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俳優・清水章吾のDV疑惑について その2 - 射手座の高い所からの転落事例、島田紳助との共通点 -

2020 2/10

昨日、俳優・清水章吾のDV疑惑、元妻・清水ハルマンとの関係性について考察したが、結局の所、清水章吾にとって、これは<射手座の高い所からの転落>の象意であったことに気づいた。


清水章吾と元妻・清水ハルマンが離婚したのは、昨年2019年の11月だが、トランジットの木星と土星が射手座を通過して、射手座にダブルトランジットが生じていた。





清水章吾のチャートでは、月から見た7室射手座に6、11室支配の火星が在住して、射手座を傷つけており、6室の支配星にダブルトランジットしていることから、妻と壮絶な争いになって離婚したのである。


2020年1月24日から土星が山羊座に入室して、今は清水章吾の月から見た8室に土星が通過している厳しい時期であるが、土星が月から8室目を通過していく時期をアシュタマシャニと呼び、その時期は妻や子供から無視され、意に反して非合法な行為を強いられ、多くの屈辱に直面するというが、清水章吾の現在の境遇をそのまま言い表している。


また元妻・清水ハルマンにとっては、昨年は土星が月の上を通過しており、サディサティの真っ只中であった。


ダブルトランジットによって、清水章吾の6室支配の火星が強調されていた為、暴力のカルマが噴き出すと共に離婚のカルマが噴き出したタイミングである。



但し、清水ハルマンにとっては、土星が山羊座に抜けて、月から見た2室目に土星が移動したことで、今年に入ってからかなり心理的に楽になったはずである。



暴力的な夫を家から追い出すことに成功したので、気が楽になった状況ではないかと思われる。



射手座に生来的機能的凶星などが在住したり、アスペクトするなどして射手座が傷ついている人は、高い所から転落した場合の落差には非常に激しいものがある。



清水章吾の場合、妻もいたし、家も所有していたのが、妻からの反撃に遭い、自殺未遂をして、全て身ぐるみ剥がされ、お湯の出ないアパートで、毎日、部屋で毛布にくるまり、じっとしているのだという。



一時期は、年収が3000万円を超えていた時もあるのだから、立派な成功者であり、その時の蓄えなどがあれば悠々自適に暮らせるはずであるが、この境遇に転落させられたことには酷いものがある。








気の毒な状況で、可哀そうだが、チャートに記されている<射手座の高い所からの転落>のカルマが発現したことが分かる。






ナヴァムシャで減衰する太陽に火星がコンジャンクト - 承認欲求が満たされない時の壮絶な暴力 -


因みに清水章吾のナヴァムシャを見ると、牡羊座-天秤座軸で、太陽と土星が減衰し、そこにラーフ/ケートゥ軸や火星も絡んでいる。







この太陽が天秤座で減衰し、火星が絡んでいる配置は、島田紳助と同じ配置であるが、自信がなく自尊心を傷つけられると激しく怒りを爆発させる配置である。





島田紳助は、マネージャーにタメ口をきかれた時にプライドが傷ついて激しい怒りを爆発させ、マネージャーに壮絶な暴力を加えた。



太陽が天秤座で減衰する場合、繊細で小心になるが、人に自分を大きく見せたいという虚栄心も持つことになり、逆に傲慢になるのである。



そして、人からの承認、評価を飽くことなく求めるパーソナリティーになる。



その承認欲求は決して満たされず、人からの承認、評価、評判を絶えず気にする性格になるのである。



そして、太陽に火星が絡んでいる場合、そうした承認欲求が満たされない時にその不満が暴力となって発現する。




島田紳助が後輩芸人の挨拶などに厳しく、番組収録前に楽屋に挨拶に来なかった新人のお笑い芸人に番組中に怒りを爆発させたことなどは有名である。



その現場を見ていた新人のお笑い芸人達が恐れをなして、その事件の後、いちいち先輩芸人の楽屋に挨拶に来るようになったという。



ビートたけしの所にも新人が挨拶に来るようになって、紳助のせいで新人が挨拶に来るようになって困ると愚痴をこぼしていたといったエピソードもある。



島田紳助が後輩の挨拶にこだわるのは、新人が自分に対して、礼儀や尊敬の態度を示さないと、自分の承認欲求が満たされないからである。



そして、火星の火によって、怒りが爆発してしまう。



究極の小心者といってもいいかもしれない。




島田紳助が暴力団との関係が取り沙汰されて芸能界を引退したのもひどく世間の評価が低下した為、自信を喪失して、自ら芸能界から去ったというのが真相ではないかと思われる。



色々な理由が囁かれていたが、メンタル的な問題が大きかったと思われる。(但し、ダシャーの観点からも芸能界を引退するタイミングであった。)




