月別アーカイブ: 2008年11月

木星の山羊座への入室-20日前からの効果-

私の知り合いの女性が最近急に調子がよくなったと言っている。
今週の頭の17,18日ぐらいからその変化が始まり、11/22の今日、それが確実になったことを感じるという。

その女性は山羊座ラグナで、月が牡牛座なので、昨年の11月頃から今までの間、ずっと木星がラグナから12室、月から8室をトランジットしていたのである。

その女性からはたびたび、状況を聞く機会があったが、これまでは非常に調子が悪く、何をやってもうまく行かない最悪な状態だとよくこぼしていた。

それが本日、連絡があり、調子が非常によくなったというのである。

その変化をまとめると以下のような事柄である。

・体が調子が悪く、睡眠とっていても、いつも眠たい。
病的に眠たかった。抜け毛がひどかった。

→それが完全になくなった。抜け毛が減った。(体の調子がよくなった。)

・今までぱっとしない顔つきだった。

→見違えるほど顔つきが輝き出した。化粧しなくても人に見せられる顔つきだった。

・今まで職場で距離感がつかめずにいた人がいた(会話がはずまない)
今までは一緒に作業もしていたがあまり仲良くならなかった。

→その人と急激に距離が近まった(人間関係が良くなった)

その女性によればこの変化は今後も続いていくことを感じているという。

この体験談を聞いて明らかなのは、木星が1室に入室したことによる木星の保護である。木星は1室に入室して、肉体の健康を保護し、そして、7室にアスペクトして対人関係が円滑に発展するような保護をもたらしたようである。

そして、何しろ、1室に木星が在住していることで、顔つきが輝き出したというのはよく分かるのである。

しかし、木星はまだ山羊座には入室しておらず、12月10日から山羊座に入室するので、まだ20日ぐらい前であり、まだ木星は射手座にいるのである。

それでも既に今の段階で、木星山羊座入室の効果が現れ始めている。

以前、ジェームスケラハー氏のネット講座を受けたとき、木星のトランジットは入室の場合は入室前の1ヵ月、そして、ハウスから出て行く場合は、出て行った後の1ヵ月ぐらい、つまり、入室と退出の前後1ヵ月ぐらいをトランジットの効果が持続する移行期間として、つまりオーブのようなものとして、考慮すべきと言っていたのを思い出すのである。

しかし、このケースの経験から考慮すると、明確な移行期間は入室の場合は20日前ぐらいではないかと思われる。

そして、私にも最近、職場での経験で、木星の山羊座への入室を感じさせる出来事があった。

それは19日頃に仕事上である依頼があったのだが、私の予感だとその依頼を通じて、今現在の恵まれた学習環境が失われるのではないかと思うのである。そして、おそらく仕事モードになってしまうと思うのである。

木星が山羊座に入室すると、私のラグナから10室、ダシャーロードの金星から6室に該当するため、アルタハウスの仕事のハウスに木星が移行するのである。

昨年の11月から木星はラグナから9室、マハダシャーの金星から5室をトランジットし、5室に木星と土星のダブルトランジットが生じていたのである。

5室も9室も学習のハウスであり、海外旅行を表したり、趣味とか、創造性を表すハウスである。従って、この一年仕事をしていたが、ほとんど、仕事をしていた感じがしないのである。

仕事と仕事の合間の時間の方が多く、それらの時間をコラムを書いたり、検証に用いたり、政治経済の知識を深めたり、様々な学習と創作活動に費やすことが出来たのである。

HPのコンテンツもこの1年でかなり増やす事が出来たのはこのような環境があるおかげであった。これは、木星の9室へのトランジット、ダシャーロードから5室へのトランジット、ラグナから5室へのダブルトランジットがもたらした効果なのはまさに明白である。

そして、この1年で、ラオ先生詣での旅も行なう事が出来たのである。

これらの幸運の配置が、これから少し変わることをその19日のある依頼によって感じたのである。その依頼は蠍座ラグナらしき人物を経由してもたらされたが、22日現在、太陽は蠍座をトランジットしている。

