月別アーカイブ: 2010年8月

渡辺謙の太陽について

2010/8/18の13:16からスークシュマダシャーが3室支配の水星期に移行したからか以前からあたためていた渡辺謙のチャートのラグナ特定というテーマで調べ始めたのである。

そして2010/8/19付占星コラム『国際映画俳優・渡辺謙について』の中に内容をまとめたのであるが、いつものことであるが、やはりコラムを書く時には、大抵、水星期が関わっているのである。

Ve/Su/Ju/Sa/Ju 2010/8/17 12:35
Ve/Su/Ju/Me/Me 2010/8/18 13:16
Ve/Su/Ju/Me/Ke 2010/8/19 12:43
Ve/Su/Ju/Me/Ve 2010/8/19 22:23

この渡辺謙について書いている時に気づいた事は、渡辺謙の太陽が3室支配でヴァルゴッタマで減衰しており、
太陽の状態が非常に個性的であることである。

3室や6室を支配する惑星や3室や6室に在住する惑星が減衰している時、ラージャヨーガ的に働くという特別な法則があるのである。

渡辺謙の太陽もこれに該当するのであるが、彼のラグナを双子座ラグナに設定し、過去の出来事の時系列をたどっていくと、アンタル太陽期には演技の分野において活躍をしていることが確認できる。

従って、渡辺謙の太陽はやはりラージャヨーガ的に働いていることが確認できるのである。

太陽が強い場合、おそらくそれは獅子座ラグナを考えればいいかと思われるが、演技は下手である。とにかく目立つし、存在感は発揮するが、獅子座の俳優は、どんな作品のどんな役柄を演じたとしても、自分でいることしか出来ないのである。

何か別の人間になり切るような技巧的なことは一切できない。
例えば、木村拓也などを見るとそうである。
どんな作品に出ても、あのぼそぼそとした特徴ある話し声のキムタクであり、いつもキムタクでしかない。

然し、渡辺謙は単に獅子座の主役を演じれる俳優というだけではなく、脇役も演じられるし、どんな役柄にもなり切ることができる演技派なのである。

これはおそらく天秤座で減衰する太陽のなせる技である。

ラグナが双子座であるということもあるかもしれないが、渡辺謙は演技が上手である。

単に主役しか演じられない、毎回、自分であることしかできない獅子座のスターとは違うのである。

彼はカメレオンのように環境に合わせて、観客や監督が求める役柄を演じわけることができる客観性を持っているのである。

またハリウッドの同僚達から渡辺謙の人柄について高く評価されているのも、彼が自己主張をほどほどにし、人との調和を図ることができるからであろうと思われる。

従って、彼の場合、減衰する太陽の性質が逆に長所に転換されて生かされていると言えるのである。

そして、渡辺謙が出演する作品のテーマは、太陽が減衰していることをまさに象徴するようなものが多いことに気づくのである。

例えば『独眼流正宗』は天下を狙いながらも結局、天下を取ることが出来ず、徳川家により天下が安定する中で、将軍の前で、舞を舞って最大限かぶいてみせることしか出来なかった地方の戦国大名の物語である。

あるいは『ラストサムライ』で演じたのは、欧米の近代化に抵抗し、天皇に忠義を尽くすも、最後まで刀を捨てず、武士としての魂を守り通し、反政府軍のリーダーとして散っていった藩主の物語である。

西郷隆盛がモデルになっているようであるが、ほろびの美学というものが見られる傷ついた太陽の物語である。弱くなりつつある太陽が自らの尊厳を守る為に必死で抵抗するのである。

また映画『明日の記憶』も若年性のアルツハイマー病にかかり、記憶を失って自らのアイデンティティーや尊厳を失っていくことと格闘する男性の物語である。

あるいはクリントイーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』で主役を演じているが、内容は、日本の本土爆撃を許すか否かの重要な戦略的意義のあった硫黄島において、アメリカ軍に相当なダメージを与えつつも、情勢が次第に不利となり、残る300名の部下と共に最後の攻撃をかけて玉砕した栗林忠道中将(戦闘終結直前に大将に進級)の物語である。

ここにもやはり、太陽が傷つき、弱まりながらも最後まで必死に努力して、大将としての尊厳を保とうとする男の物語が見られるのである。

また、山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』で主役を演じているが、内容は恩地元という国民航空社員が、労働組合委員長として経営陣と対立し、カラチ、テヘラン、ナイロビといった僻地への足掛け8年に渡る左遷人事に耐えながら、最後に国航ジャンボ機墜落事故が発生したのを機に本社での改革に乗り出す物語である。

