月別アーカイブ: 2018年11月

インド占星術上級セミナー、プレイベント【大阪開催】結果報告

11月23日-25日のインド占星術上級セミナー大阪、直前に行った11月21日-22日のプレイベントなど、計7日間程の鑑定、セミナーツアーが無事終了した。


今回、最終的に計17名の方に参加頂き、プレイベントも全て枠が埋まり、イベントとしてきちんと形になったことは大変うれしいことでした。


この度、参加して盛り上げて頂いた皆様、ありがとうございました。




今回の内容は、昨年初めて行った内容の完成バージョンで、チャート読解のポイントを理解して頂いた上で、パラシャラとジャイミニのダシャーを使って、事象の起こるタイミングを読み取っていくというセミナー内容でした。


ワークショップ的にも行うことが出来た為、参加者も退屈せずに緊張感のあるセミナーとなったと思います。


東京、大阪で2017年から行った内容は、今回で、完結編となるため、後は、この内容を繰り返し、実践して技法を身に着けていくことがそれぞれの参加者の課題となって来るかと思います。


その実践する中で、色々発見や気づきというものがあり、知識が本当に自分自身の知識として定着していくプロセスが体験できるかと思います。




ジョーティッシュの学習には、同じチャート、同じ事例を何度も見方や角度を変えて繰り返し見ていくということが大切であり、そうした繰り返しで、チャートの惑星配置や度数まで全て覚える位まで、実践出来れば、それは素晴らしいと思います。


そんな訳で、今後もこの内容を繰り返し、提供していくと思いますが、イベントとして、次回、開催する際には、更に別のテーマも必要になってくるかと思います。


まだ手付かずのテーマが色々とあるため、そうしたものにも取り組んで、また準備出来次第、イベントを開催する予定でおります。


【セミナー参加者の感想】


基礎的なことは、学んできましたが、今回初めて知ることばかりで、とても楽しかったです。新たな技法を教えていただいたことで、さらにインド占星術が面白くなりました。
もちろん私自身、実践にはほど遠いですが、知りたい欲求が、さらに強くなった講座でした。

(大阪府 Y様)



一日プラス3日間ありがとうございました。私色々騒がしくしてしまったので、長文感想をお礼を込めて書かせていただきます。
まだ勉強始めて半年くらいなのにこんなすごいセミナーに参加させてもらってまずはじめに感謝いたします。初心者のプライベートの講座で、先生が覚えるんじゃなくてやっていくうちに覚えなくてはいけない。そしてイメージすることが大切とおっしゃられてた意味がよくわかりませんでした。せっかく覚えたのに…と。でも、上級の三日間のセミナーでその意味がよくわかりました。覚えただけではつかえない。私は文字を覚えただけでした。内山先生の講座で全く初めてなのは私くらいで他の方は何年もされてたりとか少し知ってる方ばかりで、私はいつか習いたいなぁくらいで難しそうだからと鑑定を受けた事も半年前がはじめてでした。みなさんと同じように早くチャートをみれるようになりたいと焦ってた自分に気づきました。皆さん色んなチャートで勉強されていて、早く私も同じくらいにと思ってたみたいで。3日間上級コースですから難しいです。でも、基礎、基盤は覚えるんじゃなく理解しないと正確にチャートを見れないということがわかり、理解できまた自分が勘違いしていたり間違えて覚えていたこともわかりました。参加しなければ私は間違えたまま覚えてそのまま先へと進めてチャートを読むようになってたと思うと恐ろしいです。また、たくさん色々な事例をみなさんとさせて頂いてなんとなくですが、理解できました。自分ではもちろんまだまだ無理ですが、上級でも、初心者にわかりやすい説明。そして飽きない授業の進め方。的確な応答…。

仕事が忙しくてなかなか勉強できてないですが、ふとしたときにチャートをイメージし、覚えるんじゃなくて納得きちんと理解できるまで何度も同じところを読みイメージし復習しております。初心者でも気付きがありましたし、これだけがっつり教えてもらえてたらこれから学んでいく上でのかなりの予習にもなりました。内容は理解できましたが、それをつかうとなるとまだまだ無理なレベルですが楽しかったです。あんなに密度の濃いすごいセミナーを本当にありがとうございました。このセミナーに参加させて頂け本当に良かったです。ありがとうございました。

(大阪市 ももぢ様)



初めてセミナーに参加しました。2日目のみの参加で、この時には前半はパラシャラのダシャーを使って事象の起こるタイミングを考察し、後半はジャイミニの基礎のおさらいでした。テキストも丁寧に作られており、講義もわかりやすかったですが、もっともワクワクしたのは他の参加者の方々もよく勉強しておられ、様々な方のチャートの読み方を聞くことができた点で、大変刺激になりました。インディラガンジーのチャートを覚えていたり、そのの生涯について詳しく話したりなど、普段インド占星術に関わる方と話す機会がないだけに、参加者の方々の意識の高さに驚かされましたし、懇親会でもインド占星術用語で会話ができたのがとても楽しかったです。また機会があれば参加したいと思います。有難うございました。

(京都府 Yoshi様)



ホロスコープの検証が中心だったのでとても勉強になりました。特にディスポジターをよむことが重要だと感じました。一人ひとり検証をシェアしていくスタイルが良かったです。ありがとうございました。

(大阪府 YS様)



三日間お世話になり、ありがとうございました。
大変刺激的で脳味噌フル回転の三日間でした。

先生の説明を聞いている時は理解できたように思いましたがいざ自分で読み解くワークに入ると焦るばかりで知識が身についていないのがよくわかりました。

どういう優先順位で技法を使うかを知ることが大事だと先生がおっしゃっていたのも印象的でした。
まさにそこが自分のわかっていない部分だと思います。

実際の事例に当たって経験を積むことの大事さね感じました。
この後セミナー中に触れられなかった残りの事例で自主勉強をしていきます!

(関西地区 H様)



3日間の上級講座、新たに発見する内容もあり、とても楽しく受講できました。
今回は一人ひとりが考えて発言することがあって、ただ聞いているだけのものではなく、より内容を深めることが出来たと思います。
とりわけジャイミニでの使い方やダシャーでの解釈の仕方が自分の勉強の参考になりました。

(西宮市 内山 真月様)



お世話になりました。技法の解説もさることながら、全員が考えて発言するという演習形式は、良い刺激になりました。
みな積極的に取り組まれ、得る所の多い三日間だったと思います。

(大阪府 S様)



遅くなりましたが。
鑑定、講座ともにありがとうございました。
とても刺激的でした。

【プレイベント】
割ととりとめなく、散漫にいろいろお尋ねしたので、この人何が聞きたいねん、てなってたかも知れません。。鑑定兼個人レッスンでした。

自分でも勉強していますが、ざっくり見るばかりでボンヤリしていたのが、気になっている事などいろいろ質問して読み解いて頂き、とても勉強になりました。後でもっとあれこれ知りたくなって、自分でもまた改めてチャートを眺めました。

あと、ちっさな事ですが、チャートの赤字の書き込みが端的で参考になりました。
毎度、ついあれこれ書き込んでは、グチャグチャになって読みづらくてまた別の紙を用意して、紙の整理がつかないのが鬱陶しかったのですが。あんまり汚さずに必要な要素だけ書くのだなーと。
今更ながらこんな風に書いとけばわかりやすかったんだ!と収穫に思いました。

他人からはすっごい楽天的に見えるらしい、という話をした時に、どうしてだと思いますかと、逆に尋ねられて。なんか木星が強いから、と言ってしまいましたが、後で木星在住の蟹座にALがあったのを見て、あ、コレだったのかと思いました。

【講座】
初日のみの参加でしたが、テキスト資料一式頂けたことが、とてもありがたかったです。まだ全てに目を通せてはいないので、勉強してゆくのが楽しみです。

講座時間はあっという間でした。
冒頭で下敷き?に加工してくださってた友好敵対関係の解説。今まで覚えるしかない??、と敬遠していたテーマでしたが、何故そうなるのかの説明が分かりやすく、苦手だった部分の理解が進みました。
また、おかげで以前、あるところでオススメされた処方の考え方に納得がいきました。

身に着け駆使できるように、たくさんのチャートを取り組むのが課題だなと思いますので、頂いたチャート集頑張ります。が、惑星の関係を分析したところから何が起こったかという読みに繋げるとこが、早速とても難しいことを発見してる次第です。
焦らずじっくり続けて行こうと思います。

(奈良県 S.W様)


