蠍座は私のラグナから8室に該当するため、私を支配し、管理してくる存在を表すのである。まさにその19日の依頼もそんな内容であった。だから、これから、私は今までの気楽に創作活動に打ち込めた気楽な環境から、仕事モードの状況に移行するのである。

ただ木星は10室に移行するため、来年は私はセミナーを開くことになりそうである。それはもう数ヵ月前から開きたいと思って準備を進めていたが、おそらく10室木星トランジットの時期に実施するだろうと考えていたのである。

だから、12月10日からの10室山羊座に木星入室の時期はこれまで5室や9室の象意の中で学習してきた知識を出していく仕事の時期である。

それと興味深いことに11月13日の朝5時頃、私はバイクで走っていて、突然、前に走っていた車に進路を妨害され、急ブレーキをかけた所、バイクが横転して怪我をしてしまった。3箇所擦りむいてたいしたことなく済んだが、何故、これが起こったかと考えると、その時点で、ラグナロードの火星が8室蠍座に在住していたからだとしか考えられないのである。このバイク事故については別のコラムで触れるが、この事故の起こった時の月のトランジットはラグナに在住しており、あまり事故とは関係ないと思われる。

そして、乗り物の表示体である金星は月、太陽からみて4室支配で6室に在住して6室の支配星と接合していたので、乗り物の事故とも考えられるが、理由をこじつけられるとするとそのくらいである。実際、大きな影響を与えていたのはラグナロードの火星が8室に在住しているというそのことではないかと思うのである。そうすると、ラグナロードのトランジットというのはかなり重要ではないかと思われ、今後、注目して行かなければならないと思うのである。

考えてみると、最近逮捕された小室哲哉は、ラグナと月が牡牛座で、現在、木星が8室をトランジット中であった。従って、木星が8室にトランジット中に詐欺事件を起こして逮捕監禁されたのである。

木星8室というのは、牡牛座に月が在住する細木数子が今年射手座8室に木星が入室してから、テレビ番組への出演を辞めてしまったことに見られるように、物事の中断、変化の時期である。その直後に細木数子は病院に入院しているのでやはり病気とか災難も表している。

小室哲哉もこの1年間は非常に苦しい時期で詐欺行為に手を染める結果となったものと思われる。

2007年10月頃、つまり、この時期は木星が射手座に入室する1カ月前の上述のオーブの考慮により、既に木星8室射手座に入室していたと考えられる時期であるが、この時、返金を求める実業家のS氏に対して、『5億円の債務は存在しないし、S氏の電話攻勢で精神的苦痛を受けた』として、S氏に1億円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしており、開き直りの行為が見られるのである。

その後、S氏が5億円に逸失利益1億円を上乗せした6億円の支払いを求めて反訴して、裁判が示談で終わったので、この時点で、小室哲哉は犯罪者ではなかったのである。

然し、2008年9月30日の期限に支払うことが出来なかったため、S氏は刑事告訴し、今回の逮捕となったのである。まさに道徳性を表す木星が8室をトランジットして不道徳になりやすい時期であると言える。

小室哲哉は逮捕後、暫く拘留されていたが、21日に3000万円の保釈金をエイベックスが立て替えてくれて、保釈されたようである。

彼が寒いと訴えていた拘置所から解放されたのである。

これもおそらく木星山羊座入室の20日前の11月21日の時点で、木星が彼の山羊座9室に移動した効果が現れた結果ではないかと思われる。















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ラグビーで怪我をした時のダシャー

前に過去の検証をしていた時に自分の高校時代のダシャーと事象の検証で、納得できたことがある。

その当時、ラグビー部に所属していたのだが、ラグビーはご存知のように敵にタックルしたり、されたりと激しいスポーツである。

それで、3年間の活動で、2回大きな怪我をして、一つは、試合中に相手の下敷きになって、左足の靭帯を骨折したことで、もう一つは、また別の試合の時であるが、タックルの時に胸骨がぶつかった時の圧力で、少し陥没したりした。そのため、今でもその陥没部分が時々痛んだりするので、一生付き合わなければならない肉体の損傷を抱えてしまったと言える。

