ノーベル化学賞受賞・吉野彰氏のラグナを特定する - 受賞のタイミング -


リチウムイオン電池の開発者・吉野彰氏が、2019年10月9日、ノーベル化学賞を受賞したとニュースが伝えている。


吉野彰氏にノーベル化学賞 リチウムイオン電池を開発
2019.10.9 18:51 産経新聞

スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年のノーベル化学賞を、リチウムイオン電池を開発した旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。小型で高性能の充電池として携帯型の電子機器を急速に普及させ、IT(情報技術)社会の発展に大きく貢献した功績が評価された。

 他の受賞者は米テキサス大教授のジョン・グッドイナフ氏(97)、米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別教授のスタンリー・ウィッティンガム氏(77)。

 日本のノーベル賞受賞は2年連続で、17年に文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏を除き計27人となった。化学賞は10年の2氏に続き計8人。

 吉野氏はビデオカメラなど持ち運べる電子機器が普及し、高性能の電池が求められていた昭和58(1983)年にリチウムイオン電池の原型を開発した。ノーベル化学賞を受賞した白川英樹筑波大名誉教授が発見した電導性プラスチックのポリアセチレンを負極の材料に使い、これにグッドイナフ氏が開発したコバルト酸リチウムの正極を組み合わせて作った。

 その後、負極の材料を炭素繊維に変更することで小型軽量化し、電圧を4ボルト以上に高める技術も開発。同じ原理で平成3年にソニーが世界で初めてリチウムイオン電池を商品化した。

 ウィッティンガム氏は1970年代初め、世界で初めて電極材料にリチウムを用いた電池を開発した。

 繰り返し充電できる電池はニッケル・カドミウム電池などが既にあったが、性能を飛躍的に高めたリチウムイオン電池の登場で携帯電話やノートパソコンなどが一気に普及。スマートフォンなど高機能の電子機器を持ち歩く「モバイル(可動性)社会」の実現に大きな役割を果たした。

近年は電気自動車や人工衛星などにも用途が拡大。再生可能エネルギーを有効に利用する手段としても期待されている。

 授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、賞金計900万スウェーデンクローナ(約9700万円)が3等分で贈られる。


 よしの・あきら 昭和23年1月、大阪府生まれ。45年、京都大工学部卒。47年、京大大学院工学研究科修士課程修了。同年、旭化成工業(現旭化成)入社。平成4年、イオン二次電池事業推進部商品開発グループ長。9年、イオン二次電池事業グループ長。13年、電池材料事業開発室室長。15年、同社フェロー。27年10月、同社顧問。29年、名城大教授、旭化成名誉フェロー。

 16年、紫綬褒章。24年、米国電気電子技術者協会(IEEE)メダル受賞。26年、全米技術アカデミー「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」受賞。30年、日本国際賞。令和元年6月、欧州発明家賞。

吉野氏は1999年3月~今回ノーベル賞を受賞した2019年10月までの間にも数々の受賞をしており、ノーベル賞の受賞はここ最近、関係者の間で、期待され続けていたようである。


主な受賞など
1999年3月 (社)日本化学会より平成10年度「化学技術賞」(リチウムイオン二次電池の開発の功績)
1999年10月 米国Electrochemical Soc.より “1999 Technical Award of Battery Division”
(Pioneering work on lithium ion battery technologyの功績)
2001年4月 (財)新技術開発財団(市村財団)より「市村産業賞功績賞」(リチウムイオン二次電池の開発と製品化の功績)
2001年10月 (社)発明協会より「関東地方発明表彰文部科学大臣発明奨励賞」
2002年6月 (社)発明協会より「全国発明表彰文部科学大臣発明賞」
2003年4月 文部科学省より「文部科学大臣賞科学技術功労者」
2004年4月 日本国政府より「紫綬褒章」
2011年11月 財団法人材料科学技術振興財団より山﨑貞一賞
2011年11月 公益財団法人NEC C&C財団よりC&C賞
2012年3月 (社)日本化学会より「第5回日本化学会フェロー」
2012年6月 米国IEEEより「IEEE MEDAL FOR ENVIRONMENTAL AND SAFETY TECHNOLOGIES」
2013年6月 ロシアより「The Global Energy Prize」
2013年11月 公益財団法人加藤科学振興会より加藤記念賞
2014年2月 全米技術アカデミーより「The Charles Stark Draper Prize」
2014年10月 (社)電気化学会より功績賞
2016年9月 物質・材料機構より「NIMSアワード2016」
2018年4月 (公財)国際科学技術財団より「Japan Prize(日本国際賞)」
2019年6月 欧州特許庁より「欧州発明家賞」