スポンサーリンク


スポンサーリンク

インド占星術上級セミナー【東京開催】結果報告

9/8(土)、10/20(土)、11/17(土)とインド占星術上級セミナーを3日間に渡って開催して来たが、先週土曜日で完了した。


各回とも休憩時間を除くと正味5時間30分ぐらいの時間があったが、説明していると5時間半などあっという間に過ぎてしまう。


そして、最後に時間切れとなって、まだあれも紹介したいし、これも紹介したいが、まだ次回にしたいと思いますといった感じで、終了するのである。


先週の土曜日(2018/11/17)の第3回目は、ジャイミニのチャラダシャーの計算と基本的な解釈方法から始まって、マンドゥークダシャー、パダナダムサダシャー、ナヴァムシャダシャー、スティラダシャー、ニラヤナシューラダシャーなど、ダシャーの計算方法と、それを適用した解釈の実例をそれぞれ2~3つ説明するのが精一杯であった。




本来ならば、1つのセミナーで1つのダシャーを行なうぐらいの内容である。


然し、全体像を素早く把握して、それで細かい部分を学習していくのが最も効率の良い学習法である。


従って、一つ一つにじっくり時間をかけるのはまた後でもいいのである。


ジャイミニのダシャーは本質的に全く同じもので、計算方法が違うだけで、解釈は全て同じだということ、そして、それぞれのダシャーには、細かい違いがあるが、共通する部分も多く、結局は似たようなことを繰り返しているに過ぎないことが分かればいいのである。


そうすると、それぞれのダシャーのことを更に詳しく学習する際により理解が早まるのである。


そのように受験勉強などでもそうだが、最初に全体像を網羅して、それから部分を詳しく学習していくというのは、ポイントである。


このジャイミニの講座を用意する中で、ダシャーを計算する機会も多くなったが、ジャイミニ系のダシャーの簡潔で明快な所など、素晴らしさを改めて体感した。


また自分自身の現在進行中の出来事もジャイミニ系のダシャーで検証すると、それらが味わい深く説明することが出来る。


それらの精度は怖いくらいであり、簡単なので知りたくないことまで分かってしまうと言った所も怖い所かもしれない。




そうした意味で、今後もパラシャラとジャイミニの両方を使って起こった事象を説明していくセミナーは、開催していく予定である。


またそれぞれのダシャーをより詳しく実習、訓練していく内容などもやりたいと思うのである。


ジャイミニで大事なことは手計算で素早く割り出すことである。


そして、ラグナから順番にダシャーを計算しながらその意味も解釈していくということである。


ソフトウェアで出した結果を使うと、そうした順番が再現できないのだが、計算しながら解釈していくということが案外重要である。


パラシャラでもそれは言えるかもしれない。


従って、今後、出生図を天文暦を使って手計算で、計算してチャートを作成し、その上で、パラシャラシステムとジャイミニシステムで、起こりそうな事象を検討して、実際にその時期にそれが起こっているかを確かめていくといったそうしたセミナーを開催したいと思うのである。


そこまで1から10まで、パソコンソフトを使わずに天文暦だけ使って全てできるようになれば完璧である。


そうした質の高い講座内容をどれだけ出来るか、どれだけの人に受講してもらい、どれだけの人に理解してもらえるかが今後の課題である。


そして、そうした講座内容は、例えば、最近、インド古典音楽をされている方から色々聞く機会もあるが、技芸の習得は、学習というよりも訓練に近いものである。


例えば、同じ基本的な動作を何度も繰り返して、無意識的に出来るようにまで繰り返すのである。そして、基本的な動作が出来るようになるまで先に進むことが出来ない。



そうしたものが伝統的に行われている訓練である。



おそらくジョーティッシュの習得もそのような繰り返しの訓練によってしか身に付かない類の技芸であると考えらえる。



私は、毎日、チャートを眺めて、頭の中で、トランジットの惑星を動かしたり、アスペクトを検討したりといったことを日常的に繰り返しているので、基礎的な訓練が日常的に出来ている。



それでもあまり使い慣れていないチャラダシャー以外のジャイミニ系のダシャーを使う時は、自分で作った資料を見返したりしながら、やはり何度も繰り返し使っていくしかないという感じである。



日常的に鑑定実践の中で、使っていかなければ決して身に付かないのである。



それが時々、思い出したようにジョーティッシュのことを考えて、セミナーに来て学習するような方は、中々それが出来ていないので、苦労するし、また訓練しないので忘れてしまうのである。



通常のセミナーは、知識を紹介しているだけであり、訓練ではないのである。



然し、技芸を身に着けることは、練習や訓練によってのみ可能である。



ジョーティッシュ学習というものは、案外、知識の習得というよりも、毎日繰り返し実践することによって、計算の手順、解釈の手順を無意識で出来るようになるまで、訓練することなのではないかと思うのである。



つまり、知識の身体化である。



今後、私は出生図を手計算で作成した後、パラシャラやジャイミニのシステムによって、計算、下準備から解釈まで、トータルで行うようなセミナーを開催したいと思っている。



パラシャラシステム、ジャイミニシステムの重要な所はある程度、まとめることが出来た為、知識を身体化させるプロセスを講座参加者の方と共に行っていくというのが、私の今後の課題である。



ナクシャトラや、アシュタカヴァルガ、ヴァルシャファラ、ムフルタなどやりたい個別のテーマはあるが、然し、基本的な流れとしての学習スタイルとして、そうした1から10まで全て行う学習システムを早く確立したいと思っている。
















スポンサーリンク


スポンサーリンク

自己啓発と私 - カウンセリング諸理論を概観して-

私は以前、『カール・ロジャーズ - 晩年の目覚め, “プレゼンス(存在)”-』という記事を書いた。


実は何故、これが書けたかと言えば、私はこれを書いた時、産業カウンセラー養成講座という7ヶ月の実践コースに通っていたからである。


月3~4回のペースで無理なくカウンセリングや心理学の一般的な教養について学び直すことが出来た。


座学でカウンセリングの一般教養を学び、実習で、カール・ロジャーズの来談者中心療法、傾聴の技法を体験していくコースである。


先日、その養成講座の最終日で、打ち上げで、他の参加者と無事修了したことを祝ったばかりである。


その修了式の際に面白いことがあったので、それは後で綴りたいと思うが、今回、非常にまとまった時間をこれらの学習に費やすことができ、有意義な時間であった。




元々私はカウンセラー志望であり、この道こそが私の進むべき道だと思っていた。


高校を卒業して大学受験に失敗して、一浪していた時に書店で見つけた元早稲田大学教授の加藤諦三氏の教養本で、エーリッヒ・フロムやカレン・ホルナイなどの新フロイト派、フロイト左派と呼ばれる人々の理論が紹介されていた。

そこで、弱気であるのに強気に振る舞おうとしたり、自分の本音や本心、ありのままの姿とは別の自分に必死に強迫的になろうとする複雑な心理状態が説明されていた。

この時点で、自己概念と自身の体験を一致させる(自己一致)というロジャーズの概念について出会っていればよかったがこの時点ではまだ知らなかった。

然し、この加藤諦三氏の本との出会いは、稲妻のように私に衝撃をもたらした。


本屋で立ち読みしながら、私は過去においていかに自分が本当の自分ではない自分になろうと無駄な努力を続けて来たかということを悟ったからである。

周囲の人間の期待に応えて、自分ではない自分を演じたり、振る舞ってしまうという努力についてそれがいかに無益で、害のある行為であったかをその一冊で理解できたからである。

その本屋で本を買わずに本屋を飛び出して、私は嗚咽を上げて泣きながら家路についた。


こうした衝撃的な気づきというものはしばしば自己啓発セミナーでもたらされるもので、実際、後日、私は自己啓発セミナーに参加した際に同じように嗚咽を上げながら泣いている人を何人も見たことがある。


それらの人たちもまたそのセミナーで初めて自分の人生を完全に変容させてしまうような新しい概念に出会い、自己洞察(気づき)を深めたのである。


参加するのに数十万円かかる自己啓発セミナーと比べれば、私の本屋の立ち読みでの衝撃的な気づきは、その効果や価値に対して、随分、安上がりで、コストパフォーマンスの良い体験と言えるかと思う。


この一浪当時は、私はジョージ・アダムスキーのUFO著作集にはまって、東京タワーの下で行なわれていた日曜定例会に参加したり、チャネリングというものに興味を持ったり、精神世界へ興味を持ち始め、自己探求の旅が始まっていた。