別にそれほど、スポーツが好きだった訳ではないが、当時、父親の「高校時代にスポーツぐらいやらないと軟弱になってしまうぞ」という一言に影響されて、スポーツをやったのを思い出す。然し、今ではバカなことをしたものだと今では思う。スポーツなどするくらいなら、もっと勉強しておけばよかったと後悔している。しかし、そうであってもよかったことも少なからずあったことは確かである。

その当時のダシャーは、水星/火星期で、水星からみると、6、11室支配の火星が10室に在住している。

火星が10室に在住しているからか、当時試合中に随分目立つ活躍が出来たことが何回かあり、その一つは、県大会のトーナメントのシード権を巡るシード校との対戦の時に、一番、端のウイング(バックスの中でもっとも端にいて、左右の端のトライゾーンのトライする)をやっていて、ボールが回ってきた時に、ディフェンスラインを突破して、30~40メートルぐらい独走して、トライを決めた時がある。

ラグビーは直ぐに敵にタックルで、倒されるので、あまりボールを持って走れる時間も距離も少ないので、独走したとなると、ちょっとしたヒーローみたいになるのだが、この時が、3年間で、一番輝いた瞬間だったと思う。そのトライのおかげで、チームは勝利し、シード権を対戦相手から奪うことが出来た。

さすがに10室の火星だけあって、やはり大舞台で活躍できる体験を与えてくれたのである。

然し、この同じ水星/火星期に2回怪我をしたのは、やはり、6室支配の火星のせいだと今では分かる。

さらに火星はラグナロードで8室を支配し、12室に在住して、土星からアスペクトされている。いわゆるアリシュタヨーガである。火星は12室に在住しているので、病院にお世話になったし、ラグナロードが8室も支配しているので、慢性的な疾患を抱えたのである。

この時の胸の陥没が未だに痛むのは、やはり、アリシュタヨーガの効果だと思うのだ。

そして、この配置がもたらす効果は、この胸の陥没ばかりではない。
例えば、ITの会社で働いていて、やはり12室的な監視ルームという密室の中で、技術的な仕事に就いていて、その環境がやはり、土星のアスペクトがあるからか束縛もあるというのは、やはり、このラグナロードの火星が12室に在住している効果とも思える。

ハウスや惑星がつくる絡みが、複数の象意を表すことは、占星術ではよくあることであり、というよりもそのように象意が複数重なり合って構成されているのが普通である。

だから、例えば、ジョン・F・ケネディのラグナロードの水星が8室に在住して、8室支配の火星と接合しているのは、アリシュタヨーガだが、それは彼が大学時代のスポーツや戦争中などに何度も脊髄を損傷したことも表すし、また、大統領になってからダラスで暗殺されたことも表している。

惑星やハウスがつくる絡みの象意は一つではなく、大抵、複数重なって存在するのが普通である。

その理由を考えてみると、この世界を管理している惑星ロゴス(神?)は地球上の様々な出来事をたった12の星座と12のハウスと9つの惑星で表現しなければならないため、類似する複数の象意を、ハウスや惑星やそれらの絡みで、ひとくくりにして、まとめ、数を減らしていかなければならないからだ。そうしなければ、この単純で数が限られている占星術の要素の中に、人間社会の沢山ある様々な出来事やドラマを、象徴させることが出来ない。