ここでも僻地に左遷されて、自らの尊厳を奪われた主人公が最後までプライドを捨てずに戦い抜くというテーマから傷ついて弱くなっているが努力する太陽がよく表現されているが、3室を支配する太陽が減衰するという2重否定の効果がよく表れている。太陽は減衰しているが、故に自らの尊厳を取り戻そうと必死に努力し、そのことがよい結果をもたらすのである。

この『沈まぬ太陽』は日本航空の「日航ジャンボ機墜落事件」をモデルとしていたために日本航空は映画化に反対し、角川映画に警告文を送って、名誉毀損の裁判も辞さない構えを示したため、航空機が飛んでいるシーンなどに日航の協力が得られなかったりなど、撮影現場は厳しかったようである。

従って、撮影や制作の過程で、実際の俳優達の実生活に政治的、社会的な影響が及んだような、そんな作品なのである。

渡辺謙は映画公開初日の舞台挨拶で、作品や撮影の厳しさについて語り、男泣きに泣いたとwikipediaに記されている。実際、ネット上に彼が舞台挨拶で泣いている写真を見つけることができる。

この作品に関しては、『沈まぬ太陽』というタイトル自体が、同様のテーマを物語っているのである。
これは渡辺謙が演じた経営陣と必死で戦う、傷ついた主人公(恩地元)のことを表わしているのである。

それ以外にも先に触れた『明日の記憶』の撮影中に白血病の治療中に受けた輸血が原因でC型肝炎に感染しており、その副作用と戦いながらの撮影だったという逸話もあるようであり、渡辺謙の俳優としての活動にはたえず、努力した痕跡が見られるのである。

このように見てくると、彼が出演する作品には減衰する太陽が努力して自らの尊厳のために格闘するというテーマが頻繁に見られるのであり、それは彼の創作活動を表わす5室に3室支配の太陽が減衰して在住しているからだと考えられる。

そして、彼は単に映画の役柄だけではなく、作品を生み出す過程でも常に努力し格闘しているのである。

彼にはおそらく涙ぐましい撮影秘話がたくさんあるに違いないのである。

『明日の記憶』の主役を得る際にも、彼は原作者である荻原浩に映画化を熱望する旨の手紙を直接送り、それで渡辺謙を主演として映画化されたようである。

『ラストサムライ』に出演した際も、彼は当初通訳を必要としていた英会話を猛勉強して身につけ、今ではインタビューなど全て自分でこなせるようである。

この猛勉強の末に身につけた英会話が、彼が現在、ハリウッドという国際的な舞台で世界基準の評価を受ける基礎になっていることは間違いないのである。

従って、渡辺謙は努力によって、あらゆる成功のチャンスを切り開いて来たのであり、それこそが、3室支配の太陽が5室で減衰する意味なのである。

 















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『乙女の密告』を読んで

昨日、最寄り駅ビル内にある本屋に立ち寄り、目の前に並べてあった
第143回芥川賞受賞作『乙女の密告』赤染晶子著を手にとって、
読んでみたのだが、作品の世界に引き込まれて全部読んでしまった。

何故かというと、この作品は現在、トランジットの金星が乙女座で、
減衰して、土星や火星と接合して傷つけられているというまさにその
惑星配置を象徴する作品であると気づいたからである。

まず、この題名である『乙女』とか、『密告』というのは、
乙女座を表わすキーワードである。

『密告』というのはピント来ないかもしれないが、乙女座の
批判的で、陰口を叩くという否定的な性質の現れ方を指している。

乙女座で金星が減衰し凶星から傷つけられているので、
乙女座の性質の中の否定的な側面がクローズアップされている。

作品の内容としては、
(まだ読んでいない方は先に作品を読んだ方がいいと思いますが)

圧倒的に女子が多いある京都の外国語大学が舞台となっており、
そこで、ドイツ語のスピーチのゼミを担当するバッハマン教授の元で、
『アンネの日記』を教材にスピーチコンテストに向けて指導を受けている
女子学生たちの学生生活ぶりが描かれている。

読んでいて、だんだん分かってくるのは、この女子学生の日常の生態が、
迫害されるユダヤ人の日常に重ねあわされているということである。

私の考えでは、ナチスに迫害されるユダヤ人とは、
ラグナロードが牡羊座に在住し、牡羊座に惑星集中するヒトラーの
チャートから考えて、牡羊座から6室目に該当する乙女座が表わしているのである。

この乙女座は、実務的で、商売上手で、頭がよい、ユダヤ人をよく表わしている。

例えば以前も言及したが、『ヒトラーの贋札』という映画があり、ユダヤ人が、
強制収容所で英ポンドの偽札をナチスの作戦で強制的に作らされるという内容であったが、偽札作りという高度で精密な技能を必要とする作業を行なうユダヤ人というのは、
まさに乙女座の象意であったと思われる。

