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大塚家具・父娘の内紛劇 -大塚久美子社長のチャートから考える-

2019 3/20

昨日(2019/3/19)付のニュースで、大塚家具が、業務提携した中国系の越境EC(電子商取引)企業・ハイラインズ社長の陳海波氏の意向で、取締役7人のうちの5人を入れ替え、赤字を継続すれば、「久美子社長の続投はできなくなる」と最後通告を受けた旨が伝えられている。


大塚家具・久美子社長、中国系新オーナーから最後通告で崖っぷち…久美子派幹部が一斉退任
文=編集部
2019.03.19 Business Journal

大塚家具は3月11日、現在の取締役7人のうち5人を入れ替えるを発表した。3月31日に開催する株主総会で正式に決める。

 大塚久美子社長は続投するが、久美子氏が外部から連れてきた取締役5人は揃って退任。大塚家具を事実上買収して“新しいオーナー”になる、中国系企業で越境EC(電子商取引)を手掛けるハイラインズの陳海波(ちんかいは)社長の意向を反映した役員人事となった。ポイントは、久美子氏を支えてきた外部から招聘した取締役たちが全員、退くこと。いずれも久美子氏のブレーンたちだ。

宮本惠司取締役は百貨店の三越出身でナンバー2の社長補佐を務めてきた。

阿久津聡社外取締役は、久美子氏の母校である一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授で、久美子氏が社長就任した際の功労者のひとりだ。

 瀬戸伸正常勤取締役(監査等委員)は秋田木工社長。長沢美智子社外取締役(監査等委員)は東京丸の内法律事務所の弁護士で、久美子氏が父親の大塚勝久氏とのプロキシーファイト(委任状争奪戦)で勝利したときに“軍師”を務めた。“久美子政権”を誕生させたキーパーソンである。三冨正博社外取締役(監査等委員)は、かつてアメリカにあった大手会計事務所、アーサー・アンダーセン出身の公認会計士。

 社内取締役は、久美子氏と佐野春生取締役専務執行役員の2人が留任する。佐野氏は久美子氏の実妹の夫。大塚ファミリーの一員だ。 

新任取締役は5人。内訳は社内取締役が2人、社外取締役が3人である。社内取締役は上野一郎執行役員と狛裕樹経営企画室長の2人が昇格する。

社外取締役は、今回の資本支援をとりまとめ“事実上のオーナー”となるハイラインズ社長の陳氏をはじめ、元トヨタ自動車理事の田中満雄氏、元住友商事副社長の佐々木新一氏の3人が就く。

陳氏はメディアでのインタビューで、「取締役が(久美子氏の)アドバイザーとして機能していない」と指摘し、交代を求めていた。久美子氏の続投は認めるが、「赤字を継続すれば続投はできなくなる」と釘を刺した。大塚家具の役員の大幅交代は、陳氏の意向を如実に反映したものだ。監査法人もEY新日本監査法人から開花監査法人に交代する。株主総会後の大塚家具の新体制は、陳氏主導で進むことになる。

(文=編集部)

以降は、wikipediaに掲載されているこれまでの経緯である。
大塚久美子氏は、2009年の創業40周年時に代表取締役社長に就任し、大塚家具の経営を行なっていたが、会長である父親と経営方針で対立があり、2014年7月23日に取締役会で社長を解任されているが、2015年1月に社長に復帰している。

社長を解任された後、久美子氏は父親である勝久社長兼会長に経営体制を一新するよう株主提案を検討していたようである。

そして、翌月の2015年2月13日に勝久社長が業績悪化の責任を取って3月末の株主総会後に退くことが発表されたが、2月17日に勝久会長が自身の再任と、久美子社長の退任などを求める株主提案をしている。

このように親子間で泥沼の内紛を演じ、久美子社長が経営を継続していくが、この親子の内紛劇は、マスコミで大々的に報じられた。

それで、大塚家具の企業イメージが悪化し、2016年、2017年、2018年と業績不振が続き、2018年12月期第3四半期決算で、49億6900万円の赤字となってしまう。

そして、身売り問題が囁かれていたのが昨年(2018年)である。


久美子氏は、父親の勝久氏と、その祖父が、毎日リアカーに箪笥を積んで、春日部から日本橋まで往復約八十キロの距離を百貨店に納めに行くなどの苦労をして築いた大塚家具をたったの3年半で、赤字に転落させたとして、無能な社長として世間の酷評を受けている。



このように父と娘の内紛劇に発展した大塚家具であるが、そもそも娘の久美子氏を重用して、社内の重要な役職を任せて来たのは父親の勝久氏である。


1996年に久美子氏が取締役になると、経営企画部長、経理部長、営業管理部長、広報部長、商品本部長等を歴任して、企業規模を拡大してきたという。


そして、久美子氏は一旦、2004年に取締役を退任して、1年間、休養し、自身の会社を立ち上げるなどしていたが、2009年に大塚家具の業績低迷を受けて、大塚家具の代表取締役に就任している。


そして、2014年に経営方針を巡って父娘間の対立が生じ、取締役会で、社長を解任されるのである。


従って、この父娘間の対立が生じた2014年が一つの大きなポイントである。


12:00で大塚久美子氏のチャートを作成した所、ラグナは双子座となるが、この双子座ラグナで、久美子氏の過去の出来事や家族構成などが説明できそうである。






4人の弟妹

まず、大塚久美子氏は、長女であるが、下に弟2人と妹2人がいる。


長男の勝之氏、次女・舞子氏、三女・智子氏、次男の雅之氏の5人の兄弟姉妹である。



双子座ラグナであれば、3室の支配星が3室にアスペクトバックしているが、これは弟や妹に恵まれる配置である。


また木星が3室に在住し、3室の支配星にアスペクトしているが、木星は数が多いことを表しており、この配置が2人の弟、2人の妹に恵まれたことを表していると考えられる。




学業と就職

久美子氏は、1991年に一橋大学経済学部を卒業しているが、大学では、ジョン・メイナード・ケインズの『確率論』を学んだようである。大学院に進学し、研究者になることも考えたという。


しかし、富士銀行に入行して、3年ぐらい融資課や企画係で国際広報などを担当している。



おそらく1987年~1991年頃が、経済学を学んだ期間であり、この頃はラーフ/土星、ラーフ/水星期(1987/12~1990/6)である。


そして、卒業して、銀行に入行した1991年は、ラーフ/ケートゥ、ラーフ/金星期辺りである。





5室支配の金星は、山羊座8室で水星とコンジャンクトし、経済学への適性を表わしている。


特に山羊座は、ビジネスなど実際的な分野のことを学ぶ星座であり、ケインズ経済学の有効需要の原理などは、景気対策などの実際的な目的の為の実践的な理論であることから、山羊座の象意に一致している。


ラグナから5室支配の金星が水星とコンジャンクトし、水星は月から見た9室の支配星であるため、アンタルダシャー水星期に経済学を学んだのである。


マハダシャーのラーフから見ても5室支配の月は、山羊座で水星とコンジャンクトしている。


1991年に銀行に入行した時もアンタルダシャーがケートゥ期や金星期であったが、ケートゥのディスポジターは5室の支配星と絡む水星であり、金星は5室の支配星である為、水星と絡んでいる。





実質的な家業の相続、学業適性、広報の仕事

1994年に人手が足りなかった大塚家具に入社し、1996年から取締役となり、経営企画部長、経理部長、営業管理部長、広報部長、商品本部長等を歴任しているのだが、1996年は、ラーフ/月期である。


月は2室の支配星で8室で5室支配の金星、1、4室支配の水星とコンジャンクトして1-2、2-5のダナヨーガを形成しているが、2室は起業のハウスであり、8室は相続のハウスであることから、これは実質的に家業を継ぐために父親の引立てで、社内の重要ポジションを経験したということである。


つまり、将来の社長にするために父親の意向で、娘に現場を経験させて従業員たちもそのことがよく分かっているといった状況ではなかったかと思われる。


これは、久美子氏の立場だと、相続と起業が一緒になった家業を受け継いだ状態であり、これが2室支配の月が8室に在住する配置である。



久美子氏は、経済学を学んだが、文系人間であると自ら語っており、それは5室支配の金星に月(文学)がコンジャンクトしているからである。


また大学卒業後、大学院に進学し、研究者になることを考えたのは、5室支配の金星が8室(研究)に在住しているからではないかと思われる。


ケインズ経済学の中で、ケインズの『確率論』は、経済学というよりも哲学に近い分野で、確率は推論を行うときに生じる「未知さ」を表現するもので、「推論の重み」のことであるとする確率という経済学上の方法論に対する考察である。


従って、非常にマニアック(8室)な分野であると考えられる。



久美子氏が富士銀行で、国際広報を担当し、大塚家具でも広報部長を務め、また社長になってからも頻繁にメディアに登場するのは、10室支配の木星が3室(メディア)に在住し、3室の支配星と相互アスペクトしているからである。


また月から見てラグナロードの土星が3室に在住していることなども考えられる。



2004年に一旦、取締役を退任した後、2009年に大塚家具の代表取締役に復帰したのは、この頃が木星/月期(2009/4~)だからである。


ラーフ/月期と同様にアンタルダシャーの月は、2室支配で8室に在住していることから、業績不振から父親の要請を受けて、大塚家具の代表取締役に復帰したのである。これも家業(2室)の相続(8室)として考えられる。