清水章吾もまたこの島田紳助と全く同じようにナヴァムシャの天秤座で太陽が減衰し、火星がコンジャンクトしている。



それで島田紳助がマネージャーに暴力を振るったように元妻のハルマンや連れ子の絹子さんに壮絶な暴力を振るったことは容易に想像できる。



おそらく連れ子の絹子さんが父親の自分に敬意を示さないことに傷ついて、怒りを爆発させた結果、残飯を食わせるなどの壮絶な暴力を行なったと考えられる。



また清水章吾は、元妻・清水ハルマンのアトリエを見知らぬユーチューバーに撮影させると言い出した時に断ると、「ぶっ殺すぞ」と言って暴れ出したそうだ。



彼の面子が潰されて、繊細な自尊心が傷つけられた為に怒りが暴力として爆発したことが分かる。




そして、そうした暴力の数々が暴かれて、週刊新潮にスクープされて、それが報じられると、自信を喪失して、自殺未遂を犯したのである。



おそらく、ここまで批判されたのであれば、自分は生きる価値がないと考えたのではないかと思われる。



このように傲慢であったかと思うと、次の瞬間、自信を喪失するのが、太陽が減衰している場合の特徴である。




この自殺未遂は、島田紳助の引退と非常によく似ているのである。



島田紳助が暴力団との関係が取り沙汰された時、何も芸能界を引退する必要はなかったのであり、周囲の人も紳助は辞める必要はないと諌めてくれた人もいたようである。



それが島田紳助の芸能界引退の理由についての真相があれこれとささやかれた理由である。



何故、島田紳助が引退することにしたのか周囲の人は理解できない所もあった。



例えば北島三郎だって、暴力団の新年会に挨拶に行くようであるが、年齢の問題で引退するまでは、立派に歌手活動を続けていた。



暴力団との関わりだけでは芸能界引退の理由にはならないのである。




もし図々しい人であれば、そのまま芸能界に居座って、次第に世間が忘れてくれるのを待つのもありだと思われる。



然し、あの時、島田紳助が芸能界からの引退を口にしたのは、精神的に参ってしまったからであり、一種の自殺行為に近いものがあったと思われる。





このように島田紳助との行動パターンの共通点を探っていくと、清水章吾のパーソナリティーの秘密が分かってくる。



一見、人の良さそうな清水章吾が裏で、妻や連れ子の娘に壮絶な暴力を行なっていたというのは、島田紳助のマネージャーへの暴行事件と同じものとして理解できるのである。



プライドを傷つけられた時に狂人のように手がつけられない程の暴力を振るうと共通するパターンがある。






清水章吾から40年にわたるDV被害 告発の妻「作られた鬼嫁キャラ、辛かった」
2020/1/7 5:57 デイリー新潮

人は見かけによらぬものである。かわいいチワワとともにアイフルのCMに出演して一世を風靡、その後、いぶし銀のバイプレイヤーとしてドラマや映画に出演している俳優、清水章吾(76)が、約40年もの長きにわたり妻や娘に暴虐の限りを尽くしていたというのだ。

まずは掲載の写真をご覧いただきたい。

 横を向いている左側の子供。襟足の髪がバッサリ刈り上げられている。一見すると男の子に見えるが、れっきとした女の子。右下の写真はそのときに切り取られた髪だ。

 さらにご注目いただきたいのは、左下に写っているどんぶりの中身。実際の色は淡いピンク。なんとこれ、他の家族が食べ残した残飯の上に、三角コーナーに捨ててあった野菜や茶葉を盛り付け、タバスコやわさび、からしをふりかけたものだという。件の少女はそれを床で食べさせられていた――。

「清水さんが、元モデルで父親がドイツ人のハルマンさん(69)と結婚したのは1980年のこと。双方とも再婚で、ハルマンさんには当時5歳の連れ子がいました」

 とハルマンさんの知人が声を潜めて説明する。その連れ子こそが、写真左側の少女、絹子さん(45)である。

「清水さんがハルマンさんを殴ろうとして、パトカーが出動したことも少なからずあったとか。それでもって、11月8日にようやく離婚が成立したのですが、清水さんがいっこうに家を出ていかないので、母娘とも部屋に鍵をかけて震えながら暮らしているんです」

 俄かには信じがたい話だが、実際にハルマンさんを訪ねると、彼女が重い口を開いて訥々と告白を始めた。

「結婚すると、彼の母親が持っていた原宿のアパートで暮らすことになったのですが、彼は生活費を1円もくれず、アパート代も私からお母さんに払っていました。私の貯金もすぐに尽き、彼にお金の相談をすると、通帳を投げつけてきて“入ってないから”と」

 実は、ハルマンさんは“鬼嫁キャラ”でバラエティ番組に出演したことがある。しかし、

「小遣いをくれない、10年に1度しか下着を買ってくれない、というような内容でしたが、すべてテレビ局と清水が考えた嘘。本当は私が苦しんでいるのに、ネットで批判されたりして、精神的に辛かったです」

 演出だろうが、糟糠の妻に対して酷い言い草である。たびたび浮気もされたそうだが、紙幅の都合で今回はその件については触れない。

 さて、ここから本題だ。結婚後、清水は絹子さんと養子縁組したが、その後に生まれた実の娘(写真右側の子)と露骨に差別して育てていたという。

「原宿のアパートでは、真冬に水風呂に入れられるのが日常でした」
 と、絹子さんが涙ながらに語る。

「母が体調を崩していたので、私が家事をしていたんですが、完璧にやっても清水は難癖をつけて私を殴る。私以外の家族はテーブルでご飯を食べているのに、私は床でゴミを食べさせられていました。髪の毛も根元から切られてしまい、髪型は常に男のように短くボロボロ。そんな扱いなので、学校でもいじめに遭いましたが、清水は私からどんないじめを受けたのか聞きだしては喜び、“橋の下で拾ってきたようなクソガキに友達なんかいらない”と言い放ったのです。いい成績のテストや賞をもらった絵は全てビリビリに破かれました」
 絹子さんは小学2年生のとき、遺書を書いて家出した。中3のときは自宅で首吊り自殺未遂も起こした。彼女の額には今も、清水に学習机の引き出しで殴られた際の傷跡が残っている。

「虐待に見られても仕方ない」

男 なんだこの野郎! 

