今日、政府が作るお金はマネー全体の5%程度に過ぎず、残りの95%のお金は誰かのローンによって作られているということを知って非常に驚いた。
誰かが銀行にローンをすると銀行はその人の預金通帳に数字を書き込むだけで、お金が生み出されるのである。
銀行は日本銀行(中央銀行)の当座預金に一定額の預金をしていれば、その何倍もの資金をローンとして貸し出すことができる。
つまり、銀行は自分が実際には持っていないお金を人に貸し付けているのである。
『money as debt』はこの銀行が自分が持っていない金を人に貸し付けて金利を取る行為を銀行家の詐欺であると告発し、いつ頃、この詐欺が始まったのかを考察している。
この信用創造が始まったのは、ヨーロッパで、金細工師のゴールドスミスが人々から預かった貴金属を金庫で保管し、代わりに預かり証を発行する業務を行った際にそのうちに預かり証それ自体が物の売買、交換に使われて流通するようになり、誰も預かり証を持って貴金属を受け取りに来ない為、そのうちにゴールドスミスが金庫で保管している貴金属の額面以上の預かり証を発行したことが、この詐欺の始まりであると解説している。
従って、もし全ての人が銀行からお金を引き出そうとする取り付け騒ぎが生じれば、銀行にはそれを支払うだけのお金がないのでシステムはたちまち支払不能になってダウンする。
当時、この話を初めて知った時、この銀行家の自分たちが持っていないお金を貸し出す権力というものに驚愕した。
つまり、銀行は自分たちが持っていないお金を貸し付けて、その返済を受けるだけでも十分に利益になるが、更に貸し出した金額に対する利子までも受け取るのである。
この銀行家がお金を人に貸し付けることによる支配力、これは現在の成功物語である。
成功物語というよりも残酷物語で、このシステムによって人類を家畜のように支配することが出来る。
あらゆる人が銀行の為に働いているのである。
何故なら、人は給料をもらうために働いているが、その給料は企業からもらうお金である。
企業は銀行から資本金の融資を受けており、ビジネスの収益からその返済と利息を支払う。
従って、企業は銀行に返済する為にビジネスを行ない、人々は給料をもらうために企業と雇用契約を結んで労働する。
人が給料として受け取るお金は、誰かの銀行へのローンなのであり、それが市場に流通している95%を占めている。
このお金を人々が売買や交換などの経済行為を行なって、人々がいす取りゲームのように取りあうのだが、銀行が利子を取るため、流通しているお金は常に不足することになるのである。
つまり、銀行はローンで貸し付けたお金以上のお金を受け取るため市場には全ての人に行き渡るだけのお金がない為、生活していくには新たに銀行から借金をしなければならないのである。
そのようにして銀行は人々を永遠に支配する。
この信用創造できる割合のことを預金準備率と呼び、銀行は融資する金額に対していくらの金額を日銀の当座預金に支払い準備として預けておかなければならないかが定められている。
この割合が、年代によって様々だが、日本銀行のHPにも載っているが、1991/10/16 実施のもので、それ以降のデータが見当たらない。
別のサイトには、1994年2月は0.4%、1980年は10月は1.3%、2019年2月は0.8%であると記されている。
例えば、預金準備率が2019年2月の値で、0.8%というのは、1億2千5百万円の融資を行うことは、100万円を日本銀行の当座預金に預け入れておけば、可能なのである。
つまり、1億2千4百万円を無から作り出したということになる。
この信用創造のカラクリを初めて明らかにした元祖が、リチャード・ヴェルナーの『円の支配者 – 誰が日本経済を崩壊させたのか

その論点について紹介してみたいと思うが、リチャード・ヴェルナーによれば、戦前の1920年代の日本は、アメリカよりも資本主義的であったという。
この1920年代の日本は、大衆は貯蓄もせず、稼いだお金のほとんどを消費に回してしまう傾向があったという。