アリスベイリーの書籍の中にも、ユダヤ人の運命を表わすのが山羊座と乙女座であると
いうような記述があり、乙女座がユダヤ人の運命を象徴しているようである。

従って、乙女座で金星が減衰して火星と土星から傷つけられるというこの惑星の絡みは、ユダヤ人であるがために迫害され、隠れ家での生活を余儀なくされ、
最終的に密告されて、収容所に送られたアンネフランクの厳しい生涯を表わしている。

そして、作品の中で、この『アンネの日記』を題材として、スピーチコンテストに向けて、
練習に取り組む女学生たちの日常が描かれ、この女子学生の生活ぶりがまさに乙女座を象徴しているのである。

例えば、ほとんど女子だけしか存在しない女子大のような環境の中で、女学生たちがトイレに行くのも、何をするのも一緒に連れ立って行動したり、またスピーチコンテストに向けて、「すみれ組」と「黒ばら組」にグループ分けされるのだが、それらのグループの間に小さな派閥意識が生じたり、女子学生が他の先輩女子学生を尊敬して、ある種、レズビアン的な憧憬を抱いていたりといった、女子しか存在しない共同体でありがちな特殊な世界を描き出している。

そして、作品の中盤で、麗子様と呼ばれる「黒ばら組」のリーダーの女性がバッハマン教授と乙女らしからぬこと(性的関係)をして、スピーチの原稿をつくってもらっているのではないかという、黒い噂が女子学生の中に広まるのである。

他の女子学生たちがスピーチの原稿を何度も書き直しさせられているのにも関わらず、麗子様がスピーチの原稿を早々と仕上げているということと、バッハマン教授が研究室で、誰かに話かけている声が聞こえるが、あれは乙女(女子学生)に話しかけているのだという噂が前々からあったことが理由である。

まさに純潔で乙女である女子学生たちの中に潜む性的欲望が性的な妄想(大学教授と女子大生の黒い噂)として顕在化している様が描かれているようである。

この女子学生たちは自分たちが乙女(処女)であるということによって固い群れの結束を維持しており、乙女(処女)を失った仲間を外部の存在として排斥することによって自分たちの群れの結束を維持しているのである。

そのため、乙女(処女)を失ったと思われる仲間の噂話をし、中傷をして、それで、自分たちの弱い羊の群集意識を維持している。

その行為の中には処女を失って大人の快楽に足を踏み入れた仲間に対する羨望や嫉妬などが潜んでいるかのようである。

従って、そのような仲間の黒い噂話をすればするほど、その噂話をしている女子学生たち自身が潜在的に淫乱であることを証明しているかのようなのである。

こうした話の舞台設定が、まさに乙女座で減衰する傷ついた金星なのである。

(※これはさらに追求すると、ユダヤ人の民族としての純血を維持するという思想が、純潔を守ることで結束を図ろうとする女子学生たちの生活態度に一致してくるのである)

あまり話の内容に部分的に触れても、よく分からないと思われるため、
詳細を知りたい方は、実際に読んでみることをお勧めするが、
とにかくこの小説の物語がまさに乙女座で減衰する傷ついた金星が表わしているのである。

私は乙女座で減衰した金星は星位が悪いため、性的に堕落するという説明が最初のうちはよく分からなかった。

乙女座というのは、金星が減衰する為、恋愛や結婚運が最も低下する星座で、また女性同士で、ささやかな手紙の交換をしたり、贈り物をしあったりするような、女性同士のレズビアン的な友情を表わす星座であると思ってきたので、乙女座の金星が性的に堕落するという考えがよく理解できなかった。

然し、実際にはビルクリントンの乙女座の金星によってそれは明らかにされているし、
また今回の小説でもそうした世界が描き出されている。

小説は最後の方で、クライマックスへと至り、みか子(主人公)が、バッハマン教授が、アンゲリカ人形に向けて話しかけている(奇妙な趣味)ところを研究室で目撃して、研究室で乙女(女子学生)に話しかけているという憶測は間違いであり、麗子様の黒い噂は単なる勘違いであったことが分かるのである。

これは女子学生たちにとっては意外な真実であるが、弱い自分たちが群れを維持して結束するために、真実かどうかはどうでもよく、ただ噂を必要としているのである。

然し、研究室で、みか子(主人公)とバッハマン教授が一緒にいる所を細い隙間から見ていた別の女学生が走り去った痕跡があり、後を追いかけて誤解を解こうとするのだが、逃がしてしまうのである。それで現場を見たその正体不明の女子学生から黒い噂(密告)をされてしまうのではないかということを恐れる様が描かれている。

この辺りはまさに自分の正体がユダヤ人だと暴露されることを恐れるアンネフランクに対比されており、この辺りの手法は見事である。

然し、こうしたユダヤ人と外国語大学の乙女(女子学生たち)という対比自体が、乙女座の金星から来たものであるということは作者本人にも理解されていないのではないかと思われる。

