2017年から天王星が牡羊座に入室し、世界が急速に右傾化しているからである。


その時、ブレグジット(英国のEU離脱)、トランプ大統領の当選などが生じ、反グローバリゼーション(すなわち保護主義)というキーワードでそれらを理解する人も多い。


以前、天王星が牡羊座をトランジットしていたのは1930年代であり、ファシズムが台頭し、ナチスが第一党となり、日本でも青年将校が2.26事件などを起こして、世界的に国家社会主義が台頭した時代であった。


その当時の状況が今現在、再現されているのである。



1929年秋に世界恐慌が発生し、世界各国は経済的危機をブロック経済、保護主義で対応しようとした。


スターリングブロック(イギリス・ポンド圏、オタワ協定)
フランブロック(フランス・フラン圏、ルール占領)
マルクブロック(ドイツ・オーストリア、ライヒスマルク(・オーストリア・シリング)圏、独墺関税同盟案→ラインラント進駐)
ドルブロック(アメリカ・ドル圏、ニューディール政策)
円ブロック(日本・円圏、日満経済ブロック)


上記のような自国民を中心とした経済圏を作り、諸外国との自由貿易を停止し、需要が外に漏れださないようにして、自国民だけで経済を回していこうとする措置である。


外国に植民地を持たないドイツは、ブロック経済、保護主義と同じような発想で、諸外国の領土を侵略して、ドイツ帝国を建設することによって、この経済危機を乗り越えようとした。


ヒトラーの「国家、民族が存亡の危機に立たされる場合においてのみ他国の領土を侵略する道徳的な正統性が認められる」といった思想によって、その侵略が正当化されたが、各国もブロック経済で他国のことは考えずに自国民だけで、生存を図ろうとした点では同じであった。



現在の世界情勢を見ていても全く似たような状況である。


先日、アメリカの指示で、カナダでファーウェイの副会長が逮捕拘束され、それに対抗して中国が、カナダ人を逮捕拘束し、死刑判決を下したりしている状況からは、法による秩序など全くなく、国家権力同士の利害が激しくぶつかりあい、ルール無用の闘争(戦争)が行われている様が見て取れる。


アメリカ政府が中国製品に高い関税を掛けて、アメリカの市場から締め出し、まさにブロック経済、保護主義によるアメリカと中国の経済戦争が勃発している状況である。


人類は既に2つの世界大戦を経験しているため、容易に実際の戦争に突入することはなかったとしても、現在、世界は戦争状態といってもいい状況である。



従って、民族主義、国家社会主義などが台頭している現在、学問的にもヒトラーの思想が改めて注目される状況である。



最近、出版されたユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』という本でもヒトラーのことが言及されており、また『国家と品格』がベストセラーになった藤原正彦氏が、最近、『国家と教養』という本を出しているが、その中で、この本を書くにあたりヒトラーの『わが闘争』を初めて読んだと記されていた。


つまり、ヒトラーの思想を研究することは、現代の右傾化した社会を理解する上で、必須なのである。




2016年6月日本の相模原で、知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、元施設職員の男Aが侵入し、所持していた刃物で入所者19人を刺殺する事件が発生し、世界の指導者からの追悼のメッセージも届いた。それ程、衝撃的な事件だった。


この元施設職員の男が、ナチスドイツの優生思想を肯定し、衆議院議長の大島理森に手紙を送っている。


2016年2月半ば、Aは衆議院議長公邸を訪れ、衆議院議長の大島理森に宛てた手紙を職員に手渡した。この手紙には、犯行予告とも取れる文言があり、同施設と、同県厚木市内の障害者施設の2施設が、標的として名指しされるとともに、「職員の少ない夜勤に決行」、「職員には致命傷を負わせず、結束バンドで拘束して身動きや外部との連絡を取れなくする」、「2つの園260名を抹殺した後は自首する」など、具体的な手口が記されていた。そして、「作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます」として、「逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせる」「心神喪失による無罪」、「新しい名前(伊黒崇)や本籍、運転免許証など、生活に必要な書類の発行」、「美容整形による一般社会への擬態」、「金銭的支援5億円」といった条件を、国から確約してほしいという旨の記述があり、その上で「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。日本国と世界平和の為に、何卒よろしくお願い致します」と綴られていた。

(wikipedia 相模原障害者施設殺傷事件)

犯行を作戦と呼び、完全に思想犯であり、確信犯的に行ったことが衝撃的である。


犯行後の措置などについても具体的に言及しており、犯行当時に心神喪失状態だったでは済まない案件である。


精神鑑定で「自己愛性パーソナリティ障害」と診断されたようだが、自己愛性パーソナリティ障害では、現実検討能力がひどく失われることはない。


従って、責任能力は十分にあることになる。


私は、この元施設職員の男Aが、物質性の勢力に憑依されていたのではないかと考えている。




神智学やアリスベイリーの著作の概念(7種光線論等)を元に考えてみる

物質性の勢力とは、神智学の概念であるが、宇宙の進化の弧である光の勢力に対立する退化の弧である。


神は自らを物質に降下させ、再び霊に帰還するという運動である。


ニーチェが言った永劫回帰のような概念であるが、神智学では、我々が生きる目的は物質を霊化していくことであると記されている。


つまり、物質に降下した神が霊に帰還する物語の中で、何らかの役割を果たすことが人間が転生する目的である。



物質性の勢力とは、この宇宙の進化の弧に従うのをやめて、物質の価値に固着したある進化段階の勢力のことである。


アリスベイリーによれば、アトランティス文明の半ば頃、光の勢力(マスター)の教えに逆らって、高度に進化した弟子たちの中で、その教えから離脱した一団があり、それが黒魔術の起源だとされている。


そして、この光の勢力と物質性の勢力の戦いが最高点にまで達した時、アトランティス文明が崩壊させられて、天変地異によって文明が失われたのである。


地球の惑星ロゴスによって、人類の文明を一旦、滅ぼすことが決断されたと記されている。(注:記憶ではそのように書いてあった・・・見直す必要あり)



このアトランティス文明の崩壊は、「大洪水」として世界中の神話や伝説として残っている。


従って、現在の人類の歴史というのは、大洪水後の廃墟からスタートしたのである。


そして、アリスベイリーによれば、このアトランティス文明の光の勢力と物質性の勢力の戦いが、第二次世界大戦の時に再び、当時の主要なメンバーの元で再現されたということである。

(因みにアリスベイリーの著書は、光の勢力の一団の一人であるジュワル・クール大師からのテレパシーによる口述筆記によって記された本であると言われている)



そこで、五島勉の「ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年」の話に進むが、この書の中に非常に興味深いことが書かれている。



第一次世界大戦の時にヒトラーは各部隊との連絡役として、西部戦線の北仏・ベルギーなどに従軍していたが、その時にヒトラーがその後、”あいつ”と呼んだ存在によって憑依されたようである。



その”あいつ”が飛んで来る英軍の砲弾からヒトラーを救ったのである。


彼の背後にいた”あいつ”とは?

これが魔予言者ヒトラーの、いわば鮮烈なデビューだったと私は思う。そして、そう思うかどうかは別として、右の事実そのものは欧米のすぐれた研究者たちが確かめ、こまかい違いはあっても何人かが記録している。

たとえば米国のピューリツァー賞作家ジョン・トーランドは、精密なドキュメント『アドルフ・ヒトラー』の中で、ヒトラー自身が、のちに英国の通信社特派員ウォード・プライスに語った言葉として――

「わたしはあのとき、戦友たちと夕食を摂っていた。すると突然、ある声がわたしに、”立って向こうへ行け”と命じた。

この声が、あまりに明瞭に同じことを繰り返したので、わたしは上官の命令を聞くように機械的に従い、20ヤードほど移動した。

とたんに、いままでいた場所から衝撃と轟きが押し寄せた。そのときまでわたしも属していたグループの上に、流れ弾が炸裂して一人残らず死んでしまったのだ」
(永井淳氏訳・集英社版・上巻・73ページより要約)

つまりこれは、ヒトラー自身の判断ではなかった。彼の内部深くから噴き上げた何かの声、または外界か異界のどこからか来た、彼以外の誰にも感知できない妖異な命令だったのだ。

「そうだ、それは”あいつ”の命令だった。あのときから、わたしには”あいつ”が憑くようになった。恐ろしいことだ。わたしは”あいつ”に選ばれて取り憑かれたのだ」
彼はあとで、側近たちにもこうも語っている。それだけでなく、語っている最中、ふいに立ち上がって目を剥き、「あいつだ、あいつが来た。またわたしに未来を教えに来たのだ。そこにいる、そこだ!」あらぬ方を指して絶叫することもあった。

こういう状態を普通は「神がかり」と呼ぶ。そして、ヨーロッパでは、「神」といえば、まずキリスト教の神(キリストが”天の父”と呼んだ唯一神ヤーウェ)のことである。

ところが、前章(23ページ)の『わが闘争』でもおわかりのように、ヒトラーはいっさいのユダヤ思想を認めなかった。ユダヤを憎んで絶滅しようと決めていた。

だからユダヤの神や、それを受けついだキリスト教の神が、彼を選んで未来を教えてくれるなんてことはありえない。

では「悪魔」が憑いたのか。またはユダヤ・キリスト教と対立する古代ゲルマンの、血の復讐や怨念や、炎や氷の神々が憑いたのか?

