れいわ新撰組・山本太郎の「消費税廃止」が信じられる理由
れいわ新撰組の山本太郎が、「消費税廃止」という論陣を張って久しいが、これは極端な主張であるとする向きも少なくない。
立憲民主党なども消費税を上げていた位であるが、山本太郎はその立憲民主党を経済オンチ、第二自民党と揶揄する。
しかし、今回の選挙で、れいわ新撰組が、9議席獲得し、改選前の議席を3議席から大幅に伸ばしてきた。
かなり勢力を拡大して、この「消費税廃止」という主張が、少数者の偏った主張と切り捨てることが出来なくなりつつある。
山本太郎のチャートを考える時、5室支配の木星が水瓶座7室でヴァルゴッタマで強く、この配置は、物事の繋がり、ネットワーク、エコシステムというものを最もよく理解できる優れた知性を表しているように思える。
水瓶座は、1960年代、70年代のカウンターカルチャー、フリッチョフ・カプラの「タオ自然学」など、エコロジーの思想を生み出した本源である。
エコロジーとは全体の思想であり、全体とは個々の要素の単純な総和ではなく、それ以上のものであるとする思想で、「ホーリズム」とも言う。
ホーリズムは、有機体論やシステム理論にも通じるが、個々の要素にこだわるのではなく、その個々の要素の繋がりや連携など、その全体的な動きに注目する。
それに対して、部分や要素の理解だけで、システム全体が理解できたと考える仕方を「要素還元主義」と呼ぶ。
近代科学が専門化し、細分化するにつれて、この「要素還元主義」が流行り、木を見て、森を見ない傾向が強まった。
東大出の優秀なエリート官僚などにこの傾向が強いのである。
経済とは複雑なエコシステムであり、個々の経済主体の連関、繋がりを俯瞰して捉えなければ、その全体の動きは理解できない。
例えば、経済学者はGNP(国民総生産)といった概念で、国家の経済規模を考えるが、それには女性の家事労働や子供の養育、教育などお金に換算できない経済活動が含まれていない。
これらの女性の縁の下の活動が、経済のエコシステムの中で究めて、重要な役割を果たしていることが、数式をもてあそぶ経済学者は分かっていないのである。
現在の経済学者たちは、個々の経済指標は気にするが、経済主体、物やサービスのその真の繋がり、実際の全体像には無知な要素還元主義者の集団と言っていいかもしれない。
山本太郎が最近、主張する消費税が日本の失われた30年の経済不況をもたらし、先進国の中で唯一、30年間、経済成長していない現状を招いたのは、消費税だとする理論は、ますます真実の輝きを発し始めている。
最初は世間的に山本太郎は極端なことを言っている風に見えていたかもしれないが、今や霞が関のエリート官僚よりも山本太郎の方が、経済の真のエコシステムを理解しているように感じられる。
つまり、消費税がボトルネックになっていて、その経済全体のエコシステムが上手く作動しなくなっているのだ。
以前、「ザ・ゴール-企業の究極の目的とは何か」という本が話題になっていた。
私は、2000年代初頭にまだITの仕事をしていた時、上司がこの本を机に置いて、読んでいたことを覚えている。
この本は非常に強力なアイデアの為、国際競争の観点から、長らく日本では発売が禁止されていた本だが、この本の要約として一番訴えている点は、ボトルネックを解消すれば、生産、販売、物流などの企業活動全体のエコシステムが上手く作動して、企業は、ぼろ儲け出来ることを明らかにしている本である。
例えば、工場においてある部品の生産が、一か所だけ遅れたり、滞っていると、生産、販売、物流などのシステムの流れ全体を滞らせ、全体の生産性を大きく損なわせてしまう。
その全体の生産性を大きく損なわせる部分をボトルネックと呼ぶが、それを解消することで生産性が飛躍的に向上するのである。
おそらく、日本経済というエコシステムの中で、「個人消費」の停滞というボトルネックがある為に経済全体が上手く作動しない病気が、日本の中で、30年続いているのである。
労働者、労働力は、消費者でもあるが、この労働力を軽視するが為に経済全体のエコシステムが、損なわれている。
それは企業が内部留保で利益を溜め込んで、給与として労働者に還元しないことも理由の一つだが、「個人消費」「購買力」の低下といったものが、ボトルネックの一つになっていることは間違いないと言える。
企業が内部留保を溜め込むのは、業績の不振で、倒産することを恐れて、キャッシュフローを余分に溜め込んでいるとも言えて、ある程度は、合理的な行動である。
労働力に費やす費用は、コストでしかないからで、労働力にかかるコストを削減して、利潤を上げて、それを配当として資本家に分配する。(資本に追加する)