妻 なんだとはなんだ。

娘 もう、やめ、やめ、ちょっと警察呼んでくる。

男 ぶっ殺すぞこの野郎! 

 これは3年前に録音された音声だ。“男”は清水その人である。

 再びハルマンさんの話。

「清水がいきなり、見知らぬユーチューバーに私のアトリエを撮影させると言い出したので反対すると、“ぶっ殺すぞ”と言って暴れ出したんです」  ハルマンさんと絹子さんは現在、画家として生計を立てている。

「そのとき清水は、止めに入ってくれた絹子の顔を殴りました。その後110番してパトカーが来て、清水は“今後二度と暴力は振るわない”という念書を書かされました。今もDVは続いています。先日も病院で“睡眠薬をくれない”と暴れて、病院を出入り禁止になりました」
 かくなる上は、清水本人にも話を聞かねばなるまい。

―─食事の時、絹子さんだけ床で食べさせた? 

「ないよ。ないよ。誰が言ったの? そんなこと」

―─ご本人から聞きました。

「どうしてそういうこと言うんだろ、あの子は」

――残飯を食べさせていた? 

「なーにそれ! とんでもない。なに作り話してるの」

――警察に念書を出した? 

「それは事実だよ」

――ということは、警察は暴力を認めた? 

「言葉の暴力です。それだったら僕も言いますけど、ずっと僕に金銭的なプレッシャーをかけてますよ。働かなきゃ、働かなきゃ、って。これは言葉の暴力ですよね」

――絹子さんの髪を根元から切った? 

「ないよ。そんなの」

――学校でのいじめの内容を聞いて喜んだ? 

「嬉々としてなんかいないよ。“あなたが悪いんじゃない?”って言っただけで」

――虐待していたのでは? 

「虐待に見られても仕方ないことはあったよ。反抗ばっかりするから。“ダメだよ”って言いながら、こう(手を振り下ろすしぐさ)」

――絹子さんはトラウマになっているようですが。

「トラウマはこっちだよ。はっきり言って、あの子を引き取らなければよかった」

――絹子さんを折檻した? 

「折檻なんかしないよ。再婚して引き取って育てるのがどれだけ大変か。そこをあなたは評価してないじゃない。言うことを聞かないから折檻するんですよ」

――ハルマンさんを鬼嫁キャラに仕立てたことは? 

「まあテレビ的な演出はあります。ジャガー横田とかもそれで売れてたから」

――絹子さんの額の傷は? 

「知らないよ。全部僕をはめようとしてるんだ」

――引き出しで殴った? 

「引き出しじゃないって」

――では何で殴った? 

「殴ってないよ」

――なぜ殴った? 

「言うことを聞かないからだよ! 皆だってそういうときあるでしょ。殴ったのは問題じゃない。大人になるためにやったことで」

――ハルマンさんたちときちんと話し合っては? 

「怒るからダメだよ。外国の血が入っている人はすぐ怒るから」

――家を出る気はある? 

「(キレ気味に)お金がないんですよ!」

 離婚後も、ハルマンさんに“介護保険料6800円が払えない”などと泣きつく始末。そういうときだけは懇願調で下手に出るという。

 DVも、頭ごなしに否定してみせつつ、問い詰めると本音をポロリと漏らしてしまう、という具合である。

 ハルマンさん、絹子さんとも口を揃えて「一刻も早く出ていって」と言うのだが……。

「週刊新潮」2020年1月2・9日号 掲載



(参考資料)

紳助 気脈通じたスタッフばかり指名し番組私物化とTV関係者
2011年9月8日(木)7時0分 NEWSポストセブン

芸能界引退事件の全貌が明らかになるにつれ、伝わってくるのが、自分をより大きく見せたいという島田紳助の虚栄心、そして、その裏に透ける小心さである。そのメンタリティはいかにして醸成されたのか。

 紳助の父親は大阪外語大学から国鉄入りした鉄道マン。父親は紳助に期待し、小学3年生から家庭教師をつけるほどだった。しかし紳助はそれがプレッシャーとなり、不良に走った。紳助にとっては、まじめな父親は反面教師の対象でしかなかった。

 芸能界入りした後も、父の呪縛からも逃れていなかった。1982年に突如、東京大学への受験を宣言。受験会場で受験阻止を訴えるグループが現われる騒動が起きて断念したが、当時を知る関係者によれば、「話題作りもあったけど、本気で勉強していた。番組企画を超えた“危うさ”もあった」。

 1990年に『サンデープロジェクト』の司会を引き受けたのも“学歴コンプレックス”と無縁ではないだろう。

 番組関係者は語る。

「紳助さんは収録前夜に1時間半の勉強を義務づけ、重要キーワードをまとめたプリントまで作っていました。番組打ち合わせでは、疑問点があれば、田原(総一朗)さんや舛添(要一)さんに質問していた」

 インテリ政治家と対峙できたことは、彼の自負となった。学歴への執着が3人の娘の教育にも投影されたのか、それぞれが関西の有名私大に進学している。

 しかし、父から自由になりたかったゆえに、選択したのが芸人という人生だったはずだ。彼の進路に、迷いが生じたのはなぜか。

 在阪テレビ局関係者の話。

「長く芸能界にいるうちに、周りの芸人が消えていった。そしてその穴を埋めるように新たなスターが登場する。ここで自分が死んでも、すぐに代わりがでてくると病床で思ったんでしょう。よく紳助さんは、『タレントに必要なのは売れなくなったときのノウハウ。だから俺は副業をやっとる』と周囲に語っていた。逆にいえば“売れない恐怖”と闘っていたんでしょう。いつしか番組でも気脈が通じたスタッフばかり指名するようになり、番組を私物化していった」