そして、この頃、精神世界を探究すると同時にこの浪人中にクリシュナムルティーやラジニーシの著作に出会って、本当のありのままの自分になるということの概念を深めていった。


今思えば、エリク・H・エリクソンが言うモラトリアムを経験していたと言える。



そうした体験があったため、1年目はただ皆が大学に行くから自分も行くといった形で、目的意識の乏しい受験生活を行なっていたが、一浪中にそうした衝撃的な体験があったため、進路を心理学に変更し、私は将来的には心理学のプロになるのだと決めた。


将来的な自己イメージは、クライアントに心理カウンセリングを行っているカウンセラーとしての姿である。


不思議なことにそのイメージはそのまま実現するのではなく、ジョーティッシュの鑑定師という形で実現したのである。



心理学を学習するようになって、精神分析が私の最も関心のある分野であったが、特にアンナ・フロイトの防衛機制という概念が非常に気に入った。


人間は日常的に自我が自分の欲望に直面したくない為に様々な防衛機制によって、その直面化を避けるのである。


抑圧、投射、反動形成、置き換えなどなどである。


そして、学習をすすめるうちに自己愛性人格障害(ナルシズム)のメカニズムを解明し、健全な自己愛の発達過程について研究したハインツ・コフートの自己心理学が私の関心に最も適合するテーマのように思えた。


特にハインツ・コフートが臨床的に記述した変容性内在化(transformative internalization)という概念に私は強く惹かれた。


それは父親や母親の鏡映機能を通じて、自己の中に父親の強さや母親の優しさといった性質が取り込まれ内在化していくというプロセスである。


健全な家族関係の中でこのプロセスが正常に進めば、健全な自己愛や自信を持った正常なパーソナリティーになるが、このプロセスに失敗すると、誇大自己を抱えてはいるが、過度に他人からの評価に振り回されやすい、自己愛性人格障害(ナルシズム)に至るのである。


このパーソナリティー障害は自己の過大評価と過少評価の中で揺れ動くのが特徴である。


他人からの評価に敏感で、自分を高く評価する人間を高く理想化するのである。


従って、自己愛人格障害の独裁者というものは、自己の周囲にイエスマンを集めて、自己愛の中に埋没してしまう。


まさに「裸の王様」状態である。


アドルフ・ヒトラーがこのような自己愛性人格障害ではなかったかと言われている。


この自己愛性人格障害(ナルシズム)は、名前こそ人格障害と付けられているが、健全な人格と紙一重であり、例えば、競馬や競輪の選手や、アイドル、サッカー選手などのスターにのめり込んで同一視(同一化)する大衆的心理にも表れている。

他人を自己愛延長物として体験する同一視のメカニズムとして多かれ少なかれこの心理状態が顕現する。



メラニー・クラインは、母子の太古的な一体状態から自我が分離固体化していく過程についての臨床経験から対象関係理論を構築したが、乳幼児は、自分の欲求にうまく応じる母親を「良い乳房」、欲求にうまく応じない母親を「悪い乳房」として、全く別の存在として分離して認識するのである。それらを同じ1人の母親として認識できない。


従って、「良い乳房」と「悪い乳房」が統合された安定した対象像が得られないため、他人との安定した二者関係を築くことが出来ない。


この発達段階への固着は、統合失調症(精神分裂病)の発症原因と考えられている。



一方で、これよりももう少し後の発達段階での固着は、境界例、境界パーソナリティー障害と呼ばれており、やはり、他人からの評価に振る舞わされやすく、自己評価が安定しない。


症状の深刻度としては、統合失調症(精神分裂病)と自己愛性人格障害(ナルシズム)の中間ぐらいである。



そして、この次の段階に該当するのが、自己愛性人格障害である。



統合失調症(精神分裂病)---境界パーソナリティー障害---自己愛性人格障害---健全なパーソナリティー



発達段階への固着を古い順に並べると上記のようになる。




自己愛性人格障害とは、父親や母親の鏡映機能を通じて、自己の中に父親の強さや母親の優しさといった性質が内在化するプロセスにおいて何らかの失敗があったと考えられている。


つまり、この段階で外傷経験があり、この段階への固着があるために誇大自己イメージを抱えていたり、過度に他人からの評価を求めてしまうのである。


現代社会では、父親不在の世の中で、母子関係が密になり過ぎてしまい、この関係を適度に切断する父親の機能が働かない為に変容性内在化の過程が上手く進行しないのである。


変容性内在化の過程が上手く進行するには万能の自己、太古的な誇大自己が満たされない適度なフラストレーションを必要とする。


従って、誇大自己を抱え、他人からの評価に依存する未熟な人間が多くなっており、社会に出て上司に怒られると直ぐに会社を辞めてしまったり、自分はもっと重要な仕事を与えられるべきといった過度に主観的な過大な自己像を持つ若者も増えていると言われている。


また年下の男性と年上の女性のカップルというのも増えていると言われている。


あるいはその逆もあるかもしれないが、これは母親の鏡映機能をパートナーに求めるまだ大人になりきれない未熟な男性が母子関係の次のステップアップとして選択できるハードルの低い恋愛だからである。


所謂、マザコンの男性が増えているというのは、このコフートの自己心理学で説明可能である。



私はこの当時、まだ新しかったコフートの自己心理学を学習し、学生時代の宗教活動などで良い人間関係に恵まれたことなどから、変容性内在化を転移によって再体験することができ、自己愛性人格障害、神経症の症状をクリアすることができ、健全に近い状態にまで発達を遂げることが出来た。


こうしたことから、私は心理学に関しては、難解なコフートの理論を理解するだけの才能があると自負を持つに至り、こと心理学について話す時の私は、誇大自己的で鼻のつく自慢げな態度になってしまい、人に不快感を与えるようである。


これこそが自己愛パーソナリティー障害的な振る舞いである。


こと心理学の分野については、私が最も得意とする分野であるだけに過度に他人の評価を求める自己愛的な未熟な自分が出てきてしまうようである。


私は心理学を学習してきたといった話を人に聞かせる時、その相手が途中で、困惑気味な嫌な顔をするのを何度も見てきた。


おそらく私が何か話している最中に自慢げな誇大自己的な態度が表出するためだと思われる。



実際の私は、心理カウンセラーのプロとして生きる道は、途中で断念せざるを得なくなってしまった。



当時、神経症に苦しんでいた私は、大学の授業に参加することが出来ずに宗教活動に入り浸っていた。



そこで業(修行実践)を行ない、何とか、その状態から抜け出す努力をせざるを得なかったのである。



それだけが、生き残る唯一の希望だった。



その当時の主観的状況について人に言っても理解してもらえないかもしれないが、異常な危機的状況にあり、私なりに言えば、生と死をかけた闘いを行なっていたのである。



大学の自由過ぎる人間関係、お行儀のよい講義や距離感のある教授陣、そうしたものは私にとっては何の助けにもならず全く無意味だった。



授業に参加しないので、大学の単位を大量に落として、2年半も留年する羽目となってしまい、本当は更に心理療法などの知識を深めたかったが、経済的心理的な理由から、強制的に社会人となるしかなくなったのである。



以後、私はフリーターのような形で社会に出て仕事を転々としつつ、ITエンジニアといった仕事に辿り着き、全く自分に才能が見出せない業界で、仕事を続ける羽目になった。



話を産業カウンセラーの養成講座に戻すが、そうした以前の経験があったので、私は内心、心理学など私の得意分野であって、他の人よりもよく知っており、自分は既に講座を受ける前から内容はよく分かっているという少し他の参加者を下に見るような気持ちで参加していた。


私は知識、経験において他の参加者よりも圧倒的に上回っており、そこで教えられることは私が既に知っていることであり、その知っていることを再確認しに行くだけであるといった態度である。


然し、実際に講座を受けていたこの7ヶ月は、私にとって学生時代に取りこぼした多くの知識を再度、深く吸収し理解する為の貴重な時間となった。


特に実習の方は、まさに養成講座自体が、カール・ロジャーズ自身が晩年に活発に行っていたエンカウンターグループそのものであった。


指導者は一応いるのだが、カール・ロジャーズの民主的な考え方に沿っており、指導者は「先生」と呼ばれて権威づけされずに「さん」付で親しみのある感じで呼ばれるのである。


参加者同士が、お互いに相手の話を傾聴し、人の存在が鏡のようになって、自分の内面を深く探究することが可能なのである。


つまり、自分と他人のどちらが劣っているか優れているかといった競争的な考えではなく、全ての人に異なった背景、違いがあり、人は皆、人生の旅人であり、等しく価値のある存在である。