そうかもしれない。このへんはただの言葉のあやではなく、彼の深層意識を解く重大なカギになってくる。あとで触れるが、彼の心の深い基盤には、ゲルマンの「黒魔術」があったらしいからだ。

だが、もっと合理的な説明を求めるなら、それはやはり戦争だ。彼がこういう無気味な能力を持つようになったのは、あくまでも第一次大戦の戦場――さきの榴弾を予知した数日前のことだったから・・・・。


(『ヒトラーの終末予言 – 側近に語った2039年』五島勉著 祥伝社 より引用抜粋)

その”あいつ”と呼ばれる存在は、大戦が終わってもヒトラーから離れずにヒトラーの体に棲みついて様々な未来にをささやき、単なる予知以上のことまで告げ始めたという。


そして、その”あいつ”は、ヒトラーに世界征服の大戦を起こすことを命じるのである。


生死の瀬戸際で噴き出した予知力

それまでのヒトラーは、気の弱い落ちこぼれの一青年にすぎなかった。望んでいた美術学校の入試にはパスできず、事務や計算にも向かないため定職につけず、父親のわずかな遺産をポケットに街をさまようだけの・・・・。

しかしそれが、ほかに行き場所もなくなった感じで軍隊を志願、第一次大戦に加わってから、いろんな激烈な体験が否応なしに彼を襲った。

とくにイープル戦線でぶつかった英軍。これが決定的な一つのモメントになった。

英軍はこのとき、史上初めて、飛行機から爆弾を落とし、機銃を射った。また、やはり史上初めて、キャタピラ(無限軌道)で走る戦車を繰り出したのだ。

「それは、まるで怪物だった。未知の恐怖だった。あれに追われながらわたしは感じた。いまでさえ、こんなものが現れるのなら、人類はいずれ、もっと恐ろしい怪物の未来を持つ。際限なく持つようになるぞと・・・・」(のちに第一側近となるヨゼフ・ゲッペルスに語った言葉)

この、生死ぎりぎりの衝撃が、彼の深層意識に火をつけた。彼は夢中で怪物たちから逃げた。そして、とある沼地のほとりでハッと気づいたとき、自分がそれまでとまるで違う人間に「変わってしまった」のを感じた。

「異常変化だった。それから起こることが全部わかるように感じた。実際わかった。人類の未来が、すべてわたしの前にありありと見えだした。”そうだ、そのとおりになる。おまえにはわかる。おまえはその力を持った”と、”あいつ”も耳もとでささやいてくれた」
これもゲッベルスに語った思い出話である。どのくらい、どんなふうに未来を見たのかわからないが、ともかく彼は悪魔的な予知力を持ったことを、破滅の戦場で自覚した。その確信を、何かわからない”あいつ”が、がっちり支えた。

しかも大戦が終わっても”あいつ”はヒトラーから離れなかった。「ついには、わたしのからだの中にほとんど棲みつくように」なった。

そしてさまざまな未来をささやき、単なる予知以上のことまで告げはじめた。

「アドルフ、おまえは選ばれた。試練にも耐えた。おまえはドイツ民族を率いてヨーロッパを制覇する。新しい世界を打ち立てる。それがおまえの使命だ」

「おまえがそれをやらなければ、今世紀後半も21世紀も、ユダヤが地球を支配することになる。金も食糧も兵器もユダヤが支配する。世界はユダヤとその代理人どものものになる。だからユダヤを倒せ。絶滅しろ」


「そのためにも、まず政権を握れ。片足の不自由な変な小男が見つかる。その男は天才で、おまえの最大の協力者になる。

その男を充分に活用すれば、おまえが45歳になるまでに政権が手にはいる。50歳で世界征服の戦争が始められる」

「それを忘れるな。おまえは25歳で選ばれて能力を得た。そして生まれてから50年目、おまえは世界征服の大戦を起こすのだ。

さらに生まれてから100年目、150年目――つまり11989年、2039年――もうおまえはいないにしても、そのとき人類は、新しい次の段階を迎える。それが何かも、いずれおまえだけに教えよう・・・・」

(以上は、ヒトラーがエヴァ・ブラウンに語った内容を、エヴァ・ブラウン本人から聞いたヒトラーの侍医モレルが残したもの)


(『ヒトラーの終末予言 – 側近に語った2039年』五島勉著 祥伝社 より引用抜粋)

秘教学徒の間では、ヒトラーは、2人の物質性の大主によって憑依されていたという情報が共有されている。



つまり、ヒトラーは物質性の勢力の道具として利用されたのである。



物質性の勢力は、ヒトラーを通じてヨーロッパを1000年間、支配する計画であった。




アリスベイリーによると、世界で最も古い民族であるユダヤ民族の中で、高度に進化していた3人のユダヤ人の弟子が師からの物質を手放すことを指示する教えに逆らい、師を殺害して埋葬したのである。



これがフリーメーソンの悲劇の物語であり、この3人のユダヤ人がフリーメーソンの起源だとされている。



つまり、フリーメーソンはその歴史の初期において、元々上層部の方は、腐っていたということである。



もしフリーメーソンの上層部に師の教えに逆らったユダヤ人の祖先(黒魔術の起源、物質性の勢力)がいたとするならば、ヒトラーに憑依してユダヤ人撲滅を指示したのも、そうしたユダヤ人の祖先(2人の物質性の大主)であるか、もしくは関係があるということになる。



『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(ノーマン・G.フィンケルスタイン著)という本があるが、ユダヤ人の苦しみを利用して最も金儲けをしているのが、ユダヤ人エリートであるそうであり、やはり、ここにも同じ構図が見られる。




支配者階級にとって右や左のイデオロギーは全く関係ない

フリーメーソンの末端のメンバー(労働者階級)は、リベラルな世界共和国の樹立を目指して、フランス革命やアメリカ独立革命戦争を陰で支援したり、民主主義や人権の普及に尽力してきたのだが、上層部(資本家階級)の方は、物質的な価値観に染まったグローバリストで、国際金融資本と多国籍企業により世界の市場化を推し進めて来た。


私は、外交問題評議会や三極委員会、ビルダーバーグ会議など、デヴィッド・ロックフェラーが大きな役割を果たしてきた世界のエスタブリッシュメント(金融資本家、多国籍企業の経営者、王侯貴族)の国際的な会合は、現代のフリーメーソンであると考えている。


※この現代のフリーメーソンという時に、「フリーメーソン」という言葉は象徴的に使用しており、歴史上の特定の結社などを意味していない



この現代のフリーメーソンが推し進めるのが、十四万四千人のエリート官僚と六百万人プラスアルファーの役人によって管理される世界統一政府である。


米国では戦後、IMF、世界銀行、国防総省(軍事産業、CIA)などによって、世界の市場化(植民地化)を進めてきた歴史があるが、これらは国家政府と企業が連携したコーポラティズムであり、国を挙げて世界の支配を推進してきたと言える。


デヴィッド・ロックフェラーというと、カストロと握手したり、ネルソン・マンデラと握手する写真に見られるように国際主義者で、自由主義(リベラル)の側に立つ人間というイメージがあるが、実際は、米国の帝国主義的なコーポラティズムの中心人物でもある。


ネオコンなどの背後にいたのもデヴィッド・ロックフェラーであり、ある時は米国の国益と一体化して右翼的に振る舞うのであるが、一方では、外交問題評議会や三極委員会、ビルダーバーグ会議などで国際主義者として重要な位置を占める右や左に限定されない人物である。


コーポラティズムとは、元々は、ベニート・ムッソリーニなどのファシストが主張した国家政府と企業が連携する統制経済のことで、国家社会主義であり、右翼用語で、本来は、自由主義(リベラル)、自由な市場とは両立できないものなのだが、デヴィッド・ロックフェラーは、世界の市場の自由化を推進する一方で、同時に米国政府と企業が一丸となった国家社会主義的なコーポラティズムを推進して来たのである。


普通は両立できなものが両立しているのであり、第二次世界大戦で独り勝ちして巨大な力を担った米国だからこそ得られた立場であり、外に対しては、自由市場というルールを押し付け、自らは、そのルールの外にいて、自由市場のルールを守らず、国家政府や軍事力を使って、政治的に介入していくのである。


日本の戦後の経済的躍進は、国家と企業が連携したコーポラティズムによる成功でそれは護送船団方式などとも呼ばれたのだが、米国が日本を共産主義への防波堤とするために日本の経済的躍進を後押しした。