父と娘の骨肉の争い

そして、2014年についに父親との経営方針における対立が生じるのであるが、もし大塚久美子氏のラグナを双子座に設定すると、2013年末からマハダシャー土星期に移行するのである。


土星は8、9室の支配星であり、双子座ラグナにとっては、土星が9室と同時に8室を支配するため、支配的な父親という象意になっている。


この土星が10室で、6、11室支配の火星とコンジャクトして、6-8の絡みを形成し、更にラーフとコンジャンクトして激しく傷つけられている。


この10室で形成される火星と土星の6-8の絡みが、父と娘の間における骨肉の争いを表わしているのである。





この時、2014年7月23日に取締役会で社長を解任されて翌2015年1月に社長に復帰した辺りが重要であるが、ちょうど父親と経営権を巡って激しく争った時期である。




2014年7月23日の社長解任時のトランジットを見ると、2室に木星が在住し、土星がアスペクトして2室にダブルトランジットが生じている。



この時期に家族の問題が生じたことを表している。父親の9室から見ると6室目である為、父親が攻撃的に振る舞った時期とも考えられ、家族会議の結果、父親と経営方針の合わない久美子氏が父親の意向で社長を解任されたことを表している。


10室にケートゥがトランジットしていることは、仕事上の裏切り、思い違い、仕事の損失などを表わしている。



翌2015年1月の社長復帰時のトランジットを見てみると、木星と土星は6室と8室にダブルトランジットしている。



これは、久美子氏が父親に対して、経営体制を一新するよう株主提案を検討するなど、攻撃的なスタンスを取ったこと(6室)や、おそらく家族会議などで、最終的に父親が経営から手を引き、久美子氏が社長に就任することが決まったこと(8室)を意味している。


つまり、再び、家業の相続(2室支配の月が8室に在住)が生じたということである。


2室の支配星と8室にダブルトランジットし、6室にもダブルトランジットしていたことがこれらの出来事を物語っている。



このように久美子氏を双子座ラグナに設定すると、2014年から大塚家具で経営方針を巡り、父と娘の間で骨肉の争いが生じることが土星期への移行で説明することができる。




社員に対する罵倒と吊し上げ

久美子氏は、収支が思わしくないと、すぐ社員を吊るし上げて、社員がいくら謝罪しても「どう、責任取るの?」「この損害、どう責任取るの?」「あなた、1000万円払えるの?」と問い詰め、年上の経営幹部に対してもお構いなしに罵倒しているそうだ。


気性が激しく、直ぐに怒りを爆発させ、暴言が酷いようである。


そして、これらの社内の不和が深刻な社員離れ、客離れを引き起こして来たようである。


「あなたバカじゃないの?」大塚家具、久美子社長の罵倒横行で社員離脱&客離れが深刻
2017.03.24 Business Journal 構成=編集部

2015年、創業者で当時会長だった大塚勝久氏と、その長女で二代目社長である久美子氏との間で経営方針をめぐる対立が起こり世間を騒がせた大塚家具。騒動の末、久美子氏が経営権を勝ち取り、勝久氏を大塚家具から追い出したかたちとなったが、以降、同社の業績は低迷を続けている。同社が2月に発表した16年12月期連結決算では、売上高は前期比20.2%減の463億円、そして最終損益は45億円の赤字(前期は3億円の黒字)となった。

 久美子社長体制になってから約2年が経過したが、新たな経営計画は完全に行き詰まっているようにみえる大塚家具内部で今、何が起こっているのか。

同社元社員のA氏、B氏、C氏に話を聞いた。

――相当な業績悪化が予想されていたとはいえ、大塚家具が2月10日に発表した16年12月期決算の数字を見て、どんな感想を持ちましたか。

A氏 やっぱりというか、予想通りでしたね。

――現役社員は、どう受け止めているのでしょうか。

A氏 先日、大塚家具の現役社員と会ったところ、「いい加減ヤバイ」ということには気づいているのですが、社員が少ないせいか、忙しさのせいで業績に鈍感になっている印象がしました。「忙しいんですよ」と言うのですが、あの実績で忙しいというのは、単純に人が少ないからで、社員のモチベーションはまったくないという印象でした。

B氏 有明本社の内線表は社員の内線番号が7列書かれていますが、昨年に3列減りました。

1列が30人なので、90人減っているわけです。異動もあるので、全員が辞めたわけではないと思いますが。

A氏 元同期に聞くと、久美子社長は全部を社員のせいにしています。業績がこうなってもの社員のせいにして。たとえば、いろいろな記事を読んでも「システムが変わって社員のオペレーションが追いつかなかった」と発言していますね。株主総会の招集通知書にも、業績不調の理由について「社員のオペレーション」と書いてありました。

C氏 1週間かけて社長の指示通りに売場を直した社員に向かって、直し終えた途端に真逆の反応をしてきて「あんた、ホントにバカなの?」と言ったりします。そこで、さらに1週間かけて直すということはザラです。ともかく言葉が汚いですね。「バカじゃないの?」は普通に口にする発言で、日常茶飯事です。

B氏 テレビの取材を受ける時の外面と実像は別人格ですね。収支が思わしくないと、すぐ社員を吊るし上げて、社員がいくら謝罪しても「どう、責任取るの?」「この損害、どう責任取るの?」「あなた、1000万円払えるの?」と問い詰める。社員が追い詰められて「辞めます」と言いたくなるぐらいです。

C氏 本社の社長室はガラス張りになっていますが、あそこは“地獄部屋”といわれています。社員が呼ばれて怒鳴られている光景が皆に見えるので、目にした社員たちは「ああ、また、やられている」と。

口にする言葉も汚い

――自分より年上の社員や役員に対しても、言葉遣いはひどいのでしょうか。

C氏 経営幹部はほとんどが久美子さんより年上ですけど、お構いなしに罵倒していますね。

口にする言葉も汚いですね。

B氏 「まだいたの? 同じ空気吸いたくないから、出て行って!」とかね。若い社員を罵ったりはしないんですが、役員と管理職に対してはひどいですね。

C氏 久美子さんは若い社員には興味がないですね。大塚勝久元会長(現匠大塚会長)は社員が「おはようございます」と言えば「おはよう」と返してくれましたし、「今、どう?」と声をかけてくれたりもしました。

でも、久美子さんは社員が挨拶しても無視してきますね。受付の女性社員が目の前で「お疲れ様です」と言っても、無視して通り過ぎていきます。本当に興味がないんでしょうね。社員には「きちんとした挨拶をするように」と言ってましたけど(笑)。

B氏 礼儀を重んじる会社なのに、トップがそういう姿勢じゃダメだなと思ったのが、私が辞めたキッカケでした。

――
久美子社長は、社員との懇親会の席でも暴言を吐くのですか。

A氏 いえ、懇親会の席ではひどい言葉は口にしませんが、自分だけがおもしろがって、誰もが笑えないようなことを口にしていました。

C氏 久美子さんとの食事会は気を遣うだけで、皆行きたがらなかったですね。

B氏 僕らは接客業として1万人ぐらいのお客様を見てきたので、この人はこういうタイプなんだなって、底が割れますよ。だから、食事の場でも、久美子さんにはあまりかかわりたくなかったですね。何か言うと100倍にして返してくる人ですからね。すぐにカッとなって。
(構成=編集部)

この理由は、双子座ラグナで考えると、8室支配の土星と6室支配の火星が、10室で6-8の絡みを生じ、ラーフ/ケートゥ軸と絡んで激しく傷ついている為である。


10室の火星は司令官を意味するが、6、11室支配の機能的凶星で、暴力を表わし、8室支配の土星やラーフによって傷つけられて、手がつけられない程の犯罪的な暴君としての振る舞いを表わしているのである。


従って、このような配置の人物が、経営者になる場合、社内は殺伐とした雰囲気となり、社内の調和がなくなり、それが会社の業績に反映される。



特に大塚家具のような家族経営のワンマン体質の会社は、社長と会社が一体化している為、社長の運気が、直接、会社の業績に反映されることになる。



従って、大塚家具の不振は、大塚久美子氏のマハダシャー土星期の結果である。



10室では9室支配の土星と11室支配の火星がコンジャンクトして、9-11のダナヨーガも形成しているが、6-8の絡みや、土星、火星、ラーフなどの生来的凶星の絡み、そして、生来的凶星3つがコンジャンクトして、凶意を増幅していることなどから、吉意よりも凶意の方がより激しく現れている印象である。




大塚久美子社長の今後

2020年10月頃から土星/金星期になるが、このまま行くと、久美子氏は、社長を解任される恐れがある。


それは、アンタルダシャーの金星は5室の支配星で、5室は10室から見た8室(中断)だからである。


また土星/金星期は、土星/土星期のように働くと言われているが、土星/土星期になった直後の2014年7月23日に久美子氏は、社長を解任されている。


また2004年に大塚家具取締役を退任し、1年間の休養を経て、コンサルティング会社を起ち上げて、代表取締役として活動していたが、この時は、木星/ケートゥ、木星/金星期であった。


