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織田裕二の結婚について

織田裕二が結婚したとニュースが伝えている。

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織田裕二が結婚!12歳年下の一般女性と
8月21日19時31分配信 サンケイスポーツ

 俳優、織田裕二(42)が21日、一般女性(30)と結婚したことが分かった。本人と所属事務所が公式サイトで発表した。

 織田は「このたび私、織田裕二は8月16日に結婚・入籍いたしました」と報告。相手は一般女性なので詳細は明らかではないが、織田は「結婚を機に、今まで以上に頑張る所存です」とコメントしている。
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彼の7室支配の土星は8室に在住しているため、タイミング的にはラグナから7室支配の土星に対して、木星と土星がダブルトランジットするタイミングである。

従って、一応、結婚のタイミングとして納得できるタイミングであるが、

ラグナから、2、4、8室にダブルトランジットし、

月から、6、8、12室にダブルトランジットしているので、

トランジット的にはよいタイミングとは言えない、ドゥシュタナ、モクシャハウスが強調されるタイミングである。

チャラダシャーで考えると、

2009年12月13日から射手座のダシャーに入っており、射手座にはDK(ダラカラカ)の土星がジャイミニ・アスペクトしている。

因みに織田裕二の出生時間は2チャンネル情報では、23:00となっており、究めて信用性に乏しいため、アンタルダシャーレベルやD/9(ナヴァムシャ)のラグナが正しいかどうかは疑わしいのである。

然し、織田裕二が獅子座ラグナであることは、彼の職業が俳優であること(10室支配の金星が3室に在住)や彼の性格(目立ちたがり屋で、主演を演じる)からして、獅子座ラグナで間違いないと思えるのである。

従って、現在、2-8室の軸に木星と土星がダブルトランジットしている、このタイミングの結婚の意味が気になるのであるが、2室は家族(両親、兄弟姉妹、祖父母etc)、{家族からの}財産を表わしており、8室は配偶者の7室から見た2室の為、配偶者の家族、財産を表わしている。

これらのことから考えられることは、織田裕二はパートナーと家族ぐるみの付き合いの中で、結婚したのではないかということである。

結婚する前に男女がお互いの両親や家族に会いに行って挨拶をする習慣は現在でも、常識的に行なわれており、常識的な範囲でその習慣は保たれているが、伝統社会においては、結婚というのは、家同士の結婚であり、2-8室の軸が強調されて、お互いが相手の家族への責任を背負い込んで、束縛され、拘束されることを表わしている。

束縛されると同時にパートナーの両親の財産などからの恩恵を受けられる立場にも立つ訳であるが、相手の家族からの束縛を受けるため、複雑である。

この伝統社会における家同士の結婚というものは、まさに2-8室の軸で表わされる事象である。

例えば、女性が男性と結婚する時に両親(特に父親)が持参金を持たせて、結婚相手の男性の家族の元へ送り出すという習慣が、今でもインドの地方の村落などで習慣として残っているようであるが、この持参金こそ、男性にとっての8室(パートナーのお金、財産)の象意を表わしている。

伝統社会においては、結婚とは相手の家族との結びつきを強く表わすのである。

然し、現在の個人主義が発達した都市型の近代社会においては、結婚というものは、独立した男女の契約であり、家族が関与する度合いは、ますます薄くなっている。

唯一、お互いが結婚する時にお互いの両親に挨拶に行ったりする習慣が残るのみであり、あるいは法律的にのみ遺産相続の規定として相手方の家族の財産に対する権利が生じるのである。

然し、生活の実態としては、両親と同居せずに男女が新しく家を借りるなり、購入して生活を始めるのが一般的になって来ている。

私がこれまで結婚した男女の結婚時のダブルトランジット(以下、DTと略)を調べた所、7室や1室にダイレクトにDTが絡むことが多かったように思われる。

例え、7室にDTが生じているとしても、2-8の軸にDTが生じたタイミングで結婚しているケースは少なかったように思われたため、この織田裕二のケースを見て、非常に珍しく感じたのである。

インド占星塾に掲載されているジャーナルオブアストロロジー(Apr-Jun 1998)のZ.アンサリのTiming Marriages-1,2の中でも、結婚の1次パラメーターとして、1室、7室、2室、2次パラメーターとして、8室、12室を挙げており、2-8室の軸というものは、結婚において重要なハウスとなっている。