ところが1929年に世界大恐慌が起こり、世界がブロック経済を採用し、1930年代には国家社会主義が台頭して、領土を海外に拡大して、経済的活路を切り開こうとする軍国主義的な風潮が出てくる。
1930年代というと、ちょうど天王星が今と同じように牡羊座をトランジットしていた時期であるから興味深い。
右翼的な国家社会主義が台頭してくる時代である。
すると日本の軍部の指導者と官僚は、日本経済を急成長させるために自由放任経済体制をやめて、戦時経済体制への移行を要求した。
国民には貯蓄を奨励し、資本を軍需産業などに重点配分する政策が取られた。
そうした戦時経済体制の中で、株主に対する配当は、経済成長の邪魔であるという認識になり、株主なしの資本主義が推奨された。
この時、会社は経営者と従業員のものであり、会社に生涯を通して忠誠を尽くせるような終身雇用制、年功序列制などの日本型の雇用形態が生み出されたという。
そして、日本の会社同士は株の持ち合いをして、外国資本が日本企業を買収して株主になったり、経営権を握ったりできないようにした。
戦時下に作られたこうした軍国主義的経済体制が、戦後も引き続いて、通産省が日本の企業を保護し、政府と企業が一丸となって、他国に日本の自動車やテレビ、工業製品を売りまくる護送船団方式が生み出された。
その上で、外国からの製品には高い関税を掛けて、日本市場への参入を排除し、巨額の貿易黒字を生み出すことになった。
そして、これがジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた日本の経済的繁栄をもたらしたのである。
1989年10月に三菱地所がロックフェラー・センタービルを2,200億円で買収したのが、その経済的繁栄を物語る出来事であった。
日本の質の高い工業製品と政府が企業を保護して国を挙げて、海外にビジネスを仕掛ける方式が国際競争力を生み出し、日本が貿易黒字となり、独り勝ちをすることになった。
すると、それを不公平であるとして、日本製品の不買運動やバッシングが起こるようになった。
アメリカは、日本の市場開放や、構造改革を要求するようになる。
日本の護送船団方式の軍国主義的な経済体制が、世界市場で、大成功したので、その成功を妨害しようとしたのである。
考えてみれば、今の中国もこの時の日本と同じように見える。
現在、中国は、国を挙げて、国内企業を保護し、海外への拡大に力を貸しているが、アメリカと世界覇権国を争うぐらいにまで経済力を身に付けるようになった。
中国経済も軍国主義的な戦時経済そのものである。
例えば、先日、カナダで拘束されたファーウェイ幹部が中国共産党のスパイではないかと言われている。
そして、今の中国が日本と違うのは、日本は、アメリカに戦争に敗北し、日米地位協定や、日米安保条約などによって、軍事的に米国の管理下に置かれ続けている。
従って、最終的にアメリカの要求を呑んで、市場開放や、構造改革を受け入れなければならなかったことである。
中国の場合、そのようなことはなく、アメリカに経済的にも軍事的にも挑戦し続けている。
リチャード・ヴェルナーが言うには、戦時経済体制下で、軍部の指導者や官僚は、中央銀行は、政府のコントロール下になければならないと考えており、どの部門にどれだけの融資を行なうかについて政府(大蔵省)の指示に従わなければならない状況で、戦後もこれが続いたようである。
そのため、政府(大蔵省)が資本を重工業に集中させることができ、日本の高度成長が可能になったのだという。
大蔵省と日銀は、どちらが銀行に対する指導力、経済に対する指導力を発揮するかを争う状況があったが、日銀は、政策金利を決定する権限などがあるが、それよりも銀行へ融資枠の割り当てという窓口指導が決定的に重要なのである。
その窓口指導の権限は信用創造、すなわちマネーサプライをコントロールすることを意味したが、この窓口指導の権限について日銀は秘匿し続けた。