そうしたことが頭ではなく、体験的、実感的に分かるといったセミナーである。


人には様々な人生があり、そこで様々な課題やドラマに直面しており、自分が体験できないような体験をそこで行っている。


そうした他人の存在は、自分を映し出す鏡であり、そうした他人を通じて、初めて自分の姿を見ることが出来るのだから、他人はかけがえのない存在である。


そして、この協会には単に知識だけの頭でっかちな人間ではなく、全く社会的には無名の本当の実践者たちがいるのである。



私は講座に参加する前は、少々知的に尊大な態度であったかもしれないが、講座が終わる頃には全く謙虚な気持ちになっていた。



これだけ様々な人生を開示してくれて、自分の人生の洞察を助けてくれたのは、他の参加者のおかげなのである。



それは少し拡大して考えれば、それは全ての人間関係に言えるかもしれない。



社会を構成する全ての人々が自分とは違う人生を歩み、何らかの課題やドラマに直面する価値のある存在である。



私にまだ強固に残存していた心理学の分野では他の人間よりも優れているというこの歪んだプライドは、まさに今回、捨て去られた。



知識や才能よりも重要なのが、実践やつながりである。



その中で培われた経験や創造が本当の成果である。



様々な人生の様々な経験とその経験から掴んだ実践知は、優劣や甲乙をつけがたく、それは等しく価値のあるものである。






この経験をしている現在、私の9室(グル、真理)には土星がトランジットしている。



カール・ロジャーズは、月、太陽、土星、水星が射手座に惑星集中しており、典型的な射手座の人物である。


ロジャーズの人間観は、アブラハム・マズローと共に人間性心理学に属するものであり、生命体の中にある実現傾向を信じる楽観主義的なものである。


まさしくこれは射手座の考え方である。


ロジャーズは、厳格なキリスト教プロテスタントの原理主義の家庭に生まれ、両親は、飲酒やギャンブルを禁じ、ダンス・観劇なども認めず、家族間の強い絆を求めて、勤勉さを要求したようである。


原罪という自分を拘束し条件づける考え方を嫌い、そうしたキリスト教の道徳観念から逃れて自由になることが青年期のテーマであったようだが、然し、それにも関わらず、ロジャーズの楽観主義はキリスト教的である。


キリスト教は魚座の宗教であるが、魚座から見た10室目(行動のハウス)には射手座が位置しており、射手座はキリスト教徒の振る舞い方を示す星座である。


それは人生は自由に変えていけると信じる楽観的な世界観で彩られている。




この9室の射手座に土星が通過している時に私はロジャーズの養成講座に参加することになり、ロジャーズの教えを学ぶことになった。


このタイミングは、ロジャーズにとっても特別なタイミングなのである。


ロジャーズは月、太陽が射手座に在住し、土星も射手座のため、土星がリターンしているからである。



この養成講座は、座学で、教授陣、経験者から直接、講義を聴けるのは今年が最後で、来年からは全てインターネットによる通信制になるようである。


実技自体は、これまでのように行われるようであるが、座学が無くなったため、講座の期間自体は、大分、圧縮されるようである。


そういう意味で、私が講座を受けたタイミングはこれまでのやり方の最後のタイミングであったようである。



言わば、締めくくりのタイミングと言ってもいいのかもしれない。



射手座は自己啓発の星座であり、一言で言えば、養成講座とは、自己啓発セミナーそのものである。



私もこれまでに自己啓発セミナーに参加した経験があるが、実際に体験的に意識や考え方の変容を目指すのは、ダイナミックな射手座のアプローチである。



それは極めて実践的である。



射手座の自己啓発セミナーでは、参加者の存在自体が、他の参加者の体験となるような体験共有型の工夫が施されている。



それはカールロジャーズが晩年に盛んに実践したエンカウンターグループそのものである。




カウンセリングの技法としては様々なものがあるが、もしカウンセラーやコーチング、どんな分野でもよいが、教師(講師)になろうと考えている人は、カウンセリングの諸理論を学ぶことが必須である。


何故なら、木星は教師(グル)の表示体であるがその木星が最も自分の星座で強力(ムーラトリコーナ)になるのが射手座だからである。


火の星座であり、ダイナミックに人生を変容させることを目指すのが射手座である。


一方で、魚座の場合は、スピリチャルや宗教的な特徴が出て、道徳的宗教的な教育になり、また蟹座だと保護者的、滋養的、育成的で、幼児教育とか、母性的な教育、保守的な安全志向のアプローチである。




特に射手座の自己啓発セミナーは、カール・ロジャーズやアブラハム・マズローの人間性心理学派、そして、『夜と霧』のヴィクトール・E・フランクルの実存主義的アプローチ(ロゴセラピー)、精神分析の影響を受けている。


実存主義的哲学は、物に関しては、プラトン哲学が言うように実存よりも本質が重要であり、そちらの方が真実在であるが、こと人間に関しては、実存が本質に先立つという考え方である。


個別の物にはその鋳型となる本質があっても個別の人間にはその鋳型となる本質はないのである。


従って、個人の選択や態度、解釈といったものが決定的に重要であり、未来を創造する鍵なのである。



セミナーの進め方としては、まず精神分析的なアプローチで過去を回想し、記憶をよく調べて過去のトラウマ、固着点などへの洞察をもたらし、それに気づいたならば、それを現在の積極的な行動によって再体験し完了させる。


そして、その上で、実存主義的に未来を発明し、創造できるという人生観を獲得するのである。


もし個別のカウンセリングで、クライアントの自己洞察を深めるのを手伝えないならば、こうした自己啓発セミナーの集団カウンセリングにおいても不可能である。




実存主義哲学は、環境は変えられなくても主観を変えることは出来ると考え、それが決定的に重要だと考える。


従って、人間の積極的な自由意志や自由選択、思想などが、自由に人間の未来を創造していくという考え方である。


そうした実存主義哲学は、射手座の発想と非常に親和性が高い。つまり、木星の拡大発展的、開運的アプローチなのである。


だからこそ、自己啓発セミナーでは実存主義哲学はセットで付いてくるのである。


そうしたことで、実存主義哲学は、サルトルが提唱し、当時の社会を自分たちの自由意志で改革するというマルクス主義、労働運動などを支持する理論となっている。




その後、クロード・レヴィストロース、ソシュールなどのフランスの思想家により構造主義が現れて、社会というものは、言語や文化のレベルでルールが決定しており、自由に選択したり、創造できるものではないとの見方を示した。


例えば、レヴィストロースの親族の基本構造、縁組理論などは、ジョーティシュのハウスの理論で説明可能である。


縁組とは、お互いの家族集団が、女性を持参金(財産)付きで、贈与し合う仕組みなのである。


それは2-8の軸で表され、ホロスコープによって構造的に決定していることを示している。



従って、構造主義によれば、人間には無限の自由はなく、無意識や言語、文化によって構造的に決められており、その理論は運命学的なのである。


自由よりも自由でないこと、運命が決定していることに注目する。



それは水星の分析的アプローチなのである。



従って、構造主義などのフランス現代思想というものは、水星が表示体である。


例えば、最近の「『ドイツ帝国』が 世界を破滅させる」で日本でも有名になったエマニュエル・トッドなどは、人口統計と家族構造などによって、世界の未来を予測している運命学者のような人物である。


ソ連の出生率が低いことを見て、ソ連の崩壊を予測したようである。


フランスの知識人というものは、水星が表示体になっている。


未来を予測するということは運命が存在することを意味しており、運命論的なのである。



そして、ジョーティッシュは、水星やケートゥなどが表示体である。


ジョーティッシュも運命が決まっていないことよりも運命が決定していることを緻密に研究していく分析的アプローチである。


然し、水星は分析は素晴らしいが、物事を変化させたり、変容させるという発想はない。


従って、分析するだけで開運はしないのである。


ムフルタなどの開運的アプローチもあるが、それらは木星的、射手座的な発想である。



西洋占星術は、キリスト教文明の影響を受けたため、拡大発展的、開運的で、また木星や射手座の影響を受けて、人生は自由に創造できるという考えをベースにしている。


そのため、西洋占星術で、惑星やハウスを見るということは個人がより良く選択し、行動するという意味での個人の自由意志のために活用するという発想である。




私が日頃、行っているジョーティッシュの鑑定において、ダシャーやトランジットによって起こる事象を当てることにこだわるアプローチというのは、水星の分析的アプローチである。


