先日のディーパック・ビサリア氏の来日セミナーの冒頭でジョーティッシュのコンサルテーションが果たす役割についての話があった。
ビサリア氏の説明によれば、占星術家のミッションとは、過去、現在、未来に生きている人を現在に生きるように導くことであるという。
つまりは、過去を後悔し、未来を心配する人に現在に集中するように導くことである。
一般の平均的な人間は既に終わった過去を後悔し、まだ来ない未来を思い悩み、精神が過去と未来を行ったり来たりすることで、多大なエネルギーを浪費してしまい、現在を生きていないのである。
過去・・・(現在)・・・未来
従って、占星術家の役割とは、過去と現在へのこの絶え間のない精神の運動から人を開放し、現在を生きるように導くことだというのである。
私が驚いたのは、こうしたことはインドの霊的教師(グル)であるクリシュナムルティの教えと同じであったからである。
つまり、この現在に完全に没頭し集中することこそが瞑想なのであり、それがインドの聖者の教えである。
だから、極論を言えば、占星術家のミッションとは、クライアントを瞑想的生き方に導くというものである。
実際、一般的に人は、既に終わった過去を後悔して「あの時、ああしていれば今こんな風になっていなかったはずだ」と考え、そのように考えている間にも、絶え間なく刻々と経過していく「現在」を取りこぼして失っていくのである。
あるいは、まだ来ない未来を先取りして心配し、「将来、結婚できるのか」、「よい仕事に就けるのだろうか」、あげくの果てには「自分が入る墓は大丈夫なのか」ということまで考えて思い悩む。
そして、今を精一杯生き、今していることに100%没頭することが出来ない。
現在の生は、この過去と未来の往復運動に費やされ、未来にとらわれることによって刻々と経過していく現在を犠牲にする。
実はこの未来とは「修正された過去の継続」なのである。
人は過去の経験から学習して未来の行動がつくられる。
例えば、過去において人間関係(例えば両親との関係など)で失敗した人は、その失敗を未来に投影する。
つまり、もう二度と失敗しないようにと自分の振舞い方をあれこれと過去の経験に基づいて条件付ける。
クリシュナムルティは、この精神の過去から未来への絶え間ない運動を「修正された過去の未来への継続」と表現したようである。
そしてこの精神の運動こそが「自我」だと言っている。
私は学生時代にこうしたクリシュナムルティの講演録などを読んで、このインドの哲人の教えに親しんで来た。
自我や時間というものは過去と未来への精神の運動の中で生じ、現在を生きる人は過去と未来がなくなり、ただ永遠の現在だけがあり、また時間も存在しないのだという、簡単に要約すると忘我の教えである。
このインドの哲人の教えによく親しんできたが、ラジニーシやその他の全てのグルの教えは皆、このことを述べている。
つまり、同じことを教えようとしているので、皆、似たような教えになるのは当たり前であるが、それでインドの古典の最高峰である「バガヴァッド・ギータ」に書いてあるクリシュナの教えもそうした教えである。
私は、以前、「バガヴァッド・ギータ」を読んで、そこに書かれていることを考察して、クリシュナが説いたカルマヨーガの教えは、クリシュナムルティの教えと同じであることに気がついた。そのことは以前、コラムにも書いている。
2010/11/10 開運のための理論-『バガヴァッドギータの世界』より-
http://www.kanteiya.com/column/10/1110.htm
「行為の結果を考えることなく、ただ行為に没頭せよ」という、このクリシュナの教えは、「自分の所持するグナ(属性)に従って、そのグナの定めを全うせよ」という教えである。
つまり、カルマとは、サットヴァ、ラジャス、タマスといったグナ(属性)が人間の生の過程(生成)を通して、カルマを形づくるのである。
それらは必然である。だから私たちは、自らのカルマに従って、そのカルマが定める「生」を精一杯、生きればいいだけである。
過去や未来を思い煩う必要はなく、ただ自分のグナ(属性)=カルマに従って生きればよいのである。
すなわち、私たちは自分のホロスコープが定めるグナ(属性)=カルマに従って、ただ生を、今現在を精一杯生きればいいということである。
過去はそのようになることが決まっていたのであり、他の選択肢はなかったのである。
そして、まだ来ない未来も既に定まっているのであり、私たちはただグナ(属性)=カルマに従って、現在を精一杯生きればいいだけである。
そうすれば、ちゃんと定められた未来はやってくる。それを思い煩う必要はないのである。
もし私たちが過去や未来にとらわれているとしたら、私たちは自分自身のホロスコープをよく研究し、そして、そこに描かれているカルマをよく理解すれば、そのことにとらわれたり、時間を割くことなく、現在の生に集中していくことが出来ると言えるかもしれない。
例えば、クリシュナはアルジュナに「戦士」としての属性(グナ)から逃れることは出来ないので、「戦士」としての本分を全うせよと教え諭すのである。
我々はグナ(属性)の複雑な組み合わせによって成り立っており、「営業マン」「販売人」「掃除人」「郵便配達」「政治家」「スポーツ選手」「エンジニア」「警察官」「料理人」など、様々な属性が生み出すカルマを持っている。