ケートゥは4-10軸に在住し、月から見て9室(仕事の損失)に在住している。


従って、アンタルダシャーのケートゥ期や金星期は、仕事を辞める時期である。





トランジットの木星と土星は、2020年1月から山羊座に入室するが、山羊座は8室であり、そこにはアンタルダシャーロードの5室支配の金星が在住している。


マハダシャーの土星をラグナとすると、8室支配の金星が11室に在住しており、そこにダブルトランジットが生じる為、役職の中断(8室の支配星が11室に在住)が生じるタイミングである。



大塚久美子氏は、社内のチームワークを高め、良いムードを醸成するような指導者としての資質に欠けている為、本来、大塚家具を守るためには自分の力量を見極めて辞めるべきであったが、そう簡単には行かないのである。



おそらく久美子氏自身のチャートを含めて、家族や関係者全員のチャートが相互に関係し、連動しているからである。



またマハダシャーの土星は、10室に在住して10室を傷つけているが10室に在住することで、ポジション(地位)は守っていくからである。


おそらく、ナヴァムシャやダシャムシャでも社長職を続行していくような配置が見られるのではないかと思われる。



因みに12:00で作成したチャートだと、ナヴァムシャ(D9)の2室(起業のハウス)に土星が在住し、また土星は、ダシャムシャ(D10)の10室に在住している。



土星は8室の支配星で10室で減衰し、3、12室支配の水星とコンジャンクトしている。



ドゥシュタナハウスである3室や8室が絡んでおり、マハダシャー土星期から事業運営が上手く行かないと解釈することができる。


因みにマハダシャーラーフ期は、銀行に就職した時期であるが、ラーフはダシャムシャのラグナに在住し、ディスポジターの月は8室水瓶座(銀行業界)に在住している。



10室の土星は、世間に悪名を轟かせたり、また途中で、突然、その使命や仕事が中断するという傾向を表わしている。


土星は8室(中断、行き詰まり、突然)の表示体であり、8室の支配星でもあるからである。


従って、久美子社長は、最後の最後まで社長を継続し、何とか赤字を補てんするように努めるものの突然、社長を解任される可能性があると言えるのである。




久美子社長はこの運命を変えることができたか?


それでは、久美子社長は何らかの処方(ウパヤ)、開運法などによって、会社経営に関する自らの運命を変えることができるのかどうかである。



様々な意見があると思われるが、私は完全に変えることができるというのは否定的である。



何故なら、まず、どうして久美子社長がこうしたカルマを経験しなければならなかったというと、それはこの人生全体の結果(経験)を通して、何かが学べるように仕組まれているのが、人生というものだからである。



また変えるには、久美子社長に変えたいという動機や、自分の何がいけないのかということに対する気づきが必要である。



然し、失敗しないうちからそう簡単にその気づきが得られるかどうかということなのである。



人生に仕組まれたカルマというのは、その経験を通じて魂が何かを学ぶように学べるように仕組まれているのである。



それが魂が転生する地球環境が魂の成長にとっての学びの学校であるという考え方の所以である。



もし多少でも変えられるとすれば、それは変えたいという動機や、何が悪いのかについての洞察がある場合のみである。



それをカウンセリングあるいは、何らかの人との関わりにおける事件によって、それらに目覚めるかどうかである。





その他

2019年3月16日付の日刊スポーツの記事で、久美子氏が、東京・IDC大塚家具・新宿ショールームでトークショーを行ったことが報じられている。


大塚家具社長 父関係触れず
2019年03月16日 16時54分 日刊スポーツ

大塚家具の大塚久美子社長(51)が元ラグビー日本代表・吉田義人氏(50)を特別ゲストに招いて16日、東京・IDC大塚家具・新宿ショールームでトークショーを行った。

久美子社長は幼少期について言及。「祖父がたんす職人で、父もそういう家庭で育てられたので、家具の扱い方を厳しくしつけられました。物を大事にするようにと」と明かした。久美子社長は今月上旬、会見を行い、経営を巡り、対立してきた創業者の父・勝久氏との関係改善に努める考えを示唆したが、父親との現在の関係について触れることはなかった。

現在、トランジットの土星が射手座から3室支配の太陽にアスペクトし、木星は蠍座の最後の方の度数で、2019/3/29に射手座に入室するが、既に3/16時点で、射手座に入室の効果を発揮している為、3室にアスペクトしている。


従って、3室(メディア)にダブルトランジットが生じている。


ダシャーは土星/水星/木星期辺りであるが、土星は月から3室に在住し、水星のディスポジターである土星はやはり月から3室に在住し、木星はラグナから見て10室支配で3室に在住している。





(参考資料)

大塚家具内紛 長男は父側に他兄弟は長女側についた内情とは
2015.03.25 07:00 週刊ポスト

「大塚家具」の経営権をめぐり、創業家の父である大塚勝久・会長(71)と長女の大塚久美子・社長(47)が繰り広げたプロ キシーファイト(委任状争奪戦)が、3月27日に開かれる株主総会でついに決着する。

 父親と長女の争いは他の家族5人の立場も真っ二つに割った。勝久氏側には千代子夫人と長男で専務の勝之氏がつき、長女 の久美子氏側には、次女・舞子氏、三女・智子氏、次男で執行役員の雅之氏がついた。

 今回の騒動の中で、父や長女に比べると、長男・勝之氏の印象は薄い。久美子氏より1歳下で、名古屋芸術大学を卒業後、 大塚家具に入社。本社ショールーム店長などを経て取締役に昇格するも2008年に退社。2011年に再入社し、現在は専務取締役 の地位にある。

 今でも社外の人の前で両親を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようなおっとりとした性格だという。同社関係者がいう。

「大学で彫刻を学んだ芸術家タイプで、会社でも店舗づくりなどに才能を発揮したと聞いています。ただ経営哲学などは父親 の考えをそのまま信じているといった感じ。両親を素直に尊敬しているのだが、お姉さんとの関係は少し複雑。

 姉に対しては、学歴やキャリアにコンプレックスがあるのか、『姉のほうが経営能力は高い』といった周囲の声を気にして いる様子だった。久美子さんと勝之さんの部屋は隣同士で、ガラスで仕切られているが、久美子さんがブラインドをまったく 上げないので疎外感を覚えたと苦笑していた」

 父親側に付いた勝之氏を除けば、他の兄弟姉妹は長女陣営に入っている。理由は、「共働きの両親に代わり、次女以下の面 倒を見てきたのが久美子さん。姉を“育ての親”だと感じている」(親交のあった知人)からとされる。5人の兄弟姉妹は家 族の資産管理会社「ききょう企画」の株を18%ずつ持ち、ききょう企画は3人の弟妹の支持を取り付けた久美子氏の支配下に ある。

 ききょう企画の残り株10%を持ち、お家騒動のキーマンといわれるのが母親の千代子氏である。

 長男・勝之氏は過去のインタビューで、2005年に姉・久美子氏が役員を一度辞めた時には父との衝突があり、その時、母が 久美子氏に「どちらかが辞めないと仕方ないわね」といったため、独立に繋がったと話している。

 その千代子夫人は「会社は勝之氏に継がせたい」と思っていたようだ。こんな証言がある。

「家督を継ぐのは長男という考えの持ち主で、芯の強い女性です。自分は夫を支える形で会社を大きくしてきたから、女性の 久美子さんではなく長男に、という気持ちなのではないか。ただ、今回の騒動が勃発した後、『こうなったのはあなたのせい よ』と珍しく会長を責めたと聞いている」(前出・同社関係者)

 こんな話もある。この関係者によれば、ききょう企画代表を務める次女・舞子氏は茶道と日本舞踊の教室を主宰しているが 、その茶道教室に最近も千代子夫人が訪れ、娘と稽古に励んでいるという。また5人の子供が住む住宅や日々の生活面で、「 今でも子供たちは両親からの経済的援助を受けている」(同前)という。

 先だって行なわれた会見での感情的な応酬とは裏腹に、プライベートの関係は損なわれていないとする証言だが、だとすれ ば経営をめぐる対立は双方にとって歩み寄る余地がない重大なレベルということなのか。

※週刊ポスト2015年4月3日号
参照元:大塚家具内紛 長男は父側に他兄弟は長女側についた内情とは
2015.03.25 07:00 週刊ポスト
危機の大塚家具 「親バカ親父」と「エリート娘」の“リア王的悲劇”のゆくえ
urbansea 2018/08/11 11:00 文春オンライン

三等水兵時代の疇地哲氏(昭和18年頃)沈没の大和引き揚げに「そっとして」

人口の多い中国では必然的に長い行列が出来るが、日本と大きく異なるのは「人が押し合い、並ぶと言うより人だかりに近い」という点だ。それゆえに日本で見られる「人びとが整然と順番を守って並んで待つ光景」に驚くという。(イメージ写真提供:123RF)中国人、日本人の姿に「驚異的」

「『健康に気をつけて』というだけです。電話一本で相談でもしてくれればね……。相談があれば助けられた。親バカですね。親って本当にバカなんですよ」(注1)。

 悪い男に惚れてしまった娘が親の家を出て、その後生活に行き詰まっていると聞き及んだ父が吐露する言葉のようだが、大塚家具の創業者・大塚勝久が、娘で現社長の大塚久美子に声をかけるとしたらと記者に聞かれ、述べたものである。父を追い出した久美子が経営する大塚家具は、かつては年商700億円に達する国内最大の家具販売店であった。しかし今、身売りの危機に瀕している。