そして、私がジョーティッシュのダシャーシステムなどで確認したことは運命の強固な存在とカルマの存在である。


ジョーティシュで起こる事象が当てられることは、カルマの存在、運命の存在の証拠である。



私が強調するジョーティッシュによるコンサルテーションの大きな効用は、クライアントの認知や人生観に対する効果である。


人間の心は既に起こった過去やまだ来ない未来の間を行ったり来たりして、彷徨っており、落ち着きがないのである。


100%現在に集中することが出来ない。


然し、運命がほとんど変えられないことを理解し、受け入れると、過去にこうしておけばよかったといった無駄な後悔、そして、過去の修正された未来への継続である未来を先取りした不安や心配(条件づけ)といったものから解放されるのである。


そうした無駄な精神の運動から解放されて、100%現在に没頭することができる。


その目指すところは、ヨーガの効用と同じで、100%現在に没頭することである。



つまり、その目指す所は、運命を知的に理解して諦めて受け入れること、そして、悩み(マインドの運動)からの解放であり、悟りを得ることである。


ジョーティッシュで光の知識の恩恵を受けるということは、小さな悟りを得ることに例えられる。



ジョーティッシュで運命を分析し、それを伝えるということは、カウンセリング技法の中では、アルバート・エリスが創始した論理療法(REBT法)に近いアプローチである。


論理療法では、心理的問題は、出来事や刺激そのものではなく、それをどのように受け取ったかという認知を媒介として生じると考え、悩みの原因はその非合理的な信念(irrational belief)に問題があると考え、合理的な信念(rational beleif)に置き換えるように論理的に説得する技法である。


その非合理的な信念を合理的な信念と比較検討し、非合理的な信念には根拠がないことを説明し、合理的な信念に置き換えるように説得するのである。


それは知的で論理的なアプローチである。


例えば、ジョーティッシュで交際があまり上手く行かず、中々結婚出来ない人がいるとした場合、チャートの惑星配置を見た時に特定のハウスに凶星の影響があるから中々上手くいかないのだと説明する。


それらは過去の多くのチャートを検証した上での統計的な事実である。


ジョーティッシュの法則自体を理解する姿勢で、それらの説明を理解すると、思い通りに行かないことに対して、無執着の姿勢で取り組めるなどの効用が生まれる。


それは水星の分析的なアプローチであり、認知や信念を変えることによって、その人を無駄な葛藤や執着から解放し、そのことで、より幸福につながる心理的態度をもたらすのである。


仏陀が言ったようにあらゆる悩みの元は、欲望が原因なのである。


欲望を捨ててしまえば、あらゆる悩みから解放される。



仏陀(ブッダ=水星)は水星が表示体であり、知的に理解した人、悟った人の境地を表わしている。


その認知が変容したことによって、現実の受け取り方が変わり、結局の所、現実そのものも変わると考えることが出来る。



私自身、学生時代に神経症で、関連妄想的なものに悩まされた時、そうした妄想は合理的でなく、根拠がなく、リアリティーがないということを何度も自分自身に説得し、それらに対処したものである。


それは、自分の問題に知的に取り組む態度であったが、それは論理療法に近いのではないかと思われる。


そうしたアプローチも有効であったかもしれないが、やはり援助者の存在というものも重要である。


結局、自己の状況を共感し、理解してくれる助け手の存在というものは重要である。



論理療法は知的で論理的な人には非常に有効な療法であると考えられる。


然し、クライアントが知的で論理的でなく、論理よりも感情を優先する人であったら、論理療法はあまり意味がない。



その場合は、相手の感情に共感し、それを受け止めるような木星的なアプローチが有効かもしれない。


またそのような人は、運命が自由意志でいくらでも変えられると信じていた方が、心の健康にとって都合がよいのである。



また自由な選択で未来を切り開けるという考え方自体が、クライアントの感情を癒す要素である。


木星はリアリティーを妥協なく正確に分析することではなく、感情に対処することが目的であるから、詳細は不正確でもよいのである。


一方で、水星は知的な啓発を喚起するために妥協なく分析し、徹底的な理解を目指すのである。



つまり、感情や動機づけには木星のアプローチが有効であり、知的啓発には水星のアプローチが有効である。



私の鑑定に来られる方、特にブログを読んで鑑定依頼をされる方は、水星の分析的なアプローチを求める方が多いようである。



然し、だからと言って、感情や動機づけの部分にもアプローチできなければ、カウンセラーとして不足である。



私は水の星座である蟹座に月と太陽が在住し、木星が山羊座10室から蟹座4室にアスペクトしているためか人の感情に共感することもある程度、出来るのである。



今回の養成講座では、そうした自分のクライアントに対する木星的なあり方の質を高めてくれたのではないかと考えている。



分析し、理解するのは水星で、それを伝えるのは、言語で論理的に説明すればよいのである。



但し、相手の感情に共感し、相手の感情を癒し、楽観的、積極的な人生観にモチベートするには、自分の木星としての存在性を高めなければならない。



然し、木星と水星のアプローチは、全く性質の違う2つの惑星であるため、しばしば衝突するのである。



両方を上手く共存させるということは中々難しい。



知性を立てれば感情が立たず、感情を立てれば知性が立たずということである。



私のホロスコープでは水星の方が木星よりも強い為、どうしても水星のアプローチが優勢になるようである。



従って、アルバート・エリスの論理療法というものは、非常にしっくりくるアプローチである。



日頃、特に意識しなくてもこのようなアプローチを行なっている。



然し、カール・ロジャーズの来談者中心療法というものは、非常に木星的なアプローチを考えさせられる技法である。



来談者中心療法では、特にカウンセラーがクライアントに問題の答えや解決を与える訳ではない。



ただクライアントに傾聴し、クライアントに寄り添って存在するだけで、クライアントが自分で洞察を深めて問題解決に至るのである。


それはカール・ロジャーズが”プレゼンス”という言葉で表現したようにカウンセラーの存在自体が問題解決をもたらしていくのである。


それは木星には”問題解決”という象意があり、この”プレゼンス”という概念は、明らかに木星的な働きであると言ってよい。


つまり、カウンセラーはクライアントに対しては、存在全体で、”木星”であらねばならないということである。



この認知を扱う論理療法から認知行動療法が発展し、短期療法(ブリーフ・セラピー)やNLP(神経言語プログラミング)などが出てきているようだが、これらは解決志向型アプローチと呼ばれる。


またフリッツ・パールズのゲシュタルト療法などもそうである。


ゲシュタルト療法は、人間性心理学の一つに位置づけられている。



催眠療法家のミルトン・エリクソンの弟子や共同研究者たちが短期療法(ブリーフ・セラピー)を開発していったようである。


短期療法では「例外の質問」「ミラクル・クエスチョン」などでクライアントの認知に積極的にアプローチしてクライアントの短期での問題解決を図る。


つまり、認知に働きかけるという意味では水星的であるが、クライアントに積極的な変容をもたらすことを意図するという意味では木星的
なアプローチである。


但し、水星のように疾患の原因を分析的に追求するようなことは行なわない。



つまり、水星と木星の良いとこ取りをしたようなアプローチである。



日本では苫米地英人がCIAの洗脳技術などに言及し、この分野での盛んな啓蒙活動を行っている。



苫米地英人氏が進めるルータイスの教育プログラムなども基本的には、この流れのものだと思われる。


認知を短期間に変容させて、その人の行動変容や問題解決を目指すのである。



催眠療法家のミルトン・エリクソンは、魔術師と呼ばれ、クライアントとのほんの一回の面談だけで、クライアントの無意識に新しい認知を埋め込んで行動を変容させるような仕掛けを施すことが出来たようである。