(旭化成HPより引用抜粋)

まず、吉野氏は出生時間をどの時間に設定しても現在は、マハダシャー土星期の終わり~マハダシャー水星期の前半である。


マハダシャー土星期である2000年代から数々の受賞をしていることから、土星が、学問、科学(サイエンス)の世界で、高い評価を得るような配置をしていることが予想される。


土星や水星が機能的吉星化する水瓶座ラグナ、山羊座ラグナ、牡牛座ラグナ、天秤座ラグナ、乙女座ラグナ、双子座ラグナなどが考えられるが、種々検討の結果、ラグナは乙女座ラグナではないかと思われる。





但し、乙女座ラグナだと、月も乙女座に在住しており、チャンドララグナで事象の説明が出来てしまうため、通常のラグナも乙女座であることを識別するのは難しくなる。



然し、ノーベル賞を受賞した日のトランジットから、ラグナは乙女座で正しいのではないかと考えた。





もし乙女座ラグナであれば、トランジットの土星は11室の支配星にアスペクトし、木星は11室にアスペクトして、11室にダブルトランジットし、更に火星は11室の支配星にコンジャンクトしている。


また太陽も11室の支配星にコンジャンクトしており、月は少なくとも72時間以内に山羊座から11室にアスペクトしている。


従って、土星、木星、火星、太陽、月などが受賞(称号)を表わす11室に絡んでおり、このタイミングに受賞したことが納得できる。


特に乙女座ラグナだと太陽や火星が11室の支配星にトランジットすることがポイントである。



土星と木星が11室にダブルトランジットして、しかも火星、太陽、月なども11室に絡んでいるようなラグナは、乙女座ラグナ以外考えにくい為、乙女座ラグナで正しいと思われる。



そして、現在、4室射手座を土星がトランジットし、木星がまもなく4室に入室して10室にアスペクトする為、10室にダブルトランジットが形成されている。


更にラーフも10室をトランジットしており、それで世間の注目を浴びる時期である。




出会いと結婚


もう一つ手がかりとしては、結婚のタイミングであるが、吉野氏は学生時代に所属していた考古学のサークルで妻の久美子夫人と出会っている。



サークルに入部するのは大学入学直後であるため、おそらく1968年前後と思われる。



この時、乙女座ラグナであれば、土星が7室を通過し、ラーフも7室、ケートゥはラグナをトランジットし、木星は7室にアスペクトし、その後、ラグナをトランジットしている。





従って、この頃に結婚相手と出会ったことは納得できる。



実際の結婚は、1973年であり、ラーフ/金星期である。



ラーフは8室に在住して、結婚願望を表わし、金星は結婚生活の2室の支配星である。



吉野氏は、久美子夫人と出会った後、追っかけのようになってしまったそうだが、ラーフが8室に在住している為である。



木星は5室からラグナにアスペクトし、土星は9室からラグナロードの水星にアスペクトし、ラグナ(1室:7室からの7室)にダブルトランジットしていた。




学問適性(才能の分野)


吉野氏は、1966年~1970年まで京都大学工学部石油化学科で専門知識を学んでいるが、この時期は、ラーフ/土星期である。



土星は、ラグナ、月から見て5室の支配星で11室に在住し、5室にアスペクトバックしている。



因みに化学の分野への興味は、5室や5室の支配星と、水の星座や月との絡み、また土星、火星、ラーフ、ケートゥ、太陽などのテクニカルプラネットの絡みが考えられる。


この場合、土星は5室支配で水の星座である蟹座(月)に在住し、太陽からのアスペクトを受け、逆行の火星の影響を受けている。



従って、この配置が、吉野氏の化学への適性をもたらすと共に5室の支配星が11室に在住して、5-11のダナヨーガを形成している為、発明した創作物(5室)で、高い評価(11室)、あるいは収入(11室)を得たのである。