以前、私は本屋で『告白的恋愛論』渡辺淳一著 を立ち読みした時、金星が蠍座にトランジットして、渡辺淳一の出生図の蠍座の金星にリターンしていたのだが、この芥川賞を受賞した赤染晶子氏も乙女座で金星が減衰していたり、あるいは少なくとも乙女座に惑星が在住しているのではないかと思うのである。

今回、本屋で『乙女の密告』を立ち読みし始めて直ぐに、これは乙女座で減衰して、火星と土星から傷つけられている金星の物語だと分かったのである。

何か世間で起こる出来事というのは、その時のトランジットの惑星配置とリンクしているものなのである。















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癒しフェアでの鑑定について

8月7日、8日と癒しフェアに参加したが、
15分や30分の短い時間の中で、
依頼者に参考となる話をして満足してもらう
ことを訓練する場として非常に有益な機会であった。

鑑定とは依頼者との真剣勝負であり、制限時間内で、
依頼者を満足させなければならない戦いとも言えるのである。

そうした中で最も試練となる手ごわいケースは、
出生時間が分からない場合であるが、

「確か○○時だったような気がする」とか、
「時間は分からないが朝だったと聞いている」とか、
「○時だと思うが、午前中か午後か分からない」と言ったように

単に母子手帳に書いてある出生時間が曖昧で信用できないとか、
母親の記憶が曖昧で信用できないといったようなレベルを超えて、
ほとんど出生時間が分からないというケースである。

その場合、月(チャンドラ)をラグナとして鑑定を行ないますと説明して、鑑定を始めるのだが、チャンドララグナでは、こちらが言ったことがあまり当たっていないことが多いのである。

それで当たらないのでだんだん依頼者が不審な顔つきになり、
あるいは不満そうな顔つきになってくるのが分かるのである。

そうすると、鑑定する側としては焦り出し、
実際のラグナを割り出さざるを得なくなるのである。

そこで、矢継ぎ早に多くの質問をして、情報収集をするのであるが、
この場合、出来事や事実の詳細まで収集することは出来ないので、
基本的な事実や大きな出来事をなるべく数多く収集することが大事である。

例えば、子供がいるとか、兄弟がいるとか、結婚しているとか、仕事の内容とかである。

そこで、一応、相手が申告してきた出生時間の前後に2ハウスぐらい
ラグナがずれている可能性があるものとして、全部で5つぐらいのラグナを順々に想定しながら、いろいろ質問をしていくのである。

その時、ダシャーの変わり目なども意識しながら、その前後の時期に何か大きな変化があったかどうかなども聞くのである。

出生時間がずれていたとしてもマハダシャーのずれは前後に
2~3年ぐらいではないかと想定しながら、話を聞いていくのである。

そうしたことを聞きながら、その目の前には依頼者が座っているのであるが、依頼者の容姿や雰囲気などの特徴から、ラグナのだいたいの見当をつけるのである。

例えば、牡羊座だったら、筋肉質で顔つきも骨ばっていていかめしかったり、天秤座だったら美形で柔和だったり、あるいは、服装も渋谷などを歩いているようなカジュアルで軽い感じの服装かどうか、あるいは山羊座だったら、小柄で骨太で雰囲気に土星の重たい印象があり、よく働きそうな雰囲気があるかどうかなど、今までの経験から、だいたいのラグナの特徴を感じ取るのである。

そうしたことを同時並行で進めていって、おそらくこのラグナではないかと見当づけて、いろいろ言及したことが、依頼者の事実と複数合致し始める瞬間があるのである。

その時、マハダシャーの変わり目に起こった出来事を予想して言及し、
事実関係について確認すると、依頼者の事実と一致していることが確認できたりするのである。

この辺りから、ラグナの特定に成功したのではないかと思い始めるのであるが、あるいは、ラグナのだいたいの見当をつけて、依頼者に質問をして試している段階で、ダブルトランジットによって起こった出来事を確認するのである。

このダブルトランジットによって依頼者に起こってきた出来事を確認することこそが、最も重要なステップである。

つまり、ラグナの特定とはダブルトランジットによって行なうのである。

例えば、今現在で言えば、直近で木星が水瓶座から魚座に移動した2010年4月、5月付近が、ダブルトランジットが変化した時期である。

2010年4月、5月付近から魚座、乙女座、蠍座にダブルトランジットが生じているのである。

従って、4月、5月付近から、想定したラグナにとって、何が起こりそうであるかを推測し、それを依頼者に質問としてぶつけてみるのである。

例えば、射手座ラグナであれば、その時期辺りから仕事が責任が重くなって、重くなった一方で、ある意味、昇進ともいえるような職場での立場上の変化があったかどうか・・・というような質問をぶつけるのである。