長嶋一茂が「バカ息子」と落書きされた2014年の「お家騒動」

 この「親バカ」親父と娘とが会社の実権を争った騒動は、長嶋一茂が自宅の壁に「バカ息子」と落書きされたと週刊文春が報じた2014年に表沙汰となる。一家の跡目は長男が継ぐものだからと、大塚家具の主要株主でもある一族の資産管理会社の株式を半分、長男に持たせたところ、長姉の久美子ら姉妹弟が反発、それがやがてワイドショーで取り上げられるほどのお家騒動に発展する。結果、長姉の久美子が株主総会の委任状争奪戦で父・母・長男連合を打ち負かし、社長の座を得て、父は会社を離れることになる。

春日部から日本橋をリアカーで行き来する超人

 その争いの最中、父・大塚勝久は全社員に送ったメールでこう述べる。「血と汗で築いてきた大塚家具が久美子社長のクーデターで崩壊しつつあります」(注2)。春日部の桐ダンス職人の家に生まれ、しかし職人にならずに販売に力をいれていく。そうして今の大塚家具の礎を築くのだが、若き日にはタンスを積んだリヤカーを引いていたのは知られる話。少し前の週刊文春を紐解くと、昔を知る者の証言にこうある。

「勝久さんと親父さんは毎日リアカーに箪笥を積んで、春日部から日本橋まで往復約八十キロの距離を百貨店に納めに行っていました」(注3)。

 なるほど「血と汗で築いてきた」に嘘はない。というより、春日部から日本橋をリヤカーで行き来していたとなると、苦労話を通り越して、超人的な肉体の持ち主の話に思えてくる。しかも親子で。

「情」より「理」のほうが今風のように思えたが

 対する娘・久美子はどうか。一橋大学から女性初の総合職として旧富士銀行に入行し、その後に父の会社に入ってきたエリートである。

 この対照的な父娘の対立騒動を描いた書物に、磯山友幸『「理」と「情」の狭間』(日経BP社 2016年)がある。自分がつくった会社なのに娘が追い出そうとしていると「情」で訴えた父と、会社は公器であるとし、上場企業としてのコーポレート・ガバナンスのあり方という「理」を問うた娘の、情と理だ。

 圧勝した娘は父親の販売戦略を古いものとして否定し、カジュアルな雰囲気の店作りを推し進める。「情」より「理」のほうが今風で、「理」のひとによる経営はうまくいきそうであるが、現実は売上を減らし続けて、ついには身売り話が浮上するにいたる。

娘婿が継ぐと総資産利益率が高い、という研究

 大塚家具のような、一族が支配する「同族企業」と聞くと、ワンマンの当代にボンボン息子とバカ娘の宴のような会社を想像してしまうが、実際はどうか。京都産業大の准教授・沈政郁らによる同族企業の研究が有名で、1986年から2011年までの同族企業と非同族企業のROA(総資産利益率)や売上高成長率を比較。するとどちらも非同族企業が上回っていることを明らかにしている(注4)。

 またリーマンショックなどの危機的な局面でも、同族企業は雇用を維持する傾向にあるという(注5)。田中角栄のファミリービジネスを継いだ娘・田中真紀子の「人間には敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」みたいな扱いをするのかと思いきや、である。

 では、跡目継承は誰にするのがいいのか。面白いことに娘婿が継いだ場合がもっともROAが高いと沈准教授は指摘し、「婿養子はいわば『新しい息子』を入れる仕組み」でバカ息子対策になるのだという(注4)。娘婿というと「マスオさん」(実際は妻の親と同居するだけで養子ではないのだが)で気弱で頭が上がらないイメージをもってしまうが、実業の世界では違った。代表例が軽自動車のスズキである。2・3・4代目が娘婿社長で、名物会長の鈴木修(4代目社長)も娘婿である。

「理」の娘に、父は今どう映っているのか

 大塚家具のように娘が継ぐ会社はどうか。有名どころでホッピーの製造元の3代目・石渡美奈。「2代目は創業を支えた古参たちとのしがらみに縛られる。だが、3代目ならば、しがらみを振り切り、大ナタを振るうことができる」(注6)との期待を受け、古い慣習を断ち切り、今にあった商品開発で売上を伸ばす。あるいはダイヤ精機の二代目・諏訪貴子は主婦から社長となって会社を継ぎ、「町工場の星」と呼ばれ、テレビドラマにまでなっている。

 いっぽう大塚父娘はといえば、テレビドラマにならないかわりに、「リア王」さながらの悲劇を演じる。「知るに相違ない。恩義を知らぬ子を持つことが、毒蛇の牙よりも鋭く親の心をさいなむことを!」(安西徹雄訳)。そんなふうに恩着せがましいリア王のごとく、娘の不義にいらだちながらも、助けを求めてきてくれることを父は待っている。

「やっぱり創業者と継ぐ人とは違うね」(注1)と腐し、「大塚家具の株も全部売ってしまった」(注1)と未練もない素振りを見せるが、アドバイスしたい気まんまんである。「理」の久美子からしたら、その目には彼はどのように映るだろうか。父か、先代か、あるいは1株も持たないただのひとか。



(注1)朝日新聞2018年8月5日朝刊

(注2)週刊東洋経済編集部『大塚家具 父と娘の泥仕合』東洋経済新報社2015年

(注3)週刊文春2015年4月2日号

(注4)中沢康彦『あの同族企業はなぜすごい』日本経済新聞社2017年

(注5)週刊ダイヤモンド 2018年4月14日号

(注6)AERA 2014年6月2日号

参照元:危機の大塚家具 「親バカ親父」と「エリート娘」の“リア王的悲劇”のゆくえ
urbansea 2018/08/11 11:00 文春オンライン
ドジな銀行員だった「家具や姫」大塚家具の久美子社長
大塚家具社長 大塚久美子氏(上)2016/7/21 NIKKEI STYLE

大塚家具社長の大塚久美子氏。東京商工リサーチの2015年の調査によると、全国280万社のうち女性社長は調査を開始した10年以降で最多の約33万人に上る。そのなかでも、最も有名な女性社長の一人だろう。「家具店の娘」に生まれた運命を彼女はどう受け止め、乗り越えてきたのだろうか――。

中学生のころ、作文で「環境と人間」について書いたことがありました。自分がいかに環境に左右されやすい人間かということを、感じていたからです。

人って、その時々の人間関係や状況によって過度に悲観的になったり、楽観的になったりしますよね?

環境はそれくらい、人間の思考や考え方にも影響を与える。逆に言えば、上手に環境をつくっていけば、「なりたい自分」にも近づけると思うのです。

■倉庫の一角で暮らした少女時代

生まれたのは埼玉県春日部市です。箪笥(たんす)職人の祖父がそこで工房を開き、販売もしていました。春日部はもともと桐(きり)の産地として知られ、日光東照宮を建立した後、それに携わった職人さんたちが日光街道を通って江戸に上る途中に移り住んだ街だといわれています。隣の岩槻市(現さいたま市岩槻区)で人形づくりが盛んになったのも、箪笥をつくる際に出る木片やおがくずを再利用したことが始まりだったと聞いています。

祖父が手がけていた家具の販売事業を独立させるかたちで、父が20人ほどの社員とともに大塚家具センター(現大塚家具)を立ち上げたのは1969年3月のことでした。ほどなくして、祖父の方は廃業しました。

その後も、祖父は趣味で木工を続けていたようですが、私自身はその姿を目にしたことはありません。独立と同時に父が店舗と倉庫を建てまして、私たち家族は、その倉庫の一角にある住居スペースで暮らしていました。ちょうど私が1歳になったばかりのころの話です。

春日部市はそのころ、すでにベッドタウンとしての開発が進み始めていました。住宅街が広がり始め、父の商売もそうした流れに乗って拡大していったと思います。

漫画「クレヨンしんちゃん」って、ご存じですよね。あの舞台は春日部市ですが、私が育ったころは、まさにあんな感じ。漫画の中に「サトーココノカドー」という架空のスーパーが出てきますが、じつは、あのモデルとなったイトーヨーカドーのある場所に、私の生まれた家もあったのです。

父が開いた店のちょうど真向かいに、イトーヨーカドーさんの建物がありました。90年代に入り、その古い店舗の建て替え計画が持ち上がり、合わせて駐車場が整備されることになりました。駐車場のちょうど真ん中に私どもの店舗が位置していましたので、その時に土地をお譲りして、新しい場所に店を移した。ですから、今あるイトーヨーカドーさんの場所に、私の生家があったというわけなんです。

■夏休みの旅行は地方の工場見学へ

夏休みや冬休みといっても、なかなか店を留守にはできません。「旅行に行きたい」といえば地方にある取引先の工場へ連れて行かれたり、「初詣に行こう」といわれてついて行ったらお店の初売りだったり。家業をお持ちであれば、みなさん、同じような経験をされているかと思いますが、私の子供時代もそんな感じでした。