効率よく、似たような象意はひとくくりしてまとめなければならないのである。

だから、私たちは、予測する際は”足し算の論理”によって、惑星やハウスや星座の知っている象意をどんどん並べて合成して、その象意を列挙していけばいいだけである。

ある惑星、ハウス、星座の絡みには複数の象意が潜在しているので、そうして列挙した象意のいくつかは、実際に高い確率で当たっているのである。

というよりも最近は、そうして列挙した全ての象意は実際に調べてみれば全て、起こっている可能性もあるのではないかとも思うのである。

つまり、起こっていないことはそもそも惑星、ハウス、星座の象意を使って、そもそも考え出すことも出来ないとも思えるのである。















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個人事業主-自由の感覚と鬱病-

個人事業主というのは会社と雇用関係を結ぶ必要がないのである。
会社とは対等な契約関係で請け負って仕事をすることになる。
外面上、あたかも会社の社員と同じフロアで社員のように働いているにも関わらず、立場的には個人事業主である。

社員のように手厚い保護は受けられないが、いちいち会社の上司から命令や指図を受けることもなく、私にとっては社員となって主従関係に入るのが苦手なため、この方が快適である。

今となっては、いちいち会社の指揮系統下に入らなくてはならない、雇用関係というものがいかに屈辱的な立場であったかを、このような個人事業主の立場になってみて、実感するのである。今は会社側の人間から仕事を頼まれるような感覚なのである。

このような請負契約という形態で働き出したのはマハダシャーが金星期に変わってからである。金星は獅子座に在住して、昇進を表すラージャヨーガを形成しており、人の下に従う立場が終わったようである。

人に管理され支配される期間があまりにも長いと、自由の感覚を失ってしまうのである。

そして、人は自由が不安な時、むしろ、支配されることを望むというのが、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」の中で指摘されていた。

心理学者の観察では、鎖に長い間繋がれて、餌を与えられていた犬は、
鎖を外してあげても逃げ出さないで、じっと、そこに留まるという。

つまり、これが鬱の状態であり、支配の感覚が、内在化し、慢性化した結果である。この状態の人間はどこかやる気がなく覇気がなく向上心や自立心にかけている。

日本人に鬱病が多いというのは、長い間、長時間労働で雇用主から管理されてきたからである。だから、日本というのは奴隷の国である。奴隷は長い間、主人から餌をもらって生きてきたので、支配されている感覚が内在化し、慢性化している。

何故、日本人はこんなにも細かいことにこだわるのか、時間に正確なのかとよく言われるようである。細かいことにこだわるとか、時間に正確とかいうのは、土星的であるが、土星は奴隷を表している。

i phoneの開発者、スティーブジョブスに言わせると、日本人は「海岸に大量に打ち上げられている死んだ魚のようである」そうである。

米国は戦後、巣鴨プリズンから釈放された、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らを使って巧妙な日本管理を行い、読売新聞創業者の正力松太郎のような人物を、CIAの協力者として、要請し、巧妙に日本を管理して来たようである。

こうした米国の日本管理は発展途上国の管理と全く何ら異ならない同質のものだと分かる。

米国は戦後、発展途上国に巧妙に経済理論とその統計データを使って、でたら目の経済成長を予測し、国際銀行から借金をして、港、湾、道路、ダム、発電所などの社会インフラを作り、そこから得られる収入を使って借金を返済していくように説得し、結果として借金が返せなく
なったところで、国の予算配分などの決定権を握り、石油採掘権などを獲得して、資源を奪い取るという戦略をずっとCIAやNSAなどの情報機関を通じて行なって来たようである。

日本も本質的にはその途上国と全く同質の扱いを受けているのである。

そして、プラザ合意とか、金融自由化とか、日本の国富はことあるごとに奪い取られているようである。それで郵政民営化とか、さらに従順な羊か、奴隷のような日本国民から、訳が分からないうちに、資金を奪い取ろうとしているようである。

多くの日本人が、内心、米軍に日本にいて欲しいと思っているようである。私自身の中にそのような感情があるのを発見する。

自分が徴兵されて軍隊に行きたくないし、米軍から軍事的に守ってもらうほうが、自分達で国家の自衛を考える必要もないため、楽だからである。

然し、そのような考え方は長い間、管理されてきた奴隷が陥る錯覚であり、鎖を外してもらっても逃げない犬のようである。

もう管理されることに慣れてしまい、その方が楽なのである。
これは深刻な鬱の状態であり、長期の支配を受けた人間に見られるエネルギーの低下状態であり、深刻な病である。