特に日本という国は、「おもてなし」という言葉があるように過剰サービスの国であり、労働者に過剰にサービスさせ、ただ働きさせる文化が、昔から存在する。
だから、労働者への還元率も諸外国よりも少ない。
これは日本社会の文化、あるいは性質と言えるもので、これを中々変えることは難しいが、自民党がやっているのは、企業に給与を上げることをお願いするといったあたかもまじないとか、祈りのような手法である。
経済合理性に合致するような手法でなければ全く意味がない。
そのような状況の中で、政府が出来ることと言えば、消費税を廃止して、直接、国民に現金給付することぐらいである。
「消費税」というものは、今や日本経済にとっての最大のボトルネックである。
日本は、部品、デバイスを作ったり、物作りに長けているが、この全体的包括的なホリスティックな思考が不得手である。
その為、アップルのように端末を配布して、アプリケーションのプラットフォームを運営し、そこで、数多くのプログラマーの才能を無料で活用するといった大きな仕組みの発想が苦手である。
その為、プラットフォームビジネスなど水瓶座が象徴するビジネスの新しい形に全く順応できず、遅れを取ったのである。
特に経済のエコシステム全体を考えることは、全体の利益を考えることでもあり、自分たちの目先の利益や立場を守ろうとする狭くて小さい発想がある限り、上手く行かない。
れいわ新撰組の山本太郎は、消費税を廃止して、現金給付する原資は、国債を発行してまかなうと主張している。
アベノミクスの時も国債を発行して、通貨発行量を増やし、その通貨で、日本の経団連の関連株などを購入して、株価を吊り上げるのに用いた。
一見、株価が上がることによって、日本経済は強くなったように見えたが、通貨発行量を増やしすぎた為、インフレ傾向となっている。
企業が内部留保を溜め込めたのは、アベノミクスのおかげであるが、しかし、それは労働者を犠牲にした結果である。
本来、労働者に分配されるべきものが、株価の吊り上げに使われた。
しかし、企業が内部留保を溜め込んでも、日本経済は全く回復しない。
もし日本経済が回復しているとするなら、それは日本の国民を置き去りにして、排除し、海外の消費者との関係で、経済のエコシステムを回す仕組みを作ってしまったことになる。
国民の健全な生活を置き去りにしたそのような経済が、国民国家として、健全だろうかと疑問が生じる。
本来、日本の国民の為の政府、日本の国民の為の国家だからである。
アベノミクスの時と同じように国債を発行して、今度は消費税を廃止し、国民に直接、現金給付することに使い、「個人消費」「購買力」を高めれば、日本経済は、今よりもずっと良くなり、国民の生活も良くなるはずである。
日本経済の歪な構造が、日本の労働者(消費者)を犠牲にした結果、日本は、アジアの中でも貧しい国になりつつある。
そして、日本の労働者(消費者)、すなわち、日本の国民が全体として弱体化することは、人口を減少させ、日本の国力を徐々に弱めていく結果につながる。
あともう一つ重要なのは、山本太郎のれいわ新撰組は、福島の原発事故の処理水の海洋放出に唯一反対している党であるということである。
処理水(汚染水)は、まだ現代科学では測定できない危険な放射性廃棄物が含まれている。
(特にホメオパシーなどを実践している人であれば、微量の分子として存在しないレベルの放射性廃棄物がいかに危険であるか分かるはずである)
処理水を海洋放出すれば、食物連鎖で、我々の体内にも入ってくる。
東北沿岸の漁業関係者も反対しているが、要素還元主義的な現代の科学者たちが安全であると主張して、政府の方針にも逆らえずに海洋放出が始まっている。
これも全体への影響を考えない短絡的な発想なのである。
海洋放出が決定した理由は、コストが最も安かったという理由だけである。
それが安全であるとは誰も思っていない。
この海洋放出に反対している点が、れいわ新撰組、すなわち、山本太郎の考え方が、全体を扱うホリスティックな思考であることを示している。
従って、経済のエコシステムのことも正しく理解している可能性が高い。
それは5室支配で水瓶座でヴァルゴッタマの強い木星が、ホリスティックな識別力をもたらしたからである。
だから消費税が日本経済を30年間、停滞させているという言説は信用できるのである。
私は、今回の選挙で、小選挙区も比例代表もれいわに入れて来た。
それは、更にこの消費税廃止、現金給付の政策を推し進めて欲しいからである。
れいわ一択というつもりはないが、自公政権に消えてもらわなければ、この国の未来はないからである。
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