然し、冷戦終了後、日本は米国にとって競争相手(仮想敵国)となり、米国は自らはコーポラティズムを推進しているにも関わらず、日本には政府の規制緩和、自由化、市場原理を要求し、軍国主義的なコーポラティズムを解体させたのである。


左翼を通して世界の支配を進め、ある時は右翼を使って世界の支配を目論むのが物質性の勢力であり、デヴィッド・ロックフェラーが構想した世界統一政府は、ヒトラーの第三帝国とほとんど似通っている。


アメリカ合衆国の経済力や軍事力を使って成し遂げる世界統一政府である。


何が言いたいかと言うと、物質性の勢力が右や左の人物を操って、人類を支配することを常に目論んでいるということである。




ヒトラーが予言した2039年の人類

ここからが本題であるが、ヒトラーが人類の未来をどのように予言しているのかということである。


「ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年」には以下のように記されている。


(このヒトラーが側近に語ったとされる言葉は、著者の五島勉氏によって、断片的に散らばっている様々な資料から寄せ集められて組み立てられたようである)


ただ諸君。それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに”進化”するか、そうでなければ退化してしまっているからだ」

一部は”神人”に、残りは”ロボット生物”に変異する

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは”神人”(ゴットメッシュ)と呼んでかまわない。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかはわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的なロボット生物になっているのだ。
それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボット生物を大量に生み出す。

”神人”のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット生物と別方向になるだけだ。

その前段階の超人たちも、より進化して神人になる場合がある。いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。

彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。

ロボット生物たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット生物たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。

食物と住居も、職業と娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット生物たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の家畜のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に二つに分かれる。天と地のように、二つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械生物に近いものへ。
これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態をつづける。そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械生物だけの世界が出来上がる。地上には機械生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ


(『ヒトラーの終末予言 – 側近に語った2039年』五島勉著 祥伝社 より引用抜粋)

ここで不気味なのが、大多数の人類が、一種の機械になってしまい、ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的なロボット生物になってしまうということを予言している点である。


一方で、大衆を支配するエリートは、より高度に進化して、神に近い存在となり、今の人間の数次元上の知能と力を持ち、宇宙から機械生物となった人類の群れを管理するようになるというのである。


2039年の人類とは、そのように超人的なエリートと、受動的で機械生物のようになってしまった完全なる家畜のような一般大衆に極端に二分化していくということなのである。


これを読んだ時、私はレイ・カーツワイルのシンギュラリティー(技術的特異点)の話に妙に似ているのを感じた。



レイ・カーツワイルの『ポスト・ヒューマン誕生-コンピュータが人類の知性を超えるとき』で展開している議論では、ムーアの法則によれば、人類はまもなくコンピュータの処理能力が人類の知性を越えてしまうシンギュラリティー(技術的特異点)を迎えるのであるが、その時が来た時、人間の脳はリバースエンジニアリングによる解析が終了し、生物としての人間を超える人工知能が誕生し、人類は、遺伝というその生命としての枷を取り払い、生物としての限界を超え、知性、物質的進歩、寿命において、信じられないほどの高みにまで到達するという。

人類は、ナノテクノロジーや遺伝子工学、ロボット工学、人工知能などのテクノロジーが幾何級数的に進歩して、人間と機械が融合して、身体をアップデートして不老不死を得たり、個人の精神のパターン-知識や技術、人格、記憶など-をコンピューターにアップロードすることも出来るようになるという。


つまり、人類は神に近い存在、超人になっていくということである。


但し、レイ・カーツワイルは、コンピューターのメモリーに人間の意識をアップロードできると考えるほど、楽観的に物質科学を信じている。


またそのような恩恵を享受できるのは金を持っている支配者階級だけであり、貧しい一般大衆はそのような恩恵を受けられないとは考えていない。


技術革新は、サービスを安価にする為、誰でもその恩恵を享受できるようになると考えている。



レイ・カーツワイルはこのシンギュラリティー(技術的特異点)が2045年にやってくると考えているようである。


ヒトラーは、2039年1月、いまの意味での人類はそのときもうおらず、人類以外のものに”進化”するか、そうでなければ退化してしまっていると予言しており、その日付は、レイ・カーツワイルの指摘するシンギュラリティー(技術的特異点)の期限に非常に近いものがある。




ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』の論点


ユヴァル・ノア・ハラリは、前作の『サピエンス全史』が全世界で800万部を突破するベストセラーとなり、一躍脚光を浴びた歴史学者であるが、その次の作品として『ホモ・デウス』を著している。



『サピエンス全史』は石器時代から始まる人類の歴史について考察し、『ホモ・デウス』は、人類の未来について考察した本である。





ユヴァル・ノア・ハラリは、レイ・カーツワイルよりも悲観的な人類の未来を予想している。





そのユヴァル・ノア・ハラリが描く人類の未来は、ヒトラーの予言に近いものがあり、おそらくヒトラーの予言も知った上で、それにもインスピレーションを得ながら警鐘の意味も込めて書いているのかもしれない。



ユヴァル・ノア・ハラリの論点を簡単に説明すると、人類は、飢餓と疫病と戦争を克服した(克服しつつある)ので、次に目指すものは、人間が更に生命と幸福と力を渇望する結果として、老化と死の克服であり、人間を神にアップグレードし、ホモ・デウス(神)に変えることであるという。


現在、人間を支配している思想は、人間至上主義であり、それは全てが神を中心に回っていた中世のキリスト教世界などからルネサンスを経て、近代に移行する過程で得られた人間の自由意志や決定を賛美する新しい思想である。


その人間至上主義、人間自身が神であるという思想が、近代革命 -産業革命や民主主義(自由主義)-をもたらして、今に至るということである。


そうした考察に続けて、人間と動物の違いについてユヴァル・ノア・ハラリは考察する。


動物は、生化学的アルゴリズムであり、コンピューターや機械に近いものであるというのが、生物学の最近の学説であるという。


そして、人間もそれが複雑になっただけであり、結局の所、生化学的アルゴリズムであり、機械に過ぎないのだという考えが、生物学の主流の学説である。

このような生化学的アルゴリズムからどのようにして意識が生じるかという疑問は残るが、生命科学者たちは、ますます人間の体内で起こる生化学的アルゴリズムを詳しく分析し、人間の行動のメカニズムを解明しつつあるという。

そうすると、人間至上主義の観点からは、最も尊いと思われていた人間の自由選択や意思決定、すなわち意識や意志を持って主体的に選択し、決定していると本人が思っている個性的な行為でさえも、結局は環境に対する適応の結果として遺伝によって受けつがれた反応のパターンであり、生化学的アルゴリズムに過ぎないとみなされる結果となる。

このように生命科学はますます人間を機械と同じようなものとしてみなし、実際、人間はある程度、機械のようなものとして説明可能である。


現在の情報ネットワークやそれを解析する人工知能などのテクノロジーが発達していくと、人間は、その本人自身よりも外部のテクノロジーの方が、その人のことを良く知るようになり、その本人が何をすべきかを指示するようになるという。


これは特に医療の分野などで起こりつつあることであるが、人間に取り付けられた様々なセンサーが、本人の健康状態をモニターして、それを自動的に正常に保つようにするテクノロジーが既に存在し、市場に出始めているという。


インターネットに全てのデバイス(物)が接続されて物のインターネット(IOT:インターネット・オブ・シングス)の時代が訪れ、人工知能がそれを管理したり、メンテナンスする時代が訪れると、そこに接続された人間は、人工知能などのテクノロジーによって、その必要が完璧に満たされて調整され、その人自身が物のように成り下がり、人間至上主義にとって最も大切であった自由選択や自由意志を発揮する機会も失うのである。


そうした中で、人間至上主義やそれから派生する自由主義の基盤である人間が本来、それを持つが故に尊い存在であった自由選択や自由意志の力自体が退化し、失なわれていく可能性があるのである。



つまり、人間は自己主張する力を失いロボットのようになっていくということである。


人工知能が社会を動かしていく為、人間には労働力としての経済的有用性もなく、兵役に就くような軍事的有用性もない為、全く無用な存在となり、大量の無用者階級の大衆が発生することになる。


(略)

21世紀には、私たちは新しい巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。経済的価値や政治的価値、さらには芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力と華々しさに何の貢献もしない人々だ。この「無用者階級」は失業しているだけではない。雇用不能なのだ。

(略)

やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえまったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう。だが、彼らには何をやらせて満足させておけばいいのか?人は何かする必要がある。することがないと、頭がおかしくなる。彼らは一日中、何をすればいいのか?薬物とコンピューターゲームというのが一つの答えかもしれない。必要とされない人々は、3Dのバーチャルリアリティの世界でしだいに多くの時間を費やすようになるかもしれない。その世界は外の単調な現実の世界よりもよほど刺激的で、そこでははるかに強い感情を持って物事にかかわれるだろう。とはいえ、そのような展開は、人間の人生と経験は神聖であるという自由主義の信念に致命的な一撃を見舞うことになる。夢の国で人工的な経験を貪って日々を送る無用の怠け者たちの、どこがそれほど神聖だというのか?