それは新しい洗脳と言っても良いほど鮮やかな作業である。



このように現在の技法は認知を元にして、行動変容、問題解決を目指す短期アプローチが注目されている。




全てはアルバート・エリスの論理療法から始まったと言ってもいいかもしれない。


wikipediaによれば、アメリカの1982年の臨床心理学者への世論調査では、その分野に大きな影響のある人物としてフロイトを抜いて2位に選ばれたようである。


1位がカール・ロジャース(来談者中心療法)で、その次である。





結局、ジョーティッシュのコンサルテーションで何をしているかを評価するとすれば、それは究極的にはクライアントの認知にアプローチしているのである。


決して、開運の技法を教えたり、宝石を処方したりする為ではない。



通常、世間の大部分の人々は、運命がほぼ決まっているというこの圧倒的な形而上の真理について知らないのである。


運命やカルマの存在を書物を読んで本当かどうかと論じているようなレベルの話ではなく、実際に体験的に知るということである。


それは、アルバート・エリスの論理療法に近いものがある。




クライアントの認知や世界観が変わることに大きな意義があるのである。


従って、過去の出来事を鮮やかに当てるというのは、非常に良いことである。


それらは既に起こった事実だからである。


それらに言及してもあまり大きな害はない。




然し、クライアントの未来に言及する時にそれらは洗脳となり得るので注意が必要である。


最近の認知を扱うメソッドは、短期で結果を出す認知工学であり、悪用される場合、洗脳の道具と化すのである。


認知をもたらす前にその認知は科学的に正しく、倫理的にも正しい認知でなければならないのである。




つまり、最近、流行の短期療法(ブリーフ・セラピー)やミルトン・エリクソンの催眠療法やNLP(神経言語プログラミング)といった解決志向型アプローチは、若干、技巧的であり、操作的である。


クライエントに問題解決をもたらす新しい認知を埋め込むような積極的、操作的なアプローチである。


従って、CIAの洗脳技術に言及した苫米地英人氏が、この分野の積極的推進者の一人である。



カール・ロジャーズの来談者中心療法は、もう少しクライアントの内部にある実現傾向を信頼するのである。


カウンセラーは何かの認知を積極的に埋め込むといった操作的な技法ではなく、クライアントの内部の実現傾向、すなわち魂が問題解決を行なう力を信頼し、そこに寄り添っていくだけである。


クライアントの内部で気づきが生じ、自己概念が変容していくのである。


それは基本的な人間観の違いとして現れていると考えられる。



水星は信じるとか信頼するといったことは苦手である。



むしろ性悪説的に疑う傾向があり、悲劇的なほどの現実主義者である。



然し、その現実主義的な徹底的なマインドが、遂にはマインド自体の働きをも俯瞰して、悟りをもたらすと言える。



それではジョーティッシュを実践する人は何を目指せばよいかと言えば、やはり、まずは運命のほとんどは決まっているということの深い理解と諦め(諦観)と悟りである。



そのことによって、無駄で有害な希望的観測、期待、マインドの無駄な運動、過去と未来との往復運動(これらを総称して欲望と言ってもいいかもしれない)を捨てることである。



これを水星の分析的アプローチによってもたらし、その上で、変わる可能性がある部分について最大限の積極的肯定的な世界観の提供である。



そうした意味ではやはり実存主義的なアプローチが良いと考えられる。



そして、実存主義というのは、主観の持ち方で、人は変わり、運命は変わるという思想である。



その主観というものは認知のことであるから、合理的で有用なあらゆる可能性に開かれている肯定的な認知を持つ必要がある。



それをカウンセラーの”プレゼンス”によって、クライアントにもたらすのである。



特に何かを積極的に説得したり、伝えるということではなく、結局の所、カウンセラーが信じていることが自然とクライアントに伝わっていく。



あるいは、カウンセラーの”プレゼンス”によって、クライアントの認知が変容していくと言ってもいいかもしれない。



カウンセラーの人間観、人間に対する信頼や人間理解が、クライアントに伝わっていく。



教師あるいは、カウンセラーというものは、単に話すことの内容(言葉)だけではなく、その人物の話し方、身振り、振る舞いなど、存在の全体が何かを伝えるのである。



従って、カウンセラー自身の木星としての存在性が伝わっていくだけである。



カウンセラーが知っていること身に付けていることが勝手にクライアントに伝わっていく。



特に技巧的に認知を埋め込んだり、認知を操作するのではなく、何も教えずして教えるのがカウンセラーである。



そして、クライアントは自らの実現傾向によって認知を修正する機会を捕えるのである。





















スポンサーリンク


スポンサーリンク

釣りに興味が出た話-射手座の土星と狩りの関係-

個人的な趣味の話になるが、最近、急に興味を持ち始めたのは、釣りである。



昔、小学生ぐらいまでは、実家の近くに海があったため、よく釣りにいったが、それは仕掛けにゴカイや青イソメといった餌を付けての投げ釣りであり、堤防から投げて釣れるのを待つという釣りで、少々退屈である。






然し、最近、興味を持ち始めたのは、ジギングといって、30g~40gぐらいのジグ(ルアー)をジギング専用のロッド(竿)で、堤防や海岸から投げて、アクションを付けて、魚(特に青物と呼ばれる回遊魚)を誘う釣りである。



餌を付ける必要はなく、釣竿とリールとルアーがあればできる釣りであり、スポーツフィッシングと言えるようなアウトドア的な面白さがある。



また当然、釣れた魚は、調理して食べることになるが、青物は、大型の魚であり、食べごたえがあるというか、食料を自力で調達するという自給自足的な面白さがある。



そうしたスポーツのような釣りに興味を持ったきっかけは、youtubeで、釣りの動画を見てからである。



青物というのは、イワシ、アジ、ブリ、カンパチ、‎ハマチ、‎サゴシ・サワラ、‎シーバス(スズキ)、ヒラマサといった群れで回遊している魚であり、そうした魚をルアーで釣るのである。



youtubeには、そうした魚を釣り上げてから、家で調理して食べる所まで動画で撮影して、アップした動画が最近、大変増えている。



それらを見て思うことは、youtubeには、個人主義的、リバータリアニズムの精神が溢れているということである。



リバータリアニズムは、国家や社会に依存するのではなく、自分の自力で食料や住居を確保して、生存するというサバイバル精神がそこにはある。



アメリカはリバータリアンの国と言われているが、西部開拓時代にアメリカの西海岸を目指して、石油や金などの採掘をしたり、土地を開拓した人々の精神である。



そこでは、国家の力が働かないから、警察なども非常に弱く、ピストルやライフルを持って、自分の身は自分で守らなければならない。



また食糧も狩りや猟をして、自分で確保するのである。



そうした個人の力で自力で何が何でも生き抜いていくという強い逞しい精神がそこにはある。



逆に言えば、社会的に人と協力して物事を行なわない為、社会を形成する上では問題になるのはそれらの人々である。



例えば、アメリカでは、医療保険や社会保険といった共同で健康や生活を担保し合う仕組みに加入したくないという人がかなり存在する。



そうした人々は共和党左派のリバータリアンの人々である。



youtubeには、会社や組織に頼らずに個人の収入で何が何でも稼いでいくという逞しい人々が溢れているので、リバータリアンの巣窟なのである。



従って、日常的な様々なプライベートを動画として公開して、沢山の視聴者を集め、かなりの収入を上げている人もいるようだが、そうした自分の個人的なプライバシーを公開して、それで収入を稼ごうというなりふり構わない精神は、リバータリアンの精神であり、またユーチューバ―の精神である。



私の考えでは、かなり蟹座の影響がそこには感じられる。



この人たちには社会という発想がなく、あくまでも個人なのである。




ビットコインや仮想通貨もそうした社会を否定して信じないリバータリアンや無政府主義者がパイオニア的に行ってきたのである。



そのように考えると、ビットコインと釣りというのは、リバタリアニズムという共通項で繋がっているのである。



それで、youtubeは、仮想通貨や釣り、自給自足の生活に関する動画で溢れているのである。




従って、食料を自分で確保する自給自足の釣りというのは、リバータリアン、すなわちユーチューバ―の人にとっての重要な活動分野である。




実際には、これらのリバータリアン=ユーチューバーは、googleが所有するアクセス数に応じて収益を得ることが出来る動画プラットフォームに依存している訳であるから、社会から完全に自立している訳ではない。



むしろ、依存しているのである。



リバータリアンの問題点とは、社会のことは全く考慮せず、個人の自分の利益のみを追求していくことであるが、社会が維持していくプラットフォームの助けは必要としているという自己矛盾を抱えている人々である。



そうしたことはリバータリアニズムを分析する著作の中で、様々な人が表明している問題点である。




そうしたことはさておき、私は、youtubeで見た青物をルアーで釣り上げるジギングに魅せられてしまった。



特に海岸(砂浜)からルアーを投げて釣ることをショアジギングというのだが、最近、非常に人気が出てきているようである。




私も蟹座に月や太陽が在住しているので、リバータリアン的な精神があるからだと思われる。



特にブレグジットやトランプ大統領が当選した辺りから社会が右傾化する中で、個人主義、リバータリアニズムが台頭する中で、私もそうした宇宙からの刺激を受けているからであると思われる。