両親はよく引っ越しもしていました。私たちは5人兄弟ですから、子供が生まれるたびに家が手狭になっていた、という事情もあったでしょう。それと、会社が東京進出をするのに伴い、埼玉から東京へ引っ越すということもありました。そのたびに、母が家具の配置をあれこれ考えながら図面を引いていたのを記憶しています。

引っ越しのたびに家具を買い替えたりもしましたが、その場合、子供部屋にはだいたい“お古”が回ってきます。それがとても不満で仕方がなく、子供のころはいつも「本当はこんな部屋に住みたいのに」「家具はこんなふうにしたいのに」と思っていました。

家具を買うにもやはり、大塚家具の店へ行くわけです。自分の欲しい家具がないと「デパートに行きたい!」と駄々をこねたりもしていました。今はおかげさまで、当時に比べると品ぞろえもよくなりました。自分たちが消費者と同じ目線を持ち、自分たちが欲しいけれども無いものを自分たちで供給してきた側面はあると思います。

家具店の娘ですから、「家具を大切にしなさい」とはよく注意されました。例えば、テーブルの上でお絵描きをしていますね。包装紙の裏にマジックで描く。すると、テーブルの表面にインクが移ってしまう時があります。そんな時は「下にもう1枚別の紙を敷いてから描きなさい」と叱られましたし、ボールペンでグリグリ書いて表面に傷をつけたりしようものなら、大変な剣幕(けんまく)で叱られました。その点はやはり、母よりも父の方が厳しかったかもしれません。

今でもそのしつけは生きていまして、テーブルの上に直接、熱いものを置くようなことはしません。必ずコースターなどを使う癖がついています。

■文系人間で、高校時代の数学は赤点だったことも

中学・高校は私立の女子校だったものですから、校舎はとてもきれいでした。教育の一環で、生徒自らすみずみまでお掃除をしていましたので、塵(ちり)一つない環境。それがガラリと変わったのは大学に入った時でした。

一橋大学の経済学部に進学し、最初は今はなき小平キャンパスへ通ったのですが、建物は古いし、床は埃(ほこり)だらけ。モノを落としたら、拾い上げるのを躊躇(ちゅうちょ)するくらい綿ぼこりが(笑)。そのような環境で、だいぶ鍛えられました。

勉強ですか? あまりしていません(笑)。恥ずかしい話ですが、高校時代の数学は赤点をとることもありました。三角関数が出てきたとたんにつまずく、典型的な苦手パターンです。

それでも一橋の経済学部に行こうと思ったのは、高校時代に読んだある雑誌がきっかけでした。当時、母が子供のためにと定期購読していた雑誌のひとつに、経済学者のジョン・メイナード・ケインズの特集が載っていたんです。それですっかりハマってしまいまして。私が高校生になった1983年というのはちょうどケインズの生誕100周年にあたるということで、いろいろな雑誌で特集が組まれたり、書店でもそのためのコーナーが設けられたりしていたんです。

■最初の就職先は旧富士銀行

経済学部で学ぶ女性は当時、まだ少なくて、学部全体で言うと1割弱しかいませんでした。その前が女子校でしたから、相当なカルチャーショックではありました。ただし、人間、どんな環境に置かれても意外と慣れるものです。

就職先は経済学部出身ということもあり、最初から金融機関に絞っていました。男性総合職を採用した後で女性総合職を採用する企業さんもまだ多い中、総合職を男女同時に採用していた金融機関の一つが富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)でした。

そのころは、将来、自分が大塚家具に入ることになるなんてまったく予想もしていません。ほかに兄弟もいましたから、むしろ、そうなることはないだろうと思っていました。

就職活動のころはバブル経済真っ盛りでしたけれど、入ったとたんにバブルが崩壊。研修が終わると支店に配属され、そこで2年間、融資業務を担当しました。

土地の値段がどんどん下がり、担保の価値も下がっていましたから、融資というよりは回収の業務がメーンです。平時とは違う緊張感のなかで垣間見える金融業の難しさも、いろいろと学ばせてもらった気がします。

じつは私、とてもおっちょこちょいなので、日常的にはけっこうやらかしてもいたんです(笑)。融資に必要な書類を誤記入してしまい、周りに迷惑をかけてしまったりですとか。そうすると、自分のミスなのに、フロントの担当者にお客様のところへ謝りに行ってもらわないといけない。

そんなこんなで、上司にはけっこう迷惑をかけたと思います。

(ライター 曲沼美恵)
参照元:ドジな銀行員だった「家具や姫」大塚家具の久美子社長
大塚家具社長 大塚久美子氏(上)2016/7/21 NIKKEI STYLE
「人生って思うようにはいかないけど」大塚久美子社長
大塚家具社長 大塚久美子氏(下)2016/7/28 NIKKEI STYLE

一橋大学を卒業して旧富士銀行に就職した大塚久美子氏は、3年後の1994年、請われて父、勝久氏が経営していた大塚家具に入社する。店舗の拡大期に人手不足となり、組織として動く仕組みづくりに奔走することになるのだが、親子で働くことに葛藤はなかったのだろうか。

前編「ドジな銀行員だった『家具や姫』大塚家具の久美子社長」では、ユニークな少女時代から就職までの軌跡を紹介しています。

◇ ◇ ◇

あのまま富士銀行に勤め続けていたら、人生、どうなっていたか――。それはあまり、考えたことがありません。

人生って、たいがいは思うようにはならないものですよね。予定外のことがたくさん起こります。どんな道を選択すればいいかは当然、誰しも考えるでしょうし、考えてしかるべきですが、キャリアは事前に予測できるものじゃない。

ただ、そのときどきで事態をどう受け止め、どう判断するかは自分次第。「どうなるか」よりも「どう生きるか」。自分の身に起きた出来事を「どう価値のあるものにしていくか」を考えながら、これまで生きてきました。

■94年、父の経営する大塚家具に入社

銀行を退社し、大塚家具に入社したのは1994年のことでした。子供のころから家業を身近に感じて育ちましたし、古い社員さんの中には顔見知りも多かったですから、まったく知らない世界に飛び込むような抵抗感はありませんでした。

会社はそのころ、大規模小売店舗法(大店法)の改正を受け、全国に店舗を拡大しようとしていました。バブル経済期に計画された建物は次々と完成するのに、肝心の借りるテナントがいないということで家賃は下がり、私どものように大きな面積を必要とする業態にとってはチャンスが到来していました。

一方で、会社は人手不足の状態でもありました。関東以外では初となる大阪への出店計画も持ち上がっていて、当時の社長、つまり父は「自分も大阪に行くことになるから、東京が手薄になる」と考えていたようです。人事を通じて私が呼ばれました。

銀行ではそのころ、国際広報を担当していました。親子が同じ会社で働く難しさは想像できましたから、躊躇(ちゅうちょ)する気持ちがなかったわけではありませんが、その時は「期限付きだし、なんとかなるだろう」と思っていました。自分が必要とされるならば、その期待に応えたい気持ちもあり、お引き受けしたわけなんです。

ただ、結果的には父が大阪に常駐することはなかったんです(笑)。

それまでは、おおむねの社員が顔と名前も一致するようなアットホームな雰囲気の中で経営できていました。本社から店舗に通達を出す際にも、「日々のお仕事ご苦労さまです」というような挨拶文から始まるような世界でした。

一方で、そのような家族的経営の限界もすでに見えていましたし、いつまでも創業者のカリスマ性で組織を引っ張っていけるはずもありません。すでに上場企業にもなっていましたから、スムーズにバトンタッチできるよう、準備しておく必要がある。その下地づくりをするのが自分の役目だと思いました。

大塚家具に入社してからは、組織として成長していけるような仕組みづくりや人材育成、教育などの整備に取り組みました。経営企画の仕事を中心に、営業管理や経理、広報の責任者を兼務しながら、会社の弱い部分を次々と強化していきました。幸いにして銀行というモデルは頭にありました。何万人も社員がいる組織と数百人から1000人という規模の組織ではおのずと違ってきますので、その違いも意識しながら、改革を進めていきました。

当初は3年くらいで仕組みづくりを終えるつもりでしたが、結果的には10年かかりました。成長のスピードも非常に速く、その間、社員数と売上高は3倍くらいに伸びました。それを支えきれる仕組みができたのは、良かったかなと思います。

自分としてやれるだけのことはやった。ならばこのあたりが潮時だろうと思い、顧問としての立場は維持しつつも、2004年にいったんは取締役を退任し、セミリタイアすることにしました。

■セミリタイアするも不祥事で呼び戻される

セミリタイア後はそれまでの経験を生かし、IR(投資家向け広報)と広報を専門とするコンサルティング会社を立ち上げ、友人の会社の執行役員にも就任しました。

06年から筑波大学法科大学院にも通いました。弁護士さんは法律には詳しいのですが、会社経営の実態を知っていただくまでには時間がかかります。いざという時にはそのすり合わせに時間がかかるのを感じていましたから、自分が両者の間に入る”通訳”みたいになれればいいなという気持ちで勉強していました。

そうこうしているうちに、大塚家具で不祥事が起こってしまいました。06年に行った自社株取得がインサイダー取引にあたるとして、07年、証券取引等監視委員会から課徴金納付命令を受けたのです。