然し、この研究開発の過程は、苦労の連続であったようである。



石油精製企業からコークスという原料を購入しようとしても提供してもらえなかったり、部下が刑事の訪問を突然受けるなどのハプニングもあったという。



リチウムイオン電池は「信念の結晶」 ノーベル化学賞の吉野彰氏
2019.10.9 22:04 産経新聞

ノーベル化学賞に輝いた旭化成名誉フェローの吉野彰さん(71)が開発したリチウムイオン電池は、さまざまな新技術の結晶だ。開発過程では多くの困難に直面したが、「社会に必要とされるものを作る」という強い信念で実用化につなげた。

 川崎市にある同社研究所の係長だった吉野さんは昭和56年、ポリアセチレンという高分子を使って何か新しい研究ができないか模索していた。電池の負極材料に使うことを思い付いたが、電池として実用化するには、小型化に適した別の材料が必要だった。

 特殊な炭素繊維が社内で研究されていることを知り、これを使えば小型化できることを突き止めた。しかし、この繊維はまだ試作段階だったため、量産は不可能。市販されている炭素材料を100種類以上も試したが、どれも使い物にならず、肩を落とす日々が続いた。

 そんなある日、都内の石油精製企業を訪問すると、製品展示コーナーに銀色にきらめくコークスがあるのを見つけた。石炭を蒸し焼きにして作る炭素燃料だ。「間違いなく、よい性能が出る」と直感した。

 提供してほしいと申し出たところ、企業の担当者は「使用目的を明らかにしないと提供できない」。リチウムイオン電池を開発していることは企業秘密で、話せるはずがない。「1キログラムでも」と食い下がったが、「通常の取引量は船1杯分」と担当者。「せめてトラック1杯分を」と頼み込んだが、無駄に終わった。
 「このままでは開発が止まってしまう」。青ざめていた吉野さんの元に200リットルのコークスが届いたのは半月後だった。これをリチウムイオン電池の初期の負極材料に使った。「担当者には今も感謝している」と吉野さんは話す。

部下が突然、刑事の訪問を受けて慌てるハプニングもあった。電極に使う樹脂の候補として入手した試料の成分が、銀行強盗が使った催涙スプレーの成分と一致。国内ではほとんど出回っていない物質だった。社外秘の説明に窮した部下に対し、刑事はますます疑いを強めた。結局、吉野さんが事情を説明して何とか納得してもらったという。
 リチウムイオン電池の電極は、材料の混ざった液体を金属箔(はく)に塗って作る。開発段階では、この工程に使う装置を粘着テープメーカーから借り上げて試験を進めた。金属箔は当初、無数のしわが入り使い物にならなかったが、部下が原因を調べて解決してくれた。

 10年後、この部下は「もう時効だから」と吉野さんに打ち明けた。しわの原因を特定するため、100度を超える高温の熱風と、有毒な有機溶剤が蒸発している装置内に入り込んだのだという。「命に関わる危険な行為で、事前に聞いていたら許可しなかった。ただ、彼の働きで開発が進んだのも事実」と、複雑な思いを今も抱いている。

 開発過程で吉野さんの印象に最も強く残るのが、昭和61年の夏に行った野外での安全性試験だ。重りで電池を潰すと、従来の金属リチウム電池は発火。一方、リチウムイオン電池の試作品はへこんだだけで燃えなかった。これにより、致命的な問題はないとの判断が下り開発が本格化。「この試験こそ、リチウムイオン電池が誕生した瞬間だった」と振り返る。


 吉野さんは「研究開発には普遍的に大切なポイントが2つあり、そのバランスが大切」と話す。一つは、社会で何が必要とされるかをきちんと考えること。もう一つは、その実現のために新技術を生み出すことだ。「当たり前のようだが、現実は一方に偏りがち。リチウムイオン電池は、このバランスが取れて成功した」と話す。


こうしたトラブルは、5室の支配星に12室支配の太陽や、3、8室支配の火星が絡んでいるからではないかと思われる。


3、8室支配の火星は、刑事の訪問を招いた部下や刑事の表示体ではないかとも思える。(※後に述べるが、これはヴィーパリータラージャヨーガを形成している)