 2004年、吉本興業のマネージャー殴打事件によって謹慎処分を受けた“裸の王様”に対して、周囲の視線は冷たかった。復帰後、人間不信に拍車がかかった。

 そして今回の事件——。

 前出の、京都の実家近くに住む住人はこう嘆いた。

「今度のことではアイツの親父が一番悲しんでるんやないかな。手を焼いてきたけど、やっぱりそこは息子やからね。活躍する姿を見て、誇らしかったと思うよ」

 カネは残った。しかし、それ以上に大切なものを失った紳助に、父はどんな言葉をかけたのだろうか。

※週刊ポスト2011年9月16・23日号
参照元:紳助 気脈通じたスタッフばかり指名し番組私物化とTV関係者
2011年9月8日(木)7時0分 NEWSポストセブン
島田紳助さん芸能界引退 暴力団と親密な関係
2011/8/23 日本経済新聞

テレビ番組の司会者などとして活躍するタレントの島田紳助さん(55)は23日夜、吉本興業東京本部(東京・新宿)で記者会見し、暴力団関係者との親密な関係が判明したとして、同日付で、芸能活動を引退すると発表した。

所属事務所の「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」によると、島田さんは2005年6月ごろから07年6月ごろにかけ暴力団関係者と親密な携帯電話メールをやりとりしていた。

会見によると、島田さんは十数年前、暴力団関係者と旧友を通じて知り合った。自身の個人的なトラブルを、旧友に相談した際、「その知人の暴力団関係者が解決してくれた」と説明。暴力団関係者と直接会ったのは4、5回程度。

会見で、島田さんは「トラブルを解決してもらい、恩を感じていた。問題はないという認識だった」と釈明。「一番重い処罰を自分に与えた」と引退の理由を語った。

会見では、時折、涙を浮かべ、一連の経緯を説明。「明日からは一般人として静かに暮らしていきたいと思います」と述べ、約1時間の会見を締めくくった。

よしもとクリエイティブ・エージェンシーは、所属タレント全員を対象に毎年、コンプライアンス(法令順守)研修を実施。暴力団関係者と会うことや飲食、メールのやりとりもいけないと指導していたという。今回も、同社側は島田さんに「よしもととしてのルールだ」と迫ったという。

同席した同社の水谷暢宏社長は「経済的な利害関係は無いが、社会的影響力の高いテレビ等の司会者として登場しているだけに、厳格な態度で臨むべきだと考えた。本人から引退という申し出があり、受け入れることにした」と話した。

島田さんは1977年、故松本竜助さんと漫才コンビ「紳助・竜介」を結成し、漫才ブームの一翼を担った。85年のコンビ解散後も数多くのテレビ番組の人気司会者として活躍。若手漫才師の日本一を決めるトーナメント大会「M-1グランプリ」も仕掛けた。

04年に所属する吉本興業の女性社員を殴ってけがを負わせたとして傷害容疑で大阪府警に告訴され、10日間の謹慎処分に。傷害罪で略式起訴され、罰金30万円の略式命令を受けた。復帰後も、「開運!なんでも鑑定団」のほか、「行列のできる法律相談所」や「クイズ!ヘキサゴン2」など、人気番組に出演していた。
参照元:島田紳助さん芸能界引退 暴力団と親密な関係
2011/8/23 日本経済新聞
「真相は別にある」引退会見でウソをついた島田紳助に立ち込める暗雲
日刊サイゾー2011年8月26日 16:05

やっぱりあの涙もニセモノだった?

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 島田紳助が暴力団との親密交際を認めて芸能界を引退したが、自ら開いた記者会見で暴力団幹部への手紙や写真の存在を否定したことで、墓穴を掘ってしまった。会見でウソをついていたことがハッキリしたため、引退の真相についてもウソや憶測が飛び交っている。筆者もいくつかの情報をつかんでいるが、今、明らかにするのは早計だと思うので、真相が明らかになり次第報告することにする。

 そもそも、引退という決断について賛否両論があるものの、紳助の素顔を知る筆者にとっては、2004年10月に起こした女性マネジャー暴行事件で引退していて当然で、遅きに失した感があると思っている。知人であるビートたけしも昔「フライデー襲撃事件」を起こしたが、たけしの場合は家族や愛人を守るため芸人を辞める覚悟で実力行使に出た。「フライデー」(講談社)側の行き過ぎた取材方法にも批判が集まっていた。ゆえに、業界も世間も、引退までを求めることはなかった。

 しかし、紳助の場合は、女性マネジャーの態度が気に食わないからと、暴行を働いただけ。まるでチンピラだ。紳助は約10年前に番組での発言がキッカケで右翼とトラブったときに、山口組系極心連合会のH会長に頼んでトラブルを解決してもらったことから、暴力団との交際が始まったと言われている。その時点で、紳助はH会長に恩義を感じるとともに、"俺のケツ持ちはH会長だ"と勘違いするようになってしまったのだ。