(『ホモ・デウス』下 ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社より引用抜粋)

つまり、大量の無用者階級は、物のインターネットに接続されて必要物が完璧に与えられ、何不自由なく生きながらえることが出来るが、人間の成長にとって、必要な試練や葛藤を経験する機会などもなく、修羅場に立たされることもなく、自由選択や自由意志(人間としての尊厳)を発揮する機会もなく、ヒトラーが表現した所の「機械生物の群れ」となるのである。



それは人間ではなく、単なる物である。人間は物のインターネット(IOT)に接続されて、あらゆる利便性を享受する結果、自分自身も「物」と化すのである。


3Dのバーチャルリアリティの世界に一日中接続している人々の姿を想像すれば、その状況が少し理解出来るかもしれない。


現在でも電車やあらゆる場所で、スマートフォンのデバイスなどを操作し、また車を運転する時には、カーナビに依存し、それらがなければどこにも行けないし、どこに行くのも不安な人々を想像すれば分かるかもしれない。


あるいは、ゲームセンターなどで一日中ゲームをして遊んでいる若者の姿を思い浮かべればいいかもしれない。


そこに本当の人生経験はない。



そして技術革新を社会に適用する高度な知識人や資本家階級は、その能力と創造性で、物のインターネット(IOT)を管理し、大衆を管理する特権的な地位を獲得するのである。


(略)

自由主義に対する第三の脅威は、一部の人は絶対不可欠でしかも解読不能のままであり続けるものの、彼らが、アップグレードされた人間の、少数の特権エリート階級となることだ。これらの超人たちは、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らはその能力と創造性のおかげで、世の中の最も重要な決定の多くを下し続けることができる。彼らは社会を支配するシステムのために不可欠な仕事を行なうが、システムは彼らを理解することも管理することもできない。ところが、ほとんどの人はアップグレードされず、その結果、コンピューターアルゴリズムと新しい超人たちの両方に支配される劣等カーストとなる。


(『ホモ・デウス』下 ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社より引用抜粋)


このようにユヴァル・ノア・ハラリが描く未来の人類への警鐘は、非常にヒトラーの予言と近いものがある。


いや、むしろ、ヒトラーの予言と全く同じである。



ヒトラーの予言を意識して、あえて最悪の人類の未来を予想して見せたとも思えるような内容である。




但し、ユヴァル・ノア・ハラリは、「本書の随所に見られる予測は、今日私たちが直面しているジレンマを考察する試みと、未来を変えようという提案にすぎない」と述べている。





秘教的な観点から考える水瓶座の時代の生き方とは?


ユヴァル・ノア・ハラリは、”本書の随所に見られる予測は、~未来を変えようという提案にすぎない”と述べることで希望を与えてくれてはいるが、かなり水瓶座の時代というものを本格的にシュミレートした内容になっている。


例えば、私は以前よく見た須藤元気が結成したワールドオーダー(WORLD ORDER)というダンスパフォーマンスグループの特徴的なダンスが思い浮かぶのだが、それぞれのメンバーが、ロボットのような歩き方で行進し、規則正しいロボットのような機械的な動作を行なうのである。


須藤元気は、日本のサラリーマンをイメージしたと言っているが、これは明らかに水瓶座の時代の個人をモチーフにしているのである。


一人一人の個人は全体の部品としての価値しかなくなり、全体の統一された美が重要で、個人は全体に埋没するのである。


その一方で、須藤元気自身は、グループのメンバーの常に中心にいて、一人だけ、個性的なパフォーマンスを行ない、また常に司令塔としての役割を果たしている。


これは、水瓶座の大衆の中にそれを管理する個性的な獅子座がいるということなのである。


つまり、須藤元気のダンスパフォーマンスは、彼自身、知らず知らずのうちに水瓶座-獅子座軸が体現する未来というものを表現していたのである。


この水瓶座に対立する獅子座というものが、一握りの特権エリート階級のことである。




人類の進化(歴史)を推進する法則

ヘーゲルの歴史弁証法によれば、歴史を推進するのは、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)が対立する矛盾がある時にそれを解決するジンテーゼ(合)が生じる為である。


すなわち歴史というのは、総体としての人類の進化の歩みのことであるが、人類の進化が起こるためには、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)が対立する矛盾がなければならないと述べているのである。


これは個人にも言えることであるが、個人が成長するには、個人に矛盾(葛藤)がなければならないのである。


例えば、アリスベイリーに7光線線論というものがあるが、第4光線は、調和、美、和合の光線で、葛藤を通しての調和の光線と呼ばれている。


この光線は葛藤を常に抱えているため、しばしば急速に進化すると言われているのである。


ヘーゲルは、第4光線の魂を持っていたと秘教学徒の間では共有されており、その為、歴史を推進する原理として歴史弁証法を考えついたと思われる。



フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(原題:『歴史の終わりと最後の人間』)という本があるが、ロシア出身のフランスの哲学者アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル解釈を活用して、歴史とは様々なイデオロギーの弁証法的闘争の過程であり、民主主義が自己の正当性を証明していく過程であると考えたようである。



然し、フクヤマは民主主義という最終的な完成された政治形態を勝ち取った世界を寂寥感のあるイメージで語っているという。


フクヤマは、歴史終焉論を単純な「アメリカ勝利論」や「民主主義万歳論」と言うよりも、むしろ寂寥感のあるイメージで語っている。歴史の終わりとは、壮大な歴史の動きの終わりであり、もはや革命も戦争もおき得ない。カエサルやチンギス・ハン、ナポレオンのような英雄も現れない。ベトナム戦争下の学生運動のような大きな政治的ムーブメントもおきず、人々はただ淡々と日常生活を過ごすだけ。歴史の終わり以前の歴史とは、誇り高い英雄たちの闘いの叙事詩だったが、歴史の終わり以後の歴史は、ただの記録の羅列でしかない。しかし、それが果たして本当に人間を幸せにしていると言えるのか? 近代化を完成させ、すべての歴史のプロセスを終えてしまった人間の寂しさ、ニヒリズムの到来もフクヤマは指摘しているのである。

単調な日常生活に耐えられず、時折、刹那的な通り魔事件や無差別テロを起こす人間も出現する。しかし、それはあくまでも個人のコンプレックスや倦怠感に基づくものであり、ある集団に対する組織的で制度的な差別によるものではない。国家体制を揺さぶるような内乱になりえず、どこまでいっても一人ぼっちの反乱に過ぎない。個人の葛藤や懊悩がどれほど深くとも、すべては小さな物語に過ぎない。貴族道徳の復活とニヒリズムの克服を説くニーチェ主義は個人のなかでは永遠に妥当しうるが、もはや社会運動化することはないのである。民主体制は平等主義と個人主義を普及させることにより、奴隷の反乱軍を細分化し、無力化することに成功したのである。

ただし、フクヤマは、マルクス主義が破綻した現代、歴史が再起動するとしたら、このニーチェのニヒリズムの克服論であるかもしれないという含みは残している。

(wikipedia 歴史の終わりより引用抜粋)

そして、フクヤマは、民主主義的な価値相対主義の中に埋没し、平等を愛して、他人と争うことを嫌い、気概を失った人間を「最後の人間」と呼んでいる。


これは非常に興味深いことだが、このフクヤマが言う所の「最後の人間」とは、水瓶座時代に物のインターネット(IOT)に接続されて、あらゆる利便性を受動的に享受する「機械生物の群れ」と化した人間のことを指しているのではないかと思われる。


特にこの「機械生物の群れ」が究極的にその気概を失った状態である。




もはや中世の神が中心だった時代にルネサンスとその後の近代革命によって自由意志を行使して、自らの権利を獲得してきた尊厳ある人間、フクヤマ流に言えば、気概ある人間が、その人間としての価値(気概)を失うのである。


そうした人間は、もはや人間至上主義には値しない人間である。


水瓶座時代に物のインターネット(IOT)に接続されて、あらゆる利便性を享受する「機械生物の群れ」としての人間は、イデオロギー闘争に留まらず、あらゆる矛盾や葛藤を持たない人間である。