またリチウムイオン電池の試作品に厳しい安全性試験を行なったそうだが、延岡市にあった旭化成の化学薬品部門のダイナマイト試験場で行なったようである。


電池の上から鉄のかたまりを落としたり、ライフル弾を貫通させたりする「破壊試験」を繰り返して安全性を確認したという。



こうした試験は、いかにも5室の支配星に12室支配の太陽や3、8室支配の火星が絡んでいる象意のように思われる。



ダイナマイト試験場で試作品の「破壊試験」を行なっていたのである。




マハダシャー木星期の苦労


吉野氏は、1981年からリチウムイオン電池の開発に旭化成で着手し、1985年に開発に成功したという。



1981年は木星/木星期で、開発に成功した1985年は木星/水星期である。



つまり、その間が木星/土星期で、土星は5室の支配星であることから製品開発の過程で得た知識を更に製品開発に生かすなどの繰り返しにより、リチウムイオン電池の開発に成功したのである。


然し、開発した後、最初の3年間は、電池は全く売れなかったという。



1985年~1995年までは、木星/水星⇒ケートゥ⇒金星⇒太陽⇒月⇒火星⇒ラーフと推移しているが、開発したリチウムイオン電池が全く売れないなどの不遇を経験している。


これはマハダシャーの木星がラグナ、月から見て4、7室支配の機能的凶星だからである。また木星は3、8室支配の火星からアスペクトされて傷ついている。



木星/木星⇒土星⇒水星の時期は、アンタルダシャーが良い時期で、またマハダシャーの木星とケンドラ、トリコーナの位置関係であることから、辛うじて、リチウムイオン電池を完成まで漕ぎつけることが出来たが、マハダシャーが機能的凶星である為、木星期全体を通して、不運な時期であると言える。






マハダシャー土星期の躍進


然し、リチウムイオン電池は、1995年にWindows95が出て、IT革命が始まったタイミングで、爆発的に売れるようになったという。



1995年は、マハダシャー土星期に入ったタイミングである為、おそらくここから爆発的に売れ始めて、投資が回収できたため、マハダシャー土星期を通じて更に電池を改良したりといった形で、製品開発を続けたと考えられる。


また土星は5室支配で11室に在住している為、リチウムイオン電池が爆発的に売れて、世の中に評価され、収入の増加につながったり、受賞して名声を得たということではないかと思われる。


繰り返し示すと、土星期になってから、ほとんどの受賞をしているのである。


主な受賞など
1999年3月 (社)日本化学会より平成10年度「化学技術賞」(リチウムイオン二次電池の開発の功績)
1999年10月 米国Electrochemical Soc.より “1999 Technical Award of Battery Division”
(Pioneering work on lithium ion battery technologyの功績)
2001年4月 (財)新技術開発財団(市村財団)より「市村産業賞功績賞」(リチウムイオン二次電池の開発と製品化の功績)
2001年10月 (社)発明協会より「関東地方発明表彰文部科学大臣発明奨励賞」
2002年6月 (社)発明協会より「全国発明表彰文部科学大臣発明賞」
2003年4月 文部科学省より「文部科学大臣賞科学技術功労者」
2004年4月 日本国政府より「紫綬褒章」
2011年11月 財団法人材料科学技術振興財団より山﨑貞一賞
2011年11月 公益財団法人NEC C&C財団よりC&C賞
2012年3月 (社)日本化学会より「第5回日本化学会フェロー」
2012年6月 米国IEEEより「IEEE MEDAL FOR ENVIRONMENTAL AND SAFETY TECHNOLOGIES」
2013年6月 ロシアより「The Global Energy Prize」
2013年11月 公益財団法人加藤科学振興会より加藤記念賞
2014年2月 全米技術アカデミーより「The Charles Stark Draper Prize」
2014年10月 (社)電気化学会より功績賞
2016年9月 物質・材料機構より「NIMSアワード2016」
2018年4月 (公財)国際科学技術財団より「Japan Prize(日本国際賞)」
2019年6月 欧州特許庁より「欧州発明家賞」

(旭化成HPより引用抜粋)


マハダシャー土星期に入った直後から製品が爆発的に売れ始めて、世間から評価を得た為、このタイミングは乙女座ラグナであれば、説明することが出来る。



土星/金星期であった2002年~2005年の間は、政府から名誉を受けており、王になるという土星/金星期の象意が確かに表れている。


吉野氏の場合、土星の星位は強い訳ではなく、むしろ敵対星座に在住し、最終的に中立星位である。金星は友好星位であるが、最終的に中立星位である。


従って、その辺りも土星/金星期にとっては有利に働いている。(※ウッタラカーラムリタなどによれば、土星/金星期の場合、土星や金星の星位は強くない方がよい)