ダブルトランジットを研究したことのある人なら分かると思うが、
ダブルトランジットの変化とは、ダブルトランジットの変化が生じるタイミングで、誰にとっても明白に意識され、体験され、記憶される、ある出来事の体験となっていることが多いのである。

実際、物事とは、ダブルトランジットの変化のタイミングで起こると言ってしまってもよいかもしれない。

出来事の時期がダブルトランジットで分かるのではなく、ダブルトランジットの変化によって、出来事が引き起こされているのである。

射手座ラグナの人に上記質問をぶつけてみると、もしそれが本当であれば、「そうです。5月から急に仕事で責任が重くなりました。何故、分かるんですか?」というような回答があるのである。

このダブルトランジットの変化が生じるタイミングで起こった出来事の予想が、依頼者の経験、事実と一致していたこの瞬間こそが、ラグナを確信する瞬間である。

例えば、牡羊座ラグナや天秤座ラグナであれば、この5月以降に対人関係上の問題、意思疎通のすれ違い、辞任、退社、消耗、出費などを経験していたり、獅子座であれば、突然の仕事の中断、失業保険、雇用主との関係の悩みなどを抱えていたりするのである。

火の星座がラグナの人にとっては、現在、水の星座の2つにダブルトランジットが生じている今現在は、困難が多い時期である。

射手座ラグナの場合は仕事上の責任が大きくなり、昇進するが、12室にもダブルトランジットが生じているので、背後から足を引っぱられたり、すくわれたりして、多大な消耗や損失感がある時期である。(これは総理大臣に就任した民主党・管直人の状況に合致する)

逆に水の星座のラグナの人にとっては、1、5、9室のトリコーナにダブルトランジットが形成されるので、抜群に調子がいい時期である。

癒しフェアに来場していた人たちというのは、基本的には「癒し」というネーミング通り、ヒーリングやチャネリングとか、スピリチャル的なセッションに関心の高い人たちであり、水の象意の人たちが多かったのだと思われるが、その人たちが会場に来場して学んだり楽しんで帰るのであるから、5室や9室の象意を経験して帰っていく今回の来場者は皆、水のラグナ、あるいは水の星座に月や太陽、惑星が在住している人たちではないかと思われる。

あるいは癒しフェアでは自然食品や健康グッズ、スピリチャル系のアロマオイルなど物販も多かった為、土の星座のラグナの人も多かったと思われる。土の星座の人たちにとっては3室や7室や11室などのカーマハウス(消費)へのダブルトランジットが形成されて物品の消費に結びついたはずである。

土と水は女性星座のエレメントであるから、まさに今回の癒しフェアのキャッチコピー「一般の女性のために多くの癒しの”商品”“商材”“サービス”“概念”等を広く知っていただき・・・」というのは本当である。

依頼者の男性で出生時間が分からない方がいたが、私が複数の質問から、牡羊座ラグナであることを特定したのだが、現在が厳しく辛い時期であることの理由を共感をもって解説した途端に、現在、仕事上で契約先との間で問題が生じて大変な目にあっているという辛い状況について告白してくれた方がいた。

その方は現在の辛い状況が理解されたことが嬉しかった様子で、
現在の辛い時期が終わるタイミングなども解説したので鑑定に大変満足されたようであった。

今、辛い時期にあるのは火の星座のラグナの人たちである。

因みに私に関して言えば、ラグナは牡羊座で火の星座であるが、月、太陽、ラグナロードの火星は、水の星座に在住しているので、今は、両方の影響が出ている時期である。

今回、私が癒しフェアに出展して、一参加者として、イベントのコンテンツを創る役割を担えたのは、月、太陽から5室、9室にダブルトランジットという水の象意のよい影響を経験する時期だからである。

このようなことが頭に入っていると、現在の状況(幸福、不幸)を聞き取り調査し、ダブルトランジットのハウスを確認することによって、ラグナの可能性が絞り込めるのである。

あるいは、ラグナが分かっているのであれば、現在が幸福か不幸かを割り出すことは比較的容易である。

このダブルトランジットが重要であることは何度言っても言い足りないのであるが、

例えば、5室⇒6室⇒7室⇒8室⇒9室というハウスの順列を考えてみると、

その吉凶は、吉⇒凶⇒吉⇒凶⇒吉という順番で、全く幸福と不幸という正反対の事象が交互に切り替わるのである。

そうすると、例えばラグナが天秤座か蠍座かどちらかを特定しようとする際に、現在は魚座にダブルトランジットが生じているため、蠍座だったら、現在は子供とか学習(セミナー、イベント)、娯楽といった象意において幸福な時期であるが、天秤座だったら、現在は離婚、訴訟、負債という象意において不幸な時期である。