当初はコンサルタントとしてその処理を手伝っていたわけですが、その流れで、結局は社長として戻ることになりました。そこからは紆余曲折(うよきょくせつ)あり、14年にいったん社長を解任された後、15年1月に再び社長に就任しています。

強く意識したことはありませんが、社長として内部から改革を進めていくことと、コンサルタントとして外部から関与することはまったく違いますね。会社を良くする、あるいは、企業価値を上げていく。この思いは一緒ですが、それぞれの役割が違う。

「正しいこと」は何かがわかっていても、内部にいるとどうしても、目の前の現実に流されてしまいがちです。それをさせないためにコンサルタントがいるわけです。「正しいこと」を実行しようとすれば様々な障害にも直面しますが、それを乗り越えて、理想に向かって進んでいかなくてはならない時があります。

私の中で、社長とコンサルタントというのは特に意識して切り替えたというよりも、その時々で自分が求められる役割を果たしてきたような感じなんです。

■ストレス解消は海外ドラマの鑑賞

ストレス解消にはよく海外ドラマを見ます。日本人が出てくるとどうしても現実に引き戻されてしまいますから、頭を切り替えたい時は海外ドラマの方がいいんです。

推理モノは大好きです。事件モノも。アクションサスペンスの「ブラックリスト」、いいですね。弁護士ドラマ「スーツ」も好き。海外ドラマはおそらく、ほとんど制覇していると思います。

シリーズモノでも、一話の中で必ず犯人が捕まるドラマがいいですね。そうじゃないと、先が気になってしかたがない。それと、海外ドラマを見ていて思うのは、インテリアがそれを使う人物をよく表現しているということです。とても勉強になりますし、おもしろい部分です。

今はあまり余裕はないのですが、最初に申し上げた通り、環境が私に与えてくれる影響はあると思っています。社会環境を変えるのは難しいですけれども、家具を変えることなら誰でもできます。家具を変えることによって、生活環境を変えることもできる。そうすることで、自分自身も前向きになれます。

家具選びではもちろん、機能性や収納性も重視しますけれど、いわゆるスローライフ的なものも大事にしたいと思っています。そのために、あえて手間のかかる家具を身の回りに置いています。定期的にワックスをかけて磨いてあげないといけないような家具を置くことで、「こういうものを使う生活をしたい」という気持ちの表れにはなると思うのです。

もちろん、実際にはそんな余裕なんて全然ないんですけれど(笑)。

「こうありたい」という環境をまずつくり、環境の方からリマインドしてもらう。なりたい自分になるためのインテリア、努力を後押ししてくれるような環境づくりをお手伝いしていきたい。今は、そんな思いで事業に取り組んでいます。

(ライター 曲沼美恵)
参照元:「人生って思うようにはいかないけど」大塚久美子社長
大塚家具社長 大塚久美子氏(下)2016/7/28 NIKKEI STYLE
大塚家具が中国家具大手と業務提携 中国での販路拡大を図る
2018/12/21 (FRI) 17:30 WWD JAPAN

大塚家具は21日、中国家具販売大手のイージーホーム(居然之家)との業務提携を発表した。イージーホームは中国本土に223の実店舗を運営しており、売上高は600億元(約9600億円)超。中国大手EC企業のアリババ(ALIBABA)と戦略的パートナーとして業務提携を行っており、2018年2月にアリババは約54億元(約860億円)を投じてイージーホームの株式10%を取得している。

 業務提携を通して大塚家具は、中国国内のイージーホームの店舗で商品の販売を行う他、大塚家具の屋号での出店、イージーホームのECネットワークを活用した越境ECの実現などを視野に入れている。大塚家具はイージーホームの販売ネットワークを利用することで中国市場に参入する一方で、イージーホームに日本のサービスや物流関連のノウハウを提供する。

 大塚家具の17年度売上高は約410億円。同社は15年に大塚久美子・社長が就任し、高級路線から大衆化路線に戦略を変更した。ニトリなど低価格帯の商品を提供する専門店の牙域を崩すことはできず業績が悪化。16年12月期以降、大幅な最終赤字が続いている。17年11月に貸会議室大手ティーケーピーと資本業務提携し経営再建を進めている。

 業務提携のニュースが21日朝に、一部メディアで報じられたことで、大塚家具の株価は一時ストップ高になった。
参照元:大塚家具が中国家具大手と業務提携 中国での販路拡大を図る
2018/12/21 (FRI) 17:30 WWD JAPAN
視界不良の大塚家具 3期連続赤字でも社長は続投 父・勝久氏との和解説が急浮上=編集部
2019年2月25日 エコノミスト Online

「1年前の決算会見で、黒字化が自分の責務と大見えを切ったから、赤字の上に“手ぶら”では、会見できなかったのだろう」。大塚家具の元社員は、決算資料のみの開示という古巣の決算発表をこう解釈する。

 予定日の1日延期に加えて、社長会見、記者を集めたレクチャーなしの「大塚家具2018年12月期決算発表」。同期(32億円の赤字)で3期連続の最終赤字(図)。経営再建中で、2月15日の決算発表に合わせて、日中の取引先企業連合と米投資ファンドを引受先とする約38億円の増資とヤマダ電機との業務提携を公表したにもかかわらずだ。

 大塚家具の広報担当者は「会見の予定は当初からなかった」と言うが、同社に詳しい関係者は「大塚久美子社長は会見を予定していたはず」と明かす。

 当初、決算発表予定の2月14日までに前述の増資や業務提携をまとめることが、その条件だった。だが、それが間に合わず、会見を延期。1日遅れで、増資と提携が発表できるようになり、“手ぶら”は回避されたが、なぜか、社長会見は開かれなかった。

 販売不振で業績が悪化した大塚家具は、現預金が減り続け財務内容が急速に悪化。18年12月期の中間決算で初めて、「継続企業の前提に関する注記(GC)」が記載されると、取引金融機関の姿勢が一段と厳しくなり、両者の関係はぎくしゃくするようになる。

 金融機関主導と思われる大塚家具の身売り報道が急激に目立つようになった。結局、報道は実現せず、18年10月にコミットメントライン契約は解除された。大塚家具は日本政策投資銀行と関係の深い在庫担保融資をする金融会社から資金を調達するようになった。

 コミットメントラインを解除すると、身売り報道も沈静化。重要な資金繰りの後ろ盾を失う代償を払う代わりに、口うるさい金融機関の足かせがなくなった久美子氏だが、今度は社内役員の掌握に苦労する。経営再建をめぐり取締役内部で意見が対立。結果的には久美子社長が押し切る形で、今回の増資や提携を決めた。

 2月15日の決算発表当日、本誌に「社長会見もレクの予定もない」と大塚家具の広報担当者は説明したが、実際には一部メディアの取材を久美子社長は受けている。その経緯について広報担当者は「記者が押しかけてきたため、対応した」と説明。また、取締役会で社長と反社長派が対立したことについては否定した。

 38億円の増資とヤマダ電機との提携が発表され、久美子氏は続投の意向だ。しかし、破格の「在庫一掃セール」以降、国内店舗は売り上げ不振に戻り、売り上げ増は期待薄だ。

「不振店舗の大半を閉鎖、ヤマダ電機の店舗で家具を販売し、中国で販売実績をあげる再生策しか残されていなかったが、店舗閉鎖の考えはないようだ。抜本的な再建策とはいえない」(証券アナリスト)

 視界不良の中、急浮上したのが、袂を分かった創業者で実父・大塚勝久氏との和解・復帰説だ。広報担当者は否定するが、「第三者を通じて、すでに水面下で交渉が始まっている」(関係者)という。

 実現すれば、イメージ刷新につながるかもしれないが、それが起死回生につながるかはわからない。

(編集部)
参照元:視界不良の大塚家具 3期連続赤字でも社長は続投 父・勝久氏との和解説が急浮上=編集部
2019年2月25日 エコノミスト Online
大塚家具、資金ショートの懸念…現場知らない久美子社長、退職者続出で販売力低下
2018.02.05 Business Journal 文=松崎隆司/経済ジャーナリスト

大塚家具が断崖絶壁に立たされている。11月6日に発表された2017年度の第3四半期決算では2期連続の営業赤字で、通期見通しは43億円の赤字の見通しとなったが、その後の10~12月期でも売上高の減少に歯止めがかからず、2月8日に発表が予定されている12月期の通期決算は、さらに厳しい状況が予想されている。

  大塚家具は、第3四半期決算発表の11月6日までに4つの銀行と結んでいた43億円のコミットメントラインを解除して、新たに別の金融機関との間に10億円のコミットメントラインを締結した。9月末の現預金は20億円だが、「運転資金だけで毎月約5億円もの資金が赤字で流出している」(大塚家具関係者)。  

これだけで9月末以降、決算期末の12月末までに3カ月で15億円が減少している計算になる。さらに、株主への配当は現在一株40円が予定されており、3月の総会で承認されれば、総額で約7億5000万円もの配当に充てる資金が必要となってくる。  