1980年代には窓口指導を通じて、銀行への融資枠を拡大し、企業に豊富な融資を行なって、バブル経済を招いたのである。
然し、あるタイミングで、日銀は、銀行への貸出枠を制限した為、バブルが崩壊し、長い間、マネーサプライを制限して、融資を必要としていた企業に資金を供給しなかった。
その為、日本は長期の経済不況に陥ったまま、失われた10年、20年を後に過ごすことになる。
マネーサプライ(通貨供給量)は経済の規模を決定する要素であり、資本を必要とする企業に資本が与えられなければ経済成長が起こるはずもない。
リチャード・ヴェルナーによれば、信用創造量を拡大して日本をバブル経済に陥らせ、その後、信用創造量を制限して、バブル経済の崩壊を招き、その後も長い間、信用創造量を制限し続けて、経済を回復させなかったことは、日銀総裁の意図的な行為によるものだという。
つまり、日本を長い間、経済不況に陥らせれば、日本には市場開放や規制緩和、構造改革が必要であるという雰囲気や世論を作り出すことが出来るからである。
リチャード・ヴェルナーは、日銀総裁が、米国の連邦準備銀行総裁と連携して、日本に長期間の経済停滞をもたらしたというのである。
以下の引用箇所にて、名指しで、その責任者たちを批判している。
われわれは、日本のバブル経済を生み出し、戦後最長の不況と1930年代以来という記録的な失業増加をもたらした責任者たちをつきとめた。 それは日銀内部の少数グループで、彼らは他の日銀スタッフによるチェックもコントロールも及ばないところで行動していた。円のプリンスたちである。 日本をコントロールしてきたのは彼らだった。彼らの名は三重野康、福井俊彦、そしてバブル生成の初期には彼らの師である前川春雄も加わっていた。 だが、もうひとつの謎は依然として残る。彼らは高い教育を受け、経験を積んだ人々である。それなのに、なぜ、そのような行動をとったのか? (『円の支配者』リチャード・ヴェルナー著 P.238より引用抜粋) |
因みにリチャード・ヴェルナーは、この日銀の責任者たちがアメリカの指示で行ったとまでは書いていないが、彼らの目標は、アメリカの要求に酷似していることを指摘している。
日本で今、流行っている”忖度”が働いたかもしれない。
米国の連邦準備理事会やウォール街の財界人たちの要求を空気を読んでそれとなくかなえたのではないかと思われる。
あるいは、彼ら自身が、日本の軍国主義時代に築かれた護送船団方式の経済体制(終身雇用制、年功序列制)を破壊して、日本を規制緩和、構造改革することこそが、日本の為、ひいては世界の為になるという理想を抱いていたかもしれない。
このバブル崩壊後の経済不況の責任は、大蔵省になすりつけられ、大蔵省は解体され、財務省に名前を変えた。
そして、日本銀行は、今は、政府からの独立性の高い機関になっている。
問題はこのリチャード・ヴェルナーの指摘、日本経済不況陰謀論が正しいかどうかである。

リチャード・ヴェルナーのチャートを作成すると、チャンドララグナが天秤座であり、木星が蟹座10室で高揚しており、金星がアスペクトして保護している。
また4、5室支配のヨーガカラカの土星が魚座6室に在住して、高揚する木星がアスペクトバックしている。
魚座や蟹座が非常に強い人物である。

この配置のため、日本の愛国主義、民族主義的な立場から、欧米の中央銀行の日本側のカウンターパートとなって働いているような日銀総裁(円のプリンスたち)の政策について批判をするような人物であることがよく分かる。
中央銀行や、ウォール街の金融財界人は、水瓶座や双子座で表されるが、リチャード・ヴェルナーの強い魚座や蟹座から見ると、それらは12室や8室のドゥシュタナハウスに在住しており、決して、愉快な相手ではない。むしろ不利益を味あわされる相手である。
因みに福井俊彦元日銀総裁のチャートを見ると、月は射手座と蠍座の境界線付近にあり、おそらく月は蠍座にあった可能性が高い。