そうしたカルマからは逃れられないのであって、そのカルマが示す「本分」を無心に全うすることこそがカルマヨーガである。
つまり、カルマ(グナ)を受け入れて、それも結果について考えずに、ただ無心に自分のカルマを生ききるということである。
そして、もし仮に未来が変えられるとしても、それはただ現在を精一杯生きた時にのみ可能となる。
それは過去と未来の往復というこの精神の絶え間なき運動がもたらす条件付け-自我-から開放されたときに、過去の条件付けから自由な未知なるものが開示される可能性が出てくるからである。
クリシュナムルティの随想録や講演録にはそのように書いてある。
それこそが自由であり、カルマからの開放である。
自我から開放され、その自由になった瞬間にはトリシャダハウスは、トリシャダとしての凶意を発揮せず、トリシャダとドゥシュタナが絡むことによって欲望の苦しみから新たなカルマを積み増すことはないのかもしれない。
ホロスコープとはグナ(属性)が生成の過程でカルマを実現したものであり、そのホロスコープに描かれたカルマによって現在、起こることが生み出されるが、自我から開放されたら、その後では、新たなカルマを積み増すことがなくなり、急速に過去のカルマを焼却して解消していく過程に入るのである。
それが本当の自由の始まりであり、最終的にカルマが全て解消されたら、理論的にはホロスコープは必要なくなるのである。
だから、『自我』、『カルマ』、『ホロスコープ』があって、対極に『自由』、『解脱』があるのだと思われる。
占星術を実践して困ることは、未来や過去を予測し、そして未来にやってくるカルマを予測しても、それを変える、さしたる方法がないことである。
宝石やマントラも効果があるとは思えても、それらが根本的な解決につながるとは思えず、またプージャやホーマ、あるいは、聖者の祝福といったものも、その本人が本質的に所持するグナ(属性)とは思えない。
それらは外部から取り付けたものであり、グナ(属性)それ自身を変えるとしてもわずかである。
従って、いつも決まってすることは、奉仕や瞑想をすることによって、カルマを解消していくことを勧めることのみである。
奉仕によってカルマを焼却し、そして瞑想によってカルマの元であるグナ(属性)を変えることである。
その2つによって理論的には急速にカルマが解消していくのである。
然し、もう1つ忘れていたことは、もし我々、占星術師がホロスコープから明確にカルマを見て、それをクライアントに告げる時、人生とは必然であり、過去はそうであるしかなかったのであり、未来はそうなるしかないのであるという、見通す力と、カルマに対する理解がクライアントに伝わって、クライアントの見る力や理解力を増大させるのである。
それはちょうど短距離走者が優秀なコーチに付いて、自分の記録を更新するのに似ている。それはあくまでも補助、サポートであり、走ったのはその走者自身である。
それと同じように占星術師の助けを借りて、クライアントは、カルマの必然性や過去や未来を思い煩っても仕方がなく、結局、決まっている未来なら、今を精一杯生きることに没頭すればよいのだということを単に頭だけでなく、実際に心から理解するのである。(これは根拠はないが、波動の伝播といってもよいかもしれない)
それは占星術師の助けを借りて、クライアントの見る力が増大したからであり、また占星術の理解に基づく自信-波動-がクライアントに伝わるからである。
そのことによって、クライアントを過去と未来の絶え間なき精神の往復運動から開放し、現在をシンプルに生きることに導くのである。
これはジョーティッシュが”光の知識”であり、見る力を表しているとすれば、占星家の仕事とは、クライアントの”光”を強める仕事である。
それは外部からもたらすものではなく、クライアント自身が持っている内部の光を輝かせることである。
このように思ったのは、クリシュナムルティの覚醒のコメンタリーなどを読んでいて、クリシュナムルティのもとに訪れる人々が、クリシュナムルティとの対話を通して、皆、見る力が増大して、最終的に今まで気づかなかった自分についての洞察を得ることに成功しているからである。
クリシュナムルティとの対話による導きによるのであるが、洞察を得たのは、その人自身である。
こうした教師(グル)の役割は何かといえば、何か思想を教え込むことではなく、その人が自分自身についての洞察を深めるためにサポートをすることである。
西洋世界では精神分析医が教師(グル)のように振る舞い、クライアントが気づかなかった無意識を見るように仕向ける。
これもやはり、見る力を増大させる補助者としての役割である。
以前も書いたことがあるが、ジョーティッシュはまず学問としての側面があり、研究する人に忘我の喜びを与える。
そしてそればかりでなく、もし実践する人がジョーティッシュのシステムと現実の出来事の対応関係をよく理解して、カルマの存在について深く実感している場合に、クライアントの見る力を増大させ、可能性や限界についての洞察をもたらし、適度に必然性を受け入れることにより、『現在』に目を向けさせる。
無駄な努力や過去の後悔、未来の心配からクライアントを解放する。
そのことによって、クライアントの内なる光は増大したと言えるのである。
占星術のミッションとは
2011.10.22
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