女性マネジャーへの暴行の背景には、"俺を誰だと思っているんだ"という紳助の思い上がりがあった。たけしも、フライデー襲撃事件後、しばらく謹慎していた。復帰に当たって、右翼の街宣車が「復帰は早過ぎる」と連日のように、当時の所属プロダクション・太田プロなどに街宣行動を繰り返した。この時たけしは、右翼団体の頂点に立つ暴力団のトップの自宅に単身訪ねて、「これ以上、弱い芸人をイジメめないでください」と直談判して、トラブルの収拾に当たった。その後、たけしは、自身を守ってくれなかった太田プロから独立した。

紳助は一般人に暴行を働いたにもかからず、2カ月あまりで復帰。たけし同様、「復帰は早過ぎる」と右翼が行動を起こしても不思議ではなかった。しかし、女性マネジャーの弁護士が共産党系だったという政治的なバランスと、バックにH会長がついているということで、右翼からの攻撃は避けられて、早期復帰を果たした。復帰後、芸能界でファミリーを築いて"テレビ界の新帝王"として君臨するようになったが、この間、紳助はファミリーには優しく、強いもの対しては弱いという、人を見て態度を変える気の弱い男ということがよく分かった。一般人が紳助にガンを飛ばされて、脅されたというケースもあったくらいだし、吉本の若手芸人に対して暴力を振るうということも度々で、若手の中には紳助の番組に「出たくない」と恐怖に怯える者もいたという。

2年前に起こった"東京03事件"。東京03のメンバーを恫喝しただけではなく、実際に暴力を振るっていたと証言したタレントもいる。この時、真相を追究せずに一件落着させてしまったマスコミにも責任はある。

そんな紳助の理不尽な言動に、吉本興業の幹部は日ごろから頭を痛めていた。今年4月に「週刊現代」(講談社)が、今回引退の引き金になった暴力団との黒い交際を報じたのをキッカケに、紳助に「暴力団との関係を断ち切る」という一筆を書かせていたのだ。

その後、7月に入って、吉本は大阪府警から紳助と暴力団のメールを入手。紳助が認めて、電撃引退に至った。だが、このメールは数年前のもので、これだけでは、「暴力団との関係を断ち切る」という約束を反故にしたとは言えない。

ゆえに、引退の真相はほかにあると考えるのが普通だ。筆者も含めて各メディアは、真相は別にあると取材活動を続けている。事実、いくつかの暴力団絡みの事件への関与のウワサが流れている。陰で弱者をイジメてきた紳助だけに、「一般人」だろうがなんだろうが、筆者も真相追究の手を緩めるつもりはない。(文=本多圭)
参照元:「真相は別にある」引退会見でウソをついた島田紳助に立ち込める暗雲
日刊サイゾー2011年8月26日 16:05
紳助親分の終末(1)ディスコで番組打ち合わせ
2011年11月29日 11:56 Asagei+plus

紳助親分がテレビ界から姿を消してから、3カ月余りがたとうとしている。その間、怒濤のごとく「裏の顔」が報道され、親分は裁判を起こすという実力行使に打って出た。はたして親分はなぜ、こうした転落人生を歩むことになったのか。かつて漫才ブームをともに過ごした名物ディレクターが、「人間・島田紳助」の明と暗を大いに語った。

 今回の引退騒動が起きた時、「あぁ、(やっぱり)ヤクザとつきあっていたんだ‥‥」と思いました。何しろ昔の吉本興業の芸人は、ヤクザ主催のイベントなどに平気で出ていましたから。「昨日、××親分の町内の盆踊り大会に余興で出た」なんて、「ひょうきん族」の楽屋などで話していましたから。そういうことが、ごく当たり前にあったんです。だから今回の一件も、しょうがないなという感じですよ。  80年にスタートした「THE MANZAI」、そして、その翌年から放送された「オレたちひょうきん族」。2つの巨大ヒット番組を、フジテレビのディレクターとして手がけたのが佐藤義和氏だ(現フリープロデューサー)。空前の漫才ブームに乗った島田紳助(55)もまた、この番組で全国区の知名度を獲得し、のし上がっていった。佐藤氏が知る紳助とは、いったいどういう男だったのか。そして、芸能界引退を余儀なくされた不祥事が生まれる背景には何があったのか。

 でも(引退が)右翼とのトラブルが原因だったと聞いた時、何で紳助が動いたんだろう、と不思議に思いました。そもそもテレビ番組での(右翼を茶化すような)発言がもとだということですから、元来はテレビ局が事態の収拾に動かないといけない。それを知らんぷりして、紳助にケツを拭かせたのはいけませんよ。テレビ局の怠慢であり、ある意味、紳助は気の毒だったとも言える。ところが、そのあとから不動産売買にまつわる話なんかが出てくると、「あ、これはちょっと(同情すべきこととは)違うな」とも思いましたが。

 紳助で思い出すことといえば‥‥「THE MANZAI」が80年4月に始まりましたが、その数カ月前に大阪で打ち合わせをしたのが初めての顔合わせだったわけです。当時はまだ吉本が東京進出をしていない頃。だから、大阪の漫才師が東京の番組に出るというのはけっこうな騒ぎでした。しかも、その番組の担当者(佐藤氏)が大阪まで来て打ち合わせをするわけですから。  紳助は打ち合わせの席に大学ノートを持って来た。テーブルに置き、開くとそこにはバーッとネタが書いてあったんです。ずいぶん緊張してかしこまっていました。それからのつきあいですね。