2002年6月 (社)発明協会より「全国発明表彰文部科学大臣発明賞」
2003年4月 文部科学省より「文部科学大臣賞科学技術功労者」
2004年4月 日本国政府より「紫綬褒章」

(旭化成HPより引用抜粋)

そして、今回、ノーベル賞を受賞したタイミングは、水星/金星/土星期である。



水星は1、10室支配で金星は2、9室支配であり、1-9、9-10の強力なラージャヨーガを6室で形成している。



そして、12室にアスペクトしているが、乙女座ラグナにとって、1、10室支配の水星と2、9室支配の金星のラージャヨーガは最高のラージャヨーガであるが、ノーベル賞で受賞した賞金を若手の育成のために寄付するというのは、こうしたラージャヨーガが6室(献身、奉仕、部下)に在住し、12室(出費、寄付)にアスペクトしているからである。



水星と金星は、水瓶座に在住しており、ディスポジターの土星は5室支配で11室に在住している為、このマハダシャー水星期も常に創作物によって高い評価を受ける時期であるが、プラティアンタルダシャーも土星であることによって、このタイミングでノーベル賞を受賞したのである。



因みに水星と金星は土星の星座に在住し、ディスポジターの土星はアーシュレーシャ(水星)に在住しているため、水星と関連している。



従って、土星期と水星期は関連性があり、土星期に主な受賞をしているが、水星期に受賞であってもおかしくないのである。



そして、水星と金星の強力なラージャヨーガは水瓶座で形成されているが、水瓶座は電気や精密機械を表わす星座であり、3、8室支配の火星(技術)のアスペクトを受けることで、電子工学を表わしている。


従って、化学と電気、工学に適性があることを表わしており、それがリチウム・イオン電池の開発につながったのだと分かる。




研究が試練の連続だったのは、3、8室支配の火星が、この10室支配の水星や金星を傷つけている為である。




リベラルで社会正義に関心のあるパーソナリティー

久美子夫人は、吉野氏の出会った時の印象として、「誠実で一生懸命。社会悪に立ち向かっていく」との印象を語っているが、水瓶座はリベラルで、平等や社会正義(社会的不平等の是正)に関心を持つ星座で6室の水星や金星は、共産主義や社会主義、学生運動などに傾倒していく配置である。


実際、吉野氏は次のようなビジョンがあるようである。


(略)現代社会は、あらゆるものが電気で動いているから、社会が円滑に動きつづけるためには、電気が長期に安定して安価に提供される必要がある。そのためには自動車に乗せたエネルギー密度の高いリチウムイオン電池を社会全体で共用するクラウド充放電システムを作ればよい
(ノーベル化学賞受賞! 吉野彰さんに大きな影響を与えた“2人の日本人”とは? 「リチウムイオン電池」開発までの“偶然に導かれた”舞台裏 文藝春秋 2019年11月号 立花 隆 より引用抜粋)
”社会全体で共用するクラウド充放電システム”というのは、有益な社会インフラを共用管理するという共産主義的な水瓶座的なビジョンである。




何故、ノーベル賞の受賞が今のタイミングになったか?

5室支配で11室に在住するマハダシャー土星期にほとんどの受賞をしたにも関わらず、何故、土星期にノーベル賞を受賞しなかったのかという疑問が残るが、水星期になってからも受賞は続いており、以下の受賞は水星期になってから起こっている。


2016年9月 物質・材料機構より「NIMSアワード2016」
2018年4月 (公財)国際科学技術財団より「Japan Prize(日本国際賞)」
2019年6月 欧州特許庁より「欧州発明家賞」

(旭化成HPより引用抜粋)


ノーベル賞に関しては、実際には、19年前の2000年頃に推薦を受けて、ノミネートされていたようである。


土星/水星期辺りのマハダシャー土星期のセカンドアンタルダシャー辺りである。


従って、既にマハダシャー土星期にノミネートは受けていて、単に順番待ちの問題だったようである。


然し、順番待ちで受賞できないのにもそれなりの理由があると考えられる。



土星は、5室支配で11室に在住して、5-11のダナヨーガを形成しているが、6室の支配星でもあり、逆行し、更に12室支配の太陽や3、8室支配の逆行の火星の絡みを受けて傷ついている。