11月6日には会議室大手のティーケーピーと資本業務提携を行い、10億円の資金を調達したが、これだけなら短期間で資金ショートしてしまう恐れがある。 「16年12月期末の55億円に比べれば半分ぐらいになっていますが、17年9月末の第3四半期決算を見ると27億円の投資有価証券を所有しています。かなり前に優良企業などの株を取得していますし、相応の含み益があり、これを一部売却すれば、まだ今期の決算は乗り越えることができると思います」(東京商工リサーチ情報部)  とはいえ、状況は予断を許さない。大塚家具がホームページ上で公表している18年1月度の月次情報によると、店舗売上高が17年1月と比べて83.1%の水準にとどまり、過去最大の大赤字となる17年12月期よりもさらに厳しい出だしとなっている。  

ここで問題となるのは、株主配当。現金が不足しているなかでの株主配当は、今の大塚家具を経営する上では、まさにアキレス腱。経営者の立場から考えれば無配にしたいところだ。15年3月に、大塚久美子社長が父親の大塚勝久氏との激しい経営権争いで勝利した際に株主に約束した3年間1株80円という配当方針も、最終年度となる17年12月期には創業以来最大の赤字が2期続いて1株40円へと大幅に引き下げたこともある。  

しかし、久美子社長は16年4月、大塚家具の大株主であり、久美子社長が支配している資産管理会社が社債の返済をめぐる勝久氏との裁判で負け、資産管理会社の189万株を担保に銀行から金を借り、17億円を支払っている。   これまで資産管理会社は大塚家具からの配当を元本や金利の返済に回すことができたが、配当がなくなれば弁済原資に困ることになる。大塚家具の広報担当者は「現段階で40円配当を中止する予定はない」と言うが、「株主配当まで有価証券の売却でねん出すると、大塚家具の“へそくり”がなくなってしまう恐れがある」(東京商工リサーチ情報部)という。 売り上げが下げ止まらず2期連続赤字へ  大塚家具は、1969年に埼玉県春日部市の東武伊勢崎線春日部駅東口(春日部ショールームとは反対側)に桐箪笥販売店「大塚家具センター」として創業した。

桐ダンスの名工だった父親が販売で苦労しているのを目の当たりにした勝久氏が、「どうすれば職人の技術を評価してもらえるような販売ができるのか」を試行錯誤して、お客との対面販売のなかで商品の良さを伝えていく販売方法に到達、そこから創業したのが大塚家具センターだった。  その後、93年には会員制を導入して「実売価格表示・値引き販売」を行い、これが評判になった。その後は顧客本位のサービスが評価され、“高級家具の大塚家具”というブランドを確立した。

  しかし、デフレが続くなかで経営が低迷。その後、社長に就任したのが娘の久美子氏だった。  

久美子社長は合理化を行い短期間で経営を立て直したが、その後、経営方針をめぐって勝久氏と対立、2014年7月に社長を解任された。ところが、15年1月には再び久美子氏が社長に復権。父と娘の本当の闘いが、ここから始まった。  

久美子社長は「脱同族経営」「コーポレートガバナンスの強化」を掲げ、社外取締役を積極的に起用するなど時代に合った新しい経営を提唱。さらに、中期経営計画には17年度の売上高594億円、営業利益19億円、当期利益14億円という目標を掲げて、15年度から3年間の配当予想が14年度の40円から80円と2倍に拡大する見通しを明らかにした。そして、15年3月の定時株主総会で勝久氏を排し、経営の実権を握った。  その後、「大感謝祭」などの大規模なセールを繰り返し、なんとか売り上げを伸ばしたが、たび重なる値引き戦略のなかで顧客の関心が薄れ、16年に入ると売り上げが大幅に減少し46億円の営業赤字に転落した。17年に入っても大幅な売り上げ減少が止まらない状況が続き、2期連続での赤字になる見通しとなっている。 

ちなみに、この2年間で売り上げが前年同月を上回ったのは、16年4月の102.1%(その前年は前年同月比82.5%)、17年3月の100.5%(同88.2%)、17年6月の104.8%(同61.9%)、17年7月の100.5%(同91.1%)だけだ。売り上げが下げ止まらないのが現状だ。 「久美子社長は現場を知らない」  それはなぜなのか。 「久美子社長は現場を知らない。だから、指示は場当たり的で現場のオペレーションがメチャクチャになってしまった。これでは売れるものも売れない」  元社員はこう語る。そのため、社員が次々に退職し店舗の販売力が低下した。一方で、在庫負担は拡大した。

「ポルトローナ・フラウのような海外の高級家具は月の仕入れの量が決まっていて長期契約を結んでいる。商品が売れないので在庫が積み上がっていっている。一方で、リユースで集まった商品は売れないようなものばかり。これをどう処理するのかが大きな問題。修理の要員はリユースに取られ、従来のユーザー向けのアフターケアやサービスも十分に対応できていない」(前出の元社員)  

そんななかでの運転資金の不足は死活問題といえよう。 「商品を売却した代金などが入ってきていますから、みなさんが想像されているほど現金が不足しているということはありません。さらに借り入れでもコミットメントラインは10億円になりましたが、金融機関からは融資確約書をいただいていて、だいたい40億円ぐらいの借り入れができる体制になっています」(大塚家具広報担当者)  しかし、「雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」のが銀行。大塚家具の思惑通りに融資を受けられるとは考えにくい。  

赤字を続けるなかで、大塚家具の株主資本は16年12月期第三四半期の240億円から17年12月期第三四半期は168億円まで減少している。減少しているといっても168億円の株主資本があり、「これまで無借金経営を続けた大塚家具が、仮に多少銀行借り入れをしたからといってたいした問題ではない」(同)と説明する。

 しかし、大塚家具は無借金企業だといわれているが、実はバランスシートに出てきていない事実上の負債が隠されている。それがオペレーティング・リース取引だ。これは、数年間にわたって支払う賃貸費用などのことだ。主に家賃だが、このなかで解約不能なものにかかる未経過リース料が16年12月期でなんと118億円もあるというのだ。  いずれにせよ、売り上げ減少に歯止めをかけ、リースによる賃料を圧縮して赤字を脱却するためには、大切な資金を配当で流出させるのではなく、収益構造を変えるための大規模リストラなど身を切る再建策が求められる。久美子社長は大きな決断を迫られている。

(文=松崎隆司/経済ジャーナリスト)
参照元:大塚家具、資金ショートの懸念…現場知らない久美子社長、退職者続出で販売力低下
2018.02.05 Business Journal 文=松崎隆司/経済ジャーナリスト
大塚家具、身売りでも久美子社長の続投を要求か…交渉難航なら法的整理の可能性も
2018.08.05 Business Journal 文=有森隆/ジャーナリスト

『大塚家具、自力再建困難に、身売り交渉大詰め』  

こう題する8月3日付「日経ビジネスONLINE」記事が、大塚家具の身売り騒動の火付け役だ。 「これまでに同業のみならず、アパレル、建材、商社、投資ファンドなど数十社に及ぶスポンサー候補と交渉に臨んだが、合意には至っていない。減資した後の第三者割当増資や、久美子社長の退陣などを支援条件に挙げる企業があるもようだが、大塚家具側は、こうした条件に難色を示しているとみられる」(同記事より)  

各メディアが一斉に大塚家具の“受け皿”探しに走り出した。8月4日付朝日新聞記事『大塚家具、身売りへ 提携先のTKP軸に最終調整』は次のように報じている。 「昨年11月に資本・業務提携した第3位株主の貸し会議室大手、ティーケーピー(TKP)が増資を引き受け、経営権を握る方向で最終調整に入った。(中略)取引銀行は家電量販大手ヨドバシカメラによる子会社化を提案しており、交渉の行方には流動的な面も残る」 「大塚家具は6月以降、家電量販店や百貨店など複数の流通大手のほか、企業再生ファンドなどに支援を打診してきた。その中から、大塚家具に6%強を出資するTKPが第三者割当増資により過半の株式を取得する案が有力となった。中国の高級家具メーカーからの出資受け入れも一時、検討されたという」  

TKP、ヨドバシカメラという具体的な社名を報じたのは朝日が初めてだ。 「ただ、TKPの2018年2月期の売上高は286億円と大塚家具より小規模で、経営再建の手腕も未知数だ。一方、取引銀行は、住宅関連事業の強化をねらうヨドバシカメラによる支援を提案している」(同記事より)  朝日新聞は同日付経済面に『「久美子流」成果出せず』という4段見出しの記事を掲げた。完全にスクープの扱いである。  

大塚家具の創業者、大塚勝久氏(75)が8月5日付朝日新聞のインタビューに応じた。長女の大塚久美子社長(50)と繰り広げた委任状争奪戦に敗れ、大塚家具を離れて3年。会社が身売りを検討していることに、「驚きました。大変なショックです」「社員や取引先に申し訳ない」と語った。TKPが増資引き受けを検討していることに関して「TKPの資金力は十分でしょうか。TKPが大塚家具を連結対象にしたら、大塚家具の赤字によってTKPの連結決算も赤字にならないだろうか」と懸念を口にした。 経営陣と取引銀行のバトル  大塚家具の“受け皿”選びは、経営陣と取引銀行のバトルの様相を呈している。大塚社長ら経営陣は、大株主のTKPによる追加出資を検討している。TKPは大塚家具と17年11月に資本・業務提携し、6.65%を出資した。大塚家具の店舗の余剰スペースでTKPがイベントホールを運営するなど協業を進めている。