何故なら、日銀総裁で、政策金利など政府の金融政策を決定する公的機関のリーダーであった為、10室で太陽が定座にあったと考えるのが自然である。
そうすると、土星が水瓶座でムーラトリコーナの配置であり、しかも土星はヴァルゴッタマで、天秤座から木星がアスペクトしている。
非常に水瓶座が強いことが分かる。
月が蠍座であれば、水瓶座で土星がシャシャヨーガを形成する配置である。

従って、福井俊彦氏は、水瓶座-双子座-天秤座の価値を推進する人物である。
10室の定座の太陽は強力な支配力、エゴを表わしている。
この福井俊彦氏が、水瓶座-双子座-天秤座の価値を体現する欧米の金融財界人、ウォール街の金融資本家たちの意向を汲み取って、同じ価値を共有して行動したことは容易に理解できる。
強いエゴを表わす太陽は、日本に市場開放や規制緩和、構造改革をもたらすためにわざと、金融引き締めを行ない、日本の経済の回復を遅らせるぐらいのことはやったのではないと思わせる配置である。
リチャード・ヴェルナーは、三重野康、福井俊彦、前川春雄らの日銀のプリンスたちが、日本が長く経済不況から抜け出せない原因を作ったと考えているが、これらの人々は、政府の経済への介入を少なくし、連邦準備銀行など各国の中央銀行が、国家の頭越しに世界を支配するという価値観を共有する人々である。
デヴィッド・ロックフェラーなどのウォール街の金融資本家の世界政府のビジョンに賛同していたと考えるべきである。
従って、三重野康、福井俊彦、前川春雄らの日銀のプリンスたちが、日本が長く経済不況から立ち直れない状況を作り、その責任を大蔵省に転化して、大蔵省解体のきっかけを作り、日銀の独立性を高める契機をつくったのである。
陰謀論的な意味ではなく、占星学的におそらくそうした価値観の下に行動したであろうことは推測できる。
リチャード・ヴェルナーと、福井俊彦氏のチャートを比較すると、そうした立場の違いを浮き彫りにしている。
因みに安倍政権下の黒田東彦日銀総裁は、異次元の量的緩和政策を行なって、日本のマネーサプライ(貨幣供給量)を増やそうとして来た。
量的緩和政策とは、日銀が市中銀行が保有する国債を買い取って(買いオペ)、銀行の日銀当座預金の残高を増やす操作である。
日銀当座預金の残高を増やせば、銀行は貸出を行なって、信用創造を積極的に行ってくれるとの期待をしてのことである。
然し、日銀が買いオペをしても、銀行は貸出を行なわず、日銀当座預金残高が積み上がるばかりである。
また政策金利もマイナスに設定して、銀行は日銀の当座預金に預けているだけで、金利がかかってしまう。
従って、銀行は積極的に貸し出しを行なうのではないかと期待してのことである。
然し、銀行の貸し渋りなどが問題となっている。
また現在、日銀の買いオペとは、量的緩和政策というよりも、日本の財政赤字をカバーするための財政ファイナンスに近いものがある。
財政ファイナンスとは、中央銀行が政府の発行する国債を直接引き受けることであり、第一次世界大戦後のドイツなどでハイパーインフレを招いた方法である。
現在、政府が発行する国債を直接、日銀が引き受けることは財政法第5条によって、特別の事由がある場合を除いて禁止されている為、一旦、市中銀行が国債を買い取って、その後、日銀がお約束のように市中銀行から買い取っている。
「国債の市中消化の原則」を形上、破っていないが、実質的には、日銀が直接、政府から国債を引き受けているのと同じである。
それで、国債発行残高の7割を日銀が引き受けているという。
こうした実質的な財政ファイナンスによって、円の価値が毀損し、インフレを招いている。
最近、物価が直ぐに上がるのはその為である。
政府は巨額の財政赤字を抱えているので、毎年、税収だけでは予算がまかなえず、国債を発行することによって予算を補っているが、その国債を日銀が直接引き受けるような状況は、末期的状況なのである。
リチャード・ヴェルナーの論点は以下である。
1. 日本は、市場開放、規制緩和、構造改革する必要はなく、日本の護送船団方式は、日本の強みである優れた方式であった