その人間は、内なる葛藤を持たないが為に急速に進化することもないのである。



その人間の進化は緩慢となり、ただ管を付けられて生き長らえさせられる植物人間のようにその人生は、霊的には無味乾燥なのである。



水瓶座時代に関して、私がイメージするのは、大勢の人間が図書館のような所で、静かに勉強している姿である。



図書館などには本当の人生はなく『書を捨てよ、町へ出よう』寺山 修司著 が真実である。



肉体、感情、知性を伴った総体としての人間力は、街に出て葛藤を経験することによって鍛えられるが、図書館で鍛えられるのは、知性だけである。



人類大衆にとって、水瓶座時代はあまりにも平和で、葛藤の少ない世界である。



人生は特にたいした試練もなく、修羅場をくぐることもなく、淡々と過ごされていくのである。



その2150年において、人間はやはり機械のように秩序を刻んでいき、激しい感情を失ってロボットのようになっていくのではないかと思うのである。



現に水瓶座ラグナの方や水瓶座に惑星集中している方に時々、会うことがあるが、そのようなキャラクターの方が多い。




何故、魚座の時代の2150年が激動の時代だったかと言えば、それは魚座は、二匹の魚でイメージされ、その魚はそれぞれ違う方向を向いて、葛藤を表わしているからである。


資本主義というテーゼがあれば、共産主義というアンチテーゼがあり、またキリスト教というテーゼがあれば、イスラム教というアンチテーゼがあった。



魚座の時代とは、イデオロギー闘争の時代であり、だからこそ、ジェームス・ボンド007のモデルとなったキム・フィルビーの活躍ももたらした。



英雄が活躍する土壌があったのであり、そして困難な仕事を成し遂げた英雄は、極限的な葛藤の中で急速に進化したと考えられる。



この矛盾や葛藤が、人類にダイナミックな歴史をもたらしたのである。



この魚座の時代(木星)へのノスタルジーと、水瓶座の時代(土星)への不安が、フクヤマの寂寥感となって現れている。




アリスベイリーの7光線論の中で、抽象的理想主義、献身の光線である第6光線があるが、秘教学徒の間では、水瓶座の時代においては、比較的進化していない第6光線の魂は転生して来ないと言われている。


これは何故かと考えると、おそらく進化していない魂は、沢山の葛藤を経験して、時には間違いを犯す必要があるからである。



然し、全ての大衆が、物のインターネット(IOT)に接続されてあらゆる利便性を享受する世界では、葛藤を経験したり、間違いを犯す余地がないのである。



欲求は充足され、犯罪は未然に抑止される。そこでは経験自体が乏しくなる。



従って、比較的進化していない第6光線の魂は、そのような世界に転生して来ても進化できないので転生して来ないということではないかと思われる。





惑星ロゴスの采配-輪廻転生し進化する舞台としての地球環境-


神智学で、惑星ロゴスという概念がある。



人間が進化して、大悟し、その後、惑星ロゴスとなった後は、惑星の維持、管理は、惑星ロゴスの仕事となる。



その際、地球の惑星ロゴスは、人間の魂が輪廻転生し、進化し、成長する場としての地球環境を提供しなければならない。



鉱物資源は、一か所に集まってはいけないし、地球上で、人類の大ドラマが展開するようにあえて、様々な出来事が生じやすいように配慮をするのである。



それは、芸術家としてのセンスが要求される。



そのように惑星ロゴス自らが、人類に葛藤が生じるようにあえて努めるのである。



そして葛藤を通して、調和がもたらされるように配慮するのである。





惑星ロゴスにとっての悪とは、魂が硬直した形態の中に閉じ込められて、経験が得られず、魂が成長(進化)できなくなることである。




2つの世界大戦が終わる前の世界は、身分や貧富の差が固定化し、ダイナミックな変化が起こらない社会となっていた。




その為、惑星ロゴスが、意志と力の光線である第1光線、シャンバラの破壊のフォースを解き放ったのである。(注:おそらく、そのように書いてあった・・・見直す必要あり)



秘教学徒が共有している情報によれば、ヒトラーがヨーロッパを1000年支配しようとした時、もしそれが実現すれば、世界は、魂の成長には適さない硬直した全体主義的な社会になってしまうため、それで、ハイアラキーが惑星ロゴスに原子爆弾の使用を願い出たという話になっている。



魂が転生して経験し進化する場としての地球環境を考える時、全ての大衆が物のインターネット(IOT)に接続されてあらゆる利便性を享受する世界を惑星ロゴスがどう評価するかということが疑問である。



惑星ロゴスは、人間の肉体が死ぬことよりも魂が形態に閉じ込められて死ぬ(魂が経験を得られない)ことの方を問題視し、形態を破壊するためにシャンバラの破壊のフォースを解き放つような存在である。



上述したように全ての大衆が物のインターネット(IOT)に接続されてあらゆる利便性を享受する葛藤のない世界、人間が物のようになり、自由選択や意思決定を行なう意味がなくなる場合、魂の経験にとっては致命的な世界である。



水瓶座の時代で、春分点が水瓶座の3分の2ぐらいの度数に差し掛かる頃におそらく山羊座の影響が出始めると思われる。



おそらくその時にフランシス・フクヤマの言うようなニーチェのニヒリズムの克服論としての歴史の再起動が起こるのではないかと思われる。



この頃には、組織化の土星の影響を受けて、人類大衆があまりにも秩序に適応しすぎて主体性が失われてしまうのではないかと思われる。



その時に山羊座は火星が高揚する星座である為、人間が自ら意志を行使して、自分自身の司令官として、主体性や尊厳を取り戻すという思想、または運動が起こるのではないかと考えられる。



それがおそらく山羊座の時代における光の勢力と物質性の勢力のメンタル界における闘争になるのではないかと予想している。





最後に・・・

『秘教的な観点から考える水瓶座の時代の生き方とは?』では、神智学やアリスベイリーその他の秘教用語を使用して、水瓶座の時代について考察してみたが、あまり一般的でない概念であり、また引用した情報や解釈が必ずしも正しいとは限らない。



ヒトラーの予言について検討してみると、それがこれから訪れる人類の危機を明らかに表していると思われる。



もう直ぐそこまで来ている世界の話であり、水瓶座の時代の危機というものを明らかに表している。



魚座の時代の初期において、キリスト教は、イスラム教徒に対して、十字軍遠征などで殺戮を繰り返し、無知と迷信が蔓延する中世の暗黒時代をもたらした。



つまり、魚座の時代は、献身や理想主義といった点で、美徳ももたらしたが、同時に欠点ももたらしたのである。



春分点が星座に入室してその時代が始まる時には、その星座の時代の美徳と共に欠点も顕現する。



魚座の時代にその無知と迷信が支配的な中世の暗黒時代において、ルネサンスや近代革命などによって、人間が戦いの末にその無知と迷信を打ち破って来たのと同じように水瓶座の時代においても、水瓶座の時代の欠点を打ち破る戦いが人間によって演じられると考えられる。



それはおそらく山羊座の時代の美徳によって打ち破られるのである。



水瓶座の時代において考えられる欠点は、個人のプライバシーや主体性など、あらゆる個人に属するものが否定され、全ての人類を全体の秩序に従わせるような動きが招じるのではないかと思うのである。



例えば、7種光線論によれば、水瓶座の時代に影響を及ぼす第7光線の欠点の一部として、形式主義や偏狭さ、きまりきった慣例を強調しすぎる傾向などが挙げられている。



つまり、一個人の自由意志や自由選択などの采配は全く重視されなくなり、形式やルールの方が重要になり、それに従うことが強調されるのである。




ユヴァル・ノア・ハラリが言う所のアルゴリズムに権威が与えられた社会である。




そのような社会では油断すれば、直ぐに人類は、「機械生物の群れ」と化してしまうのである。



つまり、ジョージ・オーウェルが『1984年』で示したような全体主義的な監視社会に近い世界がやってくる可能性がある。



ヒトラーが見せられた未来とは、物質性の勢力がもたらそうとする未来であり、彼らの計画でもあると考えることが出来る。




ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』の中で気になったのは、次の箇所である。

(略)

このように、21世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、人間から権威を剥ぎ取り、その代わり、人間ではないアルゴリズムに権限を与えるかもしれない。この趨勢に恐れをなしたとしても、コンピューターマニアたちを責めてはならない。じつは、責任は生物学者にあるのだ。この流れ全体を勢いづかせているのはコンピューター科学よりも生物学の見識であるのに気づくことがきわめて重要だ。生き物はアルゴリズムであると結論したのは生命科学だった。もしこの結論が間違っており、生き物がアルゴリズムとは本質的に異なる機能の仕方をするのなら、コンピューターはたとえ他の分野で数々の奇跡を起こすことはあっても、人間を理解して、私たちの生き方を導くことはできないし、人間と一体化することは絶対不可能だ。ところが、生き物はアルゴリズムであると生物学者たちが結論した途端、彼らは生物と非生物の間の壁を取り壊し、コンピューター革命を純粋に機械的なものから、生物学的な大変動に変え、権威を個々の人間からネットワーク化したアルゴリズムへと移した。