小泉政権の新自由主義経済政策から、貧富の差が広がっているが、負け組みはさらに奴隷としてのくびきを強められているが、勝ち組も結局は、負け組みを管理する中間管理職程度の奴隷に過ぎない。

もっと大きな存在から支配されている奴隷に過ぎない。

根本的な変容とは、この世界を管理支配している根本的な悪の根源は、大きな世界大戦の終わった現在の世界の中では、商業至上主義、市場原理主義の中に顕現しているようである。

お金儲けという尺度に、教育、福祉、健康管理、といった人間が人間らしく生きるための基盤を崩されて、公共部門から民営化されてしまうという危険性であり、効率化、合理化による人間疎外である。

民営化というのは結局のところ、私有化であり、それは最終的に近代のお金の仕組みを発明した邪悪な悪の根源、物質性の支配者達の懐に入るのである。

私は占星術を研究することで、お金というものが、人を支配するためのツールとなっていることを発見した。それは6室と8室が絡んで支配と被支配関係にある人のほとんどがお金を借金することで、人から、支配されているということが多かったからである。

それで他人のお金(7室から2室目)を表す8室は、人からお金を借りた時に8室の象意を経験し、支配者の支配を許すことにつながるということが分かったのである。

そして、その支配は最終的に、お金を発明した商業至上主義の根源でもある物質性の支配者達にさかのぼるのである。ロスチャイルドやロックフェラーといった米国の連邦準備銀行や国連の世界銀行を所有する人々はその物質性の大主方の代理人(エージェント)と言えるかもしれない。

イルミナティという秘密結社は、知性をもたらすルシファーを崇拝しているが、ルシファーとは、聖書ではサタンを表しており、かつてユダヤ人の先祖であった高位の弟子の中の3人がルシファーの側面に堕ちてしまい、フリーメーソンの成立の物語の中に、覚者を殺害して埋葬した弟子たちの歴史事実があると、アリスベイリーの著作の中に書かれている。

だから世の中の全ての出来事を形而上学的に考えると、8室は物質性の大主であり、サタンであり、ルシファーであるが、9室は霊ハイアラキーであり、知恵の大主方であり、大白色同胞団(グレートホワイトブラザーフッド)であり、マイトレーヤと覚者方のことを表すと分かったのである。















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映画『ノーカントリー』について

ジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督、脚本、制作した『ノーカントリー』をビデオで見た。原題は”No Country for Old Men”である。 原作はコーマック・マッカーシー著『血と暴力の国』という小説のようである。

この作品は見ていてストーリーの展開も登場人物の会話にもひきこまれて最後まで集中して見終わった。すごい作品というのは最後まで我を忘れて見入ってしまうものであるが、これもそんな作品だった。

あらすじについてはwikipediaに詳しく載っているが、作品の全編にわたって強烈な存在感を示すのが、無慈悲に殺人、強盗を繰り返す殺し屋シガーの存在である。

ここからは作品を見た人にしか分からないかもしれないが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC

シガーは金も麻薬も超越しており、自らのルールに従って行動する無慈悲な殺し屋である。彼が作品中で入った店の店主にコインを投げて、裏か表か当てろというシーンが出てくる。言われた店員は「何を賭けるのですか」と聞くが、シガーはいいから賭けろと言うのである。それで店員は表であると答え、それでそれは当たっていたのである。シガーはまた夜に来ると言って出ていく。

ここで思ったのは店主に賭けろといったのは、店主の命を賭けろと言ったのではないかということである。それでコイン投げで表を当てたので、命を奪うのをやめたということだったのかもしれない。

そして、このコイン投げは、最後にモスの妻、カーラ・ジーンに対しても行われる。「何故、私を殺す必要があるの?」と尋ねるカーラ・ジーンに対して、シガーはそれではせめてコインの裏表で、助けるかどうか決めてやろうと言って、カーラ・ジーンにどちらかを聞くのである。
それに対して、カーラ・ジーンは、私はどちらかも選ばない。助けるかどうかあなたが決めなさいよと、シガーに返す。