2. 日本のバブル経済は意図的に生み出され、意図的に崩壊させられ、その後、長期間の不況を日銀総裁たちによって意図的に作り出された
3. 日本の失われた10年、20年といった経済不況時に日銀は窓口指導で貸出枠を拡大し、市場にマネーを供給すべきであった
このうち、最も重要なのは、1.の意見である。
日本は、今の中国と同じように市場開放、規制緩和、構造改革など妥協して受け入れずに世界市場で、勝ち続ければよかったのである。
但し、こうした意見は、自国の経済的繁栄を優先する民族主義的、軍国主義的意見かもしれない。
3.の意見は、ミルトン・フリードマンのマネタリズムの観点になっている。
マネーを供給しさえすれば、経済の規模は拡大し、経済発展が生じるという短絡的な考えである。
現在、アベノミクスは、強い右翼的政権の意向により、日銀にほぼ直接、政府の国債を引き受けさせて、財政ファイナンスを行なっている。
然し、そうして日銀当座預金に積み上げられたお金は、市場に供給されずにそのまま日銀当座預金に積み上がるばかりである。
企業は内部留保などを蓄えていて、特に資本は必要としていない。
お金が必要なのは、企業ではなく、普通に働く一般の人である。
然し、政府がいくら異次元の量的緩和などを行なおうとも、普通の働く一般の人にお金が届かない。
何故なら企業は、一般の人に支払う給料を最低賃金に引き下げたからである。
ただ日銀の当座預金に残高が増えるだけである。
まずは正規雇用を減らして、非正規雇用を増やすという形であったり、とにかく企業は給料を支払いたがらない。
そして、内部留保として、いざという時の為にお金を蓄えるのである。
結局、日本は、市場開放、規制緩和、構造改革をして、日本の強みを失い、世界市場において、経済的に勝利することが出来なくなり、無駄な公共事業など行い過ぎたり、税金の垂れ流しで、巨額の財政赤字を積み上げた。
こうした状況の中で、強い経済の基盤がない所で、マネタリズム的な発想で、市場にマネーを供給しても無駄である。
リチャード・ヴェルナーの3.の意見のような状況はもう日本にはなく、窓口指導という言葉もあまり聞かれない。
もし日銀が窓口指導できるのであれば、銀行に貸し出すように強制するのもいいかもしれないが、銀行が貸し出ししたくても企業が必要としていないのであれば貸し出すことは出来ない。
日本は、財政ファイナンスをする所まで追い込まれたが、政府が発行した国債は、未来の若者たちが返済する国民の借金である。
この国債を市中銀行に買い取らせ、その後で、日銀が買い取り、日銀当座預金に残高が増えるが、その準備預金で、銀行はどこにも信用創造して金を貸し出すことが出来ず、経済を活性化することが出来ない。役に立たない無駄な残高である。
その日銀当座預金の準備預金は、未来の若者が返済する国民の借金である。
つまり、政府は未来の若者の金を日銀当座預金に積み上げて、それは誰にも還元されないで滞っている状態である。
リチャード・ヴェルナーが『円の支配者』を著してから、大分、年月が経過しているが、日本は、市場開放、規制緩和、構造改革をして、日本の強みを失って、経済戦争で敗北し、銀行による信用創造は、上手く機能しておらず、マネーが末端まで行き届かない。
銀行による信用創造の仕組みは全く機能していない。
従って、こうした状況の中で、役に立たなくなった銀行システムの代わりにビットコインや仮想通貨が登場したのである。
リチャード・ヴェルナーは、日本のバブル経済と、その後の長期の不況は、円のプリンスたちによって意図的に作り出されたと主張している。
実際、そうかもしれないが、春分点が水瓶座に移動するに連れて、水瓶座-双子座-天秤座の風のトライアングルが強くなっていくのである。
その運命に対して、蟹座に木星と金星が在住する愛国民族主義のリチャード・ヴェルナーが日本の立場に立って、日本国民の為に怒りを表明してくれたのである。