私の中のリバータリアニズム的な精神が活性化しているのである。




そうしたルアーで魚を釣る釣り人たちは、時には自分の体重に匹敵するぐらいの巨大な回遊魚を釣り上げるのである。



例えば、マグロ漁船で、マグロをトローリングで一本釣りするような釣りである。



決して、堤防からハゼとかタナゴといった小さな魚を釣っているような可愛い釣りではない。



それは猟に近いような釣りである。



例えば、広大なアメリカ大陸で、自分たちが食糧にするバッファローを捕えるような猟師の釣りである。



因みにリバータリアンの典型的なイメージは、広大なアメリカ大陸で、猟銃を持って、自分の食料とする鹿などを撃って自給自足の生活を営んでいる人のイメージである。




何故、私がこのジギング、ショアジギングというアウトドア・スポーツのような釣りに魅せられたかと言えば、それは現在、トランジットの土星が射手座を通過しているからである。



私の月、太陽から見た6室であり、そこにはラーフが在住しているが、その6室のラーフを刺激しているからである。




釣りにも釣れる人と、釣れない人がいると思うが、魚を釣りに行って、自分の体重と同じぐらいの巨大な魚を釣る人のカルマはどうなっているかと言えば、おそらく、占星術的に言えば、6室が強いのだろうと思われる。


釣り道具とは、やはり巨大な針が付いた凶器であり、それに魚をひっかけて釣るのであるが、それは暴力なのである。



それで、海にいるペットのような魚を釣り上げて、支配、征服し、挙句の果てには、料理して食べるのであるから、6室が強い人であるということが直ぐに分かる。




それで猟師とか釣り人というのは6室が相当強い人なのである。おそらく6室に火星やケートゥ、土星などの凶星が在住しているものと思われる。



成功した猟師や釣り人、記録に残るような巨大な獲物を獲得した人、釣り上げた人の写真というものが飾られていたりするが、そうした人は6室が圧倒的に強いのだと思われる。



それで、釣りで巨大な獲物を征服することが出来るということなのである。




考えてみると気味の悪い話であるが、沢山の従業員を雇っている人や、沢山の愛人を囲っているような人も6室が強い人であり、それらは暴力的で支配的な人々であるが、それらの人と同じ範疇に入るのである。




私は小学生ぐらいの頃には釣りをしたこともあったが、それ以降、全く釣り興味を持ったことなどなく、全く今までそうした兆候もなかったのだが、2017年の頭に土星が射手座に入室した今のタイミングで、そうしたアグレッシブで、スポーツのような釣りに興味を持ったようである。


元々月、太陽から見てラーフが6室に在住している配置であり、そこをトランジットの土星が刺激しているからだと思われる。



6室ウパチャヤの凶星であるため、攻撃性が出てきて、敵を粉砕するという象意が出てくる。




従って、青物と呼ばれる回遊魚をルアー釣りしたいという欲求が出てきたものと思われる。




それで、私は動画を見ていて、私も海岸からルアーを投げるショアジギングというものがしたくてたまらなくなったので、釣り竿、ルアー、リールなど一通り、揃えることにした。




そして、実際それらを揃えたのだが、時間がなくて、まだ釣りに行けていない。




但し、よくよく考えると、私が今の時期、急にルアー釣りをしたくなったのは、そうした土星の影響によるものだと気づいたのである。




だから、もし土星が山羊座に移動してしまうと、もはやルアー釣りに興味が無くなってしまうかもしれない。



色々道具を買いそろえて、もう釣りにいった気分になっているが、実際には、それ程、行く間もなく、自分の中のブームもあっという間に終わってしまうかもしれない。



案外、マイブームというのは、そうしたダシャーやトランジットによって一時的に訪れる行動傾向に他ならないのである。




因みに釣りというのは、狩りと同じで、基本的に6室の象意である。




人間が食物連鎖の王者として、自分よりも食物連鎖の下にある生物を捕獲して、食する行為である。




今では釣りはファッショナブルなスポーツのようになったかもしれないが、本質的には狩りである。



英国人の貴族が馬に乗って伝統的に行ってきたキツネ狩りもそうである。



動物愛護団体などから批判されており、ポール・マッカートニーがイギリス伝統のキツネ狩りは「残酷で不必要」と述べたという記事が報じられている。



さすがに魚釣りを残酷で不必要とまで言う人はいないが、例えば、私も菜食主義者で肉は食べないようにしているため、狩猟にあまり良いイメージはない。



例えば、これが魚釣りではなく、イノシシ狩りとか、四足動物の狩りだったら、私は気が進まないのである。



然し、私は英国のフィンドフォーンに行って妖精と話をするといったキャラクターでもないため、魚釣りぐらいはするし、魚も日常的に食べている。



但し、ふと自分が魚釣りに夢中になっているのを6室との関連で気が付いた時、魚釣りは本質的に狩や猟なのであるということに気が付いた。



魚という対象が食物連鎖の中の下位に位置する為にまだ魚釣りは、許容できる範囲内になってくるかもしれないが、本質的には同じである。



例えば、ヒラマサやマグロなどの巨大魚を釣るというのは、ウシやバッファローを捕獲するというのに圧倒的に近いものになってくるのである。



従って、ジギングやショアジギングといったルアー釣りに興味を持ち始めたという私はかなりアグレッシブになっているのである。



ちょうど月、太陽から見た6室にラーフが在住しており、そこにトランジットの土星が通過中で、6室の凶星で攻撃的で敵を粉砕する強さが出てきており、アグレッシブなアウトドアフィッシングに興味を持ったということなのである。


海で魚たちと格闘したいという欲求が出てきているのである。



因みに猟師や漁師は、屠殺人は昔からの身分制度、カーストなどの序列で言うと、低い方という認識が為されていたと思われる。



おそらく6室はやはり暴力を表わすハウスであり、例えば、タマスやラジャスといったプラクリティに支配された人が行う仕事であるということである。



サットヴァ、ラジャス、タマスの割合に応じて、職業(カルマ:行為)が決まるというのが、バガヴァッド・ギータで述べられている。



もし文化的に洗練されてくれば、もっと5室(創造性)とか9室(霊性)とかそうしたハウスの象意を追求しなければならないのである。




従って、釣りに興味が出たというのは、私的にはやや普通の人っぽい退行現象かもしれない。



そのため、少し恥ずかしい気がして今まであまり人に話したりしていないが、土星が射手座に入室したタイミングでの興味深い出来事として、あえて開示したいと思うのである。



射手座は、獲物を求めて野山を駆け巡るケンタウロスの象徴であり、射手座のメンタリティーとは狩りである。



面白いものを求めて、狩りに出かけるのである。



例えば、射手座にとっては結婚でさえも狩りである。



土星が射手座を通過している今、蟹座から見た6室に土星が通過していることになるため、今、蟹座のリバータリアン達が、釣りに興味を持ち始めたということかもしれない。



私以外にも似たようなタイミングで釣り(ジギング、ショアジギング)に興味を持ち始めた人がいると思われる。



















スポンサーリンク


スポンサーリンク

最近の私-木星が8室蠍座に入室-

11月に東京と大阪でセミナーがあるため、最近は、私はジャイミニのチャラダシャー以外のダシャーが機能しているかの事例検証や準備した資料のチェックなどをコツコツと行っている状況である。

木星が10月12日に蠍座に入室してから、私はブログ『鑑定家 ジョーティッシュ』の内容をアップデートするモチベーションが沸かなくなってしまった。

その代わりにコツコツと資料を読んだり、研究したい、読書をしたいという気持ちになっている。


私は牡羊座ラグナであるため、8室の木星は力を発揮できないポジションだが、但し、4、8、12室のモクシャハウスにアスペクトしているため、瞑想に取り組んだり、静かに研究生活を送ったりといった欲求が起こってくるようである。

外向的な活動には消極的になるようである。8室には研究という象意もあるが、まさにそんな感じである。


新しく記事を書きたいという欲求というものが中々起こって来ないのである。

木星が天秤座をトランジットしていた間は3室と3室の支配星に木星と土星がアスペクトしていたが、現在、土星だけがアスペクトしている状況では、抑制が働くだけである。


然し、こうした8室を木星が通過する時期などは非常に外的には地味になるが、内的なモクシャの観点では非常に意義深い時期になるのである。

木星が8室の蠍座を通過し終えて、射手座の9室に入室した時には全く違った展開になってくることが予想されるが、それは8室に木星が通過してじっくりと内的な貯めの時期を経験してのことである。