従って、すんなりと簡単には受賞出来ないという象意があると考えられる。



但し、この土星に木星がアスペクトして問題解決を与える配置になっている。



今回のノーベル賞受賞のタイミングでは、木星が出生の木星にリターンしており、11室に在住する土星にアスペクトして保護している。



従って、今のタイミングは、受賞に関する問題を解決して、受賞を可能にするタイミングであったと言うことが出来る。





若手の育成に尽力 - マハダシャー水星期 -


吉野氏は、マハダシャー水星期に移行してから、大学の教授として学生の教育に当たっている。


2015年10月 九州大学 エネルギー基盤技術国際教育研究センター 客員教授
2017年7月 名城大学 大学院理工学研究科 教授(現在)
2019年6月 九州大学 グリーンテクノロジー研究教育センター 訪問教授

(旭化成HPより引用抜粋)

水星は、1、10室支配で2、9室支配の金星とコンジャンクトして、9-10のラージャヨーガを形成しているが、9室と10室の絡みは、慈善活動や教育活動により社会に貢献する配置である。


その水星と金星は6室(献身、奉仕)に在住して12室(出費、寄付)にアスペクトしているため、収入や利益などにはこだわらない活動である。



実際、ノーベル賞で受賞した賞金の一部を日本化学会に寄付し、助成事業の基金に加えるという。



水星をラグナとすると、木星が10室に在住しており、水星期になってから、教授になった理由がよく分かる。



マハダシャー水星期は、2031年5月まで続くが、吉野氏の今後の活動として、若手の育成というテーマが続くと考えられる。



もちろん水星期は、水星のディスポジターが5室支配で11室に在住している為、創造性を発揮する時期でもあり、教えるだけでなく自ら研究開発していく時期にもなっており、マハダシャー土星期、水星期を通じて、非常に充実した時期であると言うことが出来る。




ヴィーパリータラージャヨーガ

吉野氏の出生図で3、8室支配の火星が12室に在住する配置は、ヴィーパリータラージャヨーガである。


この以下の記事の中で、部下が突然、刑事の訪問を受けて慌てるエピソードが出てくる。


部下が入手した試料の成分が、銀行強盗が使った催涙スプレーの成分と一致した所から刑事に疑われるという一件である。


このことは吉野氏が事情を説明して何とか納得してもらったが、この同じ部下が、無許可で、実験で使う金属箔のしわの原因を特定するために100度を超える高温の熱風と、有毒な有機溶剤が蒸発している装置内に入り込んで原因を調べて、問題解決したようである。


リチウムイオン電池は「信念の結晶」 ノーベル化学賞の吉野彰氏
2019.10.9 22:04 産経新聞

ノーベル化学賞に輝いた旭化成名誉フェローの吉野彰さん(71)が開発したリチウムイオン電池は、さまざまな新技術の結晶だ。開発過程では多くの困難に直面したが、「社会に必要とされるものを作る」という強い信念で実用化につなげた。

 川崎市にある同社研究所の係長だった吉野さんは昭和56年、ポリアセチレンという高分子を使って何か新しい研究ができないか模索していた。電池の負極材料に使うことを思い付いたが、電池として実用化するには、小型化に適した別の材料が必要だった。

 特殊な炭素繊維が社内で研究されていることを知り、これを使えば小型化できることを突き止めた。しかし、この繊維はまだ試作段階だったため、量産は不可能。市販されている炭素材料を100種類以上も試したが、どれも使い物にならず、肩を落とす日々が続いた。

 そんなある日、都内の石油精製企業を訪問すると、製品展示コーナーに銀色にきらめくコークスがあるのを見つけた。石炭を蒸し焼きにして作る炭素燃料だ。「間違いなく、よい性能が出る」と直感した。

 提供してほしいと申し出たところ、企業の担当者は「使用目的を明らかにしないと提供できない」。リチウムイオン電池を開発していることは企業秘密で、話せるはずがない。「1キログラムでも」と食い下がったが、「通常の取引量は船1杯分」と担当者。「せめてトラック1杯分を」と頼み込んだが、無駄に終わった。