ラグナを天秤座か蠍座か特定する際に5室と6室の象意の吉凶の違い(幸、不幸の違い)というのは明白に出るので間違いようがないのである。

あるいはこういうケースがあったのであるが、例えば、出力したチャートは射手座ラグナだったが、射手座か蠍座か微妙であり、その依頼者は外見と振る舞いは蠍座の雰囲気を漂わせていた。

そこで私は蠍座ラグナの可能性があると思いつつも、射手座ラグナのアウトドア的で活動的な象意を言ってみたところ、それはよく依頼者の性格の事実と合致していた。

然し、現在のダブルトランジットから、5月頃から仕事上で責任が重くなり、昇進に結びついたが、仕事の量が多くなって大変であるかと聞いたところ、「そうである」とのことであった。

そこで、現在のダシャーを見ると、現在は、マハダシャー土星期で、土星は蠍座に在住していたのである。

それで蠍座の土星のマハダシャーだったので、依頼者は蠍座の雰囲気や外見を備えていたのである。

依頼者は現在、2、3室支配の土星が12室に在住するマハダシャー土星期の終わりにあり、その12室の土星にダブルトランジットが形成されているため、現在、仕事上の消耗をいつも以上に感じていたのである。一方で、10室にもダブルトランジットが形成され、土星がトランジットしているので仕事上の責任が重くなって昇進ともいえる状況になっていたが、消耗や出費を感じているようであった。

そこで、次のマハダシャー水星期になると、過去の裏方や下働きが多く、評価されにくい時期が終わり、仕事上でブレークし、創造的な活動が出来るということを告げることとなった。水星は10室の支配星で9室支配の太陽と5室で接合しており、ブレイクは間違いなかった。

ダシャーが変わると、性格や外見や着ている服装までが変わるというのは本当である。

例えば私はかつてケート期には比較的地味な服装をしていて、ウパチャヤ凶星の独特な、無口で、愛想が悪く、雑草のような性格をしており、オフィスにも行けるような綿のスラックスをはいていたが、獅子座に在住する金星期の今は、ハートマークのエンブレムの付いている黒いTシャツに、膝の所に穴の開いたGパンなどをはいている。(随分と獅子座っぽい服装になってしまったものだ)

このように依頼者を前にしながら、事実関係を収集し、服装や外見的な特徴などにも注目しながら、ラグナがどこであるかを頭の中で、ラグナを変えながら、惑星が在住するハウスやハウス同士、惑星とハウス、惑星と惑星の絡みを検討していくのであるが、ラグナが完全に特定できるまでは全ての情報や材料を可能性として中立状態に保持しておき、結論は出さないで置くのである。

そして、ダブルトランジットなどの重要なステップの検討によって最終的にラグナに関する結論を出すのである。

上記のプロセスは、全く並列処理的に思考の中で、検討していくのである。

苫米地英人氏の『心の操縦術』(PHP研究所)という本の中で、思考の並列処理と直列処理の違いについて説明してあったが、その説明を借りると、直列処理というのは、処理A⇒処理B⇒処理Cといったように処理Aが終わって初めて、次の処理Bに進み、処理Bが終わると、処理Cに移るといった計算のプロセスである。そして、そうした直線的に処理によって回答を導き出すプロセスである。

然し、並列処理とは、処理Aが完了しなくても、処理Bに進むのであり、処理Bが完了しなくても次の処理Cに進むのである。そうして情報や手がかりが保持されたまま、最終的に全ての可能性や手がかりを解決する解が導き指されるのである。その間、処理A、処理B、処理Cというものは、解が導き出されるまでは、保留とされ、保持されたままの状態となって、中立的に保たれるのである。

これが並列処理である。

従って、私はこの説明を読んだ時、ジョーティッシュでラグナを特定するプロセスとは、まさに、高度な並列処理を伴うプロセスであると理解したのである。

最後の最後の段階まで答えは出ないが、その間に蓄積したデータは全て保持して材料として記憶していなければならないのである。

今回、癒しフェアに参加して、出生時間が分からない人が頻繁に訪れ、ラグナを特定することが否応なしに要求され、そして、それをクリアすることが鑑定の山場であり、醍醐味でもあったため、ジョーティッシュにおいては実際の対面鑑定の場におけるラグナ特定こそが、今まで蓄積して来たジョーティッシュの入門知識、基本知識を試す試験場であると思うのである。

そうすると対面鑑定で必要な技術は、実際に目の前にある出生チャートとは別に、ラグナを変えた別のチャートが頭の中で描けなければならないのである。

そうしたことを瞬時に行なう能力である。これはある程度、練習、訓練によって習得可能である。

(私の場合、出生時間が分からない有名人鑑定をしたり、ラグナを検討するプロセスを占星コラムに書いたりしていることが訓練となり、ラグナ特定の手順について、だいぶ慣れてきた感じである。これは能力というよりも、何度も同じプロセスを実践して練習し慣れることが大事なのではないかと思われる。)