 六本木のディスコにもよく行きましたね。そのあとの「THE MANZAI」の打ち合わせも、東京ではディスコのVIPルームでやっていましたから。キレイな女のコのいるようなところで紳助をリラックスさせるためです。何しろ大阪の芸人が東京進出するというのは、物凄いプレッシャーがかかるわけですから。
参照元:紳助親分の終末(1)ディスコで番組打ち合わせ
2011年11月29日 11:56 Asagei+plus
紳助親分の終末(2)さんまと張り合って女優と…
2011年11月30日 11:56 Asagei+plus

「ひょうきん族」では「ひょうきんプロレス」というコーナーがありましたが、あれは、もともと、紳助が僕に「プロレスごっこ、やりませんか」と言ってきたことがきっかけです。1回目はオール阪神・巨人VS紳助竜介でしたね。

 そういえば「ひょうきん族」時代には紳助に相談を受けたこともありました。「僕、これからどうしたらいいんですかね」と。僕はこう答えました。「簡単だよ。髪型を変えればいい」。アドバイスを受け入れた紳助はその後、リーゼントをやめて、イメージが変わっていきました。

 その後、85年に竜介とのコンビを解散した紳助の、ピン芸人、司会者としての活躍ぶりは周知のとおり。と同時に、不動産業、飲食店経営など、実業家としての才能も開花することになる。  彼の実業家としての顔は、僕は知りません。当時の芸人たちは、売れなくなった時のことを考えて、売れている時にためたお金で飲食店を出したりしました。紳助の実業家としての一面は、僕にとっては意外でした。そんなに儲かっているんだ、と驚きましたね。

 当時はやんちゃな男でしたが、紳助が大病をして入院した時のこと。確か、84年前後あたりでした。開腹手術をしたんですが、また腹膜炎を起こして2回(腹部を)切ったんです。僕が大阪の病院までお見舞いに行ったら、病室にダウンタウンと(同期の)ハイヒールがいましたね。

 で、そのあと88年に、今度は僕が胃の3分の2を取る手術をするために入院した際は、紳助が(同期の)明石家さんまと一緒に見舞いに来てくれました。手術の2、3日前でしたね。紳助は自分の腹を見せながら「おなかを切るとこんなことになるんですよ」と言うんです。そして「手術する時、チ○チ○に管を入れられるの、痛いんですよ」と(笑)。僕は紳助の話を聞いて不安になり、手術前は眠れなくなりましてね。で、実際に手術して胃を切ったら、潰瘍が5つもできていたんです。

 同期のさんまといえば、紳助は彼を凄く意識しています。どっちが売れているか、自分の冠番組を何本持っているか─。

 とにかく、凄い遊びましたね、かつては。さんまが女優と結婚したら、紳助はその悔しさで女優とつきあったりと、張り合っていました。いろんな意味で、ライバル関係でもあるんですね。

 今、紳助に助言をするとしたら、「女には気をつけろ」ですよ(笑)。手を出した女は(何か事が起きると)足を引っ張りますからね。女とのつきあい方をもっとうまくしていれば、紳助のいろんな女性関係の情報がマスコミに出ることがないものを‥‥。
参照元:紳助親分の終末(2)さんまと張り合って女優と…
2011年11月30日 11:56 Asagei+plus
紳助親分の終末(3)繊細で小心な策略家の失敗
2011年12月1日 11:56 Asagei+plus

コンビ解散後、快進撃を続ける紳助は89年4月、新たな境地へと進出した。政治や社会事件などを扱う硬派の報道番組「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系)のキャスターに抜擢されたのである。求められた役割は、視聴者の代弁者。当初は「お笑いの人間にできるわけがない」と罵られたこともあったが、その予想に反して、長期間在任。04年3月に15年の節目を迎えるにあたり、「華があるうちに」と、紳助みずから降板を申し出たのだった。

 紳助が「サンデープロジェクト」に出演している間は実質的に、バラエティ番組に対してはブランクができました。そもそもこの仕事は、さんまとの差別化を図る意味もあり、木村政雄さん(吉本興業元常務)が「やってみないか」と紳助に持ちかけたものだったわけです。

 バラエティ番組に出ない間、彼の性格からすると、全ての番組をチェックしていたと思いますよ。ノートにビッシリと内容を全部書いて分析するような人間なんです。繊細で小心で策略家ですから。

 その繊細な策略も、闇社会との交際をきっかけに崩壊。引退という負債を背負わされた。

(吉本の)大崎洋社長はダウンタウンの育ての親として、彼らとともに出世した。それで吉本では紳助の居場所がなくなったのかな、と思いますね。今回の騒動も、ヤクザとのつきあいであれば謝って済むことなのに、なぜ謹慎ではなく引退だったのか。吉本の方針というか、切られたんですよ。大崎社長の路線から外れたんです。原因はダウンタウンの親分ヅラをしていたからかな、と思いますが。

 もう一つ。(東京03の恫喝事件は)先輩芸人が後輩を正すのは当たり前だけど、あれはちょっとやりすぎだったと思います。女性マネジャー暴行も、あそこまでやっちゃいけない。だけど(東京03事件は)昔だったら、周囲が止めていました。局スタッフ、芸人仲間、会社(吉本)の人間とか。でも止める人がいないということは、紳助は孤立しているんだなと思いましたね。裸の王様だったわけです。