8室は変化を表わすと言われるが、確かに木星が8室を通過する時期というものは、挫折や行き詰まりなどを経験し、モクシャ的な観点からは変容が期待できると思われる。

ジャイミニのチャラダシャー以外のダシャーを検討する中で、シュリK.N.ラオが書いた『Predicting Through Jaimini Chara Dasha』という本を読み直したり、参照する機会があった。

シュリ・K.N.ラオはインディラガンディーの長男であるラジブガンジーの暗殺を死の数か月前にスティラダシャーで予言したのである。


そうしたことが上記の本に記されている。

インドでは誰もそれを他に予言した者がいなかったと記されている。

そもそもラジブガンジーが獅子座ラグナであるということさえも色々議論があって皆が同意している訳ではないようだが、獅子座という正しいラグナを導き出した上で、スティラダシャーによって、その死のタイミングを予想したということである。

スティラダシャーだけを使ったのか分からないが、スティラダシャーが決定的に役立ったようである。


私も講座の資料を準備する中で、スティラダシャーやニラヤナシューラダシャーが、致命的な時期を特定するのに役立つのか調べていたが、やはり機能しているように感じられる。というよりも非常によく機能していると感じられる。但し、もっと数をこなして多くの事例を見る必要がありそうである。

木星が8室蠍座に入室してから私はそんなことを行なっている。

8室には研究という象意があるが、やはり今、私がやっているのはそうしたことである。


ブログに何か記事を投稿したいという気持ちが沸かないし、人とあまり会ったり、頻繁に連絡し合いたいというコミュニケーションの欲求が起こらないが、然し、コツコツとマニアックな事柄を調べたいという欲求はある訳である。


それと対照的なのが11室である。

11室は幅広い人脈を築き、常に人が集まるパーティーや同好会、結婚式や様々なコミュニティーに参加して、多くのコミュニケーションを行ない、そこで利益につながるような情報を得たり、人脈を得たりする。成功者のハウスである。

然し、そうした騒々しい中にいても外的なビジネスなどにつながるような情報を得ることは出来ても人は内的な深みを得ることは出来ない。


やはり内的な深みを得るためには一人になること、モクシャの経験が必要である。


成熟した人は、しばしば一人でいることを好むのである。


ビジネスなどでも成功し終えてしまった人は、むしろ、そうした社交の場をあまり価値ある場とみなしておらず、一人で読書したり、瞑想したりする時間を大切に思ったりする。


だからモクシャハウスというのは深みのある人生にとっては重要なものである。


また通常、人に話したり、知られないその人のプライベートな部分になるため、人は芸能人や有名人などのセレブが、そうしたモクシャの時間を持っており、それを貴重なプライベートな時間と見なしていることを知らないのである。


芸能人や有名人の華やかな社交の部分しか見ていない為、人はそれらの姿がそれらの人々の日常的な姿なのだと思い込んだりするが、実際にはモクシャの部分こそが、その人の深みのある本質的な部分である。


そういうことで言えば、先日、ブログで記事を書いた三田佳子も息子の不祥事に対する苦労といったモクシャの部分が、最も本質的な三田佳子の姿である。


そこに三田佳子の人生の最も深みのある究極の本質が現れる。



上記のシュリ・K.N.ラオがラジブガンジーの死を予言したという言及に戻るが、私は、バラクオバマとヒラリークリントンの選挙戦について予想するなどの試みの辺りから、予測することに挑戦してきた。


ヒラリークリントンが失速するタイミングなどをダシャーで特定したり、小沢一郎が獅子座ラグナであることを特定した上で、チャラダシャーで政治的パワーの失墜するタイミングなどを特定することを試みた。


最近のケースでは、ドナルド・トランプが大統領に当選するかどうかを予想した。


それ以外にも出生時間の分からない有名人のラグナをまず修正し、その上で、その有名人の未来を予測するという試みを行って来た。


つまり、シュリK.N.ラオが書籍の中に記しているようなことに挑戦して来たと言える。


そうした成果は、日々の記事の中で記述だけでなく、日頃の鑑定活動の中にも現れて、鑑定依頼に来たクライアントの方の結婚や出産などを的中させたり、就職のタイミングやまた現在の苦しい状況についての解釈や、それが終わるタイミングなど、色々と鑑定師としての全般的なスキルとしてそれらは役立っている。


このようにジョーティッシュの学習と研究の旅路の中で、かなり質的に高いことが出来るようになって来た。


これらは学習の最初の頃には全く出来なかったことばかりである。


2002年前後から初めて、15年以上、学習と経験を重ねた結果、初めて可能になったことだが、専門家たちが正しいラグナについての議論を重ねており、その中で、正しいラグナを特定して、そこから正しい予測を行なうといったことと同じことを日常的に行えるレベルまで到達した。


かなりいい線まで来た感じはするが、但し、やはり、シュリ.K.N.ラオやBVBの研究者たちと、私の決定的な違いというのもあり、それは理論を生み出しているかどうかという所である。


今の私の段階では、海外の書籍などで学んだ理論をよく理解して、それを実際の有名人の事例などに適用して、ラグナを修正したり、未来を予想したりといったように上手く学んだ理論を使いこなしてはいるが、理論を生み出すところまでは行っていない。


おそらく大学院生レベルのことしか出来ていない。人に理論を教えたりすることは出来るが、まだ博士号はもらえていない段階である。


自分の理論を発表するような作品(著作)も生み出せていない。



例えば、シュリK.N.ラオが行っているように全く古典に書かれていないその使用法も分からなかった技法の計算方法、適用方法などを解明するなどのことは全く出来ていない。


ジャイミニの技法、そしてチャラダシャーの使い方などはラオ先生の発明品と言ってもいいぐらいのものである。


おそらく、『ジャイミニのスティラダシャー』などの本を著したアキーラ・クマール(Akhila Kumar)女史、あるいは、ジャイミニのナヴァムシャダシャーを著したサッチン・マルホトラ氏などのような生徒たちが、ジャイミニの変動表示体の概念を更に拡張したり、全く未知のダシャーの計算方法や適用方法を明らかにしたという点で、大学院の優秀な研究者という位置づけになってくると思われ、博士号クラスになってくると考えられる。


こうした分野でまだ理論を生み出すレベルまで到達できた日本人はいないのではないかと思われる。


日本人だけではなく、海外でもいないと思われる。


例えば、マークボニーなどは非常に良い研究成果を書籍などで出版しているが、然し、基本的な所で、BVBの考え方を忠実に検証しているように思われる。


従って、海外でこの分野で、新しい理論を生み出すに至った人物はいないのではないかと思われる。



インドのパランパラの伝統の中でジョーティッシュの家系でファミリーシークレットを実践してきたような人が身近にいたり、聖者との親交もあり、ジョーティッシュグルやマントラグルもいて、ヴェーダの文化に親しんでおり、サンスクリット学者なども身近にいるような条件が圧倒的に有利なのであり、やはり、ジョーティッシュは、インド人のお家芸である。


但し、日本人やロシア人も才能があると言われているため、それらにどこまで迫れるかという所である。



基本的に現在、生み出された理論や既存の知識を全て学習して理解することが第一であり、その上で、その学習の途上で、幸運な人は、その理論を若干修正するような小さな発見をして、それを書籍に著すことが出来たりするのである。


そして、更に幸運になれば、全く新しい理論を発見することが出来たり、古典に書かれていて誰もまだ使い方が分からない技法の使い方が分かったりするかもしれない。



そこまで行ける人は稀であるが、ジョーティッシュを面白いと感じ、夢中になって学習しているということが条件になってくると思われる。



だから私たちはジョーティッシュを楽しんで実践し、研究していくべきである。




実際、理論を生み出すところまで辿り着けないとしても、既存の理論を現実社会の人物や状況に適用して予測をしてみたりといった形で、ジョーティッシュを楽しんで実践していくことはできる。



そうした実践の中で、理論の深い理解に結びついたり、新たな発見があったりするのである。




最近、マークボニーの講座を受講して分かったことだが、シュリK.N.ラオが一部の周囲の人間にしか教えていなかった技法が世の中に出始めているのである。



それらはその人たちだけで実践して秘密にしておくように言われていたようだが、最近、それらを知っている人たちの間で、解禁されたようである。



従って、以前よりも学習の質の高い材料は、揃っていて、高度な知識を学習するのであれば、今が旬である。






















スポンサーリンク


スポンサーリンク