このパラメーターの中に2室と8室が含まれているのは、おそらく、今述べてきたような理由によるのである。

インドには伝統社会の風習が根強く残っており、持参金の習慣もいまだに地方では存続しているようであり、結婚は家同士の結婚なのである。

従って、パラメーターとして、2室と8室が強調されているのだと思われる。

例えば『Devadas』(Shahrukh Khan、Madhuri Dixit、Aishwariya Raiなどのインドの映画スターが出演)という華麗なダンスシーンで有名なインド映画があるが、話の内容としては、カーストが違い、お互いの両親が属する社会的身分が違うために結婚を反対されて、不本意な結婚をして後悔するという悲劇の悲恋の物語であるが、そうした映画からもインドの伝統社会の様子が伺われるのである。

まさにお互いの両親が相手の配偶者に与える財産に差があるために結婚しない、結婚できないという思想であり、2-8室の軸がテーマとなる物語である。

インドには伝統社会の価値観が根強く残っているのである。

身分の違う男女が親の反対を押し切って結婚するというのが、個人主義の発達した近代合理主義社会の産物であり、そこには1室や7室の絡みが必要で、2室や8室の影響は少なくなるのではないかと思われる。

一方で、配偶者、パートナーとの関係を表わす6-12室の軸を考えてみるが、6室は目下の部下や愛人、訴訟のハウスであり、12室は別離や性生活(性的関係)を表わすハウスである。

従って、この6-12室の軸においては関係は安定せず、快楽目的の一時的なものになりがちであり、結婚のパラメーターにはなり得ないのである。

Z.アンサリの記事の中には2次パラメーターとして12室が含まれているが、12室は配偶者の7室をラグナとすると6室に該当する。

一方、8室は配偶者の7室をラグナとすると2室であり、1次パラメーターに該当する。

従って、12室は結婚のパラメーターとしては8室よりも弱いのではないかと思われる。

特に6室は結婚のパラメーターには含まれないのであるが、最近では、タイガーウッズの事例が、そのことをよく表わしている。

タイガーウッズが、最近、配偶者と結局、離婚したとニュースで報じられているが、おそらく8室支配の月が6-12室の軸に入っており、また配偶者や結婚を表わす月や金星や、火星などが6-12室の軸に在住して、6-12室の軸が強調されているからではないかと思われる。

このように結婚におけるハウスの役割について考えていくと、織田裕二がラグナから8室、月から8室にDTが生じている、このタイミングでした結婚がどのような結婚なのか、様々に推測が及ぶのである。

それはやはり家族とか家が強く関与してくる結婚ではないかということが推測されるのである。

あるいは、8室は支配や束縛を表わすため、配偶者が優位に立って、配偶者のコントロール下に入っていることを示しているかもしれない。配偶者や配偶者の家族との関係の中に巻き込まれるようにして、避けられずに結婚したのではないかと思われるのである。

8室は秘密のハウスでもあるが、今回の織田裕二の結婚は全く極秘であり、全く外部に何の情報も出てこないという。

獅子座ラグナにとっては、木星が8室にトランジットし、8室にDTする今のタイミングは、決して、幸福なタイミングとは言えないのである。

8室は別の象意としては、三角関係などももたらすハウスである。

織田裕二のこのタイミングでの結婚は様々なことを推測させる結婚なのである。















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ハウス構造について

ハウスには以下のような分類がある。

【自分】
12室、1室、2室

【私的活動(プライベート)】
3室、4室、5室

【他人】
6室、7室、8室

【公的活動(パブリック)】
9室、10室、11室

私は最近、自分のラグナから見て、6室、8室、12室にダブルトランジットしているせいか、この6室と8室という2つのドゥシュタナハウスを抱える【他人】というハウスの経験領域こそが、最も自我にとって激しい苦痛を与え、それだからこそ、自我への直面と覚醒をもたらすのではないかと思ったのである。

ハウスを順番に並べてみると、

1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12

となるが、

【3、4、5室】などは、比較的、穏やかで平安である。

また、【9、10、11室】などは、人生の中で最も脂がのって収穫の時期であり、栄光の期間であることを表わしている。

また、【12、1、2室】は、12室は損失を表わしているが、新たな出発のための終焉の時期であり、そこには次に備える静けさと瞑想的落ち着きがあるのである。ある種、病院に入院して安静に過ごす平和な時期である。損失感はあるが、そこでもたらされる静けさには喜びもまた存在するのである。