アベノミクスは、財政ファイナンスに近いことを行なって、財政赤字を国債の発行で賄い、買いオペで、量的緩和を行なおうとしても無駄な日銀当座預金残高を積み上げるだけで成果が上がっていない。
そして国民の厚生年金と国民年金の積立金(GPIF)で、日本の経団連の関連株を購入して、株価を釣り上げている。
最近の就職活動の状況を見ると、『大卒就職率、今春96%』日本経済新聞と出ているようだ。
従って、企業にはお金があるのだと思うが、働く一般市民にお金がないのである。
因みに銀行の信用創造の仕組みを批判する論客として、安部芳裕氏や天野統康氏がいる。
これらの方々が担ぎ上げているのが、経済学博士の山口薫教授である。
『公共貨幣』東洋経済新報社 では、政府の負債によるお金ではなく、政府自身が発行する政府紙幣が問題を解決すると主張している。
もし政府が紙幣を発行することができるとするならば、それはブロックチェーンを使った政府発行の仮想通貨として実現できる可能性がある。
これまでの銀行システムというものは、非常に維持にお金がかかる仕組みである。
コンピューターや独自に構築したネットワークなどのインフラや人件費、電気代などランニングコストがばかにならない。
こうしたものを維持するのは大変だから手数料や利子をもらいますよというのが銀行の論拠にもなってくる。
然し、こうしたコストがかからないでインターネット上で実現できるマネーシステムがある時、銀行システムの時代は終わりを遂げる。
リチャード・ヴェルナーが信用創造の仕組みを暴露してから20年以上過ぎた現在、世界には、新しいマネーシステムの可能性が見え始めている。




その時は戦前の取り付け騒ぎ同様の対処でしょうね。
大量に紙幣を刷りまくり、銀行やATMに配布します。
片面印刷になるかもしれません。
この後にインフレになるか否かは、受け取った国民がタンス貯金するか使用するかで決まります。
「このお金を人々が売買や交換などの経済行為を行なって、人々がいす取りゲームのように取りあうのだが、銀行が利子を取るため、流通しているお金は常に不足することになるのである。
つまり、銀行はローンで貸し付けたお金以上のお金を受け取るため市場には全ての人に行き渡るだけのお金がない為、生活していくには新たに銀行から借金をしなければならないのである。」
利子がついてお金が不足するので、現行の法定通貨はインフレするように出来ているのです。
ですから、数十年や百年で見ると、長期的には円やドル等の法定通貨は必ずインフレで価値が下落していますし、そうでないと利子が払えません。
「アベノミクスは、財政ファイナンスに近いことを行なって、財政赤字を国債の発行で賄い、買いオペで、量的緩和を行なおうとしても無駄な日銀当座預金残高を積み上げるだけで成果が上がっていない。」
財政赤字や国債発行はインフレ率・金利の許容範囲内なら無限に出来ますし、これからもずっと出来ます。
明治維新の頃に比べ、国の借金は3500万倍に増えましたから、財政赤字や国債発行は今は無問題です。
アベノミクスが失敗しているのは、日銀当座預金を社会保障や教育等の必要なことに使用してないからです。
リチャード・ヴェルナーの分析は殆ど正しいと思いますね。
現在の銀行制度や法定通貨の問題点は、利子や金利やインフレ等にあると思います。
仮想通貨なら、それらの問題が殆ど収まります。
様々な面を比較すると、法定通貨より仮想通貨の方が全体的に遥かに優れているでしょう。
唯一、仮想通貨が法定通貨に劣る点は富が偏りやすいという点です。
ビットコインは僅かの富裕層に大量の資金が偏っています。
金本位制のビットコインや仮想通貨は、価値上昇期待から富の保有者や量が偏りかねません。
一方の法定通貨は価値がインフレで減少していきますから、価値が減じる前に手放そうとして、保有者や量が仮想通貨よりかはまだ偏ってはいません。
そこで例えばリップルは、発行枚数を1000億枚にして、長期的に売却して保有者や量の偏りを是正しようとしています。
今後の仮想通貨がどうなるかは面白そうです。