このシガーの究極の行動原理とは、金や麻薬などへの欲望でもなく、また自らの内部の道徳心や良心でもなく、自分で決めたことや約束したことを実行するというものである。

だからコインの裏表の確率を用いるのは、それで意思決定を行うとシガーが決めたのであり、その結果に従うことは、やはり、自らに課したルールを守るというものである。

だから、彼にとって行動の理由はあるのである。それは自分に課したルールを忠実に守るという理由である。それ以外の理由は一切ないのである。

これを見て感じたことは、私たちも例えば、自分の頭のまわりを蚊が飛びまわっていたら、手のひらで叩いて、つぶすことがある。それには対して、たいした理由もなく、ただ蚊が飛んでいるからつぶすのである。
音がうるさいとか、汚いから嫌だとか小さな理由はあるかもしれないが、それは理由がないくらい条件反射的な動作として行うのである。私たちは蚊をつぶすことに対して良心の呵責や、道徳的な疑問などは生じないのである。中にはどんな小さな生き物も殺生はいけないとして、躊躇する人もいるかもしれないが、大抵の人は、蚊をつぶすことに良心の呵責も何も感じないのである。

あまりにも巨大な意志というものは、人間の命に対してもそのような扱いをするのではないかと思ったのである。それは蚊の視点からみれば自然災害であり、神の意志かもしれない。

シガーに殺される人間たちが、感じる無力さは、自然災害とか、人間側の働きかけではどうにも変えることができない、巨大な意志である。

この作品に登場するトミーリージョーンズ扮する保安官は、あまりにも凶悪化した殺人などについて、物騒な世の中になったと嘆き、途方に暮れるのである。そうして映画の最後で自分の無力を悟り、保安官を引退して辞めてしまう。

保安官が映画の最後に見た夢を語るが、それは父親が自分を追い越していって、温かい火を自分のために灯してくれているのではないかと思ったという夢であった。アメリカという国家が、自分たちのことを考えてくれているので安心だという、古き良き時代をなつかしむ夢である。

“No Country for Old Men”という原題が示すように、”(古き良きアメリカの時代を生きてきた)老人たちにとっての国は存在しない”という意味である。

シガーは明らかにアメリカの社会に生まれた悪を象徴しているのである。

このシガーで象徴される絶対悪とは何なのかと考えると、軍産複合体や連邦準備銀行など背後に潜む、アメリカ支配層、ユダヤ人の思想であり、ルシファーの思想であり、利益計算、合理主義の思想なのではないかと思うのである。

この思想が、レーガン政権の時代から加速した市場原理主義を拡大する新自由主義経済政策を推進する力である。それ以前のベトナム戦争の頃からおかしくなったアメリカの背後にある力である。

この力は理性というものを、あらゆる物事を解決できる力として崇拝する、ルシファー崇拝の思想なのである。

副島隆彦氏によれば証券とか、株式のオプション取引などの複雑な金融商品は、もともとは保険業の確率論から来ていて、リスクの割合を計算する思想だという。だから、この理性とは、確率論の考え方であり、ルシファーの思想とは、物事を確率論で考えたり、損得計算したりする利益計算である。

そのようなことを政治学者の副島隆彦氏が主張している。副島氏がこの作品を評価するならば、どのように評価するだろうかと非常に気になるところである。

例えば現在の米国の支配者階級が運営する株式市場の複雑なオプション取引は、確率論的なものであって、あたかもコインを投げて表が出たら助けてやるというシガーのコイン投げの考え方なのである。

そのような確率論的なリスク計算、損得勘定の思想がイデオロギーとしてまず、存在し、そのイデオロギーを強力に頑固なまでに推進する巨大な意志の二つが、アメリカが世界を導いている盲目的な悪の力なのである。