然し、【6、7、8室】の期間というものは、非常に苦しい期間である。

私がかつて通っていた神道系の宗教で、教祖の生前の言葉の中に、

・・・人間にとって最も苦しい経験は「病気、貧困、争い」である・・・

という指摘があったが、これは本当であると思う。

これらはまさに6室の象意である。

そして、「突然の災難や倒産、事故、死、支配者(天敵)」といった8室の象意も非常に苦しい経験領域である。

人は、これらの6室と8室の象意に感情的に振り回されて、自らをコントロール出来ない時、ドゥシュタナハウスとトリシャダハウスのコンビネーションによる欲望の苦しさから、更なるカルマを積んでしまうという、カルマの悪循環を経験するのである。

怒りからくる家庭内暴力や詐欺で人を騙してお金を巻き上げたり、資本家経営者が労働者から過酷に搾取労働をさせる-泥棒行為-や、人身売買、保険金殺人など、違法で誰の目にも犯罪であると明らかなものや、合法的で見た目には分からないものまで、様々な犯罪行為が存在する。

それらは全て他人との関係から来る苦しみである。

【6、7、8室】とは、他人を表わす領域であるが、7室は全く対等な相手である。

鏡で映した自分をそこに見ているかのようであり、自分と異なる固有の意見を持ち、権利を主張する存在である。

このステージにおいて、人は初めて、他者の存在に気づくのである。

それまでは精神分析の対象関係理論で言う所の、自己愛的な延長物として、他者や他人と関わっているのである。

どこかで自分の期待や考えを汲み取って満たしてくれていた早期母子関係の太古的自己愛的幻想の中に生きて来たのである。

然し、7室において自我同士が激しくぶつかり合って、対等な他者の存在を意識し、それが鏡となって映し出された自分の姿に直面するのである。

これは自我にとっては非常に苦しい体験である。

真の1-7室の関係性の中には、いつ戦争になってもおかしくない緊張状態が存在するのである。

国家の外交関係でもそうであるが、自分が領土を主張すれば、相手もまた領土を主張するのである。

自我というものは、パートナーを鏡として、自分に跳ね返ってくるのであり、それは正確に、約束のように跳ね返ってくる。

そして、そのやり取りから来るストレスに耐えられず、どちらかが一方を支配しようとする行為によって、その関係性は容易に6-8の関係へと転落するのである。

人にとって最も恐ろしいものは、人なのであり、他人の存在なのである。

人間は一人洞窟の中で、瞑想していても、決して進歩はしないのであり、濃密な人間関係の中で、他人との関わりの中で、もまれながら他人を鏡として自らの真実の[醜い]姿に直面する中でしか、自己への気づきや自己変革はもたらされないのである。

その気づきには他者(7室)の存在が必要なのである。

然し、7室とは自己が成長するチャンスであると同時にさらなるカルマを積んでしまう誘惑や危険がひそんでいるハウスでもあり、それがもたらすカルマが6室や8室である。

他人を表わす【6、7、8室】というのは、非常に可能性を秘めていて、不可欠なハウスであると同時に最も恐ろしいハウスである。

そのような罪と成長の両方の機会が存在する7室において、男女が結婚し、性行為を通じて、新たな生命が誕生する。

このような仕組みとなっているのは、人間が濃密な7室を経験して、自分の自我と直面するためである。

そして、そのステージに立った時に、自我の滅却という逆方向への過程が始まるのである。

7室はカーマハウス(欲望、消費)であるから、まさに物質的誘因によって強制的にこの体験をさせられるのである。

そして、最も誘惑が多く落とし穴が待ち受けているこのハウスにおいて、罪と成長のどちらかを選び取るのである。

それらは、その人間の反応の質、浄化の度合いで決まるのであろうと思われる。

聖者や聖賢が、妻帯しないのは、既に過去世において、7室の誘惑を何度も繰り返し経験済みで、それらの様々な側面を学習し終えて、そこから学ぶものがないからであろうと思われる。

他者の存在を通して自分に直面するということを濃密に経験するこの7室の学習から卒業したのである。

然し、聖職者や修行者が結婚しないのは、まだ学びの途上であるのに、聖者や聖賢の真似をしているからであり、あるいは、7室がもたらす経験と誘惑があまりにも危険だからである。

それによって成長、学習するよりも罪を積んでしまう危険性が大きいからである。

然し、この7室の経験を得ずして、真に自分に気づくことは不可能であるし、豊かな経験を得ることも出来ないのである。

だから、普通の一般人には7室の経験である結婚は必要な体験である。

その結婚による自我と自我の激しい衝突と摩擦、磨耗によって徐々に自我の角が取れて形が丸く整ってくるという体験が自動的にもたらされるのである。

ハウスの構造の中で、【6、7、8室】の体験領域というものが、最も恐ろしく、厄介な体験であり、特に男女の愛憎問題の中で、それが最も極度に表現されるということである。















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