ジョーティッシュにおける対面鑑定とは将棋やチェスと同じであり、碁盤の上の駒を頭の中で、動かして、何手先を読んだりとか、あるいは、何十手先を読んだりすることと同じである。

そういった意味で、ラオ先生が若い時にチェスのチャンピオンであったというのは、この事実を説明するものである。

12ハウスが碁盤のようなものであり、頭の中に12ハウスを思い浮かべて、ラグナや惑星を将棋の駒のように動かして、それで何パターンもの出来事の象意や吉凶を検討するのである。

癒しフェアで経験したことはあたかも依頼者と相対して、将棋の対戦をしているかのような体感である。一種のスポーツ競技であり、依頼者との対戦なのである。

こちらが言うことが当たっていなくて、依頼者が不審な顔をしたり、不満な顔になって、最後に納得しない顔つきで、帰っていくようであればそれは負けを意味している。

一方、依頼者が満面の笑みを浮かべて自分の現在の状況を理解してくれた鑑定師に感謝し、これからの状況の予測に期待と希望を抱きつつ、家路に着くとき、それは対面鑑定における勝利を意味しているのである。















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アマチのダルシャンにて

先月、7月26日に東京新宿で行なわれたアマチの来日ダルシャンの夜の部に参加したのであるが、行く途中で、東西のIさんとばったり会った。以前、公開講座に参加して、いろいろジョーティッシュの基本事項を教わって、それ以来なので5年ぶりかであった。

それでダルシャンも隣の席に同席して一緒に受けたのであるが、待ち時間にジョーティッシュの雑談となり、学習上のポイントなどについて重要なアドバイスを頂いた。

その日のダシャーは以下のようであった。

金星/太陽/ラーフ/太陽/水星 2010/7/26 14:00~
金星/太陽/ラーフ/太陽/ケートゥ 2010/7/26 23:18~

アマチのダルシャンが終わると、ミチユウさんもダルシャンに来ていて、途中から話に加わり、いろいろジョーティッシュの話で、盛り上がったので、非常にジョーティッシュ学習者としては贅沢な時間を過ごしたといえる。

この日、私は14:00~プラーナダシャー(第5レベル)が水星期に入っていたので、何か占星術に関するコラムを書いたり、いろいろ3室支配の水星が象意となる出来事が起こることを予想していたが、その日はコラムを書く気にもなれず、何も起こらないので、不思議に思いながら、アマチのダルシャンに出かけたのである。

過去プラーナダシャーが水星期の時は占星術に関する文筆を行なっていたり、あるいは、占星術の仲間と占星術談義で盛り上がったことがあり、また占星コラムを書き上げて、ふと、プラーナダシャーを確認してみると、水星だったりしたことが日常茶飯事であり、プラーナダシャー水星期は何かジョーティッシュに関わることをしていることが多いのである。

例えば、2008年5月1日に出発したインドへのラオ先生の訪問旅行の時でも、出発の日からプラティアンタルダシャーがちょうど水星期に移行し、一緒に同行した友人と占星術の話で盛り上がったのである。

Ve/Ve/Ra/Sa/Ju 2008-4-27
Ve/Ve/Ra/Me/Me 2008-5-01 インド出発の日
Ve/Ve/Ra/Me/Ke 2008-5-04
Ve/Ve/Ra/Me/Ve 2008-5-06
Ve/Ve/Ra/Me/Su 2008-5-10
Ve/Ve/Ra/Me/Mo 2008-5-11
Ve/Ve/Ra/Me/Ma 2008-5-13

従って、この7月26日も水星期に入ったにも関わらず、
何も水星期らしいことが起こらないのでおかしいと思いながら、
アマチのダルシャンに出かけたのである。

すると、途中で、東西のIさんとばったり出会い、そして、主に聞き役であったが占星術談義に花咲いたのである。

そして、私はこの時もやはりダシャーシステムが事象を特定する精度について、いつもながら感嘆したのである。

私がジョーティッシュを学習したのは、マハダシャーケートゥ期であったが、ケートゥは3室で定座にある水星、そして土星と接合している。ケートゥはナヴァムシャで5室に在住している。