この展開に恐れをなしている人もたしかにいるが、無数の人がそれを喜んで受け容れているというのが現実だ。すでに今日、大勢の人が自分のプライバシーや個人性を放棄し、生活の多くをオンラインで送り、あらゆる行動を記録し、たとえ数分でもネットへの接続が遮断されればヒステリーを起こす。人間からアルゴリズムへの権威の移行は、政府が下した何らかの重大決定の結果ではなく、個人が日常的に行なう選択の洪水のせいで、私たちの周り中で起こっているのだ。

用心していないと、私たちの行動のいっさいだけでなく、体や脳の中で起こることさえ、絶えず、モニターし、制御する、オーウェル風の警察国家を誕生させかねない。


(『ホモ・デウス』下 ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社より引用抜粋)

ユヴァル・ノア・ハラリによれば、人間から権威を剥ぎ取り、人間ではないアルゴリズムに権限を与えるかもしれない動きは、生物学者に責任があるのだと記している。


生命の神秘や奥深さ、微細なエーテルレベルの働き、形而上の世界に対する感性がない見識の狭い物質的な生物学者が、動物や人間を単なる物のように考えていることが原因だという。


例えば、レイ・カーツワイルのように有機体である生命が、コンピューターや機械と融合できると考えている発想自体が、物質的な発想である。


私は初めて、この考えを聞いた時、自分の身体が機械と融合する様を思い浮かべて、物凄く気持ちの悪い気分になった。


また同時にコンピューターのメモリーに人間の意識をアップロード出来るという彼の考えは、生命の神秘を全く理解していない何とも偏った幼いものであるようにも感じた。


超能力や霊魂や魂、目に見えない世界に対する興味関心、秘教的な見解などは、一切、失われ、UFO現象なども全く頭から否定するような現在の思想的、学問的状況が既に物質性の勢力の強力な影響に晒されているということが出来る。


人間は物ではなく、魂の宿った存在である。



そのような感性が人類になければならないし、UFO現象が信じられるような感性が育たなくてはならない。



ユヴァル・ノア・ハラリは、完全菜食主義者で、家畜に対する酷い飼育環境などに心を痛める人物であることから、おそらく、こうした生物学者の見解を信じてはいないだろうと思われる。


然し、ユヴァル・ノア・ハラリのチャートでは、金星と水星が山羊座に在住して、蟹座から土星が山羊座にアスペクトしている。


山羊座に金星と水星が在住して、土星のアスペクトもあることから、かなり土の星座である山羊座が強い状態である。


そうした配置から、かなり、物質科学の詳細を追う素質がある。


テクノロジーの発展が人類をどこに連れて行くかをかなり具体的に描き出すことができたのは、こうした配置の為ではないかと思われる。


特に水星に対する土星の絡みが、具体的な事実を積み上げてゆく歴史学者としての才能を表わしている。



このように物質性の勢力との戦いは、思想、学問上の戦いでもある。



少し以前にはライアル・ワトソンの『生命潮流』とか、もう少し霊的な観点から生命現象を語る学者がいたが、最近は、市場原理が浸透したのか、非常に金になる物質的な学問、特にコンピューターの発達により、医学とか薬学、生物学(遺伝子工学)、化学などで大量のデータを処理することによって、知識の蓄積が進んでいる。


ユヴァル・ノア・ハラリは、こうした学問の傾向をデータ至上主義と呼んでいるようだが、データ至上主義は、研究対象(人間)に対する深い洞察や、直感などは必要としないで進められるのである。



従って、こうしたデータ至上主義も学問における物質的な傾向と言えるかもしれない。




『サピエンス全史』では、ユヴァル・ノア・ハラリは、石器時代の考察から始めているが、人類アフリカ起源説という、現在のアカデミックな世界での公式見解を採用している。


然し、実際は、大洪水前にアトランティス文明があったのであり、しかもそのアトランティス文明では、人間は巨大であり、更に昆虫や動物や植物など、全てのものが巨大であった。


木は数キロ以上も高くそびえる巨大な木であったのである。







そうした地球環境は、大洪水で失われ、現在の人間の歴史は、廃墟の上で始まったのである。



現在の支配者階級はその歴史の真実を人類に隠しており、考古学は全く嘘を教えて、それを隠している。



それについて触れていない歴史の本であった為、これまで『サピエンス全史』は全く読む気にならなかった。



然し、『サピエンス全史』の良さは、歴史を見る目線であったり、発想にあるようだ。





ジョーティッシュを実践し、ダシャーが働いて出来事が発芽することを経験した人は、輪廻転生やカルマの法則の存在をもはや疑ってはいない。



量子力学の2重スリット実験などから得られる結論は、認識する主体としての人間が存在を作り出すのであり、現在、人間はヴァーチャルリアリティーの中で生きているという見解が優勢である。



つまり、神が人間に認識を与え、三次元空間を与え、魂が物質に降下する輪廻転生というシステムを運行させているのである。



神、意識、魂、輪廻などの理解は、一緒のものである。



物質科学の方法ではそれらを理解することは出来ない。



これらは体験しなければならないものである。



現在、生物学や化学やコンピュータ科学のような物質科学が発展し、資本主義の中で、お金になるビジネスとなるために非常に大きな力を持っている。



これが歪んだ未来のビジョンをもたらしているのである。



これに対抗し、ヒトラーの予言が実現されないようにするためには、我々が物質を超えたリアリティーに気づける感性を磨き、それを伝えていくことである。



心理学や哲学、量子力学、運命学の研究、瞑想の実践などが、この感性を磨くことを可能にするのではないかと思われる。



そして、アナログ的な人との関わりというものが何にもまして重要になってくると思われる。



この”アナログ的”という言葉が何を指すかといえば、テクノロジーやシステムに依存せずに個人の力でサバイバルしていく力である。



利便性を捨てて、システムから自分を切り離し、人とのつながりを保ちながら、生存していくことのできる野生の力である。



これらの未来への警鐘は、今に始まったことではなかった。



既に『肩をすくめるアトラス』のような小説によって、広く世界に警告されていた未来である。



(被害妄想の強い)米国のリバタリアンであれば、この物のインターネット(IOT)によって個人が完全に管理される未来社会は、イルミナティーの究極的な支配の完成とみなすことだろう。



然し、物のインターネット(IOT)から自らを切り離して文明に背を向けて生きることは難しいことである。




従って、水瓶座の時代から山羊座の時代へ移行する過程で、人類に開示される新たな神の属性を得ることが、人類の次の課題になると思われる。




その新たな属性を獲得した時に水瓶座時代の試練を乗り越えて行けるものと思われる。




それは秘教学徒の間では、意志、愛、知性に次ぐ、神の第四の属性であり、意志に似た属性になると考えられている。




(参考資料)

『ヒトラーの終末予言 - 側近に語った2039年』五島勉著 祥伝社

(以下、P.52~引用抜粋)

異界から来た若者

「見ろ、死神みたいなやつだ・・・・」

その青白い若者が、ふらふら近づいてきたとき、シュライバー少尉と十数人の部下たちは、魂を吸い取られそうな感じを受けて顔を見合わせた。

ところはドイツの北西部、フランス国境に近いイープル地方(現在ベルギー領)。時は1914年10月の末。

といえば、歴史にくわしい方ならだいたいおわかりかと思うが、これは第一次世界大戦がはじまってまもなくの狂乱の時期だった。

第一次大戦は、いうまでもなく、ヨーロッパの支配と植民地の分割をめぐって、1914年から17年まで、当時のドイツ帝国と他の連合国が激突した戦争だ。

それまでの民族間の怨念が積み重なっていたため、戦いは狂おしいものになり、イーブル周辺ではことにひどかった。

ドイツ、フランスの両軍が死闘をつづけていたところへ、フランスを支援する英軍がなぐりこんで来たためだ。戦線はこれで大混乱、双方ともバラバラの小部隊に分かれて殺し合い、わずかなあいだに全滅する部隊も続出・・・・・。

シュライバー隊もそれに近かった。30人ほどいた小隊が、2日間たらずで14人に減っていた。だが、ひきかえに小さな勝利が得られ、当面の敵が遠くへ退いたため、小隊は安全な森陰をみつけて体を投げ出し、久しぶりの夕食を摂っていた。

死神のような若者が近づいて来たのは、そんなときだった。彼は現実の人間というより、どこか異界から迷い出て来たような妖しい感じで、痩せた顔は真っ青、髪はばらばらで目はうつろ、服は裂けて血まみれだった。