 そもそも「サンデープロジェクト」を降板してバラエティの世界に戻った時には、各局の担当プロデューサーは、すでに大スターになった紳助の姿しか知らない世代。フジテレビのクイズ番組のプロデューサーなんか、全然若いですから、大物然とした紳助に「それ、違いますよ」とは言えない。結局、紳助を裸の王様にしてしまったのは周囲が悪いんですよ。吉本も(今回の引退騒動で)トカゲの尻尾切りみたいで、そうしてみると、これは紳助だけの問題ではないんだろうなと思いますね。

 結果として1人の貴重な才能がいなくなったことは寂しいけど、新陳代謝、世代交代が早まった。引退後、「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)では(司会者の)ネームバリューが紳助ほどでなくとも番組は続くんだ、ということにテレビ局が気づいた。高いギャラを払わなくても新しい人材を使ってできる、と。だから各局とも、もう紳助なんていなかったことになっていますよね。「そんな人、いたっけ?」みたいな。
参照元:紳助親分の終末(3)繊細で小心な策略家の失敗
2011年12月1日 11:56 Asagei+plus
紳助親分の終末(4)紳助を絶対に許さない女たちの「絶縁状」
2011年12月2日 11:56 Asagei+plus

電撃の引退会見から3カ月、島田紳助(55)の行方は闇に消えたままだ。ただし、世の関心が沈静化しようとも「永遠に紳助を許さない!」と胸に秘める女たちは存在する。

「出るたび賞金を持って帰って、おかしいなあ」

 その瞬間、白石美帆(33)の表情がこわばった。TBSの名物特番「オールスター感謝祭」で、司会の紳助から皮肉を言われたのは03年秋のこと。00年春に優勝を飾っただけでなく、常に上位の成績をキープしていた。とはいえ、何やら「ウラ」があるかのような紳助の口ぶり。さらに、

「見た目は純粋だけど純粋でない」
「腹黒い女や」
「性格に裏がある」

 画面上は苦笑いするばかりだったが、この回を最後に白石は同番組には出演していない。デビューが「スーパーサッカー」で、以降も「ワンダフル」や「Pooh!」など、「TBS専属」のような立ち位置だったのに。

「白石宛てのファンレターがTBSアナウンス部に届いたこともあったという笑い話も。世話になった局の改編期特番に出なくなったのだから、よほど紳助のイジリが腹に据えかねたんでしょう」(TBS関係者)

 あの藤原紀香(40)は、デビュー直後の93年から4年にわたり、「クイズ!紳助くん」(朝日放送)のアシスタントを務めた。当初こそ「中古車センターにフェラーリが来た!」と評して歓迎した紳助だったが、番組が始まってしまえば「超B級」の扱いだったという。

「もはや紀香の名前やのうて『チチ!』って呼んでたで(笑)。番組のエンディングには罰ゲームがお約束で、特に『おっぱいダーツ』は強烈やった。紀香を椅子に座らせて縄でグルグルに縛って、強調されたおっぱい目がけてレギュラー陣がマグネットのダーツを投げよるんや」(関西在住の放送作家)

 さらに、紀香に目隠しをさせて触った物体が何かを当てるゲームでは、とんでもないセクハラがあった。

「そら、もう気持ちえ~指の感触やったわ」

 かつて本誌に明かしたのは、アホの坂田こと坂田利夫。テーブルに坂田がパンツ一丁で寝そべり、その股間目がけて紳助らに無理やり「握らされた」のが紀香だった。

「アイマスクを取った紀香は、絶叫して床にうずくまっていたね。その直後に上京して女優業にシフトしたのは、この屈辱がバネだったかもしれません」(バラエティ班スタッフ)

 さて、近年の紳助を代表する番組といえば「クイズ!ヘキサゴンⅡ」(フジテレビ系)。そこで一時は紳助の寵愛を受けながら突然レギュラーの座を追われたのが福田沙紀(22)だ。女優業に専念するためとか本人がおバカキャラを嫌ったためとか、諸説あるが‥‥。

「福田自身が遅刻魔で、紳助の逆鱗に触れたと言われていますが、いずれにせよ、福田の降板後にPabo(スザンヌ、木下優樹菜、里田まい)が大ブレイク。逆に福田はドラマ『ライフ』のイジメ役で反感を買った。最近はクイズ番組でも平均的な答えしか出せず、あそこでレギュラーを降ろされていなければ‥‥と恨んでいるみたいです」(ドラマライター)
参照元:紳助親分の終末(4)紳助を絶対に許さない女たちの「絶縁状」
2011年12月2日 11:56 Asagei+plus

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コメント

コメント一覧 (7件)

  • ナヴァムシャで太陽減衰の方を知っていますが、記事に書かれている通りの行動をしていて読んでいてとても納得しました。
    小心ゆえに自分を大きく見せようとする、傲慢、自分をヨイショしない人間をいじめる・陰口悪口平気で流す。
    今は関わりない方ですが、この方の場合は減衰だけじゃなく他の絡みもあってのこういう行動だと思いますが、精神構造がどうなってるかよくわかりました。

    逆に太陽高揚+火星定座だと、小心ゆえにじゃなく普通に傲慢なんですかね?
    自分はナヴァムシャでこっちを持ってるので、けっこう内面では王様気質な所があるかもと思います (;^_^
    でも高揚の特徴かなと思うのは、卑怯な事は嫌い・本当の意味で誇り高くいたいので、
    陰口・悪口、いじめのような事はしないです。
    • この場合、暴力として現れるかどうかは、火星が絡んでいるかどうかがポイントです。