ここにはシガーが象徴するような単純に金儲けを追求するという発想以上の根本的な思想の部分での悪である。

これはアメリカで発達したゲーム理論や、社会現象を数理モデルで考える手法全般に言えることかもしれない。

その数理モデルからはみ出した人間が死のうがどうなろうが全く気にしないのであって、ただその最初に決めた数理モデルというルールに従って、それをイデオロギーとして強力に推進するのである。

だから、シガーという究極の悪で象徴されるのは、自由主義経済思想とそれを世界に押しつける支配者階級の意志を表していると思うのである。これは何%の人間は生きれるが、何%の人間は死んでも構わないとい思想であり、シガーのコイン投げで、象徴されているかのようである。

シガーとモスの妻のカーラ・ジーンが対話する場面で、何故、コインの裏表で賭けさせるのかと質問するのであるが、シガーが「自分はこのやり方で小さい時からやってきた」と答えるのである。

だから、シガーはこうした無慈悲な合理的な思想の中にどっぷりと漬かってきた人間であることをここで告白しているのである。そういう過程で育ってきた人間が辿り着く馴れの果ての姿であり、その過程が生み出した怪物である。

だから最後にシガーが自動車事故で、片腕の骨が肉からはみ出すほどの大怪我をしたところに、少年二人が自転車でやって来る。そこで、シガーが金をやるからその上着をくれというのである。少年二人は、金なんていりません、善意でやったことですと言うが、シガーはいいから受け取れと言って、お金を無理やり渡すのである。

シガーは善意などというものを決して受けとらないという強固な意志を示すのであるが、少年たちは大金をもらって、さっそく喧嘩をしだすのである。

ここで善意も好意も思いやりもさまざまな人間の美徳とされているものを一切否定して、ただ金だけを信じる人間の姿があるのである。

これはモスが傷ついた体で、国境を歩いて越える時に3人の若者と出会い、500ドルやるから上着をくれといったのと似ている。500ドルで上着といったら上着と釣り合わないほどの大金である。それとあと若者が持っていたビールもくれというのであるが、若者は、いくらくれると言う。もう一人の若者が、それくらいただであげろよとささやく。

ここで示されているのは、全てが金でしか解決できないアメリカのすさんだ姿である。まず、モスはアメリカの軍産複合体の金儲けの道具として、ベトナム戦争に駆り出された世代であり、そして、その過程で、彼自身が金ですべて解決するような考え方を身につけたのである。

この若者とのやり取りの中にも、人の親切や好意でまかなわれていたものさえも、金で買わなければならないというアメリカ社会の姿を映し出している。

このようにこの作品では、全てを金で換算するすさんだアメリカ社会の姿を映し出すとともに、さらに金儲けという観点を超えた悪の姿を描いている。

それは一度、ルールや約束事を決めたら、盲目的にそれを実行し、人が死のうが、社会が破滅しようが、関係ないという姿勢であり、道徳や美徳、良心などよりもそれらのルールや約束事を上位に掲げる思想である。

この場合、この一度決めたルールを決めてそれをただ盲目的に実行するという姿勢は、被害を被る人間たちの視点からは、あたかも自然災害とか、決して一個人の力では逆らうことのできない自然力のように感じるのである。

現在社会の柱となっている自由主義経済思想やその背後にある理性崇拝の思想は、人格から切り離された、まるで魂のない盲目的な機械のように働いている。

それは道徳などには一切、拘束を受けないで自ら決めたルールを盲目的に実行していくマシーン(機械)であり、人はその意思を自然の抗うことのできない意志として、確率として受け入れるのである。

『ノーカントリー』のシュガーが象徴しているのはこのような悪ではないのかと思うのである。

モスの妻のカーラ・ジーンがシュガーに対して、コインの裏表を選択することはしないと言い、私を助けるかどうかあなたが決めなさいよ、というのであるが、これは、彼女がアメリカの支配者層に言った言葉なのではないかと思うのである。確率とか、数理モデルとかそんなことで、決めないで、私を助けるかどうかをあなた方が自分の意志で決めなさいよということである。

 















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