だが、それは明らかにドイツ帝国陸軍の制服で、襟には兵長(下士官の下)のマークと「BY」の略章がついていた。

「お、バイエルン連隊の者だな? 仲間はどうした? 全滅か? はぐれたのか?」

シュライバー少尉は声をかけた。若者はよろめいて立ち止まり、かすかに無表情にうなずいた。少尉は放っておけないと思い、将校としての責任上、すぐに命令した。

「よし、では直ちにこの隊に加われ。敵はわれわれが遠くへ追っ払ったから、ここは絶対安全だ。壕に入って当分休め。おい、誰かこの男に夕食をやれ」

「・・・そんなひまはないよ」

若者は、うつろな瞳とうつろな声で、はじめてぼそぼそと言った。

「ここが安全だなんて笑わせる。ここはものすごく危険だ。全員、すぐここを立ち去れ、あすこの窪地まで全力で走って伏せろ。いますぐにだ」

シュライバー少尉は激昂した。

「ここが安全でない」とは、「ここは安全だ」と判断した少尉への侮辱だった。しかも「立ち去れ」だの「走って伏せろ」だの・・・・・。

「おれに命令する気か! きさま兵長の分際で、将校に楯つくか!よろしい。これは軍法会議だ。明日、憲兵に通報して営倉(軍隊の監獄)へぶち込んでやる!」

「だから、そんなひまはないんだ・・・・・」。若者は、気味悪い薄笑いを浮かべて繰り返した。

「ここには、あと三分で・・・・いや二分で、英軍の200ミリ榴弾が飛んで来るんだよ。そうなることになっている。だからぼくの言うとおりにしないと、きみら全員、肉の切れっぱしになっちゃうよ。あと2分・・・いや1分半で・・・」

予言どおりに飛んできた砲弾

少尉は、これでいくらか理解した。なるほど、かわいそうに、こいつ、狂ってるらしい。戦闘が激しすぎたんで、恐怖で狂ったんだ。きっと元から気が小さいやつだったんだろう。これじゃ相手をするだけ損だ。

しかし、そう思ってそっぽを向いた少尉に、若者は、なおもぼそぼそと言った。

「これが最後だ。全員、あすこの窪地まで走れ。これは命令だ。早くだ!!」そして、異様な視線で全員を見回すと、自分はその窪地のほうへふらふらと走りだした。

と、それに取り憑かれたように、茫然と立って見ていた14人の兵士のうち、3人が若者のあとから走りだした。

「待て!停まれ!停まらんと、逃亡者と見なして射つぞ!」

少尉はベルトから将校用に支給されたモーゼルを抜き、空へ向けて一発射った。それから、よろめき走る若者の背中を狙って引き金をしぼろうとした。

瞬間、シュッと空気を裂く音がした。流れ弾か、狙っていたのか、大型の砲弾がどこからか飛んで来た。音から推して英軍の200ミリ榴弾らしかった。

それは拳銃を射とうとしていたシュライバー少尉のすぐそばに落ちた。

閃光が噴いた。爆発音が森を揺すり、3階建てくらいの土の柱が噴き上がった。

それが消えたとき、そこには何も残ってなかった。少尉以下11人の兵士は、無数の肉片になって木々にこびりついていた。

それが爆発の熱でやけ、森自体も夕空に燃え上がっていた。

その惨状を、逃げのびた若者と3人の兵士は、数十メートル離れた窪地で、飛び込んで伏せた直後に見た。

「・・・ほんとだ、なんてことだ。ほんとに英軍の200ミリ榴弾が落ちた」

「そして全員死んだ・・・」

兵士の2人がおののく声で言った。あとは長い沈黙があった。それに堪えられなくなったとき、もう一人の兵士が若者のほうを向いて、神か悪魔に質問するかのように必死で聞いた。

「おかげさまで命びろいしましたが、いったい、あんたは誰ですか? ただの兵長ですか? それとも・・・」

「ただの兵長だ、いまは・・・・」

若者は相変わらずうつろな、自分でも何を言っているのかわからないような表情で、ぼんやり答えた。

「しかし、まもなく、ドイツ人ぜんぶが、いや、世界中がぼくを知るようになる。だからいまのうちに名前をおぼえとけ。ぼくはアドルフだ、アドルフ・ヒトラー・・・・」

彼の背後にいた”あいつ”とは?

これが魔予言者ヒトラーの、いわば鮮烈なデビューだったと私は思う。そして、そう思うかどうかは別として、右の事実そのものは欧米のすぐれた研究者たちが確かめ、こまかい違いはあっても何人かが記録している。

たとえば米国のピューリツァー賞作家ジョン・トーランドは、精密なドキュメント『アドルフ・ヒトラー』の中で、ヒトラー自身が、のちに英国の通信社特派員ウォード・プライスに語った言葉として――

「わたしはあのとき、戦友たちと夕食を摂っていた。すると突然、ある声がわたしに、”立って向こうへ行け”と命じた。

この声が、あまりに明瞭に同じことを繰り返したので、わたしは上官の命令を聞くように機械的に従い、20ヤードほど移動した。

とたんに、いままでいた場所から衝撃と轟きが押し寄せた。そのときまでわたしも属していたグループの上に、流れ弾が炸裂して一人残らず死んでしまったのだ」(永井淳氏訳・集英社版・上巻・73ページより要約)

つまりこれは、ヒトラー自身の判断ではなかった。彼の内部深くから噴き上げた何かの声、または外界か異界のどこからか来た、彼以外の誰にも感知できない妖異な命令だったのだ。

「そうだ、それは”あいつ”の命令だった。あのときから、わたしには”あいつ”が憑くようになった。恐ろしいことだ。わたしは”あいつ”に選ばれて取り憑かれたのだ」

彼はあとで、側近たちにもこうも語っている。それだけでなく、語っている最中、ふいに立ち上がって目を剥き、「あいつだ、あいつが来た。またわたしに未来を教えに来たのだ。そこにいる、そこだ!」あらぬ方を指して絶叫することもあった。

こういう状態を普通は「神がかり」と呼ぶ。そして、ヨーロッパでは、「神」といえば、まずキリスト教の神(キリストが”天の父”と呼んだ唯一神ヤーウェ)のことである。

ところが、前章(23ページ)の『わが闘争』でもおわかりのように、ヒトラーはいっさいのユダヤ思想を認めなかった。ユダヤを憎んで絶滅しようと決めていた。

だからユダヤの神や、それを受けついだキリスト教の神が、彼を選んで未来を教えてくれるなんてことはありえない。

では「悪魔」が憑いたのか。またはユダヤ・キリスト教と対立する古代ゲルマンの、血の復讐や怨念や、炎や氷の神々が憑いたのか?

そうかもしれない。このへんはただの言葉のあやではなく、彼の深層意識を解く重大なカギになってくる。あとで触れるが、彼の心の深い基盤には、ゲルマンの「黒魔術」があったらしいからだ。

だが、もっと合理的な説明を求めるなら、それはやはり戦争だ。彼がこういう無気味な能力を持つようになったのは、あくまでも第一次大戦の戦場――さきの榴弾を予知した数日前のことだったから・・・・。

生死の瀬戸際で噴き出した予知力

それまでのヒトラーは、気の弱い落ちこぼれの一青年にすぎなかった。望んでいた美術学校の入試にはパスできず、事務や計算にも向かないため定職につけず、父親のわずかな遺産をポケットに街をさまようだけの・・・・。

しかしそれが、ほかに行き場所もなくなった感じで軍隊を志願、第一次大戦に加わってから、いろんな激烈な体験が否応なしに彼を襲った。

とくにイープル戦線でぶつかった英軍。これが決定的な一つのモメントになった。

英軍はこのとき、史上初めて、飛行機から爆弾を落とし、機銃を射った。また、やはり史上初めて、キャタピラ(無限軌道)で走る戦車を繰り出したのだ。

「それは、まるで怪物だった。未知の恐怖だった。あれに追われながらわたしは感じた。いまでさえ、こんなものが現れるのなら、人類はいずれ、もっと恐ろしい怪物の未来を持つ。際限なく持つようになるぞと・・・・」(のちに第一側近となるヨゼフ・ゲッペルスに語った言葉)

この、生死ぎりぎりの衝撃が、彼の深層意識に火をつけた。彼は夢中で怪物たちから逃げた。そして、とある沼地のほとりでハッと気づいたとき、自分がそれまでとまるで違う人間に「変わってしまった」のを感じた。

「異常変化だった。それから起こることが全部わかるように感じた。実際わかった。人類の未来が、すべてわたしの前にありありと見えだした。”そうだ、そのとおりになる。おまえにはわかる。おまえはその力を持った”と、”あいつ”も耳もとでささやいてくれた」

これもゲッベルスに語った思い出話である。どのくらい、どんなふうに未来を見たのかわからないが、ともかく彼は悪魔的な予知力を持ったことを、破滅の戦場で自覚した。その確信を、何かわからない”あいつ”が、がっちり支えた。

しかも大戦が終わっても”あいつ”はヒトラーから離れなかった。「ついには、わたしのからだの中にほとんど棲みつくように」なった。

そしてさまざまな未来をささやき、単なる予知以上のことまで告げはじめた。

「アドルフ、おまえは選ばれた。試練にも耐えた。おまえはドイツ民族を率いてヨーロッパを制覇する。新しい世界を打ち立てる。それがおまえの使命だ」

「おまえがそれをやらなければ、今世紀後半も21世紀も、ユダヤが地球を支配することになる。金も食糧も兵器もユダヤが支配する。世界はユダヤとその代理人どものものになる。だからユダヤを倒せ。絶滅しろ」