 「このままでは開発が止まってしまう」。青ざめていた吉野さんの元に200リットルのコークスが届いたのは半月後だった。これをリチウムイオン電池の初期の負極材料に使った。「担当者には今も感謝している」と吉野さんは話す。

部下が突然、刑事の訪問を受けて慌てるハプニングもあった。電極に使う樹脂の候補として入手した試料の成分が、銀行強盗が使った催涙スプレーの成分と一致。国内ではほとんど出回っていない物質だった。社外秘の説明に窮した部下に対し、刑事はますます疑いを強めた。結局、吉野さんが事情を説明して何とか納得してもらったという。

 リチウムイオン電池の電極は、材料の混ざった液体を金属箔(はく)に塗って作る。開発段階では、この工程に使う装置を粘着テープメーカーから借り上げて試験を進めた。金属箔は当初、無数のしわが入り使い物にならなかったが、部下が原因を調べて解決してくれた。

 10年後、この部下は「もう時効だから」と吉野さんに打ち明けた。しわの原因を特定するため、100度を超える高温の熱風と、有毒な有機溶剤が蒸発している装置内に入り込んだのだという。「命に関わる危険な行為で、事前に聞いていたら許可しなかった。ただ、彼の働きで開発が進んだのも事実」と、複雑な思いを今も抱いている。

 開発過程で吉野さんの印象に最も強く残るのが、昭和61年の夏に行った野外での安全性試験だ。重りで電池を潰すと、従来の金属リチウム電池は発火。一方、リチウムイオン電池の試作品はへこんだだけで燃えなかった。これにより、致命的な問題はないとの判断が下り開発が本格化。「この試験こそ、リチウムイオン電池が誕生した瞬間だった」と振り返る。


 吉野さんは「研究開発には普遍的に大切なポイントが2つあり、そのバランスが大切」と話す。一つは、社会で何が必要とされるかをきちんと考えること。もう一つは、その実現のために新技術を生み出すことだ。「当たり前のようだが、現実は一方に偏りがち。リチウムイオン電池は、このバランスが取れて成功した」と話す。

この部下は、刑事の訪問を受けたり、無許可で行動したりすることで、問題行動の見られる人物で、本来、吉野氏にとって頭の痛い部下のはずだが、実験の問題を解決するなど、良い働きもしてくれている。


おそらく、この部下の表示体が3、8室支配の火星なのである。


この火星が10室支配の水星にアスペクトすることで、吉野氏の行動にハプニングや中断をもたらす存在ではあるが、8室支配の火星が12室に在住していることで、ヴィーパリータラージャヨーガを形成しているため、何かよい象意に転換しているようである。


ちょっとしたエピソードであるが、明らかに3、8室支配の火星が12室に在住する象意である。




ダシャムシャ


乙女座ラグナで正しければ、今回、水星/金星期にノーベル賞を受賞したと考えられるが、ダシャムシャを見ると、水星と金星が減衰して相互アスペクトし、ニーチャバンガラージャヨーガを形成している。


減衰する惑星同士が相互アスペクトやコンジャンクションする場合、ニーチャバンガだが、この配置が、よく機能している事例になり得るかもしれない。







D11

D11(Iyer)を見ると、水星はやはり同じように減衰しているが、ディスポジターの木星と星座交換して、ニーチャバンガラージャヨーガを形成している。


またアンタルダシャーの金星は、減衰する太陽と星座交換して、ニーチャバンガラージャヨーガを形成している。





その他

最後にwikipediaによれば、吉野氏は、学生時代に考古学研究会に所属して、多くの時間を遺跡現場での発掘に当て、寺跡の調査と保存運動にも携わったと記されている。

考古学への興味関心は、5室への土星の影響が主に考えられるが、歴史学への興味は、土星と水星の絡みが重要になる。


土星は事実や具体性を重視し、水星は文献学や文献調査などを意味しており、歴史学とは、文献調査などから事実を積み上げていく作業である。


考古学の場合、土器や墓、骨など、発掘するのは文書に限らず、実際の具体的な物質(material)になる為、それで、5室に対する土星の影響が重要である。


また山羊座というのは、盆栽や着物、生け花など伝統的で古風なものが好きで、骨董品や美術品の収集などに興味を持ちやすい星座である。


5室支配の土星が5室にアスペクトバックする配置が、考古学への興味関心をもたらしたと考えられる。





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