大塚家具は8月4日、「あらゆる可能性を検討しているが、現時点で新たに、もしくは具体的に決定した事項はない」とコメントした。一方、TKPは「大塚家具との間であらゆる可能性を検討している」と同日、コメントを出した。もしTKPが追加出資して過半数の株式を握っても「大塚社長ら経営陣は続投する可能性がある」(関係者)といった楽観的すぎる見方もある。しかし、事態はもっと切迫している。  

これに対して、取引銀行はヨドバシカメラの傘下に入る再建案を提案。ヨドバシはインターネット通販サイトで家具の取り扱いを強化しており、「協業効果が期待できる」(金融筋)。ヨドバシが買収した場合は、経営権はヨドバシに移り、大塚家具の現経営陣は総退陣する見通しだ。「大塚社長の退陣を条件とすることに、大塚家具側は難色を示している」(同)ともいわれている。  ここでいう取引銀行とは三井住友銀行のことである。創業者の勝久氏と久美子氏の経営権をめぐるお家騒動のとき、三井住友銀には「何もできなかった」という苦い思いがある。同族会社で親子が対立で対立した場合、メインバンクの頭取が仲裁して円満に収めるケースがよくある。ところが、大塚家具の親娘喧嘩に三井住友銀は介入できなかった。儲かっていた頃の大塚家具は事実上、無借金会社だったからである。銀行の出番はなかった。  

だが、今回は違う。17年12月期まで2年連続の赤字。業績が悪化し資金が流出している。15年末に109億円あった現預金は18年3月末時点で10億円にまで減った。資金ショートの恐れだってゼロではない。緊急事態に備えて、17年12月末までに大塚家具のすべての在庫商品を担保に金融機関との間に50億円のコミットメントライン(融資枠)を設定した。これで取引銀行は大塚家具に発言権を持つことになった。  

銀行は大塚家具の資産管理会社、ききょう企画の大口債権者でもある。ききょう企画は大塚家具の株式6.66%を保有する第2位の株主(17年12月末現在)。銀行が身売り話に介入する素地が整ったことになる。 ききょう企画が抱えた17億円の借金  15年の株主総会で娘の久美子氏が父の勝久氏はねじ伏せて勝利し、父娘対立はききょう企画の経営権の争奪戦に移った。久美子氏は、ききょう企画の経営権を握り、ここを足がかりに大塚家具の社長の椅子に返り咲いた。勝久氏は08年4月、ききょう企画に自分が保有する大塚家具130万株を譲渡する見返りに、ききょう企画の社債15億円分を引き受けた。だが、5年の期限を過ぎても社債を償還されなかった。  

大塚家具を追われた勝久氏は、社債の償還を求めて訴訟を起こした。ききょう企画(久美子氏側)は「大塚家具の事業承継と相続対策であり、社債の償還の延期は合意されていた」と主張したが、東京地裁は16年4月、勝久氏の請求通り15億円の支払いを命じた。  ききょう企画は勝久氏に、金利分を含めて17億円を現金で支払った。勝久氏は大塚家具の株式(持ち株)売却した20億円と裁判で勝訴して得た17億円の合わせて37億円を元手に、匠(たくみ)大塚を設立した。  

結局、ききょう企画は17億円の借金を抱えることとなった。融資をしたのは三井住友銀行と三菱UFJ銀行。ききょう企画は保有する大塚家具株式を担保として差し出した。借入金の返済が滞れば、銀行は担保権を行使して名義を書き換えることだってできる。株式市場では「赤字にもかかわらず、久美子社長が高額配当を続けてきたのは、ききょう企画が配当金を借金返済の原資にしているからではないか」と推測されている。

銀行団も大塚家具が立ち直ってもらわなければ困る。ききょう企画向けの融資が不良債権になってしまうからだ。銀行が、“受け皿”候補選びに介入してきたのには、こうした事情が隠されている。  

父娘のプロキシーファイト(委任状争奪戦)で勝利した久美子氏は新しいボード(経営陣)を選任したが、それは社外取締役一色だった。小売業の経営陣というよりM&A(合併・買収)のプロを揃えた投資ファンドのようだった。  

久美子氏がM&Aに通暁したブレーンとしたのは、東京丸の内法律事務所パートナーの長沢美智子・社外取締役。彼女は“女軍師”と呼ばれ、久美子氏の勝利を揺るぎないものにした。今回、社外取締役監査等委員の長沢氏は、久美子氏にどんな秘策を授けたのだろうか。大塚家具は8月10日に予定していた18年6月中間決算の発表を14日に延期した。「14日に久美子社長からスポンサーが発表される」(関係者)との噂は、本当なのか。身売り先は経営陣が期待するTKPなのか。それとも、銀行が推すヨドバシカメラか。調整が難航すれば、法的整理による経営再建の道が絶対にないとはいえない。 喧嘩両成敗の可能性も  筆者は7月に『社長争奪―世襲・派閥・策謀』(さくら舎)を上梓した。「第一章 大塚家具」で貸会議室大手TKPの提携の狙いをズバリ書いている。  

TKPは2017年3月に東証マザーズに上場したばかりのベンチャー企業だ。河野貴輝社長は慶應義塾大学商学部を卒業して伊藤忠商事に入社。為替や債券のディーラーを経験し、日本オンライン証券(現・カブドットコム証券)の設立に携わった。その後、起業して2005年にTKPを設立した。  

貸会議室の運営は、すき間(ニッチ)を狙ったビジネスだ。物件は原則保有せず、借りた部屋を会議室に改装して転賃する。短期間で最大手にのし上がり、全国で2124室の貸会議室を運営している(18年2月期末)。  河野社長は「私は大塚家具のファン。社長室の家具はすべて大塚家具で購入した。大塚家具に再興してもらいたいという思いがある」と語っている。河野氏のほうから大塚家具に資本提携を持ちかけた、と明らかにした。  

だが、河野氏のことをよく知る新興企業のオーナー社長は「大塚家具のファンだから支援する、などという美談仕立てのディール(取引)ではないはず。大塚家具の経営に乗り出すつもりなのでは」とみている。大塚家具の乗っ取りも辞さず、ということなのか。  

筆者は同書内で「久美子氏の大塚家具、勝久氏の匠大塚は存続できるのか」と言及し、こう書いている。 「振り返ってみると、この10年近く、経営路線をめぐり、父と娘の対立が続いた。この間に低価格路線をとるニトリホールディングスやイケア・ジャパンが家具市場を席巻した。大塚家具が逆立ちしても及ばないほどの大差をつけられた。大塚家具は2018年5月27日、創業の地、埼玉県春日部市の店舗を閉鎖した。はたして大塚家具は存続できるのか。父親が意地で立ち上げた匠大塚に明日はあるのだろうか。へたをすると両者が共倒れ。喧嘩両成敗となりそうな雲行きである」

(文=有森隆/ジャーナリスト) 
参照元:大塚家具、身売りでも久美子社長の続投を要求か…交渉難航なら法的整理の可能性も
2018.08.05 Business Journal 文=有森隆/ジャーナリスト
大塚家具が経営難 父「なぜ話さなかった」
NNN24 2018/08/06 21:19

経営難に陥っている大塚家具が、他の企業からの出資を検討していることを受けて、大塚家具を去った前会長の勝久氏が日本テレビの単独取材に応じ、無念さをあらわにした。

大塚家具 大塚久美子社長(2015年3月)「きょうから大塚家具は名実ともに新経営体制で業務に取り組んでまいります」

3年半前、父親との経営権争いの末、大塚家具の社長の座を死守した娘の久美子氏。経営改革を続けてきたが、2年連続で赤字を計上。自力での再建が困難になる中、今月4日、他の企業などからの支援を検討していることがわかった。

その候補に挙げられているのが、貸し会議室大手の「TKP」や「ヨドバシカメラ」など。

ヨドバシカメラ 藤沢昭和社長「(Q:大塚家具に出資されますか?)別にうちからではなく、向こうが勝手にいろいろ言ってきてる」

この危機的な状況に口を開いたのが、大塚家具の前会長で、現在、別の家具販売店を営む父の勝久氏。久美子社長と競合しないよう、ホテルなど法人向けの販売に重点を置いてきたという。

現『匠大塚』会長 大塚勝久氏「(報道を見て)非常に残念だったし、寂しいですよ。なぜ私に話しなかったのって。寝ずに働いてつくった会社ですから。どこにもまねできない会社をつくろうと思って。まさか3年半でこうなっているとは思いませんでした」

久美子社長から一切連絡が来ていないという勝久氏。業績悪化の要因については、久美子社長が、「会員制など手厚い接客を重視したかつてのビジネスモデルを変えたこと」だと指摘した。

現『匠大塚』会長 大塚勝久氏「今まで大塚家具を育ててくれたお客さんを無視しちゃったということ。いい物買うなら大塚家具。(以前は)大塚家具で買ったことを自慢できた。そういうことを言えなくなるような会社に移行していったのが一番の問題だったと思います」

勝久氏は、「久美子社長にアドバイスはできる」としながらも、この現状で、再び手を組み大塚家具を経営することは考えていないという。
参照元:大塚家具が経営難 父「なぜ話さなかった」
NNN24 2018/08/06 21:19

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