このケートゥ期にジョーティッシュのダシャーシステムの微細な働きに魅せられて、夢中になって、プラーナダシャーと日々の出来事に関する日記を付け始めたのである。

Iさん、ミチユウさんと話し込み、そろそろ時間も遅くなって来たので話を終了して帰りましょうということになったのが、時間はちょうど23:30前後であったと思われる。

私のプラーナダシャーの水星期は23:18で終わり、その後はケートゥ期に入るので、そろそろ沈黙の時間である。

金星/太陽/ラーフ/太陽/水星 2010/7/26 14:00~
金星/太陽/ラーフ/太陽/ケートゥ 2010/7/26 23:18~

タイミング的にはほぼぴったりだと言える。

私は既に家を出かけるときにプラーナダシャーは23:18に終わることを知っていたので、Iさん、ミチユウさんと話をしながら、おそらくこの会見は23:18ぐらいに終わるのではないかと予見していたのであるが、その通りとなった。

まさにマトリックスの世界である。

私たちはプログラミングされた世界で生を演じていると感じる瞬間である。

帰り道で、ミチユウさんにその認識についてシェアしたのであるが、このような体験を数多くしていると自由意志とはなんだろうかと思ってしまうのである。

だから私はジョーティッシュの学習を始めてから、急速に運命論者になってしまい、また学習の過程で、運命は100%決定しているというラディカルなインド占星術家の考察などを知ったこともこれに拍車をかけたのである。

現在、ラーフが射手座にトランジットしているが、私の出生のラーフは9室射手座に在住しており、今現在は、ラーフがリターンしている状況である。

それで、ラーフが射手座に入室したタイミングで、射手座の人の自由意志に関する見解を聴く機会が増えてきている。

彼らの言い分は人生は努力や選択によって自由に創っていくことが可能であるという楽観的なものである。

然し、私の理解では人生とはダシャーシステムの考察から分かるように、カルマによって、その出来事の内容がほぼ方向付けられているというものである。

このような考察を射手座の人に伝えると、射手座の人はひどく不機嫌になり、この私の認識について抵抗し、激しい論争に発展するのである。

射手座は木星がムーラトリコーナとなる星座で男性星座であり、火の星座でもあるため、理想を追求し、高い目標を設定して、それに向けて努力する星座である。

拡大発展、自由がその星座の基調であり、人生とは自分で自由に一から創り上げることが出来ると信じる星座である。

そして、そう信じるが故に人生にミラクルを起こし、実際に信じられないほど高い目標を実現することが可能な星座である。

一方、その対向にある双子座は水星が支配星となる星座であり、抽象的で、現実検討能力があり、人生のカルマ的な構造について、冷静に分析する星座である。

仏陀(ブッダ=水星)が到達した理解とは、老いの苦しみなど、人間には逃れられない運命というものがあることの受容である。

そして、仏陀の悟りとは、悟りを諦めてどうでもよくなった時に起こったのである。

つまり、世の中にはどうしても変える事が出来ず、受け入れざるを得ないことがあり、そうした物事を受け入れる、つまり諦めることこそが、人間の成熟度を表わすようなそうした理解が存在するのである。

そうした理解をもたらすのが水星の力であり、木星が理想を追求するとすれば、水星はあくまでも現実や事実を認識するのである。

従って、射手座と双子座とは、対向に位置して、世界の理解の仕方が全く異なっているのである。

私は最近、射手座の人の考え方に触れて、また、彼らが運命論的な世界観に反発するのを経験して、あまりにも運命論的な世界観は非常に害があり、人間に何も希望をもたらさないということを経験しており、運命と自由意志の問題について、真実がどの辺りにあるのかについて非常に考えている。

特に射手座の人から「何も変えられないのであるなら、何故、占星術で予測する意味があるのか。そんな変えられない未来など知る意味もない。」という批判を受けて、その批判は最もなことだとも思うのである。

(※然し、変えられない未来を知ることに意味はない訳ではなく、学問道場(私が頻繁に訪れるサイト)の副島隆彦氏によれば、哲学者のヘーゲルが「自由とは未来を予測することである」と言ったそうである。私たちは知性の力によって未来を知り、それを受容することによって精神の落ち着きや悟り、成熟を得るのである。)

一方、射手座の人は、私が日頃、展開するダシャーシステムに基づく運命論的な見方について、実際それもあり得るのではないかという内心、恐れを抱いているようである。

射手座の人の占星術に対する接し方というのは自分が自由に運命を切り開く為に占星術を利用するという観点である。

然し、実際に強固な運命論的な世界観にはそれが本当かもしれないと薄々感じながらも、あえてそれには接近せずに、見てみぬふりをしているのである。

怖いから近づかないといった方が正確かもしれない。

然し、そうした射手座の人から、私が常に展開している運命論的な世界観に影響されたのか、人生にはどうにも変える事の出来ないことが存在することが分かってきたという意見を聞く機会があった。

双子座と射手座は、全く対向にあり、認識の仕方がかなり異なるが、そのどちらも不十分であると思うのである。

真実は射手座と双子座の認識の中間点にあるのである。















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