      太陽がナヴァムシャで高揚している場合、普通の状態で自信があるので、人から自分の価値について承認してもらう必要がない為、執拗に病的に自己主張する必要がありません。

      従って、傲慢さとして現れないかもしれません。

      然し、誇り高く、負けん気が強い為、自分の価値について挑戦を受けた時には、強く自己主張をします。

      その時に本質的な生来の傲慢さ、負けず嫌いな所が出てきます。

      高揚した太陽に火星が絡んでいれば、本質的な生来の傲慢さ、負けず嫌いな所をより積極的に表現するかもしれません。

      そして、自分から自殺未遂したり、引退したりといった自分の存在や価値を否定するようなことは自ら一切行いません。

      逆にふてぶてしく当然のように自分を主張し、自分の存在価値を当然のもの、自明のものとして振る舞います。

      本来、王者というものは、そういうものかと思います。

      自分が王者でないことを一切、疑ったことがない人です。

      つまり、自己主張の仕方が病的か、そうでないかという違いとして現れると思います。

      普通に傲慢という表現で合っていると思います。

      そして、太陽が高揚している場合、高貴さという特徴も出てくるかもしれません。
  • 秀吉さん、今晩は。

    清水氏のチャートでは、月と火星が相互アスペクトし、チャンドラ・マンガル・ヨーガが成立しているとしています。
    そして、これは富のヨーガであるとしています。

    前澤友作氏のチャートでは、双子座で月と火星がコンジャンクションし、チャンドラ・マンガル・ヨーガが成立しています。

    チャンドラ・マンガル・ヨーガは、コンジャンクションの方が、相互アスペクトより強いと言えるのでしょうか?

    私の兄の出生チャートでは、山羊座で火星が高揚し、蟹座の月と相互アスペクトしています。
    彼はそこそこお金を持っていますが、途方もない金持ちというわけではありません。
    • コンジャンクションでも相互アスペクトでも特にそれ程、違いはないと思います。
      それよりもチャンドラ・マンガラヨーガを形成する火星や月の星位が強いかどうか、どのハウスで形成されているかといったことが関係すると思います。
      富がもたらされるかどうかはチャンドラ・マンガラヨーガだけで決まるのではなく、ダナヨーガが形成されているか、アルタハウスに惑星が集中しているか、2室や11室の表示体である木星が強いかどうかなど、別の要素が複合して決まります。
      • さまざまな要素を考慮して多面的に評価して判断するのですね。

        私の兄は一般的な基準を使えば、金持ちの分類に入るかもしれません。

        私のナヴァムシャチャートでは火星が11室から2室にアスペクトし、月が8室に在住して2室にアスペクトしています。2室に月と火星のダブルトランジットが生じています。このような場合でもチャンドラマンガルヨーガが成立していると言えますか?
        • 2室に月と火星の影響はありますが、惑星同士が絡んでいる訳ではない為、チャンドラマンガラヨーガにはならないと思います。

          若干の似たような効果はあるかもしれません。

          惑星が普通の意味で、絡んでいるとみなすのは、コンジャンクション、相互アスペクト、星座交換などです。


          それに加えて、惑星が特定の星座やナクシャトラに在住することによって、その支配星と絡んでいるとみなすことも出来ます。

          但し、それはヨーガとは言いません。


          例えば、水星が獅子座に在住していたら、獅子座の支配星である太陽と関係を持ちます。

          太陽が凶星やドゥシュタナハウスと絡んでいたら、その影響を水星も受ける為、関係があると言えます。


          然し、この配置では、太陽と水星が絡んだ場合のブッダアディチャヨーガとは言いません。


          同じように木星がムリガシラーに在住していれば、その支配星である火星と関係を持つため、火星の状態が木星に影響しますが、グルマンガラヨーガとは言いません。

          また惑星がケンドラ、トリコーナの位置関係にある場合も惑星が絡んでいるとみなしますが、月と火星がケンドラの位置関係にある場合にチャンドラマンガラヨーガと呼んでいるケースも見たことがありません。


          月と木星がケンドラの位置関係にある場合、ガージャケーサリヨーガになりますが、それはこの惑星同士がケンドラの配置にある場合に絡んでいるとみなす考え方が適用される一例ではないかと思います。


          木星が月から見てケンドラに在住していたら、ガージャケーサリヨーガになると古典にはっきり記されているので、月と木星の場合はヨーガになりますが、月と火星がケンドラの位置関係にある場合については、特に触れられていません。


          惑星がケンドラ、トリコーナの位置関係にある場合、惑星同士を絡んでいるとみなし、ダシャーの解釈などにも適用しますが、通常の絡みとは区別されると思います。


          惑星がヨーガを形成できる絡みは、通常のコンジャンクション、相互アスペクト、星座交換であると思います。


          片側アスペクトは効果はありますが、絡みとしては不完全で、ナクシャトラ交換などは効果は十分あると思いますが、含めるかどうかは人によって異なると思います。


          こうしたものに比べると、月と火星が2室にアスペクトするというのは、2室には月と火星の影響がありますが、月と火星のそれぞれは、お互いの影響を受けていませんから、ヨーガと呼ぶのは更に難しいと思います。


          もし2室に月と火星がアスペクトしていることが富をもたらしたと考えるなら、チャンドラマンガラヨーガが形成されているとするのではなく、チャンドラマンガラヨーガと似たような効果が若干、2室に生じたかもしれないと言うべきです。

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