「そのためにも、まず政権を握れ。片足の不自由な変な小男が見つかる。その男は天才で、おまえの最大の協力者になる。

その男を充分に活用すれば、おまえが45歳になるまでに政権が手にはいる。50歳で世界征服の戦争が始められる」

「それを忘れるな。おまえは25歳で選ばれて能力を得た。そして生まれてから50年目、おまえは世界征服の大戦を起こすのだ。

さらに生まれてから100年目、150年目――つまり11989年、2039年――もうおまえはいないにしても、そのとき人類は、新しい次の段階を迎える。それが何かも、いずれおまえだけに教えよう・・・・」

(以上は、ヒトラーがエヴァ・ブラウンに語った内容を、エヴァ・ブラウン本人から聞いたヒトラーの侍医モレルが残したもの)
参照元:『ヒトラーの終末予言 - 側近に語った2039年』五島勉著 祥伝社

(以下、P.52~引用抜粋)
『ヒトラーの終末予言 - 側近に語った2039年』五島勉著 祥伝社 その2

(以下、P.190より引用抜粋)

2000年、大異変の下、影の超人たちが支配する

「諸君、よく来られた。きょうは最も信頼する諸君に、わたしの予感している人類のこれからの運命を告げる。また、わがナチスの真の使命も告げよう。

その第一は、まもなくはじまる第二次世界大戦である。これは予感でも計画でもなく、諸君知ってのとおり、わたしがいつ出動命令を下すかという段階にまで来ている。

それをわたしは、わたしが生まれてから50年目の今年、遅くとも9月までには下す。同時にわが軍は東ヨーロッパに殺到し、次いで北欧とフランスを倒し、二年半で全ヨーロッパを征服するだろう」

「ハイル・ハイル・ヒトラー!」

「そしてその二年半後、1945年のわたしの誕生日(4月20日)までに、大戦は表面だけは一応の終結を見るはずだ(これも的中。45年4月30日に、ヒトラーは敗れて自殺した。つまり10日だけずれた)。

その日までに、ナチスの目的が果たされることをわたしは望む。しかし、もし果たされないときには、きみらナチスの息子たちがわたしを受けつぎ、必ずわれわれの栄光の世界を実現するようにせよ」

「ハイル・ハイル!」

「私の予感では、それはわたしが生まれて100年目から今世紀末までに、つまり1989年4月から1999年か2000年までに、実現するはずだ。

そのとき、たとえ表面はデモクラシーや社会主義の世であろうとも、実質はナチズムが支配していよう。デモクラシーの国も社会主義の国も、われわれナチスの兵器を競って使い、殺し合い、社会は私の望むとおり、強く支配する者と支配される多数者に分かれていよう。

それは天変地異の期間でもある。

1989年から99年または2000年まで、人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も二つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大旱魃が代わる代わる地球を襲うだろう。

だからその中から超人が現われる。

もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる。

つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する2000年の世界である。

しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これを話している100年後のことだ。

それを告げるためにこそ、私はきょうを選らんで諸君を招いたのだ。きょうから100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。

諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。

そのとき人類は――少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月、地球からいなくなっているいのだ」

2039年1月、人類は「人類以外のもの」になる

これを聞いたとき、冷酷と高知能を誇るニーベルンゲン復讐騎士団の将校たちも、さすがにショックでざわめいたという。

(騎士団の一人ヨハンネス・シュミット少佐=のちに西ドイツの実業家=が、あとでそう打ち明けたのを、米国籍の予言研究者スタッカート氏が研究者仲間の会合で知り、私に教えてくれた。この件だけでなく、氏からはヒトラー予言について多くの情報をもらった。

それによると、ヒトラーが右のように言ったとき、騎士団は仰天し、「なに?地球から人類がいなくなる?さては2039年、ほんとに極ジャンプか何かが起こって、人類が絶滅するのか!?」と思ったという)

しかし、ヒトラーはそのざわめきを強く手で制した。そして激しく燃えるかがり火を背景に、いっそう声を低めてつづけた。

「それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。

たしかに、それまでに多くの大難がつづけて起こる。さっき言ったとおり、1989年から1999年まで、世界はつづけざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。

そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。2000年以後は、それがいっそうhどくなる。

2014年にはヨーロッパの三分の1とアメリカの三分の1が荒廃してしまう。

アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。しかし人類はそれでは滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。

ただ諸君。それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに”進化”するか、そうでなければ退化してしまっているからだ」

一部は”神人”に、残りは”ロボット生物”に変異する

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは”神人”(ゴットメッシュ)と呼んでかまわない。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかはわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的なロボット生物になっているのだ。

それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボット生物を大量に生み出す。

”神人”のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット生物と別方向になるだけだ。

その前段階の超人たちも、より進化して神人になる場合がある。いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。

彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。

ロボット生物たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット生物たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。

食物と住居も、職業と娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット生物たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の家畜のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に二つに分かれる。天と地のように、二つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械生物に近いものへ。

これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態をつづける。そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械生物だけの世界が出来上がる。地上には機械生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ」

楽しい悪夢のような新未来

ほかにも、とほうもない未来予知がいくつか語られたらしい。が、なにしろ整理された資料などない。やっと探し出した資料も、それ以前の資料と重複していたりして、とてもヒトラー究極予言の完全版はお目にかけられそうもない。

たとえば、「いまの文明は砂漠しか残さない。文明の砂漠だ!」という恐ろしい叫びは、ヒトラーが騎士団以外の側近たちにわめいた言葉だったと、ラウシュニングが書いている。

「将来、人類(の少なくとも一部)はロボットになる」――この不気味な予言も、ヒトラーまたはゲッベルスが若いころすでに言っていたと、ジョン・トーランドの本に出ている。

そういう重複や混乱がいくつもある。だが、そんな欠点があっても、それでもヒトラーが予知していた究極の人類像、2039年(とそれ以後)の未来図が、かなり浮かび上ってきたのではないかと思う。

「それにしても、これじゃ救われない。ほんとにこんな世界になったらたまらない。まるでオーウェルの『1984年』だ・・・」

そう思って身震いした方もおられるだろう。たしかにそうで、私も右の予言資料の断片をひっくり返しながら、まず『1984年』のことを思った。

もう題名の年が過ぎてしまったので注目されないが、それは英国の作家ジョージ・オーウェルが1944年に書いた、悪夢のような未来SFだ。

そこでは、世界はアメリカ中心、ソ連中心、日本中心の三つの超国家に分かれ、少数の超エリートが超テレビを使って支配している。

民衆は、自分のほうからは支配者の本拠を知ることすらできないまま、トイレの中の姿まで超テレビで監視され、働かされ、戦争をやらされ、税金を払わされている。

しかし、なぜそうしなければならないかは、教育される段階で「ものを考える力」を奪われてしまっているため、民衆には何もわからない。

話す言葉も、政府が決めた言葉しか使えない。政府が決めたものしか食べられない。政府が決めたことしか考えてはいけない。死ぬときも政府が決めた通りに死ななければならない。

つまり、超独裁の超管理社会をオーウェルは描いたのだった。そしてヒトラーの予知した「神人とロボット生物たち」の社会も、たしかにこれと似ているところがある。

だが、よく読み返すと、だいぶ違うところもあると気づかれるはずである。第一、オーウェルが描いた支配階級は政治的な超絶対権力を握っているだけ。彼らの脳の中身が、支配される民衆の脳以上のものになっているというのではない

ヒトラーが予知した「神人」とここが違う。

神人たちも祖先は人間だったが、彼ら自身はもう人間ではない。

人間より数段進化した、人間以上の別の「種」が「神人」だ。いまの私たちが、生物学でいう「ヒト科ヒト」ならば、神人はもう「カミ科カミヒト」になっているのだ。

彼らに支配される「ロボット生物」たちも、たしかに完全管理されてやりきれないが、別に超テレビで監視されるのではない。神人はテレビなど使わなくても全部わかる。

だからオーウェルの描いた悲惨な民衆よりはずっと気楽で、何かわからない神人たちのプログラムの範囲内では、自由に生きていかれる。

しかも、「ロボット生物」自身、もう人間ではないから、いまの人間と違う感覚を持っている。ロボット生物なりの新しい楽しみや満足度も追求できるのかもしれない。

ここから私は、ヒトラーの予知した人類究極の姿は、オーウェルよりもむしろ、もう一つのSFの傑作、『地球幼年期の終わり』に、とても近いと感じる。
参照元:『ヒトラーの終末予言 - 側近に語った2039年』五島勉著 祥伝社 その2

(以下、P.190